特集 組織犯罪を許さない社会を目指して ~資金獲得活動との対決~ 

第2節 暴力団の資金獲得活動の変遷

1 違法な資金獲得活動

 第1節において不透明化する最近の暴力団の資金獲得活動を概観したが、こうした暴力団の動向は、社会経済情勢に対応して変化を繰り返してきた各種資金獲得活動の延長線上にある。また、暴力団がこれまでに行ってきた各種の資金獲得活動の中には、現在でも多くの暴力団の主要な資金獲得活動となっているものがあり、しかも、それらは暴力団対策法による影響を受け、次の更なる変化をみせようとしている。よって、暴力団の本質を理解し、現在と将来に向けた暴力団の資金源対策を検討するためには、戦後からの主要な資金獲得活動と、その背景を理解することが必要である。

(1)戦後の資金獲得活動

 国民生活を脅かす暴力集団は、我が国に古くから存在していたが、とりわけ縄張を有して違法な賭場を開く博徒は、明治・大正期より治安上の大きな問題であった。そして、戦後の混乱期には、博徒に加え、縁日等で露店等を営んでいた的屋、繁華街等で違法行為を繰り返していた不良青少年から成る愚連隊等が、闇市を縄張とし、物資の販売、覚せい剤の密売等を行い、勢力を拡大するとともに、闇市の利権をめぐって対立抗争を繰り返した。その過程において、愚連隊が、博徒や的屋に吸収され、又はそれらの特徴を模倣し、他方、博徒や的屋は、利益を無軌道に追求する愚連隊の行動原理を身につけた。その結果、昭和30年代には、博徒、的屋及び愚連隊の差異はほぼ消滅し、新たに形成された暴力集団を一括して「暴力団」と呼ぶことが社会的に定着した。
 元来、博徒及び的屋は、縄張の支配権を維持するため、縄張内での稼業にかかわるトラブル等を自ら解決するため暴力を組織的に行使する能力を有していたが、戦後、物資の欠乏によって闇市が出現し、賭博が隆盛し、又は覚せい剤(ヒロポン)が流行する中で、組織的な暴力を行使するノウハウを既に有していた博徒と的屋が闇市の支配権を確立するとともに、賭場を開き、又は組織力をいかして覚せい剤を確保・密売したのは当然の成り行きであった。さらに、博徒や的屋に対し、野放図な愚連隊が博徒や的屋の縄張荒らしを行うことは珍しくなかった。
 そこで、跋扈する博徒、的屋及び愚連隊に対して、警察は取締り体制を強化し、暴力団の実態解明を進めるとともに、反復継続した取締りを行い、暴力団の検挙件数や検挙人員は増加していった。また、警察の取締り強化に加えて、経済復興に伴う闇市の消滅、公営競技の再開、刑法、刑事訴訟法等各種法令による暴力団の規制強化といった社会情勢の変化も生じており、その結果、経済基盤を大きく揺るがされた博徒、的屋及び愚連隊は、戦後に拡大した組織を維持するため、恐喝、公営競技のノミ行為等へと、違法な資金獲得活動を多様化させていった。

(2)伝統的資金獲得活動の検挙状況

 覚せい剤取締法違反、恐喝、賭博及び公営競技関係4法(注)違反(ノミ行為等)の4種類の犯罪は、暴力団の伝統的資金獲得活動と位置付けられる。
 近年、暴力団構成員等の総検挙人員のうち、伝統的資金獲得活動に係る検挙人員の占める割合は減少傾向にあるが、現在でも総検挙人員の3割を超えており、依然として暴力団の有力な資金獲得活動となっている。とりわけ、覚せい剤事犯については、平成18年中の覚せい剤事犯の総検挙人員に占める暴力団構成員等の割合が過半数となっており、暴力団の深い関与がみられる。また、賭博事犯については、インターネットを活用するものも現れている。

注:競馬法、自転車競技法、小型自動車競走法及びモーターボート競走法

 
 表-2 伝統的資金獲得活動等の検挙人員の推移(平成9~18年)
表-2 伝統的資金獲得活動等の検挙人員の推移(平成9~18年)
 
 図-12 暴力団構成員等の総検挙人員に占める伝統的資金獲得活動の構成比(平成18年)
図-12 暴力団構成員等の総検挙人員に占める伝統的資金獲得活動の構成比(平成18年)

事 例
 稲川会傘下組織構成員(34)は、17年6月、所属組織の縄張内にある歓楽街にインターネットカフェを開店した。同傘下組織構成員は、店内に客がカジノゲームを行うためのコンピュータ15台を設置し、同歓楽街近辺で無料配布されている情報誌や広告に「オンラインゲーム遊び放題、過去最高賞金額2億円」などと射幸心をあおる広告を掲載して集客した。
 同店においては、
○ フィリピンに所在するインターネットカジノ運営会社と契約し、同社のゲームを行うために必要なポイントをあらかじめ購入して、店内に設置したホストコンピュータにポイントを送信
○ 来店した客が店員に賭金を手渡すと、1ポイント当たり100円で換算した数のポイントを店内のホストコンピュータから客の使用するコンピュータ端末に送信
○ 客は、バカラ、ブラックジャック等105種類の中から任意のゲームを選択し、ポイントを賭けてコンピュータ端末を操作して、インターネットカジノ運営会社との間でゲームを実施
○ ゲームの勝敗に応じてコンピュータ端末内のポイント数が増減し、客がゲームを終了した時点で残ったポイントを、1ポイント当たり100円で換算して、同店が賭客に現金を支払い
という方法で賭博を行っていたことから、同年12月から19年2月にかけて、同傘下組織構成員ら6人を常習賭博罪等で検挙した。
 同店は、比較的少ない人件費等で開設できる点に着目してインターネットを活用した賭博を行っていたものであり、インターネットカジノ運営会社から購入したポイントを倍額で客に販売する差額、客のポイントを換金する際に切り捨てる10ポイント未満のポイントを次の賭客に再販売する額、特定のゲームについて店が客から得る賭金の5%相当額等が利益となっていた。開店から検挙までの約18か月間に約1億2,000万円の売上げがあり、同傘下組織構成員は、人件費等を除いた約2,600万円の利益を遊興に使っていたほか、所属組織へ上納していた(神奈川)。
 
 カジノゲーム画面
カジノゲーム画面
 
カジノゲーム賭博


コラム3 第一次頂上作戦と第二次頂上作戦

 昭和30年代までに、縄張の確保等により経済的基盤を固めた暴力団が、全国各地にそれぞれ勢力を確立し、とりわけ山口組、稲川会等の一部の暴力団は、勢力拡大を目的に広く各地に進出し、他の暴力団と大規模な対立抗争を繰り返した。暴力団全体の勢力は30年代を通じて増加し続け、ピーク時である38年には、約18万人に達した。これに対して、警察は、20年代から反復継続して一斉取締りを行っていたが、39年からは都道府県警察が一体となって、いわゆる第一次頂上作戦を実施し、違法な資金獲得活動をねらった取締りを強化した。その結果、首領や幹部を含む構成員を検挙されて解散を表明する大規模な暴力団が相次ぎ、違法な資金獲得活動に依存する中小規模の暴力団に壊滅的な打撃を与えるなどしたことから、暴力団全体の勢力は著しく衰退した。
 しかし、大規模な暴力団の一部は、30年代から既に資金源を多様化させて明らかに違法な資金獲得活動以外の資金源を有していたこと、上納金制度を導入していたことなどにより、犯罪との関係が不透明な資金を獲得できるようになっていたため、取締りによる打撃は比較的少なかった。第一次頂上作戦により検挙され、服役していた首領や幹部が相次ぎ出所した43、44年以降、大規模な暴力団の一部は、組織の復活・再編を図るとともに、中小規模の暴力団を傘下に収めて勢力を回復したことから、警察では、45年以降、いわゆる第二次頂上作戦を実施した。
 
 図-13 暴力団構成員等の数の推移(昭和38年~平成18年)
図-13 暴力団構成員等の数の推移(昭和38年~平成18年)


 第2節 暴力団の資金獲得活動の変遷

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