中央イベント:基調講演

「長男を亡くした事故から4年~朝顔に交通安全の願いを込めて~」

高田 香 (犯罪被害者御遺族)

 皆さん、こんにちは。私は高田香と申します。本日はこのような貴重な機会に私をお招きくださいまして光栄です。ありがとうございます。

 私は2016年に交通事故で長男謙真(けんしん)を亡くした犯罪被害者遺族です。事故からあっという間に4年が経ち、本日もいらしてくださっている行政機関の方々に支えていただき、このように元気に回復いたしました心より感謝申し上げます、ありがとうございます。私は悲惨な交通事故が起きないようにするには、焦らずに、気持ちのゆとりを持って、優しい気持ちで生活することから始まるのではないか。と思い、中学校、高校での講演を中心に交通安全、命の大切さを呼びかけております。また、亡くなった長男の残した朝顔の種に交通安全の願いを込めて、多くの方に育てていただいております。

 本日は、3つのことをお話しいたします。1つ目は、事故当日から刑事裁判までを朗読するようにお話しいたします。そのあと、長男の残した朝顔の種についてお話しいたします。2つ目は、私を支えてくださった犯罪被害者支援、私が元気に回復した理由についてお話しいたします。3つ目は、私の希望をお話しいたします。どうぞよろしくお願いいたします。

 それでは、1つ目からです。まず、どのような事故だったかをお話しいたします。当時、小学校1年生の長男が下校途中に青信号の横断歩道を横断しているときに、右折してきた2tトラックに衝突してしまったという事故です。事故の原因は、加害者の前方不注意です。

 こちら、アニメーションをつくってきましたので、上のほうのトラックと下にある黒い人影なのですが、こちらを今動かして御覧いただこうと思います。

<アニメーション上映>【スライド2,3】

 こういう事故だったのですね。

 次が、事故発生状況報告書というものを綾瀬警察で作成していただいたものを私が分かりやすいように略図にしたものです。上のほうの黄色い長方形がトラックの図になって、青い矢印がトラックの動線、黄色い下の歩道というところにある黄色い矢印が謙ちゃんの動線で、トラックと謙ちゃんがぶつかったところが緑色の丸とバッテンのところになります。下のほうに記載されている車道幅5.4mは謙ちゃんが横断しようとした横断歩道の距離になります。

 次は、謙ちゃんが渡り切れなかった横断歩道の写真【スライド4】なのですけれども、下のほうに黄色い帽子をかぶった男の子のイラストがあるのですが、今回、謙ちゃんの写真を御紹介できなかったので、少し長男、謙ちゃんのことを紹介させてください。私の背は今164 センチで、謙ちゃんの背丈は130センチで、私の肩くらいで、体重は26キロで、ほんとスマートで、笑うと右頬にえくぼができて、本当に可愛い男の子だったのです。

 事故現場の横断歩道のほうに話を戻しまして、横断歩道の距離は5.4mで、幅が4mだったのですね。横断歩道を2.1m渡ったところで、謙ちゃんとトラックが衝突してしまったという事故で、5.4mという横断歩道の距離がどれくらいだったのかというのを今こちらで再現いたします。(ステージ上にて)黄色いコーンがここに並べられております。私の歩幅で8歩が5.4mです。ここが横断歩道の初めだとすると1、2、3、4、5、6、7、8、ここまでです。2.1mは私の歩幅で3歩です。1、2、3、ここでぶつかってしまったという事故で、謙ちゃんは、先ほどの事故発生状況報告書の黄色い矢印がこちらから来たとして、ここを渡ろうとして、向こうから右折してきたトラックにはねられてしまったという事故になります。

 こちらは、トラックが来た動線の違う角度からの写真【スライド5,6】になります。

 次は、加害者のほうから運転席からどのように見えたのか、御覧いただこうかと思いまして、動画を撮影してきました。車種は違いますが、2tトラックの運転席の目線の動画になります。では、ちょっと動画を動かしてみます。音は切ってあります。

<動画上映>【スライド7】

 こちらは、本当に御覧いただいてお分かりだと思います。何の変哲もない、どこにでもある横断歩道で、信号が変わるスピードが速いわけでもなくて、交通量が多いわけでもないという、本当に普通というか、何の変哲もない横断歩道で、私はこちらの動画を撮影しているときに、「あ、謙ちゃんはこんなところで亡くなってしまったのだ!」って率直にそう思いました。

 次が、事故現場の交差点の違う角度からの写真です。事故直後、私はこちらの交差点で加害者の方に謝罪を受けたのを今でも覚えています。

 今から事故直後から刑事裁判までを朗読するようにお話しいたしますので、頭の中で想像しながら聞いていただければうれしいです。では、よろしくお願いします。

 (事故直後から刑事裁判)私は長男の謙真を2016年2月15日に交通事故で亡くしました。謙真は下校途中の午後2時45分に青信号の横断歩道を渡っていたところ、右折してきた2tトラックにひかれ、自宅から約200m離れた交差点で交通事故に遭ってしまいました。

 あの日は曇り空で小雨が降ったりやんだりしていました。謙真の下校時間になったので、私は傘を持って学校に迎えに行こうかと迷いましたが、折り畳み傘が学校に置いてあることを思い出し、家で一人、謙真の帰りを待っていました。しかし、いつも帰ってくる時間の3時を過ぎても帰ってこない謙真が私は少し心配になりました。すると、ブーブーとマナーモードの私の携帯電話が小さな手提げバックの中で鳴りました。そのとき、何となく嫌な予感がしました。電話に出ると謙真が交通事故に遭い、救急車で運ばれていると伝えられました。その叫ぶように伝える声に私は驚き、動揺し、搬送先の病院を聞いてもメモすることができず、もう一度電話を掛け直しました。気が動転しているのと怖いのとで心臓だけでなく、体全身にドクドクと鼓動が響きわたっていました。私は慌てて靴を履いて、いつもの謙真の帰り道をたどって走っていきました。しばらく走っていくと見慣れた交差点一帯は通行止めになっていて、パトカーが何台も停まり、警察官の方が何人もいました。「謙真は大変な事故に遭ったのだ!」私はすぐに分かりました。私はその場にいた警察官の方に自分が被害者の母親であることを伝えました。すると、見知らぬ男性が私に歩み寄り、大きな声で「すみませんでした。」と言って頭を下げました。その男性は加害者で、男性の背後には大きなトラックが停まっていました。私は早く搬送先の病院に向かわなくてはいけないという焦りがあり、更に今起きている状況に混乱して、どうしてもタクシーを停めることができませんでした。その姿を見ていた警察官の方が、車で病院まで私を送ってくださいました。搬送先の病院に着くと、謙真は意識があったり、なかったりを繰り返し、検査のあと集中治療室に入りました。私達は待合室で待っていることしかできず、謙真がこんなに大変な目に遭っているのに、私は何もしてあげられない、どうか息子を助けてあげてくださいと神様に祈るしかありませんでした。

 そのあと、何度かこの病院の方が謙真の病状を伝えてくださいました。しばらくすると、謙真が背負っていた黄色いカバーの付いたランドセルが病院に届きました。そのランドセルの背中の触れる白い部分は謙真の血で真っ赤になっていました。あとから病院に駆けつけてくださった当時の担任の先生が集中治療室にいる謙真に向かい、遠くから「謙真君、頑張れー!!」と大きな声で声を掛けてくださいました。担任の先生は「謙真君に聞こえるかもしれない。」と言ってくれ、私も一緒に声を掛けました。しかし、病院の方の謙真の状態を伝えてくださる回数も徐々に減っていき、事故から 7時間後の午後9時34分に謙真は息を引き取りました。数時間が経ち、医師に呼ばれた私達家族が集中治療室に入ると、室内は血だらけでした。「息子さん、つらい治療を一人で頑張ったのですよ。褒めてあげてください。」と病院の先生は言ってくれました。小さな顔に人工呼吸器がつながれ、目をつむって謙真は上を向いて寝ていました。謙真の小さな頬に触れてみると、柔らかくて、まだ温かいのです。医師から謙真の死を告げられましたが、実感がありません。謙真は本当に亡くなってしまったのだろうかとそのときは夢の中にいるのか、現実なのか、分かりませんでした。ただ、謙真は上を向いて寝たままで、名前を呼んでも全く動いてくれませんでした。

 そのあと、私達は病院から謙真の遺品を受け取りました。その日の朝、学校へ着て行ったエメラルドグリーンのダウンジャケットは、背中の部分と左腕の脇の部分はこすれて穴が開き、中から白い羽が出ていました。私はあんなに大きなトラックが上に乗って、どんなに痛かっただろうと想像すると謙真がかわいそうで涙が出てきました。私達は病院に泊まり、次の日の朝、帰宅しました。家に帰ると慌てて事故現場に向かったときのままになっていて、鍋に入ったままの冷めた料理がキッチンに置きっ放しになっていました。私はそれを見て、昨日、私が作ったものなのだろうかと不思議な感じがしました。昼過ぎになって、私達は綾瀬警察へ向かいました。すると事故を聞いて駆けつけてくださった警視庁犯罪被害者支援室のお二人が私達を待っていてくださいました。お二人は、今後どのように事故の捜査が行われるのか、裁判はどのように進んでいくのかを丁寧に教えてくださいました。謙真はその日の夜に綾瀬警察から自宅へ帰ってきました。それから何日かたち、何が何だか分からないうちに葬儀も終わっていました。その後、急に悲しみがやって来ました。真っ暗闇にいるような毎日でした。一番つらいと思ったのが、私がどんなに努力をしたとしても謙真は帰ってこない、という現実でした。

 当時、中学校2年生だった長女は、事故から1週間で学校へ登校しました。事故後、初めて学校へ登校した朝は「学校、やだな。」と言って家を出ましたが、そのまま毎日登校することができました。朝は家まで迎えに来てくれたり、学校の休み時間になると何気なくそばにいてくれ、独りぼっちにならないようにしてくれた友達がいました。頑張って登校する長女の姿に私は励まされました。

 そして、東京地方裁判所で初公判が開かれたのは2016年9月6日で、事故から7か月後になりました。その後、2回の裁判が行われ、2回目の裁判で私は次のような意見陳述をしました。少し短くしてお伝えします。

 (意見陳述抜粋)『2月15日、下校途中に一瞬で謙真の命は奪われてしまいました。きちんと交通ルールを守って横断歩道を渡っていただけで、何も悪いことをしていないのに、二度と会えなくなってしまいました。今、こうしていても、玄関のドアを元気よく開けて帰ってきそうな気がします。買い物へ行っても、棚に隠れた謙真が「ママ!」とにっこり笑って脅かしに来るのではないかと思ってしまいます。現実には謙真はもういません。謙真はとても優しく、友達の多い子でした。自宅に友達を呼んで遊ぶのが好きで、仲が良かったお友達と家で遊ぶときは、私が飲み物を出す前に自分でお友達に飲み物を注いであげていました。「僕の一番大好きなお友達はコーラが好きなんだよ」とお店で選んであげる謙真の姿が忘れられません。自宅では得意の剣玉と駒回しを自慢げにリビングで私達に見せてくれる、可愛らしい姿が忘れられません。当時、14歳だった長女が搬送先の病院で謙真を看取った際に「こんなに悲しいことがあるんだ。」と小さな声で言っていたのが忘れられません。長女と謙真は7つも年が離れていますが、謙真は長女に本を読んでもらうのが好きで、2段ベッドの上で、二人で本をケラケラ笑いながら読んでいた姿を思い出します。

 謙真がいなくなって悲しさや寂しさ、自分でも分からない感情です。これまでは謙真を起こすことから毎日が始まっていたのに、急にそれがなくなりました。「謙真がいない」という現実を毎朝、突き付けられているようで、急に胸が苦しくなり、家事等が手に付かなくなることもあります。当日、私が何か違う行動をしていれば、今回、事故はなかったのではないかと考えると、母親として我が子の命を守ってあげられなかった自責の念が消えることはありません。

 謙真の残した朝顔の種は、親戚の家、友達の家、通っていた綾瀬小学校で「交通安全の朝顔」として育てていただいて、たくさんの花を咲かせました。私はある本で知りましたが、朝顔は朝の光によって開くのではなく、夜の間の冷たさや闇の深さが朝顔の蕾を開かせるには不可欠らしいのです。私もこの深い悲しみや苦しみをいつか乗り越えて、時間がかかってもいつか朝顔のような人になりたいと思っております。

 加害者の方には、今、ここに謙真がいると思って真実を語っていただきたいと思います。そして、真実と謙真の命の尊厳に基づいて、加害者への適正な厳罰の適用を求めます。』

 と訴えました。最後の裁判となった2016年10月7日に、加害者への判決が出ました。判決は過失運転致死、禁固3年、執行猶予4年でした。私はその判決を法廷の中で聞き、刑の重さは考えないようにしました。それは加害者に罪を償わせるために罰を与えても謙ちゃんは帰って来ないからです。裁判が終わり、私は法廷を出ると少しホッとしたのと同時に、謙ちゃんにしてあげられることが一つなくなってしまったと寂しいような、何とも言えない気持ちになりました。ここまでが刑事裁判までになります。

 先ほど意見陳述書にも出てきました、また今回の講演テーマでもある朝顔に交通安全の願いを込めた理由ですね。交通安全の朝顔のきっかけをお話しいたします。

 それは、謙ちゃんの可愛いいたずらがきっかけです。我が家は毎年、玄関に大きな鏡餅を飾るのですが、生前、謙ちゃんがいたずらで、この鏡餅の台を三宝(さんぽう)【スライド8】と言って、真ん中に開いている穴を刳形(くりかた)というのですが、こちらの刳形に外の玄関の近くにあった朝顔か、学校から持ってきた朝顔だと思います。枯れたツルから朝顔の種を取って遊んでいたのですね、生前。可愛いいたずらするな、と思って見ていたのですね。謙ちゃんが交通事故でいなくなって、この鏡餅を片付けたら、下からいっぱい朝顔の種が出てきたのですね。定期的に警視庁の犯罪被害者支援室の方から「お元気ですか。」というお電話をいただいていて、そのときにこのエピソードをお話ししたところ、その警察官の方が「まあ!謙真君が残した種ですね。」っておっしゃったのですね。その「残した種」というのが、私の心というか、胸に引っかかりまして、私、あっと思いつくままに、謙ちゃんの通っていた綾瀬小学校の校長先生に「今後もこのようなかわいそうな交通事故が起きないようにと願いを込めて、綾瀬小学校で育てていただけませんか。」とお願いしたところ、快く引き受けてくださいまして、今年で5年目になるのですけれども、綾瀬小学校で朝顔のカーテンを毎年育ててくださっていて、このように、体育館の壁一面【スライド9】に育てていただいております。今年は、校舎の建て替えのため、仮校舎で小さなカーテンにして育てていただいているのをこの前お邪魔したとき見せていただきました。ちょっと小さかったので、今年のお花は下のほうに1輪だけ、ちょっと御紹介しました。本当に毎年、土から丁寧に愛情たっぷりに育てていただいて、私は希望をいただいたら種をお渡ししております。また、たくさん綾瀬小学校から種をいただいたりしています。

 次が今までに咲いた、交通安全の朝顔です。ちょっと紹介したいと思います。

 本当に、今年は、北は宮城県から南は沖縄県【スライド10】まで、かなり広く広がりまして、たくさん仲間が増えました。その他、私の知らないところでもお花を咲かせてくれたと思っています。今年、本当にとても暑かったので、朝顔のお花達もよく頑張って咲いてくれたなと思います。先日の連休中に、朝顔の写真と一緒にある警察署からうれしいメッセージをいただいたのでちょっと御紹介いたします。

 「新型コロナウィルス感染症拡大といった暗い状況の中でも、毎朝、朝顔の水やりの際、通りがかりの住民の皆様との会話が広がり、また、町の方も朝顔の開花を楽しみにしていることを知りました。本当にありがとうございます。」とういうメッセージでした。

 本当に育ててみると分かるのですけれども、この朝顔のお陰で温かな会話も広がっていくのですね。朝顔のほうは何も知らないで、何も話さず、本当にそっと咲いてくれるだけなのですけれども、何気ない会話を彩ってくれたり、感動を与えてくれたり。小さい、本当にありふれたお花ですが、素敵な力を持っているなと再発見しました。

 朝顔の花は、夏には至る所で見かけますし、長く、日本では親しまれているお花なので、朝顔を見るたびに交通安全とふと思い出して、今日も一日、焦らず、気持ちにゆとりを持って行動しよう、と思ってほしいと願っています。また、朝顔の花が日本中に咲いて、広がっていくのと同時に、交通事故も少しずつ減っていってくれたら、とても嬉しいですし、とても素敵なことだと私は思います。私はこの美しい「朝顔の花を交通事故安全のシンボルにしたい」と思っています。

 私は、中学校、高校でも命の大切を学ぶ教室の講師とか務めさせていただいて、ちょうど2か月前に都内の中学校で講演がありまして、9月30日だったので、「今日、何の日か知っている人はいますか」って生徒さんに伺ったのですね。今、こちらの会場にいらっしゃる方とか、あとはユーチューブで御覧になっている方で、もう9月30日、何の日かというのを御存じの方もいらっしゃると思います。そちらの生徒さんは誰も9月30日の「交通事故死ゼロを目指す日」を答えることができなかったのですね。私も、恥ずかしいのですが、被害者遺族になるまで9月30日が「交通事故死ゼロを目指す日」だということを知らなかったのです。今年は4月10日と9月30日が「交通事故死1ゼロを目指す日」だったのですが、全く知らないという方も全国にはたくさんいらっしゃると思うのです。だから、私は真剣に思うのです。この日を契機に死亡事故は止められるのではないかと思うのです。毎日どなたかが日本のどこかで交通事故により亡くなっている。この「交通事故死ゼロを目指す日」も、まだ、みんな知らないだけなのではないかなと思っています。

 自分も犯罪被害者になるかもしれない、加害者になってしまうかもしれないって、思いやり運転を心掛けよう、とか、今日も焦らないで心にゆとりを持って行動しようと本当に心から思って、毎日行動に移してくださる人が増えれば、この悲しい記録は、私はストップできると思うのですね。なので、私の今後の講演活動では、このことも積極的に伝えていきたいと思っています。

 次です。私を支えてくださった犯罪被害者支援。警視庁犯罪被害者支援室、綾瀬警察署【スライド11】、この朝顔の右側の花びらのところですね。被害者支援都民センター、今度、左下の花びらのところに行きまして東京弁護士会、犯罪被害者支援委員会。こちらをどういうきっかけで支えていただいたのか、順番にお話ししたいと思います。

 まず、警視庁の犯罪被害者支援室の方にお世話になったのは、事故の次の日に綾瀬警察署に犯罪被害者支援室の担当の警察官の方がいらして、私達を待っていてくださったのがきっかけです。そのとき、私、待っていてくださったお二人を見て、日本ってすごいなと率直に思ったのですね。その担当の方は私達と学校の間に入り、謙ちゃんの葬儀の予定等を間に入って伝えてくださいました。担当の方は謙ちゃんの葬儀のときも、斎場に先にいらしていて、寒い中、駐車場で待っていてくださったことも私はよく覚えております。

 また、うれしかったことは、綾瀬警察署の霊安室では謙ちゃんの遺体を大切に扱っていてくれたということです。警察署の前に病院にいたのですが、病院の霊安室は、とっても寒い上、謙ちゃんに何もお布団とか掛けていなくて、亡くなっているとはいえ、謙ちゃんを見て「寒そうだな」とずっと思っていたのですね。でも綾瀬警察署に謙ちゃんが移動したときには、暖かそうな布団を掛けていただいていて、母親として「ああ、良かった。」って思ったのを覚えています。

 次は、刑事裁判でお願いしたお二人の担当していただいた弁護士の先生【スライド12】についてですけれども、私の記憶が曖昧だったので、先日、担当してくださった弁護士の先生に直接確認いたしました。きっかけは、事故直後、警視庁の犯罪被害者支援室の担当の方が弁護士会に連絡してくださって、犯罪被害者支援委員会に所属されていた弁護士の先生のお二人が選任されたということでした。刑事裁判の打ち合わせは概ね月1回行われました。当時は夫婦で打ち合わせに出席しており、当時、弁護士の先生に質問されたことを当時は主人が回答しており、私の意見も話したいなと心の中で思っておりました。また、担当の弁護士の先生はとても正直で、「自分達は今までに命を亡くした案件には携わったことがない」とおっしゃったのですね。私達も先生方にちゃんと正直に、謙ちゃんの葬儀費用で経済的に余裕がなくなってしまっているということをお伝えして、預貯金額が300 万円以下でしたので、犯罪被害者法律援助という制度が活用できることを教えていただいて、法テラス宛の書類を数枚書いて、弁護士費用を法テラスより援助していただきました。

 それと、先生も御存じなかったので、自分で調べて、自賠責の仮渡金制度を、また更に先生に詳しく調べていただいて、簡単な手続で自賠責の仮渡金制度によって当座の資金を得ることができました。失礼に聞こえてしまったら大変申し訳ないのですけれども、弁護士の先生というと、頭が良くて何でも知っているというイメージが私にはあったのですけれども、弁護士の先生だからといって全てを知っているわけではないと思いました。担当していただいた弁護士の先生、お二人ともとても話しやすかったので、気づいたこととか困ったことを正直にお話しして、一緒に問題を解決できたことは良かったなと思っています。あと、全く、私達は法律のことに関しては無知だったので、弁護士の先生に相談できてホッとしたのを覚えています。

 また、意見陳述の際に活用したのが被害者参加制度【スライド13】です。画面の下のほうに柵がございまして、画面の下が茶色い、この図で言うと下のほうが傍聴席なのですが、私達は被害者参加制度を活用いたしましたので、こちらの席ですね、赤い楕円が私なのですけれども、こちらの中で裁判に参加しました。意見陳述の際はこちらに移動して、証言台で先ほどの意見陳述書を読み上げたのを覚えています。そのとき、加害者の姿や、法廷内の様子、あと傍聴席から時折聞こえてくるすすり泣く声とか、そういう情景は、今でも覚えております。

 最後に、公益社団法人被害者支援都民センター【スライド14】でのお話をいたします。

 こちらを知ったきっかけも警視庁犯罪被害者支援の担当の方で、謙ちゃんの葬儀の際、こちらの都民センターのリーフレットを「何かありましたら電話してみてください。」といただいたのですね。こちらのリーフレットなのですけれども、友人に「悲しかったことは吐き出したほうがいいよ。」と言われたこともあり、事故後、1か月後に都民センターのリーフレットをいただいていたことを思い出して、相談のお電話をしたのですね。でも、ダイヤルのボタンですか、携帯のボタンを押すとき、最後のボタンを押すというのは、最初はやっぱり何も知らないところに電話するというのは、すごく勇気が要ったのを覚えています。

 最初のお電話のときも、ただただ私の話を聞いてくださったのですね。それからは月に1回程度だったと思います。定期的にお電話をいただいておりました。食事や睡眠はとれているのかとか、家庭内での様子、長女の様子等をたわいもない会話の中から、きっと私達の心と体の状態に異常はないかということを酌み取っていてくださったのではないかと思っています。事故後、5か月くらいたったころにカウンセリングに招いていただいて都民センターへお邪魔するようになりました。その中で、今回、パネルディスカッションでコーディネーターをおこなっていただく齋藤先生が「高田さんはそのように気持ちに折り合いをつけられたのですね。」とおっしゃったのですね。私が「謙ちゃんにもうそろそろサヨナラをしなければいけないと思う。」と言ったときにそういうふうにおっしゃって、私はハッと「ああ、気持ちに折り合いをつけて、次に行かなくてはいけないのだな。」って気づいたのですね。後悔しても現実が変わらないのであれば、もう考えることはやめようって、そこで決めました。

 都民センターは犯罪被害の専門ですし、臨床心理士の先生もいらっしゃいます。安心して私は話すことができました。ひたすら話して、涙を流すということを繰り返しているうちにゆっくり回復していったと思います。

 「加害者に対する気持ちに折り合いをつける」【スライド15】ですね。時間もなくなってきたので、ちょっと割愛しながらお話ししたいと思います。加害者に罰を与えても謙ちゃんは帰ってきてくれないので、あとは私自身が憎しみのことは口にしたくないというのもあります。あと憎んで謙ちゃんが帰ってくるわけでもないので、本当に罪を憎んで人を憎まずで、交通事故を減らすにはどうしたらよいかを考え、その場にぴったりの適切な言葉を選んで、交通安全を呼び掛けていくことにエネルギーを使いたいと思っています。

 また、ユーチューブを御覧になっている方の中でも、お子さんを亡くされている親御さんは世の中にたくさんいらっしゃると思うので、私だけが悲しいことを言うと、少し、ちょっと恥ずかしいような気がするのですね。今では、謙ちゃんの命も長女の命も、今生きている皆さんの命も同じように大切な命だと思って、接しています。

 次に、私が元気を回復した理由です。それは本当にたくさんの方と会って、たくさんお話ししたということです。事故直後は混乱して、興奮状態というか、葬儀のとき等は元気のように振る舞ってしまうのですね。そのように振舞ってしまうことは、自分でもちょっと分からないのです。こちらのスライド画面のように、閉じこもって一人で同じことを繰り返していると、頭の中に重いボーリングの球が【スライド16】入っているような感じになってしまうのですね。同じことをグルグルグルグル考えて。で、都民センターやお友達に「謙ちゃんがいなくて悲しい。」と話すと、「あ、私、今悲しいんだ。」とか、感情がこんがらがっちゃって分からないのですが、今、自分が悲しんでいるのだなと分かったり。今後生きていく意味があるのかとか、そういうことを言葉にして外に出すたびに、少しずつ頭の中のボーリングがちょっとずつ糸になって、少しずつ楽になっていったと思います。謙ちゃんに今では悪かったなと思うのは、日常生活で母親だからといって「言うことを聞かない。」と言って感情的になって謙ちゃんのことを怒ってしまったのは、今でも「お母さんが悪かったね。ごめんね。」と思うので、今では生きているというか、会った人に対しては優しく、温かい言葉を使っていこうと思っています。【スライド17】

 最後に私の希望です。私の希望は「優しさあふれる社会」にしたいと思っています。犯罪被害に限らず、困ったときはお互い様だと思うのです。少し勇気の要ることですが、優しい気持ちで困っている人のそばへ行き、自分にできることをすればいいと思います。そして、優しい気持ちで接していれば、相手は癒され、自分の身近なところから少しずつ変わっていくのだと思います。そして、社会とゆっくりと調和していけば、必ず明るく、優しさに溢れる日本になれると私は信じております。

 明るく、優しさに溢れた日本になれば、きっと犯罪も減っていくと思っています。先日、警察庁の運転免許課の方より御依頼をいただいて、来年度の運転免許更新時のビデオに、ほんの少しですが出演させていただくことになりました。10月に撮影があったのですね。そのときも何か不思議な感じがするのですね。今も話しているときも不思議な感じがして、それも御縁で、今、ここにいるのですね。謙ちゃんの交通事故がなければ、ここの場にいないので、いつもそういうとき、ちょっと不思議な感じがします。

 私の息子の謙真は、交通事故でこの世を去ってしまいましたが、それをきっかけに私はたくさんの方に会って、たくさんの元気をいただいて、笑顔で講演できるようになりました。天国にいる謙ちゃんがまた可愛いいたずらで御縁を結んでいてくれているのかなと思ったりします。

 事故で謙真を亡くしてからは後悔するよりも前向きに考えるようになりました。今、目の前にあることだけに集中することしかできませんし、今の連続が未来になると考えるようになりました。

 そして、本当に最後になったのですけれども、犯罪被害者支援のシンボルマークですが、優しさと癒しのハートを抱っこして、ニッコリ笑った「ギュっとちゃん」【スライド18】。「ギュっとちゃん」の色は元気、幸福、そして、希望を明るくイメージしたもので私のイメージにぴったりなので、いつも「ギュっとちゃん」には、私の講演に出演してもらっています。

 私は多くの方に「犯罪被害に遭う」ということをより身近に感じていただけるように、そして、犯罪被害者支援という言葉からは「優しさと癒し」をイメージしていただけるようになるまで、これからも私は「ギュっとちゃん」のような温かな笑顔で積極的に講演活動をしていきたいと思っています。私からは以上です。最後まで私のお話に静かに耳を傾けてくださいましてありがとうございました。

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