第1節 複雑化する警察の課題と治安に関する国民意識の変化
1 社会情勢の変容と治安課題の複雑化
近年における国内外の情勢は、過去に例のない著しい変化の最中にある。特に、人口減少・少子高齢化、情報通信技術の目覚ましい発展とサイバー空間の拡大、経済のグローバル化、経済安全保障を含む安全保障環境や地政学的な緊張の高まり、首都直下地震や南海トラフ地震等の巨大地震のリスク、気候変動の影響による豪雨や台風等の自然災害の激甚化・頻発化等の諸要素が、警察を取り巻く治安課題に多大な影響を与え、複雑化させている。
(1)国内における社会情勢の変容と治安課題の変化
我が国の人口は、平成20年(2008年)にピーク(1億2,808万人)を迎え、平成23年以降は減少を続けており(注1)、令和52年(2070年)には総人口が推計で9,000万人を割り込むなど、将来にわたって人口減少が続くことが懸念されている。
我が国の年間出生数は、第2次ベビーブーム期の昭和48年(1973年)には約210万人であったが、その後減少傾向となり、令和2年の出生数は84万835人となっている。世界的にみても、我が国の総人口に占める年少人口(0~14歳)の割合は、世界全域平均(国連推計)の25.4%の半分以下である11.9%にとどまっており、少子化が顕著である(注2)。
また、65歳以上の人口は3,621万人(令和4年12月1日現在)に至り、総人口に占める割合(高齢化率)が29.0%になる(注3)など、高齢化が急速に進行している。
空き家や独居高齢者の増加等により、犯罪に対する社会のぜい弱性が高まることが懸念される。高齢者に対する犯罪・事故と共に高齢者による犯罪・事故への対処が課題となっている。一方で、児童虐待、子供の性被害、子供を巻き込む痛ましい交通事故等の課題は今なお止まず、社会的関心は極めて高い。警察には、この種の課題に対し、従来にも増してきめ細かな対応が求められている。
さらに、新型コロナウイルス感染症の感染拡大は、国民の日常生活に様々な変化をもたらしてきた。感染予防のための外出自粛等の市民生活への制約により、従来から社会問題とされてきた若者や高齢者等の社会的孤独・孤立や人々の過度なネット依存等に拍車がかかったとの声もあるなど、社会の安全・安心面にも影響を与えている可能性がある。
このほか、我が国で就労する外国人は約182万人(令和4年10月末現在)と過去最高を記録しており、外国人材の適正な受入れや外国人材の受入れ環境整備に政府全体で取り組んでいくこととされている。今後も来日外国人の増加が見込まれる中、外国人の安全安心の確保が治安課題として重要度を増している。
注1:総務省統計局の人口推計(ただし、国勢調査実施年は国勢調査)による。
注2:令和4年版少子化社会対策白書による。
注3:総務省統計局の人口推計による。
(2)情報通信技術の発展、サイバー空間の変容と治安課題の変化
情報通信技術の著しい発展や、日常生活や経済活動へのサイバー空間の浸透は、社会に様々な便益をもたらす反面、サイバー空間を舞台とした犯罪をはじめ、新たな治安課題を生み、また深刻化させている。
1990年代以降急速に発展したインターネット、パソコン、携帯電話等の情報通信技術は、それ以前の固定電話を中心とする通信手段に大きな変化をもたらした。特に、近年、スマートフォンが様々なコンテンツやアプリケーションの利用が可能なモバイル端末として急速に普及し(注)、サイバー空間が日常生活に浸透してきたことにより、新たな治安課題が生じているところである。
注:我が国社会において、令和4年におけるインターネット利用者の割合は84.9%、個人のモバイル端末の保有者の割合は85.6%となっており、特に、20~59歳に係るインターネット利用者及びモバイル端末の保有者の割合は90%を上回っている。また、SNSを利用している個人の割合は80.0%となっており、特に、13~39歳に係る割合は90%を上回っている。(令和4年通信利用動向調査(総務省)(https://www.soumu.go.jp/johotsusintokei/statistics/data/230529_1.pdf)
① サイバー空間における技術・サービスの犯罪インフラ化
インターネット上で提供される技術・サービスの利用により匿名でのコミュニケーションや経済取引が可能となる中、これらの技術・サービスは、犯罪の実行を容易にし、あるいは助長するツールとして悪用されており、いわば犯罪のインフラとして利用されるようになっている。
例えば、他人の携帯電話番号や認証コードを利用したSMS認証により不正に設定されたアカウントがサイバー事案や特殊詐欺に悪用される実態がみられるなど、インターネット上で提供されるサービスが、規制の間隙を突いて不正に用いられている。
また、「Tor」等の匿名化技術は、情報統制が行われている海外の国々において、インターネット上での自由な活動と当該活動におけるプライバシーの保護等の目的で利用される一方で、これらの技術が活用されたダークウェブについては、ランサムウェアにより窃取された情報や児童ポルノ画像等が掲載されるなど、犯罪インフラとして悪用されている。
さらに、SNS上では、犯罪の実行者を募集する投稿(犯罪実行者募集情報)等が発信されている実態がみられる。こうした犯罪実行者募集情報等においては、「高額バイト」等の表現が用いられたり、仕事の内容を明らかにすることなく著しく高額な報酬を示唆したりするなど、犯罪の実行者を募集する投稿であることを直接的な表現で示さないものがみられる。こうした犯罪実行者募集情報等は、青少年等が安易に犯罪に加担する契機となっている。
② サイバー空間における犯罪やテロを助長する情報等の拡散
個人の誹謗(ひぼう)中傷に類する言説やプライバシーに関わる画像・映像等のほか、企業における秘密情報が、インターネットを通じて急速かつ広範囲に拡散されるようになるなど、情報をめぐる違法行為が治安課題となっている。
また、インターネット上の情報量が増大する中、爆発物を製造する方法や銃砲を3Dプリンタを用いて製造する設計図等がインターネット上に匿名で投稿され、容易に入手することができるようになるなど、テロ等の準備・実行に利用されるおそれがある情報がインターネット上で流布されている。また、インターネット上における様々な言説等を契機として、特定のテロ組織等と関わりのない個人が過激化するいわゆるローン・オフェンダーの脅威も現実化している。
③ サイバー空間を通じた犯罪・テロのグローバル化
サイバー空間が、全世界において重要な社会経済活動が営まれる公共空間となる中、サイバー空間をめぐる脅威は、グローバル化し、深刻の度を増している。
ア 国境を越えて敢行されるサイバー事案・組織犯罪
ランサムウェアと呼ばれる不正プログラムによる被害は、全世界で深刻化しており、国内においても、サプライチェーン全体の事業活動や地域の医療提供体制に影響を及ぼす事例が確認されるなど、被害が拡大し続けている。
令和4年中、ランサムウェアの感染経路については、VPN機器(注1)やリモートデスクトップ(注2)からの侵入が全体の8割以上を占め、テレワーク等に利用される機器等のぜい弱性や強度の弱い認証情報等を利用して侵入されたと考えられるものが大半を占めている。
また、SNSの普及等により国内外の間の連絡が容易となる中、犯罪者グループの中には、犯罪の実行に当たっての役割分担を細分化させ、そのネットワークを海外にまで広げているものもみられる。こうした犯罪者グループには、指示役と実行役との間の指示・連絡に秘匿性の高い通信手段を用いているものや、国内外の金融機関を利用してマネー・ローンダリングを行うものがあるなど、情報通信技術やサイバー空間を利用しながら国境を越えて犯罪を敢行している。
注1:Virtual Private Networkの略。インターネットや多人数が利用する閉域網を介して、暗号化やトラフィック制御技術により、プライベートネットワーク間が、あたかも専用線接続されているかのような状況を実現するための機器
注2:106頁参照(第3章)
イ 国家を背景に持つサイバー攻撃集団等によるサイバー攻撃
近年、我が国の事業者や学術関係者等を標的としたサイバー攻撃が発生しており、これらの中には、国家を背景に持つサイバー攻撃集団によるものがみられる。
例えば、北朝鮮当局の下部組織とされるラザルスと呼称されるサイバー攻撃集団が用いる手口と同様のサイバー攻撃が、我が国の暗号資産交換業者に対してなされており、数年来、我が国の関係事業者もこのサイバー攻撃集団によるサイバー攻撃の標的となっていることが強く推察される状況にある。
また、海外の政府機関や重要インフラ分野の関連企業・施設等に対するサイバー攻撃も後を絶たず、これらの攻撃についても、国家を背景とするサイバー攻撃集団の関与が疑われるものがみられる。我が国においては、令和4年9月、「e-Gov」等の政府機関等が運営する複数のウェブサイトが一時的に閲覧不能となる事案が発生し、時期を同じくして、親ロシアのハッカー集団とされる「Killnet」等が犯行をほのめかす声明を発表したことが確認されている。