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2 「よど号」グループの動向


1 「「よど号」ハイジャック事件」と「よど号」グループの動向

 「「よど号」ハイジャック事件」は、1970年(昭和45年)3月31日、日本刀、鉄パイプ爆弾等で武装した共産主義者同盟赤軍派の活動家9人が、東京発福岡行きの日本航空351便・通称「よど号」を乗っ取り、乗客122人、乗員7人の合計129人を人質に取って、同機を北朝鮮に向かわせるよう要求し、福岡空港及び韓国の金浦(キンポ)空港において乗員・乗客の一部を解放した後、同年4月3日に北朝鮮美林(ミリム)飛行場に到着し、北朝鮮当局に投降した事件です。
 警察では、これら「よど号」犯人をICPOを通じて国際手配しており、1988年(63年)5月には、不正に入手した旅券を使用して日本に潜伏していた犯人1人を逮捕しました。また2000年(平成12年)3月には、田中義三を逮捕したタイ当局から同人の身柄引渡しを受け、逮捕しました。ハイジャック犯人のリーダー田宮高麿ら2人は、北朝鮮で既に死亡が確認されていることから、現在、北朝鮮に残留しているのは、小西隆裕、赤木志郎、魚本(旧姓安部)公博、若林盛亮、岡本武の5人とみられています(うち1人は死亡したとされているが未確認)。
 他方、昭和50年代半ばから60年代にかけて、欧州で北朝鮮工作員と接触していた不審な日本人女性6人に対し、海外での活動を抑止し、テロ活動を防止するため、1988年(昭和63年)8月、外務省は日本旅券の返納を命じました。1992年(平成4年)には、これらの女性全員が「よど号」犯人の妻(1人は元妻)であることが判明しました。警察は、元妻を除く返納命令に違反した5人を旅券法違反容疑で国際手配しています。
 「よど号」グループは依然として、北朝鮮国内において、当局との密接な関係を基盤に、グループ全員の帰国を目指して、機関紙、インターネット等を通じ、盛んに自己の主張を訴えています。特に「よど号」犯人は、機関紙等を通じて、全員の早期合意帰国を訴えており、2004年(16年)6月には、北朝鮮当局に対し、日本への帰国支援を要請する書簡を送付しました。これに対して、北朝鮮当局は、同年7月、犯人らの帰国には反対しないとの立場を改めて表明するなど、彼らの帰国に向けた動向がみられます。
 「よど号」犯人の妻等については、2003年(15年)までに、帰国した3人を逮捕し、これに続いて、2004年(16年)2月、旅券法違反及び偽名で銀行口座を開設したとして有印私文書偽造・同行使容疑で国際手配中の魚本民子を、同年10月には、旅券法違反で国際手配中の田中協子を、帰国と同時に逮捕しています。なお、子女については、現在までに17人が帰国しています。

福岡空港で日航機「よど号」から降ろされる人質
(1970年(昭和45年)3月)(共同)
平壌にて報道機関のインタビューに答える「よど号」犯人
(左から魚本公博、小西隆裕、赤木志郎、若林盛亮)
(2004年(平成16年)9月)(共同)
2 欧州における日本人拉致(らち)容疑事件への関与

 2002年(14年)3月、警察は、「よど号」犯人の元妻が「北朝鮮の金日成(キム・イルソン)から「代を継いだ革命を実施せよ」との教示を受けたリーダーの田宮高麿の指示で、1983年(昭和58年)、私がロンドン留学中の有本恵子さんに声を掛けて騙(だま)し、デンマークのコペンハーゲンで朝鮮労働党のキム・ユーチョル及び魚本公博に引き合わせ、北朝鮮に連れ出した」旨の証言をしたことを含め、これまでの捜査結果を総合的に検討した結果、「よど号」グループが朝鮮労働党の指導の下、金日成主義に基づいた日本革命を目指して、日本人の拉致に深く関与していたと判断しています。
 2002年(平成14年)9月、警察は、有本恵子さんに対する結婚目的誘拐の容疑で、魚本公博の逮捕状の発付を得て、同人を国際手配しています。

我が国が国際手配中の「よど号」犯人


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