長崎大会:基調講演

「夢があるから頑張れる!~共に夢見る絆の力~」

前川 希帆(交通事故被害者、長崎県立口加高等学校講師)

中村 明夫(長崎県立佐世保東翔高等学校教諭)

(前川) 皆さん、こんにちは。先ほど御紹介にあずかりました前川希帆と申します。もう当時の事故から7年たったのですが、当時の事故の状況から現在に至るまでの道のりですとか、いろいろな経験をしたことを今日は当時から支えてくださっている中村先生と一緒に話していただけたらなと思っております。本日はどうぞよろしくお願いします。

(中村) こんにちは、御紹介にあずかりました佐世保東翔高等学校の中村明夫と申します。本日はこのような会にお招きいただいて、本当にありがとうございます。いろいろなところでこういう機会をいただいていますが、彼女が事故に遭ってから犯罪被害者支援センターの方であるとか、あと県警の犯罪被害者支援室の方に本当にいろいろとお世話になりました。冒頭にありました音楽隊の演奏会にも招いていただいたり、本当に感謝しています。本日はどうぞリラックスして普段のように対話形式で話を進めていこうと思います。どうぞよろしくお願いします。

 では、以降、着席してお話しする失礼をお許しください。

 まず、彼女と私の出会いは彼女が中学2年生のときでした。吹奏楽部の指導に行ったときに、とにかく、彼女がすごく楽しそうにトランペットを吹いている姿が印象に残っています。なぜ、僕が彼女のすごいところに気付いたかというと、普通、中学生とかって演奏して、間違えたりとか、僕が「それ、違うじゃないか」と言ったら、シュンとなっちゃうんですが、彼女、どんなときでもニコニコするんですよ。だから、「そこ、落ち込むところなんだけどな」と思うときでもニコニコとトランペットを吹いている、間違っても間違ってもシュンとせずに、次から次へと演奏していく、その姿勢に惚れ込んで、私が生まれて初めて高校にスカウトした子です。両親に会いまして、中学3年生のときに「お父さん、お母さん、この子はどこに行っても、そこそこ上手なトランペッターとして活躍できると思います。でも、僕のところに通わせて、僕が3年間指導したら、間違いなく長崎県でナンバーワンのトランペッターにしてみせます。どうぞ、私のところに預けてください」とお願いをした子です。片道2時間以上かけて3年間通いました。3年生のときには、本当にドラマのように個人のコンテストで1位になりまして、長崎県ナンバーワンのトランペッターになりました。もともと彼女は美容師になるという夢を持っていたのですが、そのような流れで音楽に目覚め、高校3年生の8月に、「先生、私、プロのトランペッター目指して頑張ろうと思うんですけど、どうでしょうか」と言ってくれたので、「よっしゃ、任せておけ」と答えました。受験の準備がちょっと遅れたので、僕の母校である大学(くらしき作陽大学音楽学部)であれば比較的、推薦の入試で入りやすいので、そこに行って頑張ろう、プロを目指すぞ、という話をしたのを覚えています。

 それからどのようなことがあったか。当時、長崎文化放送さんが私たちのことをドキュメンタリー番組として取り上げていただきました。本日は、その映像を交えながら、まずこうやって出会った僕たちが頑張ってきて、彼女の第一歩目にどのようなことが起こったか、映像を通して皆様に見ていただきたいと思います。

<映像上映>

(中村) というのが事故までの話です。この映像も本当に事故の3日後なんです。正直、もう、僕はトランペットは吹けないんじゃないかなと思っていたので、彼女と打ち合わせなしでトランペットを持っていって、悲しい顔をするかなと不安でしたが、無邪気に喜んでいたので、逆にすごく胸が痛かったのを覚えています。

 前川は吹けないかも、とかは思わなかった?

(前川) そうですね、事故に遭ったときの記憶というのは今でも無くて、家を出たところまでは覚えているんですけど、家を出て、次に記憶があるのはもう病院のベッドの上という状態でした。私の中では事故に遭ったという実感が正直なくて、もう、夢の中の出来事なんじゃないか、という記憶しかない状態でした。ドラマのワンシーンみたいな感じで、自分のおじいちゃん、おばあちゃんとか「大丈夫だよ」って病院のベッドで声をかけてもらっていました。

 最初に舌で歯をさわったときに、前歯がないというのにすぐ気付いて、先にこの歯をどうにかしてほしいというふうにお医者さんに頼んだのは鮮明に覚えています。右側には母が寝ていて、母は見た目は外傷が全然なく「あ、お母さんが寝ている」と思った程度です。ここはどこなんだろうと思いベッドから起き上がって周囲を見ると、横に大きな液晶テレビがありました。そこに写った自分の顔を見たときに、すごい腫れ上がっていて、「うわっ、不細工だな」というふうに思った記憶もあります。何て言うんですかね、自分は夢の中だと思っていたので、そういうふうな記憶です。

 そのあと、治療が始まると、すごく実感として痛みを感じました。頬が縦に裂けている状態だったんですが、そこにフロントガラスの破片がたくさん刺さっている状態で、唇も3つに横に裂けていて、まず、そこに刺さった破片を取るというところから始まっていたので、すごく痛くて。そんなときに中村先生が到着されて、「大丈夫だよ」というふうに声をかけてもらっていたので、自分としては、一瞬にして、事故があった時間が過ぎ去っていった感じです。

 まあ、傷はいずれは治るし、いつかこの歯が入りさえすればトランペットが吹けるようになるんじゃないかな、というふうには思っていましたね。

(中村) 事故の翌日に「またトランペットを吹きたい」と言ったので、どうなるかわからないけど、じゃ、頑張ろうと決心しました。でも、正直、周りからは厳しい事ばかり言われました。

 「もう、中村さん、あんたの口から諦めさせたほうがいいんじゃないか。無責任に頑張ると言ってどうする。あんな状態で吹けるわけないじゃないか。プロを目指すのをやめて、つい最近まで美容師を目指すと言っていたんだから、そっちの道に戻してやるのが正しい指導じゃないのか」とも言われました。でも、私は、夢さえあれば頑張れる。絶対に諦めさえしなければ、まだ夢の途中なので。もしかしたら、絶対、無理かもしれないけれども「自分が諦めさえしなければ夢の途中」この言葉をずっと胸に生きてきました。

 私も中学、高校のころはやんちゃで、先生達から「おまえはろくな大人にならん」とずっと言われてきました。でも、僕は絶対に、いつか必ず、このような格好をしているし、カッコ付けだし、見栄っ張りだけど、絶対みんなに認められるような大人になってやる、と思って生きてきて実現しました。その僕が今度は彼女のトランペット復活、それに賭けて生きていこうと、そのときに決めました。

 前川はトランペットを演奏するに当たっての不安とかはなかった?治療とかについての。

(前川) そうですね、治療に関しては、どうしても歯がないと演奏ができない楽器なので、歯の治療のことが気がかりでした。頬とか足の縫合が終わった後に歯の治療に入ったときに、歯が根元から全て4本取れた状態なので、まず歯茎が固まるまでは治療ができないというふうに言われました。

 私としてはあんまり深刻には考えていなかったんですけど、早く歯が入って、また楽しくトランペットを吹きたいな、という気持ちで、不安とか、どうなるのかな、というのは全然特に考えておらず、早くとにかく楽器が吹きたいなということだけ考えていました。

(中村) 正直、僕も「トランペット、吹きたいです」みたいに言うので、本当に、どう考えても無理なんだけど、頭、打ったからかなって、ちょっと心配もしました。

 私は音楽の教員ですが、生徒達には「俺は音楽を通して人生を教えている」と常に言っています。私はいつも生徒達に「とにかく俺の背中を見ろ。俺の生き方を見ろ」とずっと伝えています。先ほどの映像にあった歯を探すのも、別にあれは歯を見つけて、その歯を植えようとか思ってるわけではありません。いずれは、インプラントで新しく歯を入れるので、できれば元と同じ形の歯ができれば元に戻るんじゃないかなと思って、歯を見つけさえすれば、その型を取ってもらってというふうに考えてました。また、彼女がとにかく歯を心配していました。彼女は病院のベッドから動けない状態でしたが、彼女がもしも動けたら多分探しに行くだろうし、そうしたら僕も一緒に探すだろうと思います。あと生徒達に言っていることの一つに、「とにかく他人のためにしてやれることは必ずやれ。それも全力でやれ」と生徒に伝えています。自分の余った余力で軽くお手伝いとか手助けって、みんな、できますよね。僕は生徒達には、「とにかく手助けも全力でやれ」と伝えています。この歯を探すことも、彼女の後輩の生徒が見ていました。「先生、朝5時ごろ、佐々駅のところ、いましたよね」「いたよ」「どうしたんですか」「希帆の歯を探している」「あ、そうなんですね、気を付けてください。頑張ってください、先生」というふうに言われました。歯を探すのも本当に私の生き方、そして、その生き方を見た生徒達は同じように他人のためにでも全力を尽くしてもらえるような人間になってほしいという願いを込めているものでもあります。

 あと、犯人というか、加害者についてですが、たまたま彼女の父親と同じ高校に通っていた方でした。この事故の前に飲酒でひき逃げをして、免許取り消し、懲役2年6か月、それに執行猶予が付いているときのこの事故でした。私は、生徒達に「過去は変えられない。未来は変えられる。過去のことをくよくよするな」と常に言ってきたんですが、このときばかりは本当に、失礼な言い方かもしれませんが、執行猶予付きでなく実刑であれば起こっていなかったのかな、って考えました。あと、事故から数日間は、僕が彼女に音楽大学の受験を勧めなければよかったのかなとか、元を言えば、彼女を高校に誘わなければよかったのかな。じゃ、僕が音楽の教員にならなければよかったのかな、僕が音楽をしなければよかったのか……。もう、本当にあり得ない話ですけど、過去を変えたいと思うような、不思議な心境にもなりました。

 前川は、こうなって加害者に対して、怒りとか恨みとか、そういう感情は無かったの?

(前川) そうですね。私も事故に遭ってから、相手の方と会うことはなかったし、亡くなった方もいなかったですし、私としても怪我はしたんですけど生きていたので、特に相手の方に対して何か強く恨んだりとかいうのは、当時は思っていなかったです。

 ずっと中学2年生の時から中村先生に習っていろんな事を教えてもらっていました。もちろん音楽の面でもたくさんいろいろなことを教えていただいたんですけど、音楽以外のことをたくさん、人間として生きるに当たってすごく大事なことをたくさん教えてもらいました。その中でもよく先生が言われていた言葉に「罪を憎んで、人を憎まず」という言葉があります。いろいろなことがあっても、その人自身は悪くないんだよ、というふうなことをたくさんお話をしてもらっていました。確かに今回の自分に起きた事故に関しては、もし自分の母親とか自分の大切な人が命を落としていたら、確かに相手の方に対してたくさん恨んだりとか、返してほしいという感情がもしかしたら湧いていたかもしれないんですけど、今回の事故としては自分は、たまたま生きていたし、こうやって過去の経験があって今があり、自分がいるので、特に今は相手の方に対しては恨んだりとかいうのは特に思ってはいません。

(中村) そう言えば、そういうことを言っていたな。でも、すみません、こういうことを言いながら、僕自身はすごく恨んでいました。なんで、こんなことを、と思っていました。ごめんな、俺、言っておきながら。

 そんな感じなんですが、でも、僕達は一緒に、過去は変えられないので未来を変えていこうと頑張ってきました。退院して、先ほどから彼女と私も言っていますが、とにかく前歯が戻れば何とかなるんじゃないかと思っていました。そして、とりあえずしばらくは入れ歯で演奏しようということになりました。そして、その頑張って入れ歯が入るまで、それで入れ歯が入って待ちに待った、トランペットをまた普通に吹ける日が来るというところまでの映像を御覧ください。

<映像上映>

(中村) 事故に遭ったときよりもトランペットが吹けなかったときのほうが彼女がすごく落ち込んでいたのを覚えています。正直、この時、テレビのスタッフにも「今日、入れ歯が完成する。歯が入って吹けるようになりました」って番組で県民の皆さんに元気出してもらおう、勇気を届けようと言っていたのですが、全く逆の結果になってしまったのをよく覚えています。

 前川もやっぱり、このときはヤバイと思った?

(前川) そうですね。自分の体のことなので、入れ歯が入った瞬間に、あ、もう、これは吹けないだろうな、っていうのはすぐにわかりました。2週間、歯がない状態でずっと過ごしていたら、人間ってやっぱりそれに慣れてしまうんですね。入れ歯が入ったときの違和感と、横の歯に金具を引っかけて付ける入れ歯だったので長時間付けられないくらいの痛さと、食べ物を食べた時の感覚のなさというのが、全然、今までの感覚と違っていました。今までは楽観的に、歯がなくても音が出ていたし、トランペットを吹くことが純粋に楽しいと思っていたんですけど、入れ歯が入って、昨日までできていたことができなくなったときの自分に対しての悔しさとか苛立ちとか、何で私がこんな目に遭わないといけないの、何で私が?と思ってしまいました。中村先生とか周りの家族とか友達とか後輩たちが「頑張れ、頑張れ」って言ってくれていてすごくうれしかったんですけど、あのときは自分にも余裕がなくなっていたし、私のこの気持ちは誰にも分かるはずないって正直思いました。この経験でそれぞれ人には、その人にしかわからない苦しみとか悔しさとかがあると知りました。そういう人の気持ちに寄り添うことができる人間になりたいとも思いました。

 あのとき、初めて自分自身も、あ、こんなに楽器が吹けないことが悔しくて、悲しいんだ、ということは、正直、思いましたね。

 今でも映像を見返しても、あのときは初めて楽しくない、もう吹きたくない、やめたいなというくらい、正直思っていましたね。

(中村) このような感じになりましたが、それからでも、私は、彼女が諦めても僕は諦めないと決めていたし、多分、彼女も、僕が諦めても自分は諦めないと思っていたと思います。二人で、これからも頑張っていきました。

 ただ、この事故に関して、この事故さえなければというのはすごく思っています。私がこの体験を通して、昔からいじめのことを言っていたのを思いました。「いじめ」ってありますよね、子供だけでなく職場でもちょっと嫌がらせだったりとか。今、会場にお集まりの皆さんで「世の中からいじめが完全になくなることは無理だろうな」と思われる方、「完全にいじめを世の中からなくすこと、無理だろうな」「いじめはどこにでもあるよな」と思われる方、今、どのくらいいらっしゃいますか。右手をちょっと上げて頂けますか。

 半数以上の手が上がりましたね、そうですよね。僕がいつも生徒に言っているのは、俺は世の中から完全にいじめをなくすことは、俺にはそんなことはできない。でも、俺は「いじめをしないこと」は絶対にできる。ちょっとしたことでも、こんなことを言ったら傷つくよな、と考えることができる。人間だけがこの世の中で相手の気持ちを思いやってやれる、相手の気持ちのことを考えてあげられるじゃないですか。だから、俺は「いじめをしないこと」はできるんだ。

 いじめの被害者になることはたぶん防げない。私の先輩でもキャラメルを学校帰りに食べて帰っていたところを他の中学校の生徒から見られて、口の中でキャラメルを食べているのが「なんか犬のウンコを食べているみたいだ」と言われて、クソ食い、クソ食いというあだ名を付けられて、通学のときに言われるようになりました。先輩はその他の中学校のやつらと喧嘩をしていたんですけど、そのことが気になって学校に来なくなっちゃいました。このようにキャラメルを食べているだけでいじめられることもある。

 被害者になることは防げない。交通事故もそうですよね。彼女が事故に遭ったから、「じゃ、おまえ、危ないから、外、出歩くな。ずっと家にいろ」と言っても、突然、ヘリコプターが落ちてきたりとか、そういうことも実際には起こり得ます。いじめも、こういう交通事故、飲酒運転も、被害者になることは残念ながら防ぐことができないと思います。でも、私は加害者にならないことは絶対にできると思うんですね。加害者さえいなくなれば、被害者っていなくなると僕は思います。

 だから、生徒達に、「俺はいじめはなくせると思っているんだ。だから、この話を聞いて、ちょっとでもそうだなと思ったら、絶対にいじめをしないでほしいし、今から先に出会う、高校を卒業して出会う同僚にもこういう話をしてほしい。いじめはなくせないかもしれないけど、しないことはできるよな」、こういうことも生徒たちに訴えながらやっています。本当に加害者さえいなくなれば被害者はいなくなる、この言葉を胸に今も生きていっています。

 前川は家族とか、事故に遭った加害者のこととか、話題になったりしたことはないの?

(前川) そうですね、今月、11月3日で事故から7年たったんですね。毎年11月3日になったら、「事故から何年たったね」というのを家族で話をしているんですけど、やっぱり、私たちは生きていたからこそ、今、振り返ってこうだったね、あっという間だったね、という話ができています。

 私も事故に遭ってからやっと実感することができたんですけど、世の中、いろいろなテレビとか新聞などで事故や飲酒運転の報道があります。それ以外の事件に関しても、記事だけ見ると軽傷とか重傷とかいうワードだけ見れば、これくらいなんだなって思っていたんですけど、自分自身が軽傷という報道を受けて、でも、その後も今日お話ししているような、いろいろな感情があります。実際、報道とかあっても、被害者の方のその後というのはテレビとかニュースとかで報道されることはなくて、その方がどんな思いをして今を生きているのか。どんな感情があって、今に至っているのかというのは、やはりその人にしかわからないものがあるんだな、というのはすごく事故に遭って思いました。

 「たら、れば」ではあるんですけど、あのとき、事故に遭っていなかったらこうだったかもしれないなというのは思いますが、自分自身は事故に遭ったからこそ、今の自分自身があり、たくさんのいろいろな方に支えてもらい、出会いがあり、こういう経験ができたなというふうには思っています。家族の中でも、事故の見方、ニュースの見方というのはすごく変わったなというのは思います。

(中村) さっき彼女が言った「でも、事故に遭ったからこそ、出会った人もたくさんいますし」という話をして、ハッとさせられました。彼女のこういう心の強さ、心の清らかさが私もすごく勉強になったなと思っています。

 先ほどの映像、すごく、トランペットが吹けなくなって、暗いバス停に向かうシーンで終わりましたが、いつも講演の時には映像はここまでなんですが、本日はこのようなコロナ禍中にお集まりいただいていますので、この後、まだ、全然上手ではないんですけど、先ほどの全然吹けなかった状態とは違う、最後に彼女が高校卒業前にここまで吹けるようになったという姿をまた映像で見ていただきたいと思います。

<映像上映>

(中村) というわけで、トランペットは今でも頑張って続けてはいますが、事故に遭う前にはまだ戻っていないのが現状です。でも、これからもまだ頑張っていこうと思います。前川、何か最後に。

(前川) はい。今、いろいろな映像を見ていただいたんですけど、今も実際にトランペットは吹いています。今は口加高校というところで音楽講師として生徒にも音楽を教えたり、部活も吹奏楽部を指導しています。大学生のときに、あの状況で大学に入学したときに、常に最初のころは自分を他人と比べて、この人はこんなにうまく吹けるのになんで自分にはできないんだろう、なんで自分はこんな音が出せないんだろうと、本当に大学に入ったときは音楽が楽しいと思えませんでした。ずっと、吹きたくないな、みんなに自分の音を聞かせたくないなと思っていました。しかし、ある日、自分で練習しているときに、昨日まで出せなかった音が出せているというのに自分で気付き、「人と比べず、自分は自分のままでいいんだ」って、初めて自分の中で思うことができて、すごく心が楽になりました。昨日の自分より今日の自分がどれだけ成長できたか、というのが大事で、人と比べなくていいんだって思ったときに、すごく、心からトランペットを吹くのが楽しくなりました。

 高校を卒業し、大学に入ってからも中村先生には、たくさん支えてもらいました。くじけそうになり、地元に帰ってきたとき、前と変わらず私だけでなく、生徒のみんなを支える中村先生の姿を見たときに、自分も誰かを支える人になりたいと思いました。同じような経験、苦しみを持っている人に寄り添える人になりたいなと。事故に遭う経験というのはなかなかできないし、この経験を活かして、教員という道を歩もうと決めました。決してプロのトランペットを諦めたというわけではなく、こういうふうな人になりたいなと正直思って、今、教員として生徒に教えています。

 生徒にもよく言っている言葉があって、自分達が生きている「今日」というのは、例えば病気とかで生きられなかった人、生きたくても生きられなかった人の「今日」なんだよ、というのはすごく伝えています。その貴重な「今日」だからこそ、一所懸命生きないといけないし、このあと、自分自身に何が起きるのか、明日どうなるのかなんてわからない、当たり前の毎日が来るとは限らない。「今」を一所懸命生き、大切にしないといけない、というのはすごく伝えています。

 事故を通していろいろなことを経験させてもらい、事故に遭って良かったとは言えませんが、自分自身としては事故に遭ってからこその経験がたくさんできたので、それを活かしながら、またこれからも諦めずに頑張っていこうと思います。トランペットのほうも必ずまた、前以上にうまくなって、いつか自分の演奏で恩返しができていければ、と思います。

(中村) 彼女の話を聞いていて、本当に彼女の話の節々に私がしゃべった言葉があるのですごくうれしく思います。私は新入生にこう伝えます「これから3年間、俺と一緒に吹奏楽をやる。俺、本気でやる、本気で頑張るから一緒に頑張ろう」と。生徒と私は他人で、血はつながっていません。しかし、一緒に頑張っていけば、必ず同じような血が流れていくと信じています。そこで受け継いだ想いを必ずまた誰かに伝えてくれると信じて。

 今日、彼女の話を聞いて、僕は彼女に出会って良かったな、私が伝えたことが本当に伝わっているなと感じました。

 これからもいろいろなことがあると思いますが、私自身、そして彼女自身、人々の心に寄り添って、犯罪被害者の方はもちろん、被害者の方だけでなく、いろいろな人の心に寄り添って支えていきながら、自分の経験を語り、生きていきたいなと思います。

 私たち、部活動も頑張っています。学校の教員として、先生として、私、先ほど言いましたが、昔は先生という生き物が嫌いでした。「先生なんて先に生まれただけじゃないか」と思っていました。でも、今は違います。私は「先を生きていく人間」として精いっぱい頑張って生きていって、また彼女のような強い、優しい人間をたくさん育てていこうと思います。

 雨の日も風の日も、私も前川希帆も部活動を頑張っています。皆さんも何かきついとき、つらいとき、「でも、多分、今日も明夫と希帆はどこかで部活頑張っているんだろうな」なんて思って元気を出していただけたら幸いです。

 今日は本当につたない話でしたが、私達の話を聞いていただいて本当にありがとうございました。これからも本当に頑張り続けて、皆様に感動をお届けすることをお約束して、この話を閉じたいと思います。本当にありがとうございました。

(前川) ありがとうございました。

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