岐阜大会:基調講演

「県民みんなで被害者を支えるために」

安田 貴彦(公益財団法人全国被害者支援ネットワーク顧問、京都大学大学院総合生存学館特任教授、元警察大学校長)

 ただいま御紹介をいただきました安田でございます。

 本日は犯罪被害者週間の岐阜大会にお招きをいただきまして、誠にありがとうございます。岐阜県をはじめ主催者の皆様方に心より敬意と感謝を申し上げたいと思います。

 私は、このような御依頼をいただいた場合には、基本的にお断りをしないでお引き受けしているのでが、その中でも喜んでやらせていただく場合と、正直仕方がないかなと思ってお引き受けする場合とがございます。今回はもちろん前者でございます。と申しますのも、私自身のふるさとがこの岐阜で、岐阜市で生まれ育ちました。また、岐阜の被害者支援センターの田口専務理事は、30年ほど前になりますけれども、警察庁で一緒に勤務をさせていただいた同僚でございました。ふるさとからのお話、そしてまた同僚からのお話でもありますので、一も二もなく喜んで参ったという次第でございます。

 私が今日お話を申し上げることは概ねこのような感じでございます。【スライド2】まずは犯罪被害者とは何だろうか、そして、犯罪被害者の支援が今日までどんな形で発展をしてきたのか、そしてこの講演の表題にもさせていただいておりますが、「県民みんなで被害者を支えるために」ということで、犯罪被害者を支えるために何ができるだろうか、ということを皆さんとともに考えてみたいと思っております。

 パンフレット等にも経歴を書いていただきましたけれども、警察庁を中心に国家公務員として、35年ほど勤めてまいりまして、3年前からは民間人として仕事をさせていただいております。【スライド3】被害者支援のまさに黎明期と言ってもいい時期から退官後の今日に至るまで、多くの局面で犯罪被害者支援に関わらせていただきました。

 後半でもお話しいたしますが、犯罪被害者やその支援につきましては、私が警察庁に入りましたのが1982年ですけれども、1980年代くらいまでの日本社会では、警察も含めまして課題としてほとんど認識されていなかったと言ってもいいかと思います。

 ところが、今日では犯罪被害者の問題は、刑事司法の分野に限らず、国や行政のあり方といった基本的な考え方にも非常に大きな影響を与える、根本的な発想の転換、パラダイム転換をもたらしたと思っております。

 本日、私が皆様に申し上げたいメッセージというのは、たった一つであります【スライド4】。「皆様のお力で、岐阜県犯罪被害者支援条例を制定していただけないでしょうか」、こういうお願いでございます。でも、ここにお集まりいただいた皆様のことでございますので、「そんなことは安田から言われなくても分かっているよ」とお考えの方々がほとんどだと思います。そう思っていただけているのであれば、もう、私、帰ってもいいのかなという気もするのですけれども、せっかくふるさとに参りましたので、もう少し皆様とお話をさせていただく時間をいただければと思います。

 そこで、まず犯罪被害とは? 犯罪被害者とは?ということを少し考えてみたいと思います。

 「今そこにある身近な危険」【スライド6】と書いておりますように、まず、皆様の生活を取り巻く危険について、数字で御覧になっていただきたいと思います。

 例えば、刑法犯の認知件数を見ますと、昨年は74万9,000件ということです。交通業過事件は除いております。犯罪による死傷者数というのは2万5,000人余りということでございます。

 実は近年、これらの数値は交通の死傷者数等も含め大幅に減少しているのですね。刑法犯の認知件数は、ピークが2002年の285万件でした。4分の1近くという数になっております。今年も減少しています。交通事故に関しましても、交通事故の死者数のピークが、50年前の1970年でしたが、5分の1以下に減っているということで、いずれも戦後最小の数値でございます。

 そうは申しましても、現状を多いと見るか、少ないと見るかは、それぞれの方の受け止め方によって違ってくると思います。減っているとは申しましても、これだけの方々が毎年毎年、犯罪の被害に遭っている、事件・事故に巻き込まれているということでございます。

 我々、自分自身も含めて、あるいは家族も含めて考えてみたときに、一生の間に本当に犯罪被害と全く無縁で過ごすというのは、この安全と言われる日本でもなかなか容易なことではないと思います。しかも、これは警察が認知をした数でしかないわけですね。性犯罪であるとか、児童虐待でありますとか潜在化して、被害者が警察に届けたくても届けられないような犯罪、警察が認知していない犯罪も非常に多いということが指摘できると思います。

 犯罪の被害の実態ということですけれども、犯罪者から直接的な被害を受けた、これが犯罪の被害であることは当然でございます【スライド7】。それなしに被害というのはないわけでありますけれども、これだけが被害かというと、そうではありません。例えば、警察の捜査も被害者のために行うことでもあるわけですけれども、いろいろな意味での負担が生じます。警察官の対応も必ずしもいつもいいとは限らない、いろいろな時間的なあるいは経済的な負担も生じる。大きな事件になりますと、マスコミの取材、報道によって誤った事実が伝えられたり、あるいはメディアスクラムというような取材攻勢で非常に大きな負担を負うということもございます。また、周囲の人々も犯罪の被害の実態あるいは犯罪の被害に遭った方々の心理について必ずしも御理解があるとは限りませんので、いろいろな誤解や偏見を持っていたりとか、あるいは悪意はないけれども被害者を傷つける言動をとってしまうということもございます。そういうことで更に精神的・経済的な被害を受ける、二次的な被害を受けるわけでございます。

 それに対しまして社会全体として理解がない、関心がないということ、あるいは社会全体として支援をする社会的な仕組みがない、不備であるということで更に傷つくということがあるわけでございます。

 ただ、被害者を取り巻く状況は大きく変化してまいりました【スライド8】。欧米も含めてなのですけれども、犯罪被害者は無視され、あるいは単に耐え忍ぶということしかできない時代が長く続きました。刑事手続においても単に証拠の一部というような扱いを受けて、「忘れられた人々」というような言われ方もしてまいりましたが、最近は大きな事件が起きると、必ず被害者の声、あるいは被害者の心のケアについても報道で取り上げられるようになりました。20世紀の末くらいからの20年、25年の間に日本の社会で最も大きく変わったことの一つではないかなと私は思っております。この変化をもたらしたものは、やはり被害に遭った当事者の方々、それを支援する方々の勇気や努力、そしてまた、それを受け止めて積極的に取り組んだ行政が一体となった成果であると思っております。

 この犯罪被害者の支援がどのように発展してきたかという経緯について、大学の講義でしたら3時間くらいはしゃべりたいところでございますけれども、できる限り短くお話ししたいと思います。

 大体、私は、資料を作り過ぎて、あれもこれもと盛り込み過ぎて、時間どおり終わるのが一番のミッションであるはずなのですけれども、しばしばミッションインポッシブルになってしまう癖がありますので、時間内に収めるように頑張ってまいりたいと思います。

 30年前と比較をしますと、被害者の法的地位も大きく変化をしています【スライド10】。ちょうど30年前の最高裁の判決では、「犯罪捜査は、被害者に利益をもたらしたとしても、それは法律上、保護されるような利益ではない」と言い切っております。この判例が変わったというわけではないのですけれども、法律を見ますと2004年にできました犯罪被害者等基本法では、「すべて犯罪被害者等は、個人の尊厳が重んぜられ、その尊厳にふさわしい処遇を保障される権利を有する」と規定しておりますし、基本法の下で策定された基本計画も「刑事司法は、犯罪被害者等のためにもある」と明言しております。

 では、刑事手続の中ではどういった扱いを受けているかということですが【スライド11】、かつては被害者は告訴することはできますよ、この犯人を罰してくださいと訴える、そういった権利はありますよ、という程度であったと言えると思いますけれども、現在は公判において傍聴する、記録を閲覧する、あるいは法廷のバーの内側に入って、被告人への質問や意見陳述といったことも権利としてできると、こういった変化をしております。

 被害者を保護するための法律も【スライド12】、後ほどお話しします犯罪被害者等給付金支給法という法律が1980年にできておりますが、30年以上前にはこれだけでした。現在は被害者を保護するための法律、特に性犯罪でありますとかストーカーやDV、児童虐待等、犯罪に対して特に脆弱な被害者を保護するための法律も整備をされてきているところであります。

 被害者を支える民間団体も、かつては本当に皆無に近い状態でございましたが【スライド13】、今は岐阜の被害者支援センターを始め、全国被害者支援ネットワークの下に全ての都道府県に被害者支援センターがあり、約1,700名のボランティアの方々が活動をしていただいています。

 犯罪被害者支援の発展を歴史的にたどりますと、他の国々も時期は違いますけれども、大体同じような流れで発展をしてきております【スライド14】。まず一つは、被害者が損害賠償も得られない、誰からも経済的な支援を受けられないという状況を国が支援をしていこうではないかという、日本では犯罪被害給付制度がそれに該当するわけですけれども、こういった経済的に支援する制度ができてくる。しかし、それで問題解決というわけにはいきません。精神的被害も先ほど申し上げたとおり非常に大きいわけでありますし、生活上の不便というのも大きな問題です。そういったものを民間のボランティアが中心となって支えていこうではないかという動きが次に出てまいります。

 その次に、被疑者被告人のことばかり考えている刑事手続の中で被害者がますます被害を受ける、これを解決しなければならない。あるいは被害者がちゃんと物申す権利といったものが必要ではないのかということがありまして、刑事手続上の地位が確立するという動きになってまいります。私は、まだこれでも完成ではないと思っておりまして、これもまた後ほどのお話につながってくるところでございます。

 日本において、最初に被害者の運動が法制度に結実したものといたしましては、市瀬朝一さんという、一人息子さんを少年の通り魔殺人で亡くされたお父さんの運動が最初であったと言ってもいいかと思います【スライド15】。この方の運動と、私も大変お世話になりまして、つい数年前まで同志社の総長もされていた大谷實先生。大谷先生はイギリスで被害者補償制度を勉強されてきて、日本でもこの制度を導入する必要があるのではないかということで、研究の傍ら、運動を始められたわけですが、この両者の運動がある事件をきっかけに合流していきます。それが、三菱重工ビル爆破事件です。【スライド16】当時はそういった言い方をしていませんでしたけれども、無差別爆弾テロ事件です。

 東京の丸の内で白昼、大型の消火器爆弾がテロリストによって爆破されて、多数の方々が死傷しました。平日の昼間の事件でしたから、勤務していた人は労災の補償を受けることができましたけれども、たまたまそこをショッピングや散歩で歩いていた方には何の補償もないということが明らかになり、犯罪被害者に着目した救済の制度が必要ではないかという議論が盛り上がってまいりました。

 この事件を受けて、被害者の問題が政治的なイシューになり、警察庁が立法に取り組むということに結果的にはなりまして、犯罪被害者等給付金支給法という法律ができたわけでございます。80年にできて81年から施行されました【スライド17】。

 しかし、法律は遡るということが難しく、今まで運動されてきた方々に対してはこの法律では何の救済もないということもありまして、それではいかにもということで、財団法人犯罪被害救援基金が設立されました。最初は警察職員の寄付で1億5,000万円集めて発足したのですけれども、被害者の子弟の方々に奨学金を支給するということを中心に事業を始めたわけです。

 ちょっと余談ですが、ジョン・レノンが1980年12月8日に射殺されて間もなく40年になりますけれども、実はこの基金にはオノ・ヨーコさんも寄付をしていただいています。オノ・ヨーコさんも犯罪被害者遺族ということであります。

 こうして当時としては立派な法律ができたと思うのですけれども、この法律ができたあと、日本ではしばらく被害者の運動は停滞してしまいます。「空白の10年」と私ども呼んでおります。【スライド18】世界的には、国連の「犯罪被害者の人権宣言」とも言われる決議が採択されたりして、盛り上がっていたのですけれども、日本ではその運動の担い手もいない、あるいは逆に被害者の権利あるいは被害者を支援するということになると、被疑者被告人の地位が下がるのではないかという、そういう根強い、私に言わせれば誤解でございますけれども、警戒感があったことも事実であります。警察も犯罪被害者等給付金支給法をつくったものの、被害者に対する本質的な関心があったかというと、そこまで行かなかったのが実態ではないかなと思います。

 そういった状況が90年代に入って徐々に変わってきます【スライド19】。まず、学問的なレベルで申しますと、日本被害者学会、私も現在理事をさせていただいているのですけれども、これが1990年に先ほど申し上げた同志社大学の大谷先生、そして、また慶應大学の宮澤浩一先生ほかが中心になって設立されました。そして、犯罪被害給付制度ができてから10年ということを記念して、シンポジウムをやって、次のステージに行こうではないかという、そういった機運がこの被害者学会と警察庁で盛り上がってまいりました。私は1990年に、宮澤先生のご支援をいただきまして、アメリカで被害者支援の勉強をさせていただく機会を得たわけでございます。

 こうした動きの中で、今日に連なる被害者支援の出発点となりましたのが、犯罪被害給付制度発足10周年のシンポジウムでございました【スライド20】。私自身もこのシンポジウムに、事務方を務めた給与厚生課の課長補佐として参画いたしました。アメリカでお会いしてきましたNOVA(全米被害者援助機構)の事務局長のマリーン・ヤングさんもお招きして基調講演をいただくということで企画させていただいたわけでございます。これが当時のシンポジウムを伝える読売新聞の新聞記事でございます【スライド21】。

 まだ、当時は犯罪被害者、当事者が参加するべきであるとはほとんど考えられていませんでしたし、私どもも当時そういった方々を、お招きするということは念頭にございませんでした。

 ところが、そんな中で、ただ1組だけ被害者遺族として参加をされたのが大久保恵美子さん御夫妻でした【スライド22】。この大久保さんと私の出会いというのは今でも非常に不思議な感じがいたします。大久保さんはその前年に18歳の長男を飲酒運転のひき逃げ事件によって亡くされたお母さんであります。保健師さんをされていまして、日本にも犯罪被害に遭った、こんなひどい目に遭った人達を何か救済する道はあるだろう、ということでいろいろ探したけれども全くなくて、それでつてを頼って、アメリカまで行かれて、MADD(Mothers Against Drunk Driving 飲酒運転に反対する母の会)等を訪ねて勉強されてたのですね。私もアメリカに行っていまして、マリーン・ヤングにも会っていましたが、大久保さんの旧知のアメリカ人の弁護士がヤングにも連絡を取ったところ、ヤングが「日本でも何かやろうとしているんじゃないか。ちょうど警察庁の安田という者がこの間訪ねてきて、いろいろ勉強していったよ」と言っているということを大久保さんは聞いて、私の名刺のコピーをファックスで受け取って、そして私に電話をされてきたというわけなのです。

 私は今振り返ってみると、この見知らぬ方からの突然の電話に対して邪険に、「はあ?」とか言って適当にあしらうようなことをしなくて本当に良かったなと思うのですけれども、そのときに大久保さんがお話しになったことが、私どもが考えていることと本当に非常に近いものがありまして、お電話をいただいたのがシンポジウムの少し前でしたので、上司である田村正博理事官の許可を得まして、大久保さんをシンポジウムにお招きしたということでありました。

 大久保さんは、わざわざ富山から参加されたのですけれども、役所がやるシンポジウムですから、淡々と終わろうとするような雰囲気でございました。そんな中で、パネリストの方々の一部から、研究者としては当たり前の発言ではあるのですけど、「アメリカでは、いろいろな支援があることは分かった。ただ、日本でもそういった支援を展開するためには被害者のニーズ、あるいは被害者がどういう実態なのかということを知らなければいけない。それが今はよく分からない」という発言がございました。実は大谷先生の御発言だったのですけれども、それに対して大久保さんは「そんなことない。今ここに、本当に苦しんでいる被害者がいるのだ」との思いで、私に「発言していいですか」ということでお尋ねになりました。「もちろんです。どうぞしてください」ということで発言をしていただいたのです。その発言はこういった内容でございました【スライド23、24】。

 「私の息子は、去年の10月12日、飲酒運転者に殺されました。殺された後、数カ月間、私はどうやって生きていけばいいのか分からず、本当に無我夢中で、日本には何か私を精神的に助けてくれるところがないかと必死になって探しましたけれども何もありませんでした。「日本では、被害者の声として出てこない、被害者の本当にそれがニーズなのか」という発言もありました。でも被害者の立場になりますと、「はい、私が被害に遭いました」と大きな声で言って、大きな声で泣ける、そういう社会ではありません。

 今の日本は、大きな声で泣きたくても泣けないんです。ただじっと自分で我慢しなければならないのが、今の日本における被害者の姿だと思います。日本では、そういう被害者を精神的に救う道が何もない。まずそれを創ってほしいと思うことなんです。

 子どもを殺された親は、このようなつらい思いをもう他の人たちにさせたくないという気持ちでいっぱいなのです。どんな協力も惜しみませんから、この10周年の記念シンポジウムが開かれたこの機会に、是非一歩でもいいのです、一歩だけでも踏み出して下さい。お願いします」
という御発言でありました。

 既に30年以上前の発言ですけれども、私はその場の雰囲気を今でも覚えております。今でこそ犯罪被害者の方々がいろいろなところで発言をする機会もあり、耳を傾けてくれる聴衆も大勢いらっしゃるわけでございますけれども、当時は、大久保さんがこういう発言をされたにもかかわらず、会場からは、大きな反応はありませんでした。大久保さんがただ一組の被害者としてこの時どんなお気持ちで、発言をされたのか、この話は、何十回、あるいは3桁の機会で御紹介をしていると思いますけれども、そのときの大久保さんのお気持ちを考えると、今でもこうやって読み上げると動揺してしまいます。

 せっかくの御発言だったのですけれども、先ほど申し上げたような醒めた会場の反応でしたし、私どもも重要な課題であることは認識をしていたものの、どこから変えていこうか、どこから取り組んでいくべきかということがまだよく分かっていない状況でありました。

 ところが、この中で一人、「私がやりたい。私がやるんだ」と決意をして下さった方がいらっしゃいました。それが山上晧先生でございます【スライド25】。もともと犯罪精神医学、犯罪者の鑑定をやっておられる先生でございまして、私どもから頼み込んで先生にパネリストになっていただいたのですけれども、大久保さんの発言等をお聞きになって、山上先生は「これこそ自分がこれからやっていかなければならない仕事だ」と。精神科医として、臨床を通じながら被害者の治療あるいは被害者のニーズを民間の立場から探っていくのだ、とお考えになったわけですね。それで、私どもにも協力を要請されまして、我々警察庁としてもできる限り協力をしていこうということになったわけであります。

 この辺で大体オリジナルメンバーと申しますか、最初に被害者支援に取り組んできた、現場を預かる人間は揃うのでございます【スライド26】。一番右端が私で、山上先生が右から2番目、左から2番目が大久保さん、そしてこの一番左端が私のかつての上司で、後に被害者対策要綱を中心になって企画します田村正博でございます。今、京都産業大学の教授をしております。

 山上先生の動きは、徐々にではございますけれども、各地の志のある方々に広まってまいりまして、1998年には全国被害者支援ネットワークができるわけでございます【スライド27】。私も、今、顧問をさせていただいておりますけれども、民間も警察の支援等も受けながら、少しずつ進んでいきました。

 一方、警察の方ではどうかと申しますと【スライド28】、國松孝次、後に警察庁長官になるのですが、彼が田村からの意見具申などもあって、非常に大きな関心を示していただきまして、長官に就任した直後から、警察運営の柱として被害者の問題を取り上げるのだ、という方針を示していただいたわけであります。そして、また御自身も論文を書きまして、「警察こそ被害者の人権の第一の擁護者でなければならない」ということを示したわけでございます。

 そういったことで94年くらいから、警察の方針を議論する研究会が始まるわけでございますけれども、ところが、皆様も御案内のとおり【スライド29】、翌95年は非常に不幸な事件、災害が続きまして、その検討は中断を余儀なくされてしまいます。ただ、逆に申し上げると、この2つの大きな出来事におきまして、国民全体がいつ誰もが被害に遭うかもしれない、そして心のケアといったものが大切な問題だということが深く認識されたということもまた事実かと思います。

 こうしたことを経まして、96年2月に、日本の行政として犯罪被害者を行政施策の対象としてきちんと位置付けて、理念や目的、そして具体的に何をやるべきかということを明確化した初めての文書「被害者対策要綱」が発出されました【スライド30】。先ほど申し上げた田村正博が中心になって策定したわけでございます。私も多少のお手伝いはさせていただきました。

 要綱の内容については、細々申し上げる時間もありませんので割愛させていただきますけれども、一番大事なことは、犯罪被害者のための活動は警察にとって本来の仕事なのだ、と明記したことです【スライド31】。つまり、片手間にサービスで、できるときにやればいいや、という話でもなければ、あるいは犯罪捜査のためには被害者の協力が必要だから、そのためには支援していく必要があるよねというような手段としてやるものでもない、ということですね。被害者の権利や利益を保護するということ自体が警察の設置目的なんだ、ということを明確にしたことが一番大きなところだと思います。その他にいろいろな具体的な施策、例えば女性や子供の被害者に対して特別にケアしていかなければならないことなどを書いているところでございます。

 これが出発点となりまして、警察の中でも、あるいは警察の動きも踏まえて、検察庁や法務省でもいろいろな動きが出てまいります【スライド32】。1999年には、各省庁が連携して政府として施策の推進に取り組んでいくための関係省庁連絡会議が設置されるというようなこともございました。

 また、全国被害者支援ネットワークは、99年に被害者の権利確立することをアピールするため民間団体として声明を出そうということで、「犯罪被害者の権利宣言」を発表しております【スライド33】。これは後に犯罪被害者等基本法につながってくる重要な先駆的取組だったと思います。

 2001年には、犯罪被害者等給付金支給法を全面改正いたしました【スライド34】。これは、私が被害者対策室長という立場で取り組ませていただいた政策でありますけれども、他のいろいろな制度が整備をされてくる中で、もう一度、経済的な支援を拡充すべきではないかという機運が盛り上がってまいりました。私自身は、それだけではなくて、併せて民間団体を法律上に位置付ける、あるいは警察自体が行う被害者支援についても法的な根拠を与えるということをすべきではないかと考え、全面改正の作業を前年の2000年から取り組んでいったわけでございます。

 この全面改正で達成したものとしては、今申し上げたとおりです【スライド35】が、そもそも犯罪被害者等給付金支給法というのは目的規定自体がなかったという、ちょっと特異な法律でありましたので、目的をはっきりさせようということ、これは行政としては非常に大きな話であります。実質的には、犯給制度の拡充、あるいは民間団体に公的な認証を付与して、警察から民間に対して情報がスムーズに流れるようにしようということで、犯罪被害者等早期援助団体というものの制度をつくった。そして、警察の支援に法律レベルの根拠を付与したということがございます。

 こうして、それぞれ警察庁を始め、他の役所でもいろいろな制度が整備されてくるのですけれども、その次に「犯罪被害者等基本法」という、大きな法制度の整備が2004年にございました【スライド36】。岡村勲先生という方は日弁連の副会長もされた方ですが、自分が顧問をしていた会社の取引をめぐって、クレームを付けていた男から逆恨みを受けて、奥様が自宅で刺し殺されるという事件の被害者遺族でもあります。2003年に「あすの会」の岡村代表や大久保さん達が当時の小泉総理に直訴することがありまして、それを受けて総理から自民党に「検討しろ」と指示がおりまして、議員立法で「犯罪被害者等基本法」ができるわけでございます。

 この基本法は【スライド37】、目的として犯罪被害者等の権利利益を保護するということを明確に謳っております。そして、基本理念として、「個人の尊厳が尊重され、ふさわしい処遇を保障される権利を有する」ということも明記しているところでございます。

 こういった理念を明らかにするとともに、被害者のニーズに応える施策を【スライド38】、抽象的な形ですけれども網羅的に列記をして、国と地方公共団体はこれら施策を推進する責務がある、こういった法律の構造になっております。

 この法律の意義としては【スライド39】、被害者支援を省庁横断的な国の重要施策と位置付けたということです。そして、必ずしも誰かに義務を負わせるという具体的な権利ではないにしても、犯罪被害者の「権利」という文言を明記した。また、被害者の支援に関する啓蒙的なメッセージですね。被害者支援が重要だということを法律で明らかにしたことに大きな意味があります。次に、計画的な推進を政府に義務付けた。これは行政の立場からするとすごく大きなことであります。

 基本法制定以後は、犯罪被害者支援の制度整備の多くは、法の下で策定される基本計画を中心に展開していくということになります。

 5年ごとに計画をつくっていくわけでございますけれども、第1次基本計画ではまだまだ課題が多かったので、非常に大きな制度整備がなされました【スライド40】。損害賠償命令制度ということで、刑事事件の裁判の過程の中で、民事的な損害賠償についても手続を進める、賠償を命ずることができるという制度になっています。

 犯罪被害者給付金支給も再改正しまして、名実ともに「犯罪被害者支援法」になりました。また、これも非常に大きな制度整備ですけれども、被害者参加制度ということで、公判に被害者が出廷しまして被告人に質問する、あるいは量刑についても意見を述べるということができるようになりました。

 第2次基本計画の中では、特に申し上げたいことの一つは、地方公共団体に総合的な窓口を整備していこうということです【スライド41】。身近なところで被害者の困り事、苦しんでいる事に関して対応できる、そういった体制を整備していこうということで、昨年に既に窓口は100%設置されています。

 第3次は現行の制度【スライド42】で、もうすぐ終わりますので、今、第4次計画案が警察庁を中心に検討されていますけれども、この第3次基本計画は、当時、内閣府で審議官をさせていただいた私が取りまとめの責任者として担当させていただきました。この中では、声を上げたくても上げられない、潜在化しやすい犯罪被害者あるいは被害者の兄弟姉妹。例えば、子供が被害に遭ったときに、その兄弟達に対してもっと着目していかなければいけないのではないかということ。あるいは、被害直後の支援についてはかなり整備されたけれども、被害に遭って、その後もずっと生活は続くわけです。生活の支援、中長期的な支援といったものに取り組む必要があるのではないかと。ここでは自治体が非常に大きな役割を果たします。それから、施策の進捗状況をできる限り数字で把握していこうと、こういったことを決めていったわけであります。

 これまで、この第3次計画の下でもいろいろな成果がございました【スライド43】。犯罪被害給付制度も更に拡充されましたし、国外で被害に遭った方に対してもお見舞金を支給する法律もできました。あるいは、性犯罪の被害者に対してできるだけ負担を少なく対応できるようなワンストップ支援センターも全国で整備されました。

 ただ、まだいろいろな意味で被害者支援には課題があると私自身は思っているところです。【スライド44】ここに主なものを列記させていただきました。

 国が取り組むべきものも結構多いのですけれども、このスライドの2つの○はまさに地域で取り組んでいくことということで、赤字で記載させていただきました。地域において、被害者支援を充実させるために、条例を制定する、あるいは社会福祉的な生活支援といったものを充実させていく、そしてまた民間団体の基盤を整備していくということが必要ではないかと。

 国もまだいろいろやらなければいけないことがあるのは事実であります。しかし、国の施策は相当進展したと言っていいと思います。国際的にも遜色ないと言ってもいいところに来ていると思いますけれども、一方で、まだ地方においては取組が十分ではないところもあるのではないかというのが、私の現状認識であります。

 そういう意味で、「地域社会による支援」と「民間団体の基盤強化」が被害者支援の目下の二大課題といってもいいかと思っています【スライド45】。

 この2つを合わせて「被害者支援の総合化」という言い方もできると思います【スライド46】。要するに、被害者の支援をどこか専門分野ごとに、局面局面で部分的に取り組むのではなくて、被害者そのものといいますか、被害者自身をトータルに考えていくということが必要ではないかと思っているわけであります。

 そのために、やはり多機関連携の仕組みづくりが必要であり、その中核は市町村ではないかと思っています【スライド47】。加えて、対等な市民の立場からの支援という意味で、民間団体の活動がより強化されるべきだというふうに思っています。

 そういった不十分な状況を打破するために必要なことが、やはりこの犯罪被害者支援条例の整備であると思っているわけです【スライド48】。

 3つ目の話題になりますけれども、地域で被害者を支えていくというために何を考えるべきなのかということを議論してみたいと思います【スライド49】。

 基本法が地域社会に求めていることは何かということをまず申し上げます。基本法の5条に「地方公共団体の責務」ということで【スライド50】、地方公共団体は犯罪被害者の支援に応分の責務がありますよ、ということを明確にしております。そして、7条に連携協力ということで、その地方公共団体は国やいろいろな機関・団体と、民間も含めて相互に協力して進めていく必要がありますよ、ということを規定しております。

 先ほどいろいろな施策を申し上げましたけれども、国がやるべき施策についてと同様に、地方公共団体に対しても様々な必要な施策というのを講じることを求めておりまして、現行の第3次基本計画には、私も自分で策定しながら改めて数えてみたのですが、51か所も“地方公共団体”という言葉が出てきます。それくらい地方公共団体に期待をしているわけであります。

 基本的な施策、先ほどもお見せしたスライドですが【スライド52】、特にこの赤字で書いているもの、相談、情報提供、保健医療、福祉、住居、あるいは雇用、その他ですね、こういったものが特に地方公共団体に頑張っていただきたいことだろうと思います。

 基本計画の中でも具体的に、見舞金制度でありますとか、公営住宅の優先入居でありますとか、様々地方公共団体で取り組んでいただきたいと期待をしています【スライド53】。国の基本計画ですから、地方公共団体に指示、命令することはできませんけれども、こういったことに取り組んでいただけないか、ということを御示唆申し上げているわけであります。

 条例に関しても、この3次計画で初めて言及しています【スライド54】。なお、条例も国は「つくれ」というようなことを申し上げる立場にはございませんので、情報提供を行う、必要な支援を行っていくということかと思います。

 お手元の【スライド55】にも地方公共団体の条例の制定状況の数字があります。2016年というのは3次計画がスタートした段階ですね。それと2020年4月ですから、4年経過した状況を比較した表ですが、特に都道府県で著しい伸びを見せております。このあとも新潟、徳島、香川、熊本、宮崎が被害者支援の特化条例をつくることを計画していると伺っておりますので、個人的には2022年度末くらいまでには全都道府県で特化条例ができているのではないかなと期待をしております。ただ、市町村はちょっと出遅れ感があるかなと思います。

 お手元の【スライド56】にもありますように、岐阜県の場合には、皆様の御努力によりまして全市町村で既に整備をされています。濃い赤色で示されているところが全市町村で整備された府県ですけれども、全国で6番目に市町村条例が全部整備されたわけであります。あとは県だということでございます。

 では、条例に何を規定すべきかということです【スライド57】。やはり国と同様に、計画を立てるということが重要ではないかなと思います。細かい条文の文言についていろいろと議論もあるでしょうが、やはり、まずは特化条例を「つくる」ということ、そしてその中で行政なりにいろいろな仕組みがPDCAサイクルと申しますか、施策をつくった、実行した、そしてそれを検証して、また改めて新しいものをつくっていくという、こういうサイクルが回るような、今後の発展性を確保していく仕組みが大事であると思います。

 民間団体の支援について書いていただくのも重要だと思うのですけれども、ここはまた後ほどの議論に回したいと思います。

 具体的にやっていただきたいこと【スライド59】は、これもある程度の抽象性を持って書いていただければ十分だろうとは思いますけれども、例えば、住居の問題。県がこれを書くのは結構重要な話かなと思います。といいますのも、被害に遭った方は地元ではなかなか住みづらいといった場合がございますね。そういった場合に、ちゃんと手当をするためには広域行政を担当している県の取組というのが非常に重要かと思います。

 その他、二次的被害の防止でありますとか、再被害の防止、生活支援について規定する例もあって、こういった規定も期待されるところかと思います。

 それから、多機関連携に関して、是非お考えをいただきたいことがあるのですが、これもまた後ほど多分パネルディスカッションで議論すると思いますので省略します。

 条例をつくるということについて、どんな意味合いがあるのかということを少し考えてみたいと思います。私自身は条例を制定する意義を5つくらいに整理しております【スライド61】。

 まず、1つは法的根拠の明確化です【スライド62】。当たり前ですけれども、この当たり前のことが重要なのですね。行政は法律あるいは条例に基づいて行われるものです。これがないと、何か他の法的根拠が基本になってしまうので、例えば先ほどの住居のお話で言いますと、「いや、公営住宅ですから市民・県民に平等に機会を提供しなければだめですよね」という議論になるわけです。ところが、被害者支援条例に「被害者に特別に配慮しなければならない」と書いてあれば、平等で考える中においても被害者は優先していかなければいけないということが明確になるわけですね。

 そうやって行政の目的として被害者支援があるのだということをしっかり書いておくことによって職員の意識も変わってきますし、住民にもそれが伝わるということであります。

 2番目として、条例でしか規定できない事項というのもあるわけなのですね【スライド63】。これを法律事項とか条例事項という言い方をしますけれども、基本的には、例えば地域住民の権利・義務に関わるようなこととか、あるいは行政機関に「こうしなさい」ということを命ずるといいますか、義務付けるということは、条例で書かないとできないことであります。要綱とか計画という行政内部の取り決めでは書くことはできません。

 それから、次に「持続性・継続性」と書いています【スライド64】。要綱等で書くのも、もちろん悪いことではないのですけれども、ただ、それは例えば首長さんが替わってしまう、あるいは担当の幹部が替わってしまうと、その考え方次第で取組の内容が変わってしまう、あるいはなかったことになってしまうということもあり得るわけなのですね。

 条例という簡単には変えられないしっかりした文書で書いていただくことによって、施策が安易に改廃されることなく持続的に発展する。担当で頑張っている職員の方々も、上司が替わったらどうなるか分からないなというような思いにならず、じっくり自分のスキルもアップさせることができるということになってくるわけですね。

 それから、もう一つは、ちょっと難しい言葉ですけれども、「民主的な正統性の確保」ということがあります【スライド65】。地方自治体は首長と地方議会の議員をそれぞれ地域の住民が選ぶという、いわゆる二元代表制という制度をとっているわけですね。ですから、首長ももちろん住民から選ばれた方でありますけれども、それだけで決めるのではなくて、もう一方の地域住民の代表である議会が関与してこそ、真に民主的な、まさに地域住民の総意をきちんとした形で表すことができる、完全な形で表すことができる、と考えています。

 また、条例というのは地域社会として発信できる最強のメッセージだろうと思います【スライド66】。こういった条例を制定することによって、被害者に対して、あるいは被害に遭ってまだ相談できないような人達に対しても、「地域社会として被害者をしっかり支えます。そういう決意を持って施策を推進しています」というメッセージが伝わります。ある被害者は、「条例によって心の拠り所ができました」と言っておられました。

 以上のようなことが条例の意義かなということで、私としては整理をさせていただいているわけでございます。

 特化条例をつくる意義というのも非常に多くあると思います【スライド67】。お手元の資料5頁、6頁に岐阜県の安全・安心まちづくり条例の抜粋と、最近、安心・安全まちづくり条例から特化条例に変えました埼玉県の条例の目的規定を書いています。これを見比べていただければ分かると思うのですが、岐阜県の安全・安心まちづくり条例の23条には犯罪被害者の支援は盛り込まれているのですけれども、どうですか、皆さん、前文と目的の中に“被害者”という言葉がございますか。無いんですね。先ほども法律は、目的が大事だということを申しましたけれども、目的の中に無いんですよ、被害者という言葉が。これでは残念ながら、受け止め方によっては、付け足しですか、と聞こえかねない部分もあるわけです。

 行政として、実際にやることも違いますよね。防犯と被害者の支援では施策としてやることは違います。全くではなく、例えばストーカーの再被害の防止とか、あるいは児童虐待等重なってくる部分もありますけれども、非常に大きく違います。違う行政作用であるならば、やはり違う条例でつくるのが正しいやり方ではないかなと思います。

 犯罪被害者の支援に関しても、書いてあるとは言いながらも、岐阜県の条例の23条だけでは実際に何をやるのか、残念ながら住民にとっても行政の各部局にとってもよく分からないですよね。そういう弱さがあるということです。

 それでは、おわりに、に移りたいと思います。ちょっと俗な言い方ですけれども、条例の先に何を見ているかということが大事だと思います【スライド69】。条例をつくるということは、これは「結果」ですけれども、成果だとは私は思いません。条例は手段、方法でしかないわけです。アウトプットです。大事なのはアウトカムですね。「成果」です。結局、被害者支援や被害者を取り巻く状況が実際に変わったんですか、どう変わったんですか、ということが大事なわけです。ですから、せっかく条例をつくったなら、これも言葉がちょっと下司なんですけれども、「使い倒す」というくらいに条例を活かしてもらわなければいけないと思うのですね。そして、どうしても駄目なら、また改正するということも考えていただかなければならないと思います。

 大久保さんは、よく、「被害者にとって、生きるに値する社会をつくっていただきたい」ということをおっしゃいます【スライド70】。犯罪被害者等給付金支給法ができたときも、これはどういう理念で税金から被害者にお金を出すんですか、ということについて、「社会の連帯共助の精神」です、と説明をしています。被害者は、我々の仲間であり、我々自身であり、そして被害者を助けるということは社会として当然あるべき姿だという精神からつくられたもので、だから我々の納めた税金から給付金を出してください、ということになるのですね。

 今年はコロナで皆さんも大変な御苦労をされていると思います。そうした中でいろいろな言葉が発信をされて、心に響く言葉もいろいろありました。新型コロナの発生地と言われている武漢から、武漢がロックダウンをされているときに、方方(ファンファン)という女性の作家がブログで毎日毎日発信をしていましたけれども、彼女がこんなことを言っています。【スライド71】「一つの国家が文明的かどうかを計る尺度というのは、そこに書いているような経済とか、軍事とか、芸術とか、そんなものではない。その国の弱者に対する態度、これが文明の尺度だ」と。被害者を弱者と一括りにするのはちょっと抵抗もありますけれども、しかし、困り苦しんでいる、私達もなるかもしれないのが被害者であることは間違いないだろうと思います。

 ですから【スライド72】、私は「国民」というのは、被害者と、まだ被害に遭っていない“未被害者”という、変な言葉なのですが、他にいい言葉がちょっと思いつかないので、こういう言い方をしているのですけれども、まだ被害に遭っていないけれども遭うかもしれない方、この二者の総和が国民なのだろうと思っているわけなのですね。

 本日、私から皆さんにお伝えしたいメッセージは、繰り返しますけれども、「皆さんのお力で岐阜県犯罪被害者支援条例を制定していただけないでしょうか」、ということでございます【スライド73】。私も岐阜県出身ですけれども、今、岐阜に住民票もございません。条例をつくることができるのは、地域住民とその代表だけです。国が指示してやるものでも、学者や評論家や国の行政がワアワア言ったからできるものでもありません。皆さんの手でつくるということ以外にはないということを繰り返して申し上げたいと思います。

 ちょっとだけ時間をオーバーして恐縮でございます。ミッション、何とかやり遂げたのではないかなと勝手に思っております。御清聴いただきまして、ありがとうございました。

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