福岡大会:パネルディスカッション

「社会全体で犯罪被害者等を支えるまちづくり」

コーディネーター:
浦 尚子((公社)福岡犯罪被害者支援センターセンター長)

パネリスト:
林 誠(福岡県弁護士会犯罪被害者支援に関する委員会委員長、弁護士)
嘉嶋 領子(スクールカウンセラー、臨床心理士)
北口 忠(被害者御家族(基調講演者))
楯林 英晴(福岡県精神保健福祉センター所長、精神科医)

浦: みなさま、こんにちは。福岡犯罪被害者支援センターで普段相談を受けている立場から、今日は犯罪被害に遭うということはどういうことか、そのあとどんなことが起こるのかということを皆さんと一緒に考え、共有していける場にできたらなと思っております。長時間ですが、どうぞよろしくお願いいたします。

 パネルディスカッションの流れですけれども、先ほど北口さんのほうからすごく大事なお話を伺って、いろいろな思いを会場のみなさまもパネリストの方々もお持ちかと思いますので、そういったお話とともに、今、支援の現場で実現できていること、それから今後の課題だと感じていることについて、それぞれのパネリストの方からお話を伺って、最後にディスカッションの時間が持てればと思っております。

 自己紹介も兼ねまして、それぞれのパネリストの方からのお話を伺っていければと思いますので、どうぞ今日はよろしくお願いいたします。

 早速ですが、まず嘉嶋さんのほうからお話を承りたいと思います。

嘉嶋: 嘉嶋でございます。よろしくお願いいたします。

 先ほどの北口様のお話を伺って、そのあとで私のような者が何をお話しできるのだろうと思っておりますけれども、実は私自身も若いころに第一子を産んだ、その数カ月後に母を交通事故で亡くしました。そのときの体験がずっとあとを引いていると感じますし、そのことが今日お話しさせていただく中にもいろいろな形で影響しているだろうと思っております。今日はスクールカウンセラーの立場からお話しさせていただきますが、福岡県のスクールカウンセラー活用の概要を申し上げますと、県費で全公立中学校とその校区内の小学校及び全ての県立特別支援学校、それから市町村やPTA予算等で小学校、高等学校等の約550校に、約260名のスクールカウンセラーを配置しております。ちなみに、その98%が臨床心理士です。そのお世話をさせていただくのが臨床心理士会の中の教育臨床委員会という組織でして、私はその委員長をさせていただいております。

 そのスクールカウンセラーの活動の中に、緊急支援というものがございます。事件、事故等のあと、「スクールカウンセラーを派遣して、子供たちの心のケアに当たります」というニュースが流れて、みなさまもよく御存じかと思います。平成29年度の場合、これは緊急支援として、スクールカウンセラーが派遣された県下全域における数値ですけれども、(スライドで表示、児童生徒の死22件(交通事故、水難事故、自死等)、教師の死(病死、事故死等)3件、教師の不祥事8件、いじめ重大事態3件、その他8件、2017年九州北部豪雨等)こういったところで、私どもは支援に当たっております。

学校で事件・事故等がありますと、学校の機能が十分に果たせないというようなことも起きますし、先ほど北口様のお話にもありましたように、「(被害者の)妹さんをいつから登校させるか」というような場合でも、学校の先生が判断に迷われたときの御相談に応じたりもしております。

 それ以外にも、犯罪被害者支援として、特化しているわけではありませんけれども、関連するものとして、いじめの問題があります。いじめもやはり犯罪として対応したほうがよいような事案もあります。またSNS関係では、福岡県では平成30年度、福岡県青少年健全育成条例が改正されました。児童ポルノ画像を所持すれば犯罪ですけれども、福岡県では独自に、自撮り等の猥褻な画像を要求した段階で犯罪として禁止する条例を作成されたと聞いております。これは画期的な前進だと思います。

 私も同様のケースに対応した経験がありますが、「裸の写真を送って」とかいうような児童ポルノに直結するような要求の仕方ではなくて、「もっとセンスのいい写真はないの?」というような間接的な表現で要求し、さらに「もっと」「もっと」と繰り返されるうちに、自宅の風呂場でしか撮影できないような画像を送ってしまったというような例も、中にはありました。

御承知のように画像をネットで送りますと、GPS機能によって、どこで撮ったかが分かりますので、自宅を突き止められて、その結果、ストーカー被害に遭っていたという、これは小学生の例ですけれども、そういうようなこともありました。

 また、性に関する事案でも、私ども、スクールカウンセラーに「先生、ちょっと」と相談に来る例も多いのですが、スクールカウンセラーが「あ、これは犯罪だな」と思っても、本人たちはなかなかそうは思えない。特に女子の場合、性行為を求められた際に、寂しさから「愛されている」という幻想を持って、恋愛だと本人は思い込んでいる。だけど、その背後に怖い大人がいると推測できる事案もありまして、そういった事案に、スクールカウンセラーとして対処することもあります。恋愛だと本人が幻想を抱いているときに、それをいきなりぶち壊してしまうと、本人の精神的なバランスを崩して危険なこともありますし、その一方で妊娠や性病等の重大な二次的被害、それから援助交際には反社会的組織が絡んでいることもありますので、その緊急性と本人の心のバランスとを見極めながら付き合っていくというようなことが求められます。こういう対応も、スクールカウンセラーによる犯罪被害者支援の一環かと思います。

 今、援助交際が、大人が思っているよりも中学生等、それから小学生にまで広がっております。少しお小遣い稼ぎの感覚で、そういう場に入っていく。そして、反社会的組織の人たちは、巧みというか、監禁はしないのですね。軟禁状態にするので、いつでも逃げ出せる。逃げ出すけれども、またお金が欲しくなったら戻ってくるというようなことも起きています。そんな子供たちの心理状態に付き合いながら、「でも、これはあなたの人間としての尊厳を踏みにじられている行為なんだよ」ということを、子供たちに気付いてもらうにはどうしたらいいのかと、日々苦悩しております。

 それから、「被害者支援で大事にしていること」ということについては、先ほど北口様のお話にもありましたけれども、「私に相談すれば、全て解決できます」というような言葉を、カウンセラーは使ってしまいやすい。カウンセラーは万能感に陥りやすい仕事なんですね。うまく説明できないのですが、犯罪の被害に遭うということは、圧倒的な外界からの不当な力によって、自身の尊厳が踏みにじられる体験だと思うのです。ですので、カウンセラーが万能感に陥りながら、被害に遭われた方に接してしまうと、たとえ支援をするという形であっても、同じ体験を繰り返させてしまう危険が常にあることを心に留めておきたいと思っております。

 ですので、カウンセラーによって助けられたのではなくて、できるだけ「自身の力によって立ち直った体験」と思っていただけるように、そういう支えをしていきたい。それは具体的にどういうことなのかというと、それぞれの方がお話ししてくださることの中で、御自身の中から出てきた考え、乗り越えていく工夫を最大限に生かせるようにと考えながら、御自身の力で何とかした、なったという体験になるようにと、祈りと願いを込めつつ、お会いしていくしかないと思っています。例えて言うならば、お遍路さんの同行二人ということかと思います。傍に誰かがいて、話を聞いてくれるからこそ、事態が冷静に見える。お遍路さんが怖い夜道も山道も、横にお大師様がいてくれるから心丈夫に一人で歩いていかれるように、同じように私たち、カウンセラーもその立場に少しでも近づければいいなと思いながら来談された方にお会いしております。

 今回のテーマであります「二次的被害を防ぐ」ということですが、先ほどの北口様のお話の中にも、親切心からであったとしても、余計な一言、介入があったりするということを踏まえますと、そういうことにならないためにどうすればいいかということは、私も緊急支援等の際にいつも考えることです。

 緊急支援で学校に行きますと、児童の全校集会や保護者会等でお話しさせていただくことがあります。新聞に載るような大きな事件ですと、やはりマスコミにどう対応していくかというお話をしなければいけなくなる。そのときに、「報道の自由、取材の自由はあるけれども、一方で、あなたたちに説明責任はないのだから、それを断る自由もあるのですよ」というようなお話をさせていただきます。そして、主に保護者会でお話しするのですが、マスコミ関係の方が事件後、すぐに取材に来られたときにインタビューされますと、それはバストショットで放映されることがほとんどです。顔が隠れた状態だけれども、知っている人が見れば誰が話しているのかがすぐに分かるのですね。そして、「昨日、テレビに出ていたね」とか「あんなことを言っていたね」とか、何気なく声を掛けられることも、子供によっては「話していけなかったのだろうか」と非常に悩んで、私たちのところに相談に来るというような例があります。ですので、顔を隠してもらっても、すぐに誰だか分かるのですよ、というようなことも、リスクのひとつとしてお話しします。

 スライドに3つのリスクとして挙げておりますけれども、2つ目のリスクとして、取材に来られるときは多くの場合、事件が起きた直後ですので、これからどういう展開になっていくか分からない。もしかしたら、思いもよらないような展開が起きるかもしれない。そのときに、あとで「あんなこと、話さなければよかった」と後悔することがあるかもしれない。それもリスクです。

 そして、マスコミ対応でいちばん踏まえておかなければいけないのは、コンパクトに報道するために、長く話しても、その中のごく一部分しか報道されない。テレビであれば、ほんの数秒しか放送されない。そうすると、本意とは違うところが報道されてしまう可能性があります。私は保護者会で「この3つのリスクがありますが、他にもあるかもしれません。御家庭で、どう対応するか、子供たちとしっかり話し合ってください」とお伝えしています。おうちでしっかり話し合われることで、マスコミへの対応だけではなくて、無責任な噂話をしないとか、無責任に事態の推測をしないということを考える機会にもなる。これが学校で今、重要な案件であります「いじめ予防」ということにもつながっていくのかなと思っております。

 子供たちはマスコミの方にカメラを向けられ、マイクを差し出されると、やはり目の前の記者さんの期待に添って、何か少し、若い人たちの言葉で「話を盛る」という気持ちが生じてしまって、事実から少し逸れたことを言ってしまう。それがまた一人歩きをしだすというようなことがあって、それが被害者の方を傷つけたり、次の犯罪とつながっていったりというようなことがあると思います。ですので、こういうことも大事なことではないのかと思いながら、日常の仕事をしております。これは小さな一つの例に過ぎませんが、こういう小さなことの積み重ねが、お互いがお互いを支える社会を育てていくことにつながっていくと思っております。

 私が今回、この場に立たせていただくことになったのは、福岡県犯罪被害者等支援条例の第16条に「学校での支援」という条文が組み入れられて、これは福岡県独自の施策だと聞いておりますけれども、今後の被害者支援において、学校でのスクールカウンセラーの活動が重要な位置を占めることになるからだとお聞きしています。

 そこでスクールカウンセラーとして何ができるだろうと考えましたときに、やはり私たちは子供たちのいちばん身近にいるカウンセラー、顔が見えるカウンセラーであることが大きいと思います。「毎週一回、あの先生来ているよね」と見知っていることで、何か被害に遭ったとき、また被害に遭いそうになったときに、声を掛けてもらえる存在になれるかどうかが、とても大事なことだと思います。

 私は、学校に勤務する際には、できるだけ休み時間は相談室の扉を開けて、ぼんやりと座っているようにしています。昼休み等に、子供たちが少し入って来られるようにと考えてのことです。そして「先生、ちょっと」と入って来たときには、重大な相談であることが多いように思います。そういうときには、子供たちは自分の心の内に抱え切れなくなってやって来ている。そのことをしっかり受け止められるスクールカウンセラーでいたいと思います。

 ただ、スクールカウンセラーは原則として、学校に在籍している間だけの付き合いです。卒業後も連絡があって、少し相談に乗ったりということもありますけれども、原則、在校生の間だけですので、その後を、今日、浦さんがいらっしゃいますけれども、犯罪被害者支援センターとか、病院とか、継続的に長くサポートしてもらえるところにつなぐ窓口としても機能していければと思っております。

 先ほど北口様から「担当者は替わらないでほしい」ということでしたけれども、そこは役割分担ということで、私たちはその窓口として機能できればと思っております。警察のOBの方々もスクールサポーターとして私どもと連携していただけますので、そういう多くの方々と協力しながら、子供たちや保護者の方々の支援をできればと思っております。以上です。

浦: ありがとうございました。先ほど北口さんの話にもあったように、支援者が「何でもできます。全て解決します」というスタンスではなく、嘉嶋さんが言われたように、支援者が抱きがちな万能感を自覚し、「少しでも何かできることを」という姿勢で御相談を受けることが大事だということを改めて感じました。今後、学校との連携というのはすごく大事になってくると思いますので、いろいろな場面で連携できたらと思いました。ありがとうございます。

 続きまして、楯林さんのほうからお話をいただければと思います。よろしくお願いいたします。

楯林: よろしくお願いします。私、先ほど御紹介いただきましたように、今、福岡県精神保健福祉センターに勤めております。それ以前は、ずっと大学病院のほうで精神科医として研究も臨床もしておりました。

 福岡県に来てから福岡犯罪被害者支援センターの理事、それから「福岡いのちの電話」の理事、教育委員もしております。それと、最近、災害が非常に多いですけれども、福岡県災害派遣精神医療チーム、DPATと言いますけれども、その統括もしております。

 今日は、精神科医として皆さんにお伝えしたいことをお話しするとともに、お伝えしたいことというのは、自分が気をつけておきたいこととも非常に重なります。間違いもあるかもしれませんけれども、間違いは正していただければと思っております。

 では、「支援において重要なこと」と私が思っていることをお伝えします。まずは、何よりも大事なことは「多方面にわたる支援体制が充実していること」だと思います。「気持ちに寄り添いながら」と言ってもというか、気持ちに寄り添うためには、相手の抱える困りごとに対して、それをいかにみんなが力を合わせて解決していけるかということにかかっていると思います。ですから、何よりもこの支援体制の充実、しかも多方面、いろいろな方々が力を尽くしていただけるということが大事だと思います。

 それと、各機関、支える方々の役割がある程度明確であることが重要です。適切なときに、適切な支援を受けるために必要です。それを受けますと、被害者の方も安心、安全感を感じますし、世の中の方たちが自分に対して温かいんだなというような気持ち、そうするとやはり自尊心というか、自信というか、そういうものもある程度保証されるというようなことにつながると思います。

 それぞれの役割がある程度明確であるということは、もちろん一人で何もかもができるわけではないという意味と、もう一つは、それぞれの方が「自分はこういうことができるのだ。それは役に立つのだ」という自覚を持っていることが、何か相談を受けたときに「これができます」ということでお伝えできることもあると思います。ただ、相談を受けたときに、役割が明確なのは大事なのですけれども、「いや、これは私じゃないですよ。どこか行ってください」みたいな感じで言うことは非常に慎重にしなければいけないと思います。できるだけ丁寧に、自分の仕事ではないにしても、ここにつないだほうがいいなと思ったら、それをお伝えして、実際に動くということが重要ではないかなと思っております。それと、やはり支援において重要なことは「相手の方の気持ちに配慮した相談」ということです。

 「気持ちに配慮した相談」ということに関して、何よりも真っ先に大事なのは、安全、安心の確保です。相談を持ち掛ける方が安全である、安心であると感じていただけること、それを感じていただけるように、こちらは落ち着いて丁寧にお話を聞いていかなければいけないと思います。丁寧に耳を傾ける、そして、私はそれぞれ何か役に立てるのだということを分かっていただくことが大事です。

 それから、丁寧に話を聞く中で、相談を持ち掛けた方たちがどういうニーズを持っていらっしゃるか。これはなかなかすぐには分かるわけではないと思います。丁寧にニーズを把握していく。そして、情報を提供したり、つないだり、何か一つでも解決するということが大事になってくると思います。「つなぐ」というのは適切な機関とか人につなぐ、それから必要時は同行も含めて丁寧につなぐ、ということになります。さらに、情報を提供したり、つないだりという過程を通して、相手の方には安全や安心をもたらしていくという、いつもこれの繰り返しをしていくことが重要ではないかと思っております。

 相談を受けるときの態度について、私としても気を付けたいと思っていることは、やはり十分な時間が確保されていないと、せっかちに「どういうことですか」というようなことだけ端的に聞くということはあまりいいことではないと思います。それから、聞く環境ですね。プライバシーに配慮するとか、静かな場所であるとか、そういうことが大事になってくると思います。

 それから、聞く側の態度としては、こちらがいろいろ言いたいこともあるのかもしれません、先入観もあるかもしれません。そういうことを自覚して、できるだけこちらの価値判断は保留していくということが重要だと思います。ある人が相談をする、私が受けるとなると、私の個性というのはどうしようもなく隠せないものがあります。例えば、私、男性ですね。いろいろな癖もあります。そういうのは隠せないのですけれども、でもこちらは相談を受けている者だという立場をわきまえて、きちんと相談を受けなければいけないなというふうに思います。

 それから、困った問題を抱えている方たちは、なかなか言葉にならないことも多いのですけれども、逆に「ここで話を聞いてもらえたな」と思ったら、少し気持ちが楽になってたくさん話して、あとでその話した方が「あんなに話さなければよかった」と思うことも結構あります。ですので、こちら側から言えば「聞きすぎないこと」「話させすぎないこと」ということもある程度配慮していきたいなと思っております。

 それから、こういう相談を受けた方の状況をお聞きしたときに、「あ、大体こういうときにはこんなことでお困りなんじゃないだろうか」「こんな気持ちでおられるんじゃないか」ということをある程度想像して、少し先回りして、「こういうことで困っていませんか」ということを言うことも信頼関係をつくるために重要ではないかなと思っています。そのためには、我々、支援する者が支援の経験を積むことだとか、こういう方たちはどういうふうに思っているのだろうか、それから我々自身が何か困ったときにどんな態度をとったり、どんな判断を、例えば急かされたときには慌ててしまうといろいろ不都合な行動をとったりしますが、そういうことも勉強していきたいなと思っているところです。

 それと、これも重要なことだと思いますけれども、正当な感情は認められるべきだと思います。私は精神科医ですけれども、例えばすごく悲しんでいらっしゃる方を見たときに「精神科に行ったら」みたいなことを言う前に、もちろんそれでいい場合も多いんですけれども、この方は正当に悲しんでいらっしゃるのだということを認めるということは重要ではないかと思っています。正当な気持ちの動揺もあります、軽い混乱もあるかもしれません。それから、落ち込み、不安、怒り、そういうものは大切にされるべきだと思っています。そういう場合に、精神科を含めて専門家では解決できない場合がありまして、身近な方がその気持ちを受け止める、粘り強く受け止めるということが重要な場合があります。一緒に、例えば悲しむだとか、そういうことが重要なことがあります。

 それから、その人の“思い”ですね。いろいろな思いを抱かれると思いますけれども、その方の思いはその方の人生の中で背景があってそういう思いをしているという場合が多いですので、その方の“思い”は尊重すべきだと思います。例えば、「そんなに責任を感じる必要はないんじゃないでしょうか」という言い方自体も少し慎重にしたいものだなと思っております。

 私のような精神科医が役に立つ場合もあります。一つは、冷静な伴走者として存在するということです。やはり、突然の事件があっていろいろな思いを抱えている中で、自分の考え方は正しいのだろうか、この感情は極端じゃないだろうかとか、そういうことを御心配になることもあると思います。精神科医は日頃そういう役割を、伴走者というんですか、極端にぶれるところでは「少し極端じゃないでしょうか」みたいな、直接言葉では言わないと思いますが、そういう役目を担っております。

 それから、診察室は当然のことですけれども守秘義務で守られた空間ですので、安心してお話をしていただける場所です。

 それと、精神科医というのはいろいろな患者さんを見ておりますので、人は様々であること、感じ方や考え方、それから感情の大きさですね。こういうことが起こったときにどういうふうになるか、例えば強く動揺するとか、大して動揺しないとか、それは人様々です。こんなことぐらいでなんで?みたいなことは基本的には言わないのが我々です。それから、その感情がずっと続く場合もございますけれども、それも幅があるということは我々は知っている者の一人ですので、そういうことでもお役に立つ場合があります。

 もう一つは、過度な“うつ状態”ですね。気持ちが落ち込んでそれが長く続く、何もする気が起こらないで、後悔ばかりして苦しんでいるというような場合とかは、精神科が役立ちます。この“うつ状態”はなかなか自分では気付かずに、周りの方が「どうも病院が必要なんじゃないかな」というふうに気付くことが多いです。

 それから、強い不安、不眠ですね。それと混乱状態というか、あることをしようと思って、今度は別のこともしなければいけない。それが両立しないこともありますけれども、それが過度な場合は、少しそこを冷静に--冷静にといっても簡単に冷静になるわけではないですけれども、そういう混乱した状態の場合も精神科医は役に立つと思います。これは自分も気付きませんし、周りも意外と気付きにくいものです。

 もう一つは、あることが頭からどうしても離れずに、気分転換しなさいといってもなかなかできずに、頭がパンパンになってしまってどうしていいか分からないというようなことでもお役に立てるかと思っております。

 これが最後のスライドになるのですけれども、支援をする上では支援者に対するバックアップが不可欠だと思います。支援する方たちはいろいろな方に対応しなければいけないし、いろいろなことを求められます。こういう支援者の方が安心して良質な支援をするためには、いろいろな方たちが「自分はこれができます」と積極的に申し出る。「困ったときにはこの人に相談すればいいのだ」という形で支援者に対してバックアップが必要だと思います。

 それから、支援する方たちは場合によっては24時間動かなければいけない。そして、やはりいろいろなことを一緒に考えて、そしていろいろなことを一緒に相談を受けたりしますので、疲弊する場合があります。また、孤立してしまう場合もあります。誰に相談していいか分からないというようなことに支援者がなってはいけないわけですから、支援者に手厚いバックアップをすることで、支援者がまず安心して、落ち着いて支援ができる、それから疲弊しないで済む、孤立しないで済むということになると思います。

 犯罪被害者支援センターとかございますけれども、そこが核になる場合がありますが、そこと連携するものとすれば、使い勝手のいい、使われ勝手のいい連携機関であることが重要ではないかと思っております。

 少し短いですけれども、私のほうからお伝えしたいことは以上です。御清聴、ありがとうございます。

浦: 楯林さん、ありがとうございました。先ほど北口さんの御講演の冒頭で、「被害に遭っても、人それぞれ思いは違う、感じることは違う」というお話があって、ああ、そうだなと思ったのですが、今、楯林さんのお話の中でも「その人の思い」「その人の人生を尊重していく」ということがとても大事なことなんだということを改めて感じました。

 また、支援センターとしては、支援者が孤立しないようにちゃんと支援体制をつくっていく、その組織としての課題も今後重要になっていくと思いましたし、体制を整備しながら、使われ勝手のよい機関としてセンターをもっとみなさんに知っていただいて、使っていただけたらなと感じました。ありがとうございます。

 では、続きまして、林さんのほうからお話をお願いいたします。

林: 皆さん、こんにちは。福岡県弁護士会で弁護士をしております林と申します。よろしくお願いいたします。

 まず、私が所属している「福岡県弁護士会における被害者支援」というものについて少しお話ししたいと思います。私は、今、弁護士会の犯罪被害者支援委員会の委員長を務めておりますが、弁護士と被害者支援ということで考えますと、やはり従来のステレオタイプの弁護士のイメージからすると、刑事裁判で加害者側に立って無罪判決を求めるとか、釈放するように警察と掛け合うとか、そういった刑事弁護人、加害者側の弁護士というイメージが非常に強いものがありました。これはイメージだけの問題ではありませんで、実際に弁護士会の取組や弁護士個人の活動としても、そういった被疑者、被告人の人権保障であったり、刑事手続の適正化といったものに従来重点が置かれてきたというところであります。

 他方で、犯罪被害者やその家族の方の被害回復や支援に弁護士会や弁護士が十分に配慮していたのかというような疑問が出されるようになってきました。被疑者や被告人には国の費用で弁護士がついているのに、自分たち被害を受けた立場の者は相談することもできない。相談するにも金がかかる、相談する人を探すことも一苦労だと。そういった被害者の方、御家族の方の声を受けて、弁護士会としても被害者支援にきちんと取り組んでいくべきだというような考え方が随分大きくなってきたわけであります。

 犯罪被害者やその御家族は犯罪被害発生後に受ける様々な問題に直面します。例えば、告訴や告発といった被害申告の手続、これもどうしていいのか分からないということもあります。また、損害賠償といった被害回復を求めたいということもあれば、刑事裁判が果たしてこれはどういうふうに進んでいくのか、全て分からないということもありました。また、大きな事件では、マスコミからの取材攻勢に一人では対応できないというような問題もありましたし、裁判が始まれば、刑事事件の弁護士という人から専門的な用語をいろいろと言われて「示談をしなさい」というふうに求められるというふうなこともありました。このような状況を踏まえて、福岡県弁護士会では平成12年、もう随分前になりますけれども、平成12年3月に被害者向けの無料の電話相談を立ち上げまして、平成12年4月からこの犯罪被害者支援委員会というものを立ち上げたわけです。

 私自身は、平成17年の弁護士登録ですので、それ以降、この弁護士会の被害者支援活動に携わってきました。具体的には、先ほど申し上げたような被害者や御家族の代理人として告訴手続を代理したり、あるいは刑事裁判に参加したり、損害賠償の交渉や裁判手続を代理するというような活動をしております。

 次に、弁護士と被害者支援の関係ということになるのですが、確かに法的な支援、裁判に参加する、損害賠償の請求をする、そういった法的な支援については、これは基本的には弁護士しかできないわけです。ですから、弁護士は被害者支援にとって非常に重要な役割を果たすことができると考えています。法的な制度や様々な法律に関して詳しいということは弁護士に求められる当然のスキルでありますので、こういった能力がなければ弁護士として被害者支援に取り組むことはできないわけですが、そういった支援ができるのは弁護士だからこそ、という側面はございます。

 他方で、弁護士として被害者支援にできることは非常に限られています。先ほどの法的な支援の枠組みの中では確かに活躍の場がもちろんあるのですけれども、それ以外の心理的な部分の専門家ではありませんし、被害者の方、御家族の方に寄り添う活動ということも非常に限界があるというところが現実であります。

 私たちがまず弁護士として被害者支援を考えるに当たっては、こういった、私たち自身の力不足というところを自覚することも非常に大事ではないかと考えております。「弁護士だから何でも相談してください」というのではなくて、できないことを抱え込むことをせずに、きちんと専門家同士で連携し合って、周囲に協力を求めて、連携し合う、助け合うということの姿勢が非常に大事だなというふうに考えています。そのような考え方から、日々、私どもの活動としても関係機関、専門機関との連携を第一に考えております。福岡県の被害者支援担当の皆様、あるいは県警の担当の皆様、さらには検察庁の担当の皆様、被害者支援センターの浦さんをはじめとするセンターの相談員の方々とも幅広く連携をしながら、顔の見える良い関係を築いて、弁護士にできる被害者支援ということをこの連携の枠組みの中で努めていきたいと考えているわけであります。

 普段の支援をしていく中での姿勢ということで非常に難しいなと日々感じることは、先ほど楯林さんのお話にもありましたけれども、人は様々であります。北口さんのお話でもありましたけれども、被害者と家族といっても皆さん一つの枠にはまるものではありません。それぞれいろいろな被害もあれば、いろいろな現状もあり、そして一人ひとりの様々な思いがあります。それを百パーセント全て理解して、マニュアル的な行動や支援ができるというものでもありません。例えば、私たちは、損害賠償という相談を受けることが多いのですけれども、一般の弁護士の感覚としては被害を受けたのだから、賠償や補てんを求めることは当然の権利であると。それを賠償や弁償をするということ、謝罪をすることも含めてですけれども、それは加害者の責務であり義務であるというふうに弁護士的感覚からは持つわけなのですが、もちろん被害者御本人や家族の方で同じように「絶対賠償させたい」「損害賠償を受けたい」と言われる方もいらっしゃれば、中には「加害者側からそんなお金なんか絶対に受け取りたくない」というふうに言われる方もいらっしゃいます。また、刑事裁判の流れ等によっては、今のタイミングでこうやって損害賠償の話をすることが加害者に有利になるのではないかというような心配を非常に強く持たれる方もいらっしゃいます。

 そういう意味では、自分たちが向き合う目の前の相談を受けている被害者御家族一人ひとりと真摯に向き合っていって、この方々のお気持ちや置かれている状況等についての想像力を常に働かせていくというようなことが必要だなというふうに日々感じているわけです。それは法律の本や六法全書に書いているわけでは当然ありませんので、そういうことをどこで学んでいくかというと、関係機関や専門機関の皆様との連携の中で、様々な勉強会やケーススタディあるいはいろいろなお話を伺う、まさに今日の北口さんからお話を伺ったということも非常に私にとっては重要な意味になりました。そういうお話を聞いて、一つひとつ学んでいくという姿勢が私たち弁護士の活動としても求められているというふうに考えております。

 そのような弁護士活動の中で、今回、福岡県の被害者支援条例の制定に関しましては、弁護士会の委員会の中でも条例制定プロジェクトチームを立ち上げまして、昨年の段階から活動してまいりました。具体的には、去年2回にわたり条例シンポということで、条例の他県の先進的な事例の研究や、他県で条例制定の運動に関わった方をお招きしてお話を聞いたりというようなシンポジウムを2回開催しました。また、被害者の御家族らとも連携し合って、県議会の議員の先生方とも意見交換をさせていただいたり、いろいろなお話を伺うような機会をつくらせていただきました。

 今後の条例の具体的施策の策定ということに当たっても、緊急支援体制の構築等、今、俎上にあがっておりますけれども、そういった施策の中でも弁護士会や私ども弁護士が果たすべき役割は非常に大きいなというふうに感じております。

 今回、この条例の特徴的なものとして二次的被害の防止のことが新聞報道でも大きく取り上げられました。本日の北口さんの御講演の中でも様々な類型で、いろいろな形で、いろいろな場所で二次的被害を受けられるのだと。私たちも加害者にいつなってもおかしくないようなこともあり得るのだというお話を伺ったわけですけれども、弁護士として日々活動していく、支援に携わる中では、やはり二次的被害についてのいろいろな思いを聞かされる機会もありまして、私としても今回の条例において、この二次的被害についてはぜひ条例の中で定義づけしていただきたいというふうに考えていたところです。

 我々が経験する二次的被害の類型としては大きく2つありまして、一つには非常に現代的なものですけれども、インターネット掲示板等を通じた不適切な書き込みによる二次的被害があります。もう一つ目としては、被害者の実名やプライバシーが一般の報道等で報道されることによって、様々な二次的被害を受けるというようなケースです。

 具体的に少しお話ししますと、まずインターネットでの二次的被害ということで言うと、北口さんのお話の中でも「恨みによる犯行」というような話をされている人たちに遭遇されたというお話がありました。被害を受けられたお嬢様が何か恨みを受けたのではないか、みたいなことを雑談されていたというお話でしたけれども、まさにインターネット上の掲示板というのは好き勝手、憶測やデマ話もどうしてもありますので、そういったところで事件の報道を断片的に見て、そういう書き込みをしたり、それが広がっていくということがあります。

 例えば、「女性が男性ストーカーに襲われた」というようなケースがあったときに、ストーカー事件だということが報道されずに、「知人男性に襲われた」というような報道がされてしまうと、何か関係があったんじゃないのか、交際していたのではないかとか、いろいろな噂がインターネット上で巻き起こるということがあります。それを見た御家族がどういう気持ちを受けるかという、これは本当にそばでそういうようなシーンを見ると、非常に言葉に表せないような被害だと思います。大切な御家族がそういう形で罪もなく突如として失われて、さらにそれが至る所で噂話としてあらぬことを書きたてられて、面白がられている。そういうようなことを目の当たりにする機会を経験すると、やはりこの二次的被害の問題というのは何らかの対応が必要ではないかというふうに考えてしまうわけです。

 もちろん、それがかなり悪質なデマであれば削除請求等の法的対応も考えられますけれども、いたちごっこになる部分もあるので、弁護士の支援の一つのパッケージとしては、例えば刑事裁判等の意見陳述の機会で、きちんと家族の思いを伝えたり、自分の家族、被害者に非がなかったのだ、悪くなかったのだということを意見陳述する中で、きちんと伝えて、それを広く報道してもらうとか、あるいは御家族の手記やコメントのような形で正しい情報を家族からも発信していくというような形で、そういったところの交通整理やアドバイスということで、弁護士としてもわずかですけれども力になれるところもあるかなというふうに日々感じているところです。

 2番目の「被害者の実名報道」とか「プライバシー暴露」の問題ですけれども、これも非常に難しいところではあります。たとえ話になりますけれども、犯罪の被害を受けた方がしばらくして新しい生活を、少しでも新しい一歩を踏み出そうと思って転居した、学校を変えたというようなことをしたときに、刑事裁判というのはどうしても犯人が捕まるまでにも時間がかかることもあれば、裁判までにもいろいろな争いがあって時間がかかるということもあります。何年後かに刑事裁判が始まって、その刑事裁判の報道の中で、被害者の顔写真や実名が報道される。すると、それは新しい環境ではまだそういうようなことを周囲に分かられていなかった家族の方が、その報道が出ることによって、「あ、うちのクラスのあの子は今裁判の報道のある人の兄弟じゃないか」とか、「顔が似ていた」「名前が似ていた」「名字が一緒だ」とか、そういったような被害を受けるということもあります。このあたりは、マスコミの方々にもこういう事情があるから裁判報道で実名報道しないでくれ、匿名報道でやってほしいというふうに事前に申し入れをすれば、確かにマスコミの方々も「あ、そうですね。それは本当に困りますよね」というようなことで分かってくれます。ただ、なかなか被害者御家族だけで対応しているとそういうところまで、刑事裁判が始まったら、いったいどういう手続でどういう裁判が進むのかということで頭がいっぱいになってしまうので、なかなかそういうような周りを見た細かなフォローというのができにくくなりますので、そういった意味で、弁護士が支援するというときにマスコミ対策等でまたお役に立てることもあるかなというふうに感じているところです。

 このようなインターネット報道とか、いろいろな実名報道の二次的被害の防止ということですけれども、いろいろな対策は、我々、日々考えて研究しているのですけれども、なかなか抜本的なことができなくて、どうしても抽象的な言い方にはなってしまうのですが、やはり一番大事なのは、二次的被害のこういった現状や現実について、県民や市民の一人ひとりが他人ごとではなくて、自分にも起こり得ることだというふうに捉える、そういった社会の実現が日々必要だなというふうに感じているわけです。非常に抽象的なことにはなりますけれども、災害報道等を見て、今まで他人事だったものが九州豪雨や熊本地震を見て、自分事と感じられるようになりましたというような意見をおっしゃる方もいらっしゃいますけれども、犯罪についても災害以上に他人事、テレビの中、ドラマの中の世界の話です。それが、現実には昨日まで全て何もなく、平和に暮らしていた方々が被害に遭って、その家族が一日にしてそういった環境に置かれてしまうということが現実として起こっているのだということをやはり伝えていく責任もあるかなと思っています。

 その観点からして、今回の福岡県条例の中で、第5条に「県民の責務」ということで、二次的被害に対する配慮の努力義務が設けられましたし、条例の第6条では事業者の責務として、二次的被害を生じさせないような、十分に配慮することの努力義務が置かれました。

 さらに条例第21条の中で「県民の理解の増進」ということで、この「犯罪被害者等に対する支援の必要性について県民の理解を深め、犯罪被害者等を地域社会で孤立させないようにするとともに、二次的被害を防止するため、支援計画に定めるところにより、広報、啓発、教育の充実その他の必要な施策を講ずる」というような規定まで置かれました。こういったような規定が置かれた、認められたということ、この福岡県条例の制定が県民、市民にとってこの犯罪被害や、二次的被害もこの被害の一つですけれども、被害のことを他人事ではなくて、まさに自分にも起こり得ることだというふうに捉える一つのきっかけになってくれれば、非常にこの条例の社会的意義が見えてくるのではないかというふうに思っています。私からは以上です。

浦: 林さん、ありがとうございました。本当にいろいろな形で二次的被害が起こっているといつも支援の現場では感じていて、被害に遭われた方がもっともっと傷つけられる、傷ついていくという、この状況を何とかしなければいけないと思いながら、弁護士のお力をお借りしたりしながらできることをやっております。この二次的被害の話を考えれば考えるほど、やはり私たち、周りの一人ひとりが本当に他人事ではない、自分事として被害について考える想像力を持つということが必要だと思います。そのためには、被害に遭ったら何が起こるかということをまず知ること、理解していくことが最初の一歩であり、今、私たちが立っているスタート地点だと感じています。

 ここからはディスカッションの時間に移っていきたいと思うのですが、今、スタート地点にある被害者支援ですが、今できていること、あるいは今後こういうことが課題になっていく、必要になっていくというような、少し先の見通し等についてそれぞれ思われること、感じられたこと、考えたこと等あれば御発言をぜひお願いいたします。

北口: まず、支援について今できていること、これについて私自身が感じたことですが、特に支援センターの存在が大きいですし、うちの事件が起こった約14年前に比べたら、広島県もそうですけれども、多分福岡県もかなり充実しているのではないかなとは思っております。被害を受けますと、自分では頑張ろうと思いながら、どうしてもこの部分は何か相談したいなという思いになってきますので、そういったことで相談窓口があるというのはとても心強いと感じております。

 それと、うちの事件が起こったのが自宅で、周りの方とは、生まれ育っているのでずっと近所付き合いしていますが、先ほどの講演のときの話で、確かに事件後は、皆さん、どういう具合に話していいのか分からない、そういう感じでしたけど、現在は事件前と同じように接していただいているので、私もものすごく生活しやすいし、力をいただいているという気持ちがあります。地域の皆さんには感謝すると同時に、あってはいけないですが、もし皆さんのお住まいの地域で悲しい思いをされる方がおられるようになったときには、前と変わらず接していただければすごく力強いことになりますので、この点はひとつお願いしたいです。

 今後、充実してほしい点についてお話ししますと、例えば支援センターで言いますと、相談窓口は、福岡と北九州だけで、他に窓口がまだ設置されていない。私の住んでいる広島も一緒で、最初は広島市だけで、少し前にやっと福山市で開設されて、今、2カ所で相談を受けられるようになっています。私の住んでいる廿日市は、広島市の隣で、相談窓口まで車だと30分くらいで行ける便利なところなので、その点はすごく助かります。これがもし少し離れたところであれば、電話での相談はできますが、会って相談したいと思ったときに、少し距離があると相談しに行くのも大変なことではないかなと思うので、できれば相談窓口を増やしていただくか、福岡県でも隣県の近くで窓口があれば、県ごとの取組ではなく、そういう垣根を飛び越えて、「この方はここに住んでいるから、例えば隣の県のここに相談されたほうがサポートしやすい」という具合に、「うちのところはしたくないから断る」のでなく、「こうされたほうがいいんじゃないですか」というアドバイスも必要だと思いますので、この辺、すぐにこれをしようと思っても難しいですから、少し考えて、行動していただければ、被害に遭った方には助かるのではないかなとは思っております。

 それと、先ほど林さんが言われたように、報道関係でどうしても凶悪事件、実名報道、これが出てしまうので、私の場合の話をすれば、どうしても実名報道をされる。それで、私自身は出てもしょうがないなと思いますが、報道関係の方に「すみません、家族だけは名前を伏せてくださいよ」とお願いすれば、家族に関してはフルネームで出ることはなかったので、その辺は助かりました。そうは言いながら、報道関係の方と話をするとき、うちの名字が例えば“伊藤”とか“鈴木”だったら目立ちませんが、“北口”ではあまり名字がないので、どうしても覚えられる可能性があるから、加害者の実名が出ても加害者家族の実名は出ないように、被害者の家族のほうもなるべくその辺の配慮はしていただけませんか、ということはお願いしたことはありました。

 それと同じく、先ほど国の支援の話で、裁判には民事もありますが、現状から話をすれば、殺人事件での被害者が加害者に対して賠償請求する裁判を起こしたとき、当然、判決としては勝ち取る判決が出てきますが、実際は、少し言葉は悪いですけど、ただの紙切れで、判決が出るだけでそれが被害者に対して保証されているかといえば、それはほとんどない、それが現実の状態です。

 この辺りは、なかなか難しい問題とは思うのですけれども、もっと被害者や被害者家族のことを考えていただき、まず国が立て替えて、加害者に対して請求する制度、それをしていただければ、裁判の結果が出たとしても、その結果が被害者に寄り添える結果になるのではないかと思います。私は、「宙の会」に入っているのですが、その中の会員の方も同じように請求されて、民事で勝ち取っておられますが、犯人はまだ見つからず、そのまま逃げた状態。支払いを受けることなく、これがまた10年経過すれば、再度、裁判を起こす必要がある。その裁判の費用は被害者のほうが全部持たなくてはいけない。ですから、精神的・肉体的にダメージを受けた上、裁判を起こして勝ち取っても、もし支払いを受けられない場合にはまた被害者がその部分を持たなくてはいけない。となると、いつまでたっても被害者はずっと被害者のままという格好になりますので、できれば、この辺、国が立て替えていただけるような請求制度にしていただければ大変助かります。

浦: いろいろな御指摘、ありがとうございました。重要なポイントがあったなかで、支援センターの立場から「なるほど」と思ったのは、やはり窓口を増やして、近くで相談を受ける体制をつくることが本当に大事なことなんだなという点と、それを実現するために、窓口を増やすという方法はもちろん必要だけれども、隣県と連携して支援していくという視点が今までなかったので、そういう方法があった、と気付かされました。

北口: ありがとうございます。確かに、私、先ほど言ったように、広島市の隣の廿日市で、そういった相談窓口がすぐ近くにあったので助かったなという思いがあった中、もし、私が住んでいるのが広島県内でも山間部のほうで、相談窓口まで車で1時間、2時間かかるというところだったらどうなるんだろう、という思いを持ったので提案させていただきました。

浦: ありがとうございます。やはり物理的な距離が精神的な距離になってくるので、相談のしやすさが全然違ってくるということと理解しました。

北口: はい。その点は、なるべく相談するのに、相談しやすい環境というのを一番に考えますので。

浦: ありがとうございます。次の論点ですが、相談できる場所としての支援センターの役割は小さくはないけれど、時間がたってくると地域の御近所さんが前と変わらず接していくことがすごく重要なことだと御指摘いただいたことは、今後、私たちみんなで考えていくことだなと感じました。

北口: その辺が、確かに事件後、私自身もあまり人に会いたくないという思いもあったし、近所の方も「会って何を話せばいいんだろう」という感じで、お互いが会釈するだけで離れていく、そんな感じだったのですけど、それが1カ月たち、半年たち、1年もたてば、全て事件前と変わらず接していただくようになり、そんな中、「事件が解決しないのがいけんね」というような話も出るようになれば、「気に掛けていただいてどうもありがとうございます」と感謝する気持ちになります。そこに住んでいて、極端な話、その地域に住もうとしたときには地域に溶け込むというか、村八分にされると住めなくなりますので、事件前と同じように接していただいたというのは大きく感謝するばかりですね。

浦: それは、北口さんが地域を変えた、コミュニティを変えたという部分が大きいのかなとお話を伺っていて感じました。だから、「被害にあった方を地域で支える」という方向と「被害にあった方が地域を支える」という方向と、両方向あると思いました。

 地域づくり、コミュニティづくりという視点でいくと、やはり学校のようなコミュニティを今後どうつくっていくかという課題になっていくかと思いますが、嘉嶋さんのほうから御意見をいただきたいと思います。

嘉嶋: 学校は非常に凝集性が高いところですので、そこで情報発信していくことが大切だと考えております。身近で北口様が遭遇されたような事件があると、テレビで伝わってくるものと、リアルに見ているものとがつながることによって、非常に興奮してしまい、思わぬ言葉を発してしまう。被害者の方や御遺族、御家族がそれを聞いたときにどう感じられるかということを、周囲の大人が子供たちに諭していくことが、その子たちがまた大きくなって社会をつくっていくわけですから、幼いうち、若いうちに、そういう指導をきちんと受けることができることは、とても大事なことだと思っています。

 いじめに関してもそうですけれども、「想像力の欠如」があると思います。やっている側は「うける、おもしろい」とさほどの悪意なく、楽しんでやっているけれども、それをされた側にとってはどうなのか。テレビの中でタレントが職業としてやっていることと、現実の世界で友達からやられることの違いについて、どれだけ想像力を持てるか。それを子供たちへ伝えていくことが大事だと思っています。

 昔でしたら、茶の間のテレビを家族で見て、共通に情報を得ていたので、家族で「これは違うよね」とか「これはやってはいけないことよね」とか話し合えていたのが、今、ネットは一人で見ますので、ネットから伝わってくるものを正しい情報だと思ってしまう。別の判断材料が与えられにくい時代になっています。今後、ネットの勢いは止められないと思いますので、それに対していかに私たちが学校の場で、「これは相手から見たら、どうなんだろうね?」と伝えていくことが以前よりももっと必要なことになっていると思います。

 北口さんのお話でも、事件の直後は、御近所の方が「どう声を掛けていいのか分からない」「自分たちが何気なく発した言葉がもしかしたらとても傷つけてしまうかもしれない」「親切で言ったつもりのことが失礼なことになってしまうかもしれない」とか、そういう不安があって、接することができなかったところもあるのではないかと思います。その思いを共有していけるようになると、また私たちのコミュニティがより生きやすいものになっていくのではないのかと思いながらお話を聞かせていただきました。ありがとうございました。

浦: ありがとうございます。「相手に対する想像力を持ったコミュニティ」を今後どうつくっていくか、それを子供たちにどう伝えていくかということが本当に大事なことだと思います。

 さきほど楯林さんのほうから、「被害にあった方のお話にどう耳を傾けるか」というお話をいただきましたが、今のお話を受けて補足や感じられたこと等あれば、お願いします。

楯林: 少しストレートな返答ではないと思うのですけれども、今までお話をお伺いしていて、先ほど浦さんのほうから「犯罪が起こった場合に、何がそのあと起こるのかを知っておくことが重要だ」というようなことをおっしゃいましたけれども、そこが非常に重要ではないかなと思います。

 コミュニティの話とは少し違って、少し余談になるのですが、私たち精神科医の中で有名な精神科の先生がおられて、その方ががんになりました。がんになったときに、その人はエッセイを書いていて、もう亡くなったのですけれども、60歳くらいですが、診察室に奥さんと行って「あなた、がんですよ。余命があと何カ月ですよ」と言われたそうです。そのときに非常に慌てたのは、一体何をしたらいいんだろうと。保険のことだとかいろいろなことを考えなければいけなくて、実はその情報が医者でありながらなくて、いかにそこで慌てたか、何をしていいか分からなくて、そこでリードしてくれるというか、ここはこういうふうにして、ここはまだあとでしていいですよ、というようなことをしていただけることが非常にありがたかったと。「慌てた」ということと「とてもそういうことがありがたかった」ということが書かれていたのを思い出しました。

 やはり、犯罪被害者支援センターとかもそういうところを、もちろん経験を今まで積んでこられて、それをさらに積んでいかなければいけないでしょうし、そういう支援が真っ先にできると、被害者の方はやはり被害に遭った最初に「あ、この世の中、信じられるんだ」と信頼感を回復することは非常に大事ですので、そこでそういう形で冷静にというか、心を込めてきちんと--きちんとでないかもしれません、やれることで、助けられたということはすごく大事なので、テクニックではないとは思いますが、何が起こるかということを冷静に分かって教えてあげることは重要かなというふうに思いました。

浦: ありがとうございます。犯罪被害について知ることが大事だし、知っている人がいるということ自体が支援につながったり、何かしらの役に立てるということを改めて感じました。

 私は、いろいろな場所で犯罪被害のお話をする機会をいただいておりますが、市民の方を対象にひったくりの被害にあった方のお話をした際に、会場から「たかが、ひったくりでそんな大変になるのですか」という御質問をいただいて、それは本当に素直なお気持ちだったのだと思いますが、やはり人によって被害の受け取り方は様々で、影響も様々ですし、楯林さんが言われたように「幅を想定しておくために、知っておく」ということが大事なのだと感じました。ありがとうございます。

 先ほど北口さんからいただいた論点の中で、「実名報道の在り方」と「損害賠償請求」のお話がありましたが、これは本当にまだまだ不十分な点かと思います。そういう難しい課題ですが、何ができるかを法的な立場から林さんに御意見をいただけるとありがたいです。

林: はい、実名報道の問題はどのタイミングで何を実名報道するのか、どこまで実名報道するのか、それは事件発生直後の話なのか、それとも何カ月もあるいは何年もした裁判の段階なのかというところでもかなり意味合いは変わってくると思います。

 私もマスコミの方々ともいろいろとお話しする機会があるのですけれども、被害者の痛みをきちんと伝えていくためにも実名報道が必要だと。「匿名では血の通った人間像が伝わらないケースもあるんです」といったようなことを非常に真剣に訴えるマスコミの方々もいらっしゃいます。また、一方で、事件の風化を防ぐとか、被害者の痛みを共有する、社会全体で事件について考えるためにも実名報道が望ましいケースがあるということも私も全て否定しないところです。

 ただ、他方で、興味本意じゃないのかと正直疑ってしまいたくなるような報道が溢れているということも現実なのかなというふうには感じています。被害者側の立場で、やはりそういう話を聞くと、これは実名報道に何の意味があるのか、しかもこのタイミングでというようなケースもあります。今までは、どうしても報道の社会的意義というものが--もちろん非常に重要な意義ですし、民主主義の根幹と言えるものですけれども、そういった報道の社会的意義というものが強調されるがゆえに、被害者や御家族の気持ち、心情というものが置き去りになってきたというような現実を、今回の条例、この二次的被害に関する部分も含めてもう一度見直すというか、考えるきっかけを私たち県民、市民、報道機関に突きつけているのではないかなというふうな気がしています。被害者や御家族の意向をどこまで尊重するかというのは、報道する側の自由というか、判断の部分もあるかもしれませんけれども、そこを今までとは、これだけ二次的被害という問題が様々な方が訴えて、必要性が、県民のある種の宣言とも言える条例の中で、意思表明と言える条例の中でも、これを防いでいこうというのが訴えられてきている、この今の時代だからこそ、もう一度、被害者側や御家族の声を聞いて心情に配慮していくという姿勢を県民一人ひとり、私たち一人ひとりが持つことが必要なのではないかなというふうに考えているところです。

 もう一つの損害賠償の問題では、北口さんのほうからもいわゆる再提訴問題の御紹介がございました。裁判で勝訴判決をとったけれども、その判決だけではただの紙切れに過ぎません。もちろん加害者というのは服役したり、刑務所に行ったり、あるいは連絡がつかないとかいうようなケースも多いので、裁判所の判決というのはそれだけでは何の意味もないわけですけれども、そこを例えば国の立替え制度とかいろいろな方策というのが立法制度としては考えられますし、自治体の中でできることもあるかとは思います。一種の見舞金や義援金、支援金と言われるようなものですけれども、そういったものもこれから考えていく必要があるのではないのかということが1点と、もう一つ、再提訴問題を御紹介されましたけれども、福岡県条例の第14条の中で損害賠償請求に対する支援ということが盛り込まれました。具体的なことはこれからの議論にはなりますけれども、こういった再提訴問題というような、誰が聞いても非常に理不尽な問題については県がきちんと支えていく、県全体として支えていくのだという姿勢を福岡県条例のこの損害賠償支援というものはまさに宣言したものではないかと思います。

 この条例が設けられたということで、これが本当に福岡だけでとどまらずに、津々浦々にたくさんの都道府県あるいは市町村にこういった考え方、支援の在り方というものが広まっていくことによって、これは本当に一つの社会的な被害者支援に関する変革というか、パラダイムシフトというか、そういったものが期待できるのではないかというふうに私は感じているところなのです。

 少し話は逸れますけれども、条例のPTを弁護士会でやったときに、「条例で何ができるのですか。法律が必要でしょう。条例というのは都道府県の中や市町村や自治体の話であって、条例で決めたからといって具体的にどこまでできるのですか」というような素朴な疑問をぶつけられる方がいらっしゃいました。私は逆に「条例だからこそできることもあるし、条例だから訴えられる。県民一人ひとりの総意としての条例だからそういった社会的な動きになるのではないか」というふうに感じているところがありまして、例えば福岡県での平成22年の暴力団排除条例がまさに典型的なケースなのですけれども、私みたいに金融機関の反社会的勢力の排除とかもある種なりわいにしている弁護士の立場からすると、15年前に暴力団員が預金口座をつくれなくなるなんていう社会を全く誰も想像していなかったのですね。弁護士の中でそんなことを想像する人はほとんどいなかったわけですが、それが福岡県の条例をはじめとした全国的な動きに広がっていったことによって、まさに警察対暴力団という対立構図が県民、市民広く、町の安心・安全を守っていこう、つくっていこうというような事業者一人ひとり対そういった反社会的勢力というような構図に変わっていって、それが大きな動きをつくって、一種のパラダイムシフトをつくったということを言われています。

 これはいろいろな意見もありますけれども、ただ、それだけ条例というものが非常に力強いものであるということを私は非常に普段から感じています。ただ、これは福岡県だけでとどまってしまっても小さな力なので、ぜひこの福岡県条例を参考にして他県が同じような条例をつくっていただきたいと思いますし、また福岡県下の市町村の中でも津々浦々に同じような条例をつくっていただいて、被害者支援を地域の安心・安全のために取り込もうというような、被害者を支えるまちづくりをしようというような声を大きな県民、市民の声として伝えていくことが大事なのかなというふうに思っています。以上です。

浦: ありがとうございました。いろいろなお立場から、いろいろなことが、少しずつだと思いますが、進んできているというお話をみなさまと共有できました。北口さんにお話しいただいて、問題提起していただいた課題を、私たちがどうこれから実現していけばいいのかという点について、時間が残り少ないのですが、北口さんのほうから何か一言いただけますでしょうか。

北口: 小さな問題から大きな問題までありますが、そうは言いながら、大きな問題、これを最初から無理だなと思わず、一歩ずつでも前進して、実現できるようにしていただければ、被害に遭いたくないけれども、遭ってしまった人間にはすごく力強いことになりますので、これから一歩ずつ前進するようにお願いしたいです。

浦: ありがとうございました。今日ここで、いろいろなお話をみなさまと共有できたということが、小さなことではあるけれども大きな一歩、大きな前進なのではないかなというふうに思います。ぜひ、今日のお話をみなさま、家に持ち帰っていただいて、お一人おひとりが考えるということが、今後につながっていきますし、また被害にあった方を支える地域のつながりが深まっていくのではないかと感じています。

 本当に今日はいろいろなお話をありがとうございました。

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