第1章 損害回復・経済的支援等への取組

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4 雇用の安定(基本法第17条関係)

コラム2 私達を支えてくれた支援の力

公益社団法人千葉犯罪被害者支援センター
羽山 和美

私達の大切な大切な一人娘の凜(りん)ちゃんは、2017年12月のある晴れた日の夕方、前方不注視の車による交通事故でこの世を去りました。10歳と45日の命でした。いつも笑顔で明るく、何事にも頑張り屋さんだった凜ちゃん。あの日もそろばんのお稽古を終え、翌週受ける昇級試験に向けて意気揚々と帰っていたところでした。パパとママとの約束を守り、自転車に乗るときは必ずヘルメットを着けていた凜ちゃん。そんな凜ちゃんのヘルメットはアクセルとブレーキを踏み間違えた自動車の下敷きになり、大きく割れてしまっていました。

我が家は共働きの家でしたが、忙しい日々の中でもお互いを尊重し支え合うような温かい家庭でした。誰かがソファーで寝ていると、そっと毛布を掛けてあげるような優しく思いやりに満ちた家族でした。凜ちゃんは常にその中心にいて、明るく朗らかで、パパやママを気遣うような優しい子でした。そんな娘にもう二度と会えない。触れることさえ出来ない現実は、私には耐え難く苦しいものでしかありませんでした。

事故後、私は食べることも水を飲むことも出来なくなりました。葬儀の朝、流れる涙と飲食への拒絶反応から極度の脱水症状を起こした私の手はガタガタと震えていました。「このままでは凜ちゃんの葬儀中に倒れてしまう」と周囲に言われ、スポーツドリンクを無理やり体の中にねじこんだのをおぼろげながら覚えています。突然起こった悲痛な出来事に、もう、何が現実で何が夢なのか分からなくなっていました。

それでも『凜ちゃんがいない』ということだけは私の心に深く突き刺さり、とめどなく涙が溢れるのでした。私は娘の遺骨を抱えて、毎日、事故の発生した夕方の時刻になると泣き叫んでいました。「一人で逝った凜ちゃんが可哀想。誰か私を殺して~!」…と。そして夜は「この悪夢から早く目覚めますように」と祈りながら眠りにつき、朝目覚めては変わっていない現実に絶望するという日々を送っていました。そんな私を主人と実家の母はただ見守ることしか出来ませんでした。私は一日中暗い寝室に引き籠り、「誰か助けて、誰か助けて。」と心の中で叫びながら泣き続けていました。

そんな時、担当の警察署の方から千葉犯罪被害者支援センター「CVS」や県警の犯罪被害者支援室「ACT」の存在を教えてもらいました。『犯罪被害者』…私達のような交通事故の被害者遺族も犯罪被害者なのだと知り、初めて自分が置かれている苦しい立場に気付きました。そして、私達は藁にもすがる思いで支援の申込をお願いしました。

主人は凜ちゃんの葬儀後、早い段階から事故の刑事裁判における被害者参加制度の利用や民事訴訟の提訴を考えていました。私はただ泣くだけの毎日でしたが、主人から相談され、『凜ちゃんのために親としてまだ出来ることがあるなら全部やってあげたい』との想いから裁判に参加する心を決めました。凜ちゃんが何故このような事故に遭ってしまったのかを知りたい。いつも交通ルールをきちんと守っていた凜ちゃんの名誉を守りたい。その一心でした。

初めて支援センター「CVS」を訪れた時の私はまだ大きな悲しみの渦中にいて、食事や睡眠はほとんど取れておらず、心も体もボロボロの状態でした。心は決めたものの、これから先の裁判に対する長い道のりに果てしない不安と恐れを抱いていました。しかし相談員の方との顔合わせの際、主人が被害者参加制度の利用や民事訴訟を検討していることを伝えると思いも寄らない言葉が返って来ました。「お辛いですね。でも、相手の方には法的にも社会的にもきっちりと罪を償ってもらいましょう!」と。私は事故後、初めて私達の気持ちを理解し、寄り添ってくれる大きな存在を感じることが出来ました。

その後、支援センターから被害者参加制度を利用して刑事裁判に参加するための手助けをして下さる弁護士先生をご紹介頂きました。弁護士先生との打合せの際には相談員の方が必ず同席し、いつも私を気遣って下さいました。また裁判の参考にと、他の人の交通傷害事故の裁判を傍聴した際も相談員の方が付き添い、娘の事故のことを思い出し苦しそうにしている私の様子を見て、傍聴席から外に連れ出して下さったりしました。

辛く苦しい私の状況を分かってくれる人が居る、心配してくれる人が居るということは、娘の後を追うことばかりを考えていた私にとって心の支えになりました。

そして凜ちゃんの刑事裁判が始まった時、私の気持ちは激しく揺り動かされました。初めて相手の人と対峙した時の動揺は自分が想像していた以上に大きく、その場に立っていられない程でした。この人に凜ちゃんの命は奪われてしまったのだなぁという辛くやるせない思い、どうしてもっと注意して自動車を運転してくれなかったのかという怒り、そして凜ちゃんはもう居ないのに何故この人は普通に生活をしているのだろうという理不尽さに対する憤り。悲しみ・怒り・憎しみの感情が私の中で渦を巻き、どっと溢れ返っていました。法廷内ではこみ上げてくる嗚咽を抑えるだけで精一杯で、閉廷後、私は歩けない程に泣き崩れました。そんな時も相談員の方は私の傍にいてそっと背中に手を添えてくれました。優しく温かな手でした。また、意見陳述で私が伝えたい想いを法廷で述べた時は、傍聴席でじっと聞いてその想いを受け止めて下さっていました。初めての裁判で心細く不安ばかりの中、相談員の方の寄り添いや応援はどんなに心強かったか知れません。

その他にも支援センターには、交通事故被害者遺族との対話会を設定して頂いたり、交通事故被害者遺族の講演会の聴講を案内頂いたりしました。他の被害者遺族との繋がりの中で、私達は孤独ではないことを知り、今後歩むべき道を見出せた気がします。

一方、県警の犯罪被害者支援室「ACT」では専門の心理カウンセラーによるカウンセリングの支援を受けました。夫婦それぞれに個別のカウンセラーが付き、交通事故被害者遺族の抱える悲しみや苦しみ、世間への隔たりなど、日々変化する心を丁寧に聞いて頂きました。私の冷たく凍った心は、娘の死を一緒に悲しんでもらうことで少しずつ解きほぐされていったように思います。また、カウンセラーの方にお話しをすることで自分の頭の中を整理出来、今の自分の感情を見つめることにも繋がりました。大きな信頼関係が生まれ、「次にお会いしたらこの話をしよう。こんな良いことがあったことを聞いてもらおう。」と思ったことも私達が前を向く力になりました。しかし、裁判の直前や直後はどうしても心が乱れ、感情の歯止めが効かなくなります。そんな時は溢れる思いをそのまま聞いてもらい、何とか心を落ち着けるという作業が必要でした。まさに一歩進んで二歩下がるといった状況です。

その様な不安定な私をカウンセラーの方は優しく包み込んでくれました。カウンセリングを続けるにつれ、最初はうつむいて涙を流していた私も次第に前を向いて話せるようになりました。

さらに私達は心療内科のお世話にもなりました。急に娘を奪われた私達には後を追いたい気持ちを抑え、眠れるようになるための薬の力が必要でした。そして心療内科でも専門の心理カウンセラーのカウンセリングを受けました。ここでは夫婦一緒にカウンセリングを行うことで、お互いが考えていることやこれからのことの意思確認をはかっていたように思います。

このように私達は事故後様々な支援を得て生活して来ました。裁判について何も分からないところ、支援センターからの直接的な支援で多くの面を助けて頂きました。また被害者支援室や心療内科における心のサポートも私達にはなくてはならないものでした。事故から2年半、長く険しい道のりでしたが、こうして刑事裁判や民事訴訟を何とかやり遂げることが出来たのはたくさんの支援のお陰だと思っています。

突然起こった『最愛の一人娘を奪われる』という現実。事故を起こした相手からは、裁判で納得の行く説明はなく、心からの謝罪の言葉もありません。到底許すことは出来ませんが、それでもその辛い現実に耐えることが出来たのは、私達を心配し支えてくれた大きな支援の輪があったからです。暗い寝室にこもって泣いてばかりいたあの頃、心を閉ざさなくて良かった。差し伸べてくれた支援の手を掴んで良かった。心からそう思います。

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