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第3章 刑事手続への関与拡充への取組

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1 刑事に関する手続への参加の機会を拡充するための制度の整備等(基本法第18条関係)

講演録 大学生の娘を奪われて21年

講師:米村 州弘 氏

平成15年9月25日、とても楽しい夕食の時間を過ごすことができました。それまでの夕食の中で一番楽しい時間だったと思います。その翌日の夕方に1本の電話がかかってきました。「ちいちゃんがバイト先に来ていない。何かありましたか」と。20歳の娘で連絡が取れないことは今まではなかったので、一晩中電話をかけ続けたけれど、繋がることはありませんでした。翌日の27日、私はすぐ警察に届けました。それから約10日後、娘は熊本から遠く離れた大阪の金剛山という山頂付近の土の中から見つかりました。
大阪に住む加害者と智紗都との出会いは、その4〜5年前になります。ちいちゃんが高校に入学したら、パソコンを買ってあげるという約束をしました。これからの世の中、パソコンはこども達のために絶対になると思いました。日本中のいろいろな人達とやり取りをするようになり、ちいちゃんは、どんな部活に入ろうかなとか、どんな本を読もうかなとか、本当にたわいもないことを相談していたみたいです。その中から、一人とてもいい返事をしてくる文字だけの世界の人がいました。20数年前、こども達のためにパソコンを買ってあげる家庭はまだ少なかったのですが、私は絶対こども達のためになる、私が買ってあげた理由はただそれだけでした。そのパソコンで加害者と知り合ってしまい、4年半後、事件に遭ってしまいます。
ちいちゃんが大阪の山頂で見つかった時にすぐ考えたことがあります。「私が大切な娘を殺した」ということです。パソコンさえ買ってあげなければ、ちいちゃんは死ぬことはなかった。だから、パソコンを買ってあげた自分が殺したという考え方になってしまったのです。頭では分かっているのです。犯人が殺して、娘を土の中に埋めた。理解はしています。しかし、心が許せないのです。「自分が娘を殺した。大切な娘を殺したのは自分だ」と。
また、事件の1週間ほど前に、2つ上のとても仲のいいお姉ちゃんにちいちゃんは「ちょっと今悩んでいることがあるの」と言って、お姉ちゃんに少しだけ内容を話したみたいで、「そんなことだったらお父さんに相談しなよ。お父さんが一番いい」と。だけど、ちいちゃんは言います。「お姉ちゃん、もう少し待って。自分がもう少しだけ努力してみるから。お父さんに言うのはもう少しだけ待って」と。1週間後に大切な妹が殺されてしまいます。22歳だった長女は「お父さんに言わなかった自分が、大切な妹を殺したんだ」と私に言いました。「大切なちいちゃんを殺したのは私だ」と泣きながら。
事件の数箇月前、ちいちゃんがマンションに移った時に、ちいちゃんが飼っていた鳥の世話を妻がすることになりました。とても慣れた鳥で、いつも放し飼いにしていたのですが、事件の3ヶ月ほど前、妻が炊事をして後片付けをしていた時の事故で亡くなってしまいます。ちいちゃんは大学生になり、大学生活が楽しいから加害者とのやり取りはなくなっていました。授業、サークル、部活、いろいろな面でとても楽しんでいました。バイトも含めて。だけど、鳥が亡くなったことで、ちいちゃんは加害者にメールを送ってしまいます。「さくらが亡くなってしまった」と。それが原因でメールのやり取りが復活してしまい、妻は事件が起きた時、「大切な娘を殺したのは母である自分だ」と考えました。残された4人の家族の中の3人が「大切な娘、大切な妹を殺したのは自分だ」と思うような生活になってしまったわけです。
加害者は私よりも1つ年上の大阪に住む男性でした。メールのやり取りの頃は、ちゃんとした人生を送っていて、ちゃんとしたアドバイスをただ送っていただけだと思うのです。しかし、事件を起こした頃、彼は妻子の元を離れ、アルバイトをしながら生計を立てるようになっていました。彼は妻と別れ、そして事もあろうか20歳のちいちゃんと人生をやり直そうとしたわけです。当然、ちいちゃんは断ります。すると、それが殺意に変わってしまったのです。なぜそんな考えになったのか、普通の人間には全く分かりませんが、追い詰められた人というのは、どのような考え方になるのか分からないと、この時本当に思いました。
ちいちゃんが見つかった10月10日、大阪の富田林署に行き、私は棺桶の小窓を開けて覗き込みました。そこには、赤茶けた、人間とは思えないような姿の物体が横たわっていました。私は「これはちいちゃんじゃない」。妻が駆け寄り、同じように「絶対にちいちゃんじゃない」。長女と三女も同じように言います。特に三女はこのまま気が狂ってしまうのではないかというぐらいの勢いで泣いて叫びました。私は想像ができなかったのです。変わり果てたちいちゃんの姿を。今このように話していても、私にはその時のちいちゃんの顔が心に浮かびます。どうしてもその時のちいちゃんの顔が、頭から消え去ることはありません。
私は、刑務所から出た後、彼が少しでも幸せにならないように、民事裁判を起こしました。金銭的にゆとりを持たせないように。すると1億円という額が出ます。それが翌年の9月の初めだったのです。
私は、スーパーの中でテナント営業をしていました。妻が半年以上経ってやっと仕事に復帰すると、妻の知り合い、お客様の中の親しい人達がいっぱいいらっしゃって、妻に「辛かったでしょう」「大丈夫ですか」「大変でしたね」「頑張ってください」と、その方達が持っている本当の優しい気持ちを優しい言葉で妻に話しかけます。妻はボロボロと泣きながら受け答えをします。結構大きなスーパーだったので、毎日のようにそういう方が来ます。そうすると毎日のように妻は泣いて答えます。10ヶ月ほどすると、仕事を辞めたいと言い出しました。当時まだ49歳です。「仕事を辞めてどうする。家族をどうやって守る。仕事だけはしよう、家族を守るために」と。だけど妻は辞めたい。そんな口論が3ヶ月ほど続きました。その3ヶ月間でどんなことが起きたかというと、妻が壊れていくのです。仕事を取るのか、家族を取るのか。私は当然家族を選びました。それが民事裁判が出た1ヶ月後の10月です。そうしたら、勘違いされた方達が、お金をもらったから仕事を辞めるのだと。電話が何本もかかってきました。娘を殺された家族に「1億円もらえて良かったですね」と。もちろんもらっていないお金を。優しさなのか、誹謗中傷なのか分からない、本当に悲しい出来事でした。
私は、一生懸命家族を盛り上げようとしましたが、誰も全く笑いません。食事が終わったら各部屋に戻っていき、私はただお酒を飲むだけです。そんな生活が延々と続きます。21年経ちましたが、誰も笑いません。笑えないのです。全ての遺族がそうだとは言いません。だけど実際、私の家族は家の中では笑っていません。
また、事件後の私の人生の21年の中で、とても辛い出来事が起こりました。それは、孫の誕生です。私は、孫が誕生した時に、新しい命が私の家族に加わったら少しは元に戻れると思っていました。だから、娘から生まれたと聞いた時にとても嬉しかったことを覚えています。しかし、孫を見た瞬間、駄目になってしまったのです。遺族になってからの人生は、楽しいことが起きると、それが辛いのです。何でもかんでも、ちいちゃんと結びつけてしまうから。だから長女、三女の卒業、就職、そして長女の結婚、全てが辛いものになってしまいました。
マスコミから言われ、心に突き刺さって忘れられない言葉があります。私は葬式が終わってたった3日後から仕事を再開しました。それは家族を守るためでもあり、どうしようもなかったことなのです。しかし、ある記者から言われます。「お父さん、あなたはよく仕事ができますね」と。どんな思いで言われたのか尋ねませんでしたが、マスコミから言われた言葉としては一番心に残っています。
マスコミ被害というのはすごいです。最初は情報がないので、一方的に書かれたのです。出会い系サイトで知り合った、よく週刊誌にあるような記事の書き方です。朝の情報番組であまりにも嘘八百言うので、私はそのテレビ局に電話をしました。「ちょっと話していることがおかしいんじゃありませんか」と。すると、番組ディレクターは「遺族の言葉など関係ない。うちの局はこれでいくから」という返事でした。私はマスコミというのは正しいものだと思っていたのですが、そんなことをするのがマスコミなのだと当時思い知らされました。
私は今、こども達に対する命の授業というのをとても大切にしています。万単位のこども達の感想文をもらいました。こども達は、自分が感じる心を素直に答えてくれます。その中で「自分はつまらない人間だ。生きる資格がないような人間だ。お父さんお母さんからも愛されてないし、いろいろなことを書いて死のうと思っていた。自殺しようと思っていた」。しかし、私の話を聞いて「お父さんお母さんがどんなにこどものことを考えているかが分かったから、自殺するのをやめます。死ぬということを考えることをやめます」という感想文がありました。本当に嬉しいことです。
ちいちゃんは何人もの命を救っています。私はその瞬間、ちいちゃんが生き返ったという考え方です。もしも皆さんの中に、本日少しでもちいちゃんのことを考えてくださる人がいたら、その瞬間、皆さんの心の中にちいちゃんが生き返ったと。私が活動する間は、ちいちゃんは生き返って人を助けることができる、そんな考え方をしながら、私は今、一生懸命こども達に語りかけています。
大人の方達も、「行ってらっしゃい」「ただいま」「いただきます」の大切さが本当はわかっていないのです。私も平成15年9月25日の夕食の時間、あの時間が永久に続くと思っていた。だけど急にいなくなってしまう。その怖さを私は気持ちを込めて、実体験としてこども達に伝えることができる。皆さんに伝えることができる。そして皆さんやこども達が少しでも考え方を変えてくれたらと思います。妻が「もう家の中で“ちいちゃん”という言葉を使わないで」と言い出し、半年後には”ちいちゃん”という言葉を使えなくなりました。だから、私は妻に提案をしました。お互いに1回だけでいいから、ちいちゃんに手紙を書こうと。数箇月かかったのですが、やっと書いてくれた手紙がここにあります。たった一度だけちいちゃんに書いてくれた手紙、これを読ませてください。
「母より
ちーちゃん、もう14年も会ってないヨネ!今、もしどこかで生きていられたら、どんな旦那様とどんな子供達と出会えていたのかな?ちーちゃんだから、子供のしつけをちゃんとして良妻賢母、きびしくてやさしいお母さんになっていたよね。仕事も、大好きな子供達に囲まれて保育士さんになっていたよね。そしてお姉ちゃん家族とも仲良く、お父さんとお母さん、妹も大事にしてくれたよね、楽しい未来を描けていたよね。
なのに、世界中どこを探してもちーちゃんと会えない。あの男はちーちゃんだけを殺したのではない。ちーちゃんの子供も、その又子供も、その次の子供も無限に殺した。ちーちゃん一人の命、それが誰の命であっても同じです。その命の重さは未来の子供達の命をうばう事。その事を重く考えて解ってほしい。この事はちーちゃんが教えてくれたよね。
何だかんだ言いながらお母さんはもうちーちゃんの3倍も生きてしまいました。出来る事ならちーちゃんの未来の為、お母さんの命と代わってあげられれば良かったと、いつも思います。お母さんはもう充分に生きてきました。今ちーちゃんより長く生きている事、ちーちゃんを助けてあげられなかった事、償おうと思っても償うことが出来ない。それはお母さんの後悔であり、お母さんの罪なのです。本当にちーちゃんごめんなさい。お母さんの方が長く生きていてごめんなさい。ちーちゃんの事守り切れなかった母をどうか一生許さないで下さい。

平成30年1月26日」

皆さん、自分が生きていることを罪と思うような人生ってどう思いますか。自分が3倍も生きていることを後悔するような人生ってどう思いますか。私は母親のそこまでの気持ちが想像できませんでした。自分が一番悲しんでいるのだと思っていました。この手紙を読むと、こども達が反応します。「自分は命を大切にしなければ」と。遺族の言葉というのは、とてもこども達に響くと思うのです。
これから先、この手紙に出会い、一人でも命を救われるこどもがいたら本当に幸いです。自分の生きていくことを罪と思うような人生を送ってはいけません。送らせてはいけません。そのことを、これから先も体が続く間は、やっていきたいと思っています。
本日はどうもありがとうございました。
 ※本講演録は、令和6年度犯罪被害者週間中央イベントにおける基調講演の概要をまとめたもの。

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