第1節 市民生活と薬物問題

1 薬物問題に対する市民の意識

 薬物問題の解決には、取締当局が薬物の不正取引の取締りを強化するとともに、市民が問題の所在を十分に自覚し、薬物乱用への対決姿勢を強めることが極めて重要である。
 警察庁は、平成3年に、我が国の一般市民が、薬物問題についてどのような認識を持っているのかについて世論調査を実施した(注)。
(注) 本調査は、(財)公共政策調査会の協力を得て、民間の調査専門機関に依頼し、3年3月から4月にかけて実施した。調査は、東京都並びに名古屋市、大阪市及び福岡市に居住する20歳以上の男女から無作為に抽出した2,000人の対象者にアンケート票を郵送し、無記名で回答を求める方法により実施し、1,060人から回答を得ることができた。
(1) 薬物問題に対する関心
ア 関心の高さ
 薬物問題に対する関心については、36.6%の者が「非常に重要な問題

表1-1 薬物の乱用による害悪をめぐる問題への関心

であり、大変関心がある」と回答している一方、58.0%の者が「非常に重要な問題ではあるが、自分には関係が薄いのであまり関心がない」と回答している(表1-1)。
イ 薬物犯罪に巻き込まれる不安
 平成2年に総務庁が実施した世論調査によれば、「薬物犯罪」に巻き込まれる不安を感じている者は4.5%にすぎないが、「殺人・強盗等の凶悪犯罪」については16.6%、「家の中に入る泥棒」については14.6%、「暴力団による犯罪」については13.5%の者が不安を感じている。
 これは、薬物犯罪は、被害者と加害者の区別があいまいな犯罪であり、その他の犯罪と比べて「巻き込まれる」というイメージが沸きにくいため、不安をあまり強く意識することがないことなどによるものと推測される。

表1-2 薬物に係る事件の検挙人員(平成2年)

 しかし、薬理作用による錯乱を原因とする事件、事故、薬物入手目的の強盗、窃盗等の犯罪、取引の過程で生じる紛争による事件、事故等、薬物によって様々な社会的な害悪がもたらされている(表1-2)。
 また、先に述べた警察庁の実施した世論調査によれば、「今までに薬物を乱用しようと思ったことがある」と回答した者は1.9%、「今までに薬物乱用に誘われた経験がある」と回答した者は2.2%に上っており、一般市民自身が薬物乱用に陥る危険性は決して低くはないものと考えられる。
(2) 薬物問題の現状に対する認識
 我が国の薬物問題の現状について「非常に深刻な状況にある」と認識している者は35.8%、また、将来、薬物問題が「非常に深刻な状況になる」と認識している者は49.9%に上っている(表1-3)。

表1-3 我が国の薬物問題の状況についてどう思うか

 一方、「米国などの諸外国で薬物乱用問題が深刻な問題となっている」ことを認識している者は全体の90.5%に上っているが、そのうち80.8%の者が「そうした諸外国の状況が我が国に影響を与える」と認識している(表1-4)。

表1-4 諸外国の薬物乱用の状況は我が国にも影響を与えるか

(3) 薬物に関するイメージ、知識
ア 薬物に対するイメージ
 薬物に関するイメージを否定的イメージと肯定的イメージに分けて調べてみると、いずれの薬物についても否定的なイメージが肯定的なイメージを上回っており、中でも、覚せい剤及びあへん系薬物については、否定的なイメージの回答の割合が高い。しかし、大麻については、否定的なイメージの回答の割合が比較的低いことが注目される(図1-1)。
 具体的なイメージを薬物ごとにみると、いずれの薬物についても「暴力団、やくざ」と回答した者が最も多かった(表1-5)。

図1-1 薬物に対するイメージ

表1-5 薬物の具体的なイメージ

イ 薬物の危険性に関する知識
 現在、我が国でその乱用が問題となっている代表的な薬物について、一般市民がその危険性をどの程度認識しているのかについて調査した結果、覚せい剤については75.9%の者が「数回の乱用で心と身体に障害が生ずる薬物であると思う」と回答しており、覚せい剤の乱用が心身に及ぼす危険に関する市民の認識は比較的高い(図1-2)。

図1-2 薬物の危険性の認識

 これに対し、近年急激にその押収量、検挙人員が増加しているコカインについては、「数回の乱用で心と身体に障害が生ずる薬物であると思う」と回答した者は51.9%にすぎない。なお、大麻についてもコカインと同様の傾向がみられる。
(4) 薬物問題に対する姿勢
 「薬物の乱用を法律で禁止するのは当然である」と考えている者は93.3%に上っている(表1-6)。また、薬物問題を解決するために必要な対策として「薬物密売者をもっと厳しく取り締まる」を挙げた者は

表1-6 薬物乱用の違法性の認識

83.2%、「薬物が海外から入ってこないように国外の機関との連携を強める」を挙げた者は76.5%であった(表1-7)。

表1-7 薬物問題に対して、今後どのような対策が必要だと思うか

(5) 薬物の危険性の認識と薬物乱用の関係
 米国国立薬物乱用研究所が、同国内の高校生に関して調査を実施した結果、コカインの入手可能性の認識率、危険性の認識率及び乱用率の間に相関関係があることが明らかになった。すなわち、コカインに関する危険性の認識率が低下すると乱用率は上昇し、反対に、危険性の認識率が上昇すると乱用率は減少している(図1-3)。
 このように、薬物乱用の危険性の認識率と薬物の乱用率とは密接に関連しており、薬物乱用者の多くは、薬物乱用の危険性について十分な知識を持たず、好奇心や快感を求めて安易に乱用を開始していると推測される。
 既に述べたとおり、我が国の場合は、薬物の危険性に関する認識が必ずしも高いとは言えず、薬物の入手が容易になれば、乱用が拡大する可能性が高いものと考えられる。そのため、広報啓発活動等により薬物に対する正しい認識を普及させていくことが、今後、乱用者の増加を防いでいくために重要であると考えられる。

図1-3 コカインの入手可能性の認識率、危険性の認識率及び乱用率の推移(1975~1988年)

2 薬物乱用者の実態

 警察庁は、平成元年から3年にかけて、薬物乱用者の実態調査を実施し、薬物乱用に至る経緯、薬物乱用のもたらす影響等を明らかにした。
(1) 覚せい剤乱用者
 覚せい剤乱用者の実態調査は、平成3年1月から3月までの間の覚せい剤事犯検挙者で、乱用の事実が確認されたもののうち、1,755人について実施した(注)。
(注) 本調査は、各都道府県警察において実施し、数値の統計上の処理については、(財)社会安全研究財団の協力を得た。
ア 職業別状況
 乱用者の検挙時の職業をみると、無職者の割合が高く、全体の40.6%を占めている。有職者の中では、製造・建設業者、土木建築関係労働者、交通運輸関係従業者、風俗・飲食業従業者等が多い。また、乱用開始時には31.0%にすぎなかった無職者の割合が、検挙時には40.6%にも上っていることが注目される(表1-8

表1-8 覚せい剤乱用者の職業

イ 暴力団との関係
 「自らが暴力団員である」と回答した者は全体の24.3%、「親しい知人に暴力団員がいる」など自らは暴力団員ではないが暴力団と密接な関係を持っている旨回答した者は31.8%である。
 一方、暴力団とは「関係はない」と回答した者は40.5%に上り、覚せい剤の乱用が、暴力団とは無関係の市民にも広がっていることがうかがえる(表1-9)。

表1-9 覚せい剤乱用者と暴力団との関係

ウ 乱用期間
 乱用期間が1年に満たない者が27.8%である一方、乱用期間が10年以

表1-10 乱用を始めてからどのくらいの期間がたつか

上にわたる者が22.3%に及んでいる(表1-10)。
エ 乱用の動機
 乱用の動機として、「どんな気持ちになるのか経験してみたかった」と回答した者は64.7%に上っており、好奇心から乱用を開始するケースが多い(表1-11)。

表1-11 覚せい剤の乱用の動機

オ 入手方法等
 52.1%の者が密売者から覚せい剤を入手している一方、乱用者仲間から入手している者も35.6%に上っている(表1-12)。また、80.0%の者が、暴力団関係者である可能性のある者から覚せい剤を入手していると答えており、覚せい剤の流通における暴力団の関与が極めて強いことをうかがわせる(表1-13)。
 これまで覚せい剤の購入に費消した金額については、10万円以上50万円未満と回答した者が最も多いが、1,000万円以上費消している者も2.3%いる(表1-14)。

表1-12 覚せい剤の入手先

表1-13 あなたが覚せい剤を入手していた者は暴力団関係者か

表1-14 これまでに覚せい剤にいくらぐらいお金を使ったか

カ 覚せい剤以外の薬物の乱用経験
 35.0%の者がシンナーの乱用経験を持っており、他の薬物の乱用に比べシンナーの乱用が覚せい剤の乱用と密接な関連を有していることが推測される。また、大麻の乱用経験者も19.7%に上っている(表1-15)。

表 1-15 覚せい剤以外でこれまでに乱用したことのある薬物

キ 覚せい剤乱用の影響
 乱用者が感じている覚せい剤乱用の影響は、表1-16のとおりである。
 54.9%の者が覚せい剤の摂取時には「頭がすっきりした」と回答している一方、12.0%の者が平常時には「頭がぼけた」と回答しているなど、摂取時と平常時との落差が特徴的であり、その落差から来る不快感から逃れるために、乱用を繰り返すことも多いと考えられる。また、10%から20%の者が妄想、幻聴、幻覚を訴えており、覚せい剤の乱用によって次第に異常な精神状態へ陥っていく様子がうかがわれる。
 乱用開始後の生活への影響については、「家族を顧みなくなった」など、家庭生活への悪影響を挙げた者が多かった(表1-17)。
 一方、覚せい剤乱用の健康への影響については、「歯が悪くなった」と回答した者が32.5%、「ひどく食欲がなくなった」と回答した者が31.7%、

表1-16 覚せい剤の乱用を続けた劾果

表1-17 覚せい剤を乱用するようになって、生活はどう変わったか

「ひどく体重が減った」と回答した者が30.7%、「ひどく体力がなくなった」と回答した者が30.1%等となっている。
ク 乱用中断の意思
 乱用者の97.2%が乱用をやめたいと考えている。その理由として、「家族に心配をかけるから」を挙げた者が59.6%と最も多い(表1-18)。

表1-18 どうして乱用をやめたいと思うのか

 一方、乱用をやめたいと考えている者のうち、38.3%の者は「やめたいがやめられない」又は「やめる自信がない」と回答しており、乱用者にとって、継続的な乱用の中断がいかに困難であるかが明らかになった。乱用をやめられない理由としては、「意志が弱いからやめられない」と回答した者が57.7%と最も多かった(表1-19)。

表1-19 どうして乱用をやめられないのか

(2) コカイン乱用者
 コカイン乱用者の実態調査は、平成2年中のコカイン事犯検挙者で、乱用の事実が確認されたもののうち、65人について実施した。
ア 職業別状況
 乱用者の検挙時の職業をみると、無職者は全体の23.1%にとどまって

表1-20 コカイン乱用者の職業

いるのに対し、会社員等の事務職員が30.8%に上っている。これを覚せい剤の場合と比べると、事務的、管理的業務に従事する者の割合が格段に高いことが特徴的である(表1-20)。
イ 暴力団との関係
 乱用者のうち暴力団員が占める割合は16.9%であり、暴力団員と交遊関係がある者を含めても全体の24.6%を占めるにすぎない。覚せい剤と比べると、暴力団と乱用者の関係は薄く、乱用者層の違いがうかがわれる。
ウ 乱用開始時期
 2年に乱用を開始した者が33.3%、元年に乱用を開始した者が41.5%である。
エ 乱用の動機
 好奇心から乱用を開始したと回答した者が全体の50.8%を占め、友人等から勧められて乱用を開始した者も35.4%に上っている(表1-21)。

表1-21 コカインの乱用を始めた動機

オ 入手先
 入手先として友人、知人を挙げた者が43.1%と最も多い。また、無償で入手している者が33.8%に上り、覚せい剤と比べると、組織的な密売 ルートがまだ確立していないことがうかがわれる。
カ コカイン以外の薬物の乱用経験
 コカイン乱用者のうち、69.2%の者が大麻の乱用経験を持っており、覚せい剤の乱用経験者も30.8%に上るなど、コカイン乱用者には、その他の薬物の乱用経験を有する者が著しく多いことが注目される(表1-22)。

表1-22 コカイン以外でこれまでに乱用したことのある薬物

キ 海外における乱用経験
 今回の調査の対象となったコカイン乱用者のうち、海外でコカインをはじめとした薬物の乱用経験を持つ者は、40.0%に上っている。そのうち53.8%は海外でコカイン乱用を開始し、帰国後も乱用を続けていた。
(3) 有機溶剤乱用者
 有機溶剤乱用者の実態調査は、平成3年2月から3月までの間にシンナー等の有機溶剤の乱用で補導された少年のうち、877人について実施した(注)。
(注) 本調査は、各都道府県警察において実施し、数値の統計上の処理については、(財)公共政策調査会の協力を得た。
ア 乱用の動機
 乱用の動機として「仲間がやっていたから」と回答した者は61.8%に上っており、友人の影響が強いことが特徴的である。また、「どんな気持 ちになるのか経験してみたかった」と回答した者は55.4%で、好奇心から乱用を開始したケースも多い(表1-23)。

表1-23 シンナーの乱用の動機

イ 入手先
 入手先として、友人を挙げた者が56.3%と最も多い。有機溶剤については、毒物及び劇物取締法の規定に違反して、不法にこれを販売している密売者が存在しており、入手先としてこの密売者を挙げた者も22.2%に上っている(表1-24)。

表1-24 シンナーの入手先

ウ 覚せい剤乱用の意思
 覚せい剤の乱用経験がある者は、全体の1.4%である。覚せい剤の乱用経験はないが乱用してみたいと思ったことがある者は、8.2%であるが、乱用してみたいと思ったことのある者のうち、その理由として「どんな気持ちになるのか経験してみたかった」を挙げた者が59.7%に上っており、好奇心から覚せい剤を乱用してみたいと思った者が多い。また、「シンナーよりもいい気持ちになると聞いていたから」と回答した者は26.4%に上り、より強い快感を求めて覚せい剤乱用へ移行する危険性が高いことが推測される(表1-25)。

表1-25 覚せい剤を乱用してみたいと思った理由

(4) 薬物乱用の特徴的傾向
ア 安易な乱用の開始
 覚せい剤、コカイン及び有機溶剤のいずれについても、好奇心から乱用を開始するケースが圧倒的に多い。しかし、いったん乱用が開始されてしまうと継続的な乱用が行われる傾向が強く、この継続的な乱用の中断には大きな困難が伴うことは、乱用者の実態調査結果等から明らかである。
イ 乱用する薬物の変化
 薬物乱用者は、シンナー、大麻等の薬物から、覚せい剤、コカイン等の薬物へ乱用の対象を移行させる傾向が強いと言われている。今回の調査においても、有機溶剤、大麻の乱用と覚せい剤の乱用、大麻、覚せい剤の乱用とコカインの乱用の間には強い関連性が認められる。
 また、平成元年に検挙したヘロイン事犯の被疑者の分析から、ヘロイン乱用者のほとんどが大麻乱用の経験を持ち、より強い快感を求めてヘロインに移行していたことが明らかになっている。
ウ 新たな層への薬物乱用の拡大
 米国等の例をみると、薬物の乱用者層は、薬物の流通の形態、薬理作用の種類等によって、大きく左右される傾向が強い。我が国においても、例えば、これまで覚せい剤の乱用には比較的縁が薄いと考えられてきた事務的、管理的業務に従事している者の間で、コカインの乱用が広まりつつあり、これには、我が国におけるコカインの流通の形態が覚せい剤とは異なっていることも大きく影響しているものと考えられる。
エ 海外での薬物乱用経験の増加
 コカイン乱用者は、海外での薬物乱用経験を持つ者が多く、特に、海外渡航中のコカイン乱用がきっかけとなって帰国後も乱用を続ける例が多い。また、ヘロイン乱用者についても、同様の傾向にあることが認められる。


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