第5章 公安の維持と災害対策

第5章 公安の維持と災害対策

1 国際テロ情勢

(1)イスラム過激派等
 2001年(平成13年)9月11日の米国における同時多発テロ事件以降、各国政府がテロ対策を強化しているにもかかわらず、国際テロの脅威は依然として高い状況にある。中でも、オサマ・ビンラディンが率いる国際テロ組織「アル・カーイダ」は、米国に対するジハード(聖戦)における象徴的存在として、イラクへの武力行使を支持した国々及び親米湾岸・アラブ諸国を非難し、全世界のイスラム教徒に向けてジハードを呼び掛ける声明を発しており、他のイスラム過激派に影響を与えているとみられる。
 
 表5-1 2005年(平成17年)以降に発生した主なテロ事件
表5-1 2005年(平成17年)以降に発生した主なテロ事件

 中東では、2005年(17年)12月にイラクにおいて国民議会選挙が実施された後も、米軍等駐留外国軍、治安部隊等イラク政府の関係者、同国の政党幹部、異なる宗派の住民等を対象としたテロが相次いで発生している。同年7月には、エジプトのシャルム・エル・シェイクで同時多発テロ事件が発生し、63人が死亡、120人以上が負傷した。同年11月には、ヨルダンの首都アンマンのホテルで同時多発テロ事件が発生し、60人が死亡、約100人が負傷し、「アル・カーイダ」のイラクにおける指導者とされるアブ・ムサブ・アル・ザルカウィ(注)のものとみられる犯行声明が出されるなど、イラクの周辺国にテロが拡散する可能性が指摘されている。また、2006年(18年)2月には、サウジアラビアのアブカイクで、石油関連施設に対する襲撃事件が発生した。

注:2006年(18年)6月、イラク政府等により死亡が発表された。


 東南アジアでは、2005年(17年)10月、インドネシア・バリ島のレストランで同時多発テロ事件が発生し、23人が死亡、146人が負傷した。この事件には、2002年(14年)10月にバリ島で、202人が死亡し、300人以上が負傷した爆弾テロ事件を始め、多くの爆弾テロを引き起こしたイスラム過激派「ジェマア・イスラミア(JI)」の幹部が関与したとみられている。JIは、フィリピンのイスラム過激派「モロ・イスラム解放戦線(MILF)」の一部や「アブ・サヤフ・グループ(ASG)」等と連携して活動していると指摘されている。
 欧州では、英国で主要国首脳会議(サミット)が開催されていた2005年(17年)7月、ロンドン中心部の地下鉄とバスで同時多発テロ事件が発生し、56人が死亡、約700人が負傷した。また、その2週間後には、再びロンドン中心部の地下鉄とバスで同時多発テロ事件が発生した。
 
 インドネシア バリ島における同時多発テロ事件
写真 インドネシア バリ島における同時多発テロ事件

(2)我が国に対するテロの脅威
 我が国は、2003年(平成15年)10月、オサマ・ビンラディンのものとされる声明において、攻撃対象国の一つとして名指しされた。また、2004年(16年)5月にウェブサイトに掲載されたオサマ・ビンラディンのものとされる声明において、邦人を始めとする米国の同盟国の国民を殺害すれば、金500グラムの報酬を与えると言明されている。さらに、我が国の国際社会における存在感が増し、日本企業や邦人が外国で活動する機会が増大したことに伴い、外国で我が国の権益や邦人がテロの標的とされる危険性が高まっていることなどからも、我が国内や外国における我が国の権益、邦人に対するテロの脅威は、ますます増大しているといえる。
 初めに、我が国内へのテロの脅威についてみると、前述のインドネシアにおける同時多発テロ事件にみられるように、大規模・無差別テロは、我が国に近接し、我が国と関係が深い東南アジア国内においても発生しており、その脅威は我が国の周辺地域まで及んできていることや、我が国内には、イスラム過激派がテロの対象としてきた米国関連施設が多数あることからも、これらを標的としたテロの発生が懸念される。
 こうした中、近年、国際手配されていたフランス人の「アル・カーイダ」関係者が、他人名義の旅券を使用して我が国に入出国を繰り返していたことが判明した。我が国内には、イスラム諸国からの入国者が多数滞在して各地でコミュニティを形成していることから、今後、イスラム過激派が、こうしたコミュニティを悪用し、資金や資機材の調達を図るとともに、様々な機会を通じて若者等の過激化に関与することが懸念される。
 また、外国における我が国の権益や邦人に対する脅威も存在する。ペルーの左翼テロ組織による在ペルー日本国大使公邸占拠事件(1996年(8年)12月)や、邦人10人が殺害されたエジプト・ルクソールにおける観光客襲撃事件(1997年(9年)11月)等、我が国の権益や邦人が被害に遭ったテロ事件は多数発生しているが、最近では、特にイラクにおいて多くの邦人がテロの被害に遭っており、2003年(15年)11月には、外務省職員2人が襲撃を受け、殺害される事件が発生した。また、2004年(16年)4月には、武装グループがファルージャで邦人3人を人質とし、同国に派遣している自衛隊を撤退させるよう我が国に要求する事件やバグダッド近郊で邦人2人が身柄を拘束される事件が発生した(邦人はいずれも後に解放された。)。さらに、同年5月には、邦人の報道関係者2人が殺害される事件や、同年10月には、イスラム過激派とみられる武装グループが邦人旅行者を人質とし、同国から自衛隊を撤退させるよう我が国に要求し、後に人質を殺害した事件が発生した。
 そのほか、2005年(17年)5月には、イスラム過激派とみられる武装グループがヒート近郊で民間警備会社の車列を襲撃し、同社の邦人社員が行方不明となった(2006年(18年)6月現在)事件や、2005年(17年)10月に発生したインドネシア・バリ島における同時多発テロ事件で、邦人観光客1人が殺害されるなど、我が国は外国においてテロの脅威にさらされており、日本企業や邦人が外国において活動する機会が引き続き増加するとみられることから、今後も邦人を対象としたテロが発生することが懸念される。
 
 表5-2 2001年(平成13年)以降に邦人が被害に遭った主なテロ事件
表5-2 2001年(平成13年)以降に邦人が被害に遭った主なテロ事件

(3)北朝鮮
〔1〕 北朝鮮による日本人拉致容疑事案
 ア 拉致容疑事案の捜査状況
  警察では、これまでに北朝鮮による日本人拉致容疑事案と判断してきた10件、15人以外にも、拉致の可能性を排除できない事案があることから、所要の捜査や調査を進めてきた。その結果、平成17年4月には、昭和53年6月に兵庫県で男性が失踪した事件を新たに拉致容疑事案と判断し、その旨を公表した。この結果、平成18年6月現在、北朝鮮による拉致容疑事案と判断されるものは11件、16人となっている。また、拉致に関与した北朝鮮工作員や「よど号」のハイジャックにかかわった犯人ら3人について、逮捕状の発付を得て、国際手配を行うなど、警察の総合力を発揮して捜査を推進してきた。同年1月、これまでの捜査の結果を踏まえ、昭和53年に相次いで発生した福井県及び新潟県におけるアベック拉致容疑事案に対処するための警察の態勢に関し、福井県警察及び新潟県警察が、それぞれ警視庁と共同して捜査を行うよう、警察庁長官が指示した。
  この指示を受け、福井県警察及び新潟県警察は、それぞれ警視庁と共同捜査本部を設置の上、所要の捜査を行った結果、アベック拉致容疑事案(福井)の実行犯として北朝鮮工作員辛光洙を、アベック拉致容疑事案(新潟)の実行犯として北朝鮮工作員・通称チェ・スンチョルを特定し、平成18年2月、それぞれ逮捕状の発付を得た。また、過去に諜報活動を行っていた疑いのある通称チェ・スンチョルについては、旅券法違反等で、同日、改めて逮捕状の発付を得た。さらに、同年4月、昭和55年6月に発生した原敕晁さん拉致容疑事案に関して、実行犯である辛光洙及び金吉旭の逮捕状の発付を得て、それぞれ国際手配を行っている。
  なお、警察庁では、平成18年4月、北朝鮮による拉致容疑事案の捜査等において、各都道府県警察に対し、指導を行うとともに、関係機関・団体との調整を行うことを目的として拉致問題対策室を設置し、拉致容疑事案の全容解明に向けた体制を強化している。

 イ 日朝首脳会談(2002年(14年)9月17日)後の日朝の動向
  2002年(14年)9月17日の日朝首脳会談の席上で、金正日国防委員長は、拉致問題について、「(北朝鮮の)特殊機関の一部の盲動主義者らが英雄主義に走ってかかる行為を行ってきたと考えている」との認識を示して謝罪し、同年10月には北朝鮮から生存と伝えられた5人の拉致被害者が帰国した。その後、16年5月と7月には、これら拉致被害者の家族の帰国・来日が実現した。
  同年11月9日から14日にかけて、平壌で第3回日朝実務者協議が開催されたが、この日本政府代表団に警察庁の職員が新たに参加した。北朝鮮は、再調査の結果であるとして、従前と同様、当時拉致被害者として認定していた15人から帰国済みの5人を除いた10人のうち、8人は死亡し、2人は入境の確認が取れないと説明した。しかし、北朝鮮が説明する死亡に至るまでの経緯が不自然で、事実であるか疑わしい又は事実が不明である点が多かった。
  この協議の際、北朝鮮は、拉致被害者の横田めぐみさんの遺骨と称するものを提出した。関係都道府県警察は、専門家により慎重に選定された、DNAを検出できる可能性のある骨片10片について、DNA鑑定の分野では国内最高水準の研究機関である帝京大学と警察庁科学警察研究所に鑑定を嘱託した。その結果、帝京大学に鑑定を嘱託した骨片5個のうち4個から同一のDNAが、他の1個から別のDNAが検出されたが、いずれも横田めぐみさんのDNAとは異なっていた。
  政府は、同年12月25日、提示された情報及び物証を精査した結果を北朝鮮に伝えた。これに対し、北朝鮮は、同月30日、「受け入れることも、認めることもできないし、それを断固排撃する」などと主張し、「朝日政府接触にこれ以上意義を付与する必要がなくなった」と述べた。また、2005年(17年)1月26日、我が国に「備忘録」と題する文書を提出し、横田めぐみさんの遺骨と称するものに関する鑑定結果はねつ造であると改めて主張するとともに、その返還を求めた。
  これに対して、我が国は、同年2月10日、北朝鮮に「北朝鮮側「備忘録」について」と題する文書を伝達し、我が国の見解は、「厳格な手続きに従い、日本で最も権威ある機関の一つが実施した客観的かつ科学的な鑑定に基づくものである」などと反論するとともに、拉致被害者の即時帰国と真相究明を求めた。しかし、北朝鮮は、同月24日、我が国に対し、「この問題について日本政府と議論する考えはない」などとした上で、責任ある者の処罰と遺骨の早期返還を要求した。これに対し、我が国は、同日、「生存する拉致被害者の即時帰国と真相究明を改めて強く求め」、「北朝鮮側が六者会合に早期かつ無条件に復帰し、問題解決のために前向きな対応をとることを強く求める」などとする外務報道官談話を発表した。その後、同年11月3日、4日の両日、北京で、約1年ぶりに再開された日朝政府間協議では、日本側から「拉致問題等の懸案事項に関する協議」、「核問題、ミサイル問題等の安全保障に関する協議」及び「国交正常化交渉」の三つの協議を並行して行う案を提示した。北朝鮮側は、同年12月24日、25日に開催された協議において、この提案を受け入れ、2006年(18年)2月4日から8日までの間、北京で、日朝包括並行協議が開催された。これらの場において、日本側より生存する拉致被害者の早期帰国、真相究明及び容疑者の引渡しを改めて強く求めたが、北朝鮮側から、拉致被害者に関する新たな情報の提供はなく、拉致問題について具体的な進展はみられなかった。
  なお、外務省は、同年4月11日、横田めぐみさんの娘と韓国人拉致被害者の家族との間に血縁関係が存在する可能性が高いとのDNA鑑定結果を公表した。
 
 表5-3 北朝鮮による日本人拉致容疑事案の概要
表5-3 北朝鮮による日本人拉致容疑事案の概要

〔2〕 北朝鮮による主なテロ事件
 北朝鮮は、朝鮮戦争以降、南北軍事境界線を挟んで韓国と軍事的に対峙しており、韓国に対するテロ活動の一環として、これまでに、工作員等によるテロ事件を世界各地で引き起こしていることなどから、米国務省では、キューバ、イラン、スーダン、シリアとともに、1988年(昭和63年)から北朝鮮をテロ支援国家に指定している(注)

注:リビアについては、2006年(18年)5月、指定を解除する方針が発表された。


 ア 韓国大統領官邸(青瓦台)襲撃未遂事件
  1968年(43年)1月、韓国軍人に偽装して同国に潜入した北朝鮮の武装ゲリラ31人が、朴正煕韓国大統領ら韓国要人の暗殺を企図して、韓国大統領官邸(青瓦台)付近の路上で韓国当局と銃撃戦を行い、民間人5人と警察官1人を射殺した。韓国当局は、武装ゲリラのほとんどを射殺し、1人を逮捕した。

 イ ビルマ・ラングーン事件
  1983年(58年)10月、ビルマ(現ミャンマー)に潜入した北朝鮮の武装ゲリラ3人が、同国を親善訪問中の全斗煥韓国大統領らの暗殺を企図し、一行の訪問先であるアウンサン廟において爆弾テロを引き起こし、韓国外務部長官ら21人を死亡させ、47人を負傷させた。

 ウ 大韓航空機爆破事件
  1987年(62年)11月、日本人名義の偽造旅券を所持した北朝鮮工作員の金勝一と金賢姫が、バグダッド発アブダビ、バンコク経由ソウル行きの大韓航空機858便に時限爆弾を仕掛け、アブダビからバンコクへ向かう途中のビルマ南方アンダマン海域上空で爆破させ、乗員乗客115人全員を死亡させた。金賢姫の供述等から、同人らは、朝鮮労働党対外情報調査部に所属し、北朝鮮において、「ソウル・オリンピックを妨害するため大韓航空機を爆破せよ」との指令を受け、犯行に及んだことが判明した。

 エ 最近の動向
  北朝鮮の関与が明らかなテロ事件は大韓航空機爆破事件以後みられないが、1996年(平成8年)9月、韓国北東部で北朝鮮の潜水艇が座礁し、乗船していた武装工作員らが韓国領土内に侵入する事件が発生した(武装工作員の一部は、付近の山中で死亡しているのが発見されたほか、韓国軍との銃撃戦で射殺されるなどした。)。1998年(10年)6月には、韓国領海内で漂流していた潜水艇内から、9人の遺体と北朝鮮の自動小銃等が発見される事件も発生した。

(4)日本赤軍と「よど号」グループ
〔1〕 日本赤軍
 日本赤軍は、1995年(平成7年)以降、世界各地で構成員が相次いで検挙され、12年11月には、最高幹部の重信房子が逮捕されるに至った。13年4月、重信は、獄中から日本赤軍の解散を宣言し、日本赤軍もこれを追認した。しかし、この解散宣言では、テルアビブ・ロッド空港事件(注1)を依然として評価しており、同年12月には日本赤軍の継承組織も活動を開始するなど、テロ組織としての危険性に変化はない。
 18年2月、重信は、ハーグ事件等により東京地方裁判所で懲役20年の判決を受けたが、同年3月弁護側、検察側双方ともこれを不服として東京高等裁判所に控訴した。
 警察は、国内外の関係機関との連携を強化し、逃亡中の7人の構成員の早期発見、逮捕に向けた取組みを推進している。

注1:1972年(昭和47年)5月30日、イスラエル・テルアビブのロッド空港(現ベングリオン国際空港)で岡本公三ら3人によって引き起こされた乱射事件。この乱射で24人が死亡、76人が重軽傷を負った。


 
写真 日本赤軍

〔2〕 「よど号」グループ
 1970年(昭和45年)3月31日、極左暴力集団である共産同赤軍派(注2)の構成員9人が、東京発福岡行き日本航空351便、通称「よど号」をハイジャックし、北朝鮮に入境した。
 警察は、ハイジャックにかかわった被疑者を国際手配し、既に田中義三外1人を逮捕した。このほか、2人が既に死亡しており、現在も北朝鮮にとどまっている被疑者は5人とみられる。そのうち1人は死亡したとされているが、真偽は確認できていない。
 平成14年3月、警察は、これまでの捜査結果から、欧州で発生した日本人女性拉致容疑事案は、「よど号」グループと北朝鮮によるものである疑いがあると判断した。同年9月、同事案に関し、有本恵子さんに対する結婚目的誘拐容疑で、「よど号」犯人の魚本(旧姓・安部)公博の逮捕状を得て、同年10月には国際手配を行った。
 「よど号」犯人の妻らについては、これまでに帰国した5人を逮捕し、いずれも有罪が確定している。妻子らの帰国をめぐっては、17年11月、「よど号」グループ関係者が、18年夏までに妻子ら全員の帰国を目指す方針を明らかにしたと報じられ、18年1月及び6月にそれぞれ子女1人が帰国した。
 警察は、「よど号」犯人を国際手配し、外務省を通じて北朝鮮に対し、身柄の引渡しの要求を行うとともに、「よど号」グループの活動実態の全容解明に努めている。

注2:正式名称を共産主義者同盟赤軍派という。


 
写真 「よど号」グループ
※「よど号」グループの写真には、誤りがありましたので、平成19年5月に差し替えております。

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