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第4章 支援等のための体制整備への取組

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1 相談及び情報の提供等(基本法第11条関係)

トピックス 死傷者多数事案における犯罪被害者等支援

専門的な犯罪被害者等支援が必要とされる事件が発生したときには、あらかじめ指定された警察職員(指定被害者支援要員)を派遣し、犯罪被害者等一人一人に対して、各種犯罪被害者等支援活動を行っている。

犯罪被害者等の置かれた状況は様々で、時間の経過とともに直面する問題も変化することから、指定被害者支援要員は、その支援が犯罪被害者等のニーズに即した適切なものになっているのか、かえって二次的被害となるようなことになっていないかなど、様々な思いを巡らしながら支援を行っている。

このような指定被害者支援要員の活動の中から、死傷者多数の事件において支援を担当した職員の体験について紹介する。

1 はじめに

多数の死傷者を出し、世間に大きく報じられた重大事件。

事件当時、私は被害現場を管轄に受け持つ警察署警務課の被害者支援担当だった。

事件発生直後から約1年にわたり犯罪被害者等支援活動に従事してきたが、その中で、その時々に感じたことを書き起こしてみた。

2 認知

思い返せば事件発生当日は、当直明けの日。

急に電話交換台と指令室が慌ただしくなり、「詳細は分からないが被害者が多数いるようだ。」と同僚に教えられた。

通常、警務課員が事件現場に臨場することはないが、「負傷者多数」と現場から緊迫した無線が届くにつれ胸騒ぎがし、被害者支援担当としてとにかく現場に行かねば、と車に飛び乗った。

道中、これまで見たことのない数の緊急車両が行き交う様から現場に近づくにつれ不安が募っていく。

付近に到着して降車すると、すぐに数十人もの人々が応急手当を受けているのが目に留まる。

救助された人や救急隊員、付近を交通規制する警察官等でごった返す中、全体の状況を把握せねばと、辺りを見回すと、黒いトリアージ(不処置群)札が目に入った。

遺体だった。

当直明けの眠気は一気に吹き飛んだ。

手当を受けていた一人が、「事件現場には、まだたくさんの人がいると思う。」とうめくように言う。

これまで見たことがない光景に全身が総毛立つ思いだったが、今できることをするしかないと自分に言い聞かせ、つらそうな負傷者一人一人に、「頑張れ。頑張るんだ。大丈夫。大丈夫だからな。」と声かけた。

そうすることしかできない自分に無力さを感じた。

現場から一体、また一体と遺体が運び出されていく。その非日常に、張り裂けんばかりの感情が私を覆い尽くした。

3 遺体安置

死亡者多数につき、受入れ可能な医療機関がなかったため、多くの遺体を収容できる施設を確保し遺体安置場所に指定した。安置場所の設営と遺族の受入れ準備を整えると遺体の搬送に携わった。

遺体安置場所に簡易検視台が置かれ、検視が行われていく。

遺族にはとても見せられない変わり果てた姿。

検視が終わった遺体を安置して手を合わせる。

目の前の光景に目頭が熱くなるが、私は被害者支援担当なんだと感情を抑え込む。

このときには当直明けであることもすっかり忘れ業務に没頭していた。

全ての遺体を安置し終わったのは翌朝午前6時過ぎ。体は鉛のように重く感じたが遺族のことを考えれば体を休めることなどできないことも分かっていた。

4 対策室設置

発生から一夜明け、遺体安置場所の一角に被害者支援現地対策室が設置された。

対策室には、被害者の家族と思われる方々が多数来訪し、「ニュースを見て昨夜から息子(娘)に電話しているが連絡がとれない。どうなっているのか教えてください。」と詰め寄られる。

捜査担当者からの話で、損傷が激しい遺体があり、身元判明に時間を要することは分かっていたが、不安そうな家族の表情を見ると被害者支援担当として何かできることはないかと必死に考えた。

家族の負担を少しでも軽減できれば。

そこで、亡くなった方を1日でも早く家族の元に返してあげられるように、来訪された家族の方から順次DNAの採取に協力してもらうことはできないかと捜査担当者に提案した。私と同じく捜査担当者の誰しもが、事件で無念にも亡くなった方や家族の心情は痛いほど理解していた。

その日のうちに科学捜査研究所からDNAの採取キットが届いた。待機されている家族の方に、捜査担当者とともに事件の概要説明とDNA(口腔内細胞)の採取の協力依頼を行う。

「なんでDNAを採るんだ。」「こどもは死んだのか。」

「今どこにいるんだ。」「説明に納得がいかない。」

等と泣くような表情で訴えかけられる。至極当然な反応だ。

私も一人の親。

迅速な捜査と家族の負担軽減のためにも速やかなDNA照合が求められていたが、家族の気持ちを考えれば、到底受け入れられない死というものを、間接的に伝えている気がして、何とも言い表せない気持ちになった。

5 非常招集体制

非常招集体制

死傷者多数事案発生時には、各所属から招集をかけることとなっており、被害者支援現地対策室には、連日、大勢の警察職員が招集される。捜査担当者や本部被害者支援室と調整しつつ、招集された職員にその日の支援対応を割り振った。

ある者には、負傷者の入院先に向かい、家族と面会。

ある者には、遺品整理のための遺族の送迎。

ある者には、遺族による献花の送迎。

本音を言えば、自らの手で、自らの目で、自らの言葉で、全ての被害者や遺族対応をしたかったが・・・。

遠方から来られる負傷者の家族や遺族もおり、負担を減らすため、可能な限り24時間対応できるような体制づくりに細心の注意を払った。

半日、時には一夜を明かすまで対応を求めることもあったが、招集された職員からは誰一人として不平や不満の声は聞こえてこなかった。中には見知った顔もあった。警察学校の同期生。過去に一緒の所属だった同僚。「どこでも行くよ。」「何でも言って。」と声を掛けられる。心強かった。

ある日、全く面識のない職員から「休んでないんじゃないですか。お体大事にしてくださいね。」と栄養ドリンクをそっと手渡された。涙が出そうになった。

差し入れていただいた方には申し訳ないが、私にとってかけがえのない宝物になっており、いまだに開封せず仕事場のデスクに飾ってある。

月並みな言葉に聞こえるかもしれないが、このときほど同じ警察で働く仲間の存在を身近に感じたことはないし、招集された職員されていない職員も含め、被害者支援への熱い思いというものを肌で感じたことはなかった。

6 遺体確認

捜査担当者とともに数回に分けて遺族と

「事件の概要」「死因」「DNA型鑑定結果」

「荼毘に付す場所」「氏名が公表されるタイミング」

「埋葬許可」「遺体の確認」

についてやりとりをする。

遺体の損傷が激しいため、遺体を確認することは勧められないと説明したが、ある父親が覚悟した表情で「私だけでも見ます。」と答えた。

遺体安置所に家族を案内すると、それまで気丈に振る舞っていた父親が棺に突っ伏し、もう戻ってくることのないこどもの名前を叫び続けている。

母親は家族に支えられながら、

「私のこどもじゃないから。」

「こどものはずがない。」

「起きてよ。起きなさいよ。」

「一緒に帰るんだから。」

と叫び続けている。

もし我が子だったらと思うと、慰めの言葉が見つからない。

いつしか涙が溢れそうになる。

ただ遺族に気づかれないよう天を仰ぎ立ち尽くすしかない自分がそこにいた。

7 追悼

事件から数か月が経ったころ、犠牲者追悼式が行われた。

式場から少し離れた場所を担当していた私からは、遺族の姿が遠巻きに見え、読経がかすかに聞こえる。様々な感情が私の中を駆け巡る。

式が終了すると、一組の夫婦が駆け寄ってきた。

「娘のためにいろいろとお力添えいただきました。遺品の携帯電話も返ってきましたよ。本当にありがとうございました。」と一言声をかけられる。

タイトなスケジュールの中、感謝の意を伝えていただいたことで、ほんの少しだが寄り添えた気がした。

8 おわりに

多数の死傷者を出し、人々の記憶に強く刻まれた重大事件。警察官としても、被害者支援担当者としても、まさかこのような大規模事件の支援を受け持つとは想像すらしなかったし、心の準備もできていなかった。

そんな私だったが、文字通りもがきながら、心の葛藤を抱えながらも、家族を含め同僚・仲間からの助けがあったからこそ支援活動を進められたと思う。

計画が思うように進められず頭を抱えたこと。

やり場のない怒りを遺族からぶつけられ返す言葉が見つからなかったこと。

日に日に傾聴の大切さを実感したこと。

恐らくは、警察人生においてこのような体験をすることは二度とないだろう。

だからこそ、今回の支援を通じて感じた気持ち、感覚は生涯大切にとどめておきたいと思う。

そして、大きな山場は越えたとはいえ、被害者支援に終わりはない。

私自身いまだ手探り状態だが、被害者や遺族に寄り添う支援活動をこれからも続けていきたいと思う。

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