第1章 警察の組織と公安委員会制度

公安委員の声

宥座の器(ゆうざのき)


栃木県公安委員会委員長

蓬田 勝美(よもぎた かつみ)


委員就任  平成28年10月1日


令和2年の春は新型コロナウイルス感染症の感染爆発の重大局面と叫ばれた時期で、この後、社会情勢がどのようになるのかは全く予測ができず、早く平穏な生活が送れるように、また、医療従事者には、これ以上感染者も出ず、亡くなられる方もなくということを願うばかりでした。それから約1年間、本当に色々なことがありました。ニューノーマルという言葉も聞かれますが、反対に、昔から変わらないことに思いをはせることもありました。

宇都宮市内の日光市に向かう峠道に小さな観音堂があります。その由来を読んでみると、江戸時代、その地で疫病がはやって死者が出るような状況の中、修験者が山あいの沢のほとりで観音様を見つけ、その観音様を、お堂を建てて祀ったところ、その土地の疫病がやんだ、というのです。そのような話は日本の各地にあるのではないでしょうか。

現在、新型コロナウイルス感染症に対しては医療従事者をはじめとする多くの方々の献身的な治療行為によって多くの人々の生命や健康が守られています。しかし、その医療が崩壊してしまえば、結局は、江戸時代と同じく「祈り」しかなくなってしまいます。改めて、私たちの社会生活の基盤を支える職業(それは全ての職業ということと思いますが)の重要性を思うとともに、それぞれの分野における献身的な精神の崇高さを感じます。

栃木県警察の歴史では、かつて、警察官の殉職者の多くが感染症で亡くなられたと、公安委員になって教えられました。現在の医療従事者と同じ役割は従来、警察組織にも同様に求められ、また、その精神は現在の警察組織の中にも宿っているものと思います。


ところで、公安委員会の役割については、決裁事務を処理するとともに、「管内における事件、事故及び災害の発生状況と警察の取組、治安情勢とそれを踏まえた警察の各種施策、組織や人事管理の状況等について、定例会議の場等で、警察本部長等から報告を受け、これを指導することにより、都道府県警察を管理している。」と説明されています。

今回の新型コロナウイルス感染症との関連で、この「報告を受け、これを指導することにより」「管理」するということが気になったところです。県警の幹部の皆様が一堂に会して議論するということは大変重要なことです。特別なことがない限りそのことを揺るがすことはできるものではありません。しかし、非常時にはどのような管理が可能なのでしょうか。つまり、非常時とはどのような状況を言い、また、そのような状況ではどのような管理が必要なのでしょうか。そのようなことを平時に検討することも必要なことのように思われます。今回の新型コロナウイルス感染症の感染予防対策では、3つの密を避けることが推奨されています。このような機会に「定例会議の場等で」「報告を受け」ということを見直し、別の方法・手段はないかと検討してみることも、「管理」の在り方を考えるためには有益ではないかとも考えられます。

ただ、私が公安委員会の役割についていつも悩むのは、「管理」とは何なのか、ということです。「管理」というと、指導監督のようなイメージになりますが、実体は、それだけではなく、叱咤、激励、称揚、感謝、共感等というような多くの要素が含まれているようにも思います。同じ価値観にはならず、警察の価値観にも配慮しつつ、ということが管理には必要であるように感じています。

栃木県には日本最古の学校と言われる足利学校があります。そこには、「宥座の器(ゆうざのき)」というものがあります。「宥座(ゆうざ)」とは、常に身近に置いて戒めにするという意味です。その器というのは壺状のもので、水が入っておらず、空のときは傾き、ちょうど良いときはまっすぐに立ち、水をいっぱいに入れるとひっくり返ってこぼれてしまうというものです。孔子の説いた「中庸」ということを教えるものと言われています。「管理」の極意は、この「中庸」にあるのではないかとも考えたりします。

このような文書を書いていると、温故知新という言葉も思い浮かびます。拙い意見を述べさせていただき、ご批判もあろうかと思いますが、理解不十分な点は何卒ご容赦していただければ幸いです。

 
栃木県公安委員会委員長 蓬田 勝美


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