中央大会:インタビュー

インタビュー ~映画のモデルとなった市瀬朝一氏と活動を共にした大谷實氏をお招きして~

話し手 : 大谷
(学校法人同志社総長、公益社団法人京都犯罪被害者支援センター理事長)
聞き手 : 松野芳子
(フリーアナウンサー)

【司会】 まずは大谷先生のプロフィールを簡単にご紹介したいと思います。大谷實先生は刑事法学がご専門。同志社大学で法学博士の学位をお取りになったあと、同大学法学部で教鞭を取られ、法学部長、大学院法学研究科長、大学院総合政策科学研究科長、大学長などを歴任されたあと、2001年より学校法人同志社の総長を務めていらっしゃいます。また、大谷先生は早くからこの映画のテーマでもあります犯罪被害者の抱える問題について深く関心を持たれ、若山富三郎さん演じる映画の主人公のモデルである市瀬朝一さんと一緒に、犯罪被害者への経済的支援を求める市民運動、「被害者補償制度を促進する会」を結成し、活動を共にされました。映画では法律がまだ国会を通っていないという幕切れでしたが、実際には、最終的に先生方の熱心な運動の結果、犯罪被害者等給付金支給法が制定され、さらに何度かの法改正を経て、現在は犯罪被害者等給付金の支給等による犯罪被害者等の支援に関する法律が制定され、私たち国民を守ってくれています。「等」という言葉が何度も出てきますけれども、この「等」という中には被害者のご遺族などが含まれているということなのですね。

【大谷】 「家族又は遺族」という意味ですね。

【司会】 同時に大谷先生は、犯罪被害者などのための相談など、各種の支援を行う民間団体を平成10年に京都に創設する際にも中心的な役割を果たされ、現在も同センターの理事長を務めていらっしゃいます。以上、駆け足で大谷先生のプロフィールを御紹介いたしました。よろしくお願いいたします。

【大谷】 よろしくお願いします。

【司会】 まずは、久しぶりにこの映画を昨日御覧になられたのですか。

【大谷】 はい。

【司会】 何年ぶりに昨日御覧になったのでしょう。もちろん、公開当時も御覧になっていると思うのですが。

【大谷】 今日の準備と思いまして、昨日2時間以上かかって、横になってテレビで拝見しました。やはり、今日こうして拝見しますと全然迫力が違いますね。

【司会】 こちらの大画面で観ると大違いですよね。昨日御覧になったのは何年ぶりなのですか。もちろん、公開当時も先生は御覧になっていると思いますが。

【大谷】 それこそ20年ぐらいになりますね。久方ぶりで拝見しました。

【司会】 どのような印象を持たれましたか。久しぶりに御覧になって。

【大谷】 まず、木下惠介監督の社会に訴えるという意欲を感じましたね。何としても犯罪被害者問題を解決してやろうという意欲の表れが、このような映画になったと思いますね。木下監督の作品は多方面に及んでいますが、やはり社会派としての映画になったと思います。

【司会】 実際、この映画も後押ししたことになったわけですよね。法律ができるまでには。

【大谷】 そう思いますね。ちょうど法律が具体化しつつあった時の映画でしたから、かなりの力になったと思います。

【司会】 では、先生の今までの御経歴を、順を追ってお話を伺いたいと思います。後ほど、映画についても詳しくお伺いしたいと思います。

大谷先生は、市瀬さんにお会いになる前から犯罪被害者支援という問題に深く関心を持っていらっしゃったと伺っているのですが、映画の中で、中村玉緒さん演じる被害者のご遺族が「イギリスの大学に行ってはった先生でっせ」とおっしゃっていましたけれども、オックスフォードに留学されていたのですか。

【大谷】 私は刑法学者です。刑法学者は犯罪と刑罰に関する法律を扱う研究者ですが、その当時は、主に犯罪者のことを研究しているだけで、被害者のことは、余り研究されていなかったのですね。犯罪の当事者でありながら被害者のことは一向に研究が進められていない。それから、当時、昭和40年代ですけれども、刑法の研究者の多くは被疑者や被告人さらには受刑者といった犯人サイドの研究が中心で、被害者の研究は全然無視されていました。しかし、犯罪には必ず被害者がいるわけで、一方の当事者である犯人サイドの研究だけを進めているのはおかしいのではないかというのが私の出発点でした。それで諸外国、特にイギリスを中心に研究を始めたわけですけれども、この被害者問題を今のような形で取り上げたのは実はイギリスが最初でした。1957年のマージャリー・フライという刑罰改良家の女性の研究が始まりです。フライは、1957年7月、イギリスの有名な「オブザーバー」という新聞に、「被害者のための正義」という論文を書いたのです。それがきっかけで、イギリスの内務省、日本でいう法務省が早速立法化に取り組み、イギリスでは1964年に暴力犯罪の被害者に対する補償制度をつくったのです。そういうわけで、被害者問題に関心があった私は、外国留学は是非イギリスへと考えていました。その当時、刑法学者の多くはドイツへ行ったんですね。また、刑事訴訟法を勉強する人はアメリカへ行っていたので、私は初め、ドイツへ行こうかなと思ったのですが、被害者の補償に対する問題意識から、やはり、イギリスへ行こうということで、家内を連れてオックスフォード大学法学部に留学しました。

【司会】 当時、とても珍しい存在でいらしたのではないですか。ほとんどの方がドイツ、あるいはアメリカにいらっしゃる中、敢えてイギリスに。

【大谷】 そうですね。本格的なイギリス留学は、おそらく私が初めてだろうと思います。今はたくさんイギリスへ留学している方がいますけれども、当時としては珍しかったですね。

【司会】 被害者支援の中でも、特に経済的支援に注目された理由は何だったのですか。

【大谷】 被害を受けた場合には、普通、損害賠償という形で救済されるのですね。ところが、例えば殺人の場合、大変な被害なのに犯人は貧しいか、刑務所に収容されたり死刑になってしまうというわけで、ほとんど損害賠償が支払われなかったのです。法律で経済的に救済されるはずなのに、救済されないのはおかしいのではないか。そこが出発点なのですね。つまり、まず経済的な支援が大切なのではないか。外国でも同じように考えられました。初めは損害賠償に代わる、国による補償。そういう形で被害者支援は出発したのですね。

【司会】 当時、諸外国に比べて日本は、その点は遅れていた。

【大谷】 そうですね。一番初めは1963年のニュージーランドなのですが、これは、イギリスの真似をして先手を打って作ったものです。イギリスでは1964年に正式に発足しました。アメリカ、ドイツは1970年代ですけれども、しかし、日本よりは早かったですね。

【司会】 ところで、映画の中で若山富三郎さん演じる主人公は、全国を回って被害者のご遺族に会いに行くのだけれども、「金目当てか」とか、随分と誹謗中傷やつらい思いをしていらっしゃいました。先生御自身も市瀬さんにお会いになる前から、既に被害者、あるいは、被害者のご遺族に接触されていたそうですが、先生も同様の状態だったのですか。

【大谷】 はい。もう少し敷延して言いますと、私は1970年、つまり、昭和45年から46年にかけまして、イギリスのオックスフォードで補償制度の勉強をいたしました。イギリスでうまく行っているのだから、是非日本でも作らないといけないと思いまして、ジュリストという雑誌に、イギリス滞在中に3回の連載で論文を書きました。なんとしても日本にも作らないといけないというつもりで書いたのですけれども、ほとんど関心は払われず、無視されてしまいました。イギリスから帰って参りまして、今度は日本刑法学会で報告をいたしました。私がまだ36~37歳の頃です。そうしましたら、最近亡くなられた当時東大の教授で、後に最高裁の判事になられた団藤重光先生が、私の報告が終わると手をパッと挙げまして「大谷君、10年早いよ」と言われました。大変ショックでしたが、そう言われるのにはそれなりの理由がありまして、日本では被害者の問題を取り上げると、どうしても犯人サイドの人権が軽視されるのではないか。新しい刑事訴訟法ができて、被告人や被疑者の人権がようやく定着しつつあるのに、ここで被害者の人権を問題にすると、草の根を分けても犯人を捕まえろ、死刑にしてしまえというふうになって被疑者や被告人などの犯罪者側の人権がおろそかになるというわけです。実は市瀬さんも、ご主張の眼目は、殺人犯を撲滅する運動でした。

【司会】 市瀬さんは元々そういう活動をされていた。

【大谷】 殺人犯は原則として死刑にすべきだというのが一番の狙いだったわけです。出発点は。ですから、日本の場合は被害者問題を取り上げることを弁護士さんも躊躇されていたんですね。

【司会】 市瀬さんは、大谷先生とお会いになって、殺人犯は全員死刑にしたほうがいいというお考えを変えられたのだそうですね。

【大谷】 先ほど映像でありましたように、最終的に、私は話し合って、やはり、一番大切なのは被害者を支援することである。まず、お金をきちっと払ってもらえるようにするのが一番大切だと思うようになったんですね。市瀬さんの理解は、非常に早かったですね。

【司会】 非常に優秀な方でいらしたそうですね。

【大谷】 そのとおりです。 また、後で触れますけれども。

【司会】 お願いします。さて、映画の中では、最後の方のクライマックスの頃ですけれども、三菱重工爆破事件が起きて、大勢の被害者が出て初めて、この被害者支援というのが新聞などメディアの注目を集めるようになったと描かれています。当時、急に先生の所に取材が殺到するようになったのだそうですね。

【大谷】 先ほど申しましたように、論文を書いたり、学会発表もしたのに一向に注目されなかったので、私は業を煮やしまして、なんとかしてやろうということで学生諸君にお願いをしてアンケート調査をやりました。調査の過程で、最も悲惨な4人の被害者が会員になるとおっしゃられて、先ほど映像にもありましたように、「犯罪被害者補償制度を促進する会」という会を4人で出発し、同志社の学生会館で、第1回目の促進する会の会合を開きました。しかし、学生諸君は集まってくれましたが、肝心の被害者は誰も来てくれなかったですね。そこで、戦略をいろいろ考えました。なんとかテレビなどのメディアに入ってもらわないと、どうしても一般の皆さんに知ってもらえない、社会的関心を引きつけることはできない。そこで、大阪の朝日放送のディレクターと相談いたしましたところ、「是非やってくれ」と申されましたが、「何のことか我々はさっぱりわからないので、一度勉強会をしてください」と言うのです。

【司会】 記者向けの勉強会を。

【大谷】 それで、朝日新聞の記者とディレクターの方5人ほどで、私の家で1日勉強会をやりました。それが、昭和49年の三菱重工爆破事件の半年前くらいですね。勉強会をやって、それではなんとか映像にしましょうかということになったのですけれども、被害者の方がテレビに出てくれないんですね。今は、被害者の方は随分とメディアに登場しますけれども、当時は、中々出てくれない。それを説得している間に、昭和49年8月31日に爆破事件が起こった。翌日すぐに、朝日新聞は大きな記事を出しました。勉強会の成果があったのですね。立派な記事を書いてくれました。

【司会】 本当ですね。

【大谷】 そこからスタートしたので、事件は、いわば世論の形成の力になったのだと思いますね。

【司会】 映画の中では、中村玉緒さんに教えてもらって中谷教授に会いに行くとなっていますけれども、実際はこの三菱重工爆破事件があって、先生がメディアで注目されたところで市瀬さんが会いにいらっしゃった。

【大谷】 そのとおりです。確か、9月21日だったと思います。その時の市瀬さんは随分と目が不自由になっていました。奥様と来られたのですが、実は、IBMの東海林さんという方が世話をしておられて、私の前には現れなかったのですけれども、一緒に来ていたのです。それで、私の研究室でじっくりとお話をしていたところ、「殺人犯は皆死刑にすべきではないですか。」というお話でした。それを聞いて、「いや、死刑にするよりも、被害者の方をまずお金で、財政的、経済的に支援することの方が今はずっと大切なことではないですか。」という話や、生活保護を受けている方の話をしましたら、「そうですね。」と一言言われまして、「やはり、国がやるべきですね。よく分かりました。」と言って、大分夜中になりましたけれども、帰っていかれました。

【司会】 市瀬さんは、町工場の社長さんでいらしたわけですけれども、大変勉強をよくされて聡明な方でいらしたのですね。

【大谷】 若山富三郎と違って、随分と小柄な方でした。

【司会】 華奢な方。

【大谷】 奥様も小柄な方で、物静かな人でしたけど、腰が据わっているという感じがしましたね。随分とご苦労があったのでしょう。なんとしてもやり抜くという思いが伝わってきました。その間に二百数十名の署名を持って、法務省に要請に行っているんですね。殺人犯を死刑にせよということと補償をせよと。映像の一番最後にあったと思います。しっかりとした方だったと思いますね。

【司会】 市瀬さんと先生が出会われた。それから、お二人でどのように活動をしていかれたのですか。

【大谷】 「私は『犯罪被害者補償制度を促進する会』の会長は辞めます。その代わり市瀬さんが会長になって下さい。私は顧問になります。それで、理論武装をしましょう。」という話になりました。市瀬さんは、「それでは私が責任を持ってやらせていただきます。」と。そして先ほどの(IBMの)東海林さん、この方は奥様が殺害されたご遺族の方でしたが、この方が事務局長になられていたんですね。この方が随分と頑張られました。それから、先ほどの映画で新聞記者として出てきましたけど、今もお元気のようで、確か長野県伊那市の市会議員をされている飯島さんという方ですが、非常に面倒を見ておられたようですね。それで、私と連絡を取りながら、私が書いたものを読んであげたりされたようです。奥様も読みあげてやったようです。

【司会】 市瀬さんの理論武装をして下さる先生がご一緒で、心強かったでしょうね。

【大谷】 そう思います。随分とご苦労があったと飯島さんからも聞きました。その後、どういうふうに連携していったかという話を申しますと、昭和51年に法務委員会でご一緒しました。映像の最後のほうに市瀬さん、つまり川瀬さんの横に座っていたのが私であります。3人の参考人で、それぞれ30分くらいずつ意見陳述をやったのですが、それが非常に良いお話でした。議員さん達も本当に深刻な顔をされていましたけれども、それを聞いていたNHKの方が、私どもに1時間のラジオ放送を与えてくれました。その時の話をお聞きしますと、いつの間にこんなに勉強したのかと思うくらい、しっかりとしたお考えを持ってお話をされていました。それは、確か評判が良くて、再放送になったはずなのですけれども、そういうことがありました。

これは、木下惠介監督にお目に掛かった時のことなのですが、昭和51年、先ほどの(IBMの)東海林さんと(新聞記者の)飯島さんがご尽力されて、「犯罪被害者補償制度を促進する会」の関東大会を高輪プリンスホテルでやりました。国会議員さん達も来てくれて、その時は、200人くらい集まってくれました。盛大な会になったのですが、その時に、木下惠介監督はすでに制作を決定しておりました。

【司会】 そうなんですか。もう映画が決定していた。

【大谷】 ええ。それで来られまして、私と名刺交換をしたのですけれども、その時にパッと私の顔をご覧になられまして。

【司会】 その時初対面なんですよね、木下監督と。

【大谷】 はい、初対面です。その時に、「ああ、二谷君ではだめだなあ。加藤君にしよう」と即座に決められたのです。

【司会】 二谷英明さんが最初のキャスティングの候補だったのですね。先生役の。

【大谷】 そうです。なぜ候補だったかと言いますと、あの方は同志社卒業で学生時代アーモスト寮に住んでいられたんですね。

【司会】 同志社の。なるほど。

【大谷】 大学のアーモスト館という寮にいらした方で、木下さんは二谷さんをよくご存知のようでした。それで、私の顔を見て、直ぐに加藤さんに変えたのだろうと思います。多分私の顔と二谷さんの印象が大分違うのですね、二谷さん。ハンサムですけれども。そういうきっかけです。

【司会】 加藤剛さんの誠実そうな、清潔なイメージが本当に先生にピッタリで。メガネが、先生がしていらっしゃるメガネとよく似たものを掛けておられて。今、お客様もニコニコされていますけれども、すごく先生にピッタリな役者さんだなと思って拝見いたしました。

【大谷】 加藤さんほど私はイケメンではありませんけれども。かなり似ているなと思いまして。内心、これは儲けたと思いました。

【司会】 木下惠介監督にお会いになっての印象とか、ご感想はございますか。

【大谷】 晩年ですからね。あの方もそんなに大きい方ではなかったですけれども、それでも、目の鋭い方だなというのが第一印象でした。

【司会】 さて、被害者支援に長く関わってこられた先生から御覧になって、木下惠介監督のこのテーマの描き方はいかがですか。

【大谷】 まず、脚本がしっかりしているなと思いましたね。よほど調べて作られたんだなと。小さなこともきっちり押さえて作られたということが印象的でした。特に、さすがにうまいなと思ったのは回想場面ですね。何度も回想が出てまいりますけれども、本当に親が子を失った場合の悲しみがひしひしと感じられました。そういう意味で、単なる社会派ドラマではなくて、どちらかというと人間を描いたドラマだったというふうにも思いました。

【司会】 本当に豪華なキャストで。脇役で主役格の俳優さんが次々に出てくるので、本当にびっくりしたんですけれども。

【大谷】 そうですね。本当に意欲が感じられましたね。

【司会】 さて、映画では法案が出来た。けれども、まだ国会に提出されていないという幕切れでしたが、その後、どのような経緯を経て、この法案は制定されていったのでしょう。

【大谷】 市瀬さんが亡くなって3年後ですかね。制定されたのは昭和55年で、昭和56年から施行されました。市瀬さんは、遡って法律を適用しなければいけない、遡及効ですね。せめて10年前まで遡って適用すべきだとおっしゃっていました。

【司会】 映画の中でも、盛んに若山富三郎さんが訴えていましたよね。

【大谷】 そうですね。それは結局、制度上の問題だけでなく、財政上の問題もありましたので、適用しないということになりましたが、それに代わりまして、犯罪被害者救援基金を作ろうということになりました。これは警察の皆さんや企業の寄付を基金にして奨学金制度が作られました。今でもほぼ同じ額ですけれども、小学校1年生は1万円です。それと支度金として7万円だと思いますね。それから、中学生は確か1万5千円、高校生が2万円、大学生は私立大学の学生は3万円、国公立は2万7千円だと思いますが、それをずっと返還なしで給付するという制度。これは過去に全部遡って、犯罪被害者の遺児になられた日に全て給付する。

【司会】 その部分は、若山富三郎さん演じる市瀬さんの願いがかなった部分なのですね。

【大谷】 そうですね。納得はされなかったのでしょうけれども、私どもと一緒にやっていました会員の皆さんも、満足はされなかったのでしょうが、それでなんとか納得していただいたということです。

【司会】 映画の中で吉永小百合さんも苦労されていましたけれども、きっとお子さん達に、その給付があったかもしれないわけですね。

続いてお伺いしたいことです。映画は1979年に公開され大きな反響を呼びました。その後、犯罪被害者給付制度を始めとして、犯罪被害者への支援は進んできたと思うのですが、先生御自身は、この進んできた様子をどんなふうに御覧になっていますか。

【大谷】 その前に少し付け加えますと、昭和54年、私は大学の学長をしておりました。犯罪被害者等給付金に関する法律を作る時に、実は、法務省で準備しておりましたが、中々埒があかないということで、結局警察庁が担当することになりました。そこで、私に警察庁へ来て、法案を作るのに相談をしたいから是非協力するようにということだったのですけども、私は学長で動けない。しかも学内に入りますと学生に捕まってしまうのですね。結局、京都のあるホテルで、確か2晩ほどお泊りになられて、私は時間が空いた時に車でホテルへ参りまして、そこで法案を検討させていただきました。私の考えとほぼ同じような案でしたので、私としては十分満足でございました。その後、私は暫く、この犯罪被害者問題には関わっておりませんでした。

【司会】 別の研究に携わっていらしたのですね。

【大谷】 研究者の欲というのでしょうかね。犯罪被害者だけの大谷では終わりたくないという気持ちがありまして、刑法の勉強をしなければいけないということですが、それに没頭をいたしました。約10年間は犯罪被害者問題から離れたわけですけども、犯罪被害給付制度発足10周年記念シンポジウムというのがありました。そこで私もパネリストとして参加したわけですが、富山の保健婦さんでありました大久保さんという方に叱られてしまったのです。「犯罪被害者の大谷と言われているのに、それ以後犯罪被害者の支援を何もしていないではないか」と。「今、世界はどんな状況になっているか。イギリスでも、あるいはアメリカでもドイツでも、所謂精神的なケアをしている。犯罪被害者の悲惨な状態、それをお金だけで解決することはできない。大切なのは精神的な支援である。特にこれまであまり問題にされなかった、例えば警察官の取調べに関して、被害者に対する取調べが、却って、被害者の心の傷をつける。そういうことを全然考慮しないで、被害者支援というのはおかしい。」ということでした。

【司会】 海外の場合は、警察の取り調べの場合、被害者に対するそういうケアはあるのですか。

【大谷】 もちろんありますけれども、調べ方ですね。例えば、被害者をまるで被疑者のような扱いをすると。それは警察としては真実を発見するために被害者を取り調べるのはやむを得ないところがあります。被害者から証拠を集める必要もあるわけで、どうしても厳しく追及しがちなのですね。そういう場合、被害者の保護ということを考慮するべきではないか。つまり、犯罪被害者を保護するような制度をもっと作っていくべきだというようになりました。それから、どんどんと立法が進みまして、2004年に犯罪被害者基本法が制定されて、文字通り犯罪被害者の権利が、明確に位置付けられるようになりました。

【司会】 伺っていると、先生が研究されていることは、悉く法律になって結果を出していらっしゃるんですね。すごい。

【大谷】 そうですね。

【司会】 さて、そろそろ終わりの時間が近付いてきてしまったのですけれども、今日会場にお見えの方の中には、犯罪被害者への支援について、これまで余り関心がなかった、知らなかったという方もいらっしゃるのではないかと思うので、先生から、特にそういう方たちに向けて、何かメッセージをお話しいただけますでしょうか。

【大谷】 ご存じだと思いますけれども、犯罪被害者の支援は民間の団体が行っておりまして、全国で約50カ所の民間支援団体があります。京都の場合は京都犯罪被害者支援センターというものですけれども、それぞれについて全国ネットワークが作られています。今日お見えの、京都からいらしている平井紀夫さんは、昨日、朝日新聞の「ひと」の欄で紹介されました。

【司会】 拝見しました。

【大谷】 御覧になりましたか。

【司会】 いらっしゃるのですか。

【大谷】 はい。実はその傍にいらっしゃる方です。平井さん、立って下さい。平井理事長でございます。(拍手)

【司会】 ようこそ、お越し下さいました。是非皆様、朝日新聞の記事を御覧ください。

【大谷】 民間支援団体がボランティアでいろいろなお世話をしている。特に、例えば、裁判所へ被害者が行く時には一緒に付き添っていってあげるとか、あるいは裁判所で証言しなくてはいけないというような場合には付き添ってあげる。あるいは電話相談を受ける。直接相談を受けるというような活動をしているわけです。そういう活動は、私は被害者を支援するのに絶対に必要であるというように思っております。

【司会】 まだまだ先生の出番はたくさんありそうですね。期待されていると思いますので、是非お体に気を付けて、御活躍をいただきたいと思います。本当に、今日は貴重なお話をどうもありがとうございました。

【大谷】 最後に一言だけ付け加えますと、先ほど映画にもありましたように、犯罪被害はいつ受けるか分らないのです。自分に責任がなくても、犯罪は発生するのです。ですから、その被害を、被害を受けた人だけに負担させるのは公平に反すると思います。もっと言えば、正義に反すると思うのです。私たちはいつ自分が犯罪に遭うかもしれないという気持ちで、社会生活を営んでいかなければならない。犯罪が起こった人に対しては、一般の近所の人や、あるいはボランティアの人などが支援してあげなくてはいけない。それで初めて均衡が取れるのであって、被害を受けた人だけに負担をさせるのは、正義に反するということを十分に自覚していただいて、これから犯罪被害者に対する見方を、そういう視点で見て欲しいと思いますね。

【司会】 はい、分かりました。本当にありがごとうございました。大谷實先生でした。どうぞ大きな拍手をお送り下さい。

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