第1節 被害者の現状と被害者対策の必要性

1 被害者の現状

(1) 被害者の受ける被害
 犯罪によって被害者が受ける被害は
○ 家族を失う、けがをする、財産を奪われるなどの生命、身体、財産上の被害
○ けがの治療費等の負担や失職による収入の減少等の経済的被害
○ 犯罪に遭った際の恐怖、悲しみ等の精神的被害
といった犯罪それ自体から直接に生じる被害と、被害後の刑事手続の過程で新たな精神的ショックを受ける事態に遭遇する、被害に遭ったことを理由に、周囲や報道機関から不利益・不快な取扱いを受けるなどの二次的被害とに分けることができる。
 従来、犯罪の被害として一般に認識されてきたのは、生命、身体、財産上の被害や経済的被害であった。しかし、近年、精神的被害や二次的被害が非常に深刻なものであることについての認識が高まり、これらへの対応が強く求められている。
(2) 精神的被害の状況
 被害者が受ける精神的被害の深刻さが広く認識されるようになったのは、平成7年3月に発生したいわゆる地下鉄サリン事件の被害者が様々なトラウマやPTSD(コラム1参照)の症状を訴えてからである。


コラム[1] トラウマとPTSD

 トラウマ(Trauma :心的外傷)とは、一般に、犯罪や事故による被害、自然災害、戦争被害、家族や友人の死等の個人では対処できない衝撃の大きな出来事に遭遇したときに受ける精神的な傷を指す。トラウマの症状は遭遇した出来事によって様々であり、例えば、子供を失った親が、その後社会から離れて自宅に引きこもることもあれば、逆にとり憑(つ)かれたように仕事にのめり込んだりすることもある。また、強姦という非常に強い打撃を受けた被害者が、感情が麻痺し、実際は非常に傷ついているにもかかわらず淡々と事件の話をすることもある。
 これに対し、PTSD(Post‐traumatic Stress Disorder:心的外傷後ストレス障害)とは、一般に、事件等の出来事によりトラウマを受けた人が、その出来事の数週間から数箇月後に、
○ 事件等を思い出したり、その夢を見たりするなどその時の苦痛をたびたび再体験する
○ 事件等の現場に近づけないなど、事件等を思い出させる行為や状況を回避してしまう
○ 常に興奮して眠れない状態が長期間にわたって続く
などの持続的な精神的、身体的症状を呈することを指す。
 トラウマの症状が人により様々であるのに対し、PTSDの症状は、個人の性格や生活史にかかわらず、かなり共通したものであることが明らかとなっている。


 犯罪被害者実態調査研究会(注)が行った調査によると、精神的被害の深刻さについては、「一生回復することができないほど深刻である」と回答した殺人等の被害者の遺族が約60%に上っている。また、被害直後の精神状態については、図2-1のように、殺人未遂、傷害等の身体犯の被害者の約35%、遺族の約60%が、「精神が不安定になった」と回答するなど、多数の被害者が深刻な精神的被害を受けていることが明らかとなっている。
(注)刑法学や被害者学の学者等が結成した研究会で、平成4年度から6年度までの3年間にわたり犯罪被害者の実態調査を行った。


コラム[2] 被害者からの書簡(要約)

 数年前、私は、交際を断ったことが原因で知人の男性に暴行を受け、今でも顔をはじめ、全身にひどい傷跡が残っており、また、そのけがが原因で身体障害者となりました。あの事件から数年間、とても言葉にできないほどの痛みと苦しみの中で何とか生きてきました。その間に多くの人から、「通り魔事件などではない以上、あなたにも何らかの責任はある」、「あなたにも落ち度がある」等と言われてきました。命さえも危ぶまれるほどのひどいけがを負わされて、それでも被害者である私の方が責められることが多く、私は自分が犯罪の被害者であることを決して他人に言わないようになりました。身体の傷跡や障害のみならず、心にも深い傷が残りましたが、そのつらさを訴えれば周囲の好奇の目にさらされ、また責められることになるのだと思うと、静かに隠れるように生きていかなければならないと思っています。
 私には、これからも毎日苦しい現実が、これでもか、これでもかとやってきます。このような中で、生きていることはすばらしいと思える日がいつか来るでしょうか。このような苦しい思いをしてまで、なぜ生きていかなければならないのかという問いに、いつか答えを見付けることはできるのでしょうか。


(3) 二次的被害の状況
 犯罪被害者実態調査研究会の行った調査によると、被害者は、二次的被害を受けた要因と

図2-1 被害直後の精神状態

図2-2 二次的被害の状況

して、刑事手続の過程、報道機関の活動等を挙げている。このうち、特に警察の捜査に関しては、
○ 被害者に対する態度が事務的であること
○ 被害者の行為が犯罪を誘発したかのような発言をすること
○ 人目に付く場所や被疑者用の取調室で事情聴取を行うこと
などにより二次的被害を受けると指摘されている。
 同研究会の調査によると、二次的被害を受けている被害者は、図2-2のとおり、かなりの割合に上ることが明らかとなっている。
(4) 刑事手続と被害者の地位
 被害者は事件の一方の当事者であり、刑事手続について規定している刑事訴訟法においては、被害者に関し、
○ 被害者は告訴をすることができることを定めた規定
○ 被告人が被害者やその親族の身体又は財産に害を加えると疑うに足りる相当な理由があるとき等には請求による保釈をしてはならないことを定めた規定
等が置かれている。
 しかしながら、刑事手続の進行状況についての情報は、一定の場合を除いては、当然には被害者に提供されることとはされておらず、被害者が事件に関する情報に触れる機会は極めて乏しいものとなっている。

2 被害者対策の必要性

(1) 被害者のニーズ
 近年、こうした被害者の間から、捜査や裁判の進行状況や結果、被疑者の処分等についての情報の提供を求める声、再び被害に遭わないように身辺の安全確保を望む声、弁護士等のアドバイスを求める声、精神的打撃から立ち直るための医師によるカウンセリング等の精神的な援助を求める声が高まっている。
 このうち、精神的な援助については、平成3年10月に東京で開催された「犯罪被害給付制度発足10周年記念シンポジウム」において、その必要性が被害者自身によって強く指摘された(コラム3参照)。このシンポジウムでは、被害者のニーズに関する数々の提言がなされ、警察が更なる被害者対策の検討を開始する重要な契機ともなった。


コラム[3] 犯罪被害給付制度発足10周年記念シンポジウムにおける

 被害者の発言(要約)
 (専門家の「犯罪被害給付制度による金銭的な援助だけでなく、被害者に対する精神的な援助も必要ではないか」という発言を受けて、)私も今の発言に全く同感です。私は、被害者の生の声を是非皆さんに聞いてほしいと思います。私は、昨年の10月、飲酒運転者が引き起こした交通事故によって長男を失いました。その後の数箇月間、私はどうやって生きていけばよいのか分からず、私を精神的に助けてくれるところがどこかにないか必死で探しましたが、日本には何もありませんでした。たまたま私は米国の友人から米国のMADD(Mother Against Drunk Driving:飲酒運転に反対する母親の会)という、子供を失った親がその怒りや悲しみを自由にぶつけることができる場所を紹介してもらいました。でも、なぜこのような場所が日本にはないのでしょうか。
 先ほど「日本では被害者の声が聞こえてこない」という発言もありましたが、被害者の立場からすると、今の日本は「はい、私が被害に遭いました」と大きな声で主張し、大きな声で泣ける社会ではありません。大きな声で泣きたくても泣けないのです。ただじっと自分で我慢しなければいけないのが今の日本における被害者の姿だと思います。でもそれはおかしいと思います。米国では被害者を精神的に支援するシステムがあるのに、日本ではそのような支援の道が何もない。私の言いたいのは、まずそれを作ってほしいということなのです。
 先ほど、「被害者が立ち直るためには同じ被害者同士での話し合いが一番大切だ」という発言がありましたが、それだけでは足りないと思います。それプラス、それを支援してくれる専門家の方たちの助言がないとうまく立ち直っていけません。子どもを殺された親は、このようなつらい思いをもう他の人たちにさせたくないという気持ちでいっぱいなのです。どんな協力も惜しみませんから、10周年記念シンポジウムが開かれたこの機会に、是非、一歩でもいいんです。一歩だけでも踏み出して下さい。お願いします。


(2) 国際的な潮流
 国際的にも、近年の人権意識の高まりを背景に、犯罪により身体的・精神的に被害を受けた者等に対して国家による救済、支援が行われるべきであるとの主張が高まってきている。
 1985年(昭和60年)に開催された「犯罪防止及び犯罪者の処遇に関する第7回国際連合会議」では、「犯罪被害者に関する司法の基本原則宣言」が採択され、
○ 被害者は、その尊厳に対し同情と敬意をもって扱われるべきであること
○ 被害者に対して、訴訟手続における被害者の役割や訴訟の進行状況、訴訟結果等に関する情報を提供する必要があること
○ 被害者が必要な物質的、医療的、精神的、社会的援助を受けられるようにし、その情報を被害者に提供すべきこと
○ 各国政府は、警察、裁判、医療、社会福祉等の関係機関の職員に十分な教育訓練を行い、司法上・行政上の敏速な対応を進めるため適切な制度整備等を行うこと
などが提言されている。
 また、欧米諸国等では、犯罪被害者補償制度による金銭的な救済をはじめ、刑事手続における被害者の地位の保障、民間の被害者支援組織による活動等被害者支援のための様々なシステム整備が進められている(英国及び米国の被害者対策については第4節参照)。


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