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第3章 刑事手続への関与拡充への取組

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1 刑事に関する手続への参加の機会を拡充するための制度の整備等(基本法第18条関係)

講演録 ある日突然、最愛の母を奪われて ~残された兄妹の想い~

栗原 一二三(犯罪被害者御遺族)

栗原 一二三(犯罪被害者御遺族)

● 事件から10年が経過する

事件があったのは2012年8月25日。事件から10年が経過しました。

8月25日は私たち兄妹にとって非常に大切な日です。とても暑い、夏の1日でした。この日が近づくと必ず親友から連絡をもらいます。私は、その親友の御両親の命日すら思い出せないのに、彼からは必ず母の命日にお心遣いのメール、連絡をいただいております。そして、支援室の方からも必ずお花を頂戴しております。これは10年変わらず、本当にありがたく、感謝してもしきれない出来事であります。しかしながら一方で、10年経過して、周囲にはこの事件を知らない人たちも増えて、やはり皆さんの記憶はかなり薄れてきているのかなとも感じます。

● 事件の概要

事件現場は自宅のキッチンでした。そこにかかっているカレンダーはまだその当時のままです。母親は鋭い刃物で背後から複数回刺され、その一つは貫通していたということを後から聞きました。そのため、私たち兄妹はいまだに最低限の刃物しか使うことができません。日常で包丁を使うということはまだまだできないのが現実です。

事件の1週間くらい前に自宅周辺に不審者情報がありました。その不審者は他人の住居に不法に侵入し、その柵を乗り越えて何か物色していたようで、複数の目撃情報がありました。実は私の母親もその姿を目撃しておりました。

そしてある日、自宅への窃盗事件が発生いたしました。私の仕事中、母親から電話があり、「玄関の鍵がない」「通帳もない」「気持ち悪いから早く帰ってきてくれないか」。勤務時間中でしたので、仕事が終わった後、まっすぐに家に戻り、母から状況を聞きました。そして「とりあえず今日は時間も遅いし、次の日に警察に相談しよう」ということにし、その日は警察への通報はいたしませんでした。

次の日が事件の当日となります。私の職場に警察から電話があり、「妹さんから電話がありましたか?」「1回、妹さんに電話を入れてください」と。何があったのか分かりませんが、とにかく言うとおりに私は妹へ電話を入れました。妹からの返答は、「早く帰ってきて、早く帰ってきて」、それを繰り返すだけです。そのときの妹の声はまるで他人のように、恐怖に打ちひしがれていました。何か自宅でとんでもないことが起きたのだろう。嫌な思いを抱きつつ、上司に断りを入れ、職場から自転車で10分ほどの自宅へ一目散に戻りました。  

自宅に着くと警察車両、パトカー、消防車、警察官、おびただしい方々が規制線の張られた自宅の周辺にいました。私はすぐに警察車両に招かれ、事情聴取を受けました。妹から、母親が刺された、緊急搬送されていると聞いておりましたので、この事情聴取を受けながら、頭に浮かぶのは母親の命はどうなっているのだろうかということです。

事情聴取の後、病室に招き入れられました。そこには4時間前に「じゃあ行ってくるよ」、玄関先で別れた母親が、全く別人となってベッドに横たわっていました。担当の先生からは搬送時には、もう既に心肺停止状態で、おそらくは自宅でほぼ即死状態であったのではと伺いました。これが、私たち兄妹が犯罪被害者遺族としてスタートした瞬間だったのかもしれません。

● 立会人としての自宅の現場検証

立会人として、自宅の全ての現場検証に立ち会いました。目の前で行われる警察の方々の懸命な現場検証。テレビでしか見たことのなかった光景が自宅で繰り広げられました。「悪いのは犯人なのですよ。絶対に捕まえますからね」、警察の方々からの励ましの言葉が、そのときの私たち兄妹にとって、どれだけ心強い言葉だったでしょうか。

● 裁判員裁判への参加

程なく犯人が逮捕されましたが、次に待ち受けていたのはその裁判でした。私たち兄妹は裁判員裁判に参加いたしました。事件の解決のために長男としてできることは全て行う。その思いに全くの迷いはなかったのですけれども、裁判の当事者となって、「非常に理不尽なことばかりだな」と感じました。また国選弁護人制度についても、被害者遺族としては非常な違和感を持ちました。犯人が黙秘をし始めたのは弁護人がついたその瞬間からでした。

犯人には事件について真実を述べてほしい。御自身のやったことの責任を取ってもらいたい。その思いは遺族として切実なものです。それが黙秘ということで、全くその事実が分からないまま裁判は進んでしまいます。この事件では、犯人の衣服に付いた母親の血液が証拠になっているのですけれども、もしかしたら窃盗に入ったときに血液が付着したのではないか。もしかしたら母親は事前に大量に出血をしていたのかもしれない。そのときに付いた血液であって、殺人のときに付いた血液ではないのではないかという、まさに理不尽な証言が法廷で繰り広げられました。なぜ罪を認めないのか。謝罪をしないのか。そもそも事件そのものが私たち兄妹にとってダメージであるにもかかわらず、この裁判でも嫌な思いを強いられるのかと、非常に理不尽な思いをいたしました。

● 職場(社会)復帰して、周囲の反応

事件から50日を経て、ようやく職場に復帰することになりました。事件の立会人として物理的に要する時間や、やはりこの事件のダメージからの回復に時間を要しました。すぐに仕事に戻るエネルギーはありませんでした。

休暇については、前例なきは却下、自分自身の有給休暇にて対応せざるを得ませんでした。本来ならば他のことに使っていいはずの休暇を、この事件のために使わざるを得ず、やはり被害者に対してまだまだ社会が対応していないのかなと、非常に実感したところです。

職場に戻りますと、色々なお心遣いをいただきます。何と声をかけたらいいのだろうか。その重大さゆえに戸惑う周囲の気持ちも痛いほど伝わってきました。

ある人から「そろそろ落ち着いた?」という言葉をかけられました。職場復帰してもう立ち直ったと思われたのかもしれません。決して悪気があるのではないのだと思います。しかし、私は笑いながら「いや、一生落ち着かないかもね」と返答した記憶があります。

やはり一旦職場に復帰すればハンデも容赦もありません。役割に応じた負担は当然のことです。しかし、自分の心の中には、見えないけれど大きく深い傷。決してそう簡単に癒えるものではありません。

● 犯罪被害者支援の輪に入る

しばらくして県警の支援室の方からお声がけいただき、犯罪被害者支援の輪に入ることになります。

「1日も早く、社会復帰したい、元に戻りたい」という思いはたくさんあるのですけれども、一方で、なかなか気持ちがついていかない。この事件を受け入れられず、心の中の整理がつかない。そんなときに支援室の方から「栗原さんに流れる時間の速さは他の人と違うのですよ」という非常にありがたい言葉をいただきました。

ある被害者の方の「まもなく加害者の刑期が終わり、いつかまた世の中に出てくるが、被害者に刑期満了はありません」という言葉も非常に印象的でした。

● 自助グループ「彩のこころ」に参加する

埼玉犯罪被害者援助センターにおいて、2017年5月、自助グループ「彩のこころ」に参加することになりました。失った命は決して戻りません。母親の命が戻ることは絶対に叶わないことであります。「彩のこころ」は同じように理不尽な形で身内の命を失った御遺族の方々と、同じ感情、思いを共有する場となっています。

冒頭申し上げましたけれども、段々この事件に関する周囲の記憶も薄れつつあり、私たち兄妹にとって、この自助グループの存在は非常にありがたいところです。

● 最後に

犯罪被害者遺族になるということは夢にも思わなかった境遇です。しかしながら、テレビや新聞でしか知らなかった世界が現実となってしまいました。母親の事件から10年以上経過いたしますけれども、その間も凶悪事件が後を絶ちません。それは誰もが犯罪被害者になる可能性があるということなのかなと痛感するところです。

事件の数だけ被害者の存在がありますが、支援の輪に加わることができる被害者はほんの一握りです。やはり被害者への救済や、被害者支援のあり方について、もっともっと意識をしてほしい。それにはまずその存在を認識することから始めてほしいと思います。

私たち兄妹が望むことは、被害者も加害者も出さない社会です。そういった社会が来ることを強く願います。

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栗原 穂瑞(犯罪被害者御遺族)

栗原 穂瑞(犯罪被害者御遺族)

当時私は実家から自転車で10分ほどのマンションで暮らしておりました。

母から8月25日土曜日8時6分、私の携帯電話の着信記録です。いつも電話をかけてくる母はとても明るく「はーい、お母さん」、そんな第一声なのですが、そのときは「来て、早く来て」と。とても切羽詰まった声でした。その一瞬で私は何かとんでもないことが起きているのだと感じて、「わかった、すぐ行く」。自転車を飛ばして実家に向かいました。私の記憶では、玄関の鍵はかかっていませんでした。玄関に入りながら、「お母さん、お母さん」、そう言ってキッチンに行ったとき、母の姿が目に飛び込んできました。すぐに私は110番通報します。

これが私が見た事件当日の状況です。その後、犯人が逮捕されるまでには2週間ちょっとありました。

加害者は逮捕された時点で、身の安全が確保されているのだと私は思っています。刑務所へ収監されたとしても、制限のある生活であるとはいえ、更生という未来に向かって様々な工程のカリキュラムを刑務所の中で行っております。加害者にも人権があることは十分理解しておりますが、到底、遺族としては納得できることではありません。

被害者、そして遺族はその日から生活が一変しております。加害者がその安全な警察署で守られている最中、私は恐怖の中にいました。翌日から私のマンションには報道関係者が来ます。報道の重要性は十分理解しております。私もいろんな情報をニュース等で入手するわけですから、とても大切なことだと思います。ただ、そのターゲットが自分になる、それは全くの別問題なのです。

これからどうなっていってしまうのか。犯人はちゃんと逮捕されるのか。私の精神状態は異常でした。電気を消してほんの少しの明かりも漏れないようにカーテンを閉めて、インターホンが鳴るたびに息を潜め、あまりの恐怖で私は刑事さんに電話を入れたこともあります。悲しいという感情は当時ありませんでした。ない、というより、あまりの恐怖と不安で悲しみを感じることはありませんでした。

私は幼少の頃から書道を習っており、年賀状は毎年手書きで4、50人の方に出していました。今はできません。「おめでとう」、そんな言葉を書くことは私にはできません。また母のいない1年が始まる。そう思うと、もう年賀状を書くことはできません。人の集まるところもとても怖いです。人を信じられなくなった。今ここにいる人たちは、犯罪被害に対して、とても興味を持って寄り添っていただいている方だと思いますが、世の中にはいい人ばかりではない。全く見ず知らずの人からそういった被害に遭う。そう思うと人が多く集まるところがとても怖いのです。今は通勤電車もとても怖いのです。不特定多数の人とあの密閉の状態に置かれている。片時も緊張をほぐすことはできない、常に緊張しているような状態で通勤しています。そして何気ない一言にもとても傷つきます。

被害に遭わないでくださいっていうのはすごく難しいことなのだということ、誰にでも起こり得る。私たちもまさかこんな形で母を失うとは思っていませんでした。遺族になってこうやって皆さんの前でお話するなど、夢にも思っていませんでした。ただ加害者がいなければ被害者は生まれないのです。悪いことをしようとしなかったとしても、車を運転する方、自転車でも死亡事故が起きています。ほんの少しゆとりのある、ちょっとでもいいから優しい気持ち、譲り合いの気持ち、それだけでも事故は減らせます。

一度失った命は絶対に戻りません。それは被害に遭った当人だけではなく、家族やその周りの人たちにも影響を及ぼすということ。絶対に加害者を出してはいけない。皆さんが安全に安心して暮らせる、そういった世の中を願います。

※本講演録は、令和4年度犯罪被害者週間中央イベントにおける基調講演の概要をまとめたもの。

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