講演2

 
テーマ:「犯罪被害者支援の現状と課題」
講師:酒井 宏幸 氏(弁護士・NPO法人全国被害者支援ネットワーク副理事長・NPO法人長野犯罪被害者支援センター副理事長)

 皆さん、こんにちは。ただいまご紹介いただきました酒井です。これから第2部ということで、70分間ほどお話をさせていただきたいと思います。

 実は今日の講演は、犯罪被害者支援の関係でいいますと、入門的な講座ということでしたので、私のレジュメ[PDF:90KB]を見てもらえば分かるように、松村副代表の話と非常に多くの部分が重なっているという状況にあります。私としては、犯罪被害者本人より犯罪被害者の気持ちを理解するというのは不可能だと思っておりますので、松村さんの後にこのお話をするというのは、大変心苦しいものがありますけども、支援者の立場として、お話を若干させていただければと思っております。

 最初に、犯罪被害に遭うというのはどういうことかということについてお話をさせていただきたいと思っておりますが、お手元に「犯罪被害者のことを知ってください」という県のリーフレットがございます。開演にあたって長野県のほうから刑法犯の認知件数のお話がございました。この資料を見ましても1年間で2万1,000件刑法犯だけで発生している。そのうち、重大事件といわれるもの、殺人、強盗、強姦というような重たい犯罪について見ますと、147件、約150件ということですね。長野県の県民の総数は約200万と言われていますので、200万に対してどのぐらいの割合かと考えていただくと、150件という重大事件というのは非常に少ない数だと思われます。

 皆さんがテレビの報道等で犯罪被害の報道をご覧になるときに、長野県の事件というものが全国的にみてどのくらいなのか。もちろん地元にいますから、地元のテレビとか新聞が地元の事件については報道します。ただ、全国的な報道ということになると、長野県で起きた犯罪が全国的に報道される件数は非常に少ない。地元にいらっしゃって、例えば市町村の中で、重大事件にあった被害者が何年に1人いるだろうかと、こう考えるとどうしても犯罪被害といわれても身近なものにはなりません。先ほど松村副代表のお話の中でも、犯罪被害者にならなければ、本当の気持ちは理解できないということが言われましたけども、私もそうですし、ここに、会場にいらしてる皆さんも多くの方々は、被害者もしくは被害者のご遺族ではありません。その中で犯罪被害者のことを理解するというのは大変難しいことだと思います。

 ただ、先ほど来から言われていますように、明日は我が身かもしれない。地元の市町村の中で、いや、明日は我が身かもしれないと言われても、数年に1件しか起きないような事件に対して自分が明日その被害に遭うかどうかって、これ実感しろといわれても非常に難しい問題だと思います。ただ、事件は地元では起きなくても、地元に被害者がいるということは多々あります。

 先ほどからいろいろなところで出てきた秋葉原事件の例を取り上げてみたいと思いますけども、秋葉原事件は東京の秋葉原という電気街で起きました。当然、長野からは遠く250キロも離れた場所です。ところが、あの現場に皆さんの身近な方がいなかったかどうか。実は私の息子は今、東京の学校に行っております。住んでいるのは秋葉原の電機街から歩いて5分です。週に1回秋葉原に出かけています。私はあの事件が起きた直後に息子に電話をしました。その事件に巻き込まれていないかどうかを心配したわけです。これが、巻き込まれていれば私も被害者の家族です。皆さんも同様に、東京で起きた事件、あるいは都会で起きた事件だからといって、自分の周りの者が被害に遭わないとは限らないのです。

 昨年、東京で起きた大きな事件、これはマスコミにも報道され全国的にかなり話題になった事件がございます。OLさんが2軒先の住人に連れ込まれて、ばらばらにされて殺されたという事件がありました。これは東京のあるマンションの中で起きた事件です。ところがあのマンションに住んでいたOL2人は、長野県の出身です。ご遺族は長野県にいます。同じように、事件は都会で起きても、ひょっとしたら、自分の隣に住んでいる人がそのご遺族になっているかもしれない。幾らでも起きるんです。そういう意味で犯罪被害というのは大変身近にあるということだと私は思います。

 実際に被害に遭うというのは、どういうことなのか。先ほど松村副代表のお話の中でもありましたけども、殺傷事件であれば、まず身体的な怪我をする、あるいは命を落とす、あるいは家族にしてみれば家族を失うということがあります。仮に、例えば私が殺されたということになると、私の家族は生活の基盤を失います。

 もちろん、今、学校に行っている私の子どもたちは、このまま学校へ通い続けることが難しくなります。子どもたちは将来の分の夢に向かって勉強しているわけですけども、それを継続することができない。今までの生活を全部失った上で、これから生活をしていくことになります。中には周りからの誹謗中傷、あるいは加害者と非常に近いところに住んでいるということから、そこに住み続けることができないということが起きます。同じマンションの中で事件が起きれば、そこで住み続けるということができない場合は当然あります。

 埼玉で起きた事件ですけども、一戸建ての家でしたが斜め前の家の方の家族が自分の妻を殺したという事件が起きました。相手の家族はそこにずっと住んでいます。殺された場所が自分の家でしたから、そこには住めないので転居したということがありました。理不尽にも被害者が転居するということになるわけです。

 もちろん仕事を変えなければいけないということもあります。例えば強姦被害にあった女性が同じ職場で働き続けることがどれだけ困難か、これはちょっと想像してみても分かることです。病院費用がかかったり、葬儀費用がかかったりっていうのは、これも当然起きることだと思います。これが事件によって直接起きてくる経済的な損害、あるいは身体的な損害ということになります。

 精神的な部分の被害として見ますと、直接的に受けるものとすると、被害者本人であれば、事件で受けた恐怖心というのがまず簡単に理解できるところだろうと思います。怖い思いをすれば、またその場所を見たときに震えあがるというようなことは当然起きます。ただそれ以上に、自信を喪失したり、あるいは自責の念を持ったりということが起きます。

 重たい病気になってみると、自分がこれから前と同じように仕事をやってけるかどうか、不安になったりします。もちろん、回復すれば同じように仕事はやっていけますけども、病気の最中には、そういう部分について非常に将来に対して不安になり、自信を失うということが起きると思います。同じようなことが犯罪被害によって起きるわけです。決して自分が悪いわけではないのに、被害に遭ったことから自分の人生に対する自信を失うということが起きます。

 自責の念というのは松村副代表もおっしゃっていましたが、亡くなられたお孫さんのお母さんが、自分が一緒にいてあげれば被害に遭わなかったかもしれない。決してそんなことはないんですね。加害者は、殺害しようと考えているのであれば、親の目を盗んででも連れ出して殺すわけです。決して母親が悪いわけではないのです。ところが殺された家族は、「自分たちがこうしていれば何とかなったんじゃないか」と当然考えます。

 かなり前の事件ですけども、長野と富山で連続誘拐殺人事件というのが起きました。ご存じの方も多分いらっしゃると思いますが、あの事件のときに誘拐された方は、成人の女性でした。仕事帰りに帰ってくる途中、誘拐された。そのお母さんはその後どう思ったか。迎えに行っていればよかったと、自責の念に駆られたのです。毎日、成人の人がですよ、勤務先から帰るのに対して迎えに行くという発想というのは基本的にはないです。でも、「あの日私が迎えに行ってれば、あの子は誘拐されなかったし、殺されなかった」と考えるわけです。もちろん悪いのは犯人です。犯人が悪いという気持ちは頭の中にあります。でも、自分が何かできたんじゃないかと、自分を責めるわけです。これは誰にでも起こります。

 例えば皆さんの家族が病気で亡くなったときに、その方に対してもうちょっと何かしてあげられたんじゃないか、あるいは看護のときに十分してあげられただろうか、こう考えるかと思います。それと同じことが起きるんです。それももっと強く起きます。

 次に二次被害と呼ばれるものです。これは、先ほどの松村副代表の場合には、特にひどかったのがマスコミの報道だということが言われました。もちろんマスコミにとっては一つのニュースソースであるので、面白ければ面白いほどいいということになるのかもしれません。多くの方々がそのマスコミの被害に遭うとは限りません。もちろんインパクトのある事件であれば、長野県内で起きた事件でもマスコミの取材を受けることは十分あります。小さな事件だと新聞記事にも載りませんし、当然テレビには流れません。そういう意味ではマスコミに追いかけられるということはありません。では被害を受けないかというと、そうではありません。ご近所の方が心ない言葉を言うんですね。

 先ほど松村副代表のお話で、民事裁判をやったところ、判決で6,100万を取ったというお話がありました。そして、その報道はされるけど、それを回収したかどうかの報道はされないという、正に被害者の実情のお話がありましたけども、6,100万を取ったということでご近所の方が何を言うか。「お子さん亡くしたけど、6,000万も取ったからよかったじゃない」、こういうことを言うんですよね。いいわけないです。6,000万なんかいらないから子どもを返してくれというのが本音です。

 もう一つ、先ほどお話した富山、長野の事件で、あの裁判は無罪を争った裁判でしたから、20年間やりました。刑事裁判を20年間やったのです。それで、ご近所の方がご遺族に対して何を言ったか、20年間裁判に関わっていることに対して、「そんなにお金が欲しいの?20年も裁判やって」、こう言ったのです。民事裁判は一つも起こしていません。加害者からの賠償金は1円も受けていません。でも、ご遺族に対して刑事裁判で20年間関わっているというだけで、そこまでしてお金が欲しいのかということをおっしゃった。これが周りの方の心ない言葉によって被害を受けるということです。

 私が弁護士になって、この犯罪被害者支援に関わってから、ある新聞記事で轢き逃げ事件というのが報道されたことがあります。亡くなったのは小学校1年のお子さんでした。横断歩道を母親と一緒になって渡っていた。お子さんは2人いて、そのうちの1人の子供が走ってきた車に、左折した車だったと思いますが、その車に轢かれて亡くなった。車は轢き逃げで走り去ってしまったという事件です。横断歩道をお子さん2人とお母さんが渡っているときに、お母さんのあとを歩いていた小学校1年の子どもが轢き逃げに遭った、それも巻き込み事故に遭ったという報道です。これを聞いて、一番最初に皆さんは何を感じるでしょう。私の妻はそれを見たときに、「お母さんはなぜ手をつないでいなかったんだろう」と言ったんですよ。小学校の1年の子どもを亡くしてかわいそうだねという前に、「お母さんはなぜ子どもの手をつないでいなかったんだろう」と言ったのです。分かりますか。加害者が悪いのではなくて、子どもの手を引いていなかった親が悪いと言ったのです。これが世間の捉え方です。

 果たしてそれでいいのでしょうか。当然、その轢き逃げをした車のほうが悪いですよね。そういう言葉を平気でかけてしまう。犯罪被害者支援を始めて、私がこういうことをやっている。被害者というのはこうなんだ、こういう支援をしなくちゃいけないんだという話を私は家でも多少はするわけです。それを聞いている私の妻がそういうことを言うのです。これが正に社会が犯罪被害者を見るときの目なのです。

 その事件に関していうと、その後の報道はなかったので私はよく分かりませんけども、一緒にいたお母さんは自分のことを恐らく相当強く責めたと思いますね。うちの妻が言ったように、子どもたちの手を引いていれば恐らく轢かれることはなかっただろう、そう思いますよ、お母さんは。もう自分で本当にそう思っているはずです。

 では、お父さんはどう思うでしょうか。最初は犯人が憎くてしょうがない。少し落ち着いてきたらその憎しみはどこに向かいますか。奥さんに向かって、「お前、なんであのとき手をつないでないんだ」と言いかねないですよね。言わなくても心の中で思うわけです。自分の気持ちをどこかにぶつけたいという気持ちになりますから、どこかでそう思うわけです。当然、奥さんはご主人がそう思っているのが分かります。あのとき、奥さんの顔が新聞報道で出ました。奥さんとすれば、周りの人たちはみんな私の妻が思ったこと、同じことを考えていると感じます。町を歩いているときに、「あの人だよ」というふうにみんなが見ているんじゃないかと思うんです。これは町を歩けなくなります。家の中では、ご主人との間で意思疎通が難しくなります。夫は私のこと責めていると思っているわけです。そして、ご主人はご主人でその言葉は絶対言っちゃいけないと思いながらも、もうどこかで違和感を持っている。そのうち何年か経ったときに、ご主人はもう亡くなった子どものことは忘れて前を向いていこう、何とか生活を前に向けていこうと思うんです。ところが、目の前で子どもを亡くしたお母さんはそうは思いません。すると、家庭の中に不和が起き、家庭の崩壊が始まるのです。これが犯罪の被害に遭うということです。

 今、できるだけ皆さんに分かりやすい身近な例を使ってご説明させていただきましたけども、重大事件であれ、世間的に見れば小さな事件であれ、被害者にとって、それは一生に一度あるかないかのことです。みんなが同じような思いをします。その辺を十分理解した上で接する、これが非常に大事だということだと思います。今、私が申し上げたのは、皆さんが二次被害を与えないということに注意してほしいということを申し上げています。こういうことで被害者は傷つくのだと。その方々の傷に塩を塗り込む作業を自分たちはしないようにしよう、そこを考えていただきたいなと思います。

 これから先は、被害者の支援に関するお話を若干させていただきたいと思いますけども、この中身については前の講座と重なってしまうので、特に「あすの会」という団体は、第2期の総合的支援の中身を作るに当たって、非常に大きな力を発揮しその制度を作ってきたという団体ですので、当然松村副代表のお話と重なる部分が出てくるかと思います。

 犯罪被害者支援に関して見ますと、一番最初は、昭和55年に制定された犯給法という法律による経済的な支援でした。この法律を作るに当たって尽力をされたのは、長野県出身の市瀬さんという方です。この方は息子さんを通り魔によって殺害された方ですが、当時、犯罪被害者のためには何の法律もなかった。もちろん刑事手続の中にも特に規定はありませんし、まして憲法にも書いてありません。経済的な支援というのは、それは加害者から賠償を受ければいいじゃないかという建前になっておりましたので、何の支援もなかったのですが、市瀬さんが中心となって、犯罪被害者に対する経済的な支援をということを訴えて運動し、三菱重工ビルの爆破事件が起きて大量の負傷者が出たという一つの事件を契機として、犯給法という法律が作られて、経済的な支援をするということになりました。経済的な支援と申し上げましても、金額的にはお見舞い金を支給するというものです。

 先ほどのお話の中で、2歳のお子さんが亡くなったときの賠償額、裁判所が認めた賠償額は6,100万円でした。表現の仕方が正しいかどうかはともかくとして、裁判所が考える人の命の値段です。もちろんその方の収入等によってその金額は変わってきます。もっと多くの金額になる方もいれば、高齢者であればもっと小さな金額になるということもあります。

 一つの基準として、先ほどの6,100万を頭に置いといていただければいいと思うんですが、この犯給法によって出るお金、死亡の場合には1,000万を下回るようなお金でした。長野県でいいますと、松本サリン事件がありましたけども、あのときに亡くなった方々に支給されたお金というのは、数百万と言われています。そいうお金が出ました。で、大事なのはお見舞い金だということです。社会から見てあまりにもかわいそうだから、国が施しをするということです。恵んであげるということになるのかもしれませんね。そういう性格の法律でした。

 それから特に何も行われず、平成3年まで時間が経ちます。平成3年に、その犯給法の10周年記念のシンポジウムが行われまして、その中で犯罪被害者から「日本の犯罪被害者にも光を当ててほしい」という意見が出て、そこで犯罪被害者の支援が取り上げられるようになりました。それが民間による犯罪被害者支援ということです。私が今、副理事長をやっております、全国被害者支援ネットワークの母体になりました民間の被害者支援団体、それがここでできたということです。

 その後、平成6年以降幾つかの法律ができました。まず、裁判等の過程における配慮ということで、被害者等通知制度というものができましたし、被害者支援員制度というものもできました。

 被害者等通知制度というのは、昔、裁判があっても被害者の知らないところで裁判が進められて、新聞報道を見て初めて、「ああ、懲役何年になったんだ」というのを知ったという時代があったわけですが、それではあまりにもひどいので、警察ならびに検察が、被害者に対して「いついつ、誰々の裁判が、どこかで行われますよ」ということをお教えする。まあ傍聴の機会を与えるということになりますね。そういう制度ができました。支援員制度というのは、被害者が望めば傍聴のときに職員がついていって、ご案内しますというものです。

 その下のビデオリンク、これは専門的になるのですが、証人尋問等に出廷するときに被告人の前、つまり加害者の前です。加害者の前でとても話ができないという方については、別室にいてカメラの前でお話ししてもらって、それを法廷にいる裁判官等がテレビで見るという形をとって、被害者と被告人が対面しなくていいようにしようというものです。意見陳述あるいは優先傍聴、公判記録の閲覧、あと刑事和解というようなものがありますが、意見陳述というのは、これまで証人として呼ばれていた被害者に対して、加害者に対する被害感情を述べてもいい。刑事裁判の中で被害感情を述べる機会を与えようということで、初めて被害者から、希望すれば出ていくことができるということになった制度です。従来の刑事裁判は、一応弁護士ですから、そこをちょっと詳しく説明しますが、従来の刑事裁判は、検察官と被告人、被告人についている弁護人と裁判官、この構造で行っていたんです。そして、被告人が証拠について全部同意をしてしまうと、被害者は出ていく余地がないのです。

 仮に、その被害者の話した調書といわれるものを被告人が不同意にした場合、調書に変わって被害者本人が証人として出廷します。これは検察官が被告人を有罪にするための証拠として、被害者を使うということです。それ以上の価値はないんです。被害者が自分から出て行きたいといくら言っても、必要がなければ「いらない」と言われるのです。「証拠上もう十分なので、あなたの証言はいりません」と、自ら参加するという、法廷に出てくということができない、そういう制度だったわけです。それがこの意見陳述というものによって、被害者が希望すれば被害感情を法廷で話すことができるようになった。被害者が法廷に出ていく第一歩だったと私は思っております。

 優先傍聴。月曜日でしたかね、ワイドショーで報道していた某有名人の覚せい剤事件の裁判がありましたけども、マスコミの方々が自分たちが中に入れるかどうかで非常に苦労したと。傍聴に入りたくて、一般の方々含めて6,600人も日比谷公園に並んだということがございました。

 従来は、殺人事件の被害者であっても、この法廷を見るためには6,600人中の1人でなければいけなかったのです。傍聴権を得るためには、一般の方と同様に並んで抽選に当たらないと入れなかったんです。被害者の方が自分の家族がどのようにして亡くなったのか、被告人の口から直接聞きたい。それの質問ができなくても、法廷で被告人が話していることを直接聞きたい。こう思っていても、抽選に当たらなければ入れなかったんです。それがこの制度によって、被害者の方に関しては優先的に席を確保しましょう。昨日のやつで言えば、20人の席のうち、じゃあ被害者席として2席用意しますというような形で、もう並んだり抽選を受けたりしなくても入れるようになった、そういうことです。

 公判記録の閲覧というのは、刑事裁判に関していうと判決が確定したあとは、この記録を見ることはできました。有罪判決が出て、それが確定した。この場合には記録を見ることができました。刑事裁判中にその記録を見るということはできませんでした。この制度ができて、刑事裁判中、つまり裁判所に証拠が提出されたあとは、その記録に関しては被害者であれば見ることができるようになりました。今現在は被害者参加制度があるので、もうちょっと早い段階で見ることができますけども、従来は刑事裁判が確定したあとでなくては見られなかった。この制度ができたことによって、刑事裁判中であっても検察官の持っている証拠が裁判所に提出されれば、取り調べが終わったこと、裁判所の証拠調べが終わったことになるので、それ以降は見てもいいということになりました。まあ早い段階で裁判の中身、記録の中身が見られるということなので、被害者にとっては非常に重大な意義があったと思っております。

 この中で実際の刑事裁判を傍聴したことある方がいらっしゃるかどうか分かりませんが、実際の刑事裁判はテレビドラマのようには行いません。基本的には、裁判員裁判になって変わるのですが、証拠の紙が、かなりの厚さのもの、殺人事件だったらもっと厚くなりますけど、こういうものの中身を簡単に説明します。「これにはこういうことが書いてあります」というのを、文書でいったら1行ぐらいで説明するのです、1枚1枚を。だから、このぐらいの記録があっても、中身の説明は私のレジュメ[PDF:90KB]ぐらいです。それが裁判における証拠調べなんですね。これを検察官が専門用語を使って説明します。もちろんそれを聞いている被告人の弁護人はプロですから、中身が分かります。裁判官もプロですから、中身が分かります。ところが、傍聴席にいる方々には何やっているんだか全然分かりません。一つひとつ、例えば被害者の調書といわれるものを全部読み上げて、「こう言ってます」ということをやるわけではありません。あとで記録読めば分かります。なので、法廷ではやった形式は取りますけども、もう実際に全部分かるようにはしていません。

 裁判が公開されて傍聴人を入れているのは、傍聴人に聞かせるためじゃありませんから。あくまでもやっていることを、密室の中でやると不正をしているんではないかと疑われるから公開の場所でやっているだけで、傍聴人なんかいてもいなくても関係ないわけです。まして、傍聴人に聞かせるためにやっているわけではないので、従来はマイクなんか使いません。傍聴席にいるとほとんど聞こえないですよ。目的は傍聴人に聞かせることではありませんから。被害者が仮に傍聴に行ったとしても、その記録を見てない限り、何言っているか分からないのです。当然、この段階の記録の閲覧というのは取り調べたあと見られる。つまり「あのときはこれを見ていたのか」というのがあとで見られるということになるのですけど、少なくとも傍聴席にいる限りは、もう何やっているか分からないので、それで終わってしまったのでは中身が分からないという現状だったわけです。

 その後、平成13年に早期援助団体指定制度というものができました。これが何かというのを説明するのはかなり難しいのですが、この平成13年の段階では、犯罪被害者支援のための民間団体というものが幾つかできました。私が所属している、長野のNPO長野犯罪被害者支援センターもできていたわけですけども、民間団体によって犯罪被害者の方に対するいろいろな支援をしていこうというものができました。ただ民間団体ですから、自分から犯罪被害者のことを調べるというのは難しいんです。新聞に載っている、住所が書いてあれば連絡できます。大丈夫ですかっていう連絡をするにしても、住所が書いてあれば連絡できますけど、書いてない事件のほうが圧倒的に多いわけで、こちらから、支援者の側から被害者に対して連絡するということができませんでした。

 この13年の改正によって、一定の条件を満たした民間の団体であっても、公安委員会が指定した団体であれば警察から被害者情報を提供できるということになりました。これはどういうことかというと、今まで支援活動している団体が被害者から連絡を来るのを待っていた。ここに、うちのセンターのリーフレットがございます。このリーフレットを開けますと、電話番号が三つ書いてあります。警察にはこういうリーフレットが置いてありました。たまたまこれに気づいて電話してきた方、この方に対してのみ支援をしていたのです。

 ところがこの13年の改正で、ある団体に対しては、警察から「こういう被害者がいます」という連絡を民間の支援センターに提供する。そうすると、民間の支援センターとしてはその事件の内容等を把握した上で、こちらから連絡をする。「こういうことに困っていませんか」、例えば先ほどおっしゃっていた、今後の課題として生活支援、買い物に行ったり掃除をしてもらったり、そういうこともしてもらいたいんだというお話がありましたけど、お手伝いしましょうと支援者の側から連絡できるようにしたのが、この13年の改正です。

 どのぐらい、それが大きなことかというと、例えばこのリーフレット。事件直後に事情聴取を警察で被害者の方が受けます。そのときにこれを、心ある警察官がお渡しするわけです。受け取ります。ところが被害者にはこれが見えません。とてもこんなもの頭に入らないのです。もらったことさえ忘れています。事故直後にいろんなこと言われたって、こんなの頭に入るわけはないのです。ショック状態にある方に、こういう資料をお渡ししたところで、この資料が何であるかを理解しません。もらった資料を全部袋に入れて、そのまましまってしまい、それをどこにしまったかさえ忘れてしまうという状態です。その方に、これを見て自分から電話してこいというのは非常に酷な話です。

 そうではなくて、支援団体のほうからその被害直後の方に直接ご連絡を差し上げて、もし困っていることがあればお手伝いしましょうという形をできるようにした制度だということです。このときに、初めて犯罪被害者支援というのが、被害者の実情に合わせて何とかしようという方向に動き出したことになります。次が、総合的支援の第2期といわれている時期です。これは先ほどの松村副代表の話にもありましたけども、犯罪被害者等基本法という、犯罪被害者にとっての憲法といわれる法律ができたことによる大きな変革ということになります。

 この法律ができるまでは、犯罪被害者のための政策というものの多くは、施しでした。犯給法の性格が正に表しているように、被害者の権利ではなくて、施しだったのです。例えば、先ほど優先傍聴権が認められるようになったと申し上げました。これも権利ではありません。被害者が要求すれば、それが認められるというのが権利です。優先傍聴権を認める制度を作りましたけども、裁判所は被害者の要求に応じて配慮するとなっているだけなのです。要求されたら当然に認めなければならないということにはなってないのです。つまり施しです。すべてがそういう性格のものだったわけです。ところがこの犯罪被害者等基本法によって、正に被害者の権利というものがはっきりと明言されたわけです。

 ここに書いてある、先ほどここにも出ていましたが、最も重要な権利性の原則。「すべての犯罪被害者等は個人の尊厳が重んじられ、その尊厳にふさわしい処遇を保証される権利を有する」。権利を有するという言葉です。もう施しではないんです。犯罪被害者に初めて権利が認められた瞬間ということだと思います。

 この法律ができる前に、「あすの会」の方々ともいろいろ活動しましたし、ネットワークの中でも活動しましたし、日弁連の中でも、この犯罪被害者の権利について何とかしたいという思いでいろいろ活動した中でこの法律ができたとき、12月1日、今でも忘れませんが、国会でそれが通ったというのを聞いたときは、非常に感慨の思いをしました。議員立法で出た法律ですけども、参議院で1人だけ反対、あと全員が賛成でした。その反対の方は単にボタンを押し間違えたということですが。従来から、何とかしてこの基本法を作りたいということで考えていた中では、この法律ができたときは非常に嬉しかったです。被害者の方が初めて表舞台に出られるかもしれない、今まで施しを受けていたので、それこそ「申し訳ない」と言って隅っこで小さくなっていたのが、「いや、権利です」と言って前に出ていける。その基礎ができたと私は思いました。

 この基本法に基づいて、先ほどのお話にあったように258の施策が作られたわけですけども、この中で特別説明すべきものとして、ここに刑事手続における権利の拡張というものを書きました。被害者参加制度の創設と損害賠償命令制度。被害者参加制度と損害賠償命令制度については、私も設立に当たってかなり「あすの会」と共に深く関わった思い出があるので、これができたときは、基本法のときにも増して感慨の思いでした。この制度を日本に導入するために、「あすの会」が中心となってヨーロッパへの調査団を送ったわけです。

 この調査団によって、初めて公にこういう制度を紹介した。その前に、法務省やある犯罪被害者学会の学者さんとかは、この制度があることはヨーロッパに行って調査はしておりました。ただ、それを表向き公表するということはあまりなかったんですが、「あすの会」の調査のあとその報告書が公表されて、大きく被害者参加制度、被害者が裁判の当事者になるんだと。先ほど申し上げたような証人として出てくる、あるいは証拠として扱われるということではなくて、裁判の当事者として、裁判の中に加わるんだという制度が紹介されたわけです。

 法律家の一人ですから、この制度を作るのがどれだけ大変かというのは、最初に発表した段階からかなり難しいと思っておりました。私がこの制度を発表した段階で、自分が生きている間にできるかな、そのぐらいの思いでした。それは、刑事訴訟法の改正が何十年ぶりに行われたというように、従来の刑事訴訟法を引っくり返すような改正なんです。

 従来の裁判は、先ほど申し上げたように、検察官と被告人と被告人の弁護人と裁判官。裁判は検察官と弁護人との間でキャッチボールをして、それを裁判官がどっちの言い分が正しいかを判断する訴訟の形を取っているんです。その形の中に被害者を参加させ、検察官側に被害者がつくのです。そうすると、一方の当事者は、検察官と被害者になる。一方、当事者は被告人と弁護人になるというような形の構造に変わるのです。これは訴訟の形を全部変えることになるので、従来の刑事訴訟法の考え方からするとありえない体制だったのです。

 法律家とするとそれがどれだけあり得ないのかというのは、自分が経験した中の法律改正ではこんなすごい改正はないと思っていますけども、その改正を実現したのは「あすの会」の55万人の署名活動です。国民が望んでいるんだということです。今まで裁判からは除外されていた事件の当事者、裁判の当事者ではありません、事件の当事者が初めて裁判の当事者に加わる。これは当然のことじゃないか、そういう国民の意見が多くなった中で改正されたと。法律の議論から考えるとあり得ない改正ですけども、国民の要求があれば変わる。今回の政権交代と一緒かもしれませんが、国民の意思がこれでいいということにすれば、法律の理屈ではなしに、新しい制度を作っていいということの表れだと思います。

 そして、損害賠償命令制度。これは従来加害者に対して金銭の賠償求めるためには、刑事裁判とは別に、民事の裁判を起こさなければいけませんでした。先ほどの6,100万という金額のお話がありましたが、これは刑事裁判の懲役15年の裁判とは別です。それとは別に、ご遺族が被告人を相手として民事の裁判を起こして、初めて6,100万という判決が出ます。刑事裁判は、検察官と弁護人でやります。民事の裁判は、ご遺族と加害者でやる。これは裁判所の建物は一緒ですけど、法廷は全く別の法廷でやります。通常の損害賠償請求、あるいは貸金請求と同じ扱いです。

 被害に遭って損害が発生する。当然、加害者に対して賠償を求める。被害者であれば当然やるだろうと思われがちですよ。一般にはその賠償を、幾ら幾らの判決が出たというような報道しかありませんから、当然被害に遭ったら加害者から賠償されるものだと。だから、ほとんどの方が損害賠償の請求をして、任意に払ってもらえば別ですけど、払ってもらえない場合には、損害賠償の民事の裁判を起こして賠償を受けているものだと世間の多くの人たちはそう思っています。ところが、実際はそうではありません。それは刑務所に入ってしまった加害者からお金を取れないので、民事の裁判を起こしてみても無駄だという考え方が一つ。刑事の裁判だけで疲れ切ってしまって、とても民事の裁判まではできないという方もいらっしゃいます。当然民事の裁判を起こすには、法律家である弁護士を使って、弁護士費用を被害者が払って起こすということになります。先ほど松村副代表は、東京の志賀こず江さんを使ったというお話をされていましたが、民事のほうを志賀さんがやったかどうか分かりませんけど、弁護士を使ってお金を払って賠償金を取る手続きをします。それで、実際に取れない可能性も高い。例えば強盗殺人、よくある事件かもしれませんが、強盗殺人の加害者に対して損害賠償請求ができるでしょうか。お金がなくて犯罪を犯すのです。その人から取りようがないと、諦めてしまう被害者も多い。

 「あすの会」の代表である岡村さん、この方は弁護士であって、私の大先輩です。損害賠償請求をするということで考えればプロ中のプロです。その方は加害者に対して損害賠償請求をしていません。取れないということもありますし、刑事裁判だけで疲れ切ってしまってそれどころじゃないと。だから、多くの被害者は民事の損害賠償の裁判を行っていません。刑事で有罪にするためには、膨大な記録を裁判官に提出して、その記録に基づいて、「この人が犯罪を犯しました」という判断をします。ところが、この記録は民事の裁判にそのまま使うわけじゃありません。民事の裁判に使うためにはこの記録を全部コピーして、裁判所から取り寄せるんです。同じ建物の中ですよ、法廷は違いますけど。

 長野地方裁判所の中で刑事の裁判をやりました。では、民事の裁判を起こしますといったときに、刑事の裁判所に置いてある記録、同じ建物の中の、裁判所でいったら長野地裁だと4階の刑事部の裁判官の部屋に置いてありますよ。その隣が民事部の裁判官の部屋ですよ。民事部の裁判官の部屋にその記録が持ち込まれるようにするためには、それを謄写請求して、コピーを取って、その裁判に提出してとやらないと、持っていけないのです。1枚コピーするのに今70円です。これだけの記録をコピーしたら幾らになるでしょうか。

 ここにあるのだから、ここへ持っていけばいいじゃないかと思うでしょう? それができないのです。それをできるようにしようじゃないか。そんなばかなことはないだろう、同じ裁判所にあるのです。この人がやったと裁判官が認めているのだから、その判断をそのまんま使って、あとはその金額を幾らにするかだけの判断でいいじゃないかと。元々やったのかどうかをもう一度判断する必要はないだろう。そういうために作ったのが損害賠償命令制度です。そうすると1回で済むんです。刑事裁判だけで疲れてしまった被害者の方でも、その刑事裁判の結果を使えば、金銭的な賠償を命ずる判決を取ることができる。

 決して被害者の方はお金が欲しいんじゃありません。新しいこの制度を静岡で今年使った方のご家族が言っていました。相手は強盗殺人ですから、お金が取れるなんて思ってない。「ただ、刑事的にどのくらいの罪なのだという認識と、民事的にどのくらいの責任があるのだということを加害者に認識してもらいたかった。そのために損害賠償命令を使ったんだ」とおっしゃっていました。正にそのとおりだと思います。それさえも、従来は簡単にできなかった。これができて初めてできるようになった。

 こうやって聞いてもらうと、できるようになったことが当たり前のように感じられるかもしれませんが、これを作るために「あすの会」がどれだけ苦労したか。長野にも署名活動にいらっしゃいました。確か11月だったと思いますが、非常に寒い日でした。小雨が少し降っている日で、気温もかなり低くて、その中で岡村先生始め被害者の方々が街頭で署名活動をされました。そういう活動を全国で展開して、初めてこの法律ができた。初めてこの国民の良心が政治に反映できたということだと思います。

 次に被害者への補償制度の拡充。先ほど給付金が拡充された、被害者への給付金が拡充されたというお話がありました。従来は見舞金だったというお話をしましたけども、この拡充に関しては、2段階のレベルがあることはあるのですが、自賠責法、車を運転するときに強制保険というのに入りますが、あれによる賠償が3,000万ぐらい出ると言われています。それと同じレベルの、少なくともお金を給付するということにしようということになりました。

 これは何を表しているかというと、金額が変わったことによって、支給されるお金の性質も変わってくるということです。賠償金に代わるものになってきたということです。今まではお見舞金です。それが自賠責に基づく賠償金、それに近いものに変わった。金額はさることながら、性格が変わってきたということが被害者にとっては非常に大きなことでした。変える原因は自賠責と同じにしたいという被害者の方々の声です。

 先ほどお話のあったように、交通事故で亡くなった被害者と、殺傷された被害者とで額が変わってしまうというのは非常にアンバランスだと。どうアンバランスなのか、その事件を先ほど簡単にお話されましたけども、皆さんの記憶の一番新しいところでいうと秋葉原事件です。あの事件は、レンタカーを借りてきて、歩行者天国にいた方々に突っ込んだわけです。車に轢かれて亡くなった方が何人かいらっしゃいます。そして、車から降りて、ナイフを持って周りの人に刺して歩いた。あの事件が起きたのは改正法が施行される日の前です。レンタカーで歩行者天国に突っ込んだわけですよ。当然死ぬだろうと分かっていて、猛スピードを上げて突っ込んだわけです。その車に轢かれて亡くなった方は3,000万です。降りてナイフで刺された方は1,500万です。そんな差があっていいのだろうか。犯人はどちらも殺そうと思ってやっているのです。

 だから、あの報道を見たときに、先ほど私は自分の家族のことの話をしました。その後に何を考えたかというと、車に轢かれた人は金額で言えばラッキーだったと。もちろんその直後に法律が、新しい法律が施行されるのは知っています。どうせ死ぬのなら車のほうがよかったな。そんなばかな話はないでしょう。それをもう同じ金額になんとかならないかっていうことで改正したのが、この新しい支援法と呼ばれている法律の給付金です。

 ここまでいろいろお話してきましたが、この犯罪被害者支援について民間団体も大きく関わっております。今、長野の犯罪被害者支援センターのような民間の団体、全国に今都道府県に1個ずつできました。大したことはできませんけども、被害者の方が日常的に困っていること、あるいは裁判の傍聴に行くときに1人で行くのは心細いし、行ったことないから分からない方々のお手伝いができればという思いで活動しております。

 活動としては、ここに書いてあるボランティアという活動なのです。だから皆さんも、今すぐにでも研修さえ受ければできるのです。今、聞いた被害者の方々に対して何とかしてあげたい。同じ地域に住んでいる人間としてそれじゃまずいだろう、何とかしてあげたいという気持ちさえあれば、あとはちょっと研修していただければボランティアとして被害者支援の活動ができます。その入り口は、自分はこれからどうなるんだろうと。こんなことに困っているんだけど何とかならないかという相談から始まって、実際の生活の支援、あるいは裁判の傍聴のための支援、そういうようなことをやっています。できれば、被害直後に、経済的に困っている被害者に対してその経済的な部分も救済するという活動もしていきたいと思っていますが、民間のボランティア団体ですのでそんなお金はありません。皆さんの寄付や、ちょっとばかりの行政からの補助によって活動しているわけで、そこまでなかなかできないというのが実状です。

 ドイツには「白い環」といわれる民間の被害者支援団体があります。この団体では、国からの補助を受けて、被害者に対して事件直後、経済的な支援をしています。先ほど申し上げた新しい支援法、犯給法ですね。これに基づく自賠責法と同額の同等額の経済的な支援というのではなくて、事件直後に困っている日常的なお金、1万とか2万とか、そういうお金に関して支援をできないだろうか。「白い環」はそれを支援しています。日本ではまだそこまでいっていません。

 例えば葬式を出すといっても、犯給法による給付金は早くて半年、遅ければ1年かかります。葬式のお金をどうしたらいいんだという方はいっぱいいます。もちろん、どこかから借りるということもあるかもしれません。あるいは、その葬式のために遠くから来てくれた親せき、この方々に泊まってもらうホテル代がない。あるいは裁判を傍聴にいきたい、あるいは参加したいんだけども交通費がない。あるいは、強姦被害にあったけど、親には言えないので病院に行って診てもらう治療費がない。こういう方々がいっぱいいらっしゃいます。あとで見れば、全体の中でいうとすごく小さなお金ですけども、事件直後の場合にそのお金というのは非常に大きな意味を持っています。こういうお金を補助することができないだろうかということを今考えています。

 ネットワークでは、その民間団体の傘団体にあたる全国組織の犯罪被害者支援ネットワークというところがあるのですが、そこでは今年の9月から1事件当たり3万円を限度としてお金を給付するという制度を始めました。これは皆さんの寄付を財源としてやっています。恐らくこれからはそういうことも必要になってきます。

 実際の活動で皆さんが被害者のためにボランティア活動するということも非常に重要ですし、そこまではできなくても被害者のことを十分理解する。決して自分たちは加害者にはならない、二次被害の加害者にはならないのだということを心掛ける、それも重要だと思いますし、活動はできないけども経済的な意味のボランティアになる、それもできるのではないかと思います。

 いろんな形の被害者支援のためのボランティア活動というのはあるかと思いますので、これから今日の話を、私の話、あるいは松村副代表のお話、これを参考にしていただいて、何かできることがあればということで考えていただければ今日の講演は成功だったのかなと思います。

 

Copyright (C) National Police Agency. All Rights Reserved.