熊本大会:基調講演

「性暴力のリアリティを知る-被害と加害の距離-」

山本 潤(SANE 性暴力被害者支援看護師)

皆さん、こんにちは。山本潤といいます。性暴力被害者支援看護師です。3連休明けの平日、わざわざ聞きに来ていただいてありがとうございます。私はふだん埼玉に住んでいるのですけれども、せっかく3連休明けの平日にこちらのほうにお呼びいただきましたので、熊本のほうをちょっと回ってきました。土曜日は阿蘇に行って、日曜日は天草のほうに行ってきて、イルカウオッチングなどを楽しんできました。熊本は自然が美しくて、人も穏やかで、いいところだなと思いました。

ただ、私は熊本で暮らす被害者の方のお話を聞いたことがあります。その方が話してくれた言葉を旅行の時もずっと思い出して、深く考えさせられていたのですけれども、それは「性暴力被害に遭ったということを知られたら、この地では生きていけません」という言葉でした。この言葉は私の中で重く響いて、もしそうであるならば、この地は被害者にとっても、また被害に遭いやすい立場の人にとっても安全ではなくなってしまうというふうに感じました。

どうしてそうなのかということを考えた時に、それは熊本だけではないのですけれども、性暴力についての誤解とか間違った思い込みというのがまだまだ残っていると感じます。でも、本当に性暴力被害者が経験している現実というのは、その経験を持っていない人の想像を超えたところにあると思います。私自身の経験も含めて、今日は性暴力のリアリティというものがどういうものかということをお話ししたいと思います。

少し重い話にもなりますし、しんどいと感じられた方はスタッフに助けを求めたり、席を外して自由に休んでいただければと思います。

自己紹介の中で、SANE(性暴力被害者支援看護師)として紹介していただいたので、まずSANEとは何かということを御説明します。性暴力被害者支援看護師というのは、医療現場での二次被害、無神経な言動によって被害者をさらに傷つけるということを避けて、本人の意思に従って告訴などの法的措置に備えて証拠採取をし、記録を残すことができる看護職のことです。これは1970年代に北米を中心に始まりました。それまでは性暴力被害者が救急外来で長期間待たされたりとか、「この人がレイプ被害者です」というふうに名指しをされたりとか、そういう配慮のない言葉がけとかをされることがあったのですね。それではいけないと看護師たちが立ち上がり、性暴力被害者に必要な看護ケアのトレーニングを実施したのがSANEの始まりです。日本では、ちょっと長い名前ですけれども、「NPO法人女性の安全と健康のための支援教育センター」が唯一実施しています。お手元にこういうパンフレットがありますので、またごらんいただければと思います。

日本のSANEはずっと活躍の場が少なかったのですけれども、各地で性暴力被害者支援センターが立ち上がっていますので、今年に入ってセンターの指定医療機関、被害者が来たら受けてくださいというふうに言われているところの看護師たちが、こちらの研修を受けに来ています。なので、これからはSANEナースが性暴力被害者への看護ケアを提供できるという本来の支援ができるようになるのではないかと思います。

私自身は、今女性シェルターに勤務していて、DVやストーカー被害者、人身取引の被害に遭った女性や子供たちに接しています。それ以外にも支援者や医療職などを対象に研修を行っています。最近は警察に呼ばれることも多いです。その警察研修でやっていることを、せっかくなので今日はそのワークをご紹介したいと思います。

それでは、お隣の人と組んでしてもらいたいと思うので、2人1組か3人1組でもいいので、ちょっと組んでみてください。できれば、お隣の方に、お友達の方もそうでない方もいると思うのですけれども、「こんにちは」というふうに挨拶をしてみてください。ちょっとばらばらに座っているところもありますが、できるだけ「こんにちは」ぐらい挨拶をしてみてくださいね。

そしたら、今日は一般の方も参加されていますので、ワークの御紹介なのですけれども、警察の方に関してはこう伝えています。今から私が言うことをお隣の方にお話ししてください。具体的に詳細にイメージして、どう伝えようかということを自分の中で考えてください。皆さん大人ですので、セックスの1つや2つ、あるいは2つと言わずに何十回でも経験されているかもしれません。その中の初めてのセックスの経験を思い出して、それを今からお隣の方に伝えてください。もしセックスの経験がないということであったら、マスターベーションの経験でもいいです。マスターベーションの時はどんな想像をしているのか。そういうことを、今からさっき挨拶されたお隣の方に話してくださいと言われたら、どうですか。すごい凍りつきますよね。すごく心と体の変化を感じられたかなと思います。

ちょっとだけでも、やっぱりこうやって性的な言葉を使って話をされるとか、自分の性的な経験を話してくださいと言われるということは、すごく抵抗があったかなと思います。でも、性暴力被害を経験された方は、このことを具体的に話さないといけないわけですね。望んでいなかった行為とか、強制的にされた行為を伝えないといけない。でも、それを口にするということはとても難しいということをわかっていただきたくて、こういうワークをしています。

これは私が入っている当事者グループの「サバイバルサロンぷれぜんと」の柳谷和美さんが考えてくれたワークです。このスライドは皆さんの資料の最後のほうに載っています。被害者にかかわる人たち、支援をする人たちは、自分の性的経験とか性的態度について整理しておいたほうがいいと思います。そうしないと、その被害者の話というのを十分に聞くことはできないというふうに考えます。

私がこうやって人前で話せるようになったのは36歳の時でした。最初の被害から23年がたっています。初め私は「父親からの性被害を経験したことがあります」ということだけしか言えませんでした。本当に一言だけ。だけど、それを言うのはすごく大変なことでした。それから時間がたって、こうやってお話しする機会をいただいて、自分の中でも被害の経験の整理ができたかなと思います。

とはいっても、私の経験というのは1人のサバイバー。サバイバーというのは、性被害を生き残った人という意味ですけれども、そういう1人のサバイバーの経験ですし、人はそれぞれ違うし、傷ついた反応も違います。私は今から自分の経験を話しますけれども、1人のサバイバーの経験として聞いていただければと思います。

これは私が13歳の時の写真です。私が13歳の時に、父親は寝ている私の体をさわるようになりました。私はとても嫌だったので、3カ月ぐらい経ってから私の母に、「父が布団に入ってくるので寝られない」というふうに言いました。13歳の私にとってはそれが精いっぱいの「ノー」という言葉だったのですね。それで、嫌だと聞いて、私の母がどうしたかというと、母は見知らぬ人からの性被害については注意をしてくれて、「何かあったらお母さんに言うのよ」というふうに言ってくれた人でした。でも、まさか実の父親が娘に性的接触をするということは、彼女の考えには入っていなくて、あり得ないことでした。だから、「潤が眠れないと言っているからやめなさいよ」と言ってくれたけれども、性暴力が発見されたわけではないので、ほとぼりが冷めてから、また父親が布団に入ってくるようになりました。

再開した時は絶望したと思います。もう心が耐え切れなかったので、全ての感覚を遮断して、何も考えず、感じないように時を過ごしました。例えて言うならば、ブレーカーが落ちてしまった状態ですね。その間にも事態はエスカレートしていくのですけれども、自分としてはエネルギーが切れてしまったので何もできない。その間に7年間という時がたってしまったということがあります。私が20歳の時に、私の母が父と別れたので、私の被害についてはそこでストップしました。

「訴えることを考えなかったのですか」と聞かれることがありましたけれども、性犯罪と認められるにはすごくハードルが高いというふうに感じます。裁判で争って勝たないと公式には性犯罪というふうに認められないけれども、裁判をして勝てたのかなというふうに考えます。やはり長い期間に繰り返し起こっているので、日時が特定できないし、20歳の時に出来事に向き合うということはできなかったです。向き合えるようになるためには長い時間がかかりますし、その間に時効が来てしまうということも起こります。そして、被害者の強い抵抗とか、体に残る証拠が求められることを考えると、私だけではなく適応する人はすごく少ないのではないかなと思います。

裁判に行けたとしても、トラウマ記憶に対する理解がないから、記憶の信憑性が疑われるということが起こっています。性暴力、性犯罪が起こるような状況は、ゆっくり座って考えている場面と違うわけです。いつ何が起こるか予測ができない危機的な状況だったのに、裁判では「つかまれた腕は右手ですか、左手ですか」というふうに聞かれるわけです。「どうしてその時助けを求めなかったのですか」と言われることもあります。そういう場面での感覚とか思考というのはとても狭められて限定的なものになっているということが理解されていないというふうに感じます。その中で、被害者が尋問されるとか、被害者が裁判にかけられているような状況、苦痛なことが、すごく発生していると思います。

こういう状況の中で、多くの性暴力というのが埋もれているので、性暴力の中で性犯罪は本当に一部しか見えないということを知る必要があると思います。これは性犯罪が小さいと言っているわけではなくて、性暴力の中の本当に一部しか見えないという理解ですね。

警察に行けている人が3.7から10%しかいない現実の中で、どうやったら犯罪として認められるのか、裁判で勝てるのかということを考える必要があると思います。今、刑法の見直しが始まっていますが、法律の定義から考えて、被害者に負担のない裁判制度ができるといいなと思います。

司法ケアという概念があります。裁判で勝てたならば、あなたは悪くないということを社会が認めてくれるので、被害者には大きな力になります。でも、全ての被害者が勝つのはとても難しいと思います。見えなくさせられている多くの被害者に支援を届ける必要があります。

その時に越えなければいけない壁が、性暴力のわかられにくさと、二次被害だと思います。トラウマが重く、症状が強いほど語ることは難しいです。トラウマが重いというのを例えて言うならば、5トントラックにひかれたようなものです。衝撃が大きければ回復には時間がかかり、語るための機能ということも失われることがあります。それなのにトラウマの影響が理解されていないので、トラウマとは何か、どうして言えないのかということがわかられていません。その結果、実態がまだまだ明らかにならない。レイプ神話のような誤解がまだまだはびこっているというふうに感じます。性暴力被害が正しく理解されていないので、実際に性暴力が起こっても被害だと認識されていないという悪循環が起こっていると感じます。

性暴力のリアリティ・恐怖がわかられにくいというのは、性暴力というのは被害者にとっては身体保全の危機、身体を保てなくなる、そういう危機であるということです。同意なく自分の体に侵襲が加わる行為であり、セックスではありません。ポルノの構図というのは、ちょっと皆さんに考えてほしいのですが、性暴力の1つであるレイプ被害の場面というのを思い浮かべてみてください。どういう場面が浮かびますか。もしおびえているような被害者とか、引きちぎられた服とか、そういうものが見えたとしたら、それは加害者の視点です。被害者が見ているのは、豹変して襲いかかってくる男の顔つきであったり、顔にかかる生臭い息であったり、自分の運命が突然予測のつかない状況に陥ってしまった時の恐怖です。身体的暴力を伴うほうが強制性があるというふうに考えられがちですけれども、言葉とかしぐさによって、本当に目つきの1つだけで被害者をコントロールする加害者もいます。そういう強制性を見ていくことも大事です。恐怖と疑似恐怖は、想像するのと現実に起こっていることは違うということです。皆さん映画も楽しまれると思いますけれども、もしパニック映画とか殺人を扱うような映画が実際に自分の体験として起こることになったら、とても楽しめない、そういうことです。

性暴力とは、性的自己決定権を発揮できなかった瞬間に起こります。性的自己決定権は、誰もが持っている権利であり、全ての選択肢をお互いが十分に把握していて、全てのその瞬間の自由な意思に基づいて同意や拒否ができるものです。子供はアウトです。障害のある人や、眠っていたり酔っていて意識がない人は、把握する能力がないので、性的自己決定権を発揮できる状態ではありません。関係性にかかわらず同意すること、拒否することをお互いに選択する権利があります。お互いがその瞬間の自由な意思に基づいて同意や拒否ができているかということを見ることが大切です。

その3つのポイントが、同意と対等性と強制性です。同意の有無は証拠として残りませんが、ある部分では同意して、ある部分では同意しなくてもいい。部屋に入ったからといって、セックスすることに同意したことにはならない。キスしたからといって挿入を許したわけではないということです。

無条件で言うことを聞かなければいけないということは、服従になってしまいます。同意をどのように見ていくかということを考えた時に、対等性があるかどうかということは重要な要素です。同意をせざるを得ない状況があるということは、状況をコントロールする力を相手が持っているということです。そういう立場を使って、誰かを自分の思いどおりにするために、脅しや暴力、強い立場、甘い言葉を用いて、自分の望むようにさせることが強制です。

強制性を見る時に、NOの伝え方の違いということを考える必要があります。「どうしてはっきりNOと言わなかったのか」と言われることがありますが、「明日は早いので」、「今日はもう帰らなくては」、「気分が悪いので」という言い方でNOを示していることもあります。相手の気分を害することができない立場の人が使う表現というのを尊重していく必要があると思います。

もう一つ言えることは、はっきりNOと言うことが危険なことであるということです。強く拒否することや逃げるということは、その場を支配している加害者に歯向かうことです。そういう状況がある時は、はっきりNOと言うことは危ないのでできません。サバイバーがその時どんな選択をしたとしても、その人がその場で生き延びるために最善の選択をしたということを理解する必要があります。

もう一つ加害者側から見た性暴力の定義があります。「性暴力は、加害者が攻撃、支配、優越、男性性の誇示、接触、依存などのさまざまな欲求を性という手段、行動を通じて自己中心的に充足させるために被害者をモノとして扱うこと」 私は、自分の経験を考えた時に、どうして私はここまで傷ついているのだろう、損なわれているのだろうということがちょっとよくわからなかったのですけれども、この加害者の定義を聞いた時にすごく納得ができました。父が私をモノとして扱った時、私は人間ではないモノにさせられたと思います。私の人間性はその時打ち砕かれたということが起こったということだと思います。

人間ではないモノにさせられるということは、とても苦しいことです。とても受け入れることができないことでもあります。私を愛し、育ててくれるはずの父親が、どうしてあんなことをしたのか。それは私の中でずっと苦しい疑問でした。私だけではなく多くの被害者がそういう疑問を持っていると思います。「なぜ」「どうして」でも、被害者に原因はないということ。加害者が自分の身勝手な欲求を満たすために被害者をモノとして扱うことが性暴力だということを、被害者にかかわる人たちは共通して理解する必要があると思います。

そうすると、アプローチが変わってきます。これはアメリカの性暴力防止キャンペーンのポスターですが、日本ではそういう時に「痴漢に注意」など被害者に向けた呼びかけがされることが多いです。でも、アメリカでは加害者に働きかけます。“She didn't say no, so I didn't stop.”(彼女はノーと言わなかった。だから、俺はやめなかった)」。No excuse、言いわけだ、性暴力だというふうに呼びかけています。加害者に働きかけていかないと、この状況を変えることはできないと考えます。性暴力被害は大きなトラウマ体験となります。被害者に防衛を呼びかけるよりも、加害者になりそうな人にアプローチしていく必要があると思います。

トラウマについて。トラウマは、過去の出来事によって心が耐えられないほどの衝撃を受け、それが同じような恐怖や不快感をもたらし続け、現在まで影響を及ぼし続ける状態です。トラウマになってと軽く言えるようなら、トラウマではないか、過去のものになっています。トラウマについては、脳神経生理学で画像診断とかがすごく進んで、新しいことが次々とわかっています。従来、トラウマが起こるような命の危険を感じ、恐怖に圧倒されるようなストレスにさらされると、戦うか逃げるかという反応を起こすというふうに言われていました。危険を認識すると、瞬時にノルアドレナリンとかのストレスホルモンが出て、心拍数や血圧を上げます。筋肉が素早く動くようにして、勝てそうであれば戦い、負けそうであれば逃げるということができるようにするわけです。

しかし、実際には戦うことも逃げることもできないという状況があります。敵に囲まれてしまったとか、絶体絶命の状況ですね。その時に起こるのがフリージング、凍りつくという反応があるということがわかってきました。こういう時は、内分泌系に働きかけるコルチゾールというホルモンが出ます。野生の動物は、かまれる時も痛そうな顔はしないと言いますが、フリージングという反応が起こり、血圧も心拍も低下して、痛覚なども下げていると考えられています。これは生きるための戦略で、何がいいかというと、動かないことでチーターはインパラが死んだと思うことがある。そしたら、それ以上攻撃されない可能性がある。油断したすきに、パッと跳ね起きて逃げられるかもしれない。こういう反射的な行動というのは人間も同じです。

例えば、私がこの講演に来る前に、早く行かなきゃと思って、今日は雨が降っていたし、焦って走って道で転んでしまったとします。ざっくりと膝が切れて、ああ痛いというふうに思ったとします。そうすると、痛みの感覚が脳に送られ、扁桃体のところで不快という刺激を感覚し、記憶します。でも、この講演に来なければいけないし、考える前頭葉の部分を働かせて、「けがをしているから少し遅れそうなんです」と電話をしたり、「ああ、ばかなことをしたな」とか思いながらも、痛みの記憶とともに、記憶を司令塔である海馬にしまうわけですね。

しかし、これが同じように講演に来ようと道を歩いているとします。そしたら、スーッと黒いバンが近づいてきて横づけされました。そこからスッと手が伸びてきて、車に引き込まれて押し倒されてレイプされたとします。スモークガラスで真っ黒な車内が見えます。耳元で、「騒ぐな、殺すぞ」という声が聞こえます。たばこのにおいとか、ざらついた手の感触など、押さえ込まれていることを感じるわけです。終わってポイッと放り出されて、「あっ、講演に行かなきゃ」と思ったとします。こういう状態で、「ごめんなさい、私、車に引きずり込まれてレイプされたので遅れると思います」というふうに言えると思う人。こういう状態では言えませんね。脳にも体にもストレスホルモンが大量に駆けめぐっていて、とても混乱した状態になります。自動的に物事をこなせるかもしれないけれども、思考はストップして、出来事に圧倒されている状態です。こういう時、感覚というのは扁桃体まで入るかもしれませんが、経験を前頭葉で考えて処理をしたり、海馬にしまったりすることができません。その結果、トラウマの記憶は大方が体に刻まれ、脳に残る記憶は比較的少ないというふうに言われています。

これがどういうことかというと、非常に単純化して説明しているのですけれども、処理できないトラウマ記憶が冷凍保存されたような状態で、脳のここら辺と体に残っているということです。これは脳が傷ついて、体を動かしているのは脳ですよね。だから、皆さんも朝起きて顔を洗おうとしたら、ちゃんと手が動いて顔が洗えるわけです。でも、こういう状況になると、傷ついた脳が正常に身体を動かせないということが起こります。そうなると、もしそういう被害に遭って、夜になって寝るために横になろうとします。その時の仰向けになる角度とかスピードですね、それが引き込まれて倒された時と一致します。そうすると、それが引き金になって、ここで凍結された記憶が解凍されて、生々しく一気に、まるでビデオが再現されるように、その時の視覚、そしてさわられている感覚とか、そういうものを最初から最後まで再体験するということが起こります。これがフラッシュバックです。そうなると当然パニックを起こします。

こういう引き金になるようなきっかけをトリガーと言いますが、これは体に埋め込まれるような形で残ることが多いです。例えば、においとかもそうですが、車の中で嗅いだのと同じたばこのにおいを感じたら、ワーッと来ますよね。あと、同じような車を見る、あるいは似たような背格好の男性とかを見たりしても、それもパニック発作を起こす要素になります。こういう状態がどういうことかというと、もうその被害が終わっていて一見安全な環境にあると思われるのに、被害に遭った人の中では終わらない。被害を再体験しながら生き続けている状態ということになります。となると、これは非常にきつい人生です。

トラウマの影響として、体が勝手に反応したり、記憶が一部失われるということが起こります。脳の正常な記憶の処理というのが働いていない状態です。苦痛を回避するために、出来事を思い起こすような、そういう物事とか場所を避けるという反応も起こってきます。もう車を見られないとなると、車はしょっちゅう走っていますから、外に出られなくなったりします。男性だって歩いているわけですから、それも見られない。また、物事がいつどういうふうに変わるかわからない。人間や世界が信じられないということになってしまいます。

心が耐えられないということは、脳が傷ついているということであり、ブレーカーが落ちている状態です。苦痛を感じることそのものを避けるPTSD症状の回避や麻痺という反応が起こっています。現実感を失うという状態で、少しでもダメージから逃れようとするための無意識の反応です。そういうことから、被害のことを聞いても一見淡々として話しているように見えることもあります。けれども、そういう回避したり麻痺しているような状況というのは、苦痛を切り離している、感覚を感じていないわけで、喜びからも切り離されるということであり、自分が生きているということを感じられない非常に苦痛を伴う体験です。

一方で、過覚醒という状態も起こります。被害を再体験しているので、体にも心にも強いストレスがかかっています。免疫が低下したり、体のさまざまな不調を訴えることも多いです。虫歯にかかる人も多いですね。なぜかはわからないですが。それから逃れようと、睡眠薬とかアルコールを過剰に摂取したり、人間関係にトラブルを起こしやすくなったりします。このようなトラウマの影響は、性暴力ではなく大きなトラウマを受けると誰でもなりますけれども、PTSDの発症率というのはレイプ被害が一番高いです。ほぼ半分ぐらいがPTSDを起こします。

こういうトラウマの影響に関して、トラウマ処理をすることによって回復の方向に向かうということが大切です。今は効果的な新しい治療法とかもできてきていますし、自助グループのような治療共同体に参加することで回復を促進していくこともできます。そのようにつながってほしいなと思います。

私の症状について説明します。私の場合は、母親と父親が別れて、全く関わりのない生活を送れるようになりました。こういう近親間虐待の中では、冠婚葬祭の時は顔を合わせなければいけないということが起こって、それも苦痛ですから、その意味では申しわけないけれど、よかったなと思います。

ただ、母は私への性被害がわかってから1年半ぐらい抑鬱状態になりました。一番大事な娘をそんな目に遭わせてしまった。私は一体何をしてきたのだろう。そういった虚無感が強く母をむしばんできたと思います。いつも明るく元気な母だったのですけれども、その時はもうエネルギーもなくなって、泣いてばかりいたので、それこそ自殺してしまわないかと本当に心配でした。1年半後、これはたまたまなのですけれども、母の古くからの友人が熊本にいて、熊本に来て、その友人に会ったことがきっかけに、徐々に自分を取り戻したというふうに思います。

その後、私のほうは次々と症状を出していきました。母の心配ばかりしていた時は、私は自分の症状を出すことはできなかったと思います。ほかの人から性被害に遭った子供さんがいるんだけれども、本人は一見平気そうに見えて、お母さんのほうがうろたえているということはよく聞きます。周囲が安定して安全な環境にならないと、自分の症状を出していくということが難しいということもあります。

被害が終わってから元気になるまで18年ぐらいかかっているのですけれども、18年間の中で基本的なベースにあったのは抑鬱症状でした。いつも鉛の中を歩いているかのような苦しさとか、晴れない感じというのは、もう私に属する自分の特性なのかなと思っているような感じでした。初めに出てきたのは、退行現象と強迫症状が主要な症状でした。強迫症状は、無意味な行為の反復がとめられないということですね。例えば、水を置いたとしたら、この水の置いた位置がすごい気になって、何度も何度も、この位置、この位置、この位置みたいに水を置いてしまうとか、そういうことです。そういう行為に集中することで苦痛を感じないようにするという無意識の反応でもあります。

退行現象は赤ちゃん帰りで、ほぼ母にべたべたくっついていました。母は、そういうくっつかれるのがあまり好きな人ではないのですけれども、私の苦しみを見ているので我慢しつつ、だめな時はだめと言って適切な対応をしてくれたと思います。症状が固定化しなかったのは、そういう受けとめがあったからかなと思います。

こういう症状が出てくるというのは、苦しいですけれども、悪いことではないと私は考えています。症状を出すことによってトラウマを解放していくという面があります。大切なのは、このように出て、そしてそのまま高どまりさせない、固定化させないということが大事だと思います。

でも、それが終わって終わりというわけではなく、次はアルコール依存が始まりました。感覚が麻痺したり退行しているこういう状況から、感覚を感じられるようになってきたからではないかと思います。そうすると、トラウマの苦痛というのを強く感じるようになります。こういうトラウマの苦しみというのは、筆舌に尽くしがたい、言葉にはならないものです。私は今、そういう苦しさを感じることは少なくなってきたのですけれども、こういう楽な状態になってみて、「ああ、普通に生きられるって、楽なんだな」と思いました。でも、真っただ中の時はそんな世界があるなんてことは感じられないし、生きていることが苦しいので、あまり意識を保っていたくはないわけです。また、酔うことによって、抱えきれない苦痛である自分の感情を解放させたいということもあります。死にたいという感情も強かったので、殺されたくって酔っぱらって河原を歩き回ったりとか、自暴自棄であったし、もっとひどい目にも遭いたかったという、そういう時期でした。

すごく逆説的なのですけれども、客観的には危険な父親から離れて安全な環境にいるはずなんだけれども、被害を受けて脳は傷ついて回復していないから、被害から抜けられない状態です。ブレーカーの例えで言うならば、心が耐えられなくてブレーカーが落ちてしまった。そして、暗闇の中で出来事が起こった。そして、徐々に明かりがついて感覚が戻ってきて、そこで何が起こったのかを繰り返し再現、見せられているような、そういう状態です。そういうのを見せられたら大体パニックになるし、苦しいし、しんどい。向き合うというのは、そういう作業をしないといけないすごく大変なことでもあります。

そういう苦しい状態なので、死んだほうがましと思っていました。でも、生きたい。でも、死にたい。そういう混乱と、あと自分にとって安全ではない環境で生きる恐怖ということを、お酒を飲みながら、麻痺させながら何とか生き延びてきたというふうに思います。

依存には、ほかにもリストカットとか薬物依存とかがあり、一見悪いことのように思われがちですけれども、心の痛みを麻痺させて生き延びるために行っているというサバイバルスキルという面もあります。

性的強迫についてお話しします。性暴力というのは、性が傷つけられる行為です。引きこもってしまう人もいますけれども、性的強迫を出現させることもあります。性問題行動とかセックス依存症とも言われ、誤解が多いですけれども、強迫的な性行動というのは本質的には苦しみであると考えます。セックスというのは、通常楽しいもの、喜ばしいものと思うのですけれども、性的強迫行動のセックスは、体は反応するので肉体的な快楽はあるかもしれないけれども、非常に苦痛や混乱を伴う性虐待とか性暴力の再現として起こっているという面があります。

私の経験は、初めての性的関係というのが性虐待、性暴力ですから、セックスというのは一方的で強制的で虐待的なものだと思っていました。それは非常に本当に怖いこと。だから、性的には30ぐらいまでは引きこもりだったわけです。30を過ぎて、やっぱり人と愛し合いたいと思うようになって性的関係を持つようになったのですけれども、自分のセックスのスタンダードというのは性暴力被害経験になっているわけです。だから、怖くて怖くて、とてもしらふではできない。お酒を飲んで感覚を麻痺させる。でも、怖くて震えているのに性行為をせずにはいられない。自分の意思でコントロールができない。繰り返しの反復行為をせざるを得ないような、そういう強迫的な状況でした。

私の中ではこれが一番しんどかったです。ここら辺はまだぎりぎりというか、生活が破綻しないような、そういう状況なのですけれども、こちらのほうは全くコントロールがきかない。危険が伴うのに行動が調整できない、本当におかしくなるぎりぎりだったというふうに思います。

こういう反復行動をしてしまうというのは、トラウマの症状として重要で、例えば東日本大震災の後に子供たちが津波遊びというのをしていましたね。子供たちは、受け入れられない体験を消化していくために、遊びの中で繰り返しそれを行うことで解決していこうとしているわけです。でも、性的行動の中でそういう繰り返しをするということは、これは今の社会の中でとても危険を伴うものでもあります。

私もこうやって自分の個人的なことを出すのはどうかなと思うのですけれども、別に自分のことをわかってほしいわけではなくて、やっぱりトラウマの影響、そして性暴力被害の経験がある人たちに性的強迫というのが非常に大きな影響を与えていることもあるということを理解してほしいと思います。女性や子供たち、男性たちその他の性の人たちもいますが、性非行として見られることの多い少女たちについては特に、わかってほしいです。不特定多数の異性と性的関係を結ぶとか、年齢の発達に見合わない性的行動をしているとか、性売買、売春とかに関与している、そういう問題行動と呼ばれるものをしている彼女たちの性が、どれだけ傷つけられてきたのかということをわかってほしいと思います。

幸せなセクシャリティーの発達を支援できていたら、こんなことは起こらない。その人がおかしいとか、もともとそういう人間だったというふうに見られがちですけれども、どうしてそうなっているのかということを丁寧に見ていく必要があると思います。

私も性的関係の中で、愛され大事にされる経験がないから、自分を傷つけるような行為の繰り返ししかできなかったわけです。自分はおかしいし、異常だと思っていたし、病んでひどかったなというふうに振り返ってみても思います。

何で変わったかというと、変わろうという決意ができた時。それはどん底に落ちた時です。自分の立場としては、倫理的に声をかけるべきではないという人に声をかけて、断られたという経験がありました。その時に、何で私はそんなことをしてしまったのか、ものすごく恥を感じたし、死にたいと思いました。その時は6階に住んでいたので、飛びおりたらいけるというふうに思ったわけです。でも、親友に電話することができて、それで助けてもらいました。なので、こうやってお話ししています。

その時に、本当にこんな自分は嫌だと思って、別にそれまでも嫌だと思っていたし、自分に対しても嫌悪感を持っていたんだけれども、死にぎりぎり近づいたそういう時に、もうこんな人生は嫌だ。この傷は私の傷だけれど、私がつけたものではない。父のしたこと。私は自分の人生を生きるという、その時は本当にそこまで明確に意識できたわけではないのですけれども、そういう決意が新しい人生を連れてきてくれたということがあります。

「暴力を受けた人が、再び人生の中で暴力に遭うということがあります」と、私の信頼する精神科医の方が言っていました。その繰り返しの中にいる人が、ある時「私は暴力に遭う存在ではないと強く決意した時に、そういう繰り返しがとまるということが臨床的によく観察されます」とのことです。そういう決意ができたのは大きいことです。でも、やっぱりそこで転換できたのは、母や親友や身近な人が支えてくれたからだと思います。

私の場合は、トラウマ症状も大変でしたけれども、ほかの被害者の方にもいろいろと、加害者を捕まえてほしいとか、裁判で権利を回復したいとか、失った生活を取り戻したいとか、そういうニーズがあります。そういう被害者支援は1つの機関ではできないので、異なる機能を持つ組織が共同していくということが大切です。

この時に大事なのが「被害者中心主義」という考えです。これはオレゴン州に研修に行った時に学んだ考えですが、どんな支援も被害者の幸福と利益を中心に、被害者にとって使いやすい利用しやすいものでないと本当に効果的な支援にはならないと言われていました。

なぜならば、トラウマを経験した人の世界というものは、そうではない人の想像を超えたものだからです。できること、できないことを支援者側の価値観で判断しても全く役に立たないものになってしまう。だからこそ、被害者に聞く、被害者に学ぶということが大切だと言われていました。機関にとって違う役割を、被害に遭った人の希望を優先して、被害に遭った人の幸福と利益を中心に共同することで、被害者が使いやすい本当に役に立つ支援というのがつくられると思います。そして、そういう視点の違いを乗り越えるために、顔の見える環境をつくるということが大切です。

こういったトラウマにかかわる支援をする時に、注意することで代理受傷というものがあります。代理受傷は、トラウマを受けた人、あるいは苦しんでいる人を支えようとすることにより、援助者の内的な世界観が変容することです。世界は危険なところで、人間は信用できないなどの世界観の変化が起こることがありますけれども、ある意味それは正しいけれども、そればかりが全てではないわけです。バランスのとれた物の見方をしていかないと、被害者の経験に圧倒されて自分の人生に影響を及ぼしてくるということがあります。サインとしては、怒りっぽくなったりとか、落ち込みやすくなったりとか、だからパートナーとか子供とか家族とか友達とかに切れやすくなったら要注意と思ってください。

代理受傷の解消法については、ちょっと読んでいただきたいのですけれども、トラウマにかかわるということはすごく消耗するハードワークだということを知ってもらいたいと思います。これは特に被害者支援組織を管理する人が気をつけなければいけないことだと思います。過重労働をさせない、ちゃんとした人数を確保する、適切に休養がとれるように年休をとらせるとか、そういうことが大事なので、ぜひマネジメントする人は心がけてください。

最後に、被害と加害の距離についてお話しします。これが当事者だとします。この図を見てどう思いますか。当事者を守っているというふうに思う人は手を挙げてください。はい、ありがとうございます。では、当事者に背を向けていると思う人。ありがとうございます。

そうですね。もしこれが当事者だとしたら、守るにしても背を向けるにしても、これはよくない対応だと思います。当事者のそばにいるということが重要で、向き合うということ、何もできなくてもたたずんでいるということ、寄り添うということが大事です。本当にこの寄り添うということは大変で、被害者が荒れている時は、そういう症状とかを出している時は、安心できる人ほど傷つけます。

病んで苦しかった時は、私も人を傷つけました。自分を大事にできない時は、人のことを大事にできません。それを思うと、私は自分の父親のことを考えるわけです。私の父親は児童虐待の被害者です。愛し守ってくれるはずの親から虐待されるという大変につらい子供時代を送っています。でも、彼はそれを仕方なかったことだと言っていました。つらい感情を抑え込んで麻痺させた結果、感情を抑圧させてしまった人間になったと思います。生き生きとした感情が人間性の発露だとするならば、彼の人間性というのは本当に育っていなかったというふうに私は今、感じます。

男性サバイバーのカウンセラーをしている人が紹介してくれた図です。被害を受けた人が力を取り戻す時に、加害に振れることがある。加害のほうに盛り上がることがあるというふうに教えてくれました。そうやって上がらないと、被害性から抜け出せない時がある。大事なのは、そこで固定しないこと。上がって下がって、真ん中に戻っていくこと。それが重要だと私も考えます。

犯罪行動をして刑務所などに入って、きちんとした矯正教育を受けて更生した人とお話ししたりする機会があります。その時に加害者だった人に対して、「あなたがそういう行動をした時、被害者に対してどう思っていましたか」ということをお聞きしたことがあります。その方は「本当に申しわけないけれども、モノとしか思えなかった」というふうに正直に答えてくれました。そして、「人をモノとして扱っている時は、自分自身もモノでしかなかった」と言ってくれました。それを聞いた時に、これは私の考えですけれども、モノというものにされた、モノとして扱ったという経験をした私たちは、やはり人間性というものを回復していかないといけないと思いました。

そして、人間性を回復する時に大事なのは、人間と出会うことです。被害者でも加害者でもない人が、傍観者でもなく、助けてあげようという救済者でもなく、同じ人間として出会ってくれた時に、傷ついた心を開いていけるのではないかなと感じます。

傷ついた心を開くということを考えた時に、そういう社会はどういう社会なのかなということを思います。性暴力の連続体という概念がありますが、性暴力は実際には断絶したカテゴリーではなく、日常それほど珍しくないような、性的からかいやセクハラ、間接的接触によるのぞき、下着泥棒や、わいせつ電話、性器露出、直接的接触による痴漢、強制わいせつ、そして攻撃性が増大する強姦、その極致にある快楽殺人。その攻撃性の強度と被害者との接触の度合いというのは、量的には異なるけれども、性暴力としての本質は共有しているという考え方です。全ての性的な人をモノとして扱う、そういう考えから起こっている行動です。だから、どこまでを許して、どこまでを許さないのか、セクハラならよくてレイプはだめなのか。ある種類のレイプはよくて、別の種類のレイプ、例えば夫から妻へのレイプはしてもよいとされていないかということを考えた時に、もしある場面ではその人の意思を無視して強制してもいいと考える、あるいは仕方ないというふうに考える、そういう社会に私たちは心を開く、傷を開くことはできないと思います。人を性的なモノとして扱うことが性暴力であり、この本質を許さないという文化をつくってほしいと思います。

そういう社会で私たちは安心して回復していく力というのを見つけることができます。安心できる場所を見つけたり、私が悪かったわけではないという自己肯定ができたり、社会的な問題という認識を共有でき、立ち上がっていけます。仲間の存在も重要で、自分の気持ちや考えをありのままに表現できるということが回復のための大きな力になります。

「サバイバルサロンぷれぜんと」という私が入っているグループですけれども、今苦しんでいる性暴力被害者の方々に、「性暴力に遭った後の未来に希望がある」ということを伝えるための活動を行っています。年に三、四回ぐらいサロン会を開いて、性暴力に遭った人たちが集まって、自分の経験とか気持ちとかをありのままに語り合う、そういう会を開いています。

今からそういう性暴力サバイバーが語り合っている様子というのを映像で見ていただければと思うので、見てください。映像をお願いします。

(映像)

こうやって語り合える場というのは大事で、これは被害者だけではありません。今、大阪でひまわりの会という性被害に遭った子供を持つお母さんの会というのを、私の母とぷれぜんとのメンバーでカウンセラーでもある柳谷和美さんに運営してもらっています。来年の1月に1周年になるので、1年間の記念報告会を大阪のほうでします。そのチラシがお手元にあると思うのですけれども、1年間運営してもらって、やっぱりほかの誰にも言えないことをここで語って、子供の回復を支えられるようお母さんたちを助けるということもすごく大事なことだと思いました。当事者にとっても、身近な人にとっても、語る、表現するということはとても重要なことです。そういう語りを聞ける、ありのままの被害者のリアリティというのを知って、そして受け入れ、性暴力被害を経験した人が自分の住む地域で安全に安心して生きていける、そういう社会になってほしいなと思います。

さて、長い話を聞いていただき、ありがとうございました。お疲れになったと思うので、最後に歌を聞いてほしいと思います。ぷれぜんとメンバーの柳谷和美さんがつくってくれたサバイバーによるサバイバーのための、でもみんなで聞いて、癒やされる曲だと思うので、聞いてください。

(映像)

はい。これで私のお話を終わります。本当にありがとうございました。

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