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コラム10 民間犯罪被害者支援団体による東日本大震災への対応

東日本大震災の被災地では、復興に向けた取り組みが進められています。

ここでは、民間犯罪被害者支援団体による東日本大震災への対応に関する記事(※)を紹介します。

○公益社団法人みやぎ被害者支援センター

3月11日(金)午後2時46分。震度7 マグニチュード9の大地震は突然起きた。

「地震だー」立つことも座ることもできなくなり、「みんな机の下にもぐって!」と叫ぶ声を聞きながら、机の下に入ったが体がとばされそうで机の脚にしがみつき、部屋中のロッカーが倒れる音、食器類が割れる音、「怖い!助けて」若い職員の泣き叫ぶ声に、誰もが一瞬死を覚悟していた。

地震が落ち着くと部屋の散乱はひどく、電話相談員の一人は腰が抜けて立てない状態、廊下に出ると各部屋の人達が顔色をなくして凄かった、怖かった・・と立ちすくんでいた。

大小のロッカーは全て倒れ書類散乱、額縁、大花瓶、茶器類、ポット、電話等落下、壁ひび割れ、ドアの開閉など不都合等々事務室、面接室、研修室は足の踏み場もない状況に全員呆然と立ちすくむだけであった。

〔被災直後の動き〕

翌日から後片付けも出来ないまま、鳴り続ける遠方からの家族安否確認の相談電話に対応する傍ら、足の確保ができ来所できるスタッフが手分けして、センター全員の安否確認を行い、全員の無事が確認されたのは震災から8日後のことだった。

一方、自助グループ会員や現在、直接支援で関わっている被害者等の安否確認の作業に入ったが、県内各地の全員に連絡がとれたのは一ヶ月もかかっている。身内を亡くしたり、家を流された被害者等もいることを知り、犯罪と震災の両被害に慰めの言葉もない。

最大の被災地である沿岸部の支援員は、継続支援中の殺人被害者ご遺族の安否を気遣い、交通手段も断たれ、電話も通じなかったため、瓦礫と余震が続く中を歩いてご遺族の避難場所を探し歩き、ご遺族と対面するや抱き合って無事を喜び合ったとの報告もあった。

〔支援の経緯〕

震災後6日目警察本部から当センターに、「身元不明確認・安否確認のため連日ご遺族等が遺体安置所を訪れ警察官や県職員が不眠不休で対応しているが、ご遺族等の悲嘆の深さに現員でのサポートには限界がある。これらご遺族等のサポートカウンセリングの対応支援を要請したい」と県内で最大のご遺体安置所となった県総合体育館「グランディ21」への派遣要請があった。

即、理事長に連絡、当センター定款第3条に基づき支援要請に応じることを了解し、県警本部犯罪被害者支援室長と当センター事務局長による事務レベルでの打ち合わせを行い、翌日からの支援活動となった。

〔主な支援の内容〕
  1. ご遺体の写真掲示板での対応
  2. 遺体安置所への付添同行
  3. ご遺族からの要望や悲嘆の傾聴
ご遺体の写真から家族を捜す方に寄り添う。スタッフは白いベストを着用。
ご遺体の写真から家族を捜す方に寄り添う。スタッフは白いベストを着用。
ご家族に対応するスタッフ
ご家族に対応するスタッフ
捜しに来る方の為に資料整理
捜しに来る方の為に資料整理
〔記録簿から見る支援員活動状況〕
  • 流される寸前まで父親と車内にいて、一人降車したという大学生の長男、その後津波がきて父親が死んだのは、自分のせいだと責める彼に「悪いのは貴方ではない。津波です」と支援員が肩に手を置くと、長男はハラハラと涙を流し、母親は我々に静かに頭を下げた。
  • 祖父の遺体に泣き崩れる小学生の孫、「おじいちゃんの顔いい顔ね。苦しそうな顔してないよ」と言うと「じいちゃん誰かを助けようと逃げなかったんだ」と誇らしげに言い切る。
  • 5歳の娘と祖父が波にのまれ、娘の遺体写真を見つけた若い両親「娘は5年しか生きられなかった!」と号泣。手を握りしめ係員と遺体安置所に同行。棺の前で再び泣き崩れる。背中をさすり、辛さ、悲しさに共感、「思いきり泣いてもいいのですよ」と言うと「泣いてもいいのですか?」と顔を上げた母親に黙ってうなずく。母親は棺の娘にしばし語りかけ、助けてやれなかったことを詫びて「これからじいちゃんを探しに行きます」と我々に感謝し気丈に帰る。
〔支援員のストレス、代理被害の軽減等〕

災害支援活動の中でも、遺体関連業務は最も過酷な業務のひとつであると言われている。

支援員それぞれが、その悲惨さ、恐怖等の強烈な感情をこらえ、しかも余震、寒さ、自分達の家の被災や食料調達問題等のストレスを抱えながら、最後まで士気が下がることなく任務を終了できたのは、支援員同士が毎日の車中での語らいの中で、心の安定を保てたことや、センターで待ち受けるスタッフの細やかな労い、気遣い、さらには、全国ネットはじめ各支援センターの暖かい支援があったからである。

○公益社団法人いわて被害者支援センター

県の施設で、鉄筋コンクリート3階建の堅牢な建物の2階部分に入居している。3月11日の地震は震度6弱とこれまでに経験したことがない激しい揺れを感じた。

地震発生時、事務所には事務方3名、隣室の電話相談室に支援活動員2名が勤務していた。棚から物が落ちたりはしたが部屋外に退避し人的被害はなかった。

〔被災直後の動き〕

地震発生直後に電気・水道・電話等のライフラインが停止したので、当日は午後4時にセンターを閉鎖し帰宅させた。

13日(日)電気・電話が一部開通したので、専務と事務局長がセンターに出勤し理事長以下役職員等の安否確認を行い全員が無事であることを確認した。

センター業務は14日(月)から平常通り実施した。

14日(月)緊急5役会議を開催し、今後の活動について討議し、

  • 相談活動は、盛岡市及び近郊の支援活動員で対応し間隙を生じさせない。
  • 県警に対して、「被災者支援については、人員を限定して支援したい。」旨を申し入れする。

等を確認した。

〔主な支援業務〕
  1. 韓国の被害者支援団体からの義援金の県への贈呈
  2. 警察本部長からの要請による臨床心理士の派遣
  3. 沿岸被災地12市町村及び管轄5警察署へのお見舞い・慰問の実施

○公益社団法人ふくしま被害者支援センター

「平成23年3月11日午後2時46分」は大地震と巨大津波が発生し、東北の太平洋沿岸部に大被害をもたらし、その上、福島県内ではこれらの被害に起因する原子力発電所の事故により放射能汚染が広まった。

〔被災直後の動き〕

14日(月)を待って、全支援活動員等の安否確認を行い、全員無事を確認。

当センターの定款には被災者支援事項について明記がないこともあり、史上最悪の災害に直面し、「何をなすべきか」、「何をしなければならないのか」を考えた。

  1. 当センターで培った知識や経験が有効に活用できることが多いのではないか。
  2. 1とするならば、それらを社会に還元することも大切なのではないか。
  3. 大被害に直面している福島県民のために何かを為すべきではないか。

早速、県内避難所を調査したところ、県北部での最大の避難所は、福島第1原発から約60km離れている「県立あづま総合運動公園あづま総合体育館」であることがわかり、「被災者支援相談コーナー」を開設し、4月から6月の平日及び7・8月の週3日、合わせて81日間で延べ約1,800件の相談やお茶を飲みながらの歓談の相手となることができた。相談や話題の内容は、避難生活への不安や不満、仮設住宅を含む住宅問題、放射能被害への不安、東京電力や行政への不満、健康問題等切実なものが多かった。

被災者支援相談コーナー

○公益社団法人いばらき被害者支援センタ-

3月11日は2名が勤務中で、棚の物が落下するなどしたが怪我人はでなかった。震災直後の支援員の安否確認は困難であったが全員無事を確認。事務所建物は3月23日入室可能となり、事務所復旧後、25日から支援活動を開始。

〔被災直後の動き〕
  • 電話相談、直接支援活動は通常通りとする。
  • 常磐大学が福島県から受け入れた中・高校の転入生からの要請に対しては、被害以外の要求であっても支援する。

上記方針を定め待機していた。

○公益社団法人千葉犯罪被害者支援センター

3月11日に発生した東日本大震災は、千葉県成田市、印西市で震度6弱、その他多くの市町村で震度5強を観測し、津波による被害や液状化による被害など多くの被害が報告されている。

事務所内もロッカー等が倒壊し、職員は近くの公園に避難をした。現在は通常に電話相談や直接支援活動を行っているが、事務所建物は耐震検査の結果、建物自体が取り壊されることとなり、11月25日に緊急避難的に現事務所に移転を余儀なくした。

〔被災直後の動き〕

被災した方々に対し「ガイドライン」~「出来事」の後の、ストレス反応(自然で、正常な反応)として、誰にも生じる心や体の変化をあらわしたもの~を作成し、関係市町村を経由し、避難所等にいる被災者の方々に配布した。

※認定NPO法人全国被害者支援ネットワーク 2011.12.15発行「被害者支援ニュース第5号」より引用

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