被害者等の方々の手記

 

 嘆願書

匿名希望

 交通事故により、最愛の長男(当時15才)を亡くしました。事故は平成13年2月27日、中学校から帰宅途中に起きました。高校受験を目前に長男は悪質な飲酒運転及び脇見運転の車に撥ねられ、意識不明の状態のまま、同年3月15日に短い人生に幕を降ろしました。私は子供の死を受け入れられず、苦しみました。2才違いの妹が居りましたので、その子のために生きていたように思います。

 さて、加害者は自宅から徒歩で10分もかからない所に住んでおります。加害者が近くに住んでいる事もあり、色々な情報が耳に入ってきました。常に酒を飲んで運転していたこと、事故後も飲酒運転は続いていた事等です。事故が起きてから数日も経たないうちに、加害者の方から、地元の市会議員を中心として嘆願書が集められ、警察署に提出されました。病院から離れられない私達夫婦には何もできないままの状況でした。同じ地域で加害者と被害者が生活をするのはとても辛いことです。地区の行事への参加等、何もかも私は出来なくなりました。加害者の謝罪もありません。この嘆願書について思ったことは、加害者が飲酒運転、脇見運転をして交通死亡事故を起こしている事実に署名をするということは、それが正しいと認めることです。田舎ならではの風習があり、地域の人、親戚、友人、知人等その方から頼まれたら断れない、村八分になる等の理由で署名したという方もいたのです。でも、地域の人でも私達のことを考えると署名できないと言われた方もおりました。嘆願書が提出されたことは、私の心に深い傷を残しました。まず、家から出られなくなったこと、そして近くのマーケットでの買い物が出来なくなったことです。マーケットでは「大変でしたね」と頭の先から足の先まで視線をおとされ、亡くなった子供の同級生のお母さんからの「お陰様で昨日、高校の入学式でした。」という何気ない言葉に返す言葉もなく、只涙をこらえるのが精一杯でした。加害者は私の自宅の前を車で通ります。バス停も自宅の前にあるので、そこから加害者の奥さんが子供達と一緒にバスに乗ります。何故平気でその様なことが出来るのか、私には理解出来ません。私は今、自助グループに入会する事により、ようやく生活している状況です。私の住んでいる小さな地区で嘆願書が提出され、今ではもう8年も経つんだからと思っている人達も多いでしょうが、まだ私は事件当時のままの気持ちです。地区の人から裏切られたと思っています。娘が成長するのを見るたびに15才で止まってしまった長男の事が毎日の様に思い出されます。民事裁判を起こしましたが、これには大変協力してくれた地区民の方がおりました。これはとても有り難く感謝しております。そして自助グループが有った事が良かったと思っております。まだまだ立ち直れない私ですが、これからは残された家族、色々協力して下さった方を思い生活していかなければと思っています。

 

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