講義2

 
テーマ:「犯罪被害者支援の現状」
講師:鳥居 光子 氏(NPO法人静岡犯罪被害者支援センター)

 静岡犯罪被害者センターの鳥居でございます。私は三保で生まれ、三保で育って、現在、清水第一中校区に住まいしております。仕事をしていて留守にしがちな私は、地域の皆様方には非常にお世話になっております。今日もこの上に立っていますと、随分お世話になっておりますご近所の方、あるいは顔見知りの方が何人かいらっしゃいます。「鳥居のやつが何をそこで言うんだろうか」とハラハラしてらっしゃると思いますが、どうぞよろしくお願いいたします。

 私は県警を退職いたしまして、支援センターに入って3年半。まだまだ新米の支援員でございます。どうぞよろしくお願いいたします。

 静岡犯罪被害者支援センターは、これはご遺族も含めた犯罪被害者等、「等」の中にご遺族やご家族が入ります。犯罪被害者等の精神的被害の軽減を図ること、いわゆるメンタル的な部分の軽減を図るため、平成10年5月18日に設立されました。その後、3年間の活動実績を踏まえまして、この種の犯罪被害者支援の団体としては全国初のNPO法人格を頂いております。事業内容も、当初は電話・面接相談を含めた相談業務だったのですけれども、15年からは直接支援活動を主軸に加えまして、さらに平成17年からは犯罪被害者のご遺族、殺人や強盗・強姦致死等、身体犯のご遺族を中心に結成されました自助グループとも連携を深めております。

 現在、静岡県で私どもが連携を図っている自助グループは、交通事故遺族を中心としたグループが1つ、殺人事件を主体にした被害者ご遺族の自助グループが1つ、都合2グループが私どもの支援センターと連携を取っております。支援をするのではなく、対等な立場でもって連携し合っております。ですから、今度の23日には交通事故遺族の自助グループへ参りますし、27日には殺人遺族の自助グループへ私どもが出かけます。

 そういうような実績とともに、支援センターのさらなる充実・強化のために念願だった、静岡県公安委員会指定の犯罪被害者等早期援助団体に平成19年9月に指定されて今日に至っております。

 次に支援センターの業務内容でございます。まず犯罪被害に遭うということは、どういうことなのだろうかと。当初、市民生活課長さんからごあいさつを頂いたときに、「犯罪被害に遭うということはこういうことなんだよ」とご説明いただいたとおりでございます。さらに私も「犯罪被害に遭うということはこういうことなんだよ」ということのレジュメ[PDF:147KB]をお手元にお届けしてあります。殺されるにしても交通事故に遭って亡くなるにしても、ある日突然なんです。予期しないことなのです。

 もうずっと古い話ですが、私もいわゆる犯罪被害の遺族の1人です。父親が仕事の帰り、ちょうど陸橋を降りたところにある横断歩道に入りかけたとき、陸橋を降りてきた車、10日後に成人式を控えている男性の車にはねられて即死状態でした。病院へ駆けつけたときには、もう既に気管切開をして広げたのですが、既に死亡していました。そういう状態です。ですから、私も本当にある日突然です。1月6日に電話が鳴った。おやじが私のところに寄るのかなと思って「もしもし」と言ったら、「鳥居さん? 清水署の当直だけどね」という話で「お父さんが仕事の帰りに交通事故で今病院へ搬送された」と。冬なものですから「火の元には十分気をつけて、富士の中央病院へ行って欲しい」と。駆けつけたときには、もう既に事切れていました。

 これは余分な話になりますが、私が父親に対して非常にすまなく思ったことは、車に乗って行きながら、由比のバイパスを通ったときに、「ああ、母親もガンで秋までもつかどうかわからないといって寝ついてしまっているときに、父さんが交通事故で半身不随になっちゃったら、また私の負担が増える」と、そういうふうに思いましてね。だから、今ではそれが父親に非常にすまなく思っているのですが、やはり遺族の会、自助グループの人たちも、私と同じような思いをもって病院へ駆けつけたという人もいます。もう20数年前のことなんですけれども、私もいまだにそういう罪悪感に苛まれることがあります。

 ですから犯罪被害に遭うということは、その瞬間だけでなく、長く尾を引いている。それをいかにしてサポートするかということに、かかってくると思います。警察は短期的な支援です。その短期的な支援から私どもは引き継いで、どういう支援をするかということが、やはり支援センターの任務だろうと思っております。

 お手元の「あなたの心を応援します」というものの中に、犯罪被害者支援センターはこういうことをやるよというのが書いてあります。被害者やご遺族は、突然の出来事で何をどうしたらいいのだろうか、わからない状態に陥っています。そういう中で、私どもの業務としては、今後どのようにしたらいいのかわからない、誰かに自分の気持ちをわかってほしいなどと思われる方のために、電話相談、あるいは法律的なことでしたらプロの弁護士に引き継ぐ、あるいはメンタル的な部分でしたら精神科医、あるいは臨床心理士などに引き継いだり、また紹介業務もしております。

 2番目といたしましては、直接的支援です。私は、この直接的な支援なくしては被害者支援センターの存在意義はないと自負しております。パンフレットの中にありますが、ご自宅への訪問、警察署へ、裁判所へ、病院へ、検察庁へ、公務所へと付添い支援もいたしております。

 では、どういうきっかけで支援に入るのかと申しますと、先ほどの中央署の福島係長からのお話のとおりに、警察署の短期的な支援が終わる。そうしますと、警察本部の被害者支援室を経由して、私どものほうに「こういう支援を要望する」という、情報提供があるわけです。それに基づいて、私のほうはセンターでどういう支援ができるか、被害者サイドはどういう支援を求めているかということで、被害者及びご家族と支援の内容の確認をいたします。そして、どのような支援が適切であるかというのがわかれば、その支援に対して優先順位をつけます。それでよしとなれば、支援チームを結成いたします。そして支援開始となります。

 また警察を介さずに、直接支援センターに要請があることもあります。このようなときには、警察と私どもと連携を取りながら、適切な支援活動ができるように、福島係長へ「こういう要請がこういう人からあったのだけれども、警察のほうではどうなってる?」「ここまでやってもらいたいんだけれど、ここから先は私たちのほうでできると思うよ」ということで、警察と密接な連携を図りながら、適切な支援をしていこうと心がけております。

 お手元のパンフレットにあります、今申し上げましたように警察、裁判所や検察庁への付添い、あるいは連絡調整、こういうことはしていますけれども、被害者は不慣れな刑事司法機関に不安と緊張を覚えます。

 警察へ行くのでさえ、「私は免許証の更新以外には行ったことがない」「すごく不安だ、足がガクガクしちゃう」。そういうことも、まま聞きます。「警察はとって食うところじゃないから一人でも大丈夫だ、行ってきたら」なんてハッパをかけるのですが、被害に関したものであって、加害者が悪くて被害者は悪くはないんですが、悪くはない自分であっても警察へ行くということ、警察の玄関を入る、やはりそれは非常に怖い、躊躇すると言っております。ましてや、今は違うと思いますけれども、相談室、窓のない取調室へ入れられて刑事と相対しているのが非常に苦痛だと。

 2000年からいろいろな被害者支援の法制が変わってきてからは、だんだんそういう話は聞かなくなりましたが、2000年以前の被害者、遺族はそういうことを言っております。

 ですから警察へ行くのも躊躇するのだったら、私のほうで付き添いましょう。それから警察から検察庁へ送致されます。そうすると検察官から呼び出しがあります。検面調書です。検面調書の録取にも立ち会います。ある時、中学2年生の女の子の強制わいせつ被害事件ですね。これについては検事からも、母親からも支援センターのほうで付いてきて欲しいと要請がありました。本人よりも母親のほうがショックが大きい。

 母親のほうもサポートがいる。子供の学校を休ませるのはよくないということで、6時から検察庁へ行って、検事の調書の録取に立ち会ったりしております。

 それから、やはり被疑者が起訴されて裁判が始まります。先ほど福島係長から、いわゆる刑事司法の流れについて説明がありましたように、起訴されて第1回公判が始まるまでの間に、やはり私どもは非常にせわしなくあちこちと連携を取ったりしなければなりません。市のほうの配付資料の9ページに「一般的な刑事裁判の流れと犯罪被害者等のかかわり」というチャートがあります。野村さんから想定事例が出されておりまして、これに基づいて説明してほしいということです。その想定事例が「被害者は帰宅途中に何者かに襲われ、頭部を鉄パイプで殴打され、病院へ搬送された。ICUで治療を受けたが同日中に死亡した。10日後、目撃情報から犯人が逮捕された」。被害者は夫、世帯主、38歳のサラリーマン。妻は専業主婦の34歳。学齢児童が2人おりまして、小学生2人がいるという。

 そして、いわゆる刑事手続の流れが、警察で被疑者逮捕、検察庁へ身柄付きの送致。この想定事例では、99%起訴される事件だと思います。ですから検察庁へ身柄付き送致されて、起訴と勾留請求の中間あたりで県警の犯罪被害者支援室経由で私どもに支援要請があります。こちらにあります起訴と不起訴の、起訴のところの中間で、先ほど申し上げましたように検察庁からの被害者呼び出しがあります。要請があれば、これにも私どもは付き添います。これは主として被害者遺族、奥さんの被害感情の聴取です。あとはご主人がどのようなご主人であったとか、非常に家族思いのご主人であったのかどうか、ご主人の日常状態だとか被害者感情を検事が聞きとめます。

 公判までに公判前整理手続というのがあります。今マスコミでも取り上げていますように平成20年の12月1日から被害者参加制度というのが制定されました。平成20年の12月1日以降の起訴事件を対象としております。恐らくこの想定事例もこの日以降だと思います。ですから私どもは、起訴になった段階で被害者遺族、奥さんに、被害者として裁判に参加するかどうかの確認をいたします。今までは、被害者は全く蚊帳の外だったのです。傍聴に来てもいいよという程度で、被害者はそっちのけ、単なる証拠品に過ぎませんでした。

 しかし、20年の12月1日からは犯罪被害者の参加制度ができました。被告人には私選弁護士を頼むだけのゆとりがなければ、国が弁護士をつけてくれるわけですね。被害者はそういうことは全くなかったのです。けれども20年の12月1日以降、被害者にしても資力がない場合には国が被害者参加人代理弁護士というものをつけてくれるようになりました。それはそうですよね。非常に不公平です。何にも悪くないのにある日突然、刺されて殺されてしまった。

 加害者、被告人のほうには国で弁護士をつけてくれる。被害者は単なる証拠品で、放り出されていたわけです。検事が、公益を代表する検事として犯罪事実を立証し、求刑するわけなんですけれども、被害者感情というものはそっちのけです。それではいけないということで、被害者参加をすると。被害者参加については、被害者自身ができなければ国選で被害者参加弁護士をつけましょうという制度になったわけです。

 そういうことで、被害者参加をするかどうかについての確認を取ります。するとなれば、経済的に非常に不安を感じるようでしたら法テラスさん経由で犯罪被害者支援精通弁護士の紹介をしていただきます。それで公判が始まる前に検事と遺族の奥さん、参加人弁護士、私どもで、何回となく打ち合わせを実施します。被害者参加するときに与えられている特権は、被害者の遺族自ら被告人に尋問することができるのです。その質問内容の筋を書いて、「こういうためにこういう質問をする」ということに検事を通して裁判官の許可が出なければ質問はできないのですが、それでも質問ができるようになりました。被害者からも意見陳述以外に被害者の求刑論告ができる。そういう制度になったのです。

 ですから、その制度を利用する人たちが非常に多くなってきました。私のほうでも20年の12月1日以降の起訴対象事件なものですから、どうしても5月頃からの公判になりますが、そういう中でもう8件やっております。まず第1件は消費者金融の店長の強盗殺人被害事件です。これは静岡地裁の被害者参加制度を利用した最初の裁判です。

 そういうことで被害者参加制度が非常に多くなっている。これは被害者にとっても非常によい制度ではないかと思います。今までは蚊帳の外だったのです。本当は被害者遺族は真実を知りたいわけです。なぜ殺されたのか。何が原因だったのか。最期の言葉は何か言ったのか。そういうことを知りたい。そういう意味で、単に傍聴席でじっと見ているのではなくて、きちんと事件と対峙することによって、非常に辛い作業かもしれないけれども、一つひとつ乗り越えていくごとに自信がついてくる。自立していこうという前向きな考え方に変わってくるように感じます。ですから回復も早いような気持ちを持っています。まだ始まったばかりですが、そういう感じを持っております。

 裁判員裁判も始まりました。私どもの付添い支援、あるいは支援センターによる支援活動については、やはり粛々とご遺族に寄り添って、ご遺族の気持ちを自分自身の気持ちとして、裁判の付添いや、そのほかメンタル的な部分も含めて可能な限り、奥さんと後になり先になり、伴走者としてやっていきたいと思っております。

 さらに、この中に書いてある公判前整理手続があります。これは検事と弁護人と裁判官の三者で、いわゆる裁判の争点の整理をします。これが非常に長く、5ヶ月や6ヶ月かかるわけです。そうすると遺族は非常にじれてきます。そのときに検事と遺族と支援弁護士との調整をいかに私どもが取るか。どこかでパイプが詰まっていると、遺族が非常に焦ります。非常に不安に陥ります。ですから、そこの連絡・調整、パイプ役、これが重荷で、私は非常にせっかちで短気な性格なものですから、どうもあちこちに当たり散らしてしまってはいるのですけれども。

 昨年1月31日に沼津市の白銀町において、外国籍の少年2人による強盗殺人事件がありました。それが1年経った1月28日にようやく第一回の公判が開かれることになりました。ですから非常に長いのです。この間の遺族の焦り、不安、恐怖というのは、計り知れないものがあります。公判前整理手続は争点を整理して裁判を短期間のうちに終わらせることが目的だと聞いております。確かに集中審理ですから連続して3日間、4日間やるんですけれども、この公判前整理手続の時間が非常に長い。ましてや被告が否認していれば、なかなか長いんです。ですから、この辺に私どもの直接的な支援をフルに発揮しなければならないと考えております。でも、まだまだ右往左往しております。

 そういうことで公判に入ります。公判の前後、これは検察官の説明を求め、一緒になって検察官の説明を聞きます。「今日の公判はこうだったんだよ」「ここが争点だったんだよ」「ここが問題なんだよ」ということを検事が説明してくれる機会を、こちらでセッティングします。

 それと第1回の公判に入る前に、私どもは裁判所に優先傍聴席の確保を要請します。大きな裁判になりますと傍聴券はくじ引きです。以前は遺族も列に並びました。それでは困るということで、優先傍聴席、即ち遺族の席。静岡の地裁あたりでは遺族の席は3席なのですが、その優先傍聴席の確保をします。それから待機室の確保をします。終日ともなると、お昼や休廷の間に少し退席したくなります。そうするとマスコミがワーッと押し寄せると困る。ですから遺族、関係者の控室を借り上げます。

 それから勾留中の被告人でしたらいいですが、保釈中や在宅起訴の被告人だったら、被害者と被告人が廊下でばったり遇ってしまうことがあります。保釈で外へ出ていて、公判のときだけ裁判所へ来る。廊下あたりで遇わないように被害者の通路を設定します。さらに勾留中の被告人であっても、加害者側の関係者も傍聴に入ることがあります。裁判所でうろうろしているときがあります。そういうときのために、別ルートから傍聴席へ入るような方法を裁判所へお願いします。

 そして報道対策。ブン屋さん、テレビ屋さん対策も私どもの1つの仕事です。どうしても被害者は出ることを嫌います。そういうときには被害者支援弁護士名で、幹事社を通じて取材は自粛してくれという要請文を出します。記者クラブに入っている新聞社、マスコミさんはきちんと守ってくれるのですが、ワイドショーのクルーが入るときが非常に困るわけです。入りそうな場合には私たちで囲んで、そのままサッと連れて待機室へ行くんですけれども、ある殺人事件の遺族、小学生の子どもがいました。どうしても家の中へ引きこもっていない。外へ出たところをマスコミに捕まって、「お父さん亡くなって寂しい?」というふうな聞き方を女性キャスターがしたそうです。寂しいのは当たり前じゃないか。それが非常に悔しかったと。近所の人が子どもを抱えて家の中へ連れ帰ってくれたと。ですから、そういうところからも私どもがきっちり対策を立てなければいけません。

 今日のテーマと大分かけ離れてしまって申し訳なく思っております。犯罪被害者の抱える様々な問題というのを書いてあるんですけれども、犯罪被害に遭うということ、これは先ほどの課長さんからのお話のとおりでございます。そして恐らく(次回の)臨床心理士の神部先生から二次被害についての講義があると思いますが、精神的にショックを受けたり、体の具合が悪くなったりします。

 治療費の負担や、働けなくなって経済的に苦しくなることがあります。捜査や裁判の過程で精神的、時間的負担がかかります。無責任な噂話やマスコミの取材、報道などによりストレスが増します。精神的にショックを受けたり、体の具合が悪くなったりする。これは遺族が裁判の傍聴中にもあります。

 ですから、私どもは「直接支援グッズ」といって、大きなかばんに湯冷ましやバスタオル、ベビー毛布、夏でも懐炉、それから忘れられないのがビニール袋です。なぜ、そのビニール袋を持っていくかといいますと、傍聴している、特に奥さんです。非常に緊張している。そこで出される証拠書類、法廷でのやりとりを聞いているとドキドキしてしまって過呼吸に陥ります。過呼吸に陥って動けなくなってしまう。そういうときにビニール袋でふさいで、この中で呼吸させてしばらく落ちついて、外へ出します。10分ほどすれば落ちつきます。ですから、子どもたちが精いっぱい走ってハアハアして過呼吸に陥るときのような状態になります。これは、珍しい事例ではありません。ですから私どもが「直接支援グッズ」といって必ずビニールの袋を3~4枚は鞄の中に入れていきます。

 二次被害は、ここに書いてありますメンタル的な部分でなくても、公判の傍聴中にもそういうものが起きて対処していかなければならない。被害者自身が行動することは困難です。この部分は本来ならば危機介入といって、私どもの支援センターも事件直後に入らなければならないのですが、私どものほうにまだそれだけのパワーもありませんし、人材もないものですから、この部分のことについては警察へお願いしてあります。ですから、被害者は早期支援の開始を望んでいます。望んでいるというか、私どもが支援した段階、支援の最中でも、「こういう支援センターがあるということが早くわかっていればいいのにね」ということを言ってくれる遺族もあります。

 それから犯罪被害者に対する社会の偏見があります。自助グループというのは被害者の遺族の集まりなのですが、短大生の娘さんを亡くされた方です。「あの家は夫婦仲が悪いから、子どもが夜遊びをするようになったんだよ」というような世間の噂話が回り回って耳に入ってしまったそうです。そのように被害者に対する社会の偏見が根強くあります。

 私も、警察にいたときは「強姦された」というような女性が来ると、「何だ、こんな格好してやってくれって言ってるようなもんじゃないか」というようなことは、言いはしませんけれども思ったことがありました。

 そういう社会の偏見、非常識な常識がまかり通っている。被害者を責めるような言動がなされたり、避けるような態度をとられたり、哀れみの視線で遠巻きにする。被害者にとっては、そのような偏見が二次・三次被害としてのしかかってくるわけです。

 ご主人を殺された奥様で、まだ40代前半でした。自宅から出られなかった。通る人が自分の家を見てひそひそ話をしているようで出られない。「あの家の誰それが殺されたんだよ、理由はこうだったんだよ」とひそひそ話をされているようで出られなかった。そして近所のスーパーにも買い物に行けないと。だから夜こっそり隣町、遠くのほうのスーパーまで行って買ってくると。子どもがファミレスでラーメンを食べたがっているんだけれども、とても行けない。周りの目が気になると。ですから、被害者が被害者遺族としてのイメージをつくりすぎているかもしれませんけれども、非常に社会の目を気にして外へ出られない。

 ここにも書きましたように、被害者は気丈に振る舞っているということをよく新聞やテレビで言います。お母さんは葬儀でも何でも気丈に振る舞っているということを書かれたり、アナウンスされたりすることがあります。けれども遺族は言っています。「気丈に振る舞うどころの騒ぎじゃない」あれもやらなきゃならない、これもやらなければならない。被害者自身が行動して、お通夜、病院、警察、支払い、いろいろやらなくてはならない。泣き暮れている暇はないと。気丈に振る舞っているんじゃない、やることがたくさんあるから泣いている暇はないんだと。

 あと、善意でかけてくれる叱咤激励の言葉が、時として非常に負担になる。まず「頑張って」とは言わないでと。「これ以上どう頑張ればいい」「これだけ頑張ってるのに」と言います。これは私の母親もガンであと幾日もないときに「母さん、頑張って」と私が言ってしまったのです。そうしたら「これだけ頑張ってるのに、どうして頑張ればいいんだ。頑張る方法を教えてくれ」と。そのときに「あっ」と思いました。被害者遺族も言っています。「頑張って」とは言わないで。「早く忘れて元気出して」ということも言わないでくださいと。私もこういう性格なものですから、うじうじ、めそめそしているのは嫌いです。「元気出せ」「頑張れ」と言いたいのですが、そういうことを言いたいときには、「ちいっと頑張ってみて」「ちいっと元気出して」、そういう言葉をよく使います。

 そして、私がスランプに陥っていたときに、遺族から何かの連絡で自宅へ電話があったとき、「私もクサクサしちゃって」と言いました。そうしたら彼女いわく「鳥居さん、ちいっと頑張って」。私が彼女に言っていた言葉をそっくり返してくれたときには、非常に泣けてきました。言葉に詰まりました。私が常に彼女に言っていた「ちいっと頑張って」「ちいっと元気出して」それが、そっくりそのまま私に返ってきた。非常に嬉しかったです。ですから、もし「頑張って元気出しなさいよ」と言うんだったら「ちいっと頑張ってみて」、そういうふうにちょっと声をかけてやってください。

 「また産めばいいじゃん」「一人っ子でなくてよかったね」「まだ若いよ」「再婚っていう話はないの」。学齢児童を持っている遺族の奥さんは非常に大変です。というのは学校のお付き合いがあるじゃないですか。

 校庭の草取りだとかPTAの役員会だとか、あるいはスポーツ少年団に入っていればお母さん方とのお付き合い。なかなか行けなくてようやく行ったところが、「まだ若いんだから再婚すればいいじゃん」。非常に悔しがって私のところへ電話がかかってきて、電話の向こうで泣いているものですから、私も困り果てて家まで行きました。善意な気持ちで言っているかもしれない、元気を出させようと思って言っているのかもしれない。しかし、こういう言葉だけはやめていただきたい。私だったらいいですよ。夫を亡くして9年になりますから「鳥居さん、そろそろ再婚なんてどう?」「うん、今、物色中」というような返事は返しますけれど
も。やはりご主人を刺されて亡くされたまだ若い奥様にとっては、非常に辛い言葉だろうと思います。「あなたの気持ちはよくわかる」。わかってたまるかというのです。それと「大丈夫ですか」。私もよく、私どもの支援センターの活動員に「大丈夫ですか」という言葉はやめてくれと言うんです。大丈夫じゃないからあなたたちに支援を頼んでいるんじゃないかと。大丈夫ですかと聞くんだったら、具体的に「何々は大丈夫ですか」と。「荷物は大丈夫ですか。持ちましょうか」そういう聞き方をしてくれと。「大丈夫ですか」。大丈夫じゃないから、あなたたちを頼んでいるじゃないか、支援してもらっているんじゃないかと。

 「あのとき、ああすればよかった」「こうすればよかった」ということを考えます。私も冒頭に言いましたように、寝たきりの母親を抱えて、半身不随の父親をまた私が抱えるんだったらすごく重荷になる。「それだったらこのまま」ということを病院へ行くときに思ったということも、「ああ、思わなければよかった。何て私は親不孝な娘だったんだろうか」と、いまだにそれを思います。

 ある被害者のつぶやきです。被害者、被害者遺族は、人を見る目が非常に研ぎ澄まされています。一瞬見ただけで拒絶反応を起こします。それだけ過酷な時間とプロセスを歩んできたのではないかなと思います。

 非常に敏感です。一瞬のうちに見抜きます。「ああ、この人だったら話してもわかってもらえるだろう」「ああ、この人だったら何とか方法を提示してくれるだろう」「選択肢を出してくれるだろう」ということを見抜きます。
 今までマイナス面ばかり、「こういうことはしないでください」「こういうふうな話しかけはしないでください」とお話ししてきましたけれども、地域の皆さんから、ご近所の方からこういうことをしてもらえて、物凄く嬉しかったよという話を2つほどご紹介します。

 これも、やはり若くしてご主人を亡くした奥さんですが、小さい子どもたちを残してご主人が殺されたという事件です。マスコミは家の周りを取り巻いてご近所の皆さんも、やじ馬もいる、まだ犯人未検挙のときだったもので警察官もいる。一歩も出られない、洗濯物さえ干せないと。しようがないので奥さんが夜中に洗濯をして干しておいたものを夕方に取り込むのにもまた困る。大勢の人が家を取り巻いている。そうしたら、ご近所の方がさりげなく洗濯物を取り寄せて、「洗濯物を取ってきたよ」と言って、裏口から洗濯物を持ってきてくれた。非常に嬉しかったと、いまだにそれを言います。そのさりげなさが非常にありがたかったと。そのときにはそういうふうに思わなかったけれども、今こうして振りかえるとそういうさりげない思いやり、思いやってくれる気持ちが非常に嬉しくて感謝していると。

 あとは交通事故で高校3年生の息子さんを亡くしたお母さんなんですけれども、こう言っています。進学校の3年生の息子を亡くして家を出られない。そういうときに友達が「今近くのスーパーまで来てるんだけれども、何か買い物ある? あたしはうどん鍋をしようと思って玉うどん買ったんだけども、買って持っていってやろうか」。玉うどん1個と、友達がネギ一束を半分に分けて置いていってくれたと。そういうさりげない心遣いが非常にありがたくて嬉しかったと言っております。

 ですから、地域におかれましても、中央署の係長が話されたように、特に何をしてくれということは今のところありませんが、そういう何げない、さりげない声かけを是非お願いいたします。そして私たちが支援に入ったときに、是非地域の皆さんにお願いしたいことがありましたらお訪ねいたしますので、そのときはどうぞよろしくお願いいたします。

 

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