大阪大会:基調講演

「隣人としてできること」

 三木善彦 (大阪大学名誉教授、帝塚山大学名誉教授、なら被害者支援ネットワーク会長)

ただいまご紹介に預かりました三木と申します。私は犯罪被害者支援活動に参加して、16年ぐらいになろうかと思います。後でパネルディスカッションの司会をしてくださいます大阪犯罪被害者支援アドボカシーセンターに、設立当初から関わっています。今日は、「隣人としてできること」を、「専門家を含めて多彩な支援を」というサブタイトルでお話したいと思います。

★犯罪被害は他人事ではない

この活動に参加し始めた頃、犯罪被害者支援活動が盛んなアメリカでどのような活動がされているか視察に行かせていただきました。行った先は、「飲酒運転に反対する母親の会」(MADD)という団体で、大きな建物のワンフロアをすべて借り切って、大勢のボランティアと専任の有給のスタッフが働いていらっしゃいました。私は驚いて、「会員は何人いらっしゃるのですか」と聞くと、「400万人」とおっしゃいました。感心して「400万人も! どんな人たちが会員になのですか」と尋ねると、「半分の200万人は、飲酒運転による被害に遭った人、その家族、遺族、親戚や友達です」と。「では、あとの半分は?」と尋ねると、「まだ被害に遭っていない人」とおっしゃいました。私は頭を殴られたような思いになりました。「そうか、まだ被害に遭っていない人ということだから、私もその一人で、他人事ではないのだ!」と思い知らされました。

日本では平成15年頃から犯罪の認知件数は少なくなってきていますが、300万件~200万件です。私たちの一生を80年とすると、2億4000万件~1億6000万件の犯罪に取り囲まれていることになります。ですから、私たちは将来、犯罪に遭うかもしれません。あるいは、この会場に来ていらっしゃる人で、すでに犯罪に遭ったという人もいらっしゃるかもしれません。ですから、自分自身も含めて、家族や大切な人の誰もが、犯罪被害者になる危険性を持っているわけです。

犯罪被害者等基本法の前文に、「犯罪被害者等は」の「等」というのは、本人とその遺族、その家族を含むのですが、「犯罪被害者等は、国民の誰もが犯罪被害者等となり得る現実の中で、思いがけず犯罪被害者等になったものであり、我々の隣人であり、我々自身でもある」と述べています。このように恐ろしく、そして悲しい現実を前にして、私たちが隣人としてできることは何かを考えたいと思い、講演のタイトルを「隣人としてできること」としたのです。

サブタイトルを「専門家を含めて多彩な支援を」としましたのは、専門家(警察官・検察官・弁護士・裁判官などの司法関係者、医師・看護師などの医療関係者、役所、とくに福祉関係者、あるいは私のような臨床心理士等)が苦しんでいる被害者に接するときに、あまり使いたくありませんが、専門家面(づら)して、「世の中には、あなたより、もっとひどい思いをしている人がたくさんいますよ」というような事務的で、冷たい対応をするのではなく、隣人として、被害者に隣人愛を持って接して欲しいと自戒を込めて思っています。ですから、「隣人としてできること」というタイトルを付けました。

★被害者の身になって、傾聴すること

さて、隣人として、どのようなことができるのか、あれこれ考えていきましたら、結構、たくさんありました。レジメに10項目挙げてみましたが、限られた時間ですから、具体例をまじえて、そのいくつかを取り上げたいと思います。

まずは傾聴です。相手の話に耳を傾ける。ご近所の方が、あるいは大切な人が、事故あるいは事件で大きな傷を負ったときや亡くなられたことがあれば、ご本人や周囲の人がどれほど嘆き悲しむか。その嘆き、悲しみに耳を傾ける。同じ話を何度も何度もなさるかもしれませんが、さえぎることなく耳を傾け、共感して、「つらかったね」とか「死にたいぐらいの思いなのでしょうね」と話を聞いていく必要があります。ときには被害者の悲しい、つらい話に何と応答していいか分からずに、共に涙を流すこともあってよいと思います。被害者がそれを望むときには、適切な情報や助言も必要です。

あるとき、私がカウンセリングを担当しておりました方の中に、Aさんという結婚してまだ間もない方がおられました。奥さんを会社の同僚に殺されたのです。加害者に警察が「なぜ、あの女性を殺したのか」と尋ねたら、「何の恨みもないが、自分は生きている値打ちが無いので、人を殺してやろうと思った」という返答。

大事な、大事な、愛する奥様を亡くしたAさんが来られて「絶望です。これから先、どんな人生を送っていったらよいのでしょうか。もう私は死にたい」と嘆かれました。本当にそのとおりだと思いました。でも、それに対して私は「ともかく、今は生きてください。生き延びてください」。それ以上、何も言うことはできませんでした。「そのうちに、また何かいいことがありますから」など安易な慰めの言葉など、出ません。「ともかく、今は生き延びることです」と言いましたら、それがAさんにとって、とても良かったと後でおっしゃってくださいました。真っ暗闇の中に一筋の光明がさしたような思い。「ともかく生き延びていくのだな」、という。

私は「なら犯罪被害者支援センター」の理事の一人ですが、奈良市学園前にある帝塚山大学の「心ケアセンター」の相談員として面接をしていますので、なら被害者支援センターの2人の支援員が面接のときに同行してくださいます。そのことについて、Aさんは「毎回、大学まで付き添い、先生と私が面接をしているときに、支援員の方が両親の相手をしてくださり、それから両親が先生と面接するときは、私の相手をしてくださったのもありがたく、社会とのつながりを感じることができた」とおっしゃっていました。被害者は孤立感とか無能感とか無力感とか、いろいろとお持ちですけれども、少なくとも孤立感が少し消えていく、軽減していくということになろうかと思います。

それから、「精神的に非常に不安定で、非常に不安になったり、イライラしたり、怒りが込み上げてきたり、あるいは胸の動悸が激しくなったりと心身ともに落ち着かない」とおっしゃいましたので、支援センターの理事である医師を通じて精神科医を紹介していただき、そこで投薬を受けておられます。

★結婚披露宴での手品

何カ月かしたときにAさんは「私と妻が非常に仲良くしていた部下の2人が『結婚するので、披露宴に来てください。そして乾杯の音頭を頼みます』と言われたのです。先生、どうしたらいいですか」と 尋ねられました。私は「うーん」と考えました。結婚式というお祝いの席では、例えば「切る」とか「別れる」が忌言葉になっています。自分の上司で非常に可愛がって指導もしてくれた人の奥さんが殺されているのです。その犯罪被害者遺族を招いて、それも結婚式の乾杯の音頭をとってくれという。わたしは新郎新婦になるお二人に感心しました。偉い!と思いました。普通なら、ちょっと遠慮してもらおうとなったかもしれないのに、それもまた「結婚式の乾杯の音頭を」という依頼です。

「あなたはどうしたいですか」と尋ねると、「親しくしていた部下達だから、行けば妻も喜んでくれると思う」とおっしゃいました。「じゃあ、もちろん行かれたらどうですか」「でも、先生、乾杯の音頭をとるときは、一言、何か言わなければならないでしょう。ごくありきたりのことを言うのは、私は好きではありません。何かいい言葉はありませんか?」と質問なさいまいた。私は「それなら『拍手喝采、間違いなし』の方法があります。それを教えてあげましょう」と答えました。それは何かと言おうとしたら、Aさんは「手品でしょう」とおっしゃったのです。

僕が手品を趣味にしていることは、大学のホームページにも書いていますし、被害者支援センターの方が、「あの先生は手品が大好きなのですよ。いつでもどこでも手品をなさいますよ」と話したのを覚えておられたのでしょう。「それでは、ちょっとお待ちを」と、研究室から手品を取って来て、「こんなふうにやるのですよ」とお手本を示しました。それを今からここで、皆さんにも見ていただきましょう。成功するかどうかは分かりませんが(笑)。

司会の方、手を貸してくれませんか。この赤と黄色のロープを2本、持ってくれませんか。そして、1本で1つの輪を作ってください。どのように結んでもよろしいから、大きな輪を2本、作って欲しいのです。私は一瞬で結び目をほどきますから、そうできないように、しっかりと結んでださい。残りの青いロープで私が輪を作ります。こうしてギュッと。はい、司会の方、2つの輪を私に渡してください。司会の方は念を入れて、結び目が三重だな、これはすごい(笑)。これで3つの輪ができました。もちろん、まだ、ばらばらですね。

このように2本のロープを新郎新婦それぞれに渡して、輪を作ってもらいます。各自が1つの輪を作ります。それをもらって、「こちらの黄色のロープは新郎側のX家で、こちらの赤いロープは新婦側のY家です。2人(青いロープの輪)が結婚することによって、と言いながら、3つの輪を手の中に入れて、パッと空中に投げあげて、落ちてきたのを受け止めると、一瞬で赤、青、黄色の輪がつながります。こうしてX家とY家は、新郎新婦の二人によって結ばれるのです。(拍手)うまいこといったね(笑)。

「これをやれば絶対に受ける、拍手喝采になるから」と言って、演じて見せたのです。皆さん、これのネタは分かりますか。まず分からないですね。わたしは何百回と演じましたが、一度で分かったという人はいませんでした。ところが、Aさんは「分かります。こうなっているのでしょう」と種明かしをしたのです。そのとおりなのです。「参った!」と感心しました。その方はとても喜んで、「家で練習しよう」と張り切って帰られました。

★電話をかけるか、かけまいか?

結婚式が近づいてきました。私はだんだん心配になってきました。「待てよ、Aさんが結婚式に出席して、披露宴で乾杯の音頭をとる。そして見事な手品をする。そうすると、周囲の人たち、特に会社の人たちがたくさん来ていますから、『事件から3カ月経つから、彼も良くなったのだ。あんなに拍手喝采を受けるような手品をするのだから、彼はよくなったのだ』とたぶん思うだろう。でも、Aさんはそんな状態では全然ない。披露宴が始まって、新郎新婦が楽しそうにしている。皆がお祝いの言葉を言う。豪華な食事が出て来る。そうすると、Aさんは自分の数年前の披露宴を思い起こすでしょう。そうしたら、ものすごくつらくなってしまうだろう。体調を崩して、そこに座っていられなくなるのではないか」と、とても心配になってきました。

私は大学院で臨床心理士になる人、将来カウンセラーになる人たちの指導をしています。そのとき、大学院生に「私たちは面接している時が勝負です。後で思い付いて、『もうちょっとこう言っておけば良かった、あの言葉は取り消し』などと電話をしてはいけません。そんなことをやれば、相手も困ったときに電話をして、電話カウンセリングになってしまう危険性があります。大学院の『心のケアセンター』では電話カウンセリングをしていません。だから、自分の都合が悪くなって、例えば風邪を引いてキャンセルしなければならない時以外は、電話してはいけません」と常日頃から教えていました。

「学生にそう教えているが、Aさんが結婚披露宴の場面で、つらいのを我慢して、我慢して、遂に倒れてしまうような事態になれば、披露宴がぶち壊しになってしまうではないか。彼の名誉も傷ついてしまう。それは何としてでも避けなければならない、どうしようか」と考えた末、ルールを破ろうと思ったのです。

もう1つは、わたしはカウンセラーとしてではなく、ひとりの隣人として電話しようと思いました。

それでAさんに電話しました。「どうですか、あの手品、練習しましたか」。「練習してうまくできるようになりました。拍手喝采間違いなしです」と元気な声。「それは良かったですね。でも僕はあなたがひょっとしたら、それが終わった後に気分を悪くしてしまう可能性があると思います。新郎新婦の姿を見たら、数年前の自分と奥さんの姿を思い起こして、つらくなるのでは。それは人間として当然の反応です。気分が悪くなるのも当然の反応。食事ができなくなっても不思議ではありません。ですから、披露宴会場に行ったら、周囲の人たちに、『私はこうして招かれたので喜んで来ましたけれども、まだ本調子ではありません。だから、途中で気分が悪くなって席を立つかもしれません』と前もって断っておきなさい。そうしておけば、周囲の人も『ああそうだな』ということで許してくださいますから」と言いました。Aさんは「分かりました。そうします」とおっしゃいました。

結婚披露宴が終って数日して、面接に来られて「先生、よくぞ電話してくださいました。確かに手品をやったら拍手喝采でした。うれしかったです。でも、それから食事になって、最初にスープが出て来ました。これは妻が好きだったポテトスープだと思って、それは飲んだ。しかし、もう次の食事はノドが詰まって、食べられない。もうつらくて、つらくて。でも先生が言っていたように、周囲の人たちにあらかじめ『ちょっと調子が悪くなったら、外に出ます』と断っていました。ですから、『ちょっと具合が悪いので』と外に出て、ベンチに腰を下ろして、風に吹かれていました。そうしたら、少しずつ落ち着いて、終り頃にまた席に戻ることができました。ほんとうに、よく電話してくださいました」と感謝してくださいました。

これはカウンセラーとしてのルール違反かもしれないけれども、隣人としてやるべきだし、「どう考えても、これは危ない」というときには、カウンセラーとしてもやってもいいと思います。

★他の人々や機関・組織との連携

このように、いくら専門家であろうと、ひとりの隣人として被害者に接していくことが必要であると思います。後のパネルディスカッションで弁護士さんがお話しなさいますが、必要に応じて弁護士を紹介したり、精神科医を紹介したり。Aさんの事件担当が京都地方裁判所だったので、京都の支援センターに奈良の支援センターが電話で、「Aさんがそちらに行かれるので、よろしく」と依頼しました。すると、京都の支援センターも、傍聴支援で裁判所に行くとか、馴染みのある弁護士を紹介してくださいました。京都府警の被害者担当の警察官も紹介していただき、様々な情報を得ることができました。Aさんは「親切にしてくださり、とても助かりました」と感謝しておられました。

ですから、一般の人々も、「講演会で聞きましたが、被害者支援センターがあるから、相談したら?」と言ってくださるのも、ありがたいことです。そのように情報を提供し、他の機関を紹介することも、隣人としてできるのではないかと思います。

★心理教育の必要性

「心理教育」とは聞きなれない言葉かもしれませんが、「悲惨な事件に出遭ったときは、食欲がなくなったり、寝られなくなったり、ちょっとした物音に驚いたり、そういった症状が出ますが、『それは異常な事態に対する正常な反応です』と伝えます。あまりひどい場合はお医者さんに行く必要がありますが、人間には自然回復力や自己復元力がありますから、その症状が出たから、すぐに医者と大騒ぎすることはありません」と伝えます。

それから、被害者に関する偏見や間違った見方を正すことも、心理教育の大きな目的の1つです。例えばDV(パートナー間の暴力)については、後のパネルディスカッションでも話題になると思いますが、DVに関する偏見に被害者は苦しめられます。例えば夫から殴られたり、蹴られたり、あるいは他の人と付き合ってはいけないとか言われ、非常につらい思いをしているのに、周囲の人から「旦那が暴力を振るうのは、あなたの対応が悪いからだ」とか、「旦那さんがあなたのメールを見たり、あの人と付き合うな、この人と付き合うな、俺だけを見ていてくれというのは、愛情の表れですから、許してあげなさい」と説教されることがあります。自分でも、そう思い込むことがあります。しかし、本当に愛情があるならば、行動を制限するのではなく、相手の自由を尊重するのが愛情です。

あるいは、心身の調子が悪いときに、セックスを強要されることがあります。それに対して「夫婦だから、セックスは当然のこと。少々つらくても、受け入れなければならない」と言う人がいるかもしれません。しかし、それも間違いです。周囲の人も、それを知っておく。

性暴力についても、同じです。被害者は周囲の人から、「そんな派手な服を着ていたからだ」とか、「そんなセクシーな格好をしていたあなたが悪い」とか、「夜遅くまでアルコールを飲んで酔っ払ってしまったからだ」と非難されることがありますが、悪いのは加害者です。暴力です。性暴力は犯罪なのだと周囲の人たちが理解し、対処することが必要です。

性暴力に限らず、犯罪被害者に対して、周囲の人は「あの人にも落ち度があったのでは」と、被害者にまったく落ち度がなくても、そのような見方をすることがあります。「自分には何の落ち度も無いから、犯罪に遭わない。あの人が犯罪に遭ったのは、何らかの落ち度があったからだ。」そう思わなければ、私たちは安心できないという面があります。しかし、それは間違いです。まったく被害者に落ち度がなくても、理不尽な犯罪に遭うことがあるのです。そのことを周囲の人が理解して、被害者に接するのも、協力の1つです。

★カウンセリングは役に立つか

「被害者の話を聞くだけで、役に立つの?」と、疑問をもつ人がいます。しかし、例えばものすごく悲惨な話を50 分~1時間、聞き続けることができるでしょうか? 普通は、なかなかできません。15分か20分経ったら、聞き手はつらくなって、「そんなことは考えないようにしましょう」とか、「そんなことは忘れてしまいなさい」などと慰める。そんなことは慰めにはなりませんが、「私は聞きたくない」というメッセージを送ります。すると、被害者は[誰もわかってくれない]と、孤立感を深め、人間不信が強くなります。そうならないため、カウンセリングでは50分~60分、じっくりと話を聞きます。その結果、「苦しみを理解してくれる人がいる」と被害者の孤立感や人間不信が、少しずつ和らいでいきます。

ただ、「カウンセリングをすれば、すぐに良くなる」と考えるのは、過大な期待です。深刻な被害の場合には、何カ月も、あるいは何年もかかる場合があります。Aさんの場合、60回ぐらいカウンセラーとしてお会いしています。好・不調の波がありますが、全体として少しずつ良くなり、とくに最近は裁判も済んだので、少し落ち着いてこられました。しかし、職場でお客さんに挨拶したら、亡くなった奥様と同じ名前だった。それを聞いたとたん胸が破裂しそうになって、倒れそうになったそうです。

このようにカウンセリングも、短期間で効果を上げるものではありません。そして、本人だけではなく、家族にもカウンセリングをしていくことが必要です。家族も被害者にどう接していいか分からないので、家族に心理教育をし、家族としての苦しみや悲しみを聞いていくことも大切です。

話は変わりますけれども、自助グループへの協力。今回も3つの自助グループの方がお話なさいますが、自助グループに会場を提供するとか、あるいは事務連絡の世話をするボランティア活動も大きな手助けになります。また、その人たちが署名活動をなさっているのなら、その署名に応ずる。それだけでも大いに協力になります。

★直接支援の必要性

カウンセリングだけでなく、家事の手伝いをする、ベビーシッターをする、子どもの遊び相手をする、子どもに勉強を教える。本人の日常生活の相談相手になる。あるいは警察や病院などの関係機関に一緒に行くという直接支援も必要です。

Bさんは、暴力団の組員が抗争相手を狙って打った拳銃の流れ弾が、偶然そこに居合わせた一人娘Cちゃんに命中して、亡くされました。旦那さんもしばらくして病気で亡くなり、彼女は独りぼっちになられました。すると、Cちゃんの高校時代の仲良しだった同級生たちが2人ずつ組になって、「おばちゃん、今晩は私たちが泊まりに来た」と枕を持ってやって来ました。高校を卒業して20歳前後の人たちです。食事を一緒に作り、食事をしながら「あのね、Cちゃんはね、学校でこんなに親切にしてくれたよ。Cちゃんがいたおかげでどんな楽しかったか」などと、Bさんの知らなかった娘さんのいろいろな出来事を話してくれました。Bさんは「あのお蔭でどれほど慰められたか」と、しみじみと感謝しておられました。

また、近所の人が、「今日はたくさん料理を作ったから、ちょっとここに置いておくわ。気が向いたら、食べて」と持って来てくださり、担当の刑事さんが、「うちのやつがたくさんおかずを作ったから、食べたかったら食べて」と持って来てくれる。「初めのうちは悲しみで胸が一杯で食べられなかったけれども、そのうちに食欲が出てきて食べられるようになりました」と感謝しておられました。「お花見に行こう」と友人に誘われても「行く気になりません」と断った。でも、しばらくして、また誘ってくれるので、一緒に行ってみたら、きれいな花が咲いて、「これを娘と一緒に見たらどんなに楽しいだろう」と泣けたが、同時に「天国で娘もたくさんの花に囲まれているのではなかろうかと思うと、少し慰められた」と語っておられました。ですから、「支援の手を差し伸べても断られたから、2度と何もしない」のではなくて、時の経過によって、被害者の心情も変化しますので、支援の内容や仕方を変えていくことも大事です。

Bさんは暴力団員によって娘さんを殺されたので、暴力団を相手に損害賠償の訴訟を起こそうとしました。初めのうちは、どこの弁護士に相談に行っても、「そんなのは無理、無理」と門前払いだったのですが、とうとう気骨のある弁護士が、「よし、やりましょう」と引き受けてくれました。しかし、加害者である組員に損害賠償を請求しても、末端の組員はそんなお金など持っていませんので、組長を対象に賠償責任を追及しようということになりました。社長の命令で社員が罪を犯したら、社長が使用者責任を問われます。それと同じように、組長が部下に殺害を命令したのですから、組長が責任を取らなければならない。組長が賠償責任を負うべきだという訴訟を起こしました。これまでに、そのような発想の訴訟はありませんでした。

もちろん弁護士さんが中心になって一生懸命にやってくれましたが、Bさんも少しは法律について勉強しようと図書館に行って、刑事訴訟法などの本を読むのですが、素人の悲しさ、チンプンカンプン。近くに座っていた大学生たちが、「おばちゃん、何のために法律の本を読んでいるの」と尋ねるので、「法廷闘争のために、ちょっと私も法律のイロハを分かっておかなければならないから」と事情を話したら、「僕らは法学部の学生ですから、初歩くらいは教えてあげる。難しい点は、大学の先生に尋ねて来るから」と親切にしてくれた。「あれも、ほんとうに助かった」と語っておられました。このように、いろいろな手助けの方法があるのです。

こうして、Bさんは数々の苦難を乗り越えて、遂に組長から賠償金を取り、それをもとにして、「暴力団被害者の会」を結成して、暴力団の被害者のために力を尽くされました。

★裁判所での傍聴支援

被害者に同行して裁判所に傍聴に行くということも、支援の1つです。事件にもよりますが、加害者側は大勢応援に行きますが、被害者側はそれほど行きません。ですから、被害者は独りぼっちで心細い思いをします。同行してくれる人がいると、心強い。

あるとき、私はBさんから「暴力団の親分と子分の計7名が起こした殺人事件の初公判があるから、一緒に行きませんか?」と誘われました。大きな事件だから、ひょっとしたら大勢来るかもしれないと思って、できるだけ早く裁判所前にBさんと落ち合って、傍聴希望者の列の一番前に並びました。話をしていて、ふと後ろを見ると、大勢並んでいます。それも若い男女が・・。「こんなに傍聴支援に来てくれるのですか、ありがたいですね」とBさんに言ったら、「あれは皆、暴力団の子分よ。親分や兄貴分の一大事ということで、子分が自分の女を引き連れて応援に来ているのよ」と教えられて、驚きました。

その裁判で、こんなことも経験しました。起訴状朗読が最初にありましたが、検察官が被害者の殺されていく様子を詳細に述べていくのです。耳を覆いたいくらいの、むごい殺害の仕方。40歳前後の検察官でしょうか、起訴状を淡々と読んでいました。「あまりにもつらいので、感情を交えずに、淡々と読んでいるのだろう」と思って、聞いていました。

ところが、検察官が「次に被害者のお母さんから事情聴取した結果を、お話しいたします」と前置きして、お母さんが自分の息子にどんな希望を託していたのか、息子を亡くしてどんな悲しい思いをしているのか、そのくだりを読み始めました。そうしたら、5分もしないうちに、その検察官は声が出なくなったのです。声を出そうと努力するのですが、出ない。検察官に被害者遺族のお母さんの魂が乗り移った感じです。あまりにもつらい。とうとう検察官は「裁判長、ちょっと休憩させてください」と頼み、10分間の休憩となりました。後は、また気を取り直して読んでいかれましたが、「仕事とはいえ、検察官もつらいなあ」と、私はしみじみ思いました。

その後、傍聴支援に来ていた他の事件の被害者たちと話し合ったとき「人情深い検察官ですね。あんなふうに私たちの気持ちを分かって、声を詰まらせながら読んで下さるのは本当にうれしい」とおっしゃっていました。もちろん、そんなふうに感情移入してはいけないと批判する人もいるかもしれませんが、検察官も人の子でありますから、そういうことがあってもいいと私は思います。

★意見陳述書作成の協力と傍聴

最近は被害者参加制度が生まれ、検察官の横で被害者が希望すれば、意見陳述ができるようになりました。最愛の妻を殺害されたAさんも、意見陳述を望まれました。でも「どう言っていいか分からない、もう頭がぐちゃぐちゃになっているから」と困っておられたので、私は「Aさんが加害者に言いたいことを、順序がばらばらでもいいから書いてくだされば、僕がそれをまとめます。僕は大学の教師ですから、学生の卒論や大学院生の修士論文を添削するのは得意ですから」と提案しました。そして、Aさんの原稿を首尾一貫するように添削し、一応の形を作りました。これもカウンセラーの役割を超えて、隣人としての行為かもしれませんね。

被害者参加制度では、被害者にも弁護士がついてくれます。そこで、今度は弁護士さんにそれを見せて、「これはちょっと法律的にまずいから、この辺はこうした方がいい」と修正していただきました。こうしてAさんは被害者陳述制度を活用して、自分の意見を法廷で、「妻をどんなに愛していたか、その妻との将来の楽しい夢を加害者によって無残に壊され、今は絶望と悲しみの淵にいる」ことを、切々と訴えました。

傍聴人も、皆、涙を流していました。それは裁判員制度で、6名の裁判員には男性も女性間もいました。ある男性は30 歳ぐらいでしょうか、背の高い大きい人で、髪の毛を後ろでくくっていて、恐ろしいような人に見えました。でも、その人も涙、涙でした。皆、泣いていました。3名の裁判官のうち、裁判長は眼鏡をはずしたり、つけたりと全然落ち着かない。涙は流してはならないと思って、こらえていたように見えました。

しかし、Aさんの意見陳述後、加害者は何と言ったと思いますか。加害者側の弁護士が、「いまの被害者遺族の声を聞いて、あなたはどう思いましたか」と尋ねました。そうしたら、「黙秘します!」と。猛烈に腹が立ちました。あれだけ心を込めて、被害者は泣きながら文書を作り、私も泣きながら添削しました。ところが、加害者は涙一つこぼさず、謝罪の言葉一つもありません。それによって、もう一度、Aさんは心臓を刃物で刺された思いです。あまりにも、ひどい。

でも、たくさんの傍聴人たち、それから裁判員たちと裁判官たちに自分の気持ちがきちんと通じたというのは、Aさんとって大きな慰めとなったと思います。

★いろいろな支援

職場の支援も大切です。出勤時間とか、早退への配慮、休暇を取りやすくするとか。事情聴取や打合せのために検察官や弁護士に会いに行かなければならない、怪我の治療や、心身の病気で病院やカウンセリングに行かなければならないとか、いろいろと時間を取られますので、欠勤したり、出勤が遅くなったり、早退したりということがあります。それを職場が理解してくださることが必要です。

父子家庭のDさんは小学生の娘さんを同級生に殺されました。その時、料理や洗濯が得意な親しい仲間の男性2人を職場から派遣し、手助けをしました。「あれは、ものすごく助かりました」とDさんは感謝しておられました。

それから仕事への配慮。事件の影響で、注意散漫になり、仕事に集中できず、ミスをしたり、ちょっとしたことで涙もろくなったりします。そこで、難しい仕事から易しい仕事に配置転換するなどの配慮をしてくださるとありがたい。また、休暇を取りやすくするなども、考えてくださるとありがたいです。

経済的な支援というのは、もちろん必要です。いまは被害者給付金制度があり、ある程度のお金が出るようになりましたけれども、それでもまだまだ額としては低いと言われています。

警察署、検察庁、裁判所、区役所、地域の人たちから被害者への配慮。例えば、奈良では8年前に小学校1年生のE子ちゃんが誘拐され殺された事件というのがありました。大きく報道されたこともあって、裁判には大勢の人が押しかけました。新聞記者や週刊誌や雑誌の記者たちもたくさん来て、被害者遺族からコメントを取ろうとします。しかし、それは大変つらいことですから、奈良警察署が車で送迎をしてくださった。そのように被害者を保護してくださるということも協力の1つです。皆さんも被害者を車で病院の送り迎えや買い物の手伝いをしてくださると、ありがたいです。

E子ちゃん事件の後、地域の人たちが見回り隊を作り、子どもたちの登下校のときに辻々に立ち、事件が起こらないように、不審な人間がこの辺をうろつかないように見張りに立つ、ということをしました。現在も見回り隊は継続しています。このように、自治会やPTAの人たちが、犯罪防止に協力するというのも大切なことです。

もう1つは、今回のように、国や自治体が被害者への理解を深める講演とかシンポジウムを開催してくださり、こうして皆さんが参加なさるのもありがたいことです。そして皆さんが帰られて、家庭や職場で、あるいは友達に、近所の人たちに、「講演会で、こんな話を聞いたよ。被害者はこんな状態で、支援にはこんなことが必要よ」と皆さんがスピーカーになって伝えてくだされば、たくさんの人たちが被害者に対する理解を深めてくださいます。後のパネルディスカッションで3名の被害者が登場なさいますが、こうして皆さんが来て下さることが被害者の応援になるのだと心から喜んでいらっしゃいます。

あるいは中学校や高校で『生命のメッセージ展』などを開いてくださると、ありがたいです。『生命のメッセージ展』については、パソコンで検索すれば出てきます。それから、被害者に関連したいろいろな本や映画があります。例えば、神戸の酒鬼薔薇事件の被害者の一人である土師守さんが『淳』(新潮社)やパネルディスカッションに出られます「少年犯罪被害当事者の会」の武さんたちが編集した『話を、聞いてください』(サンマーク出版)を読むとか、映画『評決のとき』や『さまよう刃』をご覧ください。

私の講演の時間も終わりのようですが、もう1つ手品をしたいので、30秒だけ下さい。「魔法のカラーリング・ブック」といって、塗り絵の本です。まず、このように本をパラパラとめくっても、すべて真っ白です。このように被害に遭うと、初めは頭の中が真っ白になってしまいます。ところが、皆さんが様々な協力をしてくださると、(パラパラとめくると、黒の描線のイラストが出現)世の中に模様が出てきます。もっとたくさんの支援があり、時間がたち、だんだんと元気になると、世の中もカラフルに明るくなってきます(パラパラとめくると、不思議なことに色彩豊かな絵本に大変身!)。ありがとうございました。(笑いと拍手)

ご清聴ありがとうございました。

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