講演

 
テーマ:「犯罪被害者の現状と支援」
講師:山岸 重幸 氏(弁護士・信州大学大学院法曹法務研究科特任教授・NPO法人長野犯罪被害者支援センター理事)

 ただ今ご紹介いただきました、弁護士をやっております山岸と申します。本日は平日のお忙しい折、このような機会を設けていただきまして、改めて御礼申し上げます。今日は、今ご紹介があったとおり、犯罪被害者につきまして、被害者の状況等につきまして、できるだけ分かりやすくお話をさせていただければと思っております。

 早速本題に入らせていただきますが、犯罪による被害ということですが、一般に日常生活をされていると本当に遠い世界の出来事、自分の生活とはあまりにかけ離れている、そういう世界の出来事のような気がされるというのが通常の感覚であろうと思います。ただ、先ほど佐藤課長からもご案内があったとおり、刑法犯、認知件数が21,000件を超えている。認知件数というのは、実際に警察が、犯罪が発生したということをちゃんと認めた事件ですから、たまたま警察には分からない事件も無いとは言えません。ですから、実際の犯罪件数は、もっと多い可能性もあります。また、交通事故も約12,000件であるということです。ということは、交通事故と刑法犯合わせて3万件を超える件数が昨年起こっている。長野県の人口が200万人ぐらいだと聞いておりますので、100人に2、3人ぐらいの方が毎年被害に遭われる。視点を変えて、100年単位で考えると、犯罪発生件数は1年で2万件以上ですから、100年で200万以上の方が被害に遭う。

 そうすると、人生が仮に100年とするならば、必ず一生のうち1回や2回は犯罪被害に遭うのかもしれないということになろうかと思います。これは非常に重大なことで、一生の内に犯罪被害に遭わないで生活ができるということは、ある意味非常に幸運なことと言えるのかもしれません。こんなこと言うと、恐縮ですけれども、交通事故というのは、ある日突然被害に遭ったり、あるいは、場合によっては加害者になってしまったりということですから、ほんとに今日帰りに万が一遭うということもありうる。皆さんに非常に身近な問題であるということを、まずご理解をいただければと思います。

 そのように、実は非常に身近に犯罪というものが我々を待ち受けている。そして不幸にして実際にも、そういう被害に実際に遭うことがありますが、そうなると、実際問題としてどういうことが起こるのか。まず自分の身の回り、あるいはその身体、あるいは財産についてどのようなことが起きるのかということです。

 例えば一番重大な犯罪であろう殺人事件で考えてみます。実際に殺人事件に遭った被害者ご本人は、人生がそこで終わってしまいます。周りに残されたご家族も、ある日突然ご家族を失うことになります。今日の朝、元気に出かけていった家族が、もう二度と戻らないという状況になります。病気であれば看病もできるかもしれませんけれども、そんな時間的余裕もなく、ある日あるとき突然にそういった不幸が訪れるということです。それは家族にとってもご本人にとっても、人生や夢や希望が失われるということになります。そして、被害に遭われた被害者が一家の大黒柱である場合には、ご家族にとっては生活の糧すら失うということも起こりうるということになります。

 また、殺人事件の被害に遭わなかったとしても、傷害事件の被害に遭われたという場合も考えてみますと、傷害を受けた体の部位によっては、健康を失って、場合によっては後遺障害が残ったりすることもあると思います。そうすると、それまでの仕事ができなくなってしまう場合も当然出てくる。仕事ができなくなると、やはり生活の糧も失われてしまう。あるいは、希望を持ってその仕事に就いて頑張っておられたということになると、本当にまた人生の夢や希望も失ってしまう、そういうことになります。

 殺人事件とか傷害事件とかということでなくても、財産を、例えばひったくりに遭ってバッグを盗まれるということになると、そのお金がなくなってしまいます。あるいはそのバッグが思い出の品であれば、その思い出も自分の手元からなくなってしまう。

 私も東京で暮らしている頃によく自転車を盗まれまして、2、3回盗まれたと思うんですが、かなりしんどかったです。そのときの気持ちは、怒り心頭というか、かなり辛い思いをした記憶があります。自転車でさえそうなわけですから、被害に遭われた方の気持ちというのは、相当なものであろうと思います。

 では、次に、空き巣に入られたという被害を考えてみます。空き巣というのも、鍵をたまたまかけ忘れたということであれば、鍵を壊されるということもありませんけれども、通常は、ドアの鍵を壊されたり、窓ガラスを割られたり。そして、侵入されて、中が荒らされて、金目のものを取られるということになります。そうすると、例えば施錠ができない、自分の家だとしても、その日本当に泊まることができるのかという問題がまず起きます。また、あとからもう一回犯人がやってきたらどうしようと、そういう恐怖を当然、被害に遭われた方は感じます。そうすると、その日の泊まる場所がなくなってしまう。ホテルとかに避難しなければならない。余分な出費を迫られるということもありえます。夜ですから、窓ガラスや鍵を修理するわけにいきません。修理するにしても翌日あるいは場合によっては2、3日かかるかもしれません。その間どうするのか。部屋がメチャクチャに荒らされていたということになりますと、その部屋をそのままにしておくわけにいかないので、それを後片付けする必要も出てきます。やはり非常に大きな被害を受けるということだと思います。

 また、空き巣に遭ったのがアパートだったら、被害に遭ったアパートにそのまま住み続けることができるのでしょうか。つまり、普通の人の感覚であればいつまた被害に遭うかも知れないという恐怖で、引越したくなったとしても、無理のないことだと思います。そうすると引越代もかかる。それは被害者自身に原因があるのではなくて、犯罪という全く理不尽な出来事によって、被害者に降りかかってきます。ちょっと想像していただいただけでもかなりの負担が生じるということは、ご理解いただけるのではないかと思います。

 また戻りまして、先ほどの傷害事件です。一番切迫した問題とすれば、治療をしなければなりません。治療費は誰が出すのかということです。ご自身で、つまり、被害者自身が出さなければならない。あとに犯人が捕まって被害弁償を得られたとしても当面はご自身が負担せざるを得ないということです。それがちょっとした切り傷程度であればなんとかなるということもありえますが、入院を要する、1か月2か月入院を要するという傷害を負った場合、その負担たるや相当なものであるということになります。

 もっと言えば、亡くなられたら葬儀費用だってかかります。残された方々はお葬式を出して、その費用も負担しなければならない。本来、法的には犯人が負担すべきものではあありますが、当面はご家族が負担しなければならない。

 傷害に遭われた場合、運よく命が助かっても、やはり先ほど言ったように仕事がそのまま続けられなくて、別の仕事に移らなければならなくなるということもあり得ます。いろんな被害のパターンがありますが、そうなると場合によっては収入も減るということもあるだろうし、やはり犯罪に遭うと、今まで当たり前に過ごしてきた時間とか環境とかが一変してしまうということになります。そういう状況に、被害に遭われた方すべてが置かれる。これは被害者になってしまったらすべての方が同じように、そういう状況に陥ってしまうということです。

 それだけでとどまるのかというと、やはりさらに大きな被害として、心の問題、心の被害ということが出てきます。まず、犯罪そのものからどういった心の被害を受けるのかということですが、まず事件によって恐怖心を植えつけられるということです。先ほども言いましたとおり、例えば空き巣に遭って犯人がまた来るんじゃないかという恐怖です。そういった恐怖が頭からしばらくは離れないということになります。

 また、傷害事件で後ろから襲われたといった場合には、聞いたことがある方もおありだと思いますが、例えば、後ろに人が立つと、非常に恐怖を感じる。もうそれだけで被害に遭った瞬間を思い出してしまうといったことも、よくあることだと聞いております。

 また、被害に遭ったことによって、自信をなくしたり、自責の念に駆られます。犯罪の被害に遭ったことは、被害者自身には別になんら責任はないんですけれども、例えば障害が残れば当たり前にできたことができなくなる。そうすると、今までできたことができなくなって、自信をなくされるということもあります。

 また、ひょっとしたら、自分がちゃんとしていたら、この被害は防げたんじゃないのかと。実際には,ほぼ100%犯罪の被害を防ぐことは不可能です。先ほど言ったとおり、犯罪に遭うのは、ある日突然、何の前触れもなく遭ってしまう。たまたまそこにいたということだけが原因です。それにもかかわらず、自分がもっと別のことをやっていたら被害に遭わずにすんだんじゃないのかという思いが被害に遭われた方に生じてしまう。そういったことで自分を責めるようになる方もいらっしゃるということも、よく聞くところです。

 特によくあるのが、お子さんの事件です。お子さんが被害に遭われる。交通事故でも、例えば誘拐事件でも被害に遭われるといったときに、親御さんは、自分がちゃんとしていれば防げたんじゃないか。そういう思いに駆られます。それは誰かが自分の子どもを狙っている、あるいは車がもうじき来ると分かっていればそれは防げたかも知れません。しかし,自らに降りかかる被害を予知することはできない以上防ぎようがないのですが、特にご家族は自分がちゃんとしていたらという思いが非常に強くなります。それは本当に多くの被害に遭われた方が持つ感情だと聞いています。

 あとは、やはり社会に対する信頼もなくします。今までは普通に歩いて普通に会社に行って帰ってきた。暗い夜道も一人で歩いて帰ってきた。ところが、また被害に遭うかもしれないと思って今までできたこと、つまり、夜道を一人で歩くことができなくなってしまいます。今まで安心だと思っていた社会が、非常にとてつもなく怖い社会に見えてくるということもあります。そういったことが心の問題として起こります。

 さらに、被害者の方が言われるのは、被害に遭うまで自分はごくごく当たり前の普通の人間だったということです。それが、犯罪の被害を受けることによって、そのときから「被害者」になってしまうということを言われる方がいます。つまり思いもよらなかった「肩書」が自分にくっついてしまう。突然生じたそういった状況も被害者の方は、なかなか理解できない場合があります。

 例えばお子さんが、ご家族が被害に遭ったということを考えると、警察から突然電話があります。「実はご家族が大変です」と。すぐ来てくださいと伝えられます。警察署に行って、すぐに会える場合ももちろんありますけれども、不幸にしてお亡くなりになった場合には、警察の捜査、司法解剖等がありますので、なかなか会えません。警察の入口付近の廊下で何時間も待たされるということも、場合によってはあり得ます。そうなると、何がどうなっているんだろう。自分の家族が今どういう状況なんだということすら分からない。そして、突然に、子どもの死を知らされることもあります。そんなとき、そこから日常生活がなくなってしまいます。その日の朝まで普通に行っていた日常生活が失われてしまいます。被害者の方の中には、食事をすることも忘れるということをおっしゃった方もいらっしゃいます。ましてや、掃除や洗濯なんていうことは思いもよらない。こういったことが、犯罪から直接受ける被害として生じます。非常にしんどい状況です。これが、レジュメ[PDF:89KB]に書いてある第1次被害といわれるものです。

 さらにその後、しばらく経ってからもいろんな被害が生じます。今度は犯罪自体からではなく、周りの人々によってもたらされる被害です。つまり場合によっては、我々もその被害に加担するということが、ままあります。一般の方々も被害に加担するということがあり得るのです。

 よく言われるのは、被害者にも落ち度があるんだろうということが語られることがあります。先ほども言いましたけれども、ほんとに被害者に落ち度があるのでしょうか。ある程度、具体的な予測ができればそれは防げたかもしれません。でも何の前触れもなく、予測もなく、被害が起きます。犯罪が起きます。例えば最近のストーカー事件にしても、相手がまさか自分の命をつけ狙うなんていうところまで思うでしょうか。

 あるいは、自分の家へズカズカ入ってくるというところまで想像できるのでしょうか。そんな想像は、普通はできません。やっぱり、被害者に落ち度があるといわれるようなことはないということです。

 また他方、どっちが悪いのかといえば、人に迷惑をかける加害者が悪いのは当たり前のことで、それを忘れて被害者にも落ち度があるというのは、具体的な状況が分からない中では、それは言ってはいけないことではないかと思います。

 先ほども少し話しましたが、子どもが被害に遭った場合に、親がしっかりしてればなんとかなったのではないか。そういうことを考える方、あるいはおっしゃられる方が周りにいらっしゃる場合があります。あるいは被害者自身も、自責の念がありますから、周りの人がそういうふうに考えているんではないかと思って、また自分を責めたり、あるいは家族を疑ったり、家族に負い目を感じて接してしまうこともあります。先ほども言ったとおり、みんなそのとき日常生活の中でごくごく当たり前に何の非難もされるようなことがなく生活していて、それで被害に遭うわけですから、親御さんが悪いとか、そのときにちゃんとしてなかったとかいうことは、結果として第三者にとってはそう言いたくなるような状況があったとしても、実際に被害に直面している場面で,実際に被害を防ぐために具体的に行動ができたかと考えると、結局、被害者に、無理を強いること、すなわち、不可能を強いることであろうと思います。

 ただ、普通の良識ある方であれば、被害者に落ち度があるなどと言うのは甚だ失礼だということは皆さんご理解いただけると思います。ところが、被害に遭われた場合、周りの人たちの善意の言葉で傷つくこともあります。よくあるのが、「いつまでもくよくよするな」「もう事件のことなんか忘れてしまえ」といった言葉です。言う人は一生懸命考えて、元気づけようとして言ったのだと思いますが、被害者の方はそういう言葉に非常に傷つきます。「忘れろよ」、それはご当人にとってみれば、忘れることなんてできないんです。忘れることをできないことを忘れろといわれると本当にしんどいんです。ですから、そういうことは非常にデリケートなことなので言ってはいけないんです。万が一、周りに被害に遭われた方がいらっしゃったら、そういったことにも気を配っていただきたいと思います。

 私も、犯罪被害者の支援というものをこういう形で広く関わる以前に、お子さんが亡くなられたという方の相談を受けたことがあります。そこで、やっぱりご家族から、「もう忘れろ」と言われるので、それが非常に辛いんだという話を聞いたことがあります。ご当人にとっては忘れられるわけがないんです。忘れるか忘れないか、あるいは自分の中で一つの区切りがつくかどうかはご本人だけができることです。周りがとやかく言うことではありません。

 あと、これもうっかりすると,何気なく言いがちなんですが、「頑張れ」という言葉です。被害に遭われた方は、一生懸命耐えて努力している。その人に対して「頑張れよ」と言って励ましたいのが人情です。実際にも、言った人は励ましのつもりなんでしょうが、これも被害者にとっては傷つきます。なぜかといえば、被害者の方は、もう精いっぱいぎりぎりのところまで頑張っているわけです。もっと頑張るのかという気持ちになるということです。これ以上頑張りようがないんです。そこで「頑張れよ」と言われちゃうと、まだ自分は努力が足りないのかなと、頑張りが足りないのかなと、非常に辛い思いをするということも聞きます。

 あとは特に御家族を亡くされた場合、やっぱり涙が止まりません。場合によっては何か月も、あるいは、ある一つの思い出やある出来事をきっかけに涙が止まらなくなるということがあります。そういうときに周りの人が、「いつまでも泣いてても、仕方がないじゃないか」ということをおっしゃる場合もあります。言った側には元気づけるという意味が当然あると思いますが、やはりこれも、非常に被害者の方にとっては傷つく言葉だと言われています。やっぱり泣きたいわけです。非常に自分にとって悲しいことが起きたわけだから、泣きたいわけですよね。泣いてもいけないのかと、また責められているような感覚に陥るということです。

 そうすると、じゃあ何と声をかけていいのかということを皆さん迷われると思うんですが、「大変でしたね」ということです。「大変な目に遭われましたね」と言ってあげていただきたい。いろいろと大変でしたねということが、一番被害者の方にとっては心が安らぐことです。つまり被害に遭われた方に共感をするということです。被害に遭われた方が、ひどい目に遭ったんだなと、辛い目に遭ったんだなというところを理解する言葉をかけていただくということが大事なんだろうと思います。

 一般の方が、善意の言葉でも被害に遭われた方を傷つける場合があることをご理解いただけたと思います。さらに、我々のような職業に従事する者も当然、被害者の方に非常にまた辛い思いをさせることがあります。

 まず被害に遭われると、一番最初に直接対面するのが捜査機関ですね。つまり、警察、検察といった捜査機関です。最近、ここ10年ぐらい、かなり被害者の気持ちに対する理解が深まりましたので、随分改善されてきました。もう15~10年ぐらい前ですかね、私が弁護士になった頃ぐらいまでは、非常に不十分でした。よく言われたことは、なぜ被疑者と同じ部屋で話をしなければならないのかということです。つまり、取調室というのは皆さん当然入ったことないと思うんですが、私は仕事柄、警察の方とお話しするときは取調室に入ります。もう本当に非常に狭い部屋で、1対1で向かい合って、非常に狭苦しい部屋に入ります。そこで被害者の方も事情聴取を受ける。それはやっぱり、苦痛以外の何物でもないということです。

 法曹関係者、弁護士とかも被害者を傷つけることがあります。被害に遭った場合、起訴されて、今度は裁判ということになります。裁判になったときには、被疑者、被告人には弁護人がつきます。弁護士が弁護人として被告人を弁護するということになります。当然被害に遭って、弁護人は被告人の罪をなるべく軽くしようということで最大限の努力をします。ということになってくると、被害者に対して示談の申し入れをするわけです。被害弁償の申し入れをします。そうすると、今でも弁護士の中にはいるかもしれませんが、被告人の利益を思い量るあまりに、割と強い口調で被害者に迫ったりするという場合があります。これは本来、示談というのは和解ですから、被害者の立場からすると、和解に応じるか応じないかというのは自由です。でも弁護人から、和解に応じない、示談に応じないのはおかしい、というようなことを言われる場合があり得ます。

 私自身は被害者を傷つけるような示談の申し入れをやったことがないとは思っておるのですが、ひょっとすると被害者の方が強硬な示談の申し入れと感じたことはあったかも知れません。そういった意味で,私自身も被害者の方がどういうふうに思われたかということは反省しなければいけませんので、他の弁護士をとやかくは言えないのですが、私もたまに知人などから、「実は被害に遭って、加害者についた弁護士からこういうことを言われているんだけど、どうしたらいいんだ、示談しなきゃいけないのか」という相談を受けたりします。「示談したくなければ,しなくていいんだよ」と答えますが、場合によっては示談しなければいけないのかなという気持ちに追い込まれてしまうこともあるようです。自分が被害に遭っているのに、何か自分のほうが悪いんじゃないかといった気持ちにさせられてしまう。これはやっぱり二次被害になります。最近は弁護士も随分そういうところを理解してきてはいますが、ちょっと前までは多少ありました。

 あるいは、裁判になると、テレビなんかでもよくやるとおり、法廷で双方の検察官と弁護人がいろいろな質問をします。弁護士も検察官も職務に忠実なあまり、いろいろな質問をするわけですね。その質問は、事実ではあっても非常に執拗だったりすることによって、被害者を傷つけるということもあります。じゃあどうしたらいいんだということは非常に問題ではあるんですが、少なくとも被害者の心情を十分に理解したうえで質問はする必要があるんだろうと思います。我々の同業者というか、仲間も当然、被害者に対していろいろな心の被害を与えることがありえます。

 もう一つは、マスコミによる被害ということもあります。時には興味本位の報道をされてしまって、その人のプライバシーが失われる。例えば今、マスコミを賑わしている押尾学の事件です。報道された女性が被害者なのかどうかまだ分かりませんけれども、ああいう報道の仕方はいいのかなと私は思います。被害者というか、亡くなられた方の顔写真をテレビで出す必要があるのかなと思います。

 少し前というか、もうそろそろ7、8年前になりますが、桶川女子大生殺人事件というのがありました。加害者が、単純に、執拗に一方的に好きになって、女子大生の帰宅途中に襲って殺害してしまったという事件です。それが、いわゆるストーカー事件のはしりの頃であったがために、マスコミが非常に関心を持った事件です。被害者のお宅をずっと取り囲んで、被害者にはごきょうだいがいて小学校か中学校に通っていたのですが、学校にも行けなくなってしまったというようなことがありました。しかし,家族とすれば生活があるので、ちゃんとお勤めに行きたい、学校に行きたいと思っていても、現実問題として、そんな日常生活すら奪われるという事態もあります。これも非常に大きな被害です。

 その桶川の事件は、マスコミ対策に弁護士がつきまして、その被害者のコメント等は弁護士を通じて各報道機関に発表するということをした結果、ぴたっといなくなったという話を聞いております。それでやっと、被害者のお父さんは日常生活を取り戻すことができたという話を聞いたことがあります。こういった形で、周りの人から二次的な被害を受けます。さらに、それでもとどまらない。

 やはり殺人に限らず、被害に遭うということは非常に心の負担になります。先ほども言ったとおり、日常生活が奪われることがあります。また被害に遭うかもしれないと、そういう恐怖心に苛まれることもあります。このような恐怖心が積み重なると、家から出られなくなってしまうといった場合もあります。あるいは、先ほど言ったとおり、ご家族が被害に遭われて、そのそばにいらっしゃった方がいたりすると、一方近くにいた家族は自責の念に駆られ、他方、後から現場に駆けつけた家族は、その近くにいた家族がなんとかできたんじゃないかという思いが募ってきてしまう場合があります。そうすると家族の信頼関係が失われて、残念ながら家庭崩壊というようなことも起こったりします。そういったことで、実は自分に何ら責めがないにもかかわらず、いろんなところでいろんな辛い目に遭うというのが犯罪被害の実態である、本当に理不尽な被害であるということです。

 こういった被害は、日本では10年、14、5年前までは、ほとんど省みられませんでした。約20年ほど前でしょうか,そのころから一部の被害者の方が、そういう現状に問題提起をして立ち上がってこられて、だんだんそれが世論を動かすようになってきました。そして、被害者が声をあげたことに対して、被害者支援というものを真剣に考えなければいけないんだという動きが日本でも出てきました。欧米の場合は、日本よりも10年ないし20年ほど早く被害者支援が始まったと言われています。後でも話しますが、私もドイツとイギリスへ視察に行きました。その当時はまだ日本ではそれほど被害者支援が意識されていない時期でしたが、もうドイツもイギリスもかなり被害者支援が進んでいました。その後,日本でも、被害者の方が一方的に不幸な状態でそのまま放置されるのは問題であろうと、いろんな人たちの努力によって被害者支援が始まってきたということです。

 被害者の方々に対する支援として、まず、経済的支援です。犯罪被害者に対して給付金が支給される、支給されるということになります。つまり、これは確か、通り魔殺人に遭われた被害者の方が尽力されたか、三菱重工の爆破事件のときの被害をきっかけにできたということも聞いております。先ほども言ったとおり、ある日突然被害に遭われ命を奪われてもなんの補償もありませんでした。交通事故の場合であれば、保険が完備されていますので、幸い保険によって賄われる場合がありえます。ただ刑法犯、もっとひどい殺人事件であるとか、そういったものの場合には何の救済もありませんでした。それでは本当に被害者が気の毒だということで、昭和55年に犯罪被害者に対する給付金の制度ができました。

 当初は、死亡した方の遺族に対して支給されていたんですが、順次改正されまして、これについては今現在は死亡だけではなく、後遺障害にも給付金が支給されています。後遺障害も当初は重大な後遺障害だけだったんですが、今は交通事故と同じような基準で給付金が支給されることになっています。またその治療費についても、だんだん要件が緩和されて、被害に遭われてから1年以内の入院であれば、3日以上入院すればその治療費も支給されるという形で改正をされてきております。そういった意味では、身体犯、身体の被害に遭われた被害者に対しての経済的支援はかなり拡充したものになってきています。

 では、財産的被害に対してはどうなんでしょうか。先ほど言いました、鍵を壊された、窓ガラスを割られた、そういったとき何か救済があるのでしょうか。残念ながら、今、そういう場合に備えた制度はありません。やはり、このような突然の被害に遭ったときに5万円とかそのぐらいの金額があると、修理代が出ますから非常に被害に遭われた方が助かるはずです。学生時代や,会社勤めを始めたばかりの頃など,突然の被害に遭って,被害回復に5万円が必要だとしても,それを特別に捻出するということは、とても難しいでしょう。そこで5 万円程度を支給する制度があればいいんですが,そういう制度はまだ現在のところありません。今、準備はしていて、なんとかそういった制度を作るため、全国ネットワークではいろいろと活動しているようです。

 先ほどもちょっとお話ししましたが、私が行ったドイツだと「白い環」という犯罪被害者の支援団体がありまして、そこの支援団体でそういった被害の場合に約5万円を支給してくれます。それもほとんど審査がありません。日本では,犯給法上の給付の場合も厳格な審査があって、割と支給されるまで時間がかかってしまいます。しかし、鍵を壊された、窓ガラスを割られた場合に支給されるまで1、2か月かかっているようではあまり役に立たないことはご理解いただけると思います。「白い環」では、被害者からそういった申告があれば5万円ぐらいは直ちに支給してくれるという制度になっていたと記憶しています。

 印象的なことを申し上げると、私たちはそれで、そんなに簡単に支給してしまって、嘘をついてお金くれと言う人がいるんじゃないかと質問しました。そうしたら、そこの「白い環」、ドイツ語で「ヴィッセンリング」といいますが、そこの担当者が「まあ、それは10人いたら1人や2人いるだろう、でも9人8人の人が助かればそれでいいんでしょう。そういうふうに私たちは考えていますよ」とおっしゃっていました。支給するに当たっての手続をどうするのかは重要です。財政が厳しい折ですから、出口を厳格にするのか、あるいは緩くするのかというのは非常に重要な問題ですが、制度を作るに当たっては、やっぱり考えるべきだろうと思います。本当に困った人が助かることが大事なのか、あるいは騙されないようにするのが大事なのか、制度としていずれを重視すべきかについて、社会で議論になった場合には是非皆さんでも考えていただければと思います。

 以上申し上げたとおり、被害者に対する経済的支援は,身体的被害に関してはかなり充実したものになってきてはいますが、いろんな形で被害者が過酷な状況に置かれていることもまた事実です。そこで、先ほど言ったとおり、裁判に行ってもなかなか大変、捜査に行っても大変という状況を、これを総合的に考える施策が必要になります。

 歴史的には、最初の被害者支援は,民間団体の設立から始まりました。全国ネットワークが平成7年にできました。全国各地に支援センターができてきました。長野県でも全国で17番目ぐらいだったかと記憶していますが、約7、8年前、10年ぐらい前でしょうか、支援センターが設立されています。私も当初は専門委員という形で参加させていただいたんですが、知らぬ間に、私の意志とは関係なく理事になっていたということでございます。このような民間団体が次から次へと全国各地に支援センターが設立されました。他方で、法的にもいろいろな施策が講じられるようになりました。捜査段階においては、まず被害者等通知制度というのが始まりました。つまり、今現在はどのような処分が科せられたか、あるいは服役した場合などは、いつ出てくるのか、そういったことまで通知してくれるようになりました。そして、もっと前の捜査段階でも被害者のサポートというのも警察機関を始めとする多くの方々の努力で行われるようになりました。

 例えば、皆さんもご記憶にあると思うんですが、大阪の池田小の児童の殺人事件ですね。あのときは、警察官の方々が非常に献身的にご家族に付き添われてサポートをされたと伺っています。犯罪の被害に遭っても、以前は何も構われずに、ちょうど今皆さんが座っているようないすに座らせられて、どっかの隅にずっとほったらかされていたと言っていい状況だったのですが、そういう状況から脱してきています。

 裁判の中でも被害者に対する支援、配慮が始まっています。例えば先ほども言ったとおり、証人として出廷しなければならない、裁判所に行かなければならない場合があります。イギリスの場合、すでにダブリュー・エス(W・S=ウィットネス・サービス)といって、証人をサポートする団体があります。裁判所に一室があって、子どもの証人のためには子ども専用の控室が準備されています。リラックスして、ずっと控室の中でスタッフと話をしながら証人尋問が始まるのを待って、証人尋問が始まると法廷に行くことができるようになっています。

 日本の場合はそんなことは全くなく、検察官が付き添っていたのかどうか分かりませんが、あまり,準備がないまま出廷させられていました。そして、出廷すると当然加害者と相対します。加害者と相対して怖いですよね。例えば性犯罪被害、あるいは傷害事件といったことになると、加害者と向き合って怖くてしょうがないという場合があります。そこで、被害者に対する配慮として、ビデオリンクといって、別室でモニターを通じて証言をすることが認められるようになりました。あるいは、法廷内で遮へい措置もとられるようになってきました。

 さらに、被害者の方が加害者に一言言いたいという場合が当然あります。もちろん恐怖で言えないという場合もありますけれども、自分の思いをぶつけたいという場合があるでしょう。そういった被害者のために意見陳述の制度というのができました。私も一度、被害者から依頼を受けて意見陳述をしたことがあります。終わったあとで被害者の方に感想を聞いたところ、その事件は確か傷害事件だったと思うんですが、意見陳述する前は非常に怖かったんだけれども、意見陳述をすることによって、その恐怖が随分とれたという話を聞いたことがあります。ですから、意見陳述を望む場合、そういったことをするのも被害者の立ち直りのきっかけを与えてくれるということになると思います。

 ほんの十数年前までは、被害者の遺族といっても裁判所で優先的に傍聴を受けられませんでした。つまり重大事件であったり、あるいはマスコミの注目を集める事件の場合、先日行われた、ただ、ちょっと事件の性質は違いますが、酒井法子被告人の事件ですと、何十倍という傍聴希望が出ます。このように傍聴者が多数ある事件でも、ほんの十数年前までは、遺族もそのワン・オブ・ゼムで、くじ引いてもらわなきゃ困りますよという状況でした。近年は,それが見直されて、遺族が望む場合には、優先的に傍聴を認めるべきであるということになって、今ではもう、裁判所に申し入れをすれば、裁判所が一定の席を確保してくれるようになっています。

 それから、公判記録の閲覧というのも、ほんの十数年前までは判決が確定するまでは見ることができなかったわけです。しかし、1回目の公判終了後、判決が出なくとも、一定の要件の下に被害者は閲覧をすることができるようになりました。ちょっと前倒しを認めてくれるようになったわけです。

 あと、制度として刑事和解というのもできました。これは、刑事裁判の中で被害弁償に関して加害者と和解をする制度です。法的な和解ですので、判決と同じ効力があります。つまり和解の約束を守らないと、裁判を起こすことなく強制執行することができます。加害者の起訴された事実に係る被害に限定されますが、起訴された事実に係る被害である限り、民事手続を経ずに和解ができることになりました。そういった形で、法的な過程の中でも被害者に対して様々な支援が行われるようになりました。

 あともう一つは、総合支援として早期援助団体の支援制度というのができました。これは、長野のセンターはまだ早期援助団体になっていないのですが、早期援助団体になると、警察のほうから被害者の情報をいただくことができます。それによって、より早い段階で被害者の支援活動を開始することができますので、今現在は長野のセンターも早期援助団体となるべく、財政的基盤、人的基盤を確保しようと努力しておりますが、特に財政的基盤に関しては、なかなか厳しい状態にあります。あるいは人的基盤に関しても1人でも多くの方がボランティアとして活動していただく必要がありますが、なかなか人員を確保できず、非常に苦戦をしているという状況であります。

 総合的支援というのは、ここのところ2、3年、非常に進みました。やはり、被害者の方が声を上げ始めたということが大きな要因としてあると思います。皆さんもご承知のとおり、井上さんという方のお子さんが、高速道路上で飲酒運転の常習者が運転してたトラックに後ろから追突されて、車が炎上して死亡されたという事件。その事件の判決について、井上さんは、子ども2人を死亡させながら刑事罰が非常に短いのではないかと疑問を抱かれ、厳罰化を求める運動されました。その結果、危険運転致死罪等の刑法が改正されたということは皆さんもご承知のとおりです。このように被害者の方々が様々な声を上げるようになり、そういったことも大きな要因となって、さらなる被害者の総合的な支援が行われるようになりました。

 総合支援の中で、一番重要な位置づけを与えられるものが、犯罪被害者等基本法です。犯罪被害者等というのは、犯罪被害者のみならず、犯罪被害に遭われた方のご遺族も含めて保護の対象となりました。

 また、犯罪被害者等基本法の規定の中で、一番大きなことは、行政機関が積極的に支援する責務を国や地方公共団体が負うようになったことです。今日の講演も長野県が上記基本法に基づく活動として、私が話をする機会を設けていただいたということです。

 この基本法というのは非常に大事な法律で、若干中身のほうをお話ししたいと思います。まず「権利性」ですね。つまり、刑事事件では被疑者、被告人の利益、権利というのはかなり守られるようにはなっています。ところが、被害者というのは刑事手続上、蚊帳の外に置かれてきました。そこで、被害者にも当然権利があるはずだ,被告人と同等の権利を認めてほしいという声が被害者から多く寄せられました。このような被害者からの声を受けて、被害者には、刑事事件における様々な場面で個人の尊厳、つまり人間として当たり前のことを享受する権利があるのだということが基本法に定められました。また、「適応性の原則」というのが謳われています。つまり、被害にふさわしい支援を受ける権利があるということが謳われていることです。私がイギリスに視察に行った際、子どもが被害に遭った事件についてどのような方法で事情聴取がなされているのかを聞きました。日本の場合、当然、警察署で事情聴取するわけですが、イギリスでは子どもの事情聴取は警察署ですることはありません。警察署の近くに部屋を借りています。その部屋は子ども部屋みたいな雰囲気で、非常に圧迫感のない、平常心でいられる部屋になっていますということでした。事情聴取の時間も、おおむね約1時間以内だという話を聞いています。まだまだ、日本では,イギリスほど、子どもの被害者に配慮していないですね。

 イギリスでは,性犯罪の被害者にも数多くの配慮がありました。日本でも、最近はかなり改善されましたが、私が犯罪被害者支援に関わり始めた頃は、女性が性犯罪の被害に遭った場合、女性の警察官が配置されている警察署はまだ少数だったように記憶しています。最近はかなりそういったことも配慮されるようになってきてはいると思いますが、まだまだ、イギリスのレベルまでには至っていないのではないでしょうか。

 次に、基本法に定められている「継続性の原則」についてお話します。つまり、平穏な生活を営むことができるようになるまで、ちゃんと支援を受ける権利があるのだということが基本法に定められています。やはり、犯罪被害者というのは、立ち直るきっかけを得るまで長時間かかることもあります。人によっては、1ヶ月か2ヶ月で立ち直るきっかけをつかむ方も当然いらっしゃいますが、他方で、1年2年、あるいはもっとそれ以上長い年月が経って、やっときっかけを掴むという方もいらっしゃいます。そういった方のために「継続性の原則」というのは非常に重要です。

 皆さんもご承知のとおり、性犯罪、強姦罪に対する刑事告訴の申告の時効の消滅時効が削除されました。つまり、いつまで経っても刑事告訴できるということになりました。それは非常に大事なことです。性犯罪被害に遭われた方は、立ち上がるまでに非常に長時間を要することがあります。そういった意味でも「継続性の原則」ということは、非常に大きな原則です。

 さらに、基本法に定められた「総合性の原則」についてお話しします。やはりいろんな形でいろんな支援が行われる必要があるということは論を待たないところだと思います。この基本法に基づいて、レジュメ[PDF:89KB]にも書いてあるとおり258の施策が実施されたということです。

 代表的なものは、被害者参加制度です。この制度ができる少し前に、先ほどお話しした被害者意見陳述制度ができましたけれども、当事者的な立場で法廷に入ることを認めるものではありませんでした。「あすの会」を主催していらっしゃる岡村弁護士は、奥様を暴漢に殺害されたという、ご自身も犯罪被害者の遺族であるという経歴を持っている方です。岡村弁護士は、「なぜ自分が法廷に入れないんだ。こんな理不尽なことがあるか」ということをおっしゃられたことがあります。つまり、もちろん被害者の中にはいろいろな方がいらっしゃいますので、すべての被害者の方がそれを望むわけではないのでしょうが、場合によっては、法廷に立って、被告人が嘘をつくのを正したいという方もいらっしゃいます。そう考えた方のために、被害者参加制度というのができました。これは情状に関すること、つまり犯罪が成立するかどうかに関わらない、情状に関する、要するに犯罪の状況ですよね、犯罪がどれだけ悪質かとか、あるいは示談の際の相手方の態度とか、そういったことに関して質問をすることができるようになりました。

 さらに、損害賠償制度でも被害者の方々に配慮がなされるようになりました。そもそも、刑事事件と民事事件というのは、全く別物の裁判です。刑事で有罪になったからといって、加害者に対して損害賠償、いくらいくらの損害賠償請求権が生じるということが裁判されるわけではないので、それは別途、民事訴訟で裁判をして、判決を取らなければならなかったのですが、民事裁判を新たに提起しても、かなり時間がかかるし、被害者の側にとっては非常に負担が大きかったのです。そこで、被害者の負担を軽減するため、損害賠償命令制度というのができました。これは、刑事事件が終わった直後に、その刑事事件を担当した裁判官が、自らが刑事事件で得たその心証、つまり、刑事事件の裁判官が裁判を通じて獲得した具体的な犯罪事実の内容をもとに損害賠償の裁判ができることした制度です。実際の裁判手続の上でも,被害者にとって証拠提出の負担はかなり減ります。

 概要を申し上げますと、一般の方が犯罪の被害に遭われた場合、刑事裁判は、犯人が逮捕されてから大体1ヶ月ないし2ヶ月の間に始まります。そして、その刑事裁判手続において、あるいは、被害者参加制度を利用し、あるいは、被害者意見陳述制度を利用し、あるいは、刑事手続上の和解や損害賠償請求の裁判を提起することになります。一般的には、起訴されてから刑事裁判で判決が言い渡されるまでの期間はそれほど長くはありません。刑事手続が終了するまでに、被害者の方々が頭を整理して、適切に法的な手続を進めるということはなかなか大変ですので、やっぱり専門家のサポートが必要になります。そこで、被告人には弁護人がいるわけですから、被害者にも当然そういったサポートをする専門家が要るであろうということで、国選被害者参加人の弁護士制度というのができています。この制度によって、被害者が今申し上げた手続を実現していく上で、いろいろなアドバイスを受けたり、助言を受けたり、一緒に法廷に行って、尋問をアドバイスしたりということをしていただけるようになりました。自治体のほうでも、長野県も含めて総合窓口を設置していただいており、被害者から相談を受けたら様々な情報を告知していただけることになっています。したがって、被害に遭われた方がいろんなことを窓口にご連絡いただければ、適切な機関であるとか、情報を提供していただけます。

 被害者の窓口の一つとして、法テラスというのが長野にありまして、要はいろんな法的な情報を一括して皆さんに提供するところですけれども、法テラスも犯罪被害者の方からご連絡をいただければ、長野の犯罪被害者支援センターであるとか、あるいはその犯罪被害支援に精通した弁護士を紹介するなどの手続きをしてくれます。特に法テラスの場合は、弁護士費用についても援助をしていただけることになっています。ですから、場合によっては、経済的負担をあまり考えることなく支援を受けられる場合があるということです。

 基本法の制定によって、11月25日から12月1日は毎年、犯罪被害者週間ということで、被害者についてのいろいろな啓蒙活動、あるいは告知をするという期間になっています。こういった形で様々な施策が講じられるようになって、今現在、長野県でも、長野犯罪被害者支援センターというのが活動をしております。私もご紹介いただいたとおり理事をやっていますが、電話相談や生活支援、あるいは付添い、付添いにも例えば病院であるとか、あるいは弁護士の話を聞くときにその付添いであるとか、あるいは警察から事情聴取を受けるときにその付添いであるとか、そういったことも行っております。あるいはその刑事手続に参加する場合、傍聴するに当たっても付添い、あるいは法廷に入るに当たっても証人等として付添うサポートも実施しています。また、先ほど申し上げた参加制度に基づいて参加する場合にも付添いをするというサポートもしております。

 今現在、先ほども申し上げたとおり、緊急経済支援の準備をしています。もうちょっと時間がかかるんですが、何年先とは申し上げられませんが、場合によってはかなり近い将来、緊急の経済支援も可能になってくるはずです。

 最後になりますが、本日お話したとおり、被害者の方々は非常に苦しい立場に置かれております。佐藤課長からもお話しいただいたとおり、是非皆さんも被害者支援にボランティアとして参加していただきたいと、私自身も思っております。多くの方々が支援活動に参加していただけることによって、より大きな力になります。

 今話を聞いて、非常に大変だと、なかなか自分には無理だというようなことを思わずに是非やっていただきたい。何を隠そう、私が犯罪被害者支援に関わるようになったのも、瓢箪から駒みたいな話でして、私は須坂市の生まれなんですが、あるとき須坂の警察署のほうから私のところに、今度、須坂警察署で犯罪被害者支援のネットワークを作るので、そのアドバイザーをやってほしいというお話をいただきました。私はそのとき弁護士登録後2年目ぐらいだったものですから、なんで私に依頼があったのかを聞いたところ、何でも、一人の警察官が私の父親の知人で、その方が、知人の息子さんが今度司法試験に受かって今弁護士やってるんで、その弁護士さんでいいんじゃないかということを警察署長さんに話をされたのがきっかけだとのことでした。別に私の能力がどうのこうのとか、それまですでに犯罪被害者支援に関わっていたとかそういうことではなくて、たまたま個人的なきっかけで話が来たのです。

 そうしたところが、履歴にも書かせていただいたとおり、関弁連のシンポジウムの委員になって、ドイツやイギリスに行き、今のセンターの設立当初から一応関わらせていただいて、その後、理事の欠員ができたところで、今度はお前やれと言われ、そんな話は聞いてないよと言ったのですが、半ば強制的にやらされたというような話でございます。そういった私でも、やっぱり関わっているといろんな出会いもありますし、勉強にもなりますし、自分自身にとってプラスのこともたくさんありますので、是非被害者支援に一人でも多くの方が参加していただきたいと思います。

 それでもなかなか大変だ、自分にはとても難しいと思われる方は、本日、お配りした資料にパンフレットが入っております。それには「あなたの善意をください」と記載されています。先ほども言いましたとおり、長野県の犯罪被害者支援センターは非常に財政的な基盤が脆弱でございます。1人でも多くの方々の支援をいただきたいと、私自身もセンターも思っております。それが被害者の方々に対するより厚い、充実した支援の礎となりますので、もしお気持ちがあれば2,000円、これから毎年2,000円を寄付していただければと思います。

 

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