1 相談及び情報の提供等(基本法第11条関係)
手記 警察職員による被害者支援手記
警察においては、毎年、犯罪被害者等支援に関する警察職員の意識の向上と国民の理解促進を図ることを目的に、犯罪被害者等支援活動に当たる警察職員の体験記を広く募集し、優秀な作品を称揚するとともに、優秀作品を編集した「警察職員による被害者支援手記」を刊行し、これを広く公開している(警察庁ウェブサイト「警察職員による被害者支援手記」:https://www.npa.go.jp/higaisya/syuki/index.html参照)。
令和5年度優秀作品の中の一つを紹介する。
●笑顔の裏で
警察署勤務 巡査
晴れて実習期間が終わり地域課員として独り立ちした頃、交番も配置換えとなった私は心機一転、やる気に満ち溢れていた。
新しい上司の元で指導を受けながら、検挙に向けて日々勤務していたある日のこと、一人の女性が交番にやってきた。
どうやら上司とその女性は顔見知りらしく、女性は「ちょうど近くを通りかかったので・・・」とはにかみながら挨拶を終えると私の方を見て「あっ、新しく婦警さんが来られたのですね」と嬉しそうに笑った。
上司が「最近はどうですか」と語りかけると、女性は「おかげ様で毎日安心して過ごせています」と続け、世間話を十分程度したのち、女性は穏やかな表情を浮かべたまま帰っていった。
女性が帰った後、上司は説明を求めるような私の視線に気づいたのか
「もう二年くらい前になるかな、あの女性は旦那さんが不在の時に、自宅に侵入してきた男と鉢合わせになったんだ。逃げた犯人は結局見つかってないし、なんのために侵入したのか分からないままだけど。自分は定期的にパトロールカードを投函しているんだけど、それにすごく感謝してくれていて・・・」
と教えてくれた。
その女性は月に一度くらいの頻度で交番を訪れては、私たちに近況を話してくれた。
女性はいつもにこにこと笑っていて、「小学生の娘も警察官になりたいと言っているんです」と楽しそうに話していたのを覚えている。
それからというもの、上司とペアでパトロールにつく日の夜間帯は、必ずその女性の家に行きパトロールカードを投函するという日々が始まった。
しかし、次々と職務質問で検挙していく同期生を横目に「早く実績を残したい」という思いから当時の私は常に焦燥感でいっぱいだった。
「事件は二年以上も前のことなのに」
「まだ投函する必要はあるのでしょうか」
「この時間にもっと職務質問をして、他の検挙を目指したほうがいいのでは」
住宅街を周りながら、そんな言葉たちがいつも私の喉元まで出かかっていた。
ある日深夜のパトロール中、住宅街において不審者の目撃通報があり、その日ペアになった先輩と共にパトカーで急行した。
発生場所を地図で確認すると、あの女性宅近くの住宅街だと分かった。
「これで被疑者を見つけられたら、検挙につながるかもしれない」という思いから私は積極的にパトカーの赤色灯を回した。
無事現場に到着し、通報者から詳細を聴取したあと、私たちは付近を徒歩で検索することにした。
先輩と別れ、住宅街を警戒しながら歩いていると一人の近隣住民と思われる人物が懐中電灯を持って、私のいる方向に向かって走り寄ってくるのが見えた。
暗かったこともあり、私は何事かとじっと目を凝らしていると、その人は嗚咽交じりで
「ああ、○○さん、○○さんだ、よかった」
と言葉を発した。
私はその声を聞いて初めて、その人が誰だかわかった。
いつも身綺麗にして交番に来るあの女性が、顔をぐしゃぐしゃにして号泣していたのである。
どうやら女性はサンダルにパジャマ姿で自宅を飛び出してきたようだった。
「パトカーの光を見て、また何かあったのかと思って・・・」
その言葉から、上司が女性宅の直近でいつも赤色灯を消す理由に気付くとともに、私は今視界の隅で煌々と光っている赤色灯を見て激しく後悔した。
私が普段、交番で見る女性はいつもにこにこと笑っていた。
笑っていたから、私は「この人は大丈夫、きっともう立ち直っている」と勝手に思い込んでいたのである。
女性の中で二年前の事件は決して終結しておらず、一番安心する場所であるはずの自宅で怯えながらこの二年間生活していたのだと思うと、ぎゅっと胸が苦しくなった。
それからというもの、私は異動するまでの間、上司同様パトロールカードを投函し続けた。
パトロールカードには一言程度のメッセージを書き加えたりもして、交番に来訪した際もさらに丁寧な応接を心がけた。
些細なことではあったが、あの夜をきっかけにして、些細な事でも私にできることはあると気づかされたのだ。
きっと上司もそれを理解していて、この二年間雨の日も雪の日もカードを投函し続けていたのだと思う。
被害を実際に経験していない私たち警察官が、被害者と同じ立場になることはできない。
ただ被害者の苦しい心の内を聞き、相手の求めていることを察して寄り添うことはできる。
この一連の出来事は、被害者に対し警察ができることは本当に少ないが、だからこそできることは精一杯やろうと心に誓うきっかけとなった。
数年後、私は晴れて希望していた交通課の事故捜査係に配属された。
配属後わずか半年間のうちに、片手では収まらない人数の死亡事故に遭遇した。
遺族に対し、電話口で被害者の状態が思わしくないこと、事故の状況を説明すること、そのどれもが心が重くなることばかりだった。
今まで対応した遺族の誰もが淡々とした表情で、その場で泣き崩れたり怒ったり、感情を露わにすることはなく、諦めたような笑いを浮かべる遺族すらいた。
しかし、昨日まで元気に仕事に行っていた人、楽しく家族で団らんの時間を過ごしていた人が突然冷たい遺体となって目の前に現れるのだ、悲しくないわけがない。
人はあまりの悲しみやストレスにさらされると、自己防衛のため感情が表に出なくなるのだと聞いたことがある。
一見して元気そうに見える被害者やその遺族の心の中にどんな気持ちが隠れているのか、推し量ることはとても難しいと現在も痛感し続けている。
数年前の私はパトロールカードという一枚の紙でしか被害者を支える術を知らなかったが、現在は被害者支援員という立場を担っている。
担っている以上、様々な行政機関や支援制度を学び、被害者と支援を繋げるはしごを架ける方法を考え続け、被害者が本当に笑えるようになる日をともに目指さなければならない。
「笑っていても心は泣いている」
時々忘れそうになるが、そのたびにあの夜のことを思い出したいと思う。