栃木大会:基調講演

「地域における被害者支援の充実を目指して」

安田 貴彦(公益社団法人全国被害者支援ネットワーク顧問、京都大学大学院総合生存学館特任教授、元警察大学校長)

 御紹介をいただきました安田でございます。現在、全国被害者支援ネットワークの顧問他を仰せつかっております。本日は犯罪被害者週間栃木大会にお招きをいただきまして誠にありがとうございます。また、この大会の開催のために御尽力を賜りました主催者側の皆様方の御労苦に対しまして心から感謝と敬意を申し上げたいと思います。
私が栃木県に最近参りましたのは、ちょうど1年前、これも被害者の問題に大いに関係するテーマですけれども、白鴎大学のお招きで障害者施設等施設内の虐待事案の防止に関するシンポジウムに参加させていただきました。本県に参りますのはそれ以来でございます。

 本日は被害者支援センターとちぎの和氣様からの御依頼と、警察庁の後押しもいただき、やって参りました。貴重なお時間をいただき、皆様とここ栃木県において被害者支援を更に前に進めていくためにはどうしたらいいのかということを考えて参りたいと思っております。

 本日、お話をさせていただきたいことをかいつまんで申し上げますと【スライド2】、犯罪被害とは一体何だろうか、そして犯罪被害者の支援が今日までどのような形で発展してきたのか、さらに地域社会において今後どのような被害者支援の発展が望まれているのだろうか、ということについてお話しできれば、と思っているところでございます。

 私は警察庁を中心に一昨年まで35年ほど役所で勤めておりました。役所を辞めて以降も含めまして、まさしく何もなかった黎明期から今日まで、被害者支援の多くの局面に関わらせていただきました【スライド3】。

 私が警察に入りましたのは1982年で、その前年に犯罪被害者等給付金支給法が施行されたわけですけれども、その頃までは日本社会では警察も含めて犯罪被害者についてはほとんど課題として認識されていなかったと申し上げていいかと思います。

 しかし、この問題は、刑事司法にとってだけでなく、行政の在り方に対する基本的な考え方を含めて非常に大きな転換となるテーマではなかったのかなと思っているところでございます。

 本日、私が皆様にお伝えしたいことは、ただ一つしかありません【スライド4】。それは「皆様のお力で栃木県のすべての自治体に犯罪被害者支援条例を制定していただけないでしょうか」、メッセージはこれだけでございます。そんなことは安田から言われなくてもわかっているよ、とここにいらっしゃる皆様全員がおっしゃっていただけるなら、もう私はこれで帰ってもいいのかなという気もするのですけれども、せっかくの機会でございますので、もうしばらくお付き合いをいただければ、と思うところでございます。

 「犯罪被害者とは」ということをいま一度振り返ってみたいと思います。本当は一人一人被害者の方々は違いますので、一人一人に目を向けていくべきではございますけれども、まずは数字でご覧いただければと思います【スライド6】。いろいろな数字が並んでおりますが、例えば刑法犯の認知件数です。簡単に申し上げれば、刑法に規定されている犯罪で警察が年間に犯罪として認知し記録した件数ですけれども、81万7,000件ということで、これはほとんどが被害者のいる犯罪です。毎年これだけの犯罪被害者が生まれているということですね。犯罪によって亡くなった方も690人いらっしゃいます。交通事故に関しましても、30日以内にお亡くなりになった方が3,500人以上いらっしゃるということでございます。

 その他いろいろ数値を並べておりますけれども、押しなべて大きく減りました。刑法犯の認知件数は2001年が一番多く、それが285万件でしたから、3分の1以下になっています。交通事故に関しましても1970年がピークでしたけれども、それから比べると4分の1以下になっています。とは言いながらも、年間にこれだけの方が被害に遭っているわけです。安全と言われる日本でも、決して誰もが犯罪の被害とは無縁で一生を送れるというような状況ではないということでございます。

 犯罪被害の実態を見ますと、通常は犯罪者による直接的な被害というものが犯罪の被害だろうと考えますし、それは間違いではございません。しかし、犯罪被害の全体像を見ますと、それだけでは到底収まらない様々な問題が関わってまいります【スライド7】。まず、被害を届ければ警察の捜査が始まります。警察の捜査で事件についていろいろなことを聞かれます。あるいは自宅で事件があったとするならば、自宅にしばらく入ることができないという事態も起きます。また検察、裁判といった刑事司法の過程において、思い出すだけでもつらいことを何度もお話しなければならない、あるいはマスコミの取材で非常に迷惑を被るということも現実の問題としてあります。周囲の方々も必ずしも理解があるとは限らない、むしろ誤解をして「あの人、何かあったからじゃないの?」というふうに思う人たちも随分いらっしゃるわけでございます。そういったことで様々な精神的な被害・経済的な被害を受ける。それに対して社会が十分に理解をしていない、あるいは関心を持っていない、社会が支援するシステムを持っていないことによって更に傷が広がっていくという事態があるわけでございます。

 「被害者学」という学問があります。私は日本被害者学会の理事も仰せつかっているのですけれども、被害者学という学問の中では、被害の実態を第一次被害、第二次被害、第三次被害というような形で整理しております【スライド8】。

 第一次被害は、先ほど申し上げたように犯罪者から直接受ける被害ですね。その中には精神的な被害も含まれます。第二次被害、二次的被害と申しますのは、事件を処理していく過程の中で、更に被害を受けてしまうということでございます。第三次被害というのは、被害を受けたことにより長い期間にわたって社会生活を営む上において精神的あるいは経済的に支障を来していくということでございます。

 特に深刻なのは、精神的な被害であります【スライド9】。いろいろな反応がございます。例えば長い期間、監禁をされていた子供ということになりますと、感情の麻痺というものが起きるわけですね。つまりあまりにも苛酷な状況に置かれているものですから、その悲惨な状況を受け止めて、出口のない中でそれでも精神のバランスを保とうとする場合、それが自分に起きていることではないような感覚を持ちます。随分前の話になりますけれども、新潟で9年半監禁されていた女性が解放された事件がありましたが、自分が虐待を受けていることを客観的に外から見える、というようなこともおっしゃっていたようでございます。自分に起きていることではないと思わないと、その場を生き伸びていくことができないというようなことがあるわけです。

 あるいは自責感、罪悪感ということで、自分が被害に遭ったこと、例えば性的な被害に遭ったことを自分が悪いからこうなったのではないか、あるいは御家族の方でも、例えばお子さんが通学途上で交通事故に遭われたときに、朝もう一言「気をつけて」と言って送り出せばよかったのに、とそれで本当に事故が防げたのかどうかは別にしても、そう感じてしまわざるを得ない、そういうお気持ちになるということがあります。そういった被害者の精神状態に周囲の理解がなされていないと、ますます孤立感を深めてしまうというのが被害者の精神的な被害の一つの実態であろうかと思います。

 それが端的に表れたものが阪神・淡路大震災や地下鉄サリン事件以降よく知られましたPTSDという概念です【スライド10】。Post-traumatic Stress Disorder、心的外傷後ストレス障害、要するに心の傷というものが長い期間にわたって障害として残るということでございます。

 こうした被害者をめぐる実情は、長い間ほとんど無視され、あるいは知られてこなかったのが実情であります【スライド11】。実はこれは日本だけではございません、世界的にもそうだったわけです。事件の当事者、犯罪の当事者であるにもかかわらず、被害者は刑事司法の中では単に犯罪者に刑罰を科すための証拠の一部のような取り扱いを受けて参りました。

 しかし、これが近年大きく変わってまいりました。まさにこれは日本の中でも、この四半世紀くらいの間に、平成の時代に最も大きな変化を遂げたものの一つではないかと思います。その要因の一つは、やはり被害者の方々が声を上げ、そしてそれを支援する方々がいたこと、そしてそれを警察を始めとする行政も受け止めた、その結果であろうかと思っております。

 かつてであれば、今でもそういった部分があるのですけれども、ある種のタブー視される存在が被害者であったかと思います【スライド12】。「あの人は何か悪いことをしたから」あるいは「ふしだらな生活態度をとっていたから」、果ては「前世で何か悪い行いがあったから被害に遭ったのではないか」と、こう思いたい部分も人間にはあるわけですね。自分の身にそういった被害が降りかかってほしくはないわけですから、自分はそんなふしだらなことや間違ったことはしてないから不幸なことは起きないわ、と思いたいという気持ちが働くのも、これも人間のある種の性(さが)なのかもしれませんが、そういった面がございます。

 あるいは「赦す」「忘れる」ということが、あたかも人格的に優れている、あるいはそれが寛容さといいますか、大人の受け止め方であるかのような、そういった言い方すらされていた部分もあるかと思います。また、人権相談の電話に「私、犯罪の被害者なんです」ということで電話をしても、「いや、それはうちの管轄ではありませんから」と電話を切られたということもあったということです。

 これが大きく変わってまいりました。いくつか申し上げますと、被害者の法的な立場というものが大きな変化をしました【スライド14】。これは、最高裁判例が覆ったわけではないので、今でも生きていると言えば生きているのですけれども、1990年、約30年前の最高裁判例では、要するに、被害者が捜査によって受けている利益というものは、法律上保護される利益ではない、と言っております。ただ、その後の立法を見ますと、犯罪被害者等基本法においては、「すべて犯罪被害者等は、個人の尊厳が重んじられ、その尊厳にふさわしい処遇を保障される権利を有する」と書かれております。また、政府の基本計画では、「刑事司法は、社会の秩序の維持を図るという目的に加え、犯罪被害者等のためにもある」と記述しております。

 これから何かの機会に最高裁で再び犯罪被害者の権利利益が問われる事案が出てくるかもしれませんが、そのときにはかつてとは違った結論が導かれるかもしれないと思っているところでございます。

 その刑事手続ですけれども、かつては、被害者は告訴ができますよ、ということくらいしか規定されていませんでした【スライド15】。ところが、今は裁判を傍聴する権利も確立されています。あるいは記録を閲覧することもできます。もっと進んで、被告人に対して直接質問するとか、意見を陳述する、こういったことも可能になってまいりました。証人として証言するときも、被告人あるいは傍聴席から見られないようにするといった配慮等もなされてきているところであります。

 被害者を保護するための立法も、犯罪被害者等給付金支給法しかなかったのが1980年代ですけれども、特に90年代後半くらいから、次々と被害者を保護する、支援するための立法ができてきているという状況でございます【スライド16】。つい最近も、性犯罪の非親告罪化などが被害者の声を受けて実現しております。

 民間団体についても、皆無に近い状態でした【スライド17】。現在は被害者支援センターとちぎを始めとして、民間団体が全都道府県に48、北海道には2つあり、1,600人ものボランティアの方々が活動しておられます。他にも様々な犯罪被害者の当事者の団体が活発に活動している状況でございます。

 振り返ってみて、この犯罪被害者支援というのはどんな形で発展してきたのかを長いスパンで見てみますと、どの国も大体同じような発展の段階を経てきているのですね【スライド18】。一つには、経済的な補償、日本で言えば犯罪被害給付制度でございますけれども、国が何らかの経済的な支援するという制度が、アメリカやイギリスですと1960年代くらいから整ってまいります。

 犯罪者からの賠償がなかなか得られないというのは現実でございます。それを放置できないということで国が支援するというのが被害者支援の一つの始まりだったわけですが、では、それで十分か、ということですね。犯罪被害者は、先ほども申し上げましたようにいろいろな精神的な被害を被っております、あるいは生活上も様々な御苦労をされているわけです。そういった点についても支援しなければならないのではないかということで、特にアメリカ、イギリスでは、1970年代くらいから民間のボランティア組織による支援が拡大してまいります。

 それでもう万全か、というとそうではありません。そもそも法制度の中で、特に刑事司法制度の中で、被害者が正当に扱われていないではないか、むしろ傷つけられているということを何とかしなければならないということで、刑事手続における被害者の地位の確立、特に二次的被害からの保護と司法への参加という課題を中心に、これもアメリカ、イギリスで言いますと1980年代くらいから改善の動きが活発化してまいります。日本も少しずつ遅れながらではございますけれども、ほぼそういったプロセスで課題の解決を達成してきていますし、今や部分的にはむしろ世界の中でも進んでいると言ってもいい、そういった国になってまいりました。

 さて、これで完結なのでしょうか、ということですね。まだ次のステージがあるのではないかということが、後半にお話しできることかなと思っております。

 もう少し日本の制度の発展を簡潔にお話していきたいと思うのですが、まずはやはり当事者の方々の運動が一つございました【スライド19】。これは市瀬朝一様という町工場を経営されていた方なんですけれども、一人息子さんを通り魔殺人で亡くされてしまい、そのことからいかに自分達が社会から、あるいは司法の世界から疎外されているのかということに気がついて、当初は、少年犯罪はもっと重罰化すべきだ、死刑を推進すべきだという御主張で運動を始められたのです。一方、同志社大学の大谷實先生が、最近まで同志社の総長をなさっていらっしゃって私どもも長くご指導いただいている先生でございますけれども、イギリスで勉強されてきて、日本でも被害者補償制度をつくらなければいけないのではないかと考え、独自で運動や調査研究を進められていました。この二つの動きが後に合流いたします。一瀬さんらの活動は、1979年に木下恵介監督の『息子よ』という映画にもなっております。ちなみに、私は、まだ警察庁にも入るとも決めたわけでも何でもなかったのですけれども、なぜかこの映画を封切り当時に観ております。大変重い映画でしたが、強く印象に残っております。

 こういった動きが一気に政治問題化したのが三菱重工ビルの爆破事件、1974年の事件でございます【スライド20】。当時はそういう言い方をしていなかったですけれども、まさしく無差別テロ事件でありました。これによって多くの方々が死傷したのですけれども、東京の丸の内で平日の昼間起きた事件であります。勤務をされている方は労災で一定の補償が得られたのですけれども、たまたまそこを買い物とか散歩なりで通り掛かった方も事件に巻き込まれていて、この方々については何も補償する、支援する仕組みがないということが誰の目にも明らかになりました。この事件を受けまして、政治も動き、犯罪被害給付制度が創設されることになっていったわけでございます【スライド21】。

 警察庁が法案を企画しまして、都道府県の公安委員会を裁定機関とする犯罪被害者等給付金支給法が80年に成立し81年から施行されました。また、併せて、法律というのは遡ることが非常に難しいものでございますので、それまでの運動をされていた方にせめても報いるために犯罪被害救援基金という民間団体が警察職員や経済界の寄付を基に設立されまして、被害者の方々の御子弟に奨学金を支給するようになりました。まさに当事者の声と、大谷先生を始めとする専門家の知識、事件を受けた社会的な注目、そして行政機関等の積極姿勢がうまくかみ合ってできた法律であると思います。

 ところが、この法律ができた後、一気に運動が収束して社会的な関心も失っていってしまったのが80年代でした【スライド22】。その間、先ほども申し上げたように、国際的には様々な動きがどんどん進んでいました。国連でも85年に「犯罪及び権利濫用による被害者のための正義の基本原則」、通称犯罪被害者権利宣言が採択されましたが、日本ではこれを受けての動きは特に見られませんでした。

 なぜかと、いうことを考えますと、やはり推進役がいらっしゃらなかった。一瀬さんは残念ながら、犯給法の制定を見ることなくお亡くなりになっていました。大事件も三菱重工事件以降あまり多くなかったということもあるのかもしれません。実はいろいろと起きているのですけれども、なかなか世間の注目を引かなかった。

 また、被害者の権利を高めると、被疑者、被告人の権利が低下するのではないか、あるいは重罰化につながるのではないかということをものすごく警戒する研究者や弁護士の方々、あるいはメディアの方々がいらっしゃったのも事実です。警察も、本気で被害者支援をやろうと思っていたのかというと、残念ながら、一つの立法を成し遂げること自体には関心を持っていたのですけれども、被害者問題の本質的な重要性に気がつくまでには至っていなかったのというのが実態だったのかなと思っています。

 今日の被害者支援の発展への大きな契機となる「10周年シンポジウム」が91年に行われるわけですけれども、その前段に学問的なレベルでだんだん動きが出てまいります【スライド22】。慶応大学の、2010年にお亡くなりになりましたけれども、私どもが大変お世話になって御指導をいただいた、宮澤浩一先生らが90年に日本被害者学会を設立します。実は、私自身も宮澤先生からのご支援をいただいて、アメリカで半年ほど被害者支援の勉強をさせていただく機会を得ました。私はこの時に初めて被害者の問題に本格的に関わりました。その後、学会と警察庁で、日本も今までの遅れを取り戻すための気運を盛り上げよう、そのために犯罪被害給付制度10周年のシンポジウムをやろうじゃないか、という話になりました【スライド23】。

 そして、91年10月3日、犯給制度の発足10周年を記念しまして、シンポジウムが開催されました。私がアメリカでお会いしてきたNational Organization for Victim Assistance(NOVA,全米被害者支援機構)という組織で長年リーダーを勤めてきたマリーン・ヤングさんという方をお招きして基調講演をやっていただき、宮澤先生、大谷先生、そして後にお話しする山上晧先生等がパネルディスカッションに加わっていただいたわけです【スライド24】。

 ただ、役所が主催するシンポジウムということもあり、割と淡々と終わりそうな雰囲気でした。もちろん我々には我々なりの思いはあったのですけれども、聴衆として来ている人たちは、動員をかけて集まっていただいた方が大半だったのですね。

 しかし、この空気を一変させたのが、大久保恵美子さんのご発言でした【スライド25】。御案内の方もいらっしゃると思いますが、その前年に飲酒運転の轢き逃げ事件で19歳の息子さんを亡くしていた、当時富山県で県の保健師をなさっていたお母さんであります。

 大久保さんが事件後、アメリカにも行かれて、MADD、Mothers Against Drunk Driving、飲酒運転に反対する母の会等を訪問されたりして、日本ではまだない犯罪被害者の支援に関していろいろな模索をされていたんですね。本当にたまたまの話なのですけれども、大久保さんはアメリカ在住の知人の方を経由して、私がNOVAでヤングさんにお渡しした名刺のコピーを受け取られまして、それを頼りに大久保さんが私に電話をかけてこられたのです。突然のお電話でもありましたので、当初は要領を得なかったんですが、大久保さんが犯罪の被害者であり、そしていろいろな問題意識を持たれているということが分かりまして、我々も今は何もないんですけれども、大久保さんと同じような問題意識を持っていて何かできないかと思って10周年のシンポジウムをやるんですよ、と申し上げ、「よかったらいらっしゃいませんか」とお声をお掛けし、まさに被害者としては大久保さんたち1組だけが参加をしたという経緯でございました。

 そんなシンポジウムの中でヤングさんから非常にいい話をしていただいたのですが、日本に本当にアメリカのような状況があるのかなというあるパネリストからの発言がありました。学問的な立場としてはそういう疑問を持つことも当然ではあるのですが、そういう発言を聞かれて、大久保さんはやはりここで黙っていてはいけないと思われ、ちょうど私がそばにいたので「質問していいですか、発言していいですか」と聞かれました。どうぞお願いします、と申し上げて質問をしていただいたわけなんですね。このときのご発言を読み上げたいと思います【スライド26、27】。

 「私の息子は去年の10月12日、飲酒運転者に殺されました。殺された後、数カ月間、私はどうやって生きていけばいいかわからず、本当に無我夢中で、日本には何か私を精神的に助けてくれるところがないのかと必死になって探しましたけれども、何もありませんでした。「日本では被害者の声として出てこない、被害者の本当にそれがニーズなのか」という発言もありました。でも、被害者の立場になると、「はい、私が被害に遭いました」と大きな声で言って、大きな声で泣ける、そういう社会ではありません。今の日本は大きな声で泣きたくても泣けないんです。ただ、じっと自分で我慢しなければならないのが今の日本における被害者の姿だと思います。日本では、そういう被害者を精神的に救う道が何もない。まずそれを創ってほしいと思うことなんです。
子供を殺された親は、このようなつらい思いをもう他人にはさせたくないという気持ちでいっぱいなのです。どんな協力も惜しみませんから、10周年記念シンポジウムが開かれたこの機会に、ぜひ一歩でもいいです、一歩だけでも踏み出してください。お願いします。」

 こういう発言でございました。

 既に30年も前の話であり、私も何回も警察部内でも、外でのこういった講演の機会でもこのお話しをしているのですけれども、今でもこの発言を思い出すと正直動揺を隠せません。今でこそ、被害者の方が発言をされる、そしてそれに耳を傾けてくれる方々が大勢いらっしゃいますけれども、誰も他に被害者の方もいらっしゃらない、そしてまたあまり理解をしているようにも見えないような聴衆の前で、初めてそういった御発言をされるときに、どんなにプレッシャーを感じておられただろうか、それでも何としても言わなければならないというどれほど強い思いがあったのだろう、ということを考えると、胸が打たれる部分がございます。

 こういったことでせっかくの発言をいただいたわけですが、会場では本当に感銘を受けた人はどれだけいたのだろうかという感じではありました。私自身も、次に何をしていくのかということについては、率直に申し上げて、この大きなシンポジウムをやるだけでかなり消耗して、その後の展開まで明確に考えられているような状況ではなかったのです。けれども、そこで思いがけず、ある方が立ち上がったのです。それが当時、東京医科歯科大学で犯罪精神医学、犯罪者の鑑定をされていた山上晧先生だったわけです【スライド28】。有名な事件ですと、いわゆる宮崎勤事件で精神鑑定等もおやりになった先生だったわけですけれども、我々がシンポジウムへのご登壇を先生にお願いした時は、御本人も被害者については専門ではないから遠慮したいとおっしゃっていたんです。いやいや、そうは言っても精神的な被害について何か語っていただく方がいらっしゃらないとシンポジウムにならないので、ということでご無理を申し上げて引っ張り出したのです。しかし、山上先生は、大久保さんのお話を聞いて、これはぜひ自分がやらなければならない仕事だと決意をされ、初の民間被害者団体である東京犯罪被害者相談室を設立していただいたわけです。もちろん、警察庁も財政的な面も含めて支援をさせていただいたわけでございます。

 その後、民間団体も少しずつではありますけれども広がってきまして、98年には全国被害者支援ネットワークが設立されるというところまでこぎ着けてまいるわけであります【スライド29】。

 一方、警察においては、当時の國松警察庁長官が犯罪被害者の問題に大いに関心を持って、自分が長官のときにぜひこれを政策として打ち出したいと考えておりました【スライド】。國松長官自身が書いた論文の中ではこのように述べております。「警察は、犯罪の被害者に最初に接し、最も濃密に関わる役所である。だから、警察こそ被害者の人権の第一の擁護者でなければならない。」

 そうしたことを受けて警察部内でも検討が始まったのですけれども、検討が始まって間もなく、不幸な出来事でありましたけれども、1995年に阪神・淡路の大震災と地下鉄サリン事件が起きて、先ほど申し上げたように誰もが被害者になり得る、そしてその中で心のケアの問題が非常に大きな課題であるという社会の認識が深まってまいりました【スライド31】。

 そうしたことも踏まえて、有識者の検討も行われまして、96年に警察が「被害者対策要綱」という政策を取りまとめます。これは犯罪被害者を行政の対象として正面から捉えて、それに対して警察が何をやるべきなのかということを明らかにした初めての文書であります。

 この内容を詳しく申し上げる時間もございませんけれども、まずやはり一番大事なことは、犯罪被害者のための活動というのは警察の本来の仕事なのだときちんと位置付けたということですね【スライド32】。サービスでやることでも、捜査にとって被害者の協力や理解を得ないとやりにくいからやるのだという問題でもなくて、被害者の権利や利益を保護するということ自体が警察が設置された目的なのだ、ということを明らかにしたということであります。それに加えて、いろいろ具体的にやるべき施策を、民間団体との連携も含めまして記載しているところでございます。

 これを皮切りとしまして、警察ではいろいろな施策が打ち出されました。例えば、指定被害者支援要員制度ということで、現場で被害者の支援に直接従事する、捜査とは別の警察官又は警察職員を指定して当たらせるという制度、あるいは検察庁でも被害者通知制度ということで事件の進捗状況等や処理結果、あるいは裁判がいつ行われるということを含めまして被害者に通知するという制度ができました【スライド33】。

 1999年には被害者支援に関して、当時は“被害者対策”という言葉でしたけれども、関係省庁で意見調整や施策の推進を行うための会議が設置されました。刑事手続についても犯罪被害者保護二法という法律ができまして、先ほど申し上げたような公判の傍聴とか意見陳述ができるようになるなどの展開が次々と起きるようになっていったわけであります。

 また、全国被害者支援ネットワークは、後の基本法にもつながる先駆的な取組ですけれども、「犯罪被害者の権利宣言」を発表しました。公正な処遇、情報提供、被害回復、意見陳述、支援、再被害からの保護、平穏かつ安全に生活できる権利が被害者に認められるべきだとして、ネットワークができて1年余りで取りまとめられました【スライド34】。

 犯罪被害者等給付金支給法も、制定当時としてはそれなりに進んだものだったですけれども、こうした時代の進展の中で更なる制度整備を図らなければならないという気運が高まってまいるわけでございます。そこでその法改正を、私が犯罪被害者対策室長として担当することとなりました。

 私自身は法改正に当たっては、単に今までの給付制度を延長・拡大するだけではなくて、警察が関与する被害者支援に関する総合的な法律、犯罪被害者支援法という法律に変えたいというアイデアを持って取り組ませていただきました【スライド35】。

 まず、改正以前の法律には、法律の目的を定める規定がありませんでした。そこで、この法律が被害者の支援のためにあるのだということを明記しました【スライド36】。もちろん、犯罪被害給付制度は大幅に拡充をしました。そして、私自身としてどうしても実現したかったのが「犯罪被害者等早期援助団体」の仕組みでございます。要するに、民間団体が公的に認められた団体となること、その民間団体に対して警察から被害者の同意を得て被害者に関する情報を提供することによって、被害者の方から動かなくても民間団体の方から支援の手を差し伸べられる、そういう仕組みをこの法律の中で規定をしたわけであります【スライド37】。

 次の段階では、やはり犯罪被害者等基本法の制定が画期的な出来事でございました。これは、弁護士でありそして奥様をご自身の仕事の過程で逆恨みを受けて殺されてしまった被害者遺族でもある岡村勲先生が中心になって結成された「あすの会」、既に2018年に解散しておりますけれども、この団体が大きな役割を果たしました。岡村先生や大久保さんが小泉純一郎総理に直接面談する機会を得まして法整備をお願いし、自民党が中心となって議員立法で制定されたというものでございます。

 この基本法では、“被害者の権利”という文言が盛り込まれております【スライド39】。そして、基本理念として、「再び平穏な生活を営めるまでの間、途切れなく支援を行う」ことなどを定めて、国全体で取り組むということを明らかにしています。後にもご説明しますけれども、基本施策としてなすべきことを地方公共団体の役割も含めて列挙しております【スライド40】。

 この法律の意義を整理しますと、被害者支援を省庁横断的な国の重要施策だと位置づけたこと、そして必ずしも相手方に義務を生じさせるものではありませんけれども、被害者の権利ということを明記したこと。それともう一つ、計画的に推進をしなさいということを政府に義務付けたということが非常に大きな要素かと思っております【スライド41】。

 この基本法の下で計画的に推進する中で、第1次、第2次、そして現在の第3次基本計画が5年ごとに策定されているわけでが、第1次基本計画の段階では損害賠償命令制度、被害者参加制度などが導入され、被害者支援法も再改正され、更に犯罪被害給付制度を充実させると同時に、民間団体に対する活動の促進のために警察も更にバックアップするということを記載しているところでございます【スライド42、43】。

 第2次基本計画の下では、特に自治体に密接に関わる部分としましては、地方公共団体において総合的な窓口、担当する部署と総合的な窓口を設置して下さいということをお願い申し上げて、現在では100%設置していただいているところです【スライド44】。
第3次基本計画は、私が内閣府におりましたときに策定に関わったのでございますけれども、これまであまり目を向けられていなかった、潜在化しやすい、警察が待っていても認知できないような被害者、あるいは子供の被害者の兄弟姉妹への着目、また、中長期的な生活支援などに力点を置いて策定させていただきました【スライド45】。特にこの中長期的な生活再建は、自治体と非常に大きな関わりがあるところでございます。既にいろいろな成果を見ているところでございますが、犯給制度の拡充も、これで「あすの会」を始めとする被害者団体からのご要望にはほぼ応えた制度改正が実現できたのかなと思っております【スライド46、47】。

 ただ、まだ残された課題は非常に多いと私は思っています。第4次基本計画に向けての議論が始まっていますけれども、そういった中でも議論していただきたいと思っている事項が多数ございます【スライド48】。地方自治体に深く関係する部分としては、特に条例の制定、そして社会福祉的な生活支援を充実させる必要があるだろうと思います。そして、また民間団体についてですが、先ほど申し上げましたように全都道府県にございます。しかし、人も足りない、お金も足りない。活動を支える基盤がまだ整備されていないというのが現実でございます。

 そんな中で、私自身が考えますところでは、国の制度は随分進んで参りました。既に世界的にも遜色ないと思います【スライド49】。しかし、率直に申し上げて、地方の取組についてはまだまだではないのかなと思われる部分がございます。地域社会での支援が充実しないと、被害者が本当に生活を立て直して、地域社会の中で生きていくためには、まだまだ困難な状況が続くのではないかと思います。

 それを、今回、私自身初めて申し上げる言葉なのですが、「被害者支援の総合化」というような言い方で表現できるのかなと思っています【スライド50】。先ほどの基本法の中でも「必要な支援を途切れなく受けることができるようにする」ということが書かれています。第3次基本計画の中でも、県レベルの被害者支援連絡協議会あるいは警察署単位レベルでの被害者支援地域ネットワークが、既に全国にあまねく設置されていますけれども、こういった多機関の連携を進めていくことが強調されていまする。まさしく総合化ということが求められていると思うわけであります【スライド51】。次々といろいろな制度ができます。あるいは既存の様々な福祉や行政サービスの中でも支援のために利用できる制度はいろいろあるんですね。そうしたものをうまくつなぎ合わせて、円滑に支援が提供されるような仕組みをつくっていくことがすごく重要ではないかなと思うわけです。

 多様な被害者のニーズに応えるためには、多様な機関が関わらなければなりません。それをどう活性化していくか、魂のこもったものにしていくか。そのためには、一つは自治体が総合化の中心だろうと思います。そして、もう一つ、民間団体が総合化のためのキーであろうと思っているわけであります。

 こうした状況を打破し改善していくためには、やはり犯罪被害者支援条例が都道府県レベル、市町村レベルで整備される、とりわけ私は市町村レベルが重要だと思っておりますが、それが大きな役割を果たすのではないかと期待しております【スライド52】。

 まず基本法が地域社会に求めていることを申し上げます。「基本計画の中に条例をつくれと書け」ということをおっしゃる方もおられますけれども、それは、率直に申し上げて無理です。そんなことは国からは申し上げられせん。地方公共団体は独立した行政主体であって、国の立場から地方自治体に「被害者支援条例をつくれ」などという指示・命令することは困難です。国が法律で書くのは、「地方公共団体の責務として国との適切な役割分担を踏まえて、地域の状況に応じた施策を講じてください」というお願いですね。連携協力についてもそういうことですね。地方公共団体に対して、やれ、というべきことではないです。

 ただ、基本法では、国がやることについては、全て地方公共団体も同様に必要な施策を講じていただきたいということを記載しており、第3次基本計画の中にも“地方公共団体”という言葉が51カ所も出てきます。地方公共団体の果たすべき役割に、国の立場としても大いに期待をしているということでございます【スライド54、55】。

 先ほどもお見せした一覧ですけれども【スライド40】、相談や情報提供、損害賠償の請求、あるいは保健医療とか、再被害の防止等もそうですね。公営住宅の問題、雇用の問題、民間団体に対する援助の問題とか、様々な課題について地方公共団体もその役割を、まさに国との役割分担を考えながらやっていただきたいということであります。

 また、第3次基本計画の中では、具体的にはこんなことを地方公共団体でお考えいただいてはいかがでしょうか、ということをお願いしているところでございます【スライド56】。

 地方公共団体の支援体制ということで申し上げますと、条例に関しても第3次基本計画の中では、国としても「やれ」ということは言えないのですが、それでもやっていただきたい気持ちはやまやまなので、「条例の制定または計画・指針の策定状況について適切に情報提供を行う」と書いています。要するに、どんなふうに他の自治体は取り組んでいますか、条例制定によってどんないいことがありましたか、などを犯罪被害者白書等で御紹介をする、あるいは各都道府県、市町村の皆様に直接お伝えするということをやっています。ちなみに、“条例”という言葉を明記したのは、今回の基本計画が初めてであります【スライド57】。

 詳しくはお話ししませんが、意外に昔から被害者の支援に関係する条例は存在しました【スライド58】。1970年、埼玉県蕨市で、災害等の見舞金を差し上げるというのと同時に、犯罪被害者も対象として規定をしています。

 「犯罪被害者等支援条例」という形で被害者に特化した条例としては、埼玉県嵐山町が初めてでございました。防犯関係の条例に初めて被害者支援について盛り込んだのが滋賀県長浜市でした。ということで、徐々に被害者支援についての条例化が進んでまいりまして、初めて県下の全市町村で被害者支援条例ができたのは岡山県で2012年のことでした。

 県レベルで見ますと、お隣の茨城県が非常に早い段階で「安全なまちづくり条例」の中に被害者の問題を書き込んでおられます【スライド59】。その後、宮城県で初めて犯罪被害者支援条例といういわゆる特化条例、単独条例ができます。これは、私が犯罪被害者対策室長をしていたときの直属上司、課長であった東川が当時宮城県の警察本部長をしておりまして、今の村井知事が県会議員のときに「議会でやろう」ということで持ち上げていただいてできたそうです。

 2009年に神奈川県で条例ができました。これは当時の松沢知事がリーダーシップを発揮して実現していただいたそうです。その次に山形でできています。実は、私は山形県で警察本部長をしておりました。でも私の時代に実現したのではありません。当時の知事と差しでお話しさせていただいた時に、「こういう条例をつくったらいいんじゃないかなと私は思っているんですけど」と申し上げたところ、非常に乗っていただきまして、私が離任した後に実現したということでございます。

 現在の制定状況を見ますと、こんな状況です【スライド60】。2016年4月は第3次基本計画が始まった時点です。3年後の19年4月時点、都道府県で+6、政令指定市で+2、市区町村では+132と随分進んでまいりました。その後、長崎県でもできましたし、東京都、高知県、熊本県でも今年度中に制定すべく検討されているなど、更に進んでおります。

 それでは、条例にはどういったことを規定すればいいのか、ということについて申し上げます。先ほども申しましたが、基本法においては計画的に推進するということが非常に重要な規定としてありまして、これは一つのキーだと思います。あまり細かいことは条例に盛り込まなくても、計画的に推進をしていくのだということ、その内容、実績なり、何ができたかということを県民、地域住民の方々の前に明らかにしていく、あるいは議会に報告するということで、いわゆるPDCAサイクルを回していく、その結果を受けて次にどうしたらいいのかということを考えていく、そういう仕組みづくりが大事かなと思っています。

 手前味噌かもしれませんけれども、民間団体への支援も、先ほど述べました総合化という意味で非常に重要な事項です。民間団体には民間団体でなければ果たし得ない役割というものがあります【スライド62】。これは私自身が今年書いた論文の中で整理をさせていただいたのですけれども、他の行政機関などだけではできないこと、あるいは民間団体だからこそ効果的にできる支援がたくさんありますよ、ということを申し上げております。

 条例で規定されることが期待されるべきそのほかの事項として、見舞金、貸付金もございます【スライド63】。犯給制度も充実してきていますが、どうしても支給までに数カ月かかってしまうのですね。その間を見舞金などで何とか埋めていただければと思います。

 二次的被害や再被害の防止も、実は警察だけできることではないですね。生活支援ならなおさらです。警察には到底できないことです。

 それと、もう一つ先ほど申し上げた総合化の観点から重要だと思いますのは、被害者支援連絡協議会です。どの地域にも任意組織としてはあるんですが、これに条例で法的根拠を与えてほしいということです【スライド64】。いろいろな機関が本気になって取り組むための枠組みがまだ十分に整備されていない。それに加えて、個別のケースを適切に扱うためには守秘義務が是非とも必要です。これは法律事項と申しまして、条例でないと義務を課すということはできないんです。守秘義務がかかっていないと、安心して被害者の非常にデリケートな情報を共有することは難しいと思います。

 条例の制定にはいろいろな意義があると思います。それについて簡単にご説明をできればと思います。

 一つは、法的な根拠を明確化する。行政というのは法律に基づいて執行されるものですから、条例があるとなしでは職員の取組の基本的な姿勢が違うというのも事実であろうかと思います【スライド66】。

 それから、先ほど申し上げたように、条例でしかできない事項があるわけですね【スライド67】。例えば、先ほど申し上げたように守秘義務を設ける、罰則を設けるということは要綱などでは絶対にできないことであります。条例でしかできません。

 3番目に持続性・継続性です【スライド68】。失礼ながら、要綱を制定したとしても、自治体のトップが交代されたり、担当職員が異動されたりした後にはどうなるのかということには、不安がございます。条例という、しっかりとした形で土台を築いていただくことで、安定的に施策が推進されるということだと思います。

 それから、“正統性”という難しい言葉で申し訳ないですが、御案内のとおり、自治体では知事さん、市長さんと、議会の議員さんは、それぞれ地域住民から直接選ばれるわけですね【スライド69】。いわゆる二元代表制ということです。ですから、この民主主義の世の中で、本当に住民の総意を結集して、と言うためには、役所だけでなく議会も関与するということが非常に重要な要素であろうと思います。

 地域社会にメッセージを発信するためにも、条例が一番効果的であると思います【スライド70】。

 疑問点もいろいろございましょう。これについては、後のパネルディスカッションでお話しできればと思います。

 おわりに、ということで、先ほど大久保さんのお話を申し上げましたが、被害者にとって生きるに値する社会をつくっていただきたい、ということを大久保さんはよくおっしゃいます【スライド77】。犯罪者の悪意や反社会的な行為で傷つけられて社会に対する不信感を抱き、信頼感を失っている人々に対して、地域社会が「あなたは決して一人ではないんですよ」と伝えること、そして「私たちは、あなたに寄り添って伴走して支えたいと思っていますよ」というメッセージを送っていただくということが大事だろうと思うわけです。

 私はこのように申し上げています【スライド78】。国民というのは、結局、被害者と「未」被害者、被害に既に遭ってしまった人と、まだ被害に遭っていないけど遭うかもしれない人たち、この二種類の人々で構成されていると思っています。そういった意味で誰しもに関わる問題として被害者の問題を捉えていただきたいということです。

 つい先日までラグビーのワールドカップがありましたけれども、“One for All,All for One”というラグビーの精神を象徴する言葉がございます。被害者支援もそういった精神でお考えいただければなと思うのです。

 最後に、冒頭と同じメッセージをもう一度申し上げます。「皆さんのお力で犯罪被害者条例を制定していただきたい」ということでございます【スライド79】。私の拙いお話で多少なりとも、そうだよね、条例つくらなきゃいけないよね、と思っていただける方が増えているとすれば、まさに望外な幸せでございます。

 以上で私のお話を終わらせていただきます。御清聴、ありがとうございました。

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