講演1

 
テーマ:「犯罪被害者の現状と必要な支援」
講師:松村 恒夫 氏(全国犯罪被害者の会(あすの会)副代表幹事)

 ただいまご紹介いただきました、全国犯罪被害者の会の松村でございます。
 今日はボランティア講習ということですが、私も、「あすの会」というボランティア団体の幹事として参加しておりますので、私自身ボランティアの一員として、今日はお話させていただきたいと思います。

 今までもいろいろ言われておりますが、犯罪被害者のことを理解していただくのは本当に難しいと思います。ですけれども、私の悲しみの体験を通しまして、犯罪被害者の立場、犯罪被害者に対する支援など、これから1時間にわたりお話しさせていただきます。よろしくお願いいたします。

 まず最初に、私の事件についてご説明させていただきたいと思います。もうかれこれ、事件発生以来10年が経ちました。もう10年前の事件ですね。先日、ある新聞社から電話がありました。「松村さん、もう10年 経ったから、一区切りついたのではないですか」という電話でした。とんでもない話です。まだまだ10年経っても昨日の事件のように思われます。その悔しさというものは癒されることはありません。10年というのは一区切りではないのです。

 振り返りますと、事件は1999年11月22日に起きました。場所は東京都文京区音羽の護国寺の中です。護国寺の中には幼稚園があります。音羽幼稚園というところです。そこに通っております兄を母と一緒に迎えにいった春奈が、当時2才8ヶ月でしたけれども、その兄の友達であるお母さんに殺されました。しかもそれは知人で、私も車に乗せたので何回か一緒に話したことがあります。寡黙な女性でした。その女性が私の孫を扼殺して、その死体を彼女の実家である静岡県に運び、埋めてしまいました。したがって、罪名は殺人および死体遺棄ということです。

 刑事裁判は翌年3月から始まりました。地裁、高裁とほぼ2年間にわたりました。地裁第一審の判決では懲役14年でした。1年後に開かれた高裁で15年になりました。しかしその刑事裁判を通しても、なぜうちの孫娘が殺されなければならなかったのか、真の理由というのは判りませんでした。その理由を知るために損害賠償を求める裁判を起こしました。同時に、後でお話しますけれども、娘の名誉、個人の尊厳が非常に損なわれたものですから、名誉棄損の裁判も起こしました。

 その損害賠償を求める民事裁判では、一応ここに書いてありますとおり6,100万円の判決でした。しかし支払いはありません。画餅、絵に描いた餅に終わりました。別にお金が欲しいからやったわけではないので、 それはそれで、まあしょうがないかなと思いますが、被告人、加害者から、なぜやったのか聞きたかったの です。被告人は民事裁判には1回も出廷しませんでした。1回で結審されました。それでこの結果でした。

 その結審の中でも、私どもは、孫の命日を忘れさせないためにということで、毎月22日に賠償金を払いなさいということも言い、それが認められました。ですけれども、もちろんその支払いもありません。冷静になって考えてみれば、塀の中で1ヶ月働いてもその手当ては数千円のものですから。確かあのとき決まっていたのは一月8万円だったと思います。払えるわけがないわけですよね。命日を忘れさせないためにということでやったので、それが分かればいいなと思います。先ほど申しましたように絵に描いた餅に終わりました。ただ多額な訴訟費用がかかっただけでありました。

 よくいろんな新聞報道などで損害賠償判決が出た金額が流されますが、あれは暴力団関係のものならば、 恐らくほぼ満額払われるということなのですが、それ以外の一般的の人の場合はほとんど払われないそうです。ですから、その辺のこともマスコミではちゃんと、賠償金額は幾らだけれども実際払われることは少ないのだということも含めて報道されないと不公平になるし、こちらもいろいろ疑われて嫌なことが起こるのではないかと思います。

 全体の流れはそういうことだったのですけれども、もう少し事件について振り返ってみたいと思います。 事件は11月22日に発生しました。その3日前の11月19日の日には春奈から電話がありました。「じじ、国立の御茶ノ水幼稚園受かったよ」、非常に明るい元気な声でした。その声からわずか3日後に、私どもは奈落の底に落とされることになりました。

 事件が発生した22日の日には、警察と父兄で付近を探しました。さらに警察でもビラを作ってくれまして配ったのですが、発見できませんでした。2日目には警察の勧めもありまして、公開捜査に踏み切りました。 そうしましたら、その途端です。私は幼稚園に居たのですけれども新聞記者は来てしまう、雑誌社は来る、テレビ会社は来る。現場が幼稚園だったので、幼稚園の上はヘリコプターが舞うはで大変な騒ぎになりまし た。私どもとしたら、春奈の捜索にはマスコミの力を借りるしか方法が残っていませんでした。

 事件から3日後の11月25日の日、犯人が丸の内警察署に出頭してまいりました。そしてその犯人が所轄の大塚警察署、その大塚警察署っていうのはたまたま娘のマンションの真ん前にありまして犯人が護送されてきたり、あるいは春奈の遺体が静岡県から搬送されてきたりしました。その度に上下6車線あるその道の2車線が車で埋めつくされて、その車からフラッシュが焚かれ、まるで昼間のような明るさの光景を娘のマ ンションのベランダからぼんやりと眺めていたということを思い出します。

 そういうことがありまして、これは葬儀では大変なことになると予想されたものですから、マスコミと護国寺と葬儀社と私ども遺族の間で取材協定を結びました。護国寺の忠霊堂で葬儀はやったのですが、そこへ行くには階段を上っていかなくてはならいというロケ-ションでした。その階段の下までは取材して良いが、上は駄目だよというようなことにして、葬儀は厳かなうちにもしめやかに行われました。あの小さい子のために500人以上の人が参列してくださいました。

 そして葬儀が終わって火葬場へ向う悲嘆にくれる遺族を乗せた車が通るのですが、それを写真に撮られ、翌日の新聞に出ました。娘たちのもう痛々しいっていうか、本当にかわいそうな写真、そんな写真載せてもらいたくないのですが、載ってしまいました。そういうことがありましたが、ここまでで終われば、マスコミにもいろいろ協力していただいたので、感謝で終わったのです。

 この1999年というのは、4月には本村さんの光市母子殺人事件、それから9月には池袋の通り魔事件、10月には桶川の女子大生ストーカー事件という大きい事件、記憶に残る事件がずっと続いて起きていたのです。 そのあとの11月にうちの事件が起きてしまいました。ということで、テレビのワイドショーなり、雑誌なりで報道が非常に過熱していました。

 そしてその報道も、最初は、「犯人のみつ子はうちの娘たちを羨んでいたからバカなことをしたね」という識者のコメントが流れていたのですが、しばらくするとそれも消えてしまいました。結局、春奈とみつ子の長女の、たまたま同じ幼稚園を受けたのですけれども、うちだけ受かったというようなことがあって、お受験競争、お受験戦争だと言われるようになりました。しかも、音羽の地区というのは東京の中でも非常に教育熱の高いところだからというようなこともありまして、お受験戦争というふうに言われてしまいました。

 その後、みつ子、その犯人のほうで「心のぶつかり合い」があったとか、あるいは「心の闇」とかという ことを言い出したものですから、その言葉が一人歩きしてしまいました。さらに、まだ2才8ヶ月の子が殺されたのだから、よっぽどその母親はひどい母親だったのではないかというように極悪な母親像というもの が世間の偏見に基づいて報道されるようになりました。

 その報道を見て、みつ子と同じ世代の母親たちが、いわゆる子育て不安というものを駆り立てまして、「いや、これはみつ子だけじゃないよ、私たちもそうなる可能性があったのだよ」ということで、共感を呼び、加害者の応援団を形成していくような流れができました。さらに、加害者のほうの心情、加害者側の情報が、加害者側の弁護士から一方的に流されました。

 そのような論調に対して、娘の知人とかあるいは友達がそれは違うよということで、テレビ、新聞社にかなり掛け合いました。ところが特にテレビ局だと聞いていますけれども、「春奈ちゃんの母親はこういう人なのですよ」ということを話しても、「それじゃ面白くないからいいですよ。つまらない。結構です」ということで、取材はもちろんそれでおしまいですし、報道もされませんでした。さらに言うと、「あんたがそんなに言いたいなら、テレビに出て言いなさいよ」というところまで言われたのです。これはマスコミの横暴だと思うのです。そういうような抗議をしても誤った報道については訂正されませんでした。

 このようなことが続いてしまったものですから、あまりにもひどいなと感じました。さらに取材合戦も、もちろん公開捜査をお願いしたことがありますから、娘のマンションの場所なども分かっていましたし、さらに驚くことにはその実家である私の家までも分かっていました。そこまで取材に来るのです。こんなにやられたらかなわない。家から外にも出られない。これは何とかしなきゃいけないなということで、その取材を止めさせるためにどうしたらいいだろうと考えました。そしていろいろ相談した結果、弁護士さんに頼むよりないなということになり、依頼しました。

 そうしましたら、弁護士さんのほうでは加害者に対しての弁護、あるいは仕事というのはしたことがあっ たのですが、被害者からこういうことやってくださいと頼まれたことはなかったのです。それで、東京の弁護士会の中に四つのプロジェクトチームができました。

 1チ-ムは今お話しましたメディアスクラムに対処するために、『以後のマスコミの取材対応は私が一切やりますから』と、取材窓口になってくれました。それから、次は刑事裁判を担当しましょうということで、 もちろん私どもは裁判がどう進むのか全然分かりませんから、その刑事裁判をサポートしますよという弁護 士さん。それから、損害賠償を担当してくださる弁護士さん。さらには名誉棄損を担当してくださる弁護士さんという、四つのチ-ムを作ってくれました。このプロジェクトチームがなかったら恐らく私はここに立ってないと思います。と申しますのは、その中の刑事裁判を担当してくださった弁護士さん、これは志賀さんという女性の弁護士ですけれども、その方は2年間にわたり刑事裁判を支援してくださったのですけれど も、その先生が、裁判が始まって1年ぐらい経ったときに、「松村さん、あなたも岡村先生を助けるというか、一緒にやったらいかがですか」と言われました。

 私はどちらかというと、傷跡を舐めあうようなことは嫌いです。ですから恐らく、そういうことをしている被害者だけの集まりだとしたら「あすの会」に入っていかなかったと思います。しかし、その刑事裁判の過程で志賀先生からも「あすの会」の話を聞きましたし、「ああ、裁判での被害者に対する扱いはひどいな」 というのを実感していました。その当時岡村先生はいろいろあちこちで講演されておられましたし、マスコミでも一応拝見してましたから、「ああ、こういうことなのか」ということが分かってきたので、岡村先生と連絡を取りました。そうしたら、「来てください」ということで行くようになったのですね。犯罪被害者の活動に飛び込むということは非常に勇気がいります。そういうようなことで、それも縁だったのかなと、今になってみれば思います。

 私どもの事件がどのように報道されていたのかということは分かりませんでした。というのは、事件直後は、娘夫婦は調書の作成があったりしまして警察だ、検察だと行ったりしていますし、その間春奈の兄を預 かっていたりすると、テレビを見せるわけにいきませんので、どんな報道がなされてるのか分かりませんでした。

 そのうち全国から東京都文京区若山様だけではがきや手紙が届くようになりました。その文面を見てびっくりしました。その文面は、「加害者をいじめたのだから、今度はお前が死ぬ番だ」とか、あるいは「娘さんを殺されてよかったね」という、娘を失った心の傷にさらに塩を塗り込むようなひどい手紙が来るようになりました。これがマスコミのせいであることは明白でありますし、また世間の偏見に基づいた報道であることは確かでありました。こういう一件があって以来、娘たちはマスコミを全然信じなくなりましたし、人間も信じるということができなくなりました。

 一方、今申し上げましたが、間違った母親像というか、虚像が世の中に蔓延しているので、娘は外出もままなりませんでした。外出したらそういう誤解した人たちから、恨まれて刺されたりするかもしれないということで、外出もできなくなりました。こういう恐怖心ができまして、どうしても電車に乗らなきゃならな いときは、ドアのそばに立って外を見ているということをせざるを得なくなりました。

 一方、「あのときに、私が春奈から目を離さなければこんなことにならなかったのに」という自責の念に駆られます。また、都心ですからビルの屋上にクレーン車が乗っているビルの建築現場などを通りますと、春奈が生きているときに一緒に歩いていますと、「ママ、あのキリンさん、今日も仕事がんばってるね」というようなことを言っていました。そういうようなことを思い出しますし、あることを見るといろいろ思い出したりして、なかなか被害から回復するのは大変です。

 これも後で述べますけども、報道で受けた傷というものは、一生背負っていかなきゃならないということが被害者です。被害者の報道に対するこの歪められたこと、被害には、時効というものはありません。一生、生きている限り背負ってゆかなければならない辛い被害であります。

 しからば、名誉棄損訴訟でどうなったかといいますと、先ほどから申し上げますとおり、マスコミによる報道というものは、特に母親の尊厳を傷つけたものだということで、刑事事件の一審の判決が出たあとに公 判記録が使えるようになるので、それを使いまして提訴するということとなりました。

 一番影響の大きかったのはテレビ番組なのですけども、残念ながらテレビ番組の局側での保存期間義務は3ヶ月しかありません。私どもがこの事件を提訴したのは、事件発生からもう1年以上後ということと、もちろんあの混乱した中で、私どもがワイドショーをビデオに撮っておくということは無理なことでした。そういうことで、テレビ各社を訴えることはできせん。残念ながら断念せざるを得なかったのです。したがって、そのとき非常にひどかった四つの雑誌と一つの書籍を提訴するところとなりました。

 これもまた、そのいろんな証拠書類を提出する、集めるためには、国会図書館まで行ったり、それのコピーを取ったりして、お金と時間がものすごくかかりました。でも、やらざるを得ないということでやりました。さらに4社5誌ということなのでけども、3社4誌とは和解ということで、ただ普通の謝罪文と広告と和解金で一応決着はつけました。

 ただ一社、発行部数70万部を誇る週刊文春とは、簡単には済ませたくないということでしたので、週刊文春だけは2年間かかりました。最終的な決着は、私の書いた手記を週刊文春に載せること。報道被害でどういう被害に遭ったのか、大変だったということを書いたもの。それから電車の中の中吊広告も大きく分かるように、「間違えました」と謝罪の意味が分かるような謝罪を中吊広告にしなさいということ。それからさらに、新聞広告の上でも、これが謝罪している検証文が載っているのだということが分かるようにしてくださいよということを出して、週刊文春とも和解することができました。

 これらのその名誉棄損の訴訟なのですけども、いずれにしても決着した和解金というのは非常に低いです。アメリカとかあるいはヨーロッパとかそういうものに比べて、桁が全然違います。ですから恐らく金で解決すれば大したことないよということで、早く報道したほうが得だよというような体制ができているのではないかと思います。ですから、本来ならば名誉棄損の賠償金額をもっと高いものにすることがいいのではないかなとも思います。

 では、一般的に犯罪被害になるとはどういうことなのかいうことですが。これは先ほどからお話しておりますように、あれだけのことをされたのだから、やられるほうは相当悪いのではないかという偏見がどうしてもあります。

 これは例えば夜中、女性が歩いていて被害に遭ったとしても、「あんな時間にあんなところを歩いていたのだから、悪いのは女性なんだ」と世間では考えてしまいます。ですけれども、実際にはそんなことしたほうが悪いに決まっているのです。しかし世間では、あんな時間にあんなところにいるから、ということにされてしまうこともありますし、また私どもの例のように、マスコミの集中取材の対象にもなります。またさらに、そのときに何でも、加害者のほうよりもどちらかというと被害者のプライバシーというものがマスコミに暴かれます。もう一つあることは、その捜査、うちの場合でも孫を探さなければならないというときに、もしかしたら誘拐事件じゃないかということも考えられたので、刑事さんが泊まり込んでくれました。そうすると、一切プラ イバシーも全部なくなっちゃうということもあります。

 さらに、自責の念に駆られるということで、先ほども話しましたけども、「自分が目を離さなければあんなことにならなかったのに」ということを後悔して、娘も、もちろん旦那さんとか向こうの親とかにいろいろ謝ったし、何回も何回も申し訳ないということを言ったし、あるいはマンションから飛び降りて死にたいと思ったことが何回かあったそうです。でも、娘を亡くされた上にさらにまたうちの娘、母親まで亡くなっては、残された男の子と旦那さんに申し訳ないということで思いとどまったということは聞きました。

 経済的な負担でも、すぐに葬儀は出さなくてはならないし、さらに、事件によっては傷害事件の場合にはすぐ入院しなくてはならない。この時点ですから、全部自分で払わなくてはならない。私どもの会員の中にも、1週間、死ぬまでにかかったお金が200万だとか400万だとかいう請求金額でびっくりした被害者もお ります。

 さらに、先ほども何回も話していますが人間不信で、今まで信じていた人がああいうことやるのだということで、この事件があった直後には警察しか信じられません。それ以外の人が何を言ってもだめです。

 かわいそうにというふうに見られるし、それでまた、お前があのときこういうことしなければ、うちの場合ですと、例えば「お前があのとき目を離さなければ、こんなことなんなかったのに」ということで責められたら、家族崩壊したと思います。

 ということを受けて、結局最終的には、うちの場合でもそう、私もそう思いますけども、うちの孫娘、孫が殺されたのだから、この仇は国に取ってもらいたいのだというふうに思います。被害者が仇を取ることができればいいのですけれども、そういうことできませんので、国にお願いするしかないと思っております。

 さらに先ほど申しましたが、被害者は警察をものすごく信頼しているんですね。それで警察とか検察にものすごく協力して、「調書を取りましょう」「はい、はい」と行くのですけれども裏切られるのです。結局は。 それから裁判になると、特に一番失望するのは量刑です。被害者は死刑にしてもらいたいと思っているのに、懲役何年で終わってしまうということで、あれだけこちらが入れ込んで協力していたのに、やっぱり被害者の思うとおりにはやってくれないのだということで、司法不信になってしまいます。ですから、犯罪被害者ということを理解するには、本当に犯罪被害者にならなければ理解することは難しいのではないかと思います。

 1週間ぐらい前ですか、確か裁判員裁判であった判決の中で、判決が終わったあとで裁判長が被告人に言 った言葉は許せないというか、おかしいなと思いました。どういうことかというと、裁判長がその被告人に対して、「刑務所へ入って、被害者の冥福を祈りなさい」ということを言いました。どこに殺した犯人に冥福を祈ってもらいたいと思っている被害者がいるでしょうか。とんでもない話です。裁判官でさえこんな認識です。ということを考えてみると、やはり一般の人に分かっていただくのは、なかなか大変なことだろうと思いました。

 ですから、本当に犯罪被害者というのは、確かに少ない人かもしれないけれども、それを理解して皆様のようにボランティア活動してくださることは非常にありがたいと思います。ですが、なかなか奥が深いし大変だなと思います。

 それで最終的に、報道被害というのはどういうことかといいますと、ここに[PDF:124KB]まとめてありますが、集中取材。ほんとに稲穂に群がるバッタじゃないのですけども、本当にマスコミがどっと来て、食うだけ食ってさっと逃げちゃうというようなことがありますし、四六時中監視されているような状態で、外に遊びに行くこともできません。買い物に行くこともできませんし、本当に大変なことです。

 さらに、報道被害で一番大きいのはこの誤った報道です。ですから、確かにいろんな緘口令が敷かれたりなどして、うちの場合もそうだったのですけども、情報源がほとんどない。ない場合があるのですね。警察発表だけを鵜呑みにして流すということしかない場合もあるかもしれません。ですけど、これは特ダネだと思って何かちょっとしたこと、関係のある人からのコメントを取って流したりするのですけれども、そういう場合でも確認をしないで流してはいけません。未確認の情報を流した場合、あとで被害者が大変な迷惑を受けます。それからまた、とにかく世間の偏見で、「合ってるからこれでいいんじゃないか」というふうに流されたことにも迷惑いたします。

 いずれにしても、そういう誤った報道がされてもマスコミは謝りません。謝罪すらほとんどしません。ですからやりっぱなしです。それだけ責任を持って報道するならば、報道内容の確認をしていただかないと大変なことになります。ですから、もし誤った報道をしたと思ったらば、その気がついた時点ですぐに訂正するという姿勢が必要なのだろうと思います。

 またさらに3番目として、許可なしの情報発信でありますけども、死体の写真だとか、葬儀のときの写真だとか、そういう被害者の写真だとか、悲しみに沈んでいる被害者の写真だとか、遺族の写真だとか、そういうのはやはり流すべきじゃないだろうと思います。

 しかし被害者の中には全然うちの事件は報道してくれなかったということをおっしゃる被害者の方もいらっしゃいます。どっちがいいのか分かりませんけれども、そんなに報道してくれないということで怒っている被害者もいるのだなということで、僕はびっくりしたことを覚えています。

 いずれにしても、結果的にはそのとき報道されたことを、特に誤報の場合には、その報道によって傷つけられ被害を被害者は一生背負っていかなきゃならないだろうと思いますし、非常にきついことです。

 それでは、これからちょっと変わりますけども、事件が起きまして、犯人が逮捕されますと刑事裁判が始まります。被害者がなぜ刑事裁判に参加したいと思うのでしょうか。これは平成2年に最高裁判所であった判決なのですけども、「加害者を処罰するのは社会の秩序を乱したためであって、被害者のためにしているのではない」ということをはっきり言われました。

 ですけれども、被害者はそのような中でも敢えて裁判に参加したいということです。なぜかというと、一つはどんな相手に殺されたのか、またどんな方法で殺されたのか、最後は何を言ったのか、最後はどうだったのか、殺される前に何を言ったのか、声はどうだったのかということを知りたいということが一つ。

 それからその次に、加害者のほうは自分の刑を軽くするために、ないことないことどんどん言います。そのために被害者の名誉を傷つけることが相当あるのです。ですから、そのような傷つけられた名誉を守らなきゃならない。これも裁判に参加して言いたいということですし、結果的には加害者に対して適正な刑罰が下ればいいなということです。

 このような平成2年の最高裁の判決に対して、後で述べますが、平成16年には犯罪被害者等基本法というのができまして、初めて司法は犯罪被害者のためにもあるのだということが認められました。

 次に犯罪被害者と加害者で、どういうふうに国がお金を使っているのかということを示したのがこのグラフです。犯罪被害者のために、これは2005年の実績ですが、今この時点では11億しかお金を使っていませんでした。これは犯罪被害者等給付金ということなので すが、それが今は大体20億ぐらいになっていますから、大体この倍ぐらいになっていると思います。それでもこんなに少ない金額です。

 一方、被告人に対しては355億ものお金が使われています。内訳は、ここに書いてありますように、医療のお金だとか入浴だとか食費だとか被服費だとか、中でも大きいのは国選弁護費用です。国選弁護費用で75億、大きい金額が使われております。それと食費です。ほとんど食費です。

 ですから被告人は、食べて住むというか、居るところ、寝るところかもしれませんけど、医療費まで含めて全部タダです。ですから、これが1年間の彼らの経費というわけです。これ以外にも刑務官だとかいろいろと管理する人がいますから、大体数千億のお金が使われることになります。そうすると被告人に対しての 1年間の費用というのは、大体1人当たり、250万円かかっています。ですから、死刑を執行しないで1年間死刑囚を生かしておけば、250万円のお金がかかります。

 別にもう一つ、次にありますけども、それでは国民1人当たりどれぐらい犯罪被害者等給付金のお金を負担しているのか、これ世界的にみたらどうなのかというのが次のグラフです。日本は8円72銭、これ2005年だったからそうなのですけども、今ですと20億といいましたから、大体この倍ぐらいだと思います。それ でも15、6円、17円ぐらいですか。アメリカが179円だとか、イギリスが483円、フランスは600円負担し ているわけです、犯罪被害者等の給付金のために。

 ですから日本でも、例えば一人100円負担するということはもうそれで100億になるわけですね。犯罪被害者に対して今は20億円ぐらいしか犯罪被害者等給付金としての負担はしておりません。非常に低い金額で、これが国連でお金を拠出する額の世界で2番目の国のやってることだとは思えません。むしろもう少し犯罪被害者等給付金という形でいいと思うのですけども、国が支出してもいいのじゃないかと思います。

 それでは私どもが、今までこう私が話してまいりましたけども、私の所属している全国犯罪被害者の会というものがどういう会なのか、恐らくご存じの方もあるかもしれませんが、どちらかというとあまり知られ てないと思いますので、ご紹介させていただきます。

 ほぼ10年前の2000年の1月に「あすの会」全国犯罪被害者の会はできました。これは1997年に逆恨みした暴漢が奥様を殺した、奥様が暴漢に殺された岡村勲弁議士が他の5人の被害者と共に立ち上げた会なのです。これは、根本的な考え方として犯罪被害者というのはただ単なる哀れみの対象じゃなくて、もっと尊厳のある対象なのだと。だから裁判へも参加したり、それぞれの権限、権利というものを認めてもらおうではないかということで、権利を確立したり裁判の中にも参加、入っていこうじゃないかということを目的としています。

 それから附帯私訴制度というのは、刑事裁判と民事裁判を一緒にやること。そういうことをしてもらってもいいではないかということです。さらに被害回復するということで、犯罪被害者等給付金というものをもっと充実してもらわなければならないのだということですし、被害者および近親者に対する支援ということで、裁判に付き添ったりするということもあります。特に被害者に対する理解というものを皆さんに分かってもらわなければならないということで、発足以来、積極的に全国的に講演活動してまいりました。

 そのような「あすの会」なのですけども、この会は別に会費を集めているわけじゃありません。すべて浄財というか、寄付金で賄われています。その源はフォーラムといいまして、今の東京都知事の石原慎太郎さんだとか瀬戸内寂聴さん、それからトヨタの社長をなさった奥田さんだとか、キリンビールの樋口廣太郎さんというような方が中心になって、浄財を集めてくれました。それが基になって活動しています。

 ですから普通は支援、支援ということでこういうことをやってくださいというお願い事だけではなくて、もっと法的な仕組み、あるいは警察にも言えない被害者の人、先ほども話しましたけども、警察に対しては被害者が非常に世話になっているということもあって、あまり警察に文句言った人はいないのですね。警察にも文句が言えるような立場でもっていろいろやっていかなくてはならないということで活動してきましたし、特に支援するため、あるいはこれから被害を回復するためのインフラの整備に力を入れてやってきました。

 具体的にどういうことをやってきたかというのが次ですけれども、2002年の9月には第1次ヨーロッパ調査団を派遣しました。被害者がどういうふうに裁判に関わっているのか、またはその附帯私訴制度というか、損害賠償命令制度をどういうふうにやっているのかということを調べるために、2002年9月にドイツとフランスに調査団を派遣しました。このときは酒井先生にも行っていただきました。

 翌年には、ヨーロッパの被害者が裁判に参加しているのは間違いじゃないのだということを踏まえて、翌年から、そういう制度を作るにはどうしたらいいだろうということで署名活動を開始しました。2003年から2004年にかけて1年間行いました。全国県庁所在地を中心に50箇所でさせていただきました。長野でもさせていただきました。その節のご協力ありがとうございました。最終的に55万7,000人以上の署名をいただくことができました。それを法務大臣に提出しましたが、その途中で小泉総理大臣にお会いして、とにかく犯罪被害者のみじめな状態を訴えました。そうしたら本当に「そんな大変なのか」とびっくりされまして、それは何とかしなければということで、自民党と政府の両方でもって検討が始まり、その結果として2004年12月1日に犯罪被害者等基本法ができました。

 その後は、それに基づいた基本計画だとか、あとは、我々のほうで要求してきました被害者が裁判の中に加わるということで、刑事訴訟法の改正。これは60年振りだそうですけども、それは実現しました。さらに被害者にも国選弁護人が付く。それから、犯罪被害者等給付金も増額されるなど、いろいろ制度的にはできたのです。実際に始まったのは平成20年12月1日から、被害者参加制度と賠償命令制度が施行されました。これから6ヶ月後の5月に、裁判員制度が始まることになっていました。ということで、「あすの会」が関係して法律をかなり変えることができました。その中でも一番基になるのが犯罪被害者等基本法です。

 これは今まで、犯罪被害者というと支援すれば良いのではないかということで来たのですけれども、支援じゃなくて、犯罪被害者を一つの個体として尊厳として権利として認めようじゃないかというのが、この犯罪被害者等基本法です。ですから、犯罪被害者にとっては憲法みたいなものです。

 その基本理念もそうですけども、特に前文として、「犯罪等による被害について第一義的責任を負うのは、加害者である。しかしながら、犯罪等を抑止し、安全で安心して暮らせる社会の実現を図る責務を有する我々もまた、犯罪被害者等の声に耳を傾けねばならない。国民の誰もが犯罪被害者等となる可能性が高まっている今こそ、犯罪被害者等の視点に立った施策を講じ、その権利利益の保護が図られる社会の実現に向けた新たな一歩を踏み出さねばならない」ということが謳ってあります。全くこのとおりです。

 この犯罪被害者等基本法を具体化させるものとして、犯罪被害者等基本計画というものが翌年に策定されました。内閣府に置かれた、官房長官を会長として組織された内閣府犯罪被害者等推進会議の下で、犯罪被害者等基本計画が2005年の12月に閣議決定されました。その内容として、特に基本方針は、支援するというよりもその犯罪被害者として、その個人としての尊厳にふさわしい処遇をしなくてはならないのだということだとか、個々に異なる被害者の実情を汲んで、きめの細かい施策をしなければならないというようなことだとか、それからまた、一回限りで終わるのではなくて継続的に被害を支援していかなければならないのだというようなことです。このようなことも国民の理解を得て初めて行われるので、国民の人に広く理解をしていただくことが必要なのだということを謳っています。

 ですから、このような会議もその一つです。さらにここで基本計画が具体的にどういうものかといいますと、先ほど重田さんの話の中にもありましたけれども、258の項目が決まっております。特にこれをやるに当たりまして、多くの被害者団体から要求を聞きました。そうすると1,000項目以上の要求がありました。それを258の施策に整理しまして計画となりました。

 その一つ目として、損害回復・経済的支援等への取組ということで、具体的に何かというと、犯罪被害者等給付金が自動車賠償責任と同じぐらいの額に増えなければならない。ほぼ半分以下だったのですね。それを上げなくてはいけない。

 それからまた、さらに損害賠償命令制度といいまして、損害賠償の訴訟も刑事裁判に続いてできなければならない、そういうふうにしましょうということだとか、被害者参加人のための弁護士を国費によって選任することができるようにしようというようなことが、一つの括りとしてあります。

 それから精神的・身体的被害の回復・防止への取組とはどういうことかといいますと、これは被害に遭ったあと、立ち直るまでの間、非常に精神的にも負担がかかっていますから、そのカウンセリングをしてもらったり、いろんな情報を教えてもらうことによって非常に救われたりするように、あるいは、今まで加害者のことしか教えてない法科大学院でも、被害者のことも教えなくてはならない、教えなさいよというようなことだとかであります。

 それから、その次の刑事手続への関与拡充への取組ということは、これは何回も話に出てきましたけども、被害者が裁判に参加する制度とか、あるいは重大事件において少年審判、少年が裁かれる、逆送された刑事裁判である審判の席でも被害者が傍聴することができるようにしなさいということ。

 さらには、支援等のための体制整備への取組ということなのですけども、これは地域の警察官が被害者の家を訪問したり、あるいは起訴されない事件でも「こういうことになりましたよ」ということで、事件の処理結果を報告しなきゃいけないというようなことだとか。前はよくあったのですけども、自分が知らない間に裁判が終わっているということがないように、ちゃんと、公判があれば公判期日を教えるということなど。あるいは、体制の一つとして大きいのが法テラスという組織です。これができてきまして、取り敢えずそこへ行けば被害者の相談に乗ってくれるし、必要ならば弁護士さんも紹介してくれるというような組織ができました。また、実際そのどういう支援が必要なのかということを調べるために、被害者の現状を調べる被害者類型別調査ということもやっております。

 最後として、今この会議も、講演会もそうですけれども、国民の理解の増進と配慮・協力の確保への取組ということで、広く一般の方に理解していただくためにこういう講演会もするし、あるいは道徳教育で命の貴さというものを教えなきゃいけないとか、あるいは犯罪被害者週間ということで、11月25日から12月1日にかけて、そのときは、国民に広く犯罪被害者のことを理解していただく機会を設けなきゃいけないということもあります。

 確かこの国民の理解を求めるという中に、犯罪被害者の事件があったときに匿名で言うのか実名で言うのかということがありまして、そのときに、我々の犯罪被害者のほうは匿名でやってください、基本的には匿名でお願いします。しかし、報道関係者は、先ほど言いました専門会議の席上、マスコミは、実名じゃなければ駄目だということを言われました。結局その会議は全員一致が原則なものですから、それではということで、警察が匿名か実名かを判断して発表しますということになりました。最近の傾向を見ていると、警察がよく被害者の意見を聞いて匿名にしたり、特に性被害の問題だとか、そういう場合は匿名にする等、気を遣っているように見えます。このような五つの大きい項目からできました。

 それでは、過去9年間にどういうふうに犯罪被害者の環境も変わってきたのかということを示したのが、このビューグラフです。先ほど申しましたけども、刑事訴訟法が改正されて、犯罪被害者は今まで傍聴席しか法廷の中でいる場所がなかったのですけれども、それが法廷の中へ入って検事の横に座れるようになりましたし、条件はありますけれども、加害者、被告人への質問もできますし、国選弁護人を付けることもできます。

 さらに量刑についても意見が言える。これが非常に大きいのですね。今までは何も量刑については言えないし、言っては駄目だということでしたから、何も言えなかった。ですけども、言った結果、そういう判決が出なかったとしても、そういうことを相手にぶつけるというか、被告人に対して言えるということだけでも、これは随分精神的に違います。

 それから最後、公判記録の閲覧とか謄写の機会の拡大ということで、以前は、先ほど私も話しましたけども、判決が出ないと公判記録は見れなかったのですが、最近はもっと前から見ることができるようになりました。

 それから損害賠償命令制度。これは今までありませんでした。刑事裁判と同じ裁判官が損害賠償命令制度で裁いてくれます。しかも、その制度を利用するのに2,000円の収入印紙でできます。ですから、今まで刑事裁判だけやって、本当に精も根も尽き果てて、もう嫌だよと、損害賠償も本当はやりたかったのだけどできなかったということは、かなり回避されます。2,000円でできるようになりました。

 それから、加害者情報提供の拡充ということで、今までは加害者がどこに収容されているか分かりませんでしたが、今どこの刑務所にいて、どうしているとかということが分かるようになってきたりもしたましたし、特に性被害の女性の場合には、どこに加害者がいるのか知りたい、そばにいてもらいたくないということもありますので、そういう情報も提供してくれるようになりました。

 それから、先ほどお話しましたが少年審判の傍聴もできるようになりましたし、それから、犯罪被害給付制度が拡充されて、自動車賠償責任保険とほぼ同じ額に今はなっています。

 ですから、例えばあの下関の事件があったときに、下関駅の構内に車が進入してきて人が何人か殺されましたけども、車で殺された人と、犯人が車を降りてナイフで殺された被害者で遺族給付の金額は違っていたのですね。最近はこういうことで、今年の7月に変わりまして、ほぼ同じ金額になるようになりました。同じところで殺されても国から出るお金が違うって、やはりおかしいのじゃないかということで、改正されたわけです。

 それから次に、今後充実して欲しい施策ということですけども、これは内閣府で行いました20年度の犯罪 被害者類型別継続調査によれば、この中でもありますけども、加害者情報の提供、特にこれは性犯罪の被害者は、加害者が今どこに住んでいるのか、あるいはどこにいるのかということを知りたいということが非常に大きいです。

 それからあと、治療専門家、PTSDに関する専門家が少ないのですね。ですからこれを是非充実してほしいということで、特に殺人事件の被害者はこれを要望しております。

 それから、民事賠償責任についての援助もお願いするということも、やっぱりこれは回答が多いですけども、だんだんいろんなことで法テラスなどの団体が教えてくれるようになったので、そういう面で要望としては減ってきています。それから、給付制度ももちろんさらに充実してほしいということは相変わらずあります。

 それからあと、日常の家事、同居家族の世話だとか病院等への付添いなのですが、これは事件直後は特に、調書なんか取られることもありますが、買い物にも行けない、洗濯もできない、掃除もできないといったときに、掃除していただくとか。あるいはそのとき一緒に子供の面倒を見てもらうとか、あるいは病院へ行く、お見舞いに行くのだけど、そのときに運転手になってもらうとか、そういうことをしてもらうと非常に助かるのだということが出ております。

 もう一つ、社会保障や福祉制度は今までどおり同じように充実していただきたいし、それから、どのようなことで、我々は支援してもらえるのかということを教えてもらいたいという情報提供の要求もあります。

 次に、犯罪被害者にはどういうようなことが被害回復に有効なのかということがこのビュ-グラフです。特に効果があるのは、適正な処罰が下されることです。 被害回復にものすごく役立ちます。いろいろありますけども、特に有効なのが適正な処罰なのです。これが 満たされないからフラストレーションがたまって、なかなか回復できないということがあるのではないかと 思います。

 その他、被害の弁償だとか、事件についての情報だとか、法的な経済的支援だとか、特にカウンセリングしてもらうことによって救われるということもあります。特にここに示しておりますけども、犯罪被害者個人で立ち直るのは大変ですけれども、そのためには地域の人々が理解して支えてくれることが重要なのだと。これは特別何かしないでもいいのです。ただそばにいてくれて、何かあったときに相談に乗ってくれるだけでもいいというのが、この言葉になって表れています。

 最後ですけども、「あすの会」というのは、皆さんも「明日は被害者になるから気をつけよう」ではなくて、「明日はまた元気になって幸福になろう」ということで、「あすの会」という名前をつけたのです。最初のうちは、みんな明日はあなたも被害者になるんだよというような意味に取られまして、あまりよくなかったのですけれども。明日は本当に犯罪被害者にならないと誰も言えない、こういう時世なんですね、残念ながら。

 犯罪被害者等基本法で犯罪被害者の存在が認められて、基本計画の中でその尊厳が認められる。被害者個々に対してきめの細かい適正な施策が地方で求められている。特に犯罪被害者は、今まで生きてきた地域で、その地域の人々に支えられることによって生活が続けられ、それによって事件前の平穏に近い生活に戻ることができるのではないかと信じます。

 特に、平成21年度の内閣府で決まった標語なのですけれども、「考えよう 命の重み もう一度」。これは本当に、すべての言葉を表していると思います。今後とも、地域の方々が支えてあげることによって犯罪被害者等が回復することを祈ってやみません。

 

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