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平成21年度 地域における犯罪被害者等支援のためのセミナー事業

平成22年3月
静岡県県民部県民生活局くらし交通安全室
内閣府犯罪被害者等施策推進室

II. 第1回ネットワークセミナー開催報告

II-1:ネットワークセミナー開催報告(平成21年12月7日開催)

(1)プログラム

[1] 開会(13:00)

[2] 開会挨拶 (13:00~13:05)

静岡県県民部県民生活局局長 望月 正

[3] 県警からの説明(13:05~13:30)

静岡県警察本部犯罪被害者支援室犯罪被害者支援官 河合 竜司

[4] 講演(1) (13:30~14:40)

    「犯罪被害者への理解と適切な対応」

常磐大学人間科学部教授 長井 進 氏

- 休憩-

[5] 講演(2) (15:00~16:10)

    「トラウマの及ぼす被害者への影響とそれを支援する人への影響とそのケア」

国立精神神経センター治験管理室研究員 白川 美也子 氏

[6] 県からの依頼事項 (16:10~16:30)

静岡県県民部県民生活局くらし交通安全室長 山下 晴久

[7] 閉会 (16:30)

(2)開催内容

[1] 開会

[2] 開会挨拶

<静岡県県民部県民生活局局長  望月 正><静岡県県民部県民生活局局長  望月 正>
皆さん、こんにちは。本日は、大変お忙しい中、内閣府と静岡県の共催で実施いたします当セミナーに御出席いただきまして、大変ありがとうございます。
また、皆様におかれましては、日頃から犯罪被害者等の支援に関する施策の推進につきまして、多大な御尽力を賜っておりますことに、この場を借りて御礼申し上げたいと思います。
さて、私たちの身の回りでは、新聞、テレビ等で報道される痛ましい事件や事故が跡を絶ちません。突然、大切な人を失った御遺族等の気持ちをお察ししますと、いたたまれない気持ちになります。犯罪被害者についての問題は、ごく一部の限られた人の問題として捉えられがちでございますけれども、私たちもいつ、この当事者になるかわかりません。そのような中で、犯罪に遭われた方や、その家族の方々が被害から立ち直り、再び平穏に暮らせるようにするためには、国だけでなく県、または身近にある自治体が個々の実情に応じた適切な対応と、必要な支援を行うことが重要となります。
御承知のとおり、平成17年4月に犯罪被害者等基本法が施行され、それを受けまして同年12月には、犯罪被害者等基本計画が閣議決定されました。その結果、国におきましては、犯罪被害者等給付金の上限額の引き上げ、刑事裁判への被害者参加制度、また刑事裁判の手続を利用した損害賠償命令制度など、被害者の視点に立った施策が進められているところであり、一方、県におきましても平成18年に犯罪被害者等支援総合調整窓口を設置し、被害者等からの相談を受けるなど、犯罪被害者等支援の施策を進めているところでございます。
本日は、静岡県警察本部警務部犯罪被害者支援室の河合竜司さんから静岡県の犯罪被害者等の状況について説明をしていただき、その後、常磐大学人間科学部教授の長井進先生と国立精神神経センター治験管理室研究員の白川美也子先生のお二人を講師としてお迎えし、長井先生からは「犯罪被害者への理解と適切な対応」、また白川先生からは「トラウマの及ぼす被害者への影響とそれを支援する人への影響とそのケア」と題する御講演をいただくことになっております。
皆様におかれましては、本日の講演等を今後の犯罪被害者等支援業務にお役立ていただき、これを機に体制の整備や支援策の充実に御配慮を賜りますようお願い申し上げまして、簡単ではございますが、開会に当たりましてのごあいさつにかえさせていただきたいと思います。
本日は、よろしくお願いいたします。

[3] 県警からの説明

静岡県警察本部犯罪被害者支援室犯罪被害者支援官  河合 竜司 写真<静岡県警察本部犯罪被害者支援室犯罪被害者支援官  河合 竜司>
皆さんこんにちは。警察本部の警察県民センターで犯罪被害者支援室というのがございますが、そこで犯罪被害の支援を行っております河合と申します。どうぞよろしくお願いいたします。
私も今年の4月、この犯罪被害者支援室へ異動してまいりまして、まだまだ勉強が足りないというところがございます。ですけれども、この犯罪被害者支援室へ来て、いろいろ学んだこともございますので、そういった話を少ししたいなと思っております。
私もそんな経験は長くはございませんけれども、今まで刑事を多少なりともやっておりました。そして、刑事といえば当然、被害者の方と接することが非常に多いわけです。私自身も、東京のほうに行きますと警察大学校というところがございますけれども、こういったところでいろいろ被害者との関係を学んだり、あるいは普段の仕事の中で被害者と接したりして、被害者支援、被害者対策、こういったものについて理解していると今まで思っていました。ですが、今この犯罪被害者支援室というところへ来て実際にやってみると、非常に勘違いをしていたなというところが多いわけです。
といいますのも、今まで私は、捜査の立場から被害者に接していたなというところが非常に多かったわけです。被害者の立場に立ってやっていたということがあったのかなと考えると、ちょっとそうじゃない、どちらかというと組織の中で内向き的な、そういった接し方をしていたのではないのかなというのが今の心境です。
そして、実際に犯罪被害者支援室という立場で被害者に接してみると、捜査、例えば殺人事件が起きますよね。殺人事件が起きて、犯人は誰なんだ、どんなやつが容疑者なんだということをやはり警察としては考えるわけですけれども、我々被害者支援というものは、捜査の推移に気を配るのではなくて、被害者の心理に気を配らなければならない。被害者の心理の推移ですね。こういったものに気を配らなければならないのだなと。誰が犯人であろうが、どんなやつが容疑者であろうが、それは関係ないのですね、被害者支援ということに関しては。要は、被害者がどうやって立ち直っていってもらうかというところが中心になるのだということを勉強させてもらって、今やっております。
毎日いろいろな犯罪が起きて、新聞を賑わしております。この犯罪被害に遭うということは、非常に家族、親族全体に大きな影響を及ぼしているなというのが私の実感でございます。殺人事件の被害者のお宅へ行ってみる。そうすると、当然ですけれども、泣き崩れる。そういった中で、旦那さんとの関係がうまくいかなかったり、あるいは子どもに対して辛く当たってしまったりというようなことで、生活上の困難、これも非常に余儀なくされているなというのが実感です。
上手に支え合っている家族もいらっしゃいます。家族同士の軋轢が噴出してしまっている家族もあります。支え合っている気持ちはあるのだけれども、折れかけてしまっているというような家族もございます。いろいろな家族の姿があります。そういった家族に、あるいは被害者に、一番最初に接するのが私たち警察なのでございますけれども、被害に遭ったその場だけで支援ができるというものではないなということなのですね。非常に長期間、ケアというのでしょうか、支援をしていかなければならないというのが私の実感でございます。
警察だけでこういったことができるかというと、やはり限りがあるわけで、警察ですべての被害者に対して支援をしていくというのは無理でございます。ですから、県、あるいは市町の皆さんが支援に当たっていただいたり、あるいは民間団体の方が支援に当たっていただくということが必要になってくるのだろうなと。地方や行政、あるいは保健・医療、学校関係、いろいろ考えてみれば様々な職種の方々が被害者支援というのに関わりを持って、被害者あるいは家族、こういった人達からニーズを酌み上げていくというのが必要だと思います。
ニーズという話をしましたけれども、ニーズも差し迫ったものでありますとか、あるいは、ちょっとこれは長期的に見たほうがいいなというようなものもございます。数年を見越したような長期的なものもございます。ですけれども、こういったいろいろな次元に私たちは目を配っていきながら、支援できることは何かというのを見つけていくことが必要なのだろうなと。生活とか行政とか医療、こういったものが一体になって支援ができたら非常にいいなと思います。
それから、犯罪被害者の支援のニーズ、これについてちょっとお話しさせていただきますと、やはり警察に対する今被害者のニーズは何が高いかというと、情報提供でございます。被害者が、私が被害に遭っているのに、私に情報がこないってどういうことなの、それで今度裁判があるからどうします、それってどういうことなのという方がやっぱり多いわけですね。知らない間に犯人が捕まっていた、知らない間に起訴されていた、裁判の日が決まっていた、それじゃ私って何なのという話になってきても仕方がないわけです。
警察のほうでは、それではいけないということで情報提供、捜査に差し支えのない範囲で被害者連絡というのを一生懸命して、捜査の推移、あるいは情報提供、こういったものをしていきましょうということでやっているわけです。
もう一つは、やっぱり二次被害ということになろうかと思います。二次被害とかそういったことについては、後ほど先生方がいろいろお話ししてくださるかと思いますけれども、マスコミであるとか、相手方の弁護士でありますとか、あるいは自分の近所の人々、こういった人たちにいろいろ噂されたり、悪意ではなくてもいろいろな言動があって、精神的に傷ついている方は非常に多いです。
私が過去に扱ったものでも、お子さんが川に溺れて亡くなったのですけれども、これを事件でやるということでやったのですけれども、御家族の方も、やはり溺れたのはその女の子が悪いから溺れたんじゃないのというような噂が広まってしまいまして、やはりそこに住んでいられなくなって引越しをせざるを得なくなった方もございます。そういった方が非常に間々あるわけですよね。何でうちの子が悪くなってしまうの、大人に川へ連れていってもらって、大人が見るのが当然じゃないのというときに、いや、子どもが勝手な行動をしたから子どもが悪いんだよ、じゃ、あの子が悪かったんだねということが、もういたたまれないというようなことで引越しをしている方がいます。
二次被害の話でもう一つは、今までの歴史の中で反省をしている部分ではございますけれども、要は、被害者の人を証拠だと思っていたわけです。被害者の方がしゃべる、供述調書になる、それが証拠。被害者本人はちょっと横へ置いておいてみたいなところがあって、要は被害者イコール証拠みたいなところがあったのではないのかなと、そういった位置づけが強かったのではないのかなという反省がございました。そういった反省の中から、二次被害、こういったものを防止するためのいろいろな施策、取り調べのやり方ですとかそういったことも、警察の部内では指導をするようになってきたわけですね。今ではもうそういった取り調べの方法であるとか、あるいは事情聴取、それから実況見分のやり方でありますとか、そういったものについては、女性の被害者であれば女性の警察官を側に付添わせるようにしたりと、現在は変わってきているわけです。
前に、性犯罪の被害に遭われた方が、自分を助けてもらいたくて、心がどうなっているのかわからないから、それで警察へ行っているのだけれども、警察のほうでは、何か犯人を捕まえることが優先で、「ちょっと立ってみて、写真撮ります」と言って写真撮ったり、証拠品だからこれは提出してもらいますというようなことで、何か私ではなくて、犯人のほうに重点に置かれているのではないのかというようなことをおっしゃっておりました。まさにそのとおりだと思います。それが先ほど言った、被害者が証拠だというような考え方だったと思います。
そうはいいましても、今の警察の中で犯罪被害者支援をこれまでずっとしてこなかったのかというと、そうではございません。やはりベテランの刑事、あるいはそういった取り調べのプロでありますとか、そういった方がたくさんおります。そういった人たちは、被害者対策要綱とか、こういうふうにしなさいという指導といったものがなくても、自分なりに、組織としてではなく、個人的にもずっと被害者支援というものをやってきていたのですね。外へ出てくる。外へ出て、ちょっとその帰りにあの被害者のところへ寄ってみようということで寄って、「どうなんだ、最近ちょっと顔見ないけれど」と言いながら話をする。今度は次の被害者に行ってみようといって寄り道をしてくるわけですね。そういった被害者支援というものができている方もいたのです。
ですから、これを今度は大きく組織としてやっていきましょうというのが被害者対策要綱でありますとか、いろいろ基本法でありますとか、そういったものになってくるわけです。
ご存じのとおり、大量退職時代というのを迎えておりまして、今そういったベテランの刑事さんたちがかなり退職されている時期になっているわけですね。そういったときに、今若い刑事がそういった被害者支援とか、そういうものを引き継いでもらいたいなというのが私の思いなのですね。機械的に、机に張りついて、パソコンを打って、それから外へ捜査に出るでもない、被害者の家に行くでもない、ずっとパソコンについていれば何か犯人が捕まるんじゃないか。こういうのを「かまぼこ刑事」というのですけれども、昔の刑事さんにはそういったかまぼこ刑事はいませんでした。
それから、もう一つは「だんご3刑事」というのがいます。これは、1人で行って1人で被害者と接して話ししてくればいいものを、2人も3人も連なって被害者のところ、あるいは関係者のところへ行って、「何か変わったことありませんか」と言われても、ごつい顔をした人が3人も行っても話はしませんよ。やっぱりそのときには心と心というものがあるのですから、心を通じ合わせた事情聴取とか、あるいは訪問でありますとか、そういったものをしてもらいたいなというのが気持ちでございます。
ですから、今、そういった若い人たちに、そういった昔ながらの職人気質というのですかね、そういった刑事さんたちの良い面は是非見習っていってもらいたいなと思います。
それから、連携から協働へということを書いてございますけれども、やはり皆さんのところでも、各警察署で犯罪被害者の支援連絡協議会というのを開催していることと思います。そういった協議会に出席されている方もいらっしゃると思います。この協議会、非常にこれを活用してもらいたいなというのが一つございます。
というのは、せっかく顔を合わせて各警察署ごとの協議会をやっているのですから、やはりそういった協議会を有効に活用して情報交換なり、情報提供なりをしていっていただけたらなということがございます。年1回の顔合わせだけで終わるのではなく、そういった協議会を利用して、それを仕事のほうにも役立てていただきたいなと。
他の県に比べれば、静岡というのはこういった協議会というのを積極的にやっているほうです。中にはやっていないような県もございます。誰に犯罪被害者のことを相談したらいいのかわからない。市や町のほうもどこの担当なのかもわからないというようなことが他の県では非常に多いのですけれども、こういった協議会を活用していただけたらなと思います。
お手元のほうにお配りした資料がございますけれども、「アシスト」というのがあるのですけれども、これは、私自身が経験しておりませんが、うちの係員でこういった支援を経験している者が資料をつくってくれました。こんなふうにやった事例だよというようなことで資料にしていただきました。
非常に各機関が連携しながらやっていただいたという例でございます。警察は何ができるのか、教育委員会は何ができるのか、支援センターは何ができるのか、行政機関は何ができるのか、弁護士会は何ができるのかというような、それぞれの立場でいろいろ考えてやっていただきました。
その後のページに支援活動の流れということで書いてございますけれども、この中で警察の被害者支援というところを見ていただきますと、まずは、事情聴取でありますとか、司法解剖するときにはこういった説明も被害者遺族の方にさせていただきます。それから、やはりマスコミの方が非常に多く押しかけます。そういったマスコミの方に対する対応方法、こういったものも説明したり助言したりということをいたしております。
それから、5番目のところに書いてあります遺体引き渡しに伴う支援とか、あるいは解剖結果の説明、こういったことも行いますし、通夜・葬儀対策、こういったことも私たちで行っております。
私たちといいましても、警察本部では私以下7名でやっております。ですから、普段の被害者支援というのは各警察署の警務課、こちらでやってもらっているわけですね。捜査部門でも被害者支援要員というのがございますけれども、その中心的になるのは警務課で被害者支援ということを担当しております。
ですから、こういった活動を、事件が発生しますと各警察署の警務課員が、お通夜あるいは葬儀、こういったものも対応できなければ私たちで対応しますよということでやっております。
考えてみれば、家の大黒柱を亡くしてしまったときにあれをやりなさい、これをやりなさいと言われても、できないのですね。警察の方ではこういった話が聞きたいと言っている中で、お通夜はどうするのか、あるいはお葬式はどうするのか、こういったものまでなかなか全てを考えていくことができないと思うのです。警察でもこういったお手伝いをしながらやっているというのが現状です。
やはりあとお子さんがいれば、お子さんの関係でいろいろ経済的負担の軽減ですとか、あるいは、教育委員会とかそういったところで御指導をいただいてやっているというのが警察の支援です。
最初の資料のところを見ていただくとわかるとおり、中心にあるのは被害者と遺族でございます。これも先ほど私が冒頭にお話ししたとおり、間違ったなということの一つです。というのは、被害者あるいは御遺族、こういった人たちを中心にして考えていかなければいけなかったのを、警察の捜査を中心にして考えていたなというのが反省です。捜査をうまく持っていくために被害者の支援をしているという感覚があったわけですね。目的と手段の履き違えとよく言いますけれど、そのとおりなのですね。被害者を支援するために、その手段として捜査があるんだよ、だって、捜査するのは被害者がいるからじゃない、被害者がいなかったら捜査なんかする必要ないよねというところをちょっと間違ったなということがございます。
ですから、こういった被害者あるいは遺族の方を中心にして、それぞれの機関が連携、もう一歩進んで協働、そういったところに進んでいけたらいいなと思っております。
次に、本来の被害者支援のあるべき姿というようなことを書いてございますけれども、先だって、犯罪被害者週間がございました。介護支援とかそういったものですと、何か自分がこれから介護される立場になる、あるいは家族がそういった立場に置かれるということを考えますので、やはりそういったものに比べて、被害者支援というのはいま一つ浸透力がないのかなと考えてしまいます。
というのは、正常化の偏見というのですか、自分には関係ないみたいな、東海地震があるけれど、いろいろ地震があって被害があったところは大変だな、だけれど、私には関係ないみたいな考え方を正常化の偏見というそうなのですけれども、何かそういった、被害に遭った人は大変だけれども、自分は被害に遭うことはないという考え方がちょっとあるのかなと思います。
今、犯罪被害者の基本法で、地方公共団体の責務とか国民の責務、こういったものが盛り込まれて各種施策を推進しているのですけれども、今の時代は、国民の誰が被害者になってもおかしくない時代なのではないですかね。誰もが潜在被害者なわけです。
恥ずかしい話、私も警察官でありながら、車上ねらいに3回遭っております。その中で、こんなことを言っていいのかどうかわかりませんけれども、そのうちの1回は、買ってまだ1週間の車だったのですけれども、窓ガラスを壊されて、中が荒らされていました。中には、当然買って1週間ですから、何も物は入っておらず、何も盗まれていないのですけれども、その時に「何も盗まれなくてよかったですね、窃盗未遂ですから」と言われる。そうじゃないのですよね。買ったばかりの、1週間の車のガラスを壊されたということがやっぱり相当な被害じゃないですか。こういったことが、事件の大小はないかもしれませんけれども、殺人事件なんかがあったときに何かこういった一言が、少しの言葉の行き違いというか、ボタンのかけ違いが起こってそういった問題に発展していっているのかなと考えたりします。
それから、もう一つは、被害者の権利ということなのですけれども、警察では今、被疑者の取調べ監督制度というのをやっています。被疑者を取調べるときには、届出をして、それで取調室の中を監督する係が取調べの状況を見たりしております。犯人に対して悪いような取調べはしていないのかというようなことをやっているのです。
それから、もう一つは、今、議論に上がっているのが、取調べの可視化というのがございます。そうやって考えると、世の中にはプラスとマイナスがあるし、男と女がありますし、天と地がありますし、いろいろ相反するものがあるのですけれども、この相反するものが調和して、それで世の中が成り立っていますよね。プラスばかりではよくないし、男ばかりもよくないし、光ばかりあって影がなければまたこれもよくないですし、そうやって考えると、被疑者の取調べ監督制度、あるいは可視化、こういった話が進んでいくときに、同じように被害者の権利、こういったものも相反するものとして調和を持っていかなければいけないのかなと思います。
ですから、こういった調和をさせるために、私たちは被害者支援というものについて考えていかなければならないのかなと思っております。
もう一つの被害者対策ということなのですけれども、これは警察と教育委員会が一緒になって「命を大切にする授業」というのをやっております。御遺族の方に被害に遭ったときの講話をしてもらいまして、それで中学生とか高校生にそれを聞いてもらって、命というものを大切にする。あるいは加害者も被害者も出さない社会、こういったものに一歩でも近づくようにということで、そういった施策をやっております。これは去年と今年やっております。また来年もやっていきたいなと考えております。
やっぱり警察でいいますと、認知件数が減った、刑法犯が減ったとか言いますけれども、体感治安がよくなっているかというと決してよくなっていないと思うのですね。やっぱり道徳意識とか規範意識、こういったものを学生たちに高めていってもらうのが必要だなということでやっている施策でございます。
警察庁長官が会議で言っていたのですけれども、君たち、刑法犯とか認知件数が減った、そういった話をしているけれども、私が何を目指しているかといったら、昭和の頃のああいった治安を求めているのだよというようなことをおっしゃっていたので、参考までにお話しさせていただきました。
それから、犯罪被害者週間を迎えるに当たりまして、マスコミによる二次被害について新聞記者の方に、警察で業務ブリーフィングを実施しました。要は、被害者支援というものをわかってください、被害者ってこういうふうになっているんだよ、わかってねということを新聞社の方を集めて、40分ぐらいの時間やりました。
最後ですけれども、意識改革。これは、もうこれまで私が今話ししてきたとおり、警察という中で捜査と被害者支援というのを履き違えていたなというところです。ですから、皆さんも被害者支援というものに関して意識改革をしていただきたいなと思います。被害者支援、被害者に接する心とか、いろいろ施策はあると思います。予算も関係あると思います。だけれども、やっぱり根本的にあるのは心ではないのかなと。心の通っていない被害者支援をしたら、それがかえって二次被害になるのではないのかなと考えます。警察が一日も早く犯人を捕まえる、これが被害者支援だと今まで思っていました。ですけれども、犯人を捕まえたら捕まえたで、また被害者の心というのは変わってくるのですね。そういった心に気を配るということが大事だと思います。
こういった研修に参加された皆さんが、やはり被害者支援の意識改革の群発地震になって、いろいろなところへ広めていただけたらいいなと考えております。
終わりに、私たち警察、国民、県民のための警察、あるいは被害者のためにある警察、被害者のために存在しなければならない警察と、中心軸がぶれないように活動する必要性、こういったものを感じております。
協議会、あるいは今日の研修会のような場で被害者支援に携わるすべての人たちが「被害者支援は被害者のためにやるものだよ」といった当たり前のことをもう一回思い返さなければならないのかなと思います。
警察は、関係機関あるいは団体の方皆さんの力を貸していただかなければ被害者支援というのは行っていけません。ですから、そういった力を貸していただきまして、被害者の方が、この社会が生きるに値する社会だったなと、その中にあるような心でも、空を見上げたら満天の星が見えたよというような社会、仕組み、支援をつくっていきたいなと考えております。
以上でございます。

[4] 講演

(1)「犯罪被害者への理解と適切な対応」

<静岡県県民部県民生活局局長  望月 正>こんにちは。御紹介いただきました長井でございます。よろしくお願いいたします。
お手元の資料をご覧いただければと思いますけれども、幾つか思いついていることがございますので、お伝えしておきます。既に内閣府から県庁のほうには配られているはずですけれど、「平成20年度地方公共団体職員に対する犯罪被害者等施策に関する研修事業報告書」というのがきています。恐らく多くの方がご覧になっていないと思いますが、是非ともこれは県のほうで、県内の地方公共団体の本来は被害者支援担当者だけではなくて、県で働いている地方公共団体の職員皆さんに本当は読んでいただきたいと思いますけれども、犯罪被害者遺族が講演を各地でしています。その内容を読まれるのが一番心に響くのではないかと思います。私のような間接の人間が話すよりは、やっぱり被害者御本人がお話しなさることを聞いて皆さんが何を感じるかが御自身の態度、行動等を変革させる非常に重要な要因となると思いますので、是非ともお読みいただきたいと思います。
それから、既に印刷物になっています犯罪被害者白書の平成20年版ですけれども、この配付資料の最後のほうにも載せましたが、実際に私が附属池田小学校の児童殺傷事件で遺族支援をしたことに関して、御遺族が私の支援活動の要約を載せていらっしゃいますので、お読みいただければ幸いです。
また、同時に、酒井さん始め4人の方が執筆され、ミネルヴァ書房から出ている本もございますけれども、確かこの5章に私の行いました支援活動、犯罪被害者白書よりも詳細に書かれていますので、お読みいただければと思います。
それで、今日お話しすることですが、要旨のところにございますように、最初に、これは関東の某県某市役所における犯罪被害者遺族の体験についてお話をいたします。それから、犯罪被害者が一体どういうプロセスを経て回復に向けて歩んでいくのかという回復のプロセスについて御理解いただいた上で、そういう犯罪被害者等に関しましてどうすることが重要であるのかということを再認識していただき、基本的な対応と要点をお話ししたいと考えております。
まず、最初の関東地方の某市役所で遺族が経験されたことですが、これは、実は今年春から夏にかけて、四季の別や場所までは特定したくありませんけれども、遺族の方が経験されたことです。ですから、本当に半年も経っていないような出来事です。
いわゆる犯罪被害者等基本法においては、日本政府が全責任を持って対応する事案でないというところはありました。つまり、国外でお子さんが行方不明になった(実際には殺害されていた)事案です。それが事件発生から7年近く経って共犯者が別件で自供したことがきっかけで主犯がわかり、ポリグラフにかかって、要するに犯行を認めざるを得なかったというような事案で、司法取引の関係で刑事裁判にかからず、有罪を主犯が認め、有罪が確定したというような事案でした。
それで、確定したのが春の間で、事件が起きた現地の裁判所から帰国してこられて2週間ほど経って御自分の住んでおられる市役所に赴かれたと。死亡届をどうするのがいいのかということで行かれたわけです。
容疑者逮捕前に御遺族が失踪宣告の手続をとられていましたし、失踪宣告してから7年が経つというのも、この夏に迎えるような時期でした。ところが、御遺族としては、母子家庭、結婚されてお子さんが生まれて、後で離婚なさってというようなことがあって母子家庭ですけれども、親権は母親が持っていました。国際結婚した方でした。
それで有罪になったので、母親としては、やはり何月何日に亡くなったかという日付が非常に重要であり、いつでもいいから亡くなったのではなくて、やっぱりこの日に亡くなったのだと、命日が特定されるというのは非常に重要なことです。それから、裁判所の記録や事件が起こった現地における新聞の記事等を持参して、役所に赴かれました。
すぐ受理されるとは思わなかったということです。また、御自身としては、当然ながら自分が手続をとるということは、最も気が進まないことでして、子どもの死亡を認めてしまうことにもなるので、したくなかったけれども、せざるを得なかった。あらかじめインターネットで手続に必要と思われるようなものは調べておられました。
ある休日の午前中、役所の入り口のすぐ右側にある館内受付のところで、「死亡届手続きにやってきました。ちょっと複雑なので、どちらの窓口に行けばいいんでしょうか」。そうしたら、その受付の女性が答えていわく、「どのように複雑なんですか、死亡ですか」と非常に淡々と事務的な口調。「実は子どもが亡くなりました。殺害されたけれども、遺体が出てこないんです」と。遺体の出てこない案件ですけれども、被告人は有罪を認めてもう既に刑に服していますが、そういう案件だったわけですね。
別の部屋に通してくれるでもなく、第三者に聞こえてしまうような状況であったので、カウンター越しに話さなくてはいけないのが非常に不愉快だった、と。他にもいろいろ利用者がやってきて、書類を取りに来た人がそばにいて、その人たちにも聞こえる距離であった。受付の女性は、「それでは市民課の窓口に行ってください」と。この口調もどちらかというとぶっきらぼうだったという印象だけを残しているわけです。
市民課に行き、番号札を取り、順番が回ってきました。どうぞと言われる場所が形ばかりのパーテイションで仕切られていて、すぐ横にも利用者がいました。休日だったので、印鑑証明や出生証明を取りに来た人もいました。利用者は横一列に並んで座って手続をしていました。銀行以上に薄い仕切りで、隣の人が何を話しているのか全部わかってしまいます。でも、母親いわく、「私はもちろん隣の人には聞かれたくありませんでした」と。
そこで、窓口に出た方は40代ぐらいの男性、おとなしそうな方ということですけれども、母親が「死亡届のことでちょっとお聞きしたいんですが、子どもが死亡したんですけれども、ちょっと複雑です」。男性職員は「どういうふうに複雑なんでしょうか」。ここで母親は概要を話して、男性は困ったふうで、「ちょっと待っていてください」ということで後ろのほうに行った、と。その男性はそのようなケースを扱ったことがなく、自分では受け付けられないし、これは面倒なケースだぞと、わからないし、というような感じを受けたと御遺族はおっしゃっています。「どうしたらいいんだろう、という印象だった。私の話を聞くというよりは、今までにないケースだから自分は受け付けられない、知識も無いし、どうしよう、どうしようという、そういう自分の仕事をするという点で困った印象だった」と。
そこで、次に後ろにいる上司に相談していましたけれども、その仕切りで上司の人の姿は見えないけれども、声だけは聞こえてきました。その上司が恐らく戸籍の分厚いほうだと思いますけれども、それを持って出てきて、いきなり書類を指して、「これ全部英文ですよね。これでは受け付けできないんですよ。ほら、ここに書いてあるでしょう。訳文がいるんですよ」ということだったのですね。
また、その上司と言われる男性、結局は市民課の責任者ということでした。殺害されたけれども遺体は出てこない。しかし、被告人が殺害を認め、有罪判決が下り刑に服することになった。そういう状況だけれども、死亡届を提出し、死亡証明書を取りたい。どうしたらいいんでしょうか、ということで市役所に行ったのにそういう対応をされたと。御遺族としては、もう少し言い方があるのではないでしょうかと。実はこの書類だけでは足りないんです、というふうに説明してくれて、紙に書いて、これ、これ、これが要りますからね、というふうに言ってくだされば、よほどこういう複雑な気持ちを持たずに済んだ。それから、英文についても、こちら役所で調べますが、というような説明とかがあればということだったわけですけれど、全くなかった。普通の市民であれば疑って当然だと思いますけれど、その上司の男性に対して、御遺族は「これ全部、私が訳すということですか」と。「私は母親ですが、全く内容の異なる要約等をつけて提出した場合どうなるんですか」。そうしたら上司の男性が答えて、「それはお母さんを信じるしかないですね」。母親、「私が訳すのはおかしいんじゃないですか」。お母さんのほうとして、御遺族のほうとしては客観性を担保する意図でそう言った。事実に合致する届けになっているかどうかは役所の責任だと思っていたということです。
ともかく管理職の男性は、「このままじゃ受理できないんですよね」と。提出に際しては他に何が必要ですよ、これを訳して訳文をつけて、さらにこういう書類が必要ですよ、それをどこに出してというような説明はなかったし、ただ、和文の訳がないと受理できないんですよ、だけだった。
繰り返しになりますけれども、加害者への刑の言い渡しがあった後、帰国し、これが最初にしなければならなかった大きな手続だった。自分の中ではあまりやりたくないけれど、やらなくてはならなかった手続。できれば、しなくて済むのなら、したくなかった。頭の中は混乱し、怒りでどうしてよいかわからなかった。失踪宣告の手続のときより裁判所の記録などもあるので、物事が失踪宣告の手続のときよりは前進するのではないかと思った。
御遺族の体験としては、市役所をいつ出たのか、どのように自宅にたどり着いたのか、全く覚えていない。これは、被害者が警察に被害届を出して、ひどい対応を受けて自宅に戻る際の体験と全く同じですね。とにかく市役所を出たとたん、泣き出してしまった。自分の想像していた対応と全然違った。真横には出産を控えて母子手帳を発行されているお母さんがいると。その方がいる真横で、かたや御遺族は事件の内容を全部話しているわけですよ。「なぜ遺体が見つからないのですか」と市役所職員に問われました。「そこまで全部話さなくてはいけないのであれば、少し離れたところに空席があったのに、なぜそちらには連れていってくれなかったのでしょうか。離れた場所で聞いてくだされば、私も大きな声で詳しく話すこともなかったと。詳しく話すことには非常に躊躇を感じた」と。
対面している間、このままじゃ受理できないんです、ここに書いてあるじゃないですか、と言われたところで、御遺族にはそれが何だかいまだに全くわからないということです。御遺族も取り乱し、「わかりました、では、次は何が必要なんですか」というような気持ちのゆとりもないし、そのまま帰ってしまいました。
御遺族の体験談は続きます。「上司の男性は、最初から最後まで面倒くさいという印象で困った様子だったとのことでした。とりあえず英文の和訳がないということを理由に帰ってもらおう、というふうに私が思ったような対応でした。たとえ私のケースが最初のケースであったとしても、受理するつもりでいる人ならば、最低限私の連絡先を聞くなどしてもよさそうなのに、そういうことは全然ありませんでした。今後の連絡をとることさえ考えていませんでした。電話番号も住所も何も控えずにそのまま帰したということです。だから、私は悔しくて、悔しくて。私は気持ちが滅入っていて言い返す気力もなく、あるいは今後のことについて尋ねる気持ちにもならなかった。窓口を離れる際、もういいです、と自分で言ったか全然覚えていません。男性はただ黙って立っていた、いや、座っていたかもしれませんが、それだけだったと思います。心のない人というか、冷たいというのとも違う、難しい、ややこしいのが嫌だなと思っている人でした。休日で忙しいし、そんなことを言われても、みたいな感じでした。
遺体が見つからない点については、総合受付で簡単に、市民課のその2人の男性にそれぞれより詳しく説明し、精神的には非常にまいってしまいました。市役所以外に死亡証明書を出すところはないわけですし、そのような対応をされるとは予期しませんでした。子どもの死亡に関して法的な手続をしているのだし、役所が導いてすべてやってくれると思っていました。そういうものだと思っていたのです。たとえ私が、もういいです、と言ったとしても、住所を聞くとか、こちらから連絡しましょうと言ってくれてもよさそうなのに。なのに、英文書類の和訳に関してだけはいやに回答がはっきりしていて、印象としては、そんなのこっちに振ってくるなよと、役所に訳させるような仕事を持ってくるなよという、そういう印象を利用者に残したという感じでした。私が、「長い英文のほんの要約だけ訳して持ってきてもいいんですか」、と尋ねたら、「それはしようがないですよね、お母さんがそうするんだったら」という、その上司の回答でした。
もうそのときはそれで終わり、2週間ほど経って、夜の終了時刻に間に合うように役所に行ったら、今度は30前後の若い女性、名前をお聞きしていますけれども、その方が対応されました。自分もこの前よりは気持ちが落ち着いていたけれども、この前の対応はやっぱり絶対おかしい、というふうに伝えました。先日の方はその奥に座っている方ですよ、というふうにその女性に伝えました。手続の仕方を教えてもらいに来たのに全く説明がなく、和訳がないと受け付けられない、の一点張りでした。非常に不愉快な思いをしました。こんな不愉快な思いを何度も繰り返したくありません。手続がわからないので教えてほしくてやってきているのに」と。
まだ、ほんのもう少しだけですが、おまけがついていまして、2か月半ほど、この手続に御遺族は何度も行かれました。事件の複雑な事情もあったことだと思います。この書類が足りない、これには何をして、というようなことを何度か繰り返されたそうです。御遺族いわく、「合計、市役所に2か月半のうち6回赴いて、その上司たる男性は最後まで出てこなかった。挨拶もしなかった。その若い、後で替わってくれた女性は、手続を最後まで責任を持ってくれたし、また、私に対して謝罪もしてくれました。また、伺うに当たっては事前の調整もしてくれたし、事務連絡もきちんとしてくれました。責任を持って協力してくれる気持ちがよく伝わってくる人でした」と。その後で、市民課の責任者だったということがわかったそうです。
その女性も、その男性に相談に行ったことがありましたけれども、ああ、あれね、あの件ね、というように遺族に映るような態度を女性職員に示していたということです。女性職員もやりにくかっただろうとは思います、と。上司に利用者(市民)からの批判を伝えることさえできていなかったのではないか。
時折私は他から依頼されて被害者支援を行っていますが、今もこの方は関わっている方ですけれども、個人的に被害者支援をやっている関係で極めて詳細な情報を入手し、「こういう形でこの研修会にてお話ししてもいい」というような同意も得た上でお話ししています。あえて事件が発生した国だとか、場所までは明確にはいたしません。
しかしながら、今お聞きになったことについて皆さんどう思われるか知りませんが、犯罪被害者支援どころではないわけです。市民として何かが起こったときに行かざるを得ない場所だから行ったのに、非常に心ない対応を受けた。これが静岡県でなければ非常に結構なのですけれども、その関東の一県一都市に起こっている問題だとは思いません。そういうことが、この春から夏にかけてもあるということをどうか御記憶に留めていただきたいと思います。
被害を受ける前にはストレスを感じながらも、何とかバランスを取り戻し、態勢を立て直し、また体力、気力も回復し、時々刻々、日々変わる外部環境に適応する力を持ち、もちろん個人差はありますけれども、適応して我々は過ごしています。このときには、要するに犯罪被害等の外傷体験をする前の段階においては、ここに書かれている、自分には自分で判断し自分で意思決定する力があるという、そういう感覚をみんなが持っているはずですし、自分にとって大切な人々との間に信頼の絆があるという感覚も持っていると思います。これを常に毎日意識しているわけではありませんけれども、何かがきっかけで、何かで困ったときに親切にしてもらうことがあって、こういう感覚が備わっています。
それから、社会への信頼感。これは幻想でしかありませんけれども、みんな幻想を持っています。幻想を持っているということは、ある意味、健康度を保つという上で非常に重要ですけれども、被害者等、非常に辛い経験をした人だけは、現実社会の見たくもない、経験もしたくないようなものを実際に経験されます。それは幻想ではありません。
それから、ある時突然被害を受けた場合、犯罪被害というのはこういう形だけではありません。金銭的な問題がありますけれども、仕事を失うこともありますし、大変なことが次々起こってきます。心理的影響としてこの3つ。無力感、孤立無援感、社会への不信感とはちょうど逆の方向に極端に低下してしまうような無力感にさいなまれる、孤立無援感にさいなまれる、不信感が極めて強烈になる。本来、加害者だけに向けられるべき不信感が社会全体に広がってしまうということです。
したがって、精神的被害、ここでは精神的被害の側面に焦点を合わせてお話しすることになりますけれども、被害からの回復に向けて取り組むべきことはこれら3つの要因の緩和ということです。全くなくしてしまうということはできません。それから、被害前の感覚を取り戻していただくと。
しかし、支援者、支援関係者がいろいろ支援したから回復に向かうということではなくて、犯罪被害者自身は何度も何度も思い出したくもないような被害のことを思い起こし、また、被害発生当時から受け続けている二次被害を何度となく繰り返し思い起こし、そういう思い起こす中で徐々に抵抗力がついてきて、また用心深くもなります。これ以上二次被害を受け続けることは避けたいというふうに思ったときには、会っていい人、よくない人というふうに分けて会われるでしょう。そういう被害者が精神的被害から回復に向かうことの困難さ、大変さということだけはどうか御理解いただきたいと思います。
それから、二次被害についてですが、ただでさえ現実に向き合って被害回復に向けて努力し続けるというのは至難の技なのですけれども、それを余計に困難にさせる要因としてこういう二次被害が多々あります。
この詳細については、お話ししている時間がありません。先ほど申し上げた昨年度の研修会報告書には二次被害がたくさん書かれています。内閣府も講演者を選んでいろいろなことが語られるように考えられた結果、いろいろな経験をなさっている方の体験談が印刷物にまとまっていると思いますけれども、本当にいろいろあります。
ほんの一部、例えば刑事裁判における減刑だとか、あるいは裁判官の「反省している」だとか、「常習性がなかった」だとか、いろいろな説明がそもそも被害者を傷つける。地下鉄サリン事件の高橋さんのお話では、司法解剖医の対応がよくない、遺族に断りなくいろいろなものを自分の研究に使ったりというようなことをしていて、詳しくお話しなさっていました。それから、国、東京都等が優先債権としてなかなか債権放棄しなかっただとか、そういうこともありました。
少年事件においては、少年院に入ったけれども、退院直後に被害者宅にお母さんが呼ばれたわけですけれども、加害少年の親は加害少年を君づけで呼んでいると。「もうあきれて物が言えない」ということです。それから驚くことに、少年事件等ではよくあることですけれども、民事で賠償金が幾ら支払いを命じられたというような報道がされますと、まるで関係のない人が借金を無心に来る、それから宗教の勧誘にやってくる、これ非常に多い話ですね。
それから、いろいろな被害を受けた後、身内、知人が「早く示談で済ませなさい」、「嫌なことを早く忘れるんだよ」というような、まるで遺族の心情とは異なる助言や提案をする。職場で働いている人も、職場の上司が「また休むのか」、「また休んで裁判所に行くの」、これを言われるだけで大いに傷つくと。
失踪事件に関しては、投票の案内(入場券)は届くのに、国勢調査に調査員がやってきたら、「奥様はもういないのだから書かなくていいですよね」という対応をされると。市役所に行くと、「生死が不明なので介護保険は払い続けてください」等々、本当にいろいろあるわけですね。
それから、支援者(弁護士)と被害者の間における認識・心情の差についても時間的に余り詳しくお話しできませんが、幾つかの弁護士会でお話ししたことがございます。これは初め、実は静岡県の弁護士会でお話をしたときに、出席者の弁護士のお一人から、これはどこの文献に載っているのですかというふうに言われたことがありまして、いやいや、私は附属池田小の遺族支援で私が観察したものをただまとめただけなのです、というふうにお伝えしたのを覚えていますけれども、これほどに認識、配慮、態度、要望等が違うということですね。時間の関係であまりお伝えできませんが、弁護士にたどり着くことだって本当に難しい、何も知らない。今は法テラスがあります。ここで内情を言うのは控えますけれども、ともかく被害者にとって信頼に足る弁護士にたどり着く、その人にきちんと支援してもらえるというところにたどり着くまで本当に大変なのです。
スライド9ページ [PDF:508KB]の一番上の、夜遅く週末は対応できませんと弁護士が言い、平日は遺族だって仕事があるわけだから、そんなの休めないですよと。これで少しもめたことがありました。
ですから、弁護士と遺族との間であれば今のような対比ができますし、これが警察官と被害者、あるいはメディアと被害者、地方公務員と被害者、いろいろなものが全部対比できるはずなのです。私も理解はしておりますが、お役所というところは誰が利用するかわからない。したがって、クレーマーだの何だの本当に対応は難しい。人を不愉快にしかしないような利用者がいるということもわかります。警察の方もそうだと思います。
しかしながら、被害者、落ち度が全くなくて、必要があり仕方なく行っている役所のところで、非常に心ない対応をされるというのは本当に心外なのです。異口同音で感じることですけれども、犯罪被害者にとっては、一次被害という犯罪被害そのものが一番許しがたいことのはずなのに、被害者遺族、特に遺族、遺族だけではありませんけれども、遺族にとって許しがたいのは二次被害を与えた人と。現実は、二次被害は与えられたけれども、被害を受けたことをその当人にフィードバックできるかというと、遺族にはその気力も何もありません。傷つけられたという記憶だけが確実に残ります。関係者から受けた二次被害の内容を一言一句全部覚えていらっしゃいます。様子だとか雰囲気だとか全部覚えていらっしゃいます。
非常に悲しい現実としては、二次被害を与えた、与えるつもりがなかったとしても、与えた人は、自分がそれほど被害者を傷つけたという認識は残念ながらなかなか生まれない。このような事態が繰り返されるわけです。
そこで思うのですけれども、先ほど警察のほうからちょっと支援の枠組みのお話ありました。重要なのは、後で繰り返すかもしれませんけれども、被害者が被害者支援の関係者、民間団体もどこも問いませんが、誰かに二次被害を受けた場合、それを被害者は一体誰に話すか。被害者同士です。被害者支援のほうにはなかなか届きません。でも、被害者同士、気持ちの通じる人たちには話しています。情報は共有されています。どの地方でどういうことがあるかというのは、被害者支援に非常に関心のある被害者等の方々はかなり全国的な情報を持っていらっしゃいます。
ですから、二次被害がこのような形で起こり続けているのを何とか少なくしようと思いますと、次のことが重要だと思います。
被害者も被害を受けて、多くの方は、先週も東京で発言した内容ですけれども、一つの自助グループ、あるいは自助組織に所属するだけではなくて、全国的な組織にも入り、地域のどこどこにも入り、あるいは別の会に入りだとか、いろいろな方がいらっしゃいます。複数の自助グループもしくは自助組織に所属し、多くの異なる情報源から多様な情報を得ることによって、バランスのとれたというか、かなり主観から離れた立体的な情報を取ろうとなさっているわけです。
ですから、それと同じように、地方公共団体だけでなく警察もメディアも、民間団体、民間の被害者支援団体も、本来は被害当事者とだけ接するのではなく、時折、批判的なことも話される。しかし、的を射ていないわけではない。当然の批判も時折話す。支援の改善のために、あるいは支援が推進されることを願って、批判される方などを含めていろいろな情報源から実情を聞かれると、支援の関係者もよりバランスのとれた、適切な心理的な距離を置いた、適切な支援ができるのではなかろうかというふうに思っている次第です。
次に、被害からの回復過程における現実ということですけれども、先ほど申し上げましたように、ともかく被害者自身が自ら取り組まなければ被害回復というのは考えられないということですね。何もせずにおとなしく黙って座っていれば、年月が経つだけで、気持ちが楽になるわけでは絶対にありません。
ですから、医学でいうところの自然治癒力は精神的な側面においてもあるわけでして、その重要性をどうか御理解いただきたいと思います。
それから2番目にスライド10ページ [PDF:370KB]の[2]ですけれども、現場にいてもなかなか事件の真相というのはわからないことがあります。ましてや被害者が亡くなり、容疑者、被告人だけが生き残っているのであれば、遺族の方々はよく「死人に口なし」とおっしゃいますけれども、私も刑務所等で加害者には面接していることがありまして、実情のほんの一部を知っていますけれども、すべて自分の不利になることまで清廉潔白といいますか、すべて被害者の利益を考えて自分の不利になるような事実まで全部語る加害者がそろっているかというと、そういう方にはちょっとお目にかかったことがありません。
したがって、なかなか真相はわからない。それから、責任ある者による心からの謝罪、これは加害者だけではなくて、民事責任等、不作為等によって責任が及ぶような方々においても、被害者等としては非常に複雑な気持ちを持たれますので、そういう誠実で責任感がある、またそれが伝わってくるような態度で被害者にちゃんと向かえるかどうかが非常に重要です。
それから、悲しみは取り除けません。最初のうちは、被害者の生前中のことを遺族が思い起こすと、被害直後とそれからのいろいろな二次被害だとか、家の中、あるいは刑事手続に関わって大変なこと等を全部一緒に思い起こされます。したがって、清水と汚水とがごちゃまぜになって降りかかってくるような思いで、したがって、思い起こすことが非常に困難になる。だから、記憶もまだらになる。でも、何度も何度も辛い経験をするうちに、何度思い起こしても全く心が痛まない、むしろ思い起こしてほほ笑むことさえできるようなエピソードをたくさん思い出せるようになれば、そういうことだけは自分で選んで思い起こそうとし、また、思い出したくないものは選択して思い起こさないようにという意図が自然に働いてきて、それができるようになればかなり心の区切りがついたというふうに言えるのではないかと思います。
ですから、「嫌なことは忘れて」、あるいは「他にもお子さん、家族がいるのだから、そのために元気出してね」というのは、これはとんでもない発言なわけですね。それがいくら善意に基づいた発言であったとしても、遺族が思っている被害者に対する思いとはまるで違うということなのです。
それから、喪に関する現実につきましても、これも時間の関係で余り詳しくお話はいたしませんが、お読みいただければと思います。
[4]番が、心の中の棲み分け、これが本当に被害者遺族の内的な経験ですね。
それから、特に犯罪被害者遺族につきましては、喪に服する、亡くなった、死別してしまった被害に関しては、喪に服するプロセスが一生続く。これだけもう十分やったからこれでおしまいということはないということですね。
だから、回復途上にある、とは言えますけれども、回復しましたということは、心情的には、被害者遺族等は感じられないことですね。すり傷をして、そこのところが傷みもなく、他の部分と変わりがなくなれば、皮膚のけがはそれでなくなりますが。
ちなみに、我々、すべて二次被害の源泉です。力になってくれた、遺族にとって本当に嬉しい力になってくれる存在というのは誰かといいますと、少年被害、少年事件であれば、被害者の同級生、先輩だとか、そういう方、長く付き合ってくださる方は、大きくなって結婚し、子どもが生まれても、命日だ、いろいろな時期に、「おばさん、うちに赤ん坊が生まれたよ」とかというふうに本当に気さくにずっと付き合いを続けてくれると。それから、「今日、こういうところに食べに行こう」とかといって、まるで友達気分で誘ってくれると。だから、心置きなく付き合えるような関係になれば、非常に力になれるということですね。
ですから、専門家であるがゆえに、被害者の力になれる、そういうようなことはありませんで、どれだけ被害者の思い、気持ちを理解し、普通に、でも、付き合いを通して二次被害を与えない、むしろ気持ちが和らぐような対応してくれるかどうかが大切です。これは被害者遺族がそれをどういうふうに受け取るのかというのが非常に重要なわけです。支援する者、友人であれ、親族であれ、誰であれ、「私はこういう善意、意図を持って行ったのだから、これは伝わるはずだ」ではないわけですね。被害者が一体自分(支援者)の発言、表情、行動、これをどういうふうに受け取るのだろうか、これを支援者は常に考えながら関わって、遺族は傷つかない、気持ちが和む、そういうふうに遺族が感じられるから、支援者の善意、誠実さ、優しさが通じるわけです。
セミナー写真 それから、悲嘆につきましても、時間が限られていてあまり長くお話しできなくなってしまいましたが、悲嘆というのは、被害者遺族の間では「深い悲しみ」という表現が一番通じる表現ですけれども、発作のように訪れる。通勤の列車の中、バスの中、あるいは仕事の最中、みんなが和やかに話しているレストラン等で発狂しそうな気持ちに襲われる。最初にこれを感じてしまうと、もうまるで自分の気持ちを抑えることができず、通勤途中であれば、今日は休みますというふうに仕事を休み、執務中であっても突然姿を消すので、その様子も近所の人が見ていると、これは普通ではない、というのがわかるほどの雰囲気が表情にもありますし、行動にも読みとれるところがある。たばこを吸う人であれば、どこか誰にも姿が見つからないところでたばこを吸って「落ち着け、落ち着け。こんなに取り乱していたらいけないんだ、今仕事中なんだ」と自分に言い聞かせて、耐える。それでも最初のうちは我慢できず、昼までで早退する。あるいは、それが耐えられるようになると30分、15分、10分、5分というふうに短くなりますけれども、喫煙所に行ったり、手洗いに行ったりして何とか自分の気持ちをだまして、また表面上繕って仕事をするようにすると。これが最初続くわけです。仕事をしている人でさえもそうなるわけです。
この悲嘆という発狂するほどの強烈な感情が最初のうちどんどん悪くなるので、多くの方は「自分が本当に狂ってしまうのではないか」というふうに思われます。でも、私がお会いしている方々の中で実際に狂ってしまった人はいらっしゃいません。要するに、自分が被害を受けたことで、今後どういうことになるのか、自分の身に何が起こるのか、自分の心で何が起こっているのか、これがまるで見えない。それのために非常に不安を覚えるということなのです。
これが、ですから、5年、10年経ってくると徐々に耐えられる。耐えて、また元に戻る時間が短くなり、また、発狂しそうになる程度が和らいでいくということだけです。
母親、父親の悲嘆については、ここに示しましたので、ちょっとここでは省略させていただきますけれども、と言いつつも、ちょっとお話ししないとだめかなとも思ったりしていますけれども。
ともかく、女性は、一般的にですけれども、感情表出が非常に豊かであり、大声で泣いたりできると。男性はどの国でもそのようですけれども、女性と同じような形ではなかなか泣けない。子どもが亡くなっても、母親の悲しみと父親の悲しみ、表現の仕方はまるで違う。余りに心が痛むために、自分がすべて基準になって、他のものには全部違和感を感じる。したがって、感情表出豊かな母親はまるで涙を見せない父親のことが許せず、父親はやっと職場のストレスから解放され、ほっとして家に帰ってきたのに、「何で朝から晩まで泣いているんだ」と。こういうことで妻を責めてしまう。どちらも悪くないのに、余りに耐え難い経験をそれぞれがしていて、自分の基準から感じてしまうために他者が耐えがたい存在になっていき、交通事故、事件の場合によく起こることは、大体民事まで、子どもに過失責任がないことをはっきりさせるために民事訴訟まで戦うけれども、これを終えたら私は旦那と別れると。大体決意する方はお母さん方がこれまでは多かったようにお話を伺っています。ともかく非常に大変なことが家庭の中でさえ起こるわけです。
被害回復については、ともかく悲しい現実、許しがたい出来事に向き合って、非常に複雑な経験をし、また穏やかな気持ちを取り戻すということの繰り返しの中で徐々に抵抗力がついていくというのが実際のところです。
それから、被害回復に関するハーマンの段階説につきましても時間の関係で余り詳しくはお話しできませんけれども、余りに衝撃的な出来事に接するがゆえに、最初は距離を置いて、また現実とも感じられず、人、話題、場所等を避けるということで、日常生活のペースを取り戻すというふうに被害者遺族の方はよくおっしゃいますけれども、そうするのがまずは一番。それから、同時に起こっていることでありますけれども、服喪追悼という外傷体験に向き合って複雑な感情を何度も経験し、いずれ折り合いをつけるという、このプロセスが中に入ります。それから、いずれはこの第3段階に入ってくるということです。
被害者遺族の方々が共通して経験されることは次のことです。日本はみんな人間一緒だし、みんな気持ちが通じ合える、心が通じ合えると多くの方は思っていらっしゃるのに、被害体験後、感じられる現実は、世の中で信頼できる人はほんの一握りしかいないということです。本当に確信されるほどの強い感覚を持たれます。
回復が進めば、無力感、孤立感は圧倒されなくなりますけれども、深い悲しみというのは一生消えません。
それから、スライド16ページ [PDF:272KB]の外傷のことにつきましては、私はちょっと発言を控えて、白川先生にお話しいただければと思います。
スライド16-17ページ [PDF:272KB]の「外傷が解消されたことを確認するための指標」は二つ、心理臨床家とそれから自助組織、飲酒運転に反対する母親の会というアメリカを中心とした組織、国際組織によるものです。ここのところでちょっと違いますけれど、共通している要因もありまして、お読みいただければと思います。
途切れない支援を行うということで、こういう具体的なハンドブック・モデル案も作成され、啓発用のDVDも作成されましたし、また先週、カリキュラムモデルも作られました。それから、そういうものの他に、今度は人を育成する、コーディネーターを育成するということが目論まれています。
連携で非常に重要なことは、少なくとも1人、もしくは少数の全容を常にずっとつかんでいる方、長い期間にわたる、いろいろな領域に渡る一事件のことについて精通している方がいないことには、複雑で長期にわたる被害者支援というのはちょっとうまくできそうにはありません。最後に、要約的なところはお話ししたいと思いますけれども、支援にかかわる人の心構えとしてはそういうところが重要です。
スライド19ページ、「コーディネーターとしての支援活動:遺族支援を通じて」も、私が何を行ったかについては一番最後の資料のところにあります犯罪被害者白書を読まれるか、酒井肇さん等が書かれた本を読まれるかして、御理解いただければと思います。
私は、被害者支援の現場にいるときには、実際にはほとんどカウンセリングを行っていません。特定の出来事がある家庭で生じた場合には、それをどう扱うか、すべての遺族で情報を共有するか、伏せておくか、家庭の中に起こった変化等については御意見等も伺って1、2回面接したことがありますけれども、濃厚に関わった事件発生後の2年間ほどの間における遺族支援において、私はカウンセリング等を本当に皆無といっていいほど行っていませんでした。それよりも次々に起こってくる問題や状況の変化について被害者のニーズを確認し、関係者に連絡をとり、勇み足と思われるような対応はしていただきたくないと、その関係者に伝え、常に被害者からその関係者に働きかけてもらうように、調整役に徹しました。
それから、被害者支援とは何かということですけれど、こういう表現の仕方をできるかもしれません。スライド20ページ [PDF:126KB]のところですけれども、残す記憶、被害者が10年、20年経った後に何度被害後の過去を振り返ったところで、こういう記憶が残るようにという、これは支援者、関わる者が意図しないと、こういう記憶を被害者が持ってくれるとは思いません。これをどうすればいいのかといっても言葉では簡単には説明できません。どういう気持ちを持ってどういう配慮をするのか、人の傷みがどれぐらいわかるのかというところが非常に重要なわけでして、そういうふうに表現を留めさせていただきます。
それから、スライド21ページ [PDF:126]の[1]につきましては、20年ほど前に「Think globally, act locally」、全体を見据えつつ、自分の立場でできることを着実に行うというような、そういう標語が国際交流・支援活動等に関して言われたことがありましたけれども、[1]がどの方にとっても非常に重要だと思われますし、それから[2]番というのは、何度も繰り返していますけれども、被害者がそれを善意と受け取れるのか、あるいは大きなお世話と受け取れるのか、これによります。
それから、[4]番につきましては、先ほども申し上げましたように、本当に一回限りで傷をつけられ、その人と会うことがまずない場合が結構あります。したがいまして、特に犯罪被害者に対応する場合には御注意いただきたい。しかしながら、普通に、誠実に、丁寧に、接していただければ結構です。これ以外にキーワードがあると思いませんということだけ申し上げておきたいと思います。
先にこの23ページ [PDF:370]、これをちょっと連想して書いてみたのですけれども、こういう方が役所に来られたら、皆さん、どういうことに気遣いますかと。そうしたら、一番最初に申し上げた関東で二次被害を受けた遺族に対する対応とは全く違っているのではないかと思います。こういう利用者に対する配慮が極めて難しい、専門的なことを学んでいないとできないということでは全くないはずです。ですから、そういうことに御注意いただきたいと思いますし、それから、WHO(スライド22ページ [PDF:126])に関してですけれども、これは実は自然災害の被災者に対する対応に関する資料でこういうことが載っていたわけです。誰でも意図して配慮すればできることです。こういうことに心がけていただきたいと。
最後の事例は、たまたま私が被害者遺族に付き添って渡米した際に、アメリカの遺族から日本の遺族に実際に話されたこと、こういうことが遺族の気持ち、心を癒してくれるわけでして、だから、どういう気持ち、態度で接するのかということが非常に重要です。
日々の対応につきましては、自分のちょっとした声かけ、あるいは行動、態度等がいずれ被害者の記憶にどのように定着するであろうかということを考えながら、慎重に、でも、あまり怖がらず、普通に対応していただければと思うわけです。
それから、繰り返しになるかもしれませんけれども、業務で被害者に関わる方におかれましては、いろいろなルートを通じて被害者からのフィードバック、批判も含めて、もちろんいい評価も含めて、フィードバックを得られるような人間関係を意図して作っていただきたいと思います。
最後といいますか、全国各地にある犯罪被害者の自助グループはありますけれども、皆さんとても悲しく思っていらっしゃるのは、自分たちが重視されているようには思えないと。常に疎んじられていると。私たちが体験、情報をたくさん持っているのになかなか聞こうとしてくれないというようなことで、とても悲しく思っていらっしゃいます。
地方の問題としましては、地元で被害届を出しにくい罪種もありますし、静岡も進んでいるとお聞きしていますけれども、割と積極的に取り組んでいる京都府の例におきましても、地方自治体同士で被害者を、うまく連携をして、そちらで受けられないのはこちらで、こちらのものをそちらでという、そういうやりとりの共通の認識がなかなかできていないというふうに聞いています。犯罪被害者は被害を受けられた後、ずっと悲しみ、苦しみ等を抱えながら生きていかれますので、支援としては、安定し、継続した支援が重要です。誰が一番いい答えを持っているかといえば、うまく支援を受けた、あるいは人に配慮ができる被害者の方々だと思います。どの地域にも必ずいらっしゃると思いますので、そういうよい方との情報交換を行いながら、よりよい支援活動を展開していただければと思います。
以上で私のお話は終わります。
御清聴ありがとうございました。(拍手)

―質疑応答―
<質問者>

 私どもも被害者支援というものに乗り出そうとしているのですけれども、立場は違いますけれども、いろいろ考えているわけですけれども、冒頭ちょっと私もお話ししましたように、なかなか被害者支援というのはどう携わっていいかどうかわからない。今日の先生の御説明で、私、演題を紹介するのを失念してしまいまして、「犯罪被害者への理解と適切な対応」という演題でお話しされたのですけれども、初めの第一歩が被害者支援でないですよね。先生の今日のお話では、被害者の接し方を一番中心にお話しされたかなというふうに理解しているのですけれども、行政としてまずどんなふうに犯罪被害者支援に取り組んでいったらいいか、もうちょっとお話しいただけたらと思うのですけれども、お願いいたします。

<長井氏>

御質問の意図をちゃんと理解しているかどうか私はよくわからないのですけれども、何をどうされるのか、どう取り組まれるのかは、基本的には、それこそ自治体の主体的、自発的な取り組みが基本になるべきだと私は思っておりまして、私がああすべきだ、こうすべきだという立場にいるとは思いません。
今日申し上げたお話としては、特段、犯罪被害者だけに通じる話ではなく、利用者一般に対してちゃんとお話をよく聞いて、要望が何であるのかを確認し、あるいは優先順位をつけ、これでいいのですねと本人に確認し、次々に業務をしていくと、これが大切であるということをお伝えしたつもりでして、だから、被害者支援を犯罪被害者及びそれに関わる特殊な公務員、民間人だけで行う仕事だというふうにはどうかお考えいただきたくないと思います。
ちゃんとした答えになっていないのかもしれません。

[5] 講演

(2)『トラウマの及ぼす被害者への影響とそれを支援する人への影響とそのケア』

<国立精神神経センター治験管理室研究員  白川 美也子氏>

皆さんこんにちは。御紹介いただきました白川です。
今日、ここでこのようにお話をさせていただくことを大変光栄に思っております。なぜならば、私は、1997年に浜松医大における森則夫先生の御高配で静岡県警の被害者対策アドバイザーに着任し、それから昨年2008年に浜松を去るまでの間、警察の方と地域の方と一緒に手を携えて歩いてきたという思いがあるからです。被害者対策というのは非常にすそ野が広く、警察が大いに関連するコアな部分と、周辺の例えばDVだったり、子ども虐待だったり、犯罪と明確に認識されていないものまでございますが、そういう方達への支援の中でお目にかかった方もちらほらと目に入ることを大変嬉しく思っております。
今日は、地域における犯罪被害者支援ということで参ったわけですが、本来、被害者対策というのは突然生まれたものではなく、最初にお話しをされた犯罪被害者支援室の河合さんからは、非常に経験を積んだ刑事さんが行っていたようなことを、広く行ってためにマニュアル化していく時代になっているのだということをお伝えいただきました。常磐大学の長井先生からは、被害者を特別だとは思わない、本当に人として私たちがしなければいけないことができているのかということを問われ、教えていただいた気がしております。
昨年度、内閣府主催のいろいろな講義が各地で行われました。そのときに、大久保恵美子さんの言葉で、私が大変強い印象を受けた問いかけがあります。私も同じことを皆様に聞いてみたいなと思うのです。大久保さんは、「罪を憎んで人を憎まず」という言葉を聞いたことがある人は手をあげてくださいと言ったのです。どうですか、皆様の中で「罪を憎んで人を憎まず」という言葉を学生時代にもう聞いて知っていたという人、手をあげてください(手をあげてもらう、かなりの人数があがる)。
では、犯罪被害者というのは、本当に信じられないような大変な目に遭った方だから、本当に親切にしてさしあげなければいけないのだということを学生時代にもう知っていた方、聞いたことがあった方、手をあげてください。…ゼロですね。
私も、犯罪被害者については自分が関わるようになるまで聞いたことがありませんでした。それどころか、私が97年に被害者対策を始めたとき、PTSDという疾患に出会ったことがなかったのです。実際は出会ったことがあったのですが、それと認識していなかったということかもしれません。周囲の精神科医のなかにもPTSDという疾患を診たことがある人はいませんでした。
そこで当時、東京医科歯科大学の難治疾患研究所で小西聖子先生というこの領域の草分けの先生にPTSDについて習いに行ったことが、私がこの分野を勉強し始める最初でした。
そのときにもまだ、精神科医の中には「PTSDなんてない、あれは虚言だ」などとおっしゃる方がいました。それぐらいにこの領域は認められない、否認されやすく、人が認めたくない部分があるということなのです。ですから、先ほどの行政の話でも、これは面倒くさいという対応になってしまうのは、その人の人間性の問題だけでない部分があるのだということが次第に理解されてきました。大変ショックな話を人間が聞いたときに、それを親身になって聞く覚悟をもつ方は付き合えるのですけれども、普通の意識で聞いただけでは、びっくりしてしまうのですね。そのびっくりしたときに、どうしていいかわからないという状況になって、あたふたしてしまったり、否定したくなってしまったりということそのものが、トラウマによる反応です。犯罪被害など精神的にショックな話を聞くことは、そういうようなこと、すなわち解離や否認がとても起こりやすいのだと思います。
私は臨床医として天竜病院でいろいろな被害者、特に性暴力関係の被害者の方を診てきたものですから、DVとか性暴力とか性虐待とか、被害者遺族といって世の中に大きく見えている部分よりもさらに裾野で、隠れてしまう部分の方たちに出会ってきたわけです。そこで、じゃあ行政に行ったら、そういう被害を受けた人のことをもっとわかってもらって、もっとこういう方たちにとってのよい施策作りに広げていきたいと思っていたのですね。ところが、さっきの話とはまた別で、行政には行政の確固たる基準があって、その枠組みの中で行っていかなければいけないわけで、簡単にはいかないのだということを知りました。
今日私は、トラウマを診る精神科医としての立場と、あとは行政で支援をした2つの立場で、何ができるかできないのか、皆さんとどんなことだったらできるのかということを考えていきたいと思います。
(スライド2) [PDF:247KB]今日のお話の内容です。トラウマが及ぼすさまざまな精神的影響についてということで、今日の私の話のほとんどがここに尽きます。トラウマが及ぼす影響というのは、PTSDだけではないのですけれども、PTSDという疾患を学ぶことによって、目の前にいるその方がどんな状態にあるのかということを理解しやすくなります。だから、それをちょっと体験的に理解してほしいと思います。「架空事例」、いろいろなケースを集めて作り上げた事例で、本日は性暴力にするか、どちらか迷ったのですけれど、ご遺族の話をしようと思います。
それから犯罪被害者を支援する人に起こり得るさまざまな精神的影響について、あとケアの基本とセルフケアの基本について、時間があれば少し触れたいと思います。そして、二次被害について話します。先ほど長井先生から、特に専門的なことではなくて人として、自分が相手を人として捉えることで、その人の痛みがわかるのだという話を伺いました。本当に重い言葉なのですけれども、それを取り入れやすくマニュアル化した言葉があるので、それを伝えることと、あとはやはりもう一度当事者の声を紹介したいと思います。
それでは始めたいと思います。
(スライド3) [PDF:256KB]これが犯罪被害による多様な影響です。『犯罪被害者のメンタルヘルス』というこの本は、誠信書房から出版されております。去年度からさかのぼって3年間、厚生労働科学研究の援助を得て行われた研究の中で小西聖子先生が中心になって編んだものです。もし職場に戻って図書費が余っていたら、ぜひ御購入いただければ、と思います。犯罪被害者支援のすべての領域、骨組から、各論から、支援にすぐ利用できるたくさんのヒントやチェックリストなどが入っています。
私自身は、非常に特殊に思えるかもしれませんが、意外に多いこととして、子ども虐待の被害を受けた方が、また犯罪被害を受けるということがあるのですね。主に対人暴力被害なのですが、そういう方のことについて書きました。
PTSDだけではなく、これだけのことが起こるのだということです。そして、私たちにできることは、被害を防ぐことは全体的にもっと大きなことになるのですけれど、被害によって新たに生じるもの、右側の部分ですね。これをなくす。私たちの力で二次被害をなくすことはできるのですね。だから、司法上の手続、身体的・精神的治療、受傷した被害者の介護、マスメディアへの対応、さまざまな機関との関係、特にここですね、地域の福祉とか行政機関との関係の中での二次被害を確実に減らすということを意識してお話を聞いてください。
(スライド4) [PDF:255KB]犯罪被害者への接し方、これは私たちにとって基本と言われているものを中島聡美先生がわかりやすくまとめてくださったものなのですけれど、被害者の受けた被害について、人としての共感を持って接する、というのは大切です。長井先生がおっしゃったことですね。あと被害者、遺族の心情を思いやって対応する。行うことについて必ず理由を説明し、同意を確認する。例えば、警察などだと特に、例えばこういうものを提出してくださいと一方的に命令するように言うのではなく、何のためにどういうふうに使われるのかということを説明するとか、例えば現場検証をするときに、性暴力被害を受けたときだと大きな人形を持って、どういう体位で犯罪が行われたかをその場で再現しなければならなかったりしますよね。それは警察の手続上重要なものです。そこで、「はい、やって」と、ただ命令されることと、「こういう理由で行うんだけれど当時のことを思い出して大変かもしれない。辛くなったら止められますし、見守っていますからね」と言われて行うことは、同じことを行うのでも、その後が違うわけです。
行政でも同じです。先ほどの長井先生の翻訳の話でも、「何という法律に、こういうふうに書いてあるため、大変申しわけないのですけれども、どうやら私たちがやることではないのです」と、まず説明をされて、「申しわけありません」と言っていただければ、そこまで心が傷つくことはなかっただろうと思いますね。説明してそれに対する同意を確認する。そういうことが、すなわち二次被害を与えないということになります。
(スライド5) [PDF:255KB]二次被害になることの例です。罪悪感を助長する。先ほども長井先生がおっしゃったように、善意だからということが通じない世界なのですね。トラウマを受けて大変傷つきやすい状態になっているのですね。私たちが想像もできないような、その立場になるまでは想像もできないような大変な被害に遭っておられる。
あと被害状況を他の人と比較する。ある遺族の方が言っていましたけれど、「別のご遺族は、もうちょっと早く元気になっていましたよ」とか、そんなことあり得ないですよね。「もっと強くなってください」、「亡くなった方のためにも、死んだ御主人のためにももっと強くなってください」、これも言ってはいけないのですね。
感情を出すことを禁止する。偏見や先入観を持って接する。自分の道徳観念、宗教観を押しつける。共感ではなく、同情や哀れみを示す。よく「(被害者に接して)私も泣いちゃって」という方がいるのですけれど、本当に泣きたいのはやはり被害者ですので、そこでぎりぎりのところで客観性を保って接することも大事です。
被害者の話を聞こうとしない。私のところに来る方は、既にPTSDを発症した大変な方たちなのですけれど、いろいろなところをめぐって、やっぱりよくならずに来ているのですね。その方たちに伺うと、行政でも、警察でも、医療機関でもそうなのですけれど、話していると遮られる体験がたいへん苦痛だそうです。話し出すと止まらないのですね。記憶がどんどんあふれ出てきますので。そのときに、「わかりましたけど、ちょっと待ってください」という対応をされてしまうと、本当につらいのですね。話し始めると記憶があふれてくる、その仕組みをあとでお話します。
こちらは圧倒されてただ止めただけなのですけれど、被害者は「話を聞いてもらえない」「自分の話が大事ではない、こんなことは言ってはいけなかったのだ」と思ってしまうのです。ただでさえ罪悪感を持っています。こんな話を聞かせて人を不快にしてはいけないとまで思っていることがありますので、「聞こうとしない」と思い込んでしまうのですね。
あと、できないことの約束は駄目ですね。お気の毒ですので、なんとかしてあげたいので、今度の日曜日に私ちょっとお伺いしますと言っても行政職員にはそれができません。できないことのお約束をしないということ、それも大事なのです。自分にできることの枠組みをしっかりと把握しておくことが大事です。あと、お手紙で交流しましょうねと言って、結局お返事が書けないとか、そういうことも結果的に相手を傷つけますので、確実にできることをお約束するというように考えてください。
(スライド6) [PDF:244KB]トラウマという観点で、犯罪被害者の内的世界を理解する。とにかく、今日の私の話はむしろこれがすべてだと思ってくださってもいいです。
(黒板に絵を描いて説明)心というものがあるとします。本当は私たちの心は目に見えないのですけれども、非常に元気な心というのがあるとしたら、先ほど自然治癒力と長井先生がおっしゃいましたけれど、元気な心は内側に空気が満ちた鞠のようにぴょんぴょんはねる心であるとイメージしてみてください。自然治癒力、自然回復力、外側に向かう、まるで空気の圧力のような力がかかっているのですね。レジリエンシーという言葉がありますが、内から外に出てくるその強さ、弾性ということです。「弾性」、はねる、弾む力。そういう力があって心は元気を保っています。そこに何らかのストレスがかかったとします。これが例えば、年度末で行政だったら議会の前で、予算を作って、毎晩12時を超えて午前様になってしまうという状態になったとしたら、だれにでもストレスという外力がかかるのですけれど、その中で心がへこんでしまった場合、この外力がかかることと(外からの矢印を示す)、ここでへこんだことと(鞠のへこみを示す)、両方をあわせてストレスといいます。わかりますか。外力だけをストレスというわけではない、へこみだけをストレスというわけではないのですね。だから、「ストレス耐性」、ストレスに耐える力のことですが、ストレス耐性というのは人によって違うわけです。残業続きでうつになってしまう方もいれば、残業続きだと何となくハイテンションになって、よし飲みに行くぞといってもっと盛り上がる人もいる。人によって違うのです。
残業の連続が終わったりとか、予算が終わったりとかしたら、この外力はなくなりますよね。定時に帰れるようになります。定時に帰る前に、終わったね、といって飲み会に行くとか、一人で旅行に行くとか、人によってさまざまな対処法がありますけれど、そうするとこの「へこみ」は元に戻っていく。元の心の元気を取り戻します。
ところでこの「トラウマ」とは何でしょうか。今日は犯罪被害者遺族の架空症例を出します。ある女性が、ひきこもりの弟と寝たきりのお母さんと暮らしていました。ちょうどそれが浜松祭りの日のこと、お友達に祭りに一緒に行こうと誘われました。お母さんの介護もしているしちょっと出にくいけど「お母さんを見ていてね」と弟に言って祭りに出かけました。空が青くて、ものすごく気持ちのいい晴れの日でした。凧がたくさん揚がっていました。本当に楽しんで、夕方に「ただいま」って家に帰ってきました。ガラッとあけたら変なにおいがします。血のにおい。あれっと思って台所に入っていったら、自分の母親が胸から血を流して倒れていました。横に手に血を染めた弟が呆然として立っていました。ひきこもりの弟が、お母さんが倒れて介護もしなければいけなくて、いろいろな状況の中で、お母さんに対していらだちが募り、小さなことをきっかけに、いさかいになってしまい、発作的に台所の包丁で刺してしまった。そういうケースを考えてみましょう。
このストレスというのは、さっきのレベルのストレスとは全然違うことはわかりますよね。ただ、事件自体は1回で終わってしまっていますし、現場は見ましたが事件そのものを見てはいません。けれども、その女性は、その後からものすごい大変な状態になります。最初に見た、お母さんが血を流して倒れている姿が目に焼きついて離れません。警察を呼ぶしかないわけで、弟は警察官に尋問されて連れていかれるわけですね。殺人事件になる。自分は遺族で、加害者の姉ということになるわけです。そして、自分が「お母さんを見ていてね」と言って祭りに出かけたことによって事件が起きてしまったと思い込みます。ものすごい罪悪感が残ります。
これが1年たっても2年たっても残っている。この傷が残っている状態をトラウマといいます。体験的に理解してください。
では、このトラウマというのは、心の中でどんな形をしているでしょう。どうイメージすれば、私たちはこのことをよく理解できるかなということをずっと考えてきて、患者さんにも同じように説明をするやり方でお話しします。
心というのはこうあるとします(下から線を左右に積み重ねていく絵を描く)。オギャーと生まれてきます。私は今、赤ちゃんの研究をしているのですけれど、赤ちゃんの意識は早期からあることがわかっています。ただ言葉を持たない。だんだんだんだんいろいろな体験をして、4歳前後くらいから夢を見るようになるそうですけれど、夢を見るようになった頃か、少し前から言葉の記憶ができてきます。言葉の記憶で「ああして、こうして、こうなった」ということが言えるようになるのですね。「ああして、こうして、こうなったということを抱える記憶」、それを物語記憶といいます(線で描かれたつながりを示す)。
私たちが成人になって、さっきの事例のお嬢さんが例えば25歳だったとすると、25歳のときに突然その事件に遭います。ここでできるのは、物語記憶とは異なる特殊な記憶です。「対処できないような大変な出来事に遭ったときにできてしまう記憶」のことを「外傷性記憶」、もしくは「トラウマ記憶」といいます。
その記憶は非常に特徴があり、比喩でいえば、「氷の記憶」のようなものです。例えば、私はお肉のたとえをよく使うのですけれど、今日私が300グラムのお肉をもらって、「これ食べてね、あなたのだから」と言われたら、おうちに帰ってキャベツ炒めにして食べて消化することができます。私たち精神科医や臨床心理士は、これを「処理する」とよく言います。「処理」、消化をすることで経験を自分の糧にするわけです。
それでは、今日帰るときに、「これあなたの分だからね」と言って10キロぼんとお肉をもらったとします。自分のお肉、自分の記憶ですから捨てられませんよね。そのままおいておくことはできませんので、おうちに持って帰って冷蔵庫に入れます(高いところに冷蔵庫の形の四角を指で描く)。これは、実はここ(描画中の25歳の時点)にありながら、冷蔵庫に入っている。だから、同時に2か所に存在するようなものです。
「いつか解凍して食べましょう」。これは解離といって、自分の中で記憶を切り離すことなのですけれど、この解離というのが、実は犯罪被害などトラウマの急性期の症状にすごくよく出てくるのですね。
とりあえず言葉になる前の、五感、感情、思考、認知などのすべてが急速冷凍されているわけです(線のつながりの中にくぎられた形を描く)。周囲と疎隔化されたメモリーネットワークだといわれています。その記憶を処理するときに、「今日はうちに帰ったときの血のにおいだけを処理しましょう」といっても駄目です。一部だけではなく、全部が溶けてしまって、バッとフラッシュバックが起きてくるのです。それとか、青い空を見ると、事件のときの浜松祭りのきれいな青い空が思い出されます。それが秋空であっても冬空であっても、真っ青な空をぱっと見上げた途端にわっと嫌な記憶が出てきます。フラッシュバックです。そういうことが起きてくるのです。
セミナー風景それはなぜか。トラウマ記憶は、冷凍保存された記憶なので、きっかけがあって解けてくると、解凍されたお肉のように鮮明に生々しいのが出てくるわけです。そこに何が入ってくるかというと例えば認知です。先ほどの長井先生のお話に「人に対する信頼がゆらぐ」というものがありましたけれど、自分の親族が自分の母親を殺すということで、人に対する信頼ばかりでなく、自分に対する信頼もなくします。「あのとき出ていかなかったら。私はなんて悪いのだろう」と思ってしまいます。
それからトラウマ記憶には五感が入っています。そのときのにおい、そのときに見た姿ですね。包丁があったとか、弟がわっと泣き出し始めたその声だったりとか。母親に触れたらぐにゃっとしてまだ温かかっただとか、そういう生々しい感覚。自分がわっと泣いたという自分の身体感覚ですとか、そういう五感がすべて入っています。
あと感情。「私が浜松祭りに行かなければよかった。私が悪い」といったのは認知なのですけれど、恥や恐怖や後悔など、さまざまな感情が入っています。
五感、感情、思考。思考なのですけれど、その瞬間に感じた、私も死んでしまいたいというような、そういう考えというのが絶えずフィードバックするようになってきます。それが先ほどの講義で「汚水と良いものとがまじって落っこちてくるみたいな感じ」です。それが何らかの、特にトラウマ的な出来事ですね、ご遺体の目撃があった場合は、追憶だけではなくて、さまざまな日常生活上の刺激でも出てきます。例えば、お通夜お葬式の後に遺体が運ばれて、目の前には遺体はもうなくても、事件が起きた台所はそこにあるし、弟が生活に使用していたものも、母親が生活に使用していたものもありますよね。住居の問題がすごく大きいのはここなのです。清められても、そこを見るたびにその姿を思い出すようでは、そこに住むことはできません。そんな困難な状況なのに、外からみると「どうしておうちがあるのに住居を探さなければいけないの」と思われてしまいます。
あと、冷凍お肉の中はいつも「そのときの今」なのですね。冷凍マンモスが1万年たって解凍されるといまだ生々しいように、その人にとっては「そのときの今」の記憶がここに入っているのです。でも、それ以外のことというのは(トラウマ記憶以外の線を重ねたところを示す)、生活があって、ここの部分は言葉にできます。そういうトラウマ記憶を持った人たちに対して、私たちがすごく善意で、これはもう過去のことで、こっちに行けば行くほど(線が始まった下の方を指す)過去ですから、「過去のことですから、もう忘れましょう」と言っても忘れられないのは、この人にとってその記憶はいつも、「今」と感じられているからなのです。「今見える、今思う、今感じる」、その生々しさがある人に「忘れましょう」という言葉はないということなのですね。それをわかってください。
この記憶は、持ったことがない人でないとなかなかわからない記憶なので、安易に「お気持ちわかります」などと言えないというのもそこにあります。善意が通じない世界だということですね。だから、あくまでも当事者の意図に即した支援というのをしていただきたいと思います。わからないときにはわからないままで、どうしてほしいですかと選択肢を示すというのがいい支援の仕方だと思います。
このトラウマ記憶が存在すると、さきほど申し上げたPTSDの3つの症状、再体験、回避・麻痺、過覚醒という症状がでてきます。もちろんすべての人がPTSDになるわけではありませんし、その他の症状もありますが、PTSDをわかっているとそれで説明がつきます。
その女性がお台所に立ったとします。包丁があります。包丁をきっかけにして、わっと記憶が出てくる。それが再体験症状です。そういうきっかけを、「トリガー」、引き金というのですけれど、青空だったりとか、包丁だったりとか、浜松祭りだったりとか、浜松だと1月になると既に法被を着た人が歩き始めたりするのですけれども、そういうのを見た途端にトラウマとなった記憶が出てきてしまう。再体験症状です。
回避・麻痺症状というのは、それがつらいので、ここを全部切り離してしまいますね。私という私が感じるところのものである私という意識から、すべての五感、感情、思考というのを切り離します。そうすると、例えば、今日いい天気だなとか、初冬に向かうにしてはちょっと暖かいなとか、ちょっと湿っているなとかという季節の感覚、お花が咲いていてきれいだなとか、赤ん坊ってかわいいよなとか、そういう喜びやハッピーな感覚、幸福感が失われます。そのようにさまざまなものが切り離されてしまうことを麻痺といいます。
もう一つは、例えば回避ですね。包丁を見ると、それがお母さんを殺した包丁ではないにしても、それらを全部避けるからお料理ができなくて、コンビニ生活になってしまうかもしれません。
あとは近所を歩けなくなるかもしれません。ご近所の噂で「あれがお母さんを殺した人のお姉さんよ」、犯罪者の姉ということになってしまったらどうでしょう。週刊誌などで、そういうふうな書き方をされたとしたら、それは二次被害なのですけれども出歩くことすら苦痛になります。ちょっと人が見ているともうそれだけで嫌になってしまう。外出が嫌になるかもしれません。回避行為ですね。外に出るのを避ける。
あと、刑事・司法手続で、警察署に行かなければいけなくなったりとか、弟が収監されているから面会に行かなければならなかったり、いろいろなところへいろいろな用事で外出しなければいけなくなって、仕事ができなくなります。うつになってしまうかもしれません。PTSDを発症してしまうかもしれません。あるいは、夜になると思い出してアルコールを飲むようになって、アルコール依存になってしまうかもしれません。いろいろなことが起きてきます。
あと過覚醒という症状があるのですけれど、これは、いつも「今ここ」と認識される状態で、自分の母親が殺されたときのものすごい衝撃を包んでいる氷の記憶があるとしたら。(手でサインカーブ状の波線を作りながら歩く)人間に覚醒レベルというのがあって、これ(高い方)が朝ですね。こっち(低い方が)夜ですね。朝起きて、覚醒水準が上がって、お昼食べてちょっと眠くなって、でもしっかり講義を聞こうと思ってみんな起きていらっしゃって、それでだんだん夕方になって、御飯食べて、おふろ入って、さあ寝よう。寝るときにレム睡眠というのがあって、夢を見たり、記憶の処理をしたりするのですけれど、こういう睡眠覚醒リズムというものがあるとします。
トラウマ記憶が保持している状態は、緊張であり、交感神経優位で、交感神経というのは闘う神経なのですね。レイプの被害者など目を見ているとわかることあるのですけれど、瞳孔がゆらゆら揺れるように若干開きぎみなのですね。話の状態によって揺れるのです。トラウマ記憶は、そういうように自律神経系にものすごく影響を与えているのです。
自律神経系が興奮の状態にあるということは、びくびくびくびく(先ほどのサインカーブより高いところで手を動かしながら歩く)覚醒水準が高い。夕方になって、普通の人だったらリラックスできるのですけれど、人間の脳というのは抑制系なので、笑い上戸ってわかりますよね、お酒を飲むと抑制が外れて、本来笑い上戸の人は笑ってしまう。お酒を飲んで抑制が外れて泣き上戸の人もいる。人間の脳は基本的な情動や興奮を通常抑えることによって制御しているのですね。その抑えて制御しているのが夕方になると誰でも外れてくるのです。だから、痴呆老人は夕方に徘回が多いですし、子どもって夕方ハイテンションになるのです。ここにこういう生々しい記憶があるとすると、夕方覚醒水準が下がってくると、「寝たら死ぬぞ」みたいなそんな状態になって、「ぴっ」と覚醒水準が上がってしまいます。被害を受けた人、殴られたとか、レイプされたとかという人はそうなってしまうのです。全然寝付けなくなります。
この人の場合は、自分自身は被害当事者ではないですけれど、遺族であるということや、目撃そのものがものすごいトラウマ体験になりますので、やはり覚醒水準が「ぴっ」と上がってしまいます。ようやく明け方になると眠れるとか、眠れたとしても悪夢を見て、ぱっと目が覚めてしまいます。悪夢イコール夢の中での再体験症状ですので、それによってもまた眠れなくなってしまって、いらいらしたりします。
今日は皆さんにこれを覚えて帰ってほしいのですね。再体験、回避・麻痺、過覚醒という3本のPTSDの柱を覚えて帰ると、目の前にいる人がどんな状態にあるのかがわかりやすくなります。こういう記憶で、何かきっかけがあると融けてくる、でも、全部一遍に融けてしまわない。ちょっとずつ融かすわけにいかないのです。それをちゃんと融かすためには、感情も思考もすべてを出した上で、安全で安心な関係の中でそれを何度も語りなおす。悪い状況も良い状況も、一緒に出てくるような状態になって、だんだん選択して思い出せるようになっていきます。
(線のなかにあるトラウマ記憶を指差す)ここにある生々しい記憶が、「私の弟が、私がお祭りに行っている間に母を殺してしまいました。私はものすごく後悔しました。しかし、弟はあのとき本当に大変な精神状態にありましたし、私がそれをとめることはできなかった。それは確かにつらいですけれども、たくさんの人の支援があって私は何とか回復しました」というふうに語れるようになる、そういうことが回復のイメージだと私は思っています。
このケースは、詳細は変えてありますが、ベースは実際にあったケースです。EMDRという特殊な治療をして、半年後ぐらいに自分の力でやりますと言えるようになり、またその頃すてきなパートナーが見つかって、結婚されるという形で終結になったのですけれども、やはり周囲の人の支援というのが本当に大切になります。
(スライド7) [PDF:245KB]トラウマ。トラウマって何でしょうということです。トラウマというのは、危うく死ぬ、または重傷を負うような出来事を何度か体験するか、目撃するか、直面する。すなわち、自分が被害者になるだけではなくて、遺族の体験もそうなのですね。その人の反応は強い恐怖、無力感、戦慄。子どもの話は、今日は時間が足りないので避けますけれども。
(スライド9) [PDF:244KB]これが精神医学的なトラウマの定義です。よく「俺失恋しちゃってトラウマになっちゃってさ」という人がいますが、本当の意味ではトラウマではないわけですね。トラウマというのは生々しい鮮明な記憶で、失恋して例えば5年たつとセピア色の記憶になってよい思い出になるかもしれないけれども、トラウマ記憶というのは、ちゃんと処理されなければずっと鮮明に残っているということです。
さっき描いた絵のところですね。さっきの氷の記憶のことを思い出してください。トラウマ記憶。これは圧倒的な体験によって特殊なメモリーネットワークが生じる。五感、感情、認知、思考が冷凍保存。無時間性、鮮明性。だから冷凍庫に入っているように時間がたっても色あせない。思い出すと、お母さんが殺されたときの感情が入っているわけですから、すごく苦痛なわけですね。あと言葉になりにくいという特徴を持っています。
ときどきPTSDは詐病ではないかという方がいますが、そんなことはなくて、PETによって、フラッシュバックを起こしているときに右脳を中心に神経の興奮が偏在して脳梁を超えていないということが確認されています。右脳というのはイメージの脳で、左脳というのは言葉の脳なのですけれど、さっき言ったみたいに物語記憶が物語にならない、物語記憶にならないということにおいて非常に生理学的な働きがかかっているのだということ。だから、詐病でできるものではないのだということを知っておいてください。
犯罪被害者遺族。静岡県だと「みかんのはな」という被害者遺族の方の手記があるのですけれど、本当にお手にとって読んでほしいところですけれども、「そのとき以来私の時計は止まったままです」というのは、まさにそういう体験であります。
(スライド10) [PDF:244KB]繰り返しになりますが、再体験、氷が解けるときにすべての体験がよみがえるが、解けきらず何度も繰り返します。イメージ上、思考上、行動上も、ということですね。行動上というのは、再体験の症状ではないのですけれども、例えば、子どもや若い人の被害は、行動上で繰り返されることが多いのです。子どもの頃に性的な虐待を受けていたりとか、若くして性被害に遭った子が援助交際に走ったりすることがあります。決してよいことではありませんが、援助交際することによって、自分の受けた体験というのを確認する作業になります。子どもの場合、行動上で繰り返すことで、それが何だったのだろうということを行動しながら考えているみたいな、そういう状態なのですね。でも、子どもとしては、どうして自分がそうしたのかわからないけれど、衝動的にしている。それが楽しいわけでもないのですね。そういう子に、援助交際をしてしまって、「ふしだらな」などと言うのではなくて、あなたが子どものころにそんな大変な体験をしているから、そういうことを繰り返してしまうんだよ、トラウマ記憶の話を使って説明してあげると、「ああ、そうなんだ」と納得して、行動が改善するというのを何度も経験しています。回避して、麻痺して、「わからない、知らな~い、どうでもいい」みたいに言っていた子が本当に変化します。ですから理解されることによって人は変わるので、やはり偏見をなくしていくということもすごく大切です。
回避・麻痺。そういう苦痛な記憶を呼び起こす刺激を避ける。さっきの場合だったら、青空は見上げないようにすると自然に外出しなくなってしまうとか、包丁を見ると思い出すからお料理ができなくなってしまうなどというのが回避ですね。それでも、そのおうちに住んでいると、どこにでも思い出はあるわけですから、これは複雑で下の領域に入るのですけれど、心の中ですべてを切り離してしまって、楽しいとかうれしいとか、全部なくなってしまう。
過覚醒。交感神経系の興奮した状態がそのまま残っているため、常に覚醒状態。不眠、焦燥。
人間がこのようなトラウマを持ったときに3つのパターンがあるのですね。例えば、私が大男だったとして、向こうから大男が襲ってきたとします。私が戦えると思ったら戦いますよね。それがファイトです。私が今の私で、向こうから大男が襲ってきたとします。逃げますよ。これフライトです。逃走します。あと私が例えば幼い子どもだったとします。赤ちゃんだとします。向こうから大男が襲ってきたとします。そのとき固まってしまうわけです。フリーズです。この固まるという反応を子どもは示すことがとても多いのですね。でも、どちらにしてもこのトラウマ記憶というのは、何らかの形で言葉になってもならなくても、どの年代の子どもでも持っています。
(スライド11) [PDF:244KB]再体験という症状はこんな症状ですというのを後で読んでみてください。御興味があれば。でも、全部覚えなくていいのです。今なんとなく感覚的に理解したことというのが一番大事です。
(スライド12) [PDF:265KB]回避と麻痺の症状です。
(スライド13) [PDF:265KB]過覚醒の症状です。
(スライド14) [PDF:248KB]キーポイント。何度も繰り返します、ここだけは。解けてはまた凍るのが再体験症状。苦痛をもたらすので思い出されるものを避ける回避・麻痺症状。今安全でない、安心できない記憶の影響により眠れなかったり、ぴりぴりするのが過覚醒。
「過去のことですから忘れましょう」と言ってはいけないのは、言語によって処理されていないので、過去にならないということが関係しています。「ああして、こうして、こうして、こうなって、こうなって、こうなって、こうなったんだよ」と言うから、「ああして」が過去になるわけですよね。だから、今の記憶というものがあって、忘れようと思っても忘れられない。
事件に関連するものを考えること、見ることに苦痛を覚える。デリケートなプライバシーの問題を含むことから、犯罪被害者の行政的手続、特に遺族における死亡手続その他のときに特別な配慮、特別な部屋でゆっくり聞くということが必要、長井先生がおっしゃっていたとおりのことなのですね。これは浜松市にいたときに、既に問題になっていました。
事件のあった場所というのは、もしそこがきれいに掃除されたとしても、相変わらず苦痛の源泉になるため、住居の手配は、今、犯罪被害者等基本法とか、その他いろいろな条例ができている自治体がありますけれども、そういう支援が必要になります。
(スライド15) [PDF:245KB]犯罪被害があったとして、今はPTSDの話をしたのですけれども、実はPTSDにすぐなるわけではないということも知っておいてください。よく間違えられているのですけれど、被害があって、まず急性期というのが1か月続きます。このときは急性ストレス障害といいます。ここで治る人と、1か月過ぎてPTSDになったり、うつになったり、不安障害、パニック、恐怖症、体に症状が出る、頭痛などさまざまな症状が起こり得ます。アルコール・薬物乱用、依存症、対人関係の問題なども出てきます。先ほど言いましたけれど、夫と妻の感情表出の違いでいさかいになったとき離婚に至るとか、子どもが性暴力の被害に遭ったお父さんとお母さんって非常に危うくなるのですね。なぜかというと、性的な交渉というのができなくなってしまう。仲むつまじかった夫婦が、お父さんはそういう行為、レイプはセックスではないですけれど、どこか類似する行為によって自分の娘が傷ついたと思うと、セックスができなくなってしまうし、お母さんはセックスを受け入れられなくなってしまう。セックスというのは重要なコミュニケーションのうちの一つですので、そこで障害がでてきます。あと社会生活機能が低下していくということがあります。ですから、これだけ広範囲の問題を抱えた人たちを目の前で見ているわけですね。
ここは飛ばします(スライド16) [PDF:247KB]
(スライド17) [PDF:247KB]合併すると言われている障害をPTSDで説明できてしまいます。例えば、パニックと言われている人は、トラウマを受けたときはだれでもパニックですので、そのときが再体験されると思うとパニック障害ということで、記憶を伴わないで、そのときのパニック感だけ再体験されてパニック障害と言われて、トラウマのことが見えていない人もいます。
あと不安障害。これも同じです。不安な状態というのが再体験されていくということで、トラウマが見えていない人もいます。
あとアルコール・薬物依存ですけれど、過覚醒の症状を抑えるためにお酒を使ったり、薬を使ったり、子どものころからひどい被害を受けている人というのは、これは非行少年の領域になりますけれど、覚醒剤を使ったりとかします。そういうようなことがあります。
行為の障害というのがあって、加害、被害の繰り返しが行われる。例えば、受付で、こちらは丁寧に接したつもりなのだけれども、向こうとしては傷ついたといって、わっとどなられたりしますよね。受付の方は、それはトラウマですよね、ある意味で。そのようにして加害、被害の反復がちょっと程度は変えても繰り返されることがあります。対人関係そのものが損傷されてしまう。被害的という言葉は私は絶対使いたくはないのですけれども、やはりとても傷つきやすくなってしまうのだということを知っておいてください。
被害的という言葉を使って、「ああ、あの人被害者だから、すごい被害的だよね」というように整理されてはいけない問題なので、そういう言葉は使いたくないのですけれど、やはり敏感だということですね。だから、私たちがちょっとわからなくて困っているだけで、重要だと思ってもらえないとか、問題として近づいてもらえていないなどと思いこんでしまうので、やはり丁寧に接していくということが重要な部分です。
(スライド18) [PDF:245KB]だれでもストレスは受けますけれども、どんどんどんどん症状が増えていくのですね。それでいつからか、あるいは、私たちが1か月、精神科医が1か月というところで切って診断をしているのですけれど、外傷後ストレス障害になって、こことここの間は、本当は境目がないのです。だから、新しい診断基準では一緒にしてしまおうという動きがあります。
(スライド19) [PDF:248KB]急性期の反応。直後の方に接するということもあると思うのですね。死亡届を出しに来たとか、それこそ。急性期の状態なのですけれども、身体、思考、感情が麻痺していますし、体に症状を持っていますし、情緒的に混乱しているかもしれない。認めたくない、後悔している、怒り、悲嘆ですね。
あとトラウマ周辺期の解離というのがあって、これはちょっと専門的になりますけれど、時間の感覚がゆがんだりとか、現実感がなかったりします。だから、警察や行政の受付の方が「これとこれとこれをしてください」と言って、「はい」と返事をしたからといってわかっているかというと、全然わかっていない、ということが起こり得ます。先ほど、一つ一つ書いてという話を長井先生がしてくださいましたけれど、本当に箇条書きにして、子ども扱いではいけませんが丁寧に教えて書いてあげたほうがいいことがあります。
私はレイプの被害者の方を担当することが多いのですけれど、急性期で担当したある被害者の方に、警察の被害者支援のところに電話してと言って警察に電話してもらったのですね。その場で電話してもらうのですね。(受話器をもってうなずく真似)「はい、はい、はい、はい、はいはい、はい」。意外に冷静でしっかりしているな、なんて思うわけですよね。それで電話を切り終わった後に、どうでしたか?と聞いたら、ぽけっとしている。何にも記憶していないのです。全部通り過ぎているだけで記憶していない。だから、見た目でどれだけ理解しているかということではなくて、ポイントをその人がわかっているかということも確認してあげることが必要になります。
ショックによる感情や感覚の麻痺があること、動機、過呼吸、手足の冷感、恐怖、不安等、被害に遭ったことを否認している。だから、そういうことをわかっていて、どきどきしませんか、何か体の調子が悪くありませんかとか、眠れていますかとか、ちょっと聞いてあげると、もしかして理解してもらっているかもしれないとトラウマを抱えている人は思います。
(スライド20) [PDF:248KB]急性期の支援の基本ですけれど、とにかく、先ほども長井先生のお話でありましたけれど、安全の確保とセルフエスティーム、自分の物事をコントロールできることということをおっしゃっていましたよね。人と人のつながりの中で生きている大切な人間だということですよね。それはセルフコントロールとセルフエスティームと言いかえてもいいと思うのですけれど、セルフエスティームは自己尊重感、セルフコントロールは自己統御感、自分で自分をコントロールできる、自分は人とつながった大切な人間だということ、その感覚を取り戻してしまうことが支援の目的です。
ですから、それを得るためには、やっぱり人間というのは選択肢を提示して、選択してもらうということが重要です。
被害者支援で、私たちが一番最初に習う鉄則です。窓口とかで「どうぞ、いらっしゃい」と言って、「ここでお話ししましょうね、ここに座って、ジュースが冷たくていいのがあるので持ってきました」。これでは駄目なのですね。受付のところで、「ここでお話しされますか、それとも奥でお話しされますか」、と選んでもらう。「今、夏場で暑いですけれども、お水もあります、お茶もあります、ジュースもありますけれども、どれかお飲みになりますか?」。いりません、と言うかもしれませんね。そこで選んでもらう。そういうことの積み重ねが必要になります。
あと解離というショック。さっきの冷蔵庫ですね。自分で自分の心を切り離してしまっているので頭に入っていない。
精神的な混乱に対しては、いろいろな感情があっていいことを認め、ときに理不尽な感情、殺してやりたいという言葉に対しても、そんなことしたら刑法違反になりますとか言わずに、気持ちとして聞く。「殺したいような気持ちになるのですね。そういう感情は非常によくあることだと習っておりますが、理性的に対処してくださいね」と最後に少し言うだけで、それまでは気持ちをちゃんと聞いてさしあげること。そういう方で、実際にそれで殺しに行った人は今まで1人もいないので、気持ちとして聞いてあげる。
性暴力の場合、行政の方が性暴力の相談を受けるかわからないですけれど、現在間口が広がってきて、最近、警察の支援でも性暴力の御相談が増えているし、性暴力の付添いが増えているというので、行政の方にも話しておこうと思います。
例えば、妊娠の問題があります。そういう妊娠で生まれた赤ちゃんもそのお母さんも本当に気の毒なのですね。赤ちゃんは大事に育てなければいけないですけれど、できれば、胎児になる前に、胎芽にもならない前にそういうことは防げたほうがいいので、モーニングピルというのがあって、72時間以内であったら避妊が可であるということを必ず教えてあげてください。
本当に理解できているか、要所要所を押さえながら確実に教示する。これが行政手続をするときにはとても大切になってきます。
(スライド21、22、23、24) [PDF:248KB]急性ストレス障害は、PTSDとほとんど同じなのですけれど、ここが違います。これだけです。再体験、回避・麻痺、過覚醒の他に解離症状があるというだけですね。
(スライド25) [PDF:248KB]私は多次元エンパワメントという言葉が好きです。エンパワメントという言葉を知っている人、ちょっと手をあげてください。3分の1。エンパワメントというのは、力づけるなどと言う人がいるのですけれど、こちらが力を与えるわけではないのですね。その人が本来持っている力が花開くように出てくることというのがエンパワメント。エン、Emとは出てくること。パワーが出てくるということなのですね。
直後のケアは多様で、身体の安全確保、精神的ケア、法的手続などさまざまな他機関との連携ネットワークを作る必要があります。ですから、先ほど警察の方が最初に出してくださったアシストの一事例を見るだけで、これだけたくさんの窓口や部署、いろいろな機関が連携しているということがよくわかりますよね。そのようにして、特に市役所、県庁、市町村は役所ですので、一体となって本来動けるはずなのですね。ですから、私たちも連絡協議会を作っているし、こうやって研究が行われているので、できるだけ、いわゆる縦割りをやめるというか、うまく手をつないでホウレンソウをしっかりやる。報告、連絡、相談というのをしっかりやって、根回しして、その方がよりよくケアされるようにやっていくということが必要です。
警察の方も今日は来ておられますが、多くの被害者が、警察に相談しなさいと言うと、いやがることがあります。特に性暴力被害の方たちですね。その方たちは警察に相談すると全部事件化されると思い込んでいることもあるので、そこはちょっと訂正してあげたほうがいいです。時間がたつにつれて、やっぱり行ってよかったということもありますし、私がやり始めた当時の被害者対策、12年前のことになりますけれど、やっぱり二次被害はあったと思います。50代の方がレイプされて、「犬にかまれたと思って忘れたら、減るものでもないのに」と言われた方が実際にありました。直接言われたことではなくても、直接その人に対している女性警察官が、上司がそういうことを言っているのを聞いて傷ついたりしたこともありました。でも、最近そういう話を聞かなくて、私が天竜病院をやめる2006年のあたりでは、「警察には本当に助けてもらいました」という方が増えてきましたし、弁護士の方も本当に親身になって、裁判のプロセスを大事にしてくれたので勝ち負けは関係ないと言っておられた方もいました。それそのものが支援なのですね。そういうことが出てきていますので、それをさらに広げていくということがすごく大事です。
私たちの静岡県には、犯罪被害者支援センターというのがありますけれど、犯罪被害者等早期援助団体に認定されておりますので、電話相談、直接支援、特に遺族の自助グループをやっています。
今日、以前、出会った県の方にお会いして、DVの自助グループが始まるという話も聞きましたけれども、そうやって自助グループがいろいろできてくることはとてもいいことだと思います。
法テラス。いろいろあるのですけれど、実際お勤めしている方が、例えば司法試験を受けるために頑張っている方たち、そういった方が相談に乗っていたりとかするので、形式的にこういう手続があるとかということはわかっていますし、だんだんだんだん法テラスの方も、私たちが教えてもらいつつ、教えつつ育っていっていただかなければいけないと思います。静岡、沼津、浜松、下田の4か所にあります。
静岡県、静岡市、浜松市精神保健福祉センターというのは、地域の精神保健福祉の中核センターなのですね。ここのいいところは、相談機能を持っているところなのですけれども、先ほど御紹介した『犯罪被害者のメンタルヘルス』という本には、先ほど京都が進んでいるとおっしゃいましたけれど、京都市の精神保健福祉センターの所長さんが書いた項目もありますけれど、行政は何をやるべきなのか、あとは大きな事件を担当した保健所の方が書いた項目があるのですけれど、ぜひ読んでください。
浜松市精神保健福祉センターは、ちょっと手前みそなのですけれども、犯罪被害者等支援というのが特定相談の支援の柱を立てているという、全国でも多分、相談にまで手を広げているところはまだないのですね。私が行ったことで、それは絶対特定相談にしようということになっていて、そういう教育をしてきた臨床心理士がおりますので、そういうこともぜひ知っておいてください。
やはり、そこに人を送ることによって行政も鍛えられていきますので、いきなり置くのはあれですけれど、ちょっと様子を見ながら、少しずつこういうことを経験していくことが私たち全体の力になりますので、よろしくお願いいたします。
あと司法手続の流れを理解していること。これはもう私が精神科でPTSDの人を診始めて、わからなかったら全然治療にならないのですね。司法手続に患者さんというか、被害者ですね、翻弄されますので、刑事と民事でどう違うのと、最初知らないのですよ。告訴人とか被告訴人とか、原告とか被告とか、全然わからないのです、どっちがどっちなのか。そういうことをきちっと押さえておくことは大事で、さっきの犯罪被害者のメンタルヘルスを読むとそういう項目もありますので、やはり必ず各部署に1つ買っていただけるとうれしいなと思います。
(スライド26) [PDF:244KB]御遺族の問題です。
(スライド27) [PDF:247KB]悲嘆の反応。通常の悲嘆であってもという話です。悲嘆には急性期と慢性期があって、とにかく最初は受け入れられない感情が麻痺して、涙が出ない。ある日突然わっと泣けてきたりとかします。
慢性期。少しずつ死んだのだなとわかるようになって生活再建に入ります。ただ、この段階で、悲哀、抑うつ、怒り、不眠や身体的不調、さまざまな反応があらわれてくる。これが通常なのですね。だれでも自分の、例えば親族を失ったり、子どもを失ったりしたらこうなるわけですね。
(スライド28) [PDF:247KB]犯罪被害による死別の特徴は、では、何でしょうか。伝聞等による被害への心理的直面、先ほどの話ですね。外国で亡くなって、いなくなってしまったと思っていたけれど死んでいたと。犯人がこうして、こうして、こうして殺したんだと言うから、そうなのだと。そういうことが多いのですね。
暴力的な状況での突然の死別、さっきのケースですね。目の前で死んでいるところを見てしまったなどです。
司法関連のストレスが長期間生じる。刑事事件になったら通わなければいけない、そして、それを読まなければいけないとか。あと自分が当事者になったら、加害者と弁論しなければいけないとか、警察手続があったりとかします。
あと周囲からの二次被害の問題、さまざまな二次被害が起こります。
(スライド29) [PDF:247KB]これは、通常、御遺族によく見られる感情です。
(スライド30) [PDF:248KB]複雑性悲嘆複雑性悲嘆という概念があります。死別から数年しても、故人に対する思慕の情が非常に強かったり、罪悪感に悩まされていたり、喪失そのものを否認するような状態です。通常の悲嘆のプロセスというのが流れていかない。トラウマだけではなくて、アタッチメント、その人にとてもなついていたり、愛している、くっついているという状態が、それと関係しています。
簡単に言うと、死の受容ができなくて、悲嘆が、悲嘆そのものは一層悲しいという話をさっき長井先生がしてくださいましたよね。ずっと死ぬまで持っていく悲しみなのですね。それが人生を妨げてしまう状態ですね。
あと故人についてのイメージや思考に悩まされる。
あと故人に関連することを避けてしまう。例えば、今まで一緒にお正月集まっていたけれど、お正月集まるとつらいから、集まらなくなってしまうという。人生が妨げられていますよね。
あと他人から切り離されて孤立した感覚がある。
これは、犯罪被害者遺族に非常に多い症状です。国立精神・神経センターの中島聡美先生が、複雑性悲嘆に関する認知行動療法の日本版というのを開発施行しておられますので、そのうちだんだん広まってくるのではないかと思いますけれど、まさに人生そのものを扱うという治療法です。
(スライド31) [PDF:244KB]このあとは援助職の二次的外傷性ストレスという話が続きます。被害者の話を聞くことで、私たち自身も傷つくのだということを今日は覚えて帰ってください。
(スライド33) [PDF:248KB]二次的外傷性ストレスというのは、トラウマの話を聞いた私たちが二次的に傷つく。ここだけでもちょっと覚えていってほしいのですけれども、要は、家族が調子が悪くなってしまう話なのですね。ちょっと飛ばします。
(スライド34~37) [PDF:251KB]バーンアウトしやすい。だから、「行政の中で犯罪被害者のプロになろう」といってものすごく入れ込むとか、「診察で被害を受けた人を救おう」などとものすごく頑張ってしまって、何年も努力して、突然バーンアウトしてしまうということってあり得るのですね。
(スライド38) [PDF:340KB]あと共感疲労というのもあって、そういう人の話ばかり聞いていて、ずっとそのことについて考えていることによって、警告なしに突然がくっとおかしくなってしまうということがあって、これは世界観が変わってしまうような感覚です。皮肉っぽくなってしまったりとか、人ってやっぱりこんなものなのかなと思えてしまったりとか、今まで共感して話を聞けたのが突然聞けなくなってしまうとか、そういうようなものを共感疲労といいます。
(スライド39) [PDF:247KB]反対に、全部悪いことばかりではなくて、仕事の中で、犯罪被害者遺族に関わるのが怖い、犯罪被害者に関わるのが怖いと思わないでほしいのですね。やはり本当に大変な問題を抱えた方に関わることからくる相互的な関係の中で、一方的にしてあげたから満足というのではないですね。やはり返ってくるものがあるのですよね。
先ほどお話を伺った長井先生が、池田小事件の遺族の方を長く支援して共著を書かれたことは、すばらしいお仕事で、そのように相手の方も本当に感謝してくださる。だから、感謝を求めて支援をするのではないのですけれども、いい関係を求めれば、自然にそこに傷つきではなく感謝が出てくるわけなのですね。だから、ケアの報酬はあるのだということを、二次的外傷性ストレス反応を書いたスタムという人が言っていますけれども、こういうふうに私たちが満足できる部分もあるのだと知っていてください。
(スライド40) [PDF:247KB]二次的外傷性ストレスにならないような対応です。被害者支援に関わる者として、二次的外傷性ストレスにならないためには、常に自分の状態を確認していること。ちょっと入れ込みすぎて、そのことばかり考えていないかなとか。
あと情報を周りと共有する。イコール、一人で抱え込まないことですね。特に、担当者として接していて、上司との関係が悪くなることがあるのですね。私なんか精神病院で被害者対策をやり始めたころに、「上司がわかってくれない」と腹が立ってしようがないことを経験しました。性被害の人をたくさん担当していたのですが、今まで例えば週刊誌とか見ても、何も感じなかったのに、ヌードグラビアとかを見るとなぜか腹が立ってくる。「こういうふうにして女性の性を売り物にして」など腹が立ってきてしまうのですね。そのようなことは、誰にでも起こり得ます。
そして問題は、私たち自身が間接的に被害を受けたことによって、周りとうまくいかなくなって、かえって情報が共有できなくなってしまうことなのです。
あと先ほどの長井先生のお話の中の、翻訳というのを市ではやってはいけないと言われたけれど、すごく気の毒だから、私がやらなければと思って毎晩毎晩翻訳していたら倒れてしまいますよ。そうではなくて相談する。そして、助けてくれる人を探すというような、そういうことが必要になってきます。
浜松の場合だと、やっぱりポルトガルの言葉ですね。ポルトガル語ができる人が必要になってきますし、そういうことができる弁護士さんがいたりもするのですけれども、そうやって頼れる人を探していって、周囲に情報を共有して助けてもらう。協力を得る。
あと仕事のバランスをとる。ワーク・ライフ・バランスをとる。これは大事で、犯罪被害者のことを学んだから、『被害者のメンタルヘルス』を読まなければと毎日毎日そればかり読んでいて、土日も読んでいるとかというのではなくて、土日は自分の時間をとる。ワーク・ライフ・バランスをとる。
自分の体調に気を配る。私生活を大事にする。
例えばとても重い事件に関わったとき、特に、刑事さんなどだと経験があると思うのですけれども、すごくおうちのことって小さなことに思えてしまうのです。「こんな大変なことが起きているのに、なんだこんな」ということで、例えば奥さんの話が聞けなくなってしまうとか、だんなさんに優しくできなくなってしまうとか、子どもに怒ってしまうとか、そういうようなことが起こり得るのだということをちょっと知っておいてほしいです。
(スライド41) [PDF:251KB]これは、女性相談センターでDVを受けた女性のカウンセリングをしている相談員の苦痛です。いろいろなことで苦痛を覚えるのだということですね。
私が行政の中で経験した原点の話をします。
私は、21年目の精神科医なのですけれど、被害者の治療に関しては自分なりにできていたと思っていたのです。それで被害者の方に対して何らかのシステムをつくろうと思って行政にいたわけなのです。そこに最初に来た被害者の方が、とてもメンタルな問題を抱えているから会ってくれと言われて、私は自己紹介として、PTSDや被害者のことをやってきた精神科医ですと言ったのです。そうしたら、その方は「心のケアなんていりません。お金が欲しいのです」とおっしゃいました。ものすごいショックでした。なにか今まで自分がやってきたものががらがらがらがらと崩れるような気持ちでした。
その方は、ご家族が外国人の方に殺されたご遺族でした。市が外国人を受け入れる政策をとっているから、そういう殺人が起きたのではないか、賠償が欲しいとおっしゃるわけです。でも、その方も何度も接しているうちに、精神保健福祉センターの支援を受けていただけるようになりました。
そういうことがあるのですね。支援者にもそういう傷つきというのが起きます。
(スライド43) [PDF:247KB]それだけではなくて、親身になって聞くトラウマの話は、相談員自身のトラウマ体験になります。私も裁判に関わったケースだと、自分が意見書を書いたその中身の、被害の生々しい内容が、頭の中で何度も再生することを体験したことがあります。でも、それがまさにご遺族の状況でもあるのですね。話を聞いただけのご遺族も被害者とある意味同じ状況になるのですね。
そういう二次受傷というのは避けられなくて、その人が弱いから起きるものではなくて、時間と比例するので、管理職が絶対的に理解をしているということが必要になります。ですから相談者を抱えている管理職の方は、それがなかなか大変なことなのだということをよく知っておいてほしいと思います。今日は、こちらには両方の立場の方がいらっしゃると思いますので、伝えておきたいと思います。
(スライド44~45) [PDF:249KB]心のケアの基本まで話して今日は終わりにしたいと思います。先ほどハーマンの話がありましたけれど、まず心のケアの基本中の基本は、安全、再想起、思い出して服喪追悼する、再結合。その3段階なのですね。
これはどんなことかというと、例えば、長い時間の中で、安全を確立する。誰かとのいい関係を作って安全を確立して、その治療の中でいろいろなことを思い出したりとか、故人を悼んだりして、静かにまた戻っていく、再結合というのも考えられますし、今から1時間、その人とお話をしますというときにも、最初に安全感を作り上げる。今日どうやってここまで来られましたか、バスですか、そうですか、そういうちょっと共通の話題を持って、それでは、今一番お話ししたいことをお話しされてくださいと言って記憶について触れて、じゃ、今日はどうやってお帰りになりますか、今日はどんな予定ですか、これからどうしましょうかといって再結合ですね。面接室以外の部屋に出て準備をするという、そういう大きなレベルでも小さなレベルでも、この3つの段階を繰り返します。
先ほどの自己尊重感、自己統御感を育てる。すなわち小さな選択肢を与えて、選択を尊重するとなっています。
そして、リソースの発見。その人の力、宝物を信じる、無意識の力。あなたが持っている問題がではなくて、課題を一緒に見つけていく。本当に遺族とか被害者の問題は深刻ですので、普通のものでは太刀打ちはできないです。こういうふうにしようと思ってなるものでもないですけれど、やはり傾聴と共感と、「なんとかなんですか?」、「イエス・ノー」ではなくて開かれた質問をしていく。「今日御気分はいかがですか」というのはイエスかノーでは答えられませんよね。そのように聞いていく。
ただ、行政手続の場合は、今日の御気分はなんて聞けませんので、気持ちをわかっているのだということをお示ししながら、きちっきちっとお伝えして業務を遂行していくということが大事ですね。
(スライド46) [PDF:247KB]これはちょっと精神療法的なので飛ばします。
(スライド47) [PDF:247KB]困難に出会ってしまった相手を力づけたいときに、どう対処しているのかということを話してもらう。仲良くなった後ですよ、いきなりこんなことをしたら嫌な感じですので、仲良くなれたら、「本当にやめたくなってしまうときどうやって職場に通えているのですか」、「御家族は何て言ってくれますか」、「どのようにしたらこれ以上悪くならずに穏やかに過ごせると思いますか」。これはラポールがきちっととれた後なので、若干精神療法的でありますけれども、このように目の前にいる方といい関係をとれた後にやるのであればとても有効です。
(スライド48~56) [PDF:370KB]今日は、いろいろなリラグゼーションのお話をしようと思っていたのですけれども、実際にやってみることまでしたかったのですけれども、どれをお教えしたらいいのかがあと3分ではわからないので、飛ばします。私はよく治療が終わった後に気づくことがあるのですね。息していなかったということに気づくのです。息をとめてしまっているのです。そういうことってあるのですけれど、しっかり深呼吸しながら、自分をリラックスさせながらお話を聞いていかないと、やはり緊張する話なので大変なのです。
(スライド57) [PDF:337KB]あと加害者、被害者がいる問題における相談のポイントは、加害者に責任があることを明確にして、位置づけを軽減することなのですけれども、どうしてもいいことばかりではないのですね。被害者って、私たちはどうしても善人だと思いたいのですよ。被害に遭ったかわいそうな人。だけれど、被害者の方というのは、相談のいろいろなレベルでクレームをつけますし、激しい感情を見せることもあるのですね。でも、激しい感情を見せてくれたときは、ある意味でしめたものなのですよ。うちに帰って悪口言うだけではないわけですから、それは。示してくれたことがありがとうと言わないといけないわけなのです。
(スライド58~60) [PDF:249KB]でも、私たちも傷つくので、これは私たち自身ができることなのですけれど、自分がハッピーでいるためにできるようないろいろなタスクを書いてみましたので、後で見てください。
(スライド61~63) [PDF:250KB]あと、トラウマというのは傷つきばかり呼ぶわけではないですね。トラウマというのは成長を呼ぶのですけれど、ポストトラウマティックグロースという概念があって、トラウマ後の成長というのがあって、このような心の変化を見せる被害者の方がたくさんいます。こうなれとは言えないのですけれど、こうなり得るのだということで、こうなり得る援助、支援をしてさしあげてほしいなと思います。これも読んでおいてください。
(スライド64~67) [PDF:344KB]これは、私たち自身がハッピーでないと良い支援ができないので、ハッピーな人たちを集めて、どんな人たちが特徴を持っていくのかという9つの特徴を書いてきたので、よかったら読んでみてください。犯罪被害者でも、すばらしい生き方をしている人がたくさんいると思います。被害を一つの機会ととらえて、それを人に貢献するように返している方たちなのですね。さっきの自助グループをやっている方とか、講演している方たちがそれに当たると思うのですけれど、それで被害の悲しみがなくなっているわけではないのですけれども、トラウマをチャンスに変えて立派に生きている方たちなのですね。幸福をつかんだと思っている人もいます。一方で、それが幸せですねなんてとても言えないということも一応わかってほしいと思っています。
(スライド68~72) [PDF:345KB]先ほどのDVの被害者支援センターで相談員がどんなケアを自分にしているかというケア集です。いろいろなやり方があって、これはみんなの知恵なので、ここでもシェアしていいという許可を得ています。本当に大変な攻撃的な言葉を浴びた後だとか、無力感に陥ったとき、こういうことはすごくあるのですけれど、自分にすべてができないことを認識して認めてあげるとか、自分のできることはすべてベストを尽くしたとか、最終的な力は来談者にあるとか自分に言い聞かせたり、お菓子を食べるという人もいます。それとかクールダウンでこんなことをしているのだといったことです。
自分が怒りを抱えて、例えば犯人に対して腹が立つとか、来談者に対して腹が立つとかということになったら、フーッと息を吐いたり、人に話したり、整理したり、リストアップしたりして、容認できないことを許していないか確認する。特に、大変な虐待を受けた方の支援で、今リストカットしちゃうから迎えに来てと言われて、市役所の車で送り迎えをしそうになった保健師がいて、とめたのですけれども、リストカットしてしまうと思うとしてしまうのですね。そういうことはしない。怒りを持ったまま相談を受け続けないということですね。
(スライド73~75) [PDF:258KB]もう時間なのでここまでにしますけれども、支援者から与えられたネガティブな体験、性暴力禁止法をつくろうメーリングリストというところから聞いてきましたので、読んでください。
(スライド76~80) [PDF:255KB]あとちょっと特殊なセクシャルマイノリティの問題などもまとめてあります。最近、犯罪被害者支援センターでこういう相談を受けるようになってきた、と聞きましたので、行政でもあと数年したら、こういう相談が入るようになるかもしれません。GIDの問題なども特に学校の領域で相談が入っていますので、知っておいてください。
(スライド81) [PDF:252KB]最後は、根本に戻って、交通事故被害ご遺族であり、支援者でもある大久保恵美子さんによる、話を聞くときの注意と、回復を阻害することをしないということでまとめます。
御清聴ありがとうございました。(拍手) 

[6] 県からの依頼事項

静岡県県民部県民生活局くらし交通安全室長 山下 晴久<静岡県県民部県民生活局くらし交通安全室長 山下 晴久>
こんにちは。県のくらし交通安全室の山下と申します。
先ほどの河合支援官や長井、白川両先生のお話を伺い、改めて犯罪被害者等が被る被害の深刻さと、犯罪被害者等について理解し、まず自らが出来る支援からしていくことの大切さを実感いたしました。
本日は、県くらし交通安全室から犯罪被害者等支援に関して、市町・庁内の犯罪被害者等支援担当者・関係者に対して4点のお願いがございます。
まず1点目ですが、犯罪被害者等支援に係る担当の方々が犯罪被害者等について正しい理解をし、二次的被害を起こさないよう留意していただきたいということです。
犯罪被害者等基本法の前文にもあるように、犯罪被害者等の皆様の多くは、これまでその権利が尊重されてきたとは言い難いばかりか、十分な支援を受けられず、社会に孤立することを余儀なくされてきました。これも、犯罪被害に対して、国民の多くが自分とはあまり関係のない特別な人たちだけの問題だと長い間誤解をし続けてきた結果だと思われます。
しかし、本県の犯罪情勢について、被害者支援の対象を身体犯に限ったとしても、相当数の被害者とその遺族や家族がおります。性被害のように警察に届け出ない犯罪による被害者・家族等を含めますとかなりの数の被害者が存在していると考えられます。昨年6月秋葉原で起こった無差別殺傷事件の被害者の中にも、本県在住者がいたと聞いておりますが、このように県外で起こった事件であっても、県内在住の被害者がいることになります。
また、交通事故についても、自動車運転過失致死傷や危険運転致死傷によるものは、犯罪被害者等支援の対象としております。
このような状況をみますと、犯罪被害者はいないのではなく、支援を求める方法も知らないまま、引きこもっている場合が多いのではないかと考えられます。私たち担当者は、このような犯罪被害者等に関する現状理解と被害者等支援の目的と対処方法を正しく認識することが必要です。
2点目は各市町へのお願いですが、犯罪被害者等支援の窓口となる担当課室と担当者を明確にしていただきたいという点です。犯罪被害者等が必要とする支援は、その置かれた状況により異なり、多岐にわたります。被害者はそれをどこに相談してよいかわからないのです。最悪な場合は、関係諸機関の内外でたらい回しにされて、さらに混乱してしまう。たとえそうならなくとも一度で済むことに対して、何度も足を運んだり、問い合わせをしたりして、同じこと、しかも思い出したくない事件や事故のことを何度も説明する。それが原因で、精神的にまいってしまうケースも多々見受けられます。
犯罪被害者等は行政上の諸手続で市町の窓口を訪れる機会が多くなると言えます。たとえば被害者が死亡した場合は、遺族は戸籍上の手続をしなければならないですし、収入源が断たれた場合には、生活保護の申請手続等も必要となることもあります。このような場合に、少しでも被害者等の負担が少なくなるように御配慮いただきたいと思います。また、犯罪被害者支援センターから、市町へつなげる場合なども、円滑な支援につながるよう配慮していただきたいと思います。
次に3点目ですが、犯罪被害者等支援を推進するために、各市町内や県庁内の関係課室間や関係諸機関(警察や内閣府、法テラス、医療機関、福祉施設、各種相談機関、NPO法人静岡犯罪被害者支援センター等)との連携をお願いいたします。県庁内の関係課室間等の連携や市町の域を越えた担当間の連携につきましては、今後当室が中心となって推進していかなければならないと考えておりますが、市町内の関係課室間等の連携は、今後市町の主たる担当課室が中心となり実施をお願いしたいと思います。その際、地元の警察等との連携も必要不可欠と考えられますが、その他諸機関との連携はできるところから実施していただきたいと思います。そして、県警の河合支援官が先ほど指摘された犯罪被害者等支援のための「協働」体制の確立に向けて御尽力いただけたらと思います。
最後に4点目ですが、県では来年度犯罪被害者等支援のためのハンドブックを作成して、市町や支援関係機関等へ配布する予定でおります。その作成作業に当たって、県庁内の関係課室や関係諸機関、各市町の担当者等の御協力をお願いしたいと思います。
以上、一方的なお願いばかりで恐縮ですが、犯罪被害者等支援の趣旨をよく御理解いただき、何とぞ諸施策の推進に向けて御協力いただきたいと思います。
最後に、県内の犯罪被害者等が一日でも早く元の平穏な生活に戻れますよう祈念いたしまして、私の話を終了いたします。

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