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第4章 支援等のための体制整備への取組

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1 相談及び情報の提供等(基本法第11条関係)

コラム14 警察職員による被害者支援手記

警察においては、毎年、犯罪被害者支援に関する警察職員の意識の向上と国民の理解促進を図ることを目的に、犯罪被害者支援活動に当たる警察職員の体験記を広く募集し、優秀な作品を称揚するとともに、優秀作品を編集した「警察職員による被害者支援手記」を刊行し、これを広く公開している(警察庁ウェブサイト「警察職員による被害者支援手記」:http://www.npa.go.jp/higaisya/syuki/index.html参照)。

平成29年度優秀作品の一つを紹介する(※)

「一瞬の出来事~私の生きる道」

警察署勤務 警部補 男性

「私たちの今の気持ちは警察官のあなたには分かりません」

これは交通事故で最愛の娘さんを一瞬にして亡くした両親からの言葉であった。

私は平成14年、警察署で交通課主任として勤務していた。

季節は初夏で、帰宅して食事を取っていた時、携帯電話が鳴った。

何気なく悪い予感を受け電話に出ると、警察署の宿直から

「国道で大型トラックと普通乗用車の正面衝突事故が発生し、4人即死の状態です」

と耳を疑うような言葉が飛び込んできた。

私はすぐに現場へ急行したところ、事故関係車両であった普通乗用車は、車名が判別できないくらい大破した状態で止まっており、先着したパトカー乗務員に事故状況を聞いたところ、

普通乗用車がセンターラインを越えて対向車線の大型トラックと正面衝突した。

普通乗用車には若い男女5人が乗車していたが、4人は即死状態、後部座席真ん中の女性は意識があり、病院に搬送した。

というものであった。

助かった女性の証言や現場見分から、事故は、未成年の男女5人がドライブ中、運転者がハンドル操作を誤って左縁石に接触後、対向車線に進出し、折から登坂車線を走行して来た大型トラックにノーブレーキの状態で衝突したものであることが判明した。

この事故の捜査主任官であった私は、亡くなった被害者の遺族から調書を作成することになったが、皆、両親がそろって、生前の息子・娘の手帳、携帯電話等、思い出の品を持って警察署を訪れた。

長女を亡くした両親は、突然の娘の死をまだ受け入れられないのか、私の問いかけにも上の空の状態であったことから、

「大変でしたね、おつらい気持ち分かりますよ」

と言ってしまった。

遺族に対して、軽はずみな同情の言葉は禁句であることは承知しているはずであったが、しかし、そう言わなければ言葉が続かない状況でもあった。

案の定、両親は顔を伏せたまま、

「私たちの今の気持ちは警察官のあなたには分かりません」

とつぶやいた。

あなたには分からない・・・いいえ、私は分かりますよ。

私は50年前、一生忘れることのできない出来事に遭遇した。

当時8歳、小学校2年生の私は、両親と4歳年下の弟の4人家族で暮らしていた。

季節は冬、昭和42年12月、クリスマス前ということで、家族で都市部の繁華街に買物に行くことになっていた。

都市部に行くには汽車に1時間程度乗って行くため、幼い兄弟にとっては正に大旅行、朝からうきうきし、両親より先に外に出て待っていた。

自宅前の道路は非舗装で、交通量も閑散であった。

兄弟の気持ちは高ぶり、鬼ごっこをするかのようにじゃれ合って、弟は塀から路上に飛び出して行った。

弟の姿が視界から消えた瞬間、「ボン」という鈍い音がしたかと思うと、目の前を黒い塊がころころと転がって行くのが見えた。

一瞬の出来事だった。

ただならぬ異音を聞いて飛び出て来た両親は、道路上に転がっている弟のもとに駆け寄り、母は血だらけの弟を抱きかかえた。

父は「救急車、救急車」と絶叫し、騒ぎを聞き付けて外に集まって来た隣人が救急車を手配してくれたようで、やがて救急車が到着し、顔面血だらけでぐったりしたままの弟は母と共に車内に運ばれ、けたたましいサイレンを鳴らして現場を離れた。

夢を見ているようであった。

しかし、何が起こったかは理解していた。

そして、その原因が自分にあると思っていた。

鬼ごっこをして弟が道路に飛び出した。自分がちゃんと手をつないでいたら・・・。

8時間後、手当てのかいもなく弟は力尽きた。

父に促され、処置室のベッドに横たわって眠っている弟と別れの握手をしたが、まだ手にぬくもりが残っていた。

これが自分が体験する身内の初めての死であった。

通夜の時、嘆き悲しむ両親の姿を目の当たりにし、思い余ってつい父に「もう泣くな、僕がいるじゃないか」と言ってしまった。父は「そうじゃな、そうじゃな」と泣きながら私を抱きしめたが、やはり「弟の死は自分の責任」という負い目があった。

しかし、そんな気持ちも同級生からの作文に救われた。

クラスの皆が私に励ましの作文を書いてくれたようで、葬儀後に担任の先生が届けてくれた。

私は嬉しく、一つ一つ同級生の顔を思い浮かべながら読んだ。

割と仲の良かった男の子の作文であったが、子供心に、本当に心に染み入る文章があった。

君が悪いんじゃないんだよ。

事故をした人が絶対悪いんだよ。

早く元気になって笑顔で学校においで。

心の中を見透かされているようであったが、嬉しかった。

救われたような気がした。何回も何回も読み返した。

ほかにも、

離れた場所から弟さんの葬式の様子を見ていて、天国に行きますようにとお祈りをした。

という、話もあまりしたことのない女の子の作文もあった。

有り難かった。一人じゃないと思った。

その作文は私にとって、大きな大きな被害者支援となった。

その後、私は警察官になり、そして交通事故を担当する交通警察に30年間携わることになる。

50歳代後半となった今では、昨日の夕食の献立も思い出せない状態であるが、あの時のことは脳裏に刷り込まれ、おそらく死ぬまで忘れることはできないと思う。

自分には分かりますよ、なぜなら・・・

と、当時の経験談を打ち明けると、沈んでいた両親は顔を上げ、食い入るように私の話に耳を傾け、つらい心情を吐露し、「事故時の真実が知りたい、娘はなぜ死んだのかを教えてほしい」と訴え、お互い涙の取調べになり、終了後、その両親は

「大変お世話になりました。」

と頭を下げて帰って行かれた。

現在、私は犯罪被害者支援という犯罪被害者、遺族の心の支えとなる職に携わっている。

以前、同級生の純粋な気持ちを表した作文に救われたように、今度は私が誰かの支えにならなければいけない。それが、わずか4年しか生きることのできなかった弟に託された私の人生、生きる道だと思っている。

※ 掲載に当たって一部改稿した。

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