特集:変革を続ける刑事警察 

2 厳しい捜査環境

 第1項で犯罪情勢を概観したとおり、近年、刑法犯の認知件数は減少傾向にあり、10年前と同水準まで回復しているものの、罪種別に見れば、強盗、強制わいせつ等、国民の被害意識等にかんがみ重点的に捜査すべき事件が依然として多発している状況にある。地道に証拠を積み重ねて被疑者を検挙するという警察捜査の基本に変わるところはないが、警察捜査を取り巻く環境は、次のような社会情勢の変化により大きく変容している。

(1)国民の意識の変化
 我が国では従来、近隣関係を中心とする地域社会や終身雇用制度に基づく企業社会等において、強固な連帯意識や帰属意識が形成されていた。しかし、近年の都市部への人口集中、単身世帯の増加、終身雇用制度の崩壊等により、社会における連帯意識や帰属意識が薄まり、他人への無関心や相互不干渉の風潮が広まっている。また、最近では、個人情報の保護を理由に、捜査上必要な情報の提供を拒まれることも少なくない。
 
 図-12 厳しい捜査環境
図-12 厳しい捜査環境

 こうした変化により、捜査活動に対する協力の確保は急激に困難になってきており、図13のとおり、聞き込み捜査を端緒とした刑法犯検挙件数(余罪事件(注1)及び解決事件(注2)を除く。)は、平成5年には1万464件(余罪事件及び解決事件を除く刑法犯検挙件数の4.1%)であったのが、19年には4,820件(同1.4%)と、大きく減少している。

注1:被疑者の取調べにおいて同一被疑者が敢行した別の犯罪として新たに認知し、検挙した事件
 2:刑法犯として認知され、既に統計に計上されている事件であって、これを捜査した結果、刑事責任無能力者の行為であること、犯罪事実がないことその他の理由により犯罪が成立しないこと又は訴訟条件・処罰条件を欠くことが確認された事件

 
 図-13 聞き込み捜査を端緒とした刑法犯検挙件数の推移
図-13 聞き込み捜査を端緒とした刑法犯検挙件数の推移

 このことは、第一線の刑事警察官に対して実施したアンケート調査(以下「刑事警察官に対するアンケート」という。)(注)でも裏付けられており、79.2%の刑事警察官が、捜査に対する協力を得ることが困難であると回答している。

注:警察庁では、第一線の刑事警察官が日ごろ感じている負担や課題等を把握するため、20年1月、各都道府県警察の大規模警察署を選定し、刑事警察官約2,450人を対象として「警察捜査の負担等に関する調査」と題するアンケート調査を実施した。

 
 図-14 捜査活動に対する協力を得ることは困難であると感じるか
図-14 捜査活動に対する協力を得ることは困難であると感じるか

 また、捜査に対する協力を得ることが困難であると感じる理由としては、「後々警察に話をするのが面倒だと考えている人が多い」(58.3%)、「情報提供に慎重な会社・事業者等が多い」(48.2%)との回答が多く、協力を得ることが困難であると感じる具体的場面としては、「関連資料等の任意提出を求めても、令状がないと応じないなどと言われ、協力を拒まれる」(52.3%)、「事情聴取の際、事件関係者が氏名を明らかにしたがらない」(43.2%)といった回答があった。
 
 図-15 なぜ捜査活動に対する協力を得ることが困難であると感じるのか
図-15 なぜ捜査活動に対する協力を得ることが困難であると感じるのか
 
 図-16 捜査活動に対する協力を得ることが困難であると感じる具体的場面
図-16 捜査活動に対する協力を得ることが困難であると感じる具体的場面

(2)社会経済のグローバル化
 社会経済のグローバル化により、人、物等の動きが世界規模で活発となっていることに伴い、捜査環境も大きく変容している。
 犯罪現場及びその付近に残された犯人の凶器、着衣、紙片等の遺留品について、その出所を確認して犯人を割り出す捜査や、被害品の移動経路から犯人を割り出す捜査等の「物からの捜査」は、大量生産・大量流通の著しい進展により困難となっており、図17のとおり、被害品の移動経路から犯人を割り出した窃盗犯検挙件数(余罪事件及び解決事件を除く。)は、平成19年には2,148件(余罪事件及び解決事件を除く刑法犯検挙件数の1.3%)であり、5年の2,563件(同1.8%)と比べて大きく減少している。
 
 図-17 被害品の移動経路から犯人を割り出した窃盗犯検挙件数の推移
図-17 被害品の移動経路から犯人を割り出した窃盗犯検挙件数の推移

 また、国際的な人の移動の活発化に伴い、日本国内で犯罪を行い、国外に逃亡している者及びそのおそれのある者の数も増加傾向にある。
 
 図-18 国外逃亡被疑者等の数の推移
図-18 国外逃亡被疑者等の数の推移

(3)匿名性の高い犯罪の増加
 近年の携帯電話やインターネットの普及に伴い、振り込め詐欺(恐喝)やフィッシング詐欺(注1)等の匿名性の高い犯罪が増加している。これらの犯罪は、携帯電話やインターネットを利用して被害者と対面することなく広域にわたって敢行されるが、携帯電話や現金を振り込ませる銀行口座等は偽名で契約・開設されていることが多い。また、通話履歴やログ(注2)の保存及びその期間は事業者等にゆだねられているため、ログが保存されていない場合や保存はされているが、発生から認知までの間に保存期間が満了した場合には、ログの差押えが不可能となる。さらに、多くの携帯電話が犯行に利用され、照会・差押え等に時間を要することや、携帯電話やインターネットを利用していた者を特定することが困難な場合があるなど、その捜査に当たっては、犯罪の痕跡をたどることが他の犯罪と比べて特に困難となっている。

注1:フィッシングにより入手した情報を用いて行われる詐欺。なお、フィッシングとは、銀行等の実在する企業を装って電子メールを送り、その企業のウェブサイトに見せかけて作成した偽のウェブサイトを受信者が閲覧するよう誘導し、そこにクレジットカード番号、インターネット上で個人を識別するためのID、パスワード等を入力させて、金融情報や個人情報を不正に入手する行為をいう。
 2:コンピュータ等の利用状況や処理内容・通信等の記録


〔1〕 振り込め詐欺(恐喝)
 振り込め詐欺(恐喝)とは、いわゆるオレオレ詐欺(恐喝)(注1)、架空請求詐欺(恐喝)(注2)、融資保証金詐欺(注3)及び還付金等詐欺(注4)の総称で、携帯電話等を利用して被害者に対面せず、現金を指定した預貯金口座に振り込ませるなどしてだまし取る手口による詐欺又は恐喝である。
 振り込め詐欺(恐喝)の被疑者は、金銭の要求の名目を次々と変えたり、公的機関や正規の貸金業者を装うなど手口を巧妙化させている。平成19年中の振り込め詐欺(恐喝)の認知件数は1万7,930件、被害総額は約251億4,000万円であり、依然として深刻な状況にある。

注1:親族を装うなどして電話をかけ、会社における横領金の補てん金等の様々な名目で現金が至急必要であるかのように信じ込ませ、動転した被害者に指定した預貯金口座に現金を振り込ませるなどの手口による詐欺(又は同様の手口による恐喝)
 2:架空の事実を口実に金品を請求する文書を送付して現金を指定した預貯金口座に振り込ませるなどの手口による詐欺(又は同様の手口による恐喝)
 3:融資を受けるための保証金の名目で現金を指定した預貯金口座に振り込ませるなどの手口による詐欺
 4:税務署、社会保険事務所等を装い、税金の還付等に必要な手続を装って現金自動預払機(ATM)を操作させ、口座間送金により現金を振り込ませる手口の詐欺

 
 図-19 振り込め詐欺(恐喝)の認知検挙状況
図-19 振り込め詐欺(恐喝)の認知検挙状況
 
 図-20 典型的な振り込め詐欺(恐喝)の手口
図-20 典型的な振り込め詐欺(恐喝)の手口

コラム1 総合的な振り込め詐欺(恐喝)対策の推進

(1)振り込め詐欺(恐喝)捜査の推進と被害拡大防止活動への捜査情報の活用
 警察では、振り込め詐欺(恐喝)等の被疑者の氏名、犯行手口等の捜査情報を一元的に集約したデータベースを構築し、振り込め詐欺等の広域知能犯罪の実体解明や関連情報の収集の効率化を図るとともに、首都圏を拠点とする「振り込め詐欺首都圏派遣捜査専従班」(参照)を設置し、被害が広域にわたる一方で、首都圏内で被害金が引き出されることなどの多い振り込め詐欺(恐喝)の捜査を効率的に行っているほか、振り込め詐欺(恐喝)を助長する他人名義の預貯金口座や携帯電話の不正流通についても取締りを強化している。
 また、振り込め詐欺(恐喝)の被害拡大防止を図るため、関係機関と連携し、金融機関に対する口座凍結依頼、携帯音声通信事業者による契約者等の本人確認等及び携帯音声通信役務の不正な利用の防止に関する法律第8条第1項の規定に基づく携帯音声通信事業者に対する契約者確認の求め、金融機関等の窓口における被害者への具体的な注意喚起、犯人が現金を送らせた住所や詐称した会社名等の公表等の諸対策を進めている。
 
振り込め詐欺(恐喝)捜査の推進と被害拡大防止活動への捜査情報の活用

(2)振り込め詐欺対策室の設置と振り込め詐欺撲滅アクションプランの策定
 19年初頭以降、振り込め詐欺(恐喝)の月別の認知件数及び被害総額が増加傾向にあり、このままのペースで推移すれば本年の被害総額は過去最悪であった16年を大幅に上回ることが確実であるなど、振り込め詐欺(恐喝)をめぐる情勢は依然深刻な状況にあることから、警察庁では、20年6月、警察庁次長を長とする「振り込め詐欺対策室」を設置して、組織を挙げた振り込め詐欺(恐喝)対策を推進することとした。振り込め詐欺対策室においては、法務省と共同で、同年7月、振り込め詐欺(恐喝)の撲滅に向けて警察が推進していくべき施策を盛り込んだアクションプランを策定した。
 
振り込め詐欺撲滅アクションプラン

(3)携帯音声通信事業者による契約者等の本人確認等及び携帯音声通信役務の不正な利用の防止に関する法律の一部を改正する法律の成立
 振り込め詐欺(恐喝)等の匿名性の高い犯罪においては、不正に流通した携帯電話等が犯行に利用されることが多く、これらの供給・流通行為の取締りが重要である。
 20年6月、第169回国会において、携帯音声通信事業者による契約者等の本人確認等及び携帯音声通信役務の不正な利用の防止に関する法律の一部を改正する法律(以下「改正法」という。)が成立した。改正法は、公布の日(同月18日)から起算して6月を超えない範囲内において政令で定める日から施行される。
 改正法においては、SIM(注1)カード等の契約者特定記録媒体(注2)単体での取引が規制対象となったほか、携帯電話等の貸与業者に対して本人確認記録の作成・保存が義務付けられた。警察では、改正法の施行に向け、総務省と連携してその周知を図っていくほか、施行後、改正法の趣旨を踏まえた積極的な取締りを行っていくこととしている。

注1:Subscriber Identity Module
 2:契約者を特定するための情報を記録した電磁的記録媒体であって、携帯電話端末等に取り付けることによって通話が可能になるもの


〔2〕 インターネットを悪用した犯罪
 近年、インターネット・オークションを利用して詐欺を敢行したり、電子掲示板(インターネット上の電子掲示板をいう。以下同じ。)等を介して知り合った見ず知らずの者が、共謀して犯罪を敢行する事例が発生している。また、電子掲示板等を介して知り合った者同士が犯罪の被疑者と被害者の関係に至る事例も発生している。

事例

 電子掲示板を介して知り合った無職の男(25)ら4人は、フィッシングにより他人のID及びパスワードを不正に入手した上、インターネット・オークションを利用して、繰り返し、落札代金をだまし取るなどした。19年1月、この男ら4人を不正アクセス行為の禁止等に関する法律違反(不正アクセス行為)、詐欺罪等で逮捕した(警視庁、熊本、岡山、広島)。

 インターネットに絡む犯罪の捜査に従事した捜査員に対しアンケート調査(注)を実施したところ、多くの捜査員が、捜査は困難であると感じると回答しており、具体的には、「ログの保存期間があり、迅速な捜査が要求される」、「照会や差押え等、基礎捜査に時間を要する」、「銀行口座等が偽名で開設されており被疑者の特定が困難」等の回答があった。

注:警察庁では、第一線の捜査員がインターネットに絡む犯罪の捜査について感じている負担や課題等を把握するため、20年1月、上記2事例の捜査に従事した捜査員約40人を対象として、「インターネットに絡む犯罪の捜査の困難性等に関する調査」と題するアンケート調査を実施した。

 
 図-21 フィッシング詐欺の例
図-21 フィッシング詐欺の例

(4)経験豊富な捜査員の大量退職
 今後数年間にわたり、毎年1万人前後の警察官の退職が見込まれ、刑事部門においては、捜査経験が豊富で様々な技能を有する多くの捜査員が退職し、若手警察官が多く登用されていくこととなる。依然として厳しい治安情勢に的確に対処していくためには、退職する捜査員がこれまで積み重ねてきた捜査技能やノウハウを確実に次代に伝承し、深化させていくことが課題となっている。
 刑事警察官に対するアンケート(参照)によれば、多くの若手捜査員(96.6%)が、自らの捜査技能等を向上させるため、経験豊かな捜査員から捜査技能等を修得する必要がある旨回答しており、一方、経験豊富な多くの捜査員(92.5%)も、若手の捜査技能等の向上のため、自らが培った豊富な捜査技能等を若手に伝承していく必要がある旨回答している。修得・伝承の必要性を感じる捜査技能としては、「取調べ」(77.6%)、「各種捜査要領」(49.0%)等が挙がっている。
 
 図-22 修得・伝承したい捜査技能等
図-22 修得・伝承したい捜査技能等

 第2節 警察捜査を取り巻く状況

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