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犯罪被害者等に係るコラム


コラム:犯罪被害者等の手記


「性犯罪被害への理解」

小林美佳

私が被害に遭ったのは今から10年前、平成12年8月31日のことです。当時は、東京の〇〇〇に住んでいました。仕事が終わり〇〇駅に着いて、駅から家まで自転車で帰る途中に、少し嫌なことがあったので、いつもの明るい道ではなく回り道をして帰ろうとT字路を右に曲がると、そこに止まっていた車の運転手に呼び止められたのです。「〇〇〇駅までの道を教えてくれる。」と聞かれました。

私は「あっち」と首で教えたのですが、その運転手は、「あっちじゃわからないから、この地図で教えてくれる。」と運転席にある地図を開いて見せてきました。面倒だと思いながらも私は自転車を降りて運転席に近づいて地図を覗き込もうと思ったら、今度は、車の後部座席からもう一人別の大きな男が出てきて、いきなり私の自転車のハンドルにかかっていた私のカバンを奪って車に乗り込んだのです。


私はひったくりだと思い、大事なカバンだったので、直ぐに返してくれと手を伸ばしたら、そのまま、どのように連れ込まれたのかわからないのですが、後部座席に連れ込まれて、知らないうちにタオルで顔を全部隠されて、気がついたらお腹の上に男の人が乗っていました。

耳では何か大きな音楽が鳴っているのが聞こえました。動こうと思うのですが手足を押さえられているし、お腹の上には男の人が乗っているので動けません。キャーと大声を出すこともできず、どうしようと思っていたら、耳元でカッターナイフをカチャカチャと出す音を聞かされ、「騒ぐな」とか「切っちゃうよ」とか色々言われて抵抗するのをやめました。そして、ズボンのベルトを切られ、よく覚えていないのですが、ズボンを下ろされてレイプされたのです。


私は思い悩んだ挙句に何とか警察に届出をし、警察での聴取を終えて帰宅したのが次の日の午前3時か4時だったのですが、6時には目を覚まして仕事に行きました。休む理由がわからなかったし、風邪を引いたわけでもないし、提出しなければならない大事な書類を預かっていたので、仕事を休む方法も思いつかないまま、そこからまた普通の生活に戻っていきました。

表向きは仕事も行ける。食事はできないにしても、決まった時間にちゃんと会社に通っている。特に何も問題がないように見えるかもしれないけど、家でテレビを見ていると、知らない間に夜中になっていてテレビが砂嵐になっているとか、仕事帰りに電車に乗ると、その電車に何往復も乗り続けていたりとか。

記憶が飛んでしまって、寝ているわけではないけれども、それに気づかない自分がいたり、電車で痴漢に遭うと犯人のことを思い出して吐くという反応が私の体に残ってしまったり。電車に乗って痴漢に遭わなくても、少し卑わいな表現がされている雑誌の広告を見たり、スポーツ新聞の見出しを見るだけで吐き気をもよおしてトイレに駆け込むことも何度もありました。

そして、世の中は、こういう卑わいなものを楽しむようにできているんだ。私はただその楽しむための対象にされただけなんだ。犠牲になるべき存在として生まれてきただけなんだと、どこかで自分を納得させていたのです。

自分が悪いとか自分を責めるつもりはないのだけれども、世の中がそういうものを肯定しているのだからしょうがないと考えるしか、自分を落ち着かせる方法を見つけることができなかったのです。


その後、結婚もしましたけど、夫から激しく子どもを求められることにどうしても耐えられなくて離婚しました。

何で私の気持ちは理解されないのだろうと思いながらずっと過ごしていたのですが、あまりにも窮屈すぎて苦しくなり、無我夢中で助けを求めたのがインターネットの世界でした。


インターネットの世界では、自分を吐き出せる場所がありました。ネット上にある自助グループや掲示板では、これまでに話してきた、記憶が飛んだり、フラッシュバックを起こすという私の症状が、会話の中で当たり前のように話されていました。

そして、そこで私は、私と同じ頃に同じ被害に遭った女の子と出会い話をするようになったのです。


わかってもらえない、窮屈という同じ思いをしているただそれだけなのですが、理解してもらえる人に出会えたというのが私には最大の救いとなり、そこから急激に生活が立て直され、気持ちが大きく変わって、やっときちんと物事を前向きにとらえられるようになったような気がします。


私は、その後、2,000人もの性犯罪・性暴力の被害者の女性から話を聞いていますが、その女性達が一番何を求めているかというと、私と同じく、理解してくれる人に出会いたいということだと思います。

私が話を聞いた2,000人の被害者の女性の中で、警察に届け出た人は、たったの20人位です。要するにたったの1パーセントしかいないのです。それほど、被害に遭った人たちは話せずにいます。偏見などないのかもしれないけど話を聞いてもらえる、話せるような環境が身近になさ過ぎるということなのかもしれません。ましてや自分に対して手を差し延べてくれる人だと思っている人から理解されないとなるともう二度と話をするのはやめようという選択をする被害者もいると思うのです。


私と同じような性犯罪の被害者が一番求めていることは、気持ちを理解して欲しいということです。

別に犯人が捕まらなくても、あるいは罰せられなくても、そういう人に出会えるということが性犯罪被害者にとっては救いなのです。そこでしか救えないのではないかと思うのです。

どうかこのような気持ちをわかっていただき、性犯罪被害者の理解者になっていただけたらと思います。


「尽くす捜査とは」

警察署勤務 巡査部長 女性

まだ夜が明ける前に携帯電話が鳴った。

管内において強盗事件が発生、被疑者を追跡した店員1名が被疑車両にひかれ、意識不明の重体。

非常召集の連絡を受け警察署へ行くと「検視要請が入っている。H病院へ行ってくれ。」との指示で、すぐに被害者が搬送された病院へ向かった。

病院に着いて、救命センターに入り、ストレッチャーに寝かされている被害者を確認した時、私はまだ被害者の名前を正確に覚えていなかった。そのご遺体は、私にとってまだ「強盗殺人事件の被害者」であった。

彼の名を何度も呼びながら、まだ温かさの残る傷だらけの彼の体を懸命にさする母親の姿を見るまでは。

そして、その後、被害者支援にあたり、彼の母親から彼が懸命に生きた人生について聞き、彼は私の中に生きづいた。

私は、伝えなくてはならないと思った。

全ての捜査員に、そして、法廷へ、彼の人生と遺された被害者遺族の声を届けなければならない。

彼の人生を知らずして、「その先にあったであろう多くの可能性を閉ざされてしまった無念」を伝えることはできない。

彼を愛する人達の声を聞かずに、彼を失った思いは届けられない。

それらを伝え初めて、その人生を閉ざした加害者へ罪責を問うことができるのではないかと思った。

時に、人には肩書きがつく。

私達のように「警察官」という職場の肩書きだけではなく、地域の中でも、「誰々ちゃんのお母さん」であったり、「誰々さんの息子さん」であったり。

そういった肩書きは、ある意味、その人の本当の部分を覆い隠してしまうことがある。

私は「被害者」も同じだと思う。

多くの捜査員は、事件の内容は把握していても、その事件で被害にあった「被害者」としてしか認識しない。

どんな人生を歩んできた人なのか。

どういう性格の人なのか。どんな夢を持っていたのか。

理解せず、真の意味でその名前を呼ぶことができない被害者のために、捜査を尽くせるのか。

私が警察官でなく、子を亡くした親の立場であるなら、そう思ってしまうかもしれないと感じた。

やり場のない怒りや悲しみから、捜査側にさえ心を閉ざしてしまうかもしれない。

「あなた達は仕事だからやっているんでしょう。」

「本当に亡くなった被害者のことを考えて、そのために仕事をしていますか。」

そう叫んでしまうかもしれない。

寝ずに捜査を尽くす捜査員の実情を知っていながらも、なお、そうしてしまうかもしれない悲しみを想像した時、心が震えた。

被害者の親から話を聞き、その心情を調書という形で記録化して欲しい。その指示を受けた時は、唸るしかなかった。

心が震えるような悲しみをどのようにして言葉にできるのか。

人に伝えることができるのだろうか。

それ以前に果たして聞き出すことができるのだろうか。

悩んだ末に出した結論は、自分の嘘偽りのない正直な気持ちを素直にぶつけることだけだった。

わかった振りなどできなかった。わからないけれど、理解したい。

捜査に携わる者に伝え、生きた捜査がしたい。

法廷へ声を届けたい。

そういう自分の気持ちを言葉を飾らずに被害者の母親へ伝えた。

彼女は、黙って私の話を聞いた後、ゆっくりと頷いて、

「3000グラムちょうどで産まれたんですよ。」

と静かに話し始めた。

その後、彼の写真を1枚1枚見せてくれながら、彼が生まれた時の感動や喜び、反抗期もあった成長の過程、そして、これから彼が歩んでいくであっただろう人生への思いを丁寧に語ってくれた。

見せてもらった写真に写っている彼は、どれも幸せそうに笑っていた。

私の心には、彼の笑顔と母親の言葉が重く響いた。

『この先、お嫁さんをもらって、孫を抱き、その子の成長とともに親になっていく息子を見たかった。大きな幸せなど望みはしません。贅沢も必要ないんです。平凡でいいから、幸せに過ごす姿を見ながら、心安らかに人生を終えたかった。今は、それが叶いません。親が子供を送り出さなくてはいけない辛さを、言葉に言い尽くせない心の痛みを犯人にも感じて欲しい。捜査に携わる方々に、まっすぐに人生を生きた息子を知っていただきたく、お話ししました。ご苦労をおかけしますが、どうぞご尽力いただき、真実を明らかにしていただきたいと思います。また、裁判官が、公平な立場で裁きを下すということは、理解出来ます。けれど、一時でもいいのです。私達の心に、自分の心を重ねてみてほしい。もしも、子供をお持ちの方なら、自分のお子さんに息子の姿を重ねてください。子供をお持ちでない方なら、自分の親御さんに私の姿を重ねてください。そうして心に痛みを感じていただいた上での裁きであるならば真摯に受け止めたいと思います。この気持ちをお伝えいただきたいのです。』

作成した供述調書を読んで聞いてもらった時、彼女は、時に笑みを、時に涙を浮かべながら、静かに聞いてくれた。そして、読み終えた私に向かって、深く深く頭を下げた。

被害者遺族の気持ちを真に理解することは出来なくても、その気持ちに心を寄せることは出来ると信じたい。

被害者のために尽くす生きた捜査こそが、真の被害者支援につながるものなのだから。


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