沖縄大会:パネルディスカッション

「少年犯罪被害者とその遺族の「その後」を支えるために」

コーディネーター:
伊藤 義徳(琉球大学人文社会学部准教授、臨床心理士)

パネリスト:
村上 尚子(弁護士、沖縄弁護士会犯罪被害者支援に関する委員会委員長)
稲田 隆司(精神科医、医療法人博寿会もとぶ記念病院副院長、沖縄県医師会常任理事、公益社団法人沖縄被害者支援ゆいセンター常任理事)
屋良 淳(沖縄県教育庁県立学校教育課 班長)
武 るり子(少年犯罪被害当事者の会代表(基調講演者))
県内犯罪被害者御遺族

伊藤: 皆さん、こんにちは。それではこれからパネルディスカッションを始めていきたいと思います。司会を務めさせていただきます琉球大学の伊藤と申します。

 僕は臨床心理士という立場で震災支援、学校緊急支援、そして犯罪被害者の御遺族の支援等、様々な被害者の支援に携わってきました。支援をしてきたというよりも、何も分からないまま、被害を受けられた方の傍らに赴いて、右往左往する中で学ばせていただいたということが実情なわけですけれども、今日も貴重なディスカッションの機会をいただきましたので、皆さんとともに勉強して帰れたらと思っております。どうぞよろしくお願いします。

 この「被害者支援週間 沖縄大会」、被害者支援の集いは、沖縄で開催するのは9年ぶりになるかと思うのですが、前回、9年前の会も、僕、参加させていただきました。そのとき、「被害者支援のために一人ひとりができること」というテーマでパネルディスカッションがあったのですが、とにかく他人事ではなく、自分自身に何ができるのかということをとても考えさせられる機会になったなと記憶しております。今回もその趣旨を引き継ぎつつ、特に少年事件の被害者、その御遺族の支援に焦点を当ててみたいと思います。先ほど武さんの御講演にもありました「22年たっても変わらない苦しみがある」、我が子を失う苦しみ、司法制度の大きな壁、そして守るものが何もないということに気付いたときのこの絶望感。でも、その中で「全てをさらけ出して」という言葉を何度もおっしゃっていましたけれども、御夫婦、二人三脚で諦めずに頑張って、でも感謝を忘れずに訴え続けていく、自分たちが求めているものを伝えていくという姿勢に感銘を受けました。貴重な御講演、ありがとうございました。

 こうした話題提供も踏まえまして、このパネルディスカッションでも引き続き、少年事件にスポットを当てて、その支援の在り方についてより深めていければと考えております。

 このテーマを考えるに当たりまして、我々にとってより身近なこととしてこの問題を考えていくために、本日は貴重な方にパネリストをお願いしております。この沖縄でも少年同士の暴力事件によってお子さんを亡くされた当事者の方がおられます。県内犯罪被害者御遺族(以下:被害者御遺族A)です。よろしくお願いします。沖縄中部地域で、お子さんが中学生のときに友人8名による集団暴行によって短い生涯を閉じられました。被害者御遺族Aさんは県外で御講演の経験はおありとのことですが、この地元沖縄でこうして公の場に立つのは、特別な場を除いては今日が初めてということでございます。地元で皆さんの前に顔を出すというのはとても勇気の要ることかなと思いますけれども、今回、意を決してこちらに御登壇いただけましたこと、心より感謝いたします。

 このパネルディスカッションでは、初めに被害者御遺族Aさんから事件について、そしてその事件後の生活について、また現在のお気持ちについて伺うことから始めていきたいと思っています。そして、いただいたお話に対して壇上のパネリストの先生方から御意見をいただく形でディスカッションをスタートしていきたいと思っております。60分、短い時間ではありますが、先生方、どうぞよろしくお願いいたします。

 それでは、初めに被害者御遺族Aさんのほうからお話しいただきたいと思いますが、よろしいでしょうか。お願いします。

被害者御遺族A: よろしくお願いいたします。

 私の事件は今から9年前になりますけれども、今月18日で、亡くなって9年目になります。生きていたら23歳になっています。加害者は8名なんですけれど、その中で数名がもう結婚して、子供ができている人もいます。

 裁判で加害者との約束がありまして、命日には謝罪文を書く、住所が変われば連絡が来るということになっているのですけれども、今は謝罪文を書く人も少なくて、命日に線香をあげにくる人も2、3名ほどになっています。賠償金については、毎月支払ってもらっていますが、その中から弁護士の報酬として1、000万円を支払わないといけなくなっていますので、その入ってきた分を弁護士に支払うという形になっています。

 事件から9年なんですけれども、まだ息子が帰ってくるんじゃないかという思いがあって、朝起きたりすると、あ、御飯をつくらないといけないと思ったり、夕方になると、あ、夕飯をつくらないといけないという思いに駆られるときもあります。今ではもう家族とはあまり息子のことは話さなくなりました。というのも、どうしてもつらい思いが大きくて、話すのがきつくて、あまり触れないようになっています。だからといって忘れているわけではありません。でも、9年たった今でも息子のことを思うと、苦しかっただろうし、痛かっただろうしという思いがあって、私としては未だに加害者に対して殺してやりたいという気持ちは変わらないです。加害者が更生しようがしまいが、私にはもうそういうことはちょっと考えられなくて、息子のことでも自分のことでもいっぱいいっぱいという状況で、ようやく今は体調も落ち着いてきてはいる状況です。

伊藤: 少し御質問させていただいてもよろしいですか。

 まずは、つらいことかなと思うんですが、事件のあらましというんですか、どういった事件だったのか少し伺えますでしょうか。

被害者御遺族A: その日は、私、当日、風邪をひいてちょっと寝込んでしまっていて、起きたら夜の7時になっていまして、息子が7時に帰ってくるということは有り得なかったので、おかしいなと思って、お友達とかに電話したんですけど、みんな、知らないということで、それで8時になっても帰ってこない。ようやく9時くらいになって、実家の母から電話があって、屋根から落ちたということで連絡を受けて病院に行ったんですけども、そのときには緊急手術がもう始まっている状態だったので、それを待って……。

 そのときは屋根から落ちたということだったんですけれども、手術が終わって、ICUに入っていたんですけれど、通されたときにはもうチューブにつながれた状態で意識もなくて、顔が腫れ上がっていてという状態で、何度呼んでも答えてはくれなかったし、動きもしませんでした。

 のちのち「解剖したい」ということで話があったんですけれども、私は小屋から落ちたと聞いているので、これ以上、息子を苦しめたくないということで拒否をしたんですけど、私の父が許可をして、それで司法解剖してもらって、その結果、これはもう屋根から落ちたのではなくて殺されたというふうに聞いて、頭が真っ白になりました。

伊藤: このときに同級生8名が実は数時間にわたってリンチを、暴力を加えていたということが後から分かったわけですけれども、自分たちがやって動かなくなった、これはまずいというふうにやっと気付いて、口裏を合わせて屋根から落ちたことにしようという話があったということですね。

 こういう形で事件が発覚して、そこから少年審判ですので、この審判も先ほどの話にもありました少年法の壁があって、なかなか事実も伝わってこない。武さんのころから被害者御遺族Aさんの事件の間に少年法も随分改正がありまして、被害者のほうも裁判に少し参加できる形が整ってきました。でも、法律が整ったからって、そんなに楽ではなかったわけですね。このあたりをちょっと。

被害者御遺族A: 私の場合は、少年法が改正されて1年後だったので意見陳述もできたんですけども、それは加害者を退席させた上で裁判官に言うという形だったので。でも、3名、裁判官がいたんですけれども、1人は涙を流して聞いてくれる方がいて、ああ、気持ちが伝わっているんだなと思って、それがとても印象に残っていて……。でも、そういう意見陳述は加害者の前でやりたかったです。

伊藤: そうですよね。なんのために意見を陳述するのか、被害者が加害者に思いを伝えたいと思っても、まだまだ伝わらない、そういう状況があったんだなというふうに思います。

 その後、結局、その少年たちは13歳と14歳でしたのでそれぞれ刑罰の対象にはならず、少年院に入るということになるわけですけれども、その後、法律では裁けないということで、少しでも気持ちを理解してほしいと思って民事の裁判に向かうわけですけれども、ここでも大変苦労がおありだったと伺っていますが、このときはいかがでしたでしょうか。

被害者御遺族A: 民事裁判のときまではまだ精神的にも肉体的にもきつくて、相手からの尋問に答えることができなくて、それは診断書を提出して話さないでいいということになったんですけれども、でも、その裁判のときにも少年たちは来てはいなくて、親が来ていて、親も争う姿勢を見せたので、それで裁判をやって1年くらいかかったと思います。判決にこだわっていたんですけれども、判決だと細かい約束事が盛り込めないんです。例えば、命日のときに線香をあげに来てほしい、お盆に来てほしいということが盛り込めないので、泣く泣く、和解で終わらせました。

伊藤: なるほど。別にお金が欲しいわけではない、とにかく加害者としての誠意を見せてほしいし、被害者の気持ちを知ってほしい、そういう思いがあったからこそ、お金より和解の道を泣く泣く選ばれたということですね。

 今、息子さんが生きていらっしゃったらとそういうことを考えられることもあるかなと思うんですが、その後の生活について教えていただいてもいいですか。

被害者御遺族A: 今ようやく落ち着いて暮らせるようにはなりました。当初は、ネットで誹謗中傷がすごい多かったんですけども、地域にいるのがちょっといづらくなった時期もありました。でも、今は何を言われても、別に気にしないようにしています。でないと、身が持たないので、言う人には言わせておけばいいという感覚で、私はそういうふうにして生きています。

伊藤: 沖縄という特別な事情もあるかもしれません。地域がとても近い、それがいい部分でもあるわけですが、いったんこういう事件が起こってしまうと常に見張られているような感覚にもなるかもしれないし、誹謗中傷も簡単に耳に届いてくる。そういう中で生活をしていくのは本当に大変だったのではないかなと思います。

 あと、今回、少年事件ということで、中学生のときに学校にもいろいろ御相談に行かれたというふうに伺っていますけれども、学校との関係はいかがだったんでしょうか。

被害者御遺族A: 学校は当時「いじめ」というふうに言っていたんですけども、その後、また言い分を変えて、「いじめはなかった」というふうに言っていました。でも、相談に行ったときには、担任の先生が「パシリのような扱いがある」ということで、「その少年たちとは遊ばせないほうがいい」というふうには言われました。息子にも「学校に行かなくてもいい」ということを私は言っていたんですけれども、息子は学校に行きたがっていたので、息子の意思を尊重して、学校には通わせていました。

伊藤: おうちにいる時間よりも学校にいる時間のほうが長いですから、学校で友達とどういう関係になっているのか。今、“パシリ”という言葉がありましたけれども、そういうことを学校もキャッチしていたのであれば、もっと早く手が打てたのではないか、そういうことも言えるのではないかなと思うんですがね。ありがとうございました。

 本当にかいつまんでですが事情を伺ってきましたけれども、その他、何か伝えておきたいこととかあればお願いします。

被害者御遺族A: 事件当時、まず、息子の名前と写真が報道されたんですけれども、加害者は少年法で守られていて名前も出さないし、もちろん顔も出さないんですが、被害者だけが顔を出されたりとか、そういう情報が全部載って、報道被害とかも受けましたし、真実を伝えたくて取材を受ければ受けたで、テレビに出すぎだというふうにまた批判されたりとかあって、自分でもどうしていいか分からなくなって、今ではもう一切取材は断ってはいるんです。

 それともう一点は、その直後は取材に来るのですけれども、ある程度たったらもう忘れたかのようにさっと引いていくということがありまして、事件がなかったかのように今ではもう忘れ去られていますね。

伊藤: ありがとうございます。報道のあり方について、武さんの御講演でもありましたけれども、報道のされ方もそうですし、報道機関が押し寄せることも苦悩につながりますし、急に波が引いていくことでも被害者は揺さぶられる、そういう気持ちを伺えたと思います。ありがとうございました。

被害者御遺族A: はい、ありがとうございます。

伊藤: ただいまのお話につきまして、パネリストの皆さんからコメントをいただければと思いますが、最初に武さん、いかがでしょうか。

武: 被害者御遺族Aさんと何年か会で一緒なんですけど、とても苦労しているなというのは最初から思っていました。まず弁護士さんが大変だったのです。少年事件というのは大体、集団暴行が多いのです。そうしたら、加害者がたくさんいるわけです。加害者には弁護士がすぐつくんですね、それもわりと早い時期からつきます。

 沖縄という、島と言っていいんですか、沖縄だと弁護士さんの数も大阪よりは少ないわけです。そうしたら、少年事件に詳しいと言われている人たちが加害者についていたわけです。加害者が8人いるわけですから、何人かついているわけです。そうしたら被害者御遺族Aさんがいざ被害者の立場で相談に行くと、なかなか弁護士さんを見つけられないというのがあって苦労していたと思うんです。それは他の地域でもそうなんですが、加害者にはすぐつくけれども被害者にはなかなかいないというのがまず問題だと思うのです。

 噂なんかも同じなんですけれど、集団暴行で加害者が8人いたら、その周りにはその家族がいて親戚がいて、すごく多いわけです。でも被害者は1人なんです。そんな状況の狭い地域で噂が出たら間違っていても強い声が本当に通ってしまうというか、噂がどんどん広がってしまうという怖さがあると思いました。

 確かに、気にしなければいいんです。だけれども、気になります。もう弱いわけです。大切な子供を殺されて、息をするのもやっと。一日一日過ごすのもやっとなのに、そういう噂が聞こえてくると、やっぱり気になるんです。その噂によってまた力をなくしてしまいます。少年事件ってすごく特徴があるなと思いました。

 もう一つ遡れば、遊ぶところで少年事件は起きることが多いのです。だから、被害者と加害者が近くにいるということが多いので、そういったことで悪いことはしていないのに、どんどん被害者が弱くなり、小さくならなければいけない現状があると思いました。私は本当に守られなければいけない弱い人が守られていないと思ったんです。それは被害者御遺族Aさんもそうですし、他にも同じような状況の人がいます。みんなが声をあげられるわけではないです。「その噂は、違うんです」ということはなかなか言えないので、守られなければいけない人がどんどんひどい目に遭っていくというのを見たときに、私はおかしいと思いました。

伊藤: ありがとうございました。では、パネリストの皆さんにも御意見を伺いたいと思いますが、では、村上先生のほうからお願いします。

村上: 弁護士の村上です。よろしくお願いします。先ほど武さんのお話を聞いて、また被害者御遺族Aさんのお話を聞いて、少し法律のことをお話しさせていただきたいと思います。犯罪被害者を保護する法律ができたのは本当に最近の話です。先ほどの武さんの事件は平成18年だったということですが、最初に犯罪被害者保護法ができたのが平成12年です。しかし、制度としては充実したものではなくて、「被害者保護も必要だ」というような理念をうたう程度のものでした。ですから、武さんの事件のときに、先ほどお話があったように、どこに行っても被害者が守られない、被害者に対する理解がない、少年事件での被害者側に対する情報の開示がないという、そういう時代だったと思います。

 そのあと、被害者御遺族Aさんが被害に遭った事件が平成21年ですが、その直前に少年事件でも被害者が少年審判を傍聴できる制度や意見陳述をできるという制度ができました。被害者御遺族Aさんが被害に遭った事件の少年審判の意見陳述の手続について、私もお手伝いさせていただいたのですが、沖縄で初めての例だったのではないかと思います。

 弁護士が加害者の弁護をするというのは弁護士という職業が生まれたときからそういう役割を担っていたのですが、一方で、弁護士が被害者保護をするという考えも法律も共になくて、弁護士は加害者の弁護をする、被害者の弁護なんてあり得ないという時代でした。ですから、被害者御遺族Aさんが意見陳述をするというときにも「少年の前でやるべきではない」とか、「許すべきではない」というような意見が裁判所のほうに加害者側についている付添人から出たということも私も聞いています。その中で被害者御遺族Aさんは頑張って意見陳述をしたのですけれども、そのとき私が思ったのは、少年法はやはり少年の更生を目的にした法律です。これは加害者が未成年ですから、私は決して少年法が間違った理念だとは思っていません。ただ、本当の更生って何かなと考えたときに、やはり自分が犯した罪をしっかり認識して見つめること、そしてその償いはどうやったらできるのかをしっかり考えることが本当の更生だということです。

 被害者御遺族Aさんの意見陳述を私も聞かせていただいたのですが、そのときに本当に確信しました。そのとき加害者側についている付添人(弁護人)が「少年にこんなことを聞かせたら、少年は立ち直れなくなる。被害者の声を聞かせるべきではない」というようなことを言われていたのを聞いたのですが、私は決してそうではないと思います。少し印象に残っているのが、調査官が少年に「あなたは自分の犯した罪を一生背負っていかなければいけないんですよ」と言ったんですね。その言葉に対する付添人からの抗議も聞いたのですが、私は、本当に調査官の言う通りだと思いました。確かに未成年の子が自分がどれほどひどいことを犯したかをそのときは見つめられないかもしれないけれども、その後年齢を重ねるごとに考えていくことが必要です。先ほど被害者御遺族Aさんのお話では命日にお線香をあげにくる加害者の数が減っているということですけれども、そういうことを忘れないでやれるように少年事件においての加害者のしっかりとした更生プログラムをつくるのが本当の更生だと思います。

 そういう意味では、被害者御遺族Aさんが被害から9年たっても、これは一生、傷は癒えることはないと言われましたが、その傷を少しでも癒す、また武さんの傷を少しでも癒す方法として法整備とか裁判のあり方とか、少年事件における更生プログラムのやり方等、まだまだ国ができること、法律ができることはたくさんあるのではないかなと思っています。

 他にもメディアのこととか経済的支援のこととかもいろいろお話ししたいことがあるのですが、それはまた時間がありましたらお話しさせていただきたいと思います。

伊藤: ありがとうございます。稲田先生、お願いします。

稲田: 武さんと被害者御遺族Aさんの勇気あるお話に敬意を表したいと思います。本当にありがとうございました。

 私も10年ほど被害者支援ゆいセンターの立場でこういう被害者支援に関わっておりますけれども、人間というのは時間と空間が保証されて、自分を取り巻く世界というのは安心で安全なものだという思いで日々過ごしているわけですけれども、それが突然奪われるということは、その後、何が起こるかというと、大抵のお話しした人たちから伺うと、世の中の安心で安全であった世界が迫害してくるとか、攻撃者に変わってしまう、敵になってしまうと。そういう中で生き抜くというのは大変つらいことだと思います。

 私の専門であります心療内科、精神科の世界で言いますと、大抵の被害者が夜も当然、先ほどお話にありましたが眠れなくなったり、うつ状態になったり、あるいは周りへの怒りのために心身ともに病んでしまうという人が多いです。先ほど武さんの話の中に「忘れられてしまう」、そして「何も感じないことが悲しい」という御発言がございました。心理学の世界では人が一番傷つくのは無視される--そのこと、その人がないかのように無視されてしまうということが人を一番傷つけると言われています。これが犯罪被害の当事者の人たちに起きている現状ではないかと思います。その意味でこういう大会は非常に意味があることで、もっともっと行っていかなければならないと思いました。

 そして、これは医療側に反省を迫ることでありますが、今、すぐ助けてほしいという人たちに対して、我々医療やカウンセリングの世界がちゃんと応えきれているのだろうかということが非常に身につまされました。といいますのは、御存じのように、医療機関にかかろうと思っても1カ月後の予約ですとか、いわゆるメンタルな救急というものを保証する力がまだありません。そういうことも含めて、このトラウマ、心の傷というものを抱えた人たちをどのようにして速やかに、そして持続的にサポートしていくかというのが我々医療界に突きつけられた大きな課題だというふうに思います。

 ややもすれば、どこか他の世界のことなんだろうとか、無視・無関心という構えになりがちでありますが、この勇気のあるお二人の御発言を受けて、改めて活動をしっかりやらねばならないというふうに思いました。以上です。

伊藤: ありがとうございました。では、屋良先生、よろしくお願いします。

屋良: 県立学校教育課の屋良と申します。武さん、それから被害者御遺族Aさん、今日は思い出すのも非常につらいところをお話しいただいてありがとうございました。私は今日、教育の立場でこの場におりますけれども、何よりも親として聞くべきだなという気持ちになっています。私も息子がおります。彼が目の前からいなくなったと、まず自分のこととして引き当てて考えてみると、こんなつらいことはないなと本当に思います。

 その中で、自分の今、立ち位置である「教育」に何ができるのかということを突きつけられているような気がしています。今、武さんのお話にもありましたが、いろいろなところで、法の整備のこともありますが、なによりもまず、意識が大分変わってまいりました。学校現場においても悪い芽は小さいうちに対処して摘み取っていかなければいけないという部分です。いじめのことについても一昔前の「喧嘩は含まない。いじめとしては認知しない」ということは文科省からの通達で変わっております。喧嘩であっても、小さな無視であっても、本人が不快と感じたことに対して、それがいけないことなんだと。いじめと認知するのかしないのかという話とは全く別に、そこに困っている人がいるのだということに気付けるのは、やはり多くの児童・生徒が通っている、学校のこの時間帯に一緒にいる教師が気付ける場面が大多数なのだろうと思いますので、私たち教員の見る目、気付く力、そういったものを一つひとつ高めていく必要があるなと。今、それに取り組んでいるところで、まだまだではあるんですけれども、現場の教師たちもまた頑張っておりますので、これからもそういう営みを続けていきたいなと思っています。

伊藤: ありがとうございました。

 お三方のパネリストの御意見もいただきましたが、いかがでしょうか。パネリスト同士で、お互いに何か聞いてみたいこと等ございますでしょうか。よろしくお願いします。

稲田: 屋良先生にお聞きしたいのですけれども、この「気付く力を高める」に対しての先生方の御尽力というのは、ある時期からこういう意識が高まってきたんでしょうか。といいますのは、学校に対する不満とか学校に対する不信感というものが様々な相談を受けているとよく見られるんですが、もっと私としては学校現場がこのように変わりつつあるんだということをアピールされたらいいのかなと思ってお尋ねします。

屋良: ありがとうございます。先ほども申し上げたように、まだまだだとは思うんですけれども、例えば文科省に報告する必要があるからと事務的に「これをいじめと認知する・しない」--「これはいじめだ」「これはいじめではない」、そういうふうに線引きをする業務ももちろんあります。これは業務としてありますけれども、何よりもそこに困っている子がいるということは、やはり日ごろの子供たちの顔、それから今日は昨日と比べて元気がない、いつも廊下で顔を見て挨拶してくれる子が今日は顔を見てくれない、そういった小さなことに気付けるという先生方の心の余裕が必要です。現実にはかなりいろいろな仕事、いろいろな責任を先生方は負っていますので、なかなかそこまで心を配れないのが実情。しかし、何よりも生徒のためにと思って一生懸命頑張っている先生方がたくさんいる。

 そこで、私たちはどういったところを支援してあげられるのかとか、声掛けができるのかということをやはり学校の先生方だけではなくて、臨床心理士の先生方、それから精神科の先生方、弁護士、それから福祉の関係の方々、いろいろな関係機関で、もちろん警察のほうにも相談します。いろいろなところのネットワークを使って、みんなで支援するという、「学校だけで抱えない」という意識も持とうということで、教育委員会のほうから各学校に、今、周知をしているところです。

 先生方一人ひとりも抱えないでください。学校としても抱えないでください。これは学校側で抱えるというのが、あるところから見れば隠蔽しているというふうな姿に映ることがあります。学校としてはそういうふうにするつもりはなくても、いわゆる抱えてしまって、自分たちの中だけで解決しようというふうにすると、やはりそういうふうに見えることがあるだろうと思いますので、その辺の意識改革は必要ですね。「みんなで育てていく」という情報共有の部分も意識改革の一つですので、これは、先生がおっしゃるように、今後も呼び掛けていきたいなと思っています。

伊藤: ありがとうございます。本当に学校の先生方は今忙しくて、労働時間が年々延びていますね。その中で気付く力を育てるということは難しい課題だなと思うんですが、それこそ最優先というんですか、子供たちの変化、子供たちの関係性に気付ける、先生方がまず力を持ち、それを子供たちに伝えていくということ。学力対策とか、そういうこと以上に大事な課題なのではないかなと僕は感じるんですけれども、ありがとうございました。

 あともう一つ、被害者御遺族Aさんのお話を伺って、村上先生にお尋ねしたいのですけれども、被害者御遺族Aさんの件の当時は相談できる数も少なかった、弁護士さんのほうでもそういう体制準備ができていなかったというふうに伺ったのですが、現状というか、最近はどうなんでしょうか。

村上: はい、ありがとうございます。被害者の方が刑事裁判に参加できる制度や国の費用で被害者にも弁護士をつける制度ができたのが平成19年、平成20年なのですね。先ほども申し上げたように、被害者御遺族Aさんが少年審判を傍聴できるようになったのもその事件の直前だし、事件記録を閲覧したり、謄写したりして読むことができるようになったのもその直前です。

 弁護士会でも今は犯罪被害者支援委員会というのがありまして、私もその委員長を、今、務めさせていただいているのですけれども、弁護士会の活動もまだ始まって15年くらいです。ですから、その当時、被害者の支援ができる弁護士が少なかったというのは事実だと思います。

 その後、今申し上げたように、法律で裁判に被害者が参加できるとか、損害賠償請求も簡易な手続でできるような制度もできて、弁護士の被害者支援というのもすごく広がってきました。今では沖縄にも被害者の方の支援をできる弁護士はたくさんいます。

 ただ、やはり弁護士も先ほど申し上げたように、加害者の人権を守るという使命を担ってきた歴史は長いのですが、被害者の支援というのは歴史的にはまだ浅いです。弁護士の二次被害を与えないという認識や相談体制がきちんとできているのかというと、まだまだ弁護士に対する研さんが必要で、被害者の心情に寄り添った支援をするために日々研修等をやって、努力していかなければいけないという状況だとは思います。

伊藤: ありがとうございます。弁護士とはいえ、人間でありますし、新しい制度もそうですし、そしてそれについていく自分たちの研さんも常に行われているということを聞けて、少し安心しました。

 被害者御遺族Aさん、いかがですか。先生方に何か御質問とかございますか。

被害者御遺族A: 学校へ望むことがあって、例えば「いじめがあった」というふうに親から相談を受けたときは、一日の大半を学校で過ごすので、それはもう先生がよく知っていると思うので、その辺をちゃんと把握してもらって、事実を伝えてもらって、分からないことは決してないと思うので、それを隠さず、ちゃんと報告してほしいというのがあります。

 ちょっとしたことから、情報を得られると、そういう大きな事件にもつながらなかっただろうし、当時、私の場合は第三者委員会というのがなかったのですけども、今、そういうのがあるということでそういうのを立ち上げてもらって、親からの相談があればきちんと対処して、それを事実確認して報告するというふうにやってほしいと思っております。

屋良: そのとおりで、私たちもその芽が小さいうちにということに気付く、その体制を今整えているところです。芽が小さいときにありがちなのが、いじめた側と言われる、いわゆる加害というのは、大きな、命に関わるような出来事であれば、それはもう明らかなんですけれども、日常の小さな関わりでいじめた、いじめられたという関係の場合、いじめた側がそういうふうに意識していないところがあって、それをまず意識させるということを、今、そこに時間を掛けています。

 ですから、保護者にも協力していただいて、「加害者だから指導します」というようなスタンスではなくて、「この子が他の人に与えた影響がどういう影響なのかということを一緒に考えさせ、育てていきましょう」という視点で連絡・相談をするようにはしています。ありがとうございます。

伊藤: ありがとうございました。いじめ防止対策推進法というのができて、特に重大な命に関わる問題が起こった場合、あるいはおそらくいじめに起因した欠席が30日以上続いた場合には、第三者によるいじめ調査委員会を立ち上げる必要があります。そういう制度も活用しながら、子供たちをみんなで守っていく。今、お話があったように学校だけではなくて、家庭も含めて、みんなで目を掛けて守っていく体制も遅まきながら少しずつできてきているところかなと思います。

 ありがとうございました。早いものでもう終わりの時間が近づいておりますが、最後、締めくくりに当たりまして、それぞれから、少し時間は短くなってしまっておりますが1、2分で御提言をいただければと思います。

 村上先生のほうからよろしくお願いします。

村上: 弁護士の立場から、被害者支援について考えることを最後に少しお話しさせていただきたいと思います。まず経済的支援という制度が足りないと思っています。被害に遭って、家族を仮に亡くすような事件にあったという場合、家族は仕事ができなくなります。これは武さんも被害者御遺族Aさんもそうだったと思うのですけれども、日々の生活さえ大変で、御飯を食べることもできないような状態で仕事に出掛けて収入を得るということはましてやできない。

 そういう中で、犯罪被害者給付金というのはあるのですけれども、それは被害弁償相当額ではなく、給付されるにも時間がかかります。損害賠償金の請求は加害者に対しできるのですが、それも時間が掛かるし、加害者に仮にお金がない、ましてや少年事件であれば、少年は当然お金がなくて、保護者に請求ということになるのですけれども、保護者もお金がないというケースが大多数です。そういうときには、結局、何の賠償金も得られないということになります。今後、国による立替えや補償金支払制度の構築が必要だと思います。また、今回、沖縄県も主催者に入っていますが、県によっては、現在、条例をつくって、何らかの補償金制度を設けている県も少しずつ増えています。沖縄県も今後ぜひそういう方向で検討していただきたいと思っていますし、弁護士会としてもそういう制度の構築には全面的に協力させていただきたいと思っています。

 あと、先ほど被害者御遺族Aさんの話の「メディアによる二次被害」も深刻な被害です。大きな事件であればたくさん取材が来るし、取材が来たかと思ったら、一時期すると本当にさっと引いてしまって忘れられたような対応になる。「報道の自由」もありますが、やはり被害者には人権があって、被害者のプライバシー、生活の平穏が当然守られる必要があるわけです。ですから、今後、報道機関の取材の方法の検討も必要ですし、被害者が本当に伝えたいこと、みんなに分かってもらいたいことを自らコントロールしながら世の中に被害者の声を届けていけるような仕組みも必要だと思います。私は弁護士ですが、弁護士もそれらを支援しながらやっていく必要があると思っています。

 今、被害者の方が刑事裁判に参加するときには国の費用で弁護士がつけられるという制度もありますが、認められている事件は限られていますし、そもそも少年事件はそういう参加が認められていません。せいぜい意見陳述ができるような制度しかありません。また、加害者にすぐに弁護士がつくのと同じで、被害者にも事件直後から国の費用で弁護士の支援を受けられるという制度等をつくって、被害者の人権を守りながら、事件の捜査から、裁判、そして被害弁償までつなげていく。その後も精神的な回復、また経済的な回復には時間がかかるので、その後もずっと支援を継続してやっていけるような法整備等が必要だと思っています。

 武さんのお話で出ていた「被害者も加害者もつくらない社会を」ということが、私は本当に胸に響きました。少年事件は、結局は社会の被害だと思うんです。加害者だけが本当に悪いのかと。最初に芽を摘まなかった大人の責任、社会の責任で少年による重大な事件が起きていると思います。事件を起こさない社会をつくるとともに、事件が起きたあとには加害者の更生もですが、被害者のその後の長期的な回復も支援できるような温かい社会をつくれるよう、私自身も努力していきたいと思います。皆さんの理解もお願いしたいと思います。以上です。

伊藤: ありがとうございます。稲田先生、申し訳ありませんが、手短にお願いします。

稲田: 2点ほどお話しいたします。今、琉大精神科を中心に、子供たち、少年の問題に取り組む若手の精神科医を育成中であります。これは未来につながる話だと思っています。

 もう一点ですけれども、来年の春、沖縄県に性被害に対するワンストップ支援センターがオープンします。これを契機に医師会の中でも犯罪被害というところに対する関心が強まっていますので、私としてはそれを少年事件も含めて医師会の中にちゃんと伝えていければと思っています。

 最後ですが、今日、武さんからいただいた京都新聞に御主人の話が載っています。武和光さんでしょうか、お亡くなりになったのですが、この記事の中で、最後の2行ですけれども、「夫として親として事件後を生き切った」と。まさに生き抜いた形だと思います。それを、今、武さんも引き継がれてやっているんだなというふうに感じました。ありがとうございました。

伊藤: ありがとうございました。屋良先生、お願いします。

屋良: 今日はありがとうございます。私は、今日、犯罪被害者支援のほうと、もう一つ同時進行で教育の方でできることは何か、新たな加害者、被害者を未来につくらないために何ができるかを改めて考えました。そのためには「人づくり」という教育の力ですね。そこを、今、沖縄県のちゅらさん運動の中の「ちゅらひとづくり」の中で何か政策が打てないかということです。そこで御紹介したいのは、高校生が、例えば「いじめ防止」というテーマで小学校に行ってお話をするという活動を2年前から行っています。年に何度もできることではなく、全ての学校に行き渡っているわけではないのですが、そういう活動の中で分かったことは、今、会場にみえますけれども、高校生の皆さんの思いとか力を自分の中だけにとどめておかないで、後輩たち、中学生、小学校、自分たちの弟、妹の年代に伝えていく「仕組み作り」が大切だということです。この「ゆい」の精神は沖縄らしさとして確立したいなということで、新たな被害者、悲しみをつくらないような、未来に向かった施策も教育としては進めていきたいと思っています。今日はありがとうございました。

伊藤: ありがとうございました。では、当事者のお二人にもぜひ感想を一言でも伺えればと思うんですが、先に武さんのほうからよろしいですか。お願いします。

武: まず、マスコミのことがありまして、すっと消えてしまう、報道されて一瞬のうちに去ってしまうということがあると思います。新聞、テレビの場合、放送するためにというか、放送できるときしか来ないということがあるんです。頭の中に、新聞でもまず記事にできるかどうかで決めてしまうことが多いと思います。でも私はそうではないと思っているので、みんなにお願いしていることがあります。記事にできないときでも来てください、とにかく私たちを見続けてくださいとお願いしているんです。そして、今年は報道できなくても、またできるときにしてくださいと、まず足を運んでもらうことをお願いしています。新聞の記事になる、放送できるって事情があると思うんです。でも、事情はあるけれども、とにかく見るだけでも来てくださいというか、思いだけは私たちのほうを向いてくださいということをお願いしているので、出来ないときには、個人で来てくださる人も多いです。そういうことの積み重ねで私はマスコミの人たちとの信頼関係も出来ていくと思っています。どこでもそんなふうになってほしいなと思います。

 それから、事件後、私は、自分のことを思い出すと、何もかも不信感だらけでした。絶望でした。真面目に生きたつもりなのに、一番大事な子供を殺される。こんな理不尽なことがあるのかと思うので、何もかもが考えられないというか、信じられませんでした。そんな中で救われたのは、自分の身近なところに信じられる人がいたことです。寄り添ってくれる人たちがいました。私は思うんです。私たちのような経験をした人がいかに直後に信じられる人を見つけるか、なんですね。

 だから、まずは「国」です。国が絶望させないでほしいです。法律をしっかりしてほしい、制度を整えていただきたい、まずそれが大事です。

 それから、今日、村上先生とお会いしてとてもうれしかったです。村上先生のような弁護士さんがたくさん欲しいです。直後にそういう弁護士の人がついて下さると信頼できるんです。救われるんです。だから、いかに直後にどんな人と出会うかが大事なので、民間支援団体、そして弁護士さん、警察も同じです。例えば、直後に警察官の人と会います。その方が信頼できるかどうかで、私たちの気持ちは、変わっていきます。救われることがあります。生きる力が出ます。そのあとの生き方に関わってくるというか影響を与える事なのです。皆さんに責任を押しつけているのではありません。もちろん、自分も力を出します。ただ絶望だけは、させないでほしいんです。自分たちで頑張れるところは頑張りますので、これからもどうぞよろしくお願いしたいです。

伊藤: ありがとうございます。被害者御遺族Aさんも、今日、登壇してみていかがでしたか。

被害者御遺族A: 久しぶりの登壇で緊張したんですけども、話せることは話せたと思っています。事件直後なんですけども、うるま警察署の犯罪被害者相談員の警察官の方がいて、その方がとても熱心に話を聞いてくれて、勤務時間外も自宅に来たりとかして、一生懸命、話を聞いてくれて、いろいろな制度を教えてくれて、事件直後の加害者の情報とかそういうのを教えてもらって、とても救われました。

 それと、ゆいセンターなんですが、今後、望むことというか、お願いしたいことは、事件の被害者を支えるのはやはり同じ思いをした被害者しか理解はできないと思うんです。なので、私もそうでしたけれども、事件後にどうしたらいいか分からない状態だったので、石垣島の同じ事件で亡くなった遺族の方から警察のほうに手紙をもらって、それから武さんの会のことを知って、すぐに大阪に飛んだんですけども、ゆいセンターの方には事件直後だけではなくて、その後もどうなっているかということ、困っていることはないか、何か相談することはないかということを、毎日とは言いませんけれども、定期的に連絡して、今の状態がどうなんだろうということを電話してきてもらったら助かります。以上です。

伊藤: ありがとうございました。早いもので、もう終了の時間が来てしまいましたけれども、被害者支援をするには、武さんのお話を伺って、その遺族の皆さんに信じてもらえないといけないのだ、ということを非常に重く受け止めました。

 信じてもらえる人間になるためには、多分被害者支援を頭で考えていてはいけないと思うのですね。被害者支援「について」考えるというのは、それを思考の対象に置くということであり、自分は第三者になっているわけです。そうではなくて、ぜひ自分自身をその内に置いて想像していただきたいと思います。自分が被害者の遺族になったらどういう生活になるんだろう、そういうふうに自分のこととして想像することで、初めて自分の感情が動きます。感情が動くことで自分の行動も変わってくると思います。そんな風に、本当に自分のものとして捉えることで、信じてもらえる人間になる第一歩ができるのではないかなと考えます。このパネルディスカッションを聞いていただいて皆さんの中で、少しでもそういう感情が、心が動く方が増えてくれたらと願っております。

 本日は、最後までお付き合いいただきました被害者御遺族Aさん、武さん、ありがとうございました。そしてパネリストの先生方、本当にありがとうございました。これでパネルディスカッションを終了させていただきます。ありがとうございました。

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