11月25日~12月1日は犯罪被害者週間

「犯罪被害者週間」国民のつどい 愛知大会

議事内容

主催者あいさつ

西村 明宏(内閣府大臣政務官)

 犯罪被害者等施策を担当いたします、内閣府大臣政務官の西村明宏でございます。平成19年度「犯罪被害者週間」国民のつどい愛知大会の開催に当たり、一言ご挨拶申し上げます。

 本日は、基調講演やパネリストをしていただく有識者の皆様を始め、多くの皆様方にご列席をいただきまして誠にありがとうございます。

 国民の誰もが安心して暮らせる社会を実現するためには、犯罪を予防するにとどまらず、不幸にして犯罪被害に遭われた方々に対し、再び平穏な生活を営むことができるようになるまで、途切れることなく支援を受けられるようにすることが重要です。

 政府は、「犯罪被害者等基本法」に基づき、犯罪被害者等の権利、利益の保護が図られる社会の実現のため、平成17年12月「犯罪被害者等基本計画」を閣議決定しました。そして、各種の施策を総合的かつ計画的に推進しているところです。

 基本計画に盛り込まれた258の施策のうち、そのほとんどがすでに実施されており、本年には、基本計画に基づき設置された3つの検討会の最終取りまとめや、刑事訴訟法等の改正がなされるなど、施策は着実に実施されています。

 基本計画におきましては、基本方針として、「国民の総意を形成しながら展開されること」、重点課題として、「国民の理解の増進と配慮・協力の確保への取組」が掲げられています。

 そして、集中的な啓発事業などの実施を通じて、犯罪被害者等が置かれている状況などについて、国民の皆様の理解を深めることを目的とし、基本法の成立日である12月1日にちなんで、毎年11月25日から12月1日までが、「犯罪被害者週間」とされました。

 2回目となります本年度は、「悲しみを希望にかえる社会のささえ」を標語として、さまざまな広報啓発活動を行っています。

 この「犯罪被害者週間」国民のつどいは、犯罪被害者週間の中核的行事として、国民の皆様が犯罪による被害について考える機会として開催されるものであり、この愛知大会は4つの地方大会のうちの1つとして、愛知県庁、愛知県警察、社団法人被害者サポートセンターあいちとの共催により開催しています。

 ここ、愛知県におかれましては、神田知事のすばらしいリーダーシップのもと、愛知県安全なまちづくり条例の中に、「被害者等に対する支援」、「被害者等に対する協力」に関する条文が盛り込まれており、また愛知県警察におかれましても、本日ご列席たまわっています、松尾本部長のもと、被害に遭われた方々に対するさまざまな支援の充実を図られるなど、関係機関、団体が連携しながら意欲的に犯罪被害者等施策を推進してきたところであり、このような場所で、国民のつどいを開催できましたことは、まことに喜びにたえません。

 本日は犯罪被害者支援の取組や、地域支援などをテーマとした基調講演や、パネルディスカッションを行うほか、関係機関、団体によるパネル展示をご用意いたしました。

 これらを通じて、ご来場の皆様方には、犯罪被害者等の置かれている状況や、犯罪被害者等の名誉、生活の平穏への配慮の重要性などについて、理解と関心を深めていただければ幸いです。

 最後に、犯罪被害者等の権利利益の保護が図れる社会が一日も早く実現されるよう、今後とも内閣を挙げて全力で取り組んでいくことをお約束申し上げ、ご挨拶といたします。本日は大変お忙しい中、ご出席いただきまして本当にありがとうございます。

主催者あいさつ

神田 真秋(愛知県知事)(代読:稲垣 隆司(愛知県副知事))

 皆様、こんにちは。愛知県副知事の稲垣です。本日は、このつどいにこのように多くの方にご参加いただきましてありがとうございました。本来ならば、今、司会の方も言われましたが、神田知事が出席して皆様方にお願いとお礼のご挨拶を申し上げるのが本意ですけれども、他に公務がありまして出席できません。こちらへ来る前に、皆様方にはくれぐれもよろしく伝えてくれという伝言を預かってきています。またメッセージを預かっていますので、代読したいと思います。

 「犯罪被害者週間」国民のつどい愛知大会の開催に当たり、開催県として一言ごあいさつ申し上げます。

 本日は、内閣府から西村大臣政務官をお招きして、ここ愛知県で本大会を開催できますことをまことに喜ばしく、ご参加の皆様方のご協力に対し、深く感謝を申し上げる次第です。また、日ごろから本県の安全なまちづくりの推進に格別のご理解、ご支援をいただいていますことを重ねて厚く御礼申し上げます。

 さて、愛知県内における刑法犯の認知件数は、平成17 年に約20 万件で、10 年前の約2倍となっており、大変多くの方々が犯罪の被害に遭われています。子供や女性が被害者となる凶悪な事件も多く、まことに痛ましい限りであります。このような状況を踏まえ、犯罪の未然防止に向けて、さらなる取組を進めていくことはもちろんでありますが、併せて忘れてならないことは、犯罪被害者への支援であります。県が8月に実施した県政モニターアンケートによると、日常生活で犯罪被害に遭うのではないかという不安を7割余りの方々がお持ちで、被害者支援の充実を求める声も多く寄せられています。こうしたことから、犯罪をなくし、県民の皆様の安全を確保するとともに、犯罪の被害に遭われた方々が、再び平穏な生活を営むことができるよう、支援する取組を一層推進していかなければなりません。

 このため、本県では昨年を治安回復元年と位置付け、警察はもとより、関係機関や団体、住民の皆様と力を合わせて、県民総ぐるみで安全なまちづくりに取り組んできました。その結果、昨年1年間で、数にして4万件、率にして20%以上も刑法犯を減らし、全国一の成果を挙げることができました。今年もおかげさまで、先月末までに、約1万2000 件を減らすことができています。引き続き、治安回復を県政の最重要課題として、犯罪のない安全なまちづくりに積極的に取り組んでまいります。

 さらに、犯罪被害に遭われた方々を含めた、県民の皆様方の相談体制の充実を図ってまいります。まず、各種の相談を行っている県民生活プラザにおいて、相談のコーディネート機能を強化するとともに、国や市町村を含めた、各種相談窓口の情報提供をしっかりと行ってまいります。また、保健所等の体制を拡充し、心の問題などの専門相談の機能の強化を図ってまいります。県民の皆様におかれましても、犯罪被害者の支援について、格別のご理解とご協力を賜りますようお願い申し上げます。

 本日は、この後、蔭山先生の基調講演や、日ごろから犯罪被害者支援に携わっておられる方々を交えて、パネルディスカッションが行われます。この大会を契機に、犯罪被害に遭われた方とその家族の気持ちを理解する思いやりの心が地域社会に広がり、県民の皆様誰もが安全で安心して暮らせるまちづくりに向け、この機運がますます高まりますことを願っています。

 終わりに、本日お集まりの皆様方のますますのご健勝、ご多幸をお祈り申し上げますとともに、安全なまちづくりにさらなるご理解とご協力を賜りますようお願いして、私の挨拶とします。

 平成19 年11 月27 日、愛知県知事、神田真秋。
 代読。本日は誠にありがとうございました。

主催者あいさつ

松尾 庄一(愛知県警察本部長)

 愛知県警察本部長の松尾でございます。本日は、「犯罪被害者週間」国民のつどい愛知県大会の開催に当たり、一言ご挨拶を申し上げます。

 まず、今日お集まりの皆様には、平素より警察業務各般にわたりご理解ご指導をたまわっています。この場を借りて厚くお礼申し上げます。また、犯罪被害者やご遺族などに対する支援にご尽力いただいております、関係者各位のご労苦に対しまして心から敬意を表する次第であります。

 さて、愛知県警察では、安全で安心して暮らせる愛知県をめざして、治安回復に向け、犯罪のさらなる減少と徹底検挙、交通死亡事故の抑止などに、県民の皆様のご理解とご協力をいただきながら、全力を尽くしているところでございます。しかしながら、犯罪の実態を見ますと、この8月には、インターネット上の掲示板を悪用してグループを組み、たまたま通りかかった残業帰りの女性を金目当てで拉致・殺害し、岐阜の山中に捨てるという残虐な事件など、理不尽にも、また突然にかけがえのない命を奪われたり、身体や心に深い痛手を負わされる事件、事故が続発しているところであります。その一つひとつの事件や事故に、被害者、ご遺族、関係者の方々のお一人お一人の深い悲しみや苦しみ、悔しさがあることを決して忘れてはなりません。

 私ども警察は、被害に遭われた方々の最も近く立つ者として、捜査だけでなく、被害者の視点に立ち、被害者支援のネットワークの構築、県をはじめとする各自治体や関係機関、被害者サポートセンターあいちなど、民間支援団体と連携してまいりました。また、被害に遭われた方に対する情報提供や相談、カウンセリングなどの精神的被害回復への支援、犯罪被害給付金制度による経済的な支援、病院等への付き添い、捜査手続きの説明などの直接的支援、さらには被害者の要望の把握と、それへの対応など、きめ細かい施策を実施しております。

 ところで、「犯罪被害者等基本法」や「犯罪被害者等基本計画」では、国、県、市町村による各種施策の推進、国民の理解と協力、そして関係機関、団体の連携・協力が求められています。被害者や遺族の方々が途切れることなく支援を受けるためには、社会全体で被害者を支えるという機運を醸成する取組が今後、いっそう重要になってくるものと考えております。

 この度、犯罪等による被害の深刻さや、被害者の実情を知り、命の大切さを考える機会として、「犯罪被害者週間」国民のつどい愛知大会が開催されることは、時宜を得たものであり、誠に意義深いものと考えております。本大会を契機として、犯罪被害者の状況や、支援の必要性について、皆様の理解がさらに深まり、支援の輪が広がり、社会全体で被害者を支える機運がより一層醸成され、安全で安心して暮らせる愛知の実現に結び付けられることを心から祈念いたしまして、私の挨拶といたします。どうもありがとうございました。

基調講演

「私の犯罪被害者支援の10年」
蔭山 英順(岐阜聖徳学園大学教育学部教授)

 ご紹介いただきました、サポートセンターあいち顧問の蔭山でございます。こうした被害者支援週間国民のつどいに、愛知大会でお話をさせていただく機会を得ましたことを大変光栄に思って、感謝いたしております。基調講演ということで、地元愛知の被害者支援におよそ10年ほど前からかかわってきました道のりを少し振り返ってみて、この後のパネルディスカッションの、将来に向けての展開を考えたいと思いますので、私の歩みを通して、愛知の被害者支援を振り返りたいと思っています。

 私は、臨床心理士でございまして、この3月まで名古屋大学で臨床心理士の養成の大学院の担当をしていました。お手元の資料にありますように、二度目のお務めで、岐阜聖徳学園大学で教師養成に携わっています。もともと私は心理学で、中でも臨床心理学で、心のケア、心の健康、そして障害を持っている子供の発達援助、これが専門でした。ちょうど、昭和40年代の前半のところで、自閉症に出会いまして、40年間、名古屋大学で自閉症の子供の教育、そして発達援助を主にやってきた。そして、およそ10年前にこのサポートセンターあいち、今年で10周年を迎えて、また10周年記念の会を持ちたいという予定をしています。その創設の段階、1998年ですが、その前に、愛知県警の犯罪被害者対策室の方を中心に、愛知に民間支援のセンターをつくっていくということで、広く県警のみならず、地元の財界の皆様や多くの市民、県民の皆様の支援を受けて、つくろうとした際に、犯罪被害者の支援にはどうしても心の支援が大事であると。

 現在においては、たくさんの被害者支援の中身があるわけですけれども、日本の被害者支援は心のケアから出発している点では、実は諸外国と比べて特徴的ではあるわけです。多くは、経済的な支援というところが先行していて、日本も実は1980年に犯給法という、犯罪被害者への、厳しく言うとお見舞い金制度ということで、きちんとした経済的にまた再び安定した生活に戻るための十分な経済的支援かというと、そこにはまだ課題は残っていますけれども、その面の出発としての犯給法というのは、日本の被害者支援の歴史からは、1つの大事なスタート点であったと思います。

 しかし、多くの被害者支援にかかわってきた人たちが話していますように、その後、いったい地方自治体や国が犯罪被害者に対しての何か施策とか、思いというのを具体的に示したかというと、厳しく言えば何もなかった。そういう点では、ほとんど多くの国民が犯罪被害を受けたならばいったいどうなるのか。自分の心のみならず、生活も含め、あるいは刑事訴訟手続き上どうなるのかということを知らない国民がずっといたというのが現実です。恥ずかしいことですけれども、私も、サポートセンターあいちを設立するまでは、まったく知りませんでした。

 そして犯給法の10周年のシンポジウムが1991年に行われた。このシンポジウムが具体的な支援がスタートしていく大事なシンポだとよく、歴史的には言われます。その場の中で、犯給法に基づいて、どのくらいの人が経済的な援助を受けたかという報告で終える予定のところが、実はフロアにいた、これが日本で最初の被害者の公の場での声と言われています、現在、東京の都民センターの事務局長の大久保恵美子さん――大久保さんはもともと、東京で具体的な直接的な支援に活躍している、日本を代表する支援者の1人ですけれども、富山で飲酒運転によるひき逃げによって息子さんを亡くしたご遺族でした。もともと保健師さんをしておられた。

 しかし、その方自身もある日突然に愛する人を亡くした状況の中で、何も手につかないし、数週間もすれば、誰も遺族の大変さについて耳を傾けてくれる人もいないし、また語る場もないという状況の中で、よく言われていますように、被害者支援の先進国であるアメリカに人伝いに行かれました。MAD という組織がありますけれども、これは飲酒運転に反対する母親の会(mothers against drunk drivers)という組織ですが、そこに大久保さんは行かれて、いかに被害に遭った状況の中で、率直に悲しみ、怒り、悔しさ、それを語る場と耳を傾けてくれる人のあることの大事さ、あるいはまたそのことによって救われる気持ちの体験をもって日本に戻られて、それを踏まえての発言であったわけです。そういう経緯もありまして、日本では、まずもって被害に遭われた方の声をしっかり聞こうというところで動き出していった。

 最初の支援として、今はご退職をされましたが、東京医科歯科大学の山上皓先生が日本で最初の相談室をそのシンポジウムの翌年に設立をされました。山上先生は精神科医でありましたので、しっかり心をケアしていく、そうした活動が具体的に出発をした。それが日本の出発でありました。そうした状況の中で、とにかく、被害者の方の思いをしっかり聞いていくことは、非常に大事な支援活動であるという位置付けが出発しました。その後、サポートセンターあいちが1998年にできるまでに、8つの民間支援団体がありました。愛知は8番目です。北海道、茨城、東京、石川等々、先発の支援団体があります。しかし愛知は日本で最初の社団法人として出発しました。

 その設立まで、私は犯給法も、そして被害者の方にお会いしたこともありませんでしたし、かつ、どのような支援が重要かということを知ることもありませんでした。そういう私が10年たったところの中で、このように基調講演をする状況になるというのは、まさに、何と申し上げていいのか。名古屋大学時代の10年間は、その意味では犯罪被害者の方へ、少しでも愛知で進展をしていくための努力をしていきたいということの10年でした。

 現在もそうですけれども、民間の支援団体、それよりも少しといいますか、だいぶと言った方がいいかもしれませんが、警察の被害者支援というのは、民間の支援よりも先行していました。それは今、愛知県警本部長のごあいさつにもありましたように、今でこそ警察は被害者支援が大事な柱になっていますけれども、かつては、警察が犯人、被疑者、容疑者を検挙していくことが大事な仕事ということになっていました。もともともちろんそこには被害者がかかわっていますけれども、そこが、被害者の声が少しずつ聞こえるようになってきた状況で、二次被害の問題が強く訴えられるようになりました。二次被害というのは、一次被害に加えて世の中から加えられる――主に捜査の状況や、刑事訴訟の手続きのところで加えられる、本当はゼロにできる被害ですよね、二次ですから。本当は一次被害もゼロにしたいところですけれども、長い歴史の中で、犯罪がゼロになった歴史がないので、そのようなことを唱えているだけではよろしくないだろうと思います。

 言うなれば、捜査の状況で被害者という、犯罪の理不尽な仕打ちを受けた当人やご遺族にとって、いかに心傷つき、苦しんでいる状況かということを踏まえて、捜査への協力や、あるいはその後の検察の事情聴取や、裁判の傍聴等について、加えての理不尽な痛みを投げかけられないようにしていこう、というところで、真っ先にその意味では手を付けていただけたのが警察の活動と言えましょう。

 そしてその後、刑事訴訟の中で、加害者を起訴するかしないか、大きな役目を担っている検察の中で、そして、被害者にとってはいま1つ、本当のことを知りたいということは強くあるわけです。交通のご遺族にしても、あるいは殺人事件にしても、あるいは傷害事件、性犯罪の被害者にしても、そういう思いは非常にある。2004年の基本法ができる以前は、犯罪の被害者の方には基本的な被害者としての権利は認められていませんでした。日本の世の中、日本だけではないかもしれませんけれども、被害者が基本的に回復したり、あるいは情報を入手したり、あるいはきちんと地域の中で再び安心した生活をしていける権利を保障されていない状況では、ややもすると、情報提供も、あるいは生活も、あるいは必要な心のケアも、あるいは必要な医療もほとんど自分で探索的に手に入れるしかない状況が続いていました。

 そういう状況の中で、被害者の方にまずもって必要な情報と大変さについて、耳を傾ける、そういう人がいるということについての仕事を民間の支援団体でしていこうというところに動きだし、電話相談が中心の活動が全国で始まっていったかと思います。私は、その意味では、カウンセリング、心理治療、心のケアを専門にし、なおかつサポートセンターあいち設立当時は、愛知県の臨床心理士会の会長をしていましたので、地元愛知の犯罪被害者への心のケアを核としたセンターをということなら、何としてでもということで、お手伝いをするところに入りました。その意味ではまったく素人でした。まさに私にとっては日本の明治維新の時代のように、何も、実はガイドブックもありませんし、どなたか教えていただけるような先達があったわけではありませんので、先進国と言われるアメリカ、イギリス、オーストラリア、ニュージーランドに学ぶしかない。まさに犯罪被害者支援の明治維新で外国の実践を見、そして日本的に改造していく時代に、98 年から突入しました。

 98年には二度アメリカにお邪魔しました。カリフォルニア州のサンディエゴに行きました。そこで、被害者支援のアメリカの歴史と実態をレクチャーを受け、まさにどうしていったらいいかと。ただ、そのときには、実に私は不勉強だなというふうに思いましたのは、アメリカではいったい被害者の方への支援として、電話相談をどうしているんだろうかと。どういうノウハウを持っているのかと。私は喫煙者ですので、12時間の飛行機は本当は耐え難いわけですけれども、アメリカに向けての12時間の飛行機をノンスモーキングで頑張って行った、最初の動機なんです。その状況でけげんな顔をされました。「日本は電話の相談で何かしようとしているんですか」というふうに言われました。すでにアメリカは、電話はもちろん使っていますけれども、被害を受けてからのフォローアップ、「その後どうですか」というお伺いをする電話はしますけれども、支援の中核は、まさに被害に遭われた方の地域の中でそばに寄り添ってするのが本来の支援であると。私として大ショックです。

 そして翌年には、アリゾナ州のツーソンに行きました。ツーソンでは、24時間、パトカーと同じように、支援の車が、支援者を乗せて2人ペアでツーソン市内を動いています。同時に、犯罪被害の発生と同時に、ほぼパトカーと同時に現場に到着し、早期の危機介入と直接支援の実践を行っているのを、4時間交代でボランティアが乗っていますけれども、私も来てすぐの日からぶっ続け8時間、支援車に乗りまして、いくつかの被害の現場、そしてその後のご家族やご当人の支援、DVも、性被害も、殺人の直後も、あるいは交通によって息子さんが亡くなられた、日本でも大事に言われてきました死の告知、ご家族に亡くなられたということを伝える、このことはすごく神経を使ってすべき内容ですけれども、それに立ち会い、今で言う直接支援の中身をたくさん体験してきた1990年代です。

 そうした状況で、日本において、また愛知でどのような展開をしていこうかと。電話相談のところから行きますと、ボランティアの方に、朝10時から4時までご苦労をかけて電話の前に座っていただいている。そして、そこにかかってくる電話は実に多くが、1つは、犯罪被害直後にかかってくるというのはなかなかまれな話で、電話で語れるというのは、自分の受けた傷や、大変さについて言葉にすることができて、初めて電話がかけられるということです。その意味では、なかなか悲しさ、悔しさ、怒り等々が消えることはありませんけれども、人に語って理解をしてもらう、わかってもらうというためにはどうしても言葉が必要だとすると、ある年月を必要とします。その意味では、電話が今も大事な援助ですけれども、やはり被害者の方が電話に手をかけていただいて、そして、ダイヤルを回していただいて、初めてできる関係。これはまさに支援というところから言えば、受け身的、消極的支援ということになろうかと思っていました。

 その支援ももちろん大事ですけれども、いま一つ、積極的、能動的な支援ということが必要だと。それも早期から必要だということについての思いは、強く持ちながら、サポートセンターあいちで、早くに早期の支援ができる体制をつくりたいというのが、サポートセンターあいちの私の会長時代の思いでした。

 しかし、実は犯給法が改正されるまでは民間の支援団体には、どこで、どのような被害が発生したかという情報はマスコミから知るしかなかったわけです。マスコミも、すべての被害が報道されるわけではありませんし、その意味では、いかに早期に被害者の方のところに支援に伺うためには、被害を受けたという情報と、支援を必要としているという声を早期に入手できることが大事な課題でした。ここには捜査機関である個人情報の守秘義務がありますので、民間である私どものところには提供していただける状況ではありませんでした。

 当時その状況の中で私は、警察庁の中にヤスダさんをはじめとする、日本の警察庁における被害者支援の草分けと、すごく努力をいただける人たちと出会い、盛んに民間支援団体が早期に出かけていけるための、被害者の方の同意を得て、情報を入手できる法改正を、あるいは、基本法を作ってほしいということを強くお願いしました。しかし、なかなかそれはむずかしい。基本法の前に、犯給法が2001年に改正されました。当時、全国被害者支援ネットワークで毎年研修をしていました。これが、水戸だったと思いますけれども、水戸にヤスダさんもおられて、「実は、蔭山さんの言うのが出発しますよ。犯給法で、公安委員会の指定する早期支援団体という中身が入ることになりました。早期支援団体に民間支援団体が、公安委員会に指定されれば、早期に支援することができるようになりますよ」と。これはまさに私にとっては大きな展開で、何としてでも愛知はそういうことが可能になっていくように、そういう力と、また公安委員会に認めていただける組織にしていきたいということで努力をしてきたわけです。

 なぜ早期にこだわるか。実は犯罪被害者の方の支援の前に、自然災害の中で、1995年だったと思いますが、その年は阪神淡路大震災でした。ある日突然、命を奪われるかもしれない、そういう体験が大きく心に傷を受ける。そのときからも、その病気はPTSD(心的外傷後ストレス障害)であると。阪神淡路の震災の支援以前には、ほとんど言われていなかった言葉です。そのPTSDについては、犯罪被害者の方への支援を始める前に、私は専門家でしたので十分知っていました。PTSDは早期に支援すればすべてがPTSDという、場合によっては生涯にわたって苦しむような心の傷による病気ではない。実は、死ぬかもしれないという大変な体験をした後、4週間たってもフラッシュバック、考えたくない被害者の状況とか、眠れないとか、意欲が出ないとか、等々の症状が続いている状態で、PTSDと診断される。被害直後にPTSDという診断は、その意味ではあり得ないんです。急性のストレス障害というのはありますけれども。その点では、いかに早期に支援をするか。当時のアメリカでは、PTSDを防ぐために早期に寄り添っていくということを聞いてきました。

 日本のかつての被害者と申し上げたら失礼かもしれませんけれども、何も援助を受けてくることのできなかった人にとっては、誰もそのようなかかわりをしていませんので、ある面では自動的にPTSDになってしまった。これは、私の専門性から言えば、何としてでもPTSDで苦しむような生活を防いでいきたい。そこが私の「早期に」という思いにつながっているところです。それにしても、すべてが防げるわけではありませんけれども、そうした状況で、心の支援という部分で、私の専門性と早期というところがつながって、何としてでも被害を受けた方の早期支援、しかし、被害者の方が点として存在しているところに、点であるわずかな人数の支援者が出かけていったり、あるいは電話で、あるいはメール相談でつながっている、点と線の状況でした。

 こうした状況の中で、この週間のスローガンでもありますように、また基本法の大事な点でありますように、わずかに一部の支援者が細々と被害者支援の活動をしているだけでは、焼け石に水といいますか、線が2~3本クロスするだけの話で、基本法にあるように、多くの国民がごく常識として、被害に遭うと置かれる状況と、必要な支援について、きちんと認識できる状況、社会というのを、何とかつくっていくことが大事、というふうにある時期から強く思うようになりました。その意味もあって、機会があれば、そうした被害者の方の代弁的なお話をさせていただくために、いろいろな会合に顔を出し、お話をしてきました。そして、県下の各市町村に、犯罪被害者支援連絡協議会というのがつくられています。そこで、関心をお持ちの方に話す機会があり、そういう形で地域の中で、一人ひとりの方がきちんと、被害に遭うということは、実は遠くの話ではなくて、すぐお隣に残念ながら潜んでいることであって、そして被害に遭えば、どういうことになっていくかというのをきちんとわかっていることが、実は非常に大事という認識を一人ひとりが持てるような機会。

 今、私の反省を申し上げたように、私もその意味ではいろいろな社会の状況の中に目を向けていた方だと思っていますけれども、たぶん、犯罪被害者の方の状況や、私がサポートセンターあいちにかかわる以前でしたら、被害者はどういう状況に置かれるかということは、まったく知らないままにいたと思います。そういう状況が、まだまだ愛知のところでも、私のような人が大部分ではないかと非常に心配をしています。

 そこで、今回のこの後のパネルディスカッションのテーマの1つに入れている地域ということに、私は非常に強く目を向けるようになりました。もちろん、各三河部や尾張部で、そうした啓発活動のためのお話をしたり、あるいは、被害を受けられた当事者、あるいはご遺族の方とご一緒して、まさに心からの叫びを聞いていただくことが非常に大事だろうという活動に、ある部分、時間を費やしてきました。

 そうした状況に加えて、地域にとってもう1つ大事なのは、どんなに努力をしていっても、多くの方がほとんど常識的に、被害にあったらどうなるか、あるいは被害者支援の状況はどうなのかということを知るようになるのは、少し不可能だろうと。とすると、わからないときに、声をかけて、情報提供を受けたり、どのルートに乗ったらいいかというガイドをしてくれる窓口が、地域の中のすぐ足元にあるということが非常に大事ではないかと。そのことが、実は地域ということの私の問題の中で、1つの展開として考えてきたところです。広報を使い、地域にはたくさんのメディアやネットワークがあるかと思います。その中で、被害に遭ったら、ふと、あるいはわからなければ、市役所や、区役所や、町村役場に出かけていけば、何とかなるんだということ。このことが常識として定着してくればそれでいいのかなと思うようになりました。

 そういう視点で、県下を振り返ってみると、ぱっと見て、犯罪被害者相談窓口がどこの市にもあるわけではない。生活相談、住民相談、相談の窓口はたくさんありますけれども、多くの被害者の方たちに、「あるんですよ」と申し上げても、どこの窓口に行けば被害者の相談、あるいは情報提供が受けられるのか、自明になかなかなっていない。このことが大きな課題であり、これは多くの愛知県下、もちろん愛知県全体としての県としての取り組み、そして各市町村の地域の人たちとつながっているコミュニティーと言いますか、そこにあるということが非常に大事ではないかというふうに思うわけです。そういう展開をしていきたいということが、近年の状況の中で強く感じています。この展開に合わせて、基本法の中で、地方自治体の被害者支援の責任ということもきちんとうたい、国としての責任、そして国民一人一人としての責任ということについて、展開をしようとしているこの状況の中で、私も頑張っていきたいと思っているわけです。

 さて、そうした状況の問題の中で、情報提供や心のケア、あるいはPTSDというような視点での話をしましたが、それは非常に今の私にとっては狭い見方だなというのを最近は感じています。被害を受けられた方は、言葉は悪いかもしれませんが、病人でもありません、そんなに特殊でもありません、しかし、なかなか自分の力で生きていくことにすごく大変な人たちです。ですから、やたらに特別な人だというふうに見たりすることはあまり、私は賛成できません。その意味では、これまでのところの何年かは、被害を受けた人は、支援する我々や、あるいはまだ被害を受けていない人から見ると、特別な人のように思えて、距離があったのではないかというふうに思います。そこを私は、そんなことがなかなかうまく展開していけない。特に我々臨床心理士、あるいは精神科医は、災害や、犯罪被害を受けた方をPTSDが歩いているように思っているんです。私は、幸いと言いますか、サポートセンターあいちを通して、多くの殺人事件のご遺族や、傷害事件の当事者や、性犯の被害者にかかわることがこれまでにできました。きちんとかかわることによって、本当に大事なことが見えてくるのだなというふうに思えています。

 それは、特別な人ということではなくて、本当に理不尽な状況にさらされてはいますけれども、生活者としての被害者――今日を生き、また明日も生きていくという生活者としての視点というのをきちんと持つ。それは、この人が今も生き、またこの理不尽な大変さを抱えながら、生涯生きていくことにとって必要なことは何か。この辺はPTSDという視点からは少し出てこない視点であります。その意味で、まさに生活の場で、あるいはその人がこれから生きていくために、1人では大変なんだということを実感しました。そのためには、本当に大変なマラソンのような、そのマラソンもいろいろなペースがありますけれども、そこを1人で走り抜けていくのは非常にしんどい。そこに必要なのはマラソンのよき伴走者がいるのではないか。その意味では、私は、PTSDの治療という視点で被害者の方にかかわることはほとんどしていません。もちろん心を理解していく基本的な姿勢は大事ですけれども、今を生き、明日を生きていくところの生活の具体的な問題を、具体的に一緒に考えていきながら歩んでいく、そういう多くの支援者を必要としているのではないかと思っています。

 このことは、本当はすぐお隣の人がきちんと支援者に、あるいはマラソンの伴走者になり得れば、私は可能な話ではないかと。でもまだ、ギャップはあります。犯罪被害者というのは、すぐお隣の人にとっては、理不尽で、悲惨で、本当につらいことには、すぐ隣の人は、どうしても腰が引けます。距離が出てしまいます。何と申し上げていいかわからないのが、たぶん、現状の本音だと思います。そこから、なかなか再び出会えることなく動いてしまっている状況があるかと思いますので、ぜひ、本日のこの後のシンポジウムは、地域として、本当は地域にいる私たち一人ひとりとして、どのように、どうしていったらいいのかということを考える機会にしたいと思います。

 予定の時間になりましたのでこれで終わります。ご清聴ありがとうございました。

パネルディスカッション

「犯罪被害者に対する地域支援」
コーディネーター:
蔭山 英順(岐阜聖徳学園大学教育学部教授)
パネリスト:
飯尾 歩(中日新聞論説委員)
長谷川 桂子(弁護士)
青木 聰子(犯罪被害者自助グループ「緒あしす」代表)
佐藤 逸代(TAV 交通死被害者の会会員)
伊吹 満喜男(安城市市民生活部次長)
オブザーバー:
高木 剛志(愛知県警察本部警務部住民サービス課犯罪被害者対策室長)
近藤 靖(愛知県県民生活部地域安全課主幹)

(蔭山)

 すばらしい歌を聴き、すこし心を癒される思いでございました。この犯罪被害者の方の支援というのは、なかなか重うございまして、取り組めば取り組むほど、私たちの心の大変さもあるわけで、それを覚悟して取り組んでいくということが大事。と同時に、すこし支援したり、あるいは相談をしたり、関わる人はいつもその意味で、また自らの心を癒す努力もしていただく必要のある中身かなと思っております。

 さて、休憩をはさんで後半のところは、パネルディスカッション「犯罪被害者に対する地域支援」です。すこし基調講演の中でお話をいたしましたけれども、コーディネーターの私としましては、愛知のこれからをぜひ考えていき、そして今回ご賛同いただいてお集りいただいている方の中には、多くの市町村のこうした窓口をつくっていただけると思われる関係の方々もたくさんお集りいただいているようにお伺いしていますので、ぜひこの市町村の中で、今後の役割を、それぞれが独自の考えがあってよろしいかと思いますけれども、考える契機としていただければと思います。また、これまでの支援に関わっていただけている多くの機関の方々は、これまでを踏まえて、さらなる展開を期待したいなと思うところであります。

 そういう意味で、このパネルディスカッションはそれぞれのお立場から、これまでを踏まえて、これからについてすこしご提言をいただけたらとお願いしてございます。とは言うものの、時間的には1時間を予定しておりますので、そう多くをお話いただける時間はございませんけれども、積極的にお話をいただいて、深めてまいりたいなと思いますので、どうぞよろしくお願いします。

 ご提言いただく順番でございますが、自己紹介も兼ねて、引き続いてお考えをご披露いただければと思います。いつもそうですが、まずは私たちがいろんな支援を考えていくときには、被害者の方の思いや考えとズレないようにしていくことが大事ということが大原則でございますので、まずは被害者の方の声をお伺いするということで出発をしたいと思います。その意味で、被害者の方の代表としては青木さんと佐藤さんがいらっしゃるわけですが、内緒の話ですがジャンケンでどちらが先かを決めましたので、青木さんからお話いただき、そして佐藤さんという順でお願いしたいと思います。その後、弁護士の長谷川さん、そして安城市の地域行政の担当の伊吹さん。

 そして実はマスコミはこれまで二次被害の諸悪の根源とも言われていました。そんなことを言うと怒られますけれども。マスコミもテレビ、ラジオ、新聞といろいろありますが、今日は地元紙の代表である中日新聞の飯尾さんにいらしていただいています。マスコミが与える二次被害というのはこれまで大いに論議をしてきたところでありまして、その二次被害を防ぐというのみならず、その反面は実は上手にサポートしていただけると、マスコミは被害者の方の代表的な支援者にもなりうるわけですので、二次被害のみならず、マスコミとしてというよりも、地元新聞社として、今後のサポートとしての新聞社という点でお話をいただけたらとお願いしてあります。そのような順番でいきたいと思います。そして、その後に県及び県警の方にすこし補っていただこうと思います。そんな展開を予定しています。

 それではさっそくですが、青木さん、お願いいたします。


(青木)

 こんにちは。青木聰子と申します。まず、今日はこういった機会をいただけて話をさせていただけることを大変感謝しております。関係者の皆様、そして会場に来ていただいた皆様にお礼を申し上げたいと思います。ありがとうございます。

 早速ですけれども、「緒あしす」は2000年の9月に、原則殺人事件の遺族の集まり、自助グループというかたちで発足をしました。ですので、まる7年が過ぎたわけですけれども、当時は本当に被害者に関係する法律もまだできたばかりのことが多く、支援というのはサポートセンターのようなところもあっても、内実、名前と中身がどうなのかというような状況で、本当に集まった私ども被害者も、支援を受けたとおっしゃった方はどなたもおられないという状況だったわけです。

 今日、3階のロビーの展示ブースに私どもも写真と一緒にまいりました。ご覧いただけたでしょうか。まだという方はぜひこの後、できるだけお時間をとって見ていただきたい。というか、実は先ほどの河合しのぶさんの歌を聴きまして、もうすでに私も、そして一緒に来られた被害者の多くの方がそうではないかと思いますが、涙をしていました。「あなたの場所から私たちが見えるでしょうか。天国から今の私たちを見ていてくれると信じて、毎日私たちは生きています」。ですので、あれは写真展示ではなく、一緒に亡くした家族が、今日この場に一人一人来ているというふうに私たちは思っています。どうぞ、そんな思いで、写真と向き合うのではなく、一人の人として、もう一度お帰りの際にボードに向き合っていただきたいというふうに思います。

 実際、私たち「緒あしす」の会には、今まで延べ47名の方にご参加をいただきました。親子のご参加、ご夫婦のご参加もありますので、事件数としては23件です。2件、行方不明というかたちで、証拠不十分で不起訴になった方のご参加もご了解を得ているわけですけれども、一口に殺人事件の遺族と言いましても、未解決の方もいらっしゃいます。そして、少年事件で情報が十分に得られなくて、つらい思いをされていらっしゃる方もあります。裁判がすでに10 年以上かかっていらっしゃる方もあります。そして、もうすでに刑事も民事も判決が出てしまった。この後、私たちに何ができるんだろうか。そんなふうな思いを抱えていらっしゃる方もあります。まさに様々です。10の事件があれば10の背景が、そしてもう一つ言うならば亡くなった方の立場、そして残された者の立場によって、思いは様々です。ということは、それに必要な支援というのは、まさに多岐にわたるというふうに思っております。法律が2004年に基本法ができました。ここ数年、被害者を取り巻く環境が法律を含めて、大きく変わっていると思います。しかし、直後の危機介入的な支援だけではなく、私たちは一生その被害を背負って、死ぬまで生きていくわけです。長期にわたる長いスパンでの支援というのも必要だと感じています。

 2000年に「緒あしす」を立ち上げたとお話しましたが、たしかその年だったと思うんですが、社団法人サポートセンターあいちさん主催の被害者支援のシンポジウムに、実はパネリストとして初めて、こういうようなかたちで話をさせていただいた覚えがあります。そのときに「ぜひ被害者の支援のための法律と制度を充実させてください」と発言させていただいたと思うんですが、それに合わせて、もう一つお願いしたのは、仮に法律・制度ができても、そこに支援をする人たちの思いやりが伴わなければ、心が伴わなければ、その法律や制度は活かされない。「ぜひ心が伴った制度を」というようなことをお話させていただいたと思います。そして7年がたって、たくさんの法改正が進み、制度が充実してきました。いま一度、そこに携わってくださっている方が職務的なお立場からだけではなく、被害者に思いを寄せていただいているか。もし、自分がその立場であったらどうか、人として被害者に関心を持っていただいているかというところを改めてお考えいただければと思います。そうすることによって、このできた新しい法律・制度がうまく運用、活用されていくのではないかということをお願いしたいと思います。それがまず一点目です。

 それに加えてもう一つ、今日はこの会場に、例えば行刑施設の関係の方、あるいは矯正施設の関係の方もお運びいただいているのではないかと思います。今まで被害者の対岸にあると言われてきて、けっして交わることはないのではないかと言われてきましたが、ようやくここ数年、被害者の視点を採り入れた教育ということで、そういった施設でも更生教育が始まったと思っています。相手を見なければ反省も謝罪の気持も生まれない。刑事裁判に被害者が参加できる制度が、裁判員制度よりも早く始まるわけですけれども、その根本に被害者と加害者が向き合っていくという原点がなければ、反省も謝罪も生まれない。再犯が減るはずがない。そんなふうに思っています。

 先ほどブースでこの12月から制度がスタートするという、名古屋の保護観察所のパンフレットも拝見させていただきました。気持としては、今まで加害者側のことに取り組んできていただいた方に、被害者のことをどれだけ思いを寄せていただけるかという不安が大変あります。けれども、今まで知り得なかった情報もたくさん得ることができるのではないか。そう思うと、大変期待もしたいと思うわけです。

 これは先ほどの関係機関の方にお願いしたことと合わせてですけれども、そういった新し く支援をしてくださる方々、そして本日のテーマでもあります、市町村でこれから犯罪被害者の相談窓口が出てくると思いますが、そういういった担当者になっていただく方に、ぜひとも被害者のことに精通していただきたいと思っています。法テラスのほうも被害者支援のために弁護士さんを紹介してくださる制度が入っているわけですが、そこには被害者のことに精通した弁護士さんを紹介していただくというくだりも出てきます。ぜひ、どの機関においても犯罪被害者に精通した方を担当に、窓口に置いていただきたいなと思います。それにはそういった研修制度への資金も必要になってくると思いますし、いわゆる相談を受けていただく方の人材の育成も必要になってくると思います。そういったかたちでお願いをしたいと思います。

 市・町の取組みとしては、安全・安心なまちづくりということで、かなり自治体でも取組みをしていただいているのを感じております。自分が住んでいる町内でも、町内の方が黄色いジャンバーを着て、見まわったりしている姿も拝見するわけですが、是非安全・安心なまちづくりをもう一歩踏み込んで、「では、お隣さんが被害に遭ったらどうするか」という視点を、そこに採り入れていただきたいと思います。最後の「ふるさと」という歌、あの歌を聴きながら、まさに今、自分が生まれ育った町を考えたわけですが、蔭山先生の言葉にもありましたが、被害者は特別な人ではありません。被害者の落ち度を探して偏見を持つのではなくて、そういった被害者を一人ぼっちにさせない。そっと見守って支えていっていただけるまちづくりを、ぜひ安全・安心なまちづくりのところに加えていただきたいと思います。ひとまず、私からは以上です。


(蔭山)

 ありがとうございました。まとめることはせずに、次の佐藤さんにまいりたいと思います。お願いします。


(佐藤)

 皆さん、こんにちは。名古屋市在住の佐藤逸代と申します。私は平成17年7月17日に三姉妹の真ん中の娘、次女を交通事故によって亡くしました。今年の7月で三回忌を終えたわけですが、その間に様々な思いを抱えて、遺族として感じることが多々ありました。まず、その事実についてすこしお話をさせていただきたいと思います。

 最初に思ったことは、被害者という立場はいつも世間の風潮として、被害者側にも何か落ち度があったから、そういう被害に遭ってしまったのではないかという思い、感情がいつもつきまとっているのだということを痛いほど感じてきました。特に交通事故の場合は、運が悪かったとか、仕方がないことだというふうに片付けられる風潮があることも、遺族としてはとても心痛く、本当に苦しい、つらい思いをしてきました。現実に私自身の娘の翌日の新聞の報道には「あまりにも不運」という見出しがつきました。それというのも、娘は交通ルールに則り、赤信号待ちをして、歩道上で待っていたところで、交差点で2台の衝突事故が起き、そちらの一つのクルマが流れて娘に当り、即死するという事故でした。ですので、「あまりにも不運」という見出しがついたのであると理解はできましたが、しかし、現実的には赤信号を無視して交差点に入ったという加害者がいるという事実。その事実に目を向けられたことはなかったのではないかという、そういう思いがすごく心に響いて、その新聞はいつまでたっても、何度見ても心に突き刺さるものがあります。

 交通事故というと、今は飲酒運転などで未必の故意というふうに話されることが多いのですが、どうしても交通事故の場合は大半が過失であるというとらえ方をされがちです。たしかにすこしのミス、落ち度があっての事故かもしれませんが、過失であれ、故意であれ、加害者が存在する犯罪であるということを忘れてはならないとすごく思いました。現実に、世の中の風潮として、交通事故被害者や被害者遺族というものが軽くとられているのではないかということを、検察庁、司法の場合においても感じることが多々ありました。

 現実に、今日私が「被害者週間」国民のつどいに出ることを、お友達にランチに誘われてお断りする理由でそのことを伝えましたら、すごく親しくしているその友人ですが、彼女の言った言葉が「どうして犯罪被害者に佐藤さんが出るの? パネリストとして参加するの?」という答えが返ってきました。彼女にとっては、犯罪被害者の中には交通事故被害者は含まれていない、属していないということなのです。ただ、彼女が特別なのかというと、そうではなくて、ここにいらっしゃっている方は違うかもしれませんが、世の中の多くの方は交通事故被害者というのは犯罪被害者とはすこし違うという、そんなところの視点があるのではないかと感じていますが。そういう世の中の風潮を彼女の言葉が顕著に表わしているのではないかなと感じました。

 また、被害者という立場に置かれるわけですが、やはり交通事故が軽く扱われているという部分がどうしても否めないことがあります。多くの方が「仕方のないことだから」とか、「姉妹がいてよかったね」とか、「時がたてば忘れるよ」とか、そんな感じで慰めの言葉として伝えてくださるということがわかっているので、それに対して、例えば「違うよ」とか、「そうじゃないよ」という反論ができないわけです。ですから、そういうふうに言っていただいたときは「ありがとうね」とか、「うん、そうだね」という返事をただ交わすという状況になってしまうわけですが。

 私はTAVという会に入らせていただきましたが、そのなかにはお子様を亡くされた遺族の方がすごく多いです。もちろん愛する方を亡くすということは、想像を絶するに余りある悲しみと辛さが襲ってくるわけですので、子どもだからと言って、何か変りがあるのかというと、違うわけですが、しかし、子どもというのは母親としては自分の命に代えてでも守ってあげたいと思うものです。ですから、やはり自責の念とか、自分を許せないという思いがずっとずっといつまでもつきまといます。これはたぶん、たとえ10年20年の月日を重ねても変わらないことだと思います。やはりそんなときに慰めの言葉で、例えば「思ったより元気そうだね」とか、「もっとげっそりしていると思ってた」とか、「立ち直りが早いね」とか、「強いね」と言われることは、すごく鋭い矢となって心に刺さってきます。でも、やはり先ほど申しましたように、慰めの言葉として言ってくださることがよくわかっているので、それに対して反論することができない。

 結果どうなるかというと、外に出ることを選択しない、家の中にいる、友達との距離を置く、学校やPTA、保護者の会合にも出ないという状況に自分を持っていくことが、一番安全で安心であると考えてしまうわけです。そうなるとどうなるかというと、孤独感が襲い、自己嫌悪がより膨らみ、結局は悪循環の中に陥っていくことになってしまいます。特に先ほども蔭山先生がおっしゃったのですが、地域というのがすごく大切です。実は一番被害者の気持を理解していただき、コミュニケーションをとっていかなかなくてはいけない場は、現実として日常生活の場なのです。ですから、隣人であったり、友人であったり、知人である、生活をする上で自分に一番近い人たちに、本当は私のこの思い、遺族の思いをくんでほしい、思いをはせてほしいという感情が常にあります。それは今現在でも変わっていません。

 そういったなかに置かれるわけですが、交通事故の被害者の場合は司法もいろいろなかたちで関わってきます。起訴になる場合、不起訴になる場合、略式起訴になる場合、また裁判も刑事裁判が行なわれるのですが、そちらのほうもまったくと言って、わからない状況にある日突然身を置かれることになります。そういったなかで、いろいろなストレスを抱えながらすごしていかなければいけないのですが、私がそういった体験で感じたことは、とにかく誰でもいいから手をさしのべてほしかった、という思いがすごくあります。実はサポートセンターあいちのことも知っていました。でも、私は電話をかけることができませんでした。先ほど蔭山先生もおっしゃったように、被害者・遺族が直接電話をとって、電話をかけるところまで行くのは、ずいぶん時間がたって、自分が生きるという、前を向くという気持が生まれて初めてできることなのです。それにはそんなに早くの時間で電話をかける気持にはなれませんでした。どうしたかというと、刑事裁判が始まり、右も左もわからないことが始まっていくなかで、ホームページを毎日寝ないで朝まで検索して、私はTAVという会に行き当たり、会の活動の中で支えていただき、刑事裁判も終えることができました。

 ですので、私が今思っていることは、やはり生活していく上で、一番関わっていく地域住民に一番理解してもらいたい。そして、私たちが苦しい思いをした、つらい思いをしているときに手をさしのべてもらえる状況があったら、どれだけ楽だったろう、どれだけ救われただろうと思っています。先ほど青木さんもおっしゃいましたが、やはり交通事故の被害者と言っても一人ひとりが同じわけではありません。それは家族間においても家族での感情が違ってきます。ですから、そういった一人ひとりに向き合ったケアをきちんとできるような状況が、私たちが望んでいることではないかと思っています。誰もが幸せに生きる権利を持って生まれてきているのだと思います。ですから、自分たちの苦しみや自責の念や、自分を許せない思いや悲しみを分かち合える場所があり、明日への生きる希望を見いだせる場所が必要ではないのかと思います。そういった支援がよりきめ細かなところで、一人ひとりのところまで落ちたサポート体制がなされていくことが必要ではないかと、今そう感じています。以上です。


(蔭山)

 ありがとうございました。冒頭にお二人の被害者の方のご意見を頂戴しました。これからはサポートする側のお気持やお考えをお伺いしていきたいと思います。それでは弁護士の長谷川さん、お願いいたします。


(長谷川)

 弁護士の長谷川桂子と申します。弁護士になって約11年ぐらいです。愛知県弁護士会の犯罪被害者支援特別委員会の副委員長をしております。青木さんのお話は、私は今までにも何度かお聞きしてるのですが、聞く度に本当に胸に迫るというか、自分たちのやっていることも問いかけなければいけないという気持にいつもさせられます。そういったお話の中で、この地域の弁護士会での取組みについてお話したいと思います。

 弁護士会というところは、そのときそのときの社会問題などを見まして、消費者の委員会ですとか、民暴の委員会ですとか、そういったものが時代に合わせてできていくところです。犯罪被害者の支援については、すこし遅れておりまして、弁護士会の中で犯罪被害者の支援について勉強会とか、部会のようなものが始まりましたのが、平成8年頃、正式な委員会として立ち上がりましたのが平成12 年頃になります。先ほどサポートセンターあいちができたのが2000年頃だとか、「緒あしす」も2000年ぐらいにできあがったというお話がありましたが、そういったなかで、被害者の方々が声を出してきたところで、弁護士が何ができるのか、被害者の方がどんな状態に置かれているのだろうか、そういったところから始めてきました。

 最初は被害者のお話をとにかく聞く。それから心理の専門家の方に被害者の方々の心理状況について聞くというところから始めました。弁護士にかかわるお話というところでは、やはり被害者の方からのお話では、弁護士が専門家でかかわることが多いのですが、刑事手続の弁護人というかたちで登場したり、交通事故の損害賠償の相談を受けたりというなかで、専門家としてむずかしい言葉でドライに対応するとか、失礼なことを言ってしまうとか、そういうような耳が痛いお話がたくさんありました。他方、弁護士のサポートを受けたことがあるという方からは、刑事手続の説明を受けられて、何が目の前で行なわれているかどうかがわかってよかったと、そういうようなお話もいただけましたので、びくびくしながらも、でも弁護士にできる支援というものがあるのではないかというところで模索をしてまいりました。

 もともと弁護士は弁護士業務としては刑事弁護、告訴とか損害賠償など、特に犯罪被害者支援ということではなく、今までもそういった仕事は行なわれていたのですが、犯罪被害者の方を見据えて支援の必要性ということで考えてきたわけです。具体的に言いますと、平成12年2月から、まず被害者サポートセンターあいちの電話相談へ法律相談の弁護士派遣を始めました。心理的な対応について、私たちもまだ自信がなかったものですから、サポートセンターあいちの電話ボランティアの方と一緒に組んで、電話相談を受けられるというのは、とても心強い経験でした。

 それが始まりまして1年すこしたったところで、弁護士会でも独自に無料の電話相談を始めまして、週1回、毎週金曜日に3時~6時まで無料の電話相談を専用の電話番号で受けています。毎回だいたい5件~10件、3時間の間ずーっと担当弁護士が相談に応じているというかたちで、今まで続いております。

 次に取り組みましたのが、平成15年から法廷エスコートと言って、法廷の傍聴に弁護士が立ち会って、目の前で行なわれていることについて解説を行なうというようなことをしております。

 弁護士がこういった相談業務にかかわるにあたって、やはり弁護士が二次被害を与えてしまうと大変危険ですので、相談員の弁護士に対して研修を行ないます。これは相談員だけでなく、弁護士会の会員全体にも開かれた研修にしていますので、相談員以外の弁護士にも参加してもらって、被害者の心情、置かれた状況などについて理解のある弁護士が増えていき、そういった裾野が広がっていったらいいということで、そういった会内の活動もしております。

 こういうふうにいろいろやっているわけですが、今、説明したものはすべて待ちの姿勢というか、受けの姿勢というか、被害者の方がこちらにアプローチしていただいて、初めてそこから支援が始まるということですので、今いろいろお話があったなかで、まず手をさしのべてほしかったというお話のところが、なかなか支援がつながらないなといつも思っています。

 そういった意味で、今日のテーマの「地域での支援」というところに入りますが、弁護士も弁護士へのアクセスをしやすいようにという努力をするのはもちろんですが、地域で弁護士へつなぐ、お医者さんにつなぐ、そういったコーディネートをしていただける方々が育ってくるとよいのではないかと、いつも思っております。とりあえず、これぐらいにしたいと思います。


(蔭山)

 ありがとうございました。それでは地域のほうに入っていきたいと思います。実は今回の企画で、愛知県下で一つの新しい動き・展開がなされている場所をお願いをしましたところの一つでございます。安城の伊吹さんにお話いただきたいと思います。お願いします。


(伊吹)

 安城市の市民安全課長の伊吹と申します。私どもの担当職務としては、防犯と交通安全を担当しています。現在、安城署に設置されています、安城・知立被害者支援連絡協議会がございまして、そういったところの関係窓口にもなっております。冒頭、先生のほうからこれからの提言という話もあったわけですが、愛知県内の自治体の代表という格好で若干荷が重いところもありますが、私どもの関連する機関のこれまでの取組み状況を中心にお話をさせていただきたいと思います。

 まず、安城・知立被害者支援連絡協議会は平成11年に設置されているわけですが、この協議会の会長さんが被害者の理解を非常に強く思っている方で、平成16年から毎年幅広く、市民の方にこういった被害者支援の重要性についての講演会を開催しております。平成16年の10月には「被害者支援フォーラム・安城」ということで、今日の基調講演と同じ、蔭山先生から基調講演をいただきました。その後に、「緒あしす」の代表の青木さん、それと西尾在住の永谷さんも交えて、今日と同じようなパネルディスカッションをやらせていただきまして、多くの方にそういった現状を訴えさせていただきました。

 翌17年も同じく知立大会ということで、知立でそういった講演をさせていただきました。18年の4月には、これは主催が三河・安城のロータリークラブ、いわゆる企業が中心でしたが、これも蔭山先生から犯罪被害者の理解を求める講演をいただきました。そのときは対象者は企業の方でしたので、企業の責務としては雇用の確保といった話を強くされたことを覚えております。また、今年、つい先だっての11月の中旬、今日会場にもお見えのようですが、西尾市で同級生のストーカーにより娘さんが被害に遭われた、永谷さんから被害者の立場のお話を1時間余り、それまで遺族として苦労されたことを安城の幅広い方に聞いていただきました。

 安城市の取組みはまだ十分とは言いませんが、昨年の8月に行政としても被害者支援の理解が不足しているということで、特別職も含めた部長、課長を集め、県警本部の住民サービス課から担当者を講師としてお招きし、被害者支援の現状や、今後自治体に積極的に協力してもらわなければならないといった話をお聞きしました。皆さんもご承知の通り、平成17年に安城市内でスーパーで乳幼児の殺傷事件という、本当に痛ましい事件があったわけですが、たまたまその講師の方が遺族の方の窓口ということで、そういったお話もお聞きしました。当然のことながら、母親にとっては1年半以上たっても、なかなか簡単に傷が癒えるものでなく、警察からもどこかでお話していただきたいと言っても、なかなかそういった場では話ができないような状態だったということを覚えております。

 私どもは実際問題、それぞれのセクションで担当者が被害者支援に当たらなければならないわけですが、そういった知識もなかなかありませんでしたので、同様に住民サービス課からお越しいただき、今年の1月に10課の担当者を集めて、勉強会を実施したところでございます。

 その後蔭山先生の基調講演にもありましたけれども、自治体に求められているのが、やはりまずは住宅の確保というお話もございまして、うちの建築の担当者が積極的にそういったことを理解して、この4月1日から犯罪被害者等の安城市営住宅の入居取扱要綱の中で優先入居というかたちで要綱を制定しております。まだ、要綱の中身も安城市内17の市営住宅がありますが、そのなかで比較的入居しやすい11の市営住宅を指定しまして、優先入居の要綱を整備したところです。ただ、これも常に市営住宅の中の1室を、何かあったときに常時空けているような状態ではなく、あくまでも一般の方に先んじての優先入居ですので、まだまだいろいろな面で不備なところがあると思います。

 また、私ども市民安全課の防犯係に犯罪被害者支援に関する総合窓口ということで、規則で事務分掌にも入れさせていただきました。安城市も行政の支援をスタートしたばかりですので、被害者の方から見れば、とても十分な状態とは言えないと思います。今日ここにお見えの多くの自治体のなかでは安城市以上にサポート体制が進んでいるところもあると思いますので、これを契機に一緒になって被害者支援が進めばいいかなと思っています。


(蔭山)

 ありがとうございました。それでは中日新聞の飯尾さんに、新聞ということでマスコミというといろいろあると先程お叱りをいただきましたので、新聞社のお立場から今後の積極的に支援する側としてのご発言をいただければと思います。


(飯尾)

 無理もないもないなと思うんですね。ここへ来て、関係者の方に何度も何度も「ありがとうございました」と言われたんです。登壇を引き受けてくれてということだと思うんですけれども。どう考えても、客席、壇上の視線がこれほど突き刺さるシンポジウムに出たことがありません。つまり、それだけ答えを出しにくい。なるべく率直に話させていただきますが。ずーっと考えていました、今までお話を聞きながら。

 なぜ報道機関というのは、あえて頑固に報道機関という言葉を使わせていただきます。今のところ、マスメディアということではなくて、報道機関という言葉を使わせていただきますが、間違いなく事件があれば、被害者の側に立つべき役割を担った機関であると思います。ところが、なぜ二次被害を起こす諸悪の根源のようになってしまったのかということを、先ほどからずーっと考えていましたが、なかなか答えが出ない。ただ、今朝のテレビなどを見ますと、やはり香川の讃岐の事件で、「もうやめとけよ」というぐらい、しつこいというか、あまり意味がないというか、そういう映像が繰り返されているのを見ると、イメージとしてそういうふうになっても仕方がないなという気もしてならないのです。理屈で考えても答えがでないので、今ずーっと考えていたときに、ふと1枚のイメージと言いますか、記者になりたての頃の経験が像として浮かんだので、そのことをちょっと脈絡なくお話させていただきたいと思います。

 新聞記者になって2年目、私は岐阜県の大垣支局というところにいました。ちょうど年末の今ごろですが、名古屋本社の社会部から、当時愛知県はダントツに交通事故死者が多く、ワーストワンと言われたんです。僕自身は去年の事故の死者と今年の事故の死者が10人減ったとか20人増えたとかというふうに、数字を比べても仕方がないと思っているほうですが、多いので、なんとかそれの抑止になればということで、そのとき僕自身納得していませんでしたが、交通事故死者が100人単位で、100人目のときに100人の顔写真を全部載せてみようと、そういうことを考えた方がいらっしゃるのですね。どなたか知らないですけど、本社の編集の偉い方で。100人目に100人、200人目にまた100人、300人目にまた100人。そのときは400人以上行きました。400人目にまた、301人目から400人目という顔写真を見開きでわーっと並べたんです。ご記憶の方、おありかもしれませんけれども。

 これも愛知県内ということだったのですが、愛知県内で亡くなった岐阜経済大学の学生さんの顔写真を探してきてほしいという依頼を受けました。岐阜経済大学は大垣市にありまして、亡くなった方は大垣市在住の方でした。4年生でしたから22か3だったと思いますが。そのときいやですよね、本当に。ご両親にいただくしかないので、お電話しました。「息子さんのお写真いただきたいんですが」と。その前にその新聞記事を読むかぎりでは、お一人息子さんで、なおかつ卒業後の就職も決まって、将来を楽しみにしておられた。亡くなられてほやほやのその人のところへお写真をいただきに行くというのは、本当に胃袋がひっくり返るような経験だったんです。

 僕自身、その100人の顔写真を並べる意味というのが、よくわかっていなかったのです。未だにわかりませんけれども。ただそのときにはどちらかというと職業的良心というよりも、職業的義務感として「息子さんの死を無駄にしないためにも、生前の元気なお写真を皆さんに見ていただいて、こんな元気な方が交通事故で命を奪われるんだということを訴えていただきたい」と。抑止につなげたいということを本当に必死で話しました。その言葉に心があったかどうかというのはわからないのです。ただ、一生懸命話して、「じゃあ、けっこうです。それほどまでにおっしゃるのでしたら、用意しておきましょう」と言っていただいた。

 そこからそのお宅へ向かったのですが、雪の降る日でした。クリスマスの1日前です。鮮明に覚えています。電話をおかけしました。大垣市内でも郊外にある家で、「ちょっとわかりにくいですから、近くまで来たら、お電話くださいね」というようなことをおっしゃったんです。国道から畑のあぜ道を分け入っていくところですが、そのへんからご連絡いただければと言っていたのですが、雪の中にぼんやりと男女二人の姿が見えたのですね。分岐点のところにお父さんとお母さんに立っていていただいた、雪の中を。「よく考えたら、この近くに電話ボックスはないから、ここまでお迎えにあがりました」と。それで封筒に入った写真を大事に出していただいて、「息子の写真です。お役に立つでしょうか」と。その後、「この子が生きた証に新聞に載った写真を送ってくださいね」と言われた。

 僕が帰っていくときに、雪の中をずーっと見送っていてくださるんですよ。バックミラーにその人の姿が映った。映る間はクルマを走らせましたけど、ご両親の姿が見えなくなったときに車を運転できなくなったのは、僕は雪のせいではなかったと思います。

 先ほど先生が地域というキーワードを与えていただいたときに、自分自身の中にすこし光明が見えたような気がしたんですけども、地域という言葉、これを大事にしていくこと、これが一部すれ違ってしまった。本当は犯罪を抑止したい、被害者の側に立つのは当たり前です、報道機関が。それがすれ違ってしまったものならば、それをもう一度もやい直すために必要なのは、やはり地域という観点ではないか。具体的なことはなかなか申し上げられませんけれど、当たり前のことをもう一度、僕自身のなかでかみしめたいということを三つ考えてみました。

 一つ、これは当然のことです。「被害者の側に立つ」。当たり前のことです。これを忘れたら、報道ではありません。次に、報道する意味を自分なりに考え続ける。三つめは事件なり、事故なり、それに関わった人たちとの関係をその場限りのものにしない。地域ということを考えると、その場限りのものにはならないのですね。僕の中でマスメディアの報道の違いと地域の報道機関の違いというのは、僕らはこの地域でずーっと生きていきます。職業人としてはこの地域で生まれて、この地域で死んでいく存在です。ですから、この地域を離れることはできません。東京からわーっとクルーでやってきて、引っかき回して、それで終わりというわけにはいきません。

 ですから、その初期の報道の段階では関係者の方々、被害者の方々とディスコミュニケーションやすれ違いがいっぱいあるでしょうけれども、それをフォローアップしていくなかで、基調講演の中で先生がおっしゃった「被害者の声に耳を傾ける人になっていく」。それから青木さんがおっしゃった「一生この地域で背負っていく人間関係」の中にわれわれも入り込む。記者個人で無理だとしたら、それを代々引き継いでいく姿勢というのは必要だと思います。事件はそこで終わったわけではないし、犯罪がなくなったわけではない、交通事故が撲滅されたわけではない。そこのなかで一人一人が関わった事件・事故を背負いながら関わり続けていく姿勢というのが、地域のマスメディアの使命ではないかという気がいたします。

 そのためにはまず通り一遍のことですけれども、そういう視点に立った記者教育をわれわれ自身徹底する必要がある。記者教育と言っても、座学ではないと思います。僕が感じたような経験を地方の記者というのはできるのです。中央の大マスコミからしてみれば、小さな出来事の中に、職業人としてだけでなく、本質的に人間として身につけていかなければいけないことがいっぱいある。それを大切にして積み上げていくという、そういう経験を与える環境をつくるということだと思います。

 そして、もう一つは、特に事件の初期の段階、先ほど長谷川先生がおっしゃった、地域に引きこもりがちな、孤立しがちな被害者と弁護士、あるいはお医者さんを結びつけていくコーディネーターが必要だと。そのまた弁護士さんあたりに被害者の声を――その場ではなかなかメディアに対して声を出す勇気、その気分にならないというのは当然のことです。ですから、それに代わって、その場で代弁できるような窓口になるようなコーディネートをしていただける、そういうことが地域の仕組みとしてできてくると、初期のコミュニケーションが、一番最初のボタンのかけ違いというのが起るリスクが減るのではないか。そんなようなことをぼんやり考えていました。以上です。


(蔭山)

 ありがとうございました。今日は県と県警がオブザーバーで出ていただいています。あまり時間がございませんけれども、これからの展開で考えておられる重要なポイントをお話をお伺いできればと思います。


(高木)

 時間が押していますが、警察が取り組んでいます被害者支援についてお話させていただき、地域に根ざした支援についてのヒントになればと思います。

 まず警察における被害者支援についてお話したいと思います。これは愛知県警察だけでなく、全国警察を含めての話ですが、警察で本格的に被害者支援が始まったのは平成8年であります。これは警察庁で被害者対策要綱が策定され、それにもとづいて愛知県警でも、私が勤務しております犯罪被害者対策室ができ、ここからスタートしております。したがって、警察における被害者支援対策の歴史は11年になります。

 そして、その11年のなかで感じたこと、今日は自治体の方もお見えになりますし、地域の支援ということで、どういうかたちで被害者支援をしていけば、青木さん、佐藤さんに十分満足していただけるような支援になるのかを踏まえて、4つほどご紹介します。

 まず1つ目は業務を担当する体制が必要ではないかと思っています。今申し上げましたように、私、警察本部の住民サービス課犯罪被害者対策室に勤務しておりますが、やはりこういった支援をきめ細かくやっていくためには、中枢となる、司令塔となるセクションが必要ではないかと思います。そして、また広く県下隅々まで支援をしていくためには、県警察では各警察署にも専門家がいなければならない、専門の体制がなければならないので、各警察署には、当初は被害者支援係という名称で設置したのですが、現在は住民サービス係という係がどこの警察署に行ってもあります。したがって、被害者の方が「被害者支援について相談があるんですけど」と言えば、警察本部で言えば対策室、警察署で言えば住民サービス係に行かれれば、被害者支援が受けられるようになっています。

 2つ目は、青木さんのお話でもあったのですが、専門家が必要と。青木さん、佐藤さん、またコーディネーターの蔭山先生のお話を聞いて、被害者支援というのは正直言ってなかなかむずかしそうだなと思われた方が多いのではないかと思っています。また、私も当初そうでした。そういう意味から、やはり専門家が必要だと思います。警察におきましても、専門家を養成しています。被害者支援要員という言い方をしていますが、警察官のなかで被害者支援に必要な研修を受けさせた者を各警察署に配置しておりまして、県下全体で900 人になりますが、被害者支援のノウハウを持った者を配置しています。そういった要員がいなければいけないのかなと思います。そして、またカウンセリングも非常に重要で、県警では採用の段階から臨床心理士を若干名ですが、採用して、適切なカウンセリングができるような体制をとっています。そういった意味で、いずれにしても専門家が必要かなと思っています。

 3つ目が財政的な措置がどうしても必要だと思います。今、2つ申し上げましたが、係が必要、当然働く人が必要、カウンセラーが必要。カウンセラーを採用するには給与措置も必要ですが、支援をしていく上で被害者の方々に、より一層経済的な負担をかけてはいけないということがございますので、警察の段階で接する被害者の方については経済的な負担をかけないようにということで、県財政当局に予算的な措置をお願いし、年々増やしていただいています。財政的な措置が必要――お金が要るということですね。

 4つ目が、これも青木さんがおっしゃったのですが、個々の意識が一番大事だと思います。思いやりということばを先ほどおっしゃっていましたが、今言ったような3つの形が出来ていても、被害者に対する思いやりがなければ、適切な被害者支援は出来ないと思っております。

 警察におきましては、教養機関ということで、警察学校があるのですが、警察官の卵から、各階級の幹部教養まで行っている総合的な教育機関ですが、ここで初任科教養といいまして、採用したての警察官の卵から、各階級の幹部教養、また刑事、交通、生安、それぞれの専門家の専門的な教養の段階において、カリキュラムの中に被害者支援のカリキュラムを入れ込んで、被害者の立場とか心情とか、被害者の立場に立った警察活動とは、という授業をして、警察官一人ひとりの意識の定着をはかっております。こういった4つの施策によって、被害者支援というものがうまくいくのではないかと考えています。

 そして、将来への提言ですが、佐藤さん、青木さんのお話を聞かせていただきますと、支援というのは非常に多岐にわたる、多様にわたる、そしてまた長期的な支援が必要だと。一人ひとりへのきめ細かい支援が必要というお話がありまして、非常に貴重な提言だったと思います。我々としては、まさにそれに向けた活動をしていますし、またそういった方向性があるということで、ご紹介しておきたいと思います。

 まず、多岐にわたる支援とか、一人ひとりに対してきめ細かい支援については、被害者支援だけでなくて、警察活動全般に言えることですが、やはりこれは県民の立場、住民の方々の立場、視点――被害者対策で言えば被害者の立場・視点を踏まえた被害者支援が必要だと強く認識しています。そういった意味で被害者一人ひとりの声を聞いていくという姿勢が必要であります。そして、まさに被害者一人ひとりの声が警察が取り組む被害者支援のヒントになるのではないかなと思っています。被害者の声にもとづいた被害者支援の施策を充実させていくことが、一人ひとりに対するきめ細かな被害者支援ができるのではないかなと思っています。

 もう一つ、長期的な支援ですが、警察における被害者支援というのはやはり限られています。財政的、人員的、期間的な面から、どうしても警察で行なう被害者支援は簡単に申せば、例えば裁判が始まるまでの非常に短期的なものです。しかしながら、今日のパネリストのお話を聞くと、非常に長期的な支援が必要だということが、皆さんおわかりになったと思います。そこで大事なのは、例えば警察においては「警察はここまでしかやりません」「できません」「あとは何もありません」では被害者の方は救われません。今回、壇上には上がっていないのですが、主催の中の一つに入っています、「社団法人被害者サポートセンターあいち」は愛知県で唯一公益法人として認可されている民間被害者支援団体です。ここが警察同様というか、警察以上に被害者の支援、サポートをしております。

 ですから、警察でできない部分があれば、例えば被害者支援が必要な方々に対して、このサポートセンターあいちを紹介させていただくとか、またサポートセンターあいちと県警察とは緊密な連携を保っていますので、途切れのない被害者支援をしていくことが犯罪被害者等基本法の理念の一つですが、途切れのない被害者支援をしていくために、きちんとした引き継ぎをサポートセンターあいちにしています。また、サポートセンターあいちだけでなくて、そういったところはどうも利用しにくいという方もお見えになりますので、そういった方については、今日お集りの、例えば青木さんで言えば「緒あしす」さんとか、佐藤さんが加盟しているTAV さん、自助グループと言いますが、そういった自助グループの中でも被害者支援をやっています。そういう機関を紹介していただくとか、連携をしながら途切れのない支援をしていくことが警察に課せられた使命と思っています。長期的な支援とはそういったものかなと思っています。参考になればということで終わらせていただきます。


(蔭山)

 それでは近藤さん、お願いします。


(近藤)

 愛知県の地域安全課主幹の近藤と申します。ただ今、県警の高木室長からお話がありましたが、県警さんはかなり前から取組みをしていただいています。愛知県の場合は、冒頭の挨拶でもありましたが、まちづくり条例の中に犯罪被害者の支援を規定してありました。ところが、実際具体的にいろいろな対応は各部局でそれぞれやっていると。ただ、犯罪被害者支援という打ち出しが十分されていないというところです。

 皆さん方が、今日お持ちのプログラムの裏側に主な被害者の相談窓口がついています。そこで見ていただきますと、県警さんですとか、いろいろな関係機関が載っています。実は県も真ん中あたりに精神保健に関する相談ということで、愛知県の精神保健福祉センターですとか、その下の県民相談で中央県民生活プラザ、以下プラザと書いてあるところとか、その下の子どもの虐待・児童に関する相談で児童相談センターというものがそれぞれ入っております。ところが、犯罪被害者の方がそれではどういうときに、どこに相談するのかと。こういうところがまだきちんと一覧できるようなかたちになっていない。これが愛知県としての当面の取組みの重要な課題ではないかなと思います。実はこの8月に、冒頭、副知事が代読した挨拶の中でもありましたが、県政モニターアンケート調査をやりました。犯罪被害者支援に関してのモニターアンケートです。500人ぐらいを対象にしたモニターですが、約7割の方が自分も犯罪に遭うのではないかという不安を感じていると言っています。さらに、それでは経済的、精神的な被害に遭ったときに相談できる機関を知っているかという問いかけに対して、約7割の方は知らないと答えています。このへんはかなり広報不足なのかなと考えています。

 もう一つは、ついこの間、内閣府が出された「犯罪被害者白書」で、総合的対応窓口が全国の都道府県と政令市を入れて28しかないと新聞に出ていました。その28でないほうに、実は愛知県は入っていまして、総合的対応相談窓口がないということですね。これはまずいということで、私どもも危機感を持っています。この総合的対応窓口、つまりそこに聞けば、どこで、どういうことをやっているかということがわかるような窓口が、やはり必要だろうと考えています。これについては、なるべく早めに私どもも決めまして、積極的な広報をしていきたいと考えています。

 併せて、今の相談窓口がどんなところで、どんなことをやっているのか。理想は県の中の機関だけでなく、プログラムの裏に入れたように、いろいろなところがわかるものができれば一番いいのかなと思います。今年は無理としても、どこに、どんなことを相談に行ったらいいのかがわかるような広報的なリーフレットなどを作っていきたいと、現在考えています。これがすこしでも犯罪被害者の皆様の支援に役立てばと思いますが、まだまだ県としては足らないところばかりです。これから一緒になって勉強して頑張っていきたいと考えています。


(蔭山)

 ありがとうございました。予定の時間を5分早めに始めながら、すでに5分をオーバーしております。でも、それぞれのパネリストから貴重なご意見をいただけたので、私は大変よかったかなと思います。十分ディスカッションする時間が残っておりませんので、私のまとめを持ちまして終えたいと思います。

 地域の支援というのが、これから、あるいは今のテーマですということの確認をぜひしたい。具体的にどうするか。これは各市町村で、またその一番上にあります県も連携をして、県全体、それが大ざっぱな全体ではなく、それこそ隅から隅にこの思いと施策が行き届くような、そういう地域を愛知県はつくっていきたいと。

 具体的に地方自治体の責務が基本法にうたわれていますが、これまでの全国的な経過の一つとしては、先ほど安城さんの話があったように、被害を受けた方の市営住宅等の公営住宅への優先入居権は、具体的にいくつかの市町村で考えられています。被害に遭われなかった方は、どういうことだろうとお思いになるかもしれませんが、これは被害に遭った場が我が家であることは非常に多いわけです。被害に遭った我が家では、その日から心理的にも、物理的にもそこで生活することができない状況になることが非常に多い。そうすると、その日から生活をする場を奪われてしまう。犯罪被害に遭っただけでも大変なのに、生活の基盤としての家を奪われてしまうこと、それに対して今の市町村が、「それは大変ですね。どうぞ」と言って提供してくれるシステムになっているかというと、なっていない。その点がまず市町村でできることなのではないかということで、一つは動いていることであります。

 もう一つは、家があればいいかというと、実はそうはいかなくて、家もそんなに長くお借りするわけにはいかない。やはり元の生活に戻れるような被害者の方の努力ももちろんされるわけです。その際に必要な気力も大変なのですが、お金も非常に大事です。そういう点で、経済的な支援もすぐ自分の市・町で起きた犯罪被害であるので、相互扶助、サポートするのが当然ということで、例えば東京都の杉並区等では「お貸ししましょう」というような制度を設けています。こういう思いなのですね、地域が。

 ですから、今日の討論の中で具体的に「何を」ということまでなかなか行きにくい状況に今、愛知は立っていると思いますけれども、少なくともこれを出発点にしていただいて、我が市・町ではどうしていこうかと。それはすべての方がおっしゃっておられるように、被害者の側に立って、わからなければ、ぜひ被害者の声にしっかり耳を傾けていただき、何から手がけていったらいいのかを被害者の方と、この市・町が連携をしていくこと。そして、いま一つ、今日は多くの地域の方々がいらしていただいているので、単独という発想ではなくて、やはり近隣市・町が連携をしてということも非常に大事ではないか。単独でそれぞれの施設を持つというのはある部分ロスもあります。そういう点から言うと、例えば市営住宅の入居にしても、実は空いているときには、お互いに協力しあう。遠くの距離はむずかしいですが――等々を含めた、これまでの被害者支援が点と点、そしてそれをつないだ線、それの網目模様まではいかなくて、たぶん平行線が何本かあっただけのようなところを、ぜひ愛知は面という形に近い将来なっていくような被害者支援の展開を考えていきたいと思います。

 どうぞ多くの方のご理解とご支援と積極的な取組みをお願いし、このパネルディスカッションを終えたいと思います。どうもありがとうございました。