第2章 精神的・身体的被害の回復・防止への取組
3 保護、捜査、公判等の過程における配慮等(基本法第19条関係)
講演録 最愛の娘を奪われて
講師:小谷 真樹 氏
娘の真緒が被害に遭った事件は、小学校入学の1年後に起きました。このときは、小学校を卒業して中学校に進学、高校、大学へと、当たり前のように未来があると私は思っていました。娘の事件は、無免許の少年の車が集団登校の列に突っ込み、胎児も含めて4つの命が奪われ、7人が重軽傷を負った事件でした。
2012年4月23日、たまたまその日はこども達と同じ時間に家を出ました。長女と次女に「早う準備しいや。今日雨降るかもしれへんし、傘持って行くんやで」と声かけると、次女の真緒が「雨降るんやったら新しい靴履いて行かへんわ」と返事をくれました。前日、ショッピングモールで、真緒が「これも買うて」と言って、たまごっちの筆箱と白い靴を持ってきたので、買って帰ると、真緒は靴を履くのを楽しみに玄関に揃えていました。ですが、私が「雨降るかもしれへんし」と言ったことで、靴が汚れるのが嫌だったのか、当たり前のようにあしたが来ると思い、「あした履くわ」と、真緒は今まで履いていた靴で学校に向かいました。普段私が見送ることが少なかったため、嬉しかったのか、喜んでくれたのか、2人揃って振り向いて、ニヤニヤとしながら私の方を見て、私も「こっちいいからはよ行き。みんな待ってはるんやから」と言葉をかけたのが、私が真緒にかけた最後の言葉となりました。
その日、会社にいた私に母から連絡があり、集団登校の列で事故があったという一報でした。私はすぐに現場に向かいました。向かっている最中、現場に着いた母から連絡が入り、「真緒、すぐ病院に運ばれたみたいやわ」という話で、「お姉ちゃんは先生達に囲まれながら座っている。少し顔とか腕から血は出ているけど大丈夫そうやで」みたいな話だったので、私は真緒が運ばれた病院に向かうことにしました。その時は、命に関わることだとはこれっぽっちも考えずに、車を走らせていたのを覚えています。
真緒が搬送された病院に着き、案内された治療室に入ると、人だかりの中、道が開いて、その先に、あごの骨が砕けてしまって口元がゆがみ、鼻や口から血を噴き出し、顔が傷だらけの真緒が横たわっていました。治療のため服は全部切られ、腰の辺りの肉がなくなり、そこから大量の血を出し、辺り一面血まみれの娘が横たわっていました。さっき「行ってくるわ」と言って、にこってして出ていった娘が、何でこんなことになっているんやと。頭が真っ白になり、何でや何でやと思うことしかできませんでした。
そのときに私の電話が鳴り、長女が運ばれた病院からの連絡でした。私にさらなる不安と衝撃が押し寄せてきたのですが、「娘さんは大丈夫です」という話でしたので、長女のことは病院にお任せし、私はすぐ真緒が治療されている部屋に戻りました。すると、先ほどよりも慌ただしくなっていて、医師が「ここの病院では治療が追いつきません。救命救急の設備が整っている兵庫県の豊岡市にある病院に娘さんをヘリで搬送します」とお話をされました。真緒と一緒に私はヘリポートまで上がったのですが、真緒は輸血されている血がそのまま体の至るところ、鼻や口から噴き出しているような状態で、「頑張れ、頑張れ」と、私はただただ声をかけ、ヘリに乗せられて飛び立っていく娘を見送ることしかできませんでした。
その後、自分の運転で車を走らせて豊岡市の病院に到着し、治療室に案内されると、私の目に入ったのは、真緒の上に医師が覆いかぶさり心臓マッサージをされている状態の光景でした。真緒は搬送中に2度心肺が停止し、それでも生きたいと願った真緒は必死に頑張り、医師の治療もあって心臓を動かしたそうで、3度目の望みをかけて治療をしてくださっていました。ですが、もう大分時間が経過していることもあり、私は医師から延命治療の停止を告げるよう委ねられました。そんなことできるかと。テレビのような話が自分の大切な娘に降りかかってきたのです。大分決断ができませんでしたが、医師に説得され、私は真緒の治療の停止を告げました。
その後、真緒と京都府警の方を霊安室で待っていました。自分が「早う準備しいや」と急かさなければ、数年前に亀岡に移り住んだので、その決断をしなければと、自分のしてきた決断、選んだ道を全て恨み、そのときには加害者が無免許運転の少年だったことを知り、身も心もボロボロになっていました。
私は真緒を迎えに来られた京都府警の方に預けて、長女が運ばれた病院に向かいました。長女が私の言葉に首を傾けたり体を動かしてくれたりすることで、生きてくれている、助かってくれたと、とても喜んだのを覚えています。長女を親族と病院の人達に任せて、私は真緒に会いに行くことにしました。そのときは、もう日付の変わった4月24日になっていました。
事件によって、自分が想像していた幸せを全て奪われました。見られると思っていた娘の笑顔を奪われました。そして何より、真緒自身は未来に向かって生きる権利を奪われてしまいました。当たり前にあると思っていた日常がこんなにもあっけなく、全く知らない他人によって簡単に壊されてしまう恐怖を突きつけられました。私は被害者になるまで、そういった出来事を他人事のように捉えていました。何の根拠もなく、自分が気を付けていれば加害者にも被害者にもなることはないと思っていました。そう信じていました。
ここからは、二次被害の話をします。一次被害に起因する様々な被害を二次被害と呼んでいます。精神的ショックや体の不調、心ない言葉や態度、周囲の人々の無責任なうわさ話やマスコミの取材報道による精神的被害、経済的困窮もよく耳にされるかと思います。私が体験した二次被害ですが、決して関係者を責めたり攻撃したいわけではありません。今後どうしたら二次被害がなくなるのかを、ぜひ皆様にも考えていただければと思うので、お話をさせていただきます。
まず、最初に降りかかってきた二次被害はメディア被害です。多くの報道陣が豊岡市の病院に駆けつけていました。警察官に「何も答えることはないし、対応できないから帰ってほしいと報道の方に伝えてほしい」と説明しましたが、霊安室の外で真緒を車に乗せているときに、報道関係者が少し遠くからですが、カメラをこちらに向けているのが分かりました。お断りしていたにもかかわらず、撮られていることに恐怖も感じました。次の日には、私が提供したわけでもない娘の写真、誰かから入手した集合写真を引き延ばした娘の写真が報道されました。なぜ当事者が許可もしていないものが出てしまうのか、私達に拒否権はないのかという思いで、本当に恐怖を感じました。
数日後には、個人情報の漏えい問題がありました。加害少年の父親に、警察が被害者の連絡先の一覧を被害者の許可なく渡したのです。私は家にいるときに、加害者の父親と名乗る者から電話がありました。同じ被害に遭った妊婦さんの家では、亡くなった本人の携帯に連絡があったそうで、小学校から加害者側に携帯電話番号を教えたというような話でした。警察と小学校に裏切られて、私達はどこを頼りにしたらいいのかと、全く分からなくなってしまいました。
二次被害というものではないのかもしれないのですが、日々テレビをつけるとニュースになっており、私は「事故」と呼ばれるところに、とても納得がいきませんでした。辞書では、不注意などによって起こった悪い出来事と書かれていて、引き起こす結果を予見できた被害に、交通事故という言葉は当てはまらないのではないかという思いで、今でも私は交通事件という言葉で話をさせてもらっています。こういった言葉のところも、皆様、考えてもらえたらなと思います。
事件後、他の遺族と街頭で危険運転致死傷罪を求める署名などもして、一定の法改正に結びつきました。その中で、「立ち向かっていて強いな」「私やったら気が狂って家から出れへんわ」「生きている2人の娘のためにも前を向かな」といった言葉をかけられました。他にも、「もう落ち着いた」「時間が解決してくれるよ」と、何も理解してもらえない言葉にショックを受けたこともあります。どれだけ時間が経とうが、元通りの生活に戻ることはありません。時間が娘の死を解決するものではないと思います。それまで何とも思わずに聞き流せた言葉でも、被害後の傷付いた心には引っかかってしまうことが多くあります。犯罪被害に遭うと、周囲との時間軸のずれが生まれたり、かけられる言葉の受け止め方が変化してしまうことは、よくあることです。そういったことが社会に対して心を閉ざしてしまう要因だと感じています。どう接したらいいか分からず距離を置くと被害者が孤立するので、孤立することが一番駄目だと私は考えています。決して正解はないのですが、あなたは一人ではないという思いをその方に伝えながら、寄り添ってもらえる社会であってほしいと願っています。
併せて大切だと感じているのは、被害者自身、当事者自身が選べる制度を作っていただける社会です。私も当たり前のように参加していた刑事裁判の被害者参加制度ですが、当事者の方が声を上げてくださり、法整備がされました。そして、その制度を利用するかしないかも、当事者自身が選べることが、私はすごく重要だと思います。この先、被害者が選択できる支援制度を多く作っていただけたらと思っています。
加害者に関して少しお話をしますが、車を運転していたのは無免許運転の常習者で、免許を一度も取得したことがない未成年者でした。運転した少年以外にも、同乗していた少年、車を貸した少年達がいまして、少年達がルールを無視した結果が、4つの命を奪い、こども達の心と体に傷を付ける大きな事件になりました。少年達は遵法意識が何もなく、事件を起こすと少年達が守ろうとしなかった法律によって守られました。何の罪も犯していない私達被害者には、少年達の情報が少年法によって何も教えていただけなかったのです。加害者を守って被害者を傷付ける、この法律がものすごく憎く感じました。少年事件に限ったことではないのですが、被害者と加害者の権利に、大変格差があると私は考えています。今後はより一層、格差のない社会になることを願っています。
もう1つ、厚生労働省が犯罪被害に遭った方に特別休暇を付与していこうという取組を掲げておられて、私はこれが社会全体で実現されることを願っています。私が出会った多くの被害者が、この制度の必要性をものすごく感じています。事件当時、とても仕事ができるような精神状態ではありませんでした。行政手続、警察の捜査、裁判の準備、自身や家族の精神的、身体的ケアと、様々な困難が被害者には押し寄せてきます。厚生労働省のパンフレット(特別休暇制度導入事例集2023)に企業の導入率が載っていますが、裁判員の休暇制度は50.4%、それに対して、犯罪被害者のための休暇制度は1.4%です。企業には認知もされていませんし、導入されている企業も少ないです。日々生まれてしまう犯罪被害者の支援のためにも、ぜひとも皆様で御一考いただきたいと思います。
最後に、皆様に私からのメッセージをお伝えしたいです。他人事ではなく自分事として捉えてほしいという思いと、生きている今は大切な人とともに過ごせる時間、決して当たり前じゃないということを改めて考えてほしいと思います。娘を奪われて12年10か月経ったのですが、事件の当事者になって、様々なことを感じました。傷付けられて苦しんでいる娘が目の前にいるのに、何もしてやれない自分への無力さ、火葬場で扉が閉まるときに感じた絶望、様々な生活の中で胸を締めつけるような苦しみや体が震えるぐらいの心の痛み、加害者への憎しみ、気が狂ってしまいそうなぐらい怒っていたときもありました。娘を絶対守ってやると思っていたはずなのに、守れなかった自分自身の憤りも、今でも持ち続けていますし、娘がいない未来は考えられへんと思っていたあの当日のことは、今でも鮮明に覚えています。愛する我が子を突然理不尽な形で命を奪われて、こういった思いは、私の命が尽きるまで決してなくならない感情だと思っています。
笑顔一杯の真緒でしたが、真緒を思い浮かべると、事件当日の苦しむ顔しか正直思い浮かびません。もう誰もこんな思いはしてほしくないと心から思っています。
1日1日というのは、とてもはかなく尊いもので、皆様がその1日を大切に考え、大切な人達とともに過ごす時間を大事にしてもらえれば、必ずこの社会から犯罪の根絶につながり実際起こってしまったときの犯罪被害者支援の拡充につながると私は信じています。
私の話に耳を傾けてくださってありがとうございました。
※本講演録は、第15回犯罪被害者等施策講演会における講演の概要をまとめたもの