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第2部 第4次犯罪被害者等基本計画に盛り込まれた具体的施策の進捗状況
第1章 損害回復・経済的支援等への取組

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4 雇用の安定(基本法第17条関係)

講演録 犯罪被害者等の置かれた立場

北口 忠(犯罪被害者御家族)

皆さん、こんにちは。今から19年前、遭いたくもない事件で娘を亡くした父親です。

事件・事故は様々ですので、今日は私一個人の考えとして話をさせていただきます。

大きく分けて、事件後の状況と解決、支援、二次的被害、皆さまの安心安全、事件解決の協力、最後に裁判についてです。

まず、我が家の事件ですが、2004年(平成16年)10月5日、広島県廿日市市の自宅で発生しました。世界遺産の宮島がある市で、どちらかというと田畑が残る地域であります。平日の火曜日、普段であれば娘はいない時間でしたが、その日から試験が始まり、なぜか弁当も食べず家に帰ったがために、犯人の目に留まり、事件が発生した、そういう突然に起こった嫌な事件です。

その時、家にいた妹はすぐ逃げ、私の母は犯人に追いかけられ刃物で十何箇所刺されましたが、一命は取り留めました。

事件直後は私自身、嫌な夢の中にいる気持ちが大きく、たまに外に出ても周りの方と目が合っても挨拶がしづらい感じでした。自宅の横の通学路を高校生が自転車で通っていたのが、事件後は別の道を通るようになって、娘と同じ年代の生徒さんを見ることはなくなりました。

事件から2週間ぐらい、家族は家でずっと過ごしました。ボーっと過ごすのもつらいし、何個もジグソーパズルを親子で作った記憶だけが残っております。そんな時でも母親は子どもには笑顔で接し、ご飯を作り、部屋を掃除し、洗濯する。どんな気持ちでやっていたか私にはちょっと想像もつかない。つらいことだったろうと思っております。なかなか事件は解決しなかったので、犯人と遭遇した妹を学校から一人で歩いて帰らすわけにはいかんので、小学校、中学校、高校は、うちの母親が車で送り迎えしていました。後から聞いた話では、「私も友達と歩いて行って、歩いて帰りたかった」と言っていました。記憶に残っているといえば、妹が長女と同じ高校に行って同じ制服姿を見た時、重ねてはいけないですけど、何ともいえない気持ちになったというのがあります。

事件が起きた10月と娘の誕生日の7月が苦手な月になっております。娘と別れてから行けない場所もできました。今は中止になりましたが、宮島の花火大会を娘と見に行って楽しんでいたのが、事件後は花火を見る気持ちになれず、ずっと音だけ聞いて過ごしてきた、そんな状況になっております。

事件は2018年(平成30年)4月13日に解決しました。事件が解決しても、変な話ですけど、仕事で書類に人の名前を書くのに、名字が犯人と同じだと書きづらいんです。犯人の名前は覚えたくはないけど、一生忘れることはない、そんな感じになっております。

支援してくださる方の力が大きいから、今も変わらず元気で生活できていると思い、本当に感謝するばかりです。特に事件に遭った早い時期の支援です。当日の夜、廿日市署と被害者対策室の方とお会いして、すぐ冊子を渡され、「今ここで冊子の中身を説明してもたぶん理解できないでしょうし、右から左に聞き流されるだけでダメですから、まずなくさないように」「何か困った時に冊子を見て、わからなかったら、すぐ連絡してください」と言われたのを、今でもはっきり覚えております。

気になったのが、妹にずっと学校を休ますわけにはいかず、いつのタイミングで学校に行けばいいのかということ。相談したら「いつからでも登校していただいて大丈夫です」という連絡を受け、安心して学校に行けましたし、学校側の対応や友達もよかったと思います。妹は学校に行きたくないとか、そんなこともなく、すごく助かっております。家族に対するケアはよくしていただいたと思います。人が亡くなるような事件では、被害者や家族はもちろんのこと、娘のように高校生であれば、同じクラスの方の支援も必要だと……これは今だから考えられることで、当時、私はそこまでの余裕はなかったです。

支援は助かります。私の場合、話した時に答えてもらう、話だけ聞いていただきたい時があるので、うんうんと、うなずいていただくだけで十分と感じております。その辺、支援の仕方は難しいと思うんですが、皆さん、しっかり支援していただきたいなと思っております。ただ、支援していただく中で苦手なのが、「遺族」という言葉が時々出ます。私の場合、無理と思っても、まだ娘に会えるんじゃないかという気持ちがありますので、遺族と言われると、もう完璧に否定されるので、遺族という言葉は避けていただきたいです。こっちが涙をグッと我慢して話すのに、逆に涙を流されると、こっちもたまらない面も出てきますので、できれば涙は禁物、そういう思いで聞いていただきたいです。

支援の中には報道関係の皆さんの御協力も確かに大きいところがありますが、本音を言いますと、できればそっとしておいてほしいという思いはありました。ただ、未解決事件の場合、一番不安なのが事件の風化です。それと事件を早く解決するためには情報提供がすごく必要になりますので、どうしても対応せざるを得なかった。報道関係の皆さんの力が大きいので頼ってしまう、そんな感じではあります。

国の制度による支援の中に、未解決事件の場合は報奨金制度がありまして、これは犯人につながる情報を提供された方に報奨金が支払われるという制度です。国のお金でチラシを作って配布していただけますので、すごく助かっております。2010年(平成22年)の法改正で時効が撤廃され、いつまでも犯人を追い続けることができるようになりました。ただ、20年、30年でも追い続けられるけれど、残された家族には命の時間があります。「宙(そら)の会」という未解決事件に関する会にまだ所属しておりまして、その会で家族の皆さんと年1回会いますが、高齢の方の顔を見た時には早く事件の解決を願う思いが大きくなります。

もう一つ、都道府県、市町村の支援です。犯罪被害者や家族を支援する自治体の犯罪被害者等支援条例の制定がなぜ必要かといいますと、事故や事件で長期の入院や治療、生活再建の費用が大きな負担となる、それに対して少しでも支援ができるように条例ができています。都道府県ではほとんど制定されていますが、市町村では今年4月時点では全国の35%程度しか制定されていないみたいなので、関係者の皆さんには頑張っていただきたいなと思っております。

次に二次的被害の話です。いろんな方がおられ、仏壇に手を合わさせてくださいと言われる方がいますが、できればそっとしておいていただきたい。報道関係の中には視聴率を取るためなのかと考えてしまうこともありました。最初の頃は、こうしてください、ああしてくださいと言われれば、はい、はいと応えるだけだったけど、最後の方は未解決事件を解決するためにここを強調してと、こちらから言えるようになりました。取材は拒否せず、事件が解決するために協力したという思いは残っております。それから、困ったというか、お金を払えば情報提供しますよという人がいます。宗教団体の方の勧誘が結構激しく、最初の頃は、かなり来られていたと思います。

被害に遭わないために、安心安全を一番に考えていただきたい思いが大きいですね。人の命が奪われる事件を新聞やテレビで他人事として見てしまう。自分の家でも起き得る事件と思った時にはもう手遅れなのです。家の戸締まりは、わずかの時間でも鍵をする癖をつけて身を守るようしていただきたいです。小学校では安全マップ作りで、我が子が歩く通学路のどこに危険な場所があるのか、学校任せにしないで、できれば親として一緒に歩いて確認していただきたい。

次に事件解決への協力ですけど、解決するには情報提供がすごく重要になります。警察に話をするのは難しいとは思いますけど、どんなことでも話していただきたい。皆さんの協力が大きければ大きいほど解決は早くなると思います。

最後に裁判の話です。我が家の事件の場合、初公判が2020年(令和2年)の3月3日で判決が3月18日、犯人が控訴しなかったので4月2日で裁判は終了しました。短い時間だったと思います。何が嫌だったかといえば、裁判ですから被告と同じ部屋に入って同じ空気を吸うし、目の前に娘の命を奪った被告がいます。声を聞くのも顔を見るのも嫌です。それだけは今でも忘れません。娘と別れた瞬間を詳しく聞くのは何とも言えない気持ちだったですね。判決は私が望んだのとは少し違いましたが、それでも受け入れるしかありません。人の命が奪われるような事件の裁判に出るのは、つらく悲しい思いばかりとなりますから、皆さんには絶対に経験してほしくないと願います。

被害者や被害者家族にならないために、自分や家族の命を守る行動を絶対にするようにして、一生悔いの残る生活よりは、笑顔で過ごす生活をされるように、本当に気をつけてほしいと願っております。

※本講演録は、「全国犯罪被害者支援フォーラム2023」における犯罪被害者御家族による講演「被害者の声」の概要をまとめたもの。

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