第5章 被害者等の方々の手記

 喪の作業(グリーフワーク)が進まない

矢野 千恵

 家族の死は受け入れ難いものです。それがわが子だと、尚更受け入れ難いです。理性ではこの世にいないことは分かっていても気持ちが納得しません。ましてや、わが子が見知らぬ赤の他人に刺し殺されたと考えるだけで3年経った今も頭の中が混乱してきます。何故?どうして私の子どもが?

 犯人は精神障害者でした。10代で統合失調症と診断されてから20年余り、入退院を繰り返していました。犯行時も入院しており、外出許可中の街頭での犯行でした。

 事件の翌日、前日と同じ返り血を浴びた服装で事件現場に外出許可を得て再び来ていて逮捕されました。事件当日「誰でもいいから殺そう」と、ショッピングセンターで、包丁を購入した時の姿が監視カメラに映っていて、左頬には赤い小豆大の傷がはっきり認められました。警察は「小豆色のジャンパーを着て左ほっぺに小豆大の傷のある中年男」を容疑者として捜していました。

 犯人は、盗めば捕まるからとお金を出して包丁を買い、「ああやってもた。俺の人生終わってもた」と思いながら病院に帰り、病室で返り血のついた手を洗ったそうです。その日、夕食を食べないので看護師が呼びに行くと「警察が来たんか」と震えながら言ったそうです。

 犯人は、2ヶ月の精神鑑定を受け、破瓜型中心の慢性鑑定不能型統合失調症と診断され、起訴され、心神耗弱が適用されて減刑され、懲役25年が確定し、医療刑務所で服役中です。

 日本では、明治40年に作られた刑法がまだ法曹界、精神医学会に居座っています。明治時代は統合失調症(精神分裂病)に効く薬が開発されていませんでしたので、患者の病気が良くなることはありませんでした。戦後薬が開発され、辛い副作用もない薬が処方される時代を迎えています。統合失調症も薬を飲めば、コントロールができるようになったのです。しかし、刑法第39条に慣れ親しんだ人たちは明治時代のままです。

 病院を訴えた私たちには「懲役25年がついたんだから精神障害ではなかった筈」と助言してくれる人々がいます。では何故精神科病院は精神障害ではない者を入院させていたのでしょうか? 主治医は犯人に精神障害者年金支給の更新手続きをしていたのです。また、どんな治療をしていても精神科医に責任は無いのでしょうか?

 診療録、看護記録、レセプト、刑事裁判に使われた警察・検察調書、精神鑑定記録、民事裁判答弁書等から、事件の全貌が明らかになりました。この3年の間に精神医学、精神司法の勉強もしました。犯人は統合失調症でありながら事件の2週間前から統合失調症薬を処方してもらえず、精神障害者が飲むと刺激興奮攻撃性が出ることがある薬を大量投与され、また、手足の震えを気のせいとして取り合ってもらえず、効果のない生理食塩水の注射をされ続けていました。余りに具合が悪く、主治医診察を切に望んだのに却下され、「先生に会えんのやけど。もう前から言ってるんやけど」と手足を震わせながら言っていたことが事件2時間半前の看護記録に残っています。左頬の小豆大の傷は煙草でつけた自傷行為の跡でした。しかし病院職員は誰も気づかず、そんなものは無かったと言い続けました。

 私たちは完全被害者であるにもかかわらず、批判され非難されます。

 「精神障害者を拘束しようとしている」と、私たちが考えたことも無いことで私たちを非難する人たちがいます。

 私たちは犯人の精神障害者に普通の治療が行われていたかどうかを問うています。やみくもに精神科医を責めているのではありません。また、精神障害者も服薬することで健常者と同じような市民生活ができるようになったと考えています。

 真昼の街中で健常者が刺し殺されてもそれは必要悪、被害者は黙って泣いていればいいと言われているように感じ、気持ちが滅入ります。

 正しいことが正しいと認められ、誤りは誤りとして是正され、正義が通用する国であってほしいのです。

 

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