■鹿児島大会:パネルディスカッション

テーマ:「犯罪被害者の現状と支援のあり方」
コーディネーター:
 久留 一郎(公益社団法人かごしま犯罪被害者支援センター理事長)
パネリスト:
 井手上博重(鹿児島県警察本部警務部警務課被害者支援室長)
 井上 郁美(飲酒・ひき逃げ事犯に厳罰を求める遺族・関係者全国連絡協議会 幹事)
 松田千恵美(公益社団法人かごしま犯罪被害者支援センター犯罪被害相談員)

久留: 御紹介にあずかりました久留です。これからパネルディスカッションを開始いたします。パネラーの発表は井手上さん、松田さん、そして最後に、御講演をいただきました井上さんの順で行いたいと思います。

それでは、井手上さんからお話をいただきます。御自分の仕事も紹介をしていただきながらと思います。それでは、どうぞ。

井手上: 警察本部の被害者支援室の井手上と申します。よろしくお願いします。

私は、被害者支援室の被害者支援専従という立場で、事件・事故を担当する部所、そして警察署の担当者たちと一緒になっての支援、被害者支援のまとめ、指導などを主な業務としています。私からは警察における被害者支援の取組、あり方について話をさせていただきます。

事件・事故の被害者の多くはごく普通の日常の生活で突然、犯罪や事故の被害に遭います。そして同時に、平和な、平凡な生活が奪われます。ですから、被害者やその御家族にとっては大変な痛みや悲しみを背負うことになるわけです。被害者、そして御遺族、御家族にとっては命を奪われる、家族を失う、怪我をする、物を盗まれるといった生命や身体、財産上の直接的な被害だけではありません。事件に遭ったことによる精神的なショック、身体の不調、医療費の負担、怪我による失職・転職、経済的な被害、そして捜査手続、裁判の過程での時間的な制約・拘束といった被害、負担が生じます。さらには周囲の人たちの噂に悩まされます。無責任な噂、マスコミ取材などに対するストレス、不快感、こういった二次的被害が新たに生じて苦しめられると言われています。

警察は多くの場合、最初に被害者と接し、かつ、最も身近な立場にあります。被害者の立場で被害者の心情を理解し、共感を持って被害者と接するように努めています。

それでは、警察における被害者支援の制度、取組についてお話します。

大きく4項目あります。

現在、鹿児島県警はあんしん・かごしま創造プログラムを立ち上げ、犯罪の防止・検挙も含めて被害者支援を一つの柱として取り組んでいます。一つは被害者への情報提供、二つ目に精神的な負担の軽減を図るための相談・カウンセリング制度の運用があります。三つ目として、犯罪被害者給付金制度の運用。そして、捜査過程における被害者の負担の軽減となっています。

まずは、被害者への情報提供として、パンフレット配布と被害者連絡制度についてお話します。

被害者の方にとって、犯罪による被害を回復・軽減するために受けることができる数々の支援の内容、刑事手続に関することは馴染みの無いものです。事件に遭遇し、困惑している被害者にこのような情報は早期・包括的に提供される必要があります。警察では刑事手続の概要、捜査への協力のお願い、被害者等の方が利用できる制度、各種相談機関・窓口について、分かりやすく記載した『被害者の手引き』を作成、配布しています。この手引きには、犯罪被害者用と交通事故被害者用の2種類があり、それぞれの被害者等に応じて配布しています。

次は、被害者の連絡制度です。殺人・傷害・性犯罪などの身体の被害者、交通事故のひき逃げ事件、交通事故、死亡事故といった重大な事故・事件の被害者の方は、被害によって受ける精神的苦痛は大きく、事件への関心も強くなります。警察では、これらの被害者・御遺族に対して、刑事手続、犯罪被害のための制度、被疑者検挙までの捜査状況、被疑者の検挙状況、逮捕被疑者の処分状況などを連絡します。交番などの地域警察官による受け持ち区内の被害者の再被害防止、不安感の払拭・解消のため、要望に基づいて訪問・連絡活動を行っています。

二つ目の精神的な負担の軽減を図る相談・カウンセリング制度について。警察本部、警察署に被害者相談窓口を設置して相談に当たっているほか、警察総合相談電話、性犯罪被害110番、ヤングテレホンなど各種の相談電話を設置して被害者のニーズに応じた相談を受けています。犯罪、事故により深刻な精神的被害を受けている被害者・御家族に対して専門的知識を有する医師、臨床心理士がその心理状態に応じたカウンセリングを実施して、精神的被害の軽減・早期回復を図るカウンセリング制度を運用しています。

三つ目の精神的・経済的打撃の緩和を図る犯罪被害給付金制度は、昭和56年から施行されています。通り魔殺人事件など故意の犯罪行為によって不慮の死を遂げた被害者の御遺族、身体に障害を負わされた被害者等に対し、社会の連帯共助の精神に基づいて国が犯罪被害給付金を支給するものです。死亡した被害者の御遺族に対して支払われる遺族給付金、犯罪行為により重大な負傷・疾病を受けた方に支給される重傷病給付金、そして、身体に障害が残った方に対する障害給付金の3種類があり、いずれも一時金として支給されます。

そして、捜査過程における被害者の負担の軽減です。まず、指定被害者支援要員制度についてでありますが、殺人、強盗致傷事件、性犯罪等の身体犯、重大な交通事故が発生した場合、被害者、その御家族が最も動揺している事件発生直後の初期的段階から集中的に支援・救済するために、職員の中から支援要員として担当者を指定して、被害者の支援に当たっているものです。例えば、性犯罪の被害者に対しては女性警察官を支援要員として指定し、きめ細かな支援を行うなどの対応も図っています。

この制度は、事件発生当初に担当者が病院へ付き添う、あるいは刑事手続の説明、被害者の悩みや相談に応じるなどの活動を通じて精神的被害の回復・軽減を図るものです。被害者の手引きもこの担当者がお渡しすることになっています。また、被害者とその御遺族が、犯罪の被疑者、加害者により再び危害を加えられる事態を防止するため被害者等と緊密な連絡をとりながら必要な助言を行い、状況に応じて自宅・勤務先での身辺警戒・パトロール等の強化も行います。また、状況によっては緊急通報装置を貸し出すなど、被害者への危害を未然に防止するための措置も講じています。

被害者等の経済的負担の軽減を図る、各種の公費負担制度についてお話します。

殺人、強盗、性犯罪等の被害者は、被害に遭ったことによる肉体的・精神的な被害に加えて診察、治療、診断書などにかかる経済的負担も強いられる現状にあります。犯罪捜査に必要な診断書・死亡診断書、もしくは死体の検案書の交付手数料を公費で負担しています。

性犯罪の被害者の経済的・精神的負担軽減を図るものに、性犯罪被害者に対する緊急避妊等に要する経費の公費負担制度があります。性犯罪被害者は犯罪に遭ったことで人間としての尊厳を踏みにじられ、身体的な被害と極めて重い精神的負担、経済的負担を強いられる現状にありますことから、診断書等手数料に加え、初診料、緊急避妊に要する経費、性病などの検査料を公費で負担するものです。このほか、殺人などで亡くなられた場合、御遺体を解剖した際に、御遺族などの心情に配慮し、その経済的負担の軽減のために解剖後、御遺族が希望する県内の引き渡し場所までの遺体搬送費用を公費で負担する制度をとっています。

それから、自宅が犯罪被害現場となった被害者、もしくは御家族・御遺族は被害直後から再び危害を加えられるのではないかという不安、恐怖感を抱き、自宅に居住することが困難となる場合もあります。また、殺人事件では、物理的に自宅に居住することができない場合もあります。このような被害者などは他に居住する場所がないため、自費による宿泊場所の確保を余儀なくされる場合もあります。そのために、宿泊施設を一時的に緊急避難場所として提供し、使用料を公費負担することで被害者等の保護、再被害の防止、精神的・経済的な負担の軽減を図る制度もとっています。警察としてはこうした具体的制度を通じて、被害者支援の充実に取り組んでいるところです。

それでは、今後の取組・あり方についてお話したいと思います。

被害者などのニーズに沿ってきめ細かな、途切れのない被害者支援を行うには警察だけでは限界があります。そこで、県や関係機関・団体との連携が必要であるとともに、それぞれの機関の役割も大きいものと考えます。

鹿児島県犯罪被害者等支援連絡協議会は、平成10年に設立されました。現在、検察庁と国の機関、県、医師会、弁護士会、臨床心理士会、かごしま犯罪被害者支援センターを含めて20の関係機関と団体で構成され、相互の連携・協力のもとで地域に密着した支援活動を行っています。また、被害者の多様なニーズに応えるために様々な機関・団体などに加わっていただき、被害者支援ネットワークを作っています。県下の各警察署が事務局となり、被害者の方の要望に応じてネットワークの会員に通常業務の範囲内で御協力をいただくものです。警察としては今後も関係機関、団体との連携を図り、少しでも被害者の方の支えとなれるよう支援の充実を図ってまいります。この大会を機に県民の皆様にも御理解をいただき、一層の連携によって被害者への積極的な支援を行っていくための御協力をお願いしたいと思います。

このほか、社会全体で被害者を支え、被害者も加害者も出さないまちづくりの機運を醸成する取組として「命の大切さ」事業を展開しています。教育委員会や学校の先生方の協力をいただき、かごしま犯罪被害者支援センターとともに県内の中学校・高校で学生等を対象に開催しています。犯罪や交通事故の御遺族の方に自分の体験を講演していただき、国民や県民の方に理解を深めてもらう広報活動です。生徒が犯罪被害者等の思いや立場を理解する契機となって、また、自分や他人の命を大切にして、いじめや暴力を無くすなどについてもより強く感じ取ってもらうために開催しています。

久留: ありがとうございました。警察行政の立場から支援室の仕事の内容を細かく御説明いただきました。犯罪被害者の支援は、色々な支援のシステムが立ち上がってきつつある、その一部を御紹介いただきました。

続いて、犯罪被害者相談の活動をされている松田相談員からお話を伺います。

松田: かごしま犯罪被害者支援センター(以下センター)で相談員をしている松田です。よろしくお願いいたします。

私は相談員となって7年目になります。アルバイトで、ある御遺族の基調講演のテープ起こしを行ったのがきっかけです。センターは平成17年3月に設立され、設立記念フォーラムが開催されました。基調講演は、当時、被害者支援都民センターにいらっしゃった大久保恵美子さんという最愛の息子さんを交通事故で亡くされた方が御講演してくださいました。その録音テープを聴いたのですが、大久保さんは「今までは被害者が大きな声で泣きたくても泣けない、助けを求めたくても求める場所すらない、そういう社会だった。被害者は理不尽だ。被害者は、支援の手を差し伸べられるのを待っている、必要としている」という内容でした。私は衝撃を受けて、キーボードを打っていた指が止まりました。

アルバイトの前は警察官として勤務しておりました。被害者や被害者の御家族にお会いすることもありました。けれども、大久保さんのお話をお聴きしたときに、私は被害者の気持ちを何も知らなかったとショックを受けたのです。それで、私も被害者支援に携わりたい、社会のために何かお役に立てないかと思っていた矢先、センター職員の募集があったので、迷わず応募して、現在に至っています。センターに入ってからは久留理事長をはじめ、理事の先生方の研修を受けたり、全国の研修会に参加したりしております。

センターについて、本日会場にお越しくださった皆様の中には、今日初めて知ったという方もいらっしゃるでしょう。お手元にセンターのリーフレットがあるかと思いますので御説明いたします。

センターは犯罪や事件や事故に遭われた方、その御家族・御遺族をサポートする機関で、民間の団体です。かごしま県民交流センターの5階にあります。県民交流センターはどなたでも気軽に入れる場所です。それでいて、事務所のある5階は一般のお客様が利用することは少ないので、ある方からは「犯罪被害者支援センターという看板が掲げてある扉を開けると、自分が被害者であることが誰かに分かってしまうのではないかととても心配でしたが、人目を気にせず入れました」と言われたこともあります。県の御配慮で、検察庁や裁判所が近いこの場所に事務所を開設していただいたとも聞いております。

主な業務内容は電話相談、面接相談、付き添いなどの直接的支援、そして広報啓発活動などです。平成19年7月には鹿児島県公安委員会から、犯罪被害者支援を適正かつ確実に行うことができる営利を目的としない法人として、犯罪被害者等早期援助団体の指定を受けることができました。これまでは、被害者が自分の力で相談窓口を探し、自分で足を運んだり、電話をかけたりしないといけませんでした。早期援助団体の指定により、警察が被害届を受理した段階で、この被害者には支援が必要だと判断しますと被害者の方の同意を得てセンターに被害者の方の情報、お名前、連絡先、被害の概要、今どのような状態なのかということ等の連絡をいただけるようになっています。情報提供を受けたセンターが被害者の方に御連絡できるようになり、早い段階でセンターから支援に向けたアプローチができるようになりました。

被害者の現状は、井上さんの御講演、県警の井手上室長がお話しになった通りなのですが、私がこれまでお会いした方々の経験をもとに少しだけお話ししたいと思います。

被害直後は混乱した状態にあるために、心は傷ついて、大きなショックを受けているのに、その感情が表に出ない方もいます。ボーッとしているのに警察官や親戚の方と接すると、なぜか冷静に頑張れる自分もいたと話してくださった方もいます。色々な人と会うときには頑張れるので「大変な被害に遭ったのに、元気そうで安心した」と言われた、葬儀では、亡くなった家族をちゃんと送り出さなきゃと思って必死にしているところを「涙も見せないで気丈だね」と言われて傷ついた、というお話も聞いています。混乱状態にあるにもかかわらず、周りから誤解されて、支援の手が差し伸べられない危険性もあるということも聞いています。

二次被害という点では、自宅で被害に遭われた方が自宅に住み続けることが難しくなり、引っ越しをしなければいけなくなりました。引っ越し費用は被害者本人が負担しないといけないということもあり、そのお手伝いをセンターと警察が連携して行いました。警察の方は重たいものを運んでくださいました。センターで活動する主婦のボランティアは台所まわりを掃除したりしました。

御主人が被害に遭って入院した方はその日から収入が途絶え、お子さんの給食費が払えないという御相談もありました。このときは教育委員会に一緒に相談に行きました。制度の説明とその利用、市役所での所得証明を取る手続きなど行政窓口の付き添いなども行っています。

身体的な症状でよく聞くのが頭痛です。その他にも、不眠、イライラする、食欲がなくなる、外出ができなくなるといった苦しいお気持ちをお聞きしますが、そのたびに二次被害の深刻さを感じています。

実況見分や裁判などでは、嫌でも被害に遭ったことが思い出され、何度も辛い思いをすることになります。ある性被害の女の子の、検察庁での事情聴取に付き添ったことがあります。彼女を自宅に迎えに行くと「検察庁に行くのは嫌だ」と全身で拒否していることが伝わりましたが、それでも彼女に寄り添いながら検察庁へ行くことになりました。検察庁に着くと彼女は「トイレに行きたい」と言ってトイレに入りました。そして、閉じこもってしまいました。私たち支援員はトイレの前で何もすることができず、どうやったら出てきてくれるだろうか、その扉の中で今どうしているだろうかと考えることしかできませんでした。1時間ほど経って、彼女は腕や足に血がにじんだ無数の引っ掻き傷を作って出てきました。聞くと、ピアスの先端で引っ掻いたとのことでした。彼女の苦しさを目の当たりにして、私たちは無力感を覚えました。

その女の子は裁判員裁判を嫌がっていました。けれども、裁判が終わった後、センターに来て「頑張ってよかったです。ありがとうございました」と笑顔で言ってくださいました。検察官にも拒否反応を示していたのですが「検察官は自分のために頑張ってくれた。お礼が言いたいので日程調整してもらえませんか」とも言ってくれました。今でもその笑顔を忘れることはできません。

親戚や友人からの何気ない励ましが、すごく辛いときがあるとも聞いています。お子さんを亡くされた御遺族の場合「ほかの子どもがいるんだから、頑張ってね」などと言われると、その方が自分を心配して励まして言ってくれたのは分かるけれども「亡くなったあの子はあの子しかいないのに、と思って受け入れられなかった」と仰っていました。

お友だちが「いつまでも泣いていたらだめよ」と言うので、次に会ったときに涙をこらえて笑顔を作ってみた。すると「もう笑えるようになったんだ。よかった。でも、自分だったら、あんな被害に遭ったらまだ笑えないかも」と言われて傷ついた、と話してくれた方もいらっしゃいます。相手の気持ちに寄り添っていない励ましは、ときに傷ついた心に深く刺さることがあります。

骨折、切り傷といった目に見える傷は労わってもらいやすいですけれども、目に見えない心の傷はなかなか察してもらえない、労わってもらいにくいという現実もあります。センターではそういう声にできない声、目には見えない痛みなどを見るように努め、その方のお気持ちに寄り添おうと努めるところに気を配っています。

被害に遭われると自責の念を強く抱く方もいます。誰もその被害を防ぐことはできなかったのに、あのときああしていれば、もし自分があそこを通っていなければ、外出させていなければ被害を防げていたのではないかと自分をずっと責め続けることもあります。

次に、支援のあり方についてお話ししたいと思います。支援のあり方で一番大切なのは、被害者の生の声であり、それが道しるべになるのではないかと私は思います。そして、被害者支援は一つの機関・団体ではできません。井手上室長からもお話がありました、きめ細かい、途切れのない、いつでもどこでも等しい支援を提供するためには関係機関・団体、色々なところが連携をしなければならないと思います。

センターでは検察庁、県警、法テラス、保護観察所の5者で定期的に会議を行っています。そこで意見交換をし、共通認識を持ち、何かあったときにすぐ連携ができるよう良好な関係を深めておこうというものです。このほかに、弁護士会の被害者支援委員会と適宜会議も行っています。私たちは被害者の生の声をお届けし、先生方からは法律等を教えていただくという形です。弁護士の先生方とは何かあったときに電話をすればいつでも対応してくださるという関係ができています。

それから、適切な支援を行うためには、支援員自身が健康でなければいけないと思います。先ほどの検察庁の付き添いの例で、無力さを感じたとお伝えしましたが、その後支援員は臨床心理士の「スーパーバイズ」というケアを受けました。臨床心理士はセンターの理事長である久留先生と理事の餅原先生で、被害者支援の専門家です。ケアを受け、それでまた気持ちを立て直すことができ、何とか力尽きずに頑張っている状況です。支援員をサポートしてくださるサポーターの充実も、支援にとっては必要だと思います。

そのケアをしていただいている餅原先生の記事が、先日新聞に載っていました。先生は「人間は心が傷ついても優しさ、思いやり、苦境と対峙する力があり、その部分を周囲が支えなければならない」と仰っていました。本日、井上さんの講演をお聞きして、また原点に帰ることができましたし、支援の道しるべ、アドバイスをたくさんいただきました。センターとしては、それらを今後の支援のあり方として、また、センターの理事をはじめ応援してくださるたくさんの団体の方々と一緒に、被害者のためのセンターとして努力していきたいと思っています。

久留: ありがとうございました。実際の活動から分かりやすく事例を御説明いただきました。

井上さん、先ほどの講演で言い足りない分、お二人の話をお聴きになって加えることがあればお願いします。

井上郁美: ありがとうございます。支援についてお話しする機会は、これまで各地で二百何十回と講演をしている中で、1割ぐらいです。でも、会場にいらっしゃる方々は見識が高く、勉強しようとされていて、最新の情報も得たいと非常にレベルが高いですから、私たちもやりがいを感じます。お二人のお話を聞いただけでも私が考え、話そうとしていたことに加えてお話しできることは多々ありました。私たちは12年間を経て、いまだに回復の途上にいます。その過程で出会い、人対人という関係の上で対応してくださった方々のことを具体的に紹介したいと思います。

4つの職業がまず思い浮かびました。一人は警察官、一人は裁判官、一人は被害者支援センターの相談員の方、もう一人はメディアの人です。

まずは警察官の方です。2日前は娘たちの12回目の命日でした。今年55歳になるこの警察官は毎年、命日にお供えを送ってくださいます。12年経っても必ずくださる。お手紙をいつも書いてくださいます。今年も読ませていただきました。「私は55歳になりました。あと5年で定年です。今も若い警察官たちに対して、あの東名の事故現場でどのようにしてお嬢さんたちの遺体を扱ったかということを、そして、そのときに私が感じた怒りというものを伝え続けています。5年たったら(現役を退いたら)、毎年御案内いただいております奏子ちゃん、周子ちゃんをしのぶ会に私も一個人としてぜひ出席させていただきたいと思います」。そう書かれていました。

事故現場は先ほど見ていただいた写真のとおりです。私も救急車で搬送されてしまいましたのであの事故現場で娘たちがどうなってしまっているかを、最終的に確認できなかったのです。どんな遺体になってしまっているのか。ずっと気がかりだったのです。救急隊員の方には娘たちを確認してくださいと、病院に着いてもそれを訴え続けていたのですけれども、どう対応したらいいか、どう伝えられるかとお困りでした。それを知ることになったのは裁判のなかでした。現場に駆けつけた高速警察隊のこの警察官が、どのようにして事故現場に対応したかが警察官の供述として細かく書かれていて、私たちはそれを裁判が終わってから開示していただくことで現場の様子がつぶさに分かったわけです。

現場では二人の警察官で遺体の収容に当たった。パトカーにはひと組しか白い手袋がなかった。二人で片方ずつはめて娘たちの収容に当たった。最初は遺体がどこにあるのかも分からなかった。それぐらいひどい状況だったわけです。やっと発見でき、このまま引っ張り出すと遺体を損ねてしまうので車を一部解体し、引き離したりして遺体をこれ以上傷つけることがないように、やっと取り出した。そのとき、なぜこんなに手袋が黒くなってしまうのだろう、なぜこんなに遺体が軽いのだろうと思った。その警察官にもお子さんが4人いらっしゃって3歳の子どもの重さは分かっているわけです。焼死体になってしまったらこんなに真っ黒になって、こんなに軽くなってしまって、遺体を警察署に持って帰るときに感じた怒り、やりきれなさは生涯忘れられないと書かれてありました。

私たちは親として子どもたちの最期に立ち会えなかった。遺体を自分たちの手で触ることもできなかった。その遺体は厳重にくるまれて、上から触ってもどこにその遺体があるのかさえ分からないようになってしまっていた。でも、私たちが救われたのは、最後に接してくれた警察官が一人の人間として、親の代わりとして、子どもたちに丁寧に接してくださったと知ることができたときです。ああ、奏子、周子はその方に、最後に優しくしてもらえて良かったと思えたのです。ただし、必ずしもそういう対応ばかりをしていただけるとは限りません。事故現場の状況によっては遺体の取り扱いが配慮に欠け、逆に遺族が怒りを覚えたということもあります。そのときの個人の判断と対応で、被害者の気持ちは変わってしまうわけです。私たちは幸いにして、血の通った警察官に対応していただけて、その後もお手紙のやりとりをずっと続けさせてもらって、あのお巡りさんが来てくれる、5年後のしのぶ会には必ず来てくれるということを楽しみにできるのは幸運だったと思っています。

二人目は、裁判官です。

刑事裁判は散々な結果でしたので、日本の司法や法律に非常に不信感を覚えてしまったのです。今でしたら危険運転致死傷罪が適用されていて、裁判員裁判になっているから、あんな判決は下りなかったかもしれない。でも、11年前は残念ながら、たった一人の裁判官が下した判決そのものにも傷ついてしまいました。

私たちは、何の罪もない自分たちの子どもたちを殺されているのに、加害者にはその復帰を望む妻や子どもたちがいることで、加害者の減刑に有利となるようなことが理由の一つに挙げられていた。裁判官のこの非情さよと思うぐらい、日本の裁判所に対して絶望感を覚えていました。

でも、幸いなことに、私たちが3年目の時効直前に起こした民事裁判では河辺裁判長が的確な判決文を書いてくれました。交通事故の裁判も含め、民事裁判で判決文を詳しく読み上げること自体が異例なのですが、その判決では「主文は後回しにします。まず、理由から読みます」と言って20枚近い理由の要旨を全文読み上げられました。後日いただいた判決文は30数枚もありました。私たちがどういう思いでこの民事裁判を起こし、訴えていた運転手、運送会社の責任、それから運送会社がいかにしてこの事件を防ぐことができなかったか、その管理責任はいかに重たいかも含めて書いてくださったのです。それを読み上げ、最後に主文を読み上げました。

判決文を読み上げ、手元に置き「非業の死を遂げた姉妹の冥福を祈るとともに、裁判所としても飲酒運転の根絶を切に願っています」と、裁判官個人の言葉を添えてくださった。主文を読むのを後回しにするのも異例なら、判決文の要旨を裁判長がずっと読み上げるのを見たことがありません。そして、その後に一言添えられた。なかなかこうした光景は見ることがないと司法記者クラブの記者も驚いていました。その一言を判決文に込めてくださった、血の通った裁判官に出会えたという気がいたしました。

三人目は、支援してくださった方です。相談員の松田さんも話してらっしゃいましたが、心のケアが大事なことであるにもかかわらず、被害者意識を変えなさい、いつまで泣いているのと周りの目が冷たくなってくる場合が残念ながらあります。特に男性は厳しい環境に置かれてしまいます。支援センターに電話をかけてくる、あるいは面接に来る、自助グループに参加する方の中に男性の姿はあまり見受けません。男女の別なく家族を亡くした、最愛の子どもを亡くしたその傷は簡単に癒えるものではありません。にもかかわらず、仕事を持っていれば忌引き欠勤のわずかな日数を過ぎたら会社に戻らないといけない。私は産休・育児休業を取ったので4月1日から会社に復帰しました。事故から5か月が経っていましたが、復帰してからが大変でした。

職場には理解のある上司、同僚たちがいます。やりがいのある仕事を任され、被害に遭った後も変わっていない。でも、自分だけが変わってしまった。この書類を作っていた頃、このお客様と仕事を始めた頃、あの子たちは生きていたのに。このお客様と私はまた打ち合わせをしているのにと二度とあの頃に戻れない現実に毎日打ちのめされるわけです。復帰から1か月、とうとう限界が来てしまいました。このままだと自分はおかしくなってしまうかもしれない。上司に相談して3日ほど休暇を取ったのですが、それがさらに良くなかった。家に1日いてゴロゴロしたりしている。テレビを見たり新聞を読んだり。でも、今度は、半年前の事故のこと、その直後に周りの人から言われたこと、理不尽に思ったこと、傷ついたことが際限なく思い出され怒りを抑えられない自分がいました。恩のある人、お世話になった人たちに激しい感情を持ってしまう自分はなんと情けない人間なのだろう。被害者になったというだけで私は弱く、不十分で、不完全な人間になってしまったと考え、悶々としてしまうわけです。これはまずいと思ってある本の巻末にあった番号に電話をかけました。電話した先は東京医科歯科大学の被害者相談室。その後、被害者支援都民センターとして生まれ変わっています。

都民センターに電話がつながりました。電話一本かけるのにどれだけ勇気が必要だったか想像してください。大人になって、社会人になって、家族も持って自活・自立できていると思っている自分がすべてをギブアップしてしまった。自分だけではどうにもならない状況を認めた以上、電話をかけざるを得なかった。でも、電話の先の人がもし、冷たい、素っ気ない素振りをちょっとでも見せたら、私はすぐに電話を切ろうと思っていました。つながった電話に、いきなり「面接相談をお願いしたいのですが」と切り出しました。理路整然とした話ができていないわけです。何者かも名前も分からない被害者からの電話の声だけを頼りに、電話の向こうの相談員は「ちょっとお話を聞かせていただけますか」と言いました。私が少し話すと「ああ、もう結構ですよ。分かりました。面接相談の日程を調整しましょう。この場所に、この日に来てください」と丁寧に応じてくれました。この電話をかけたことで、私は今日に至っています。

その後、被害者支援都民センターのカウンセラーに2週間に1回、1時間の面接相談を受けました。相談は1年半ほど続きました。カウンセリングを受けるのは初めてですし、本当に2週間に1回必要なのかと疑心暗鬼であったのも事実です。そうは思っても2週間のうちには色々と腹が立つこと、悲しいことが起きてしまうわけです。心の中でたまったものを先生に聞いてもらい、その先生との信頼関係がだんだんとできていきました。人の相談に乗るというのは大変な職業だと思いました。松田さんは、支援員自身が健康でないといけないと仰っていましたけれども、私も痛切に感じます。相談者、支援員には被害者の悲しみ、怒りが直球で投げつけられるわけです。それでもずっと聴いてくださる。私に向き合ってくれた先生は、仕事として被害者の気持ちを聴いてくださっている。先生に話したことは絶対に他言されないという信頼関係の上で話せる安心感があります。夫であれ家族であれ、話せないことだってあります。先生は仕事として受けとめてくれているからこそ、絶対に他言はない。その信頼があるからこそ私は吐き出せたのです。私は思わず聞いてしまいました。相談を受け始めて半年以上経っていたと思います。「先生、つらくないですか」。すると初老のその先生はにっこり微笑んで「まあ、いろいろなお話を聴かされますけれども、被害者として相談されてくる方と私との間に確かな絆、信頼関係が築かれている、築き上げられていると感じられること自体がこの仕事をやっている最大の恩恵だと思っています」と。その境地にはとても至ることはできませんが、大変な仕事に就かれている方々の御苦労を思うと敬服の念にたえません。一方で、松田さん御指摘の通り、大変で貴重な仕事に就いている人たちが傷つき、燃え尽きてしまわないために、支援センターや周りの方々の配慮していただきたいと思います。

最後は、メディアの人たちです。マスコミの取材を受けるストレスは確かにあります。井手上室長御指摘の通りです。ただ、交通事故の被害者遺族はマスコミの取材を受けること自体が稀です。事故直後に「被害者の写真をください」と訪ねてくる記者もいるようですが、交通事故の場合「報道されない被害ってあるよね」と、交通事故の被害者遺族の間では話すほどです。取材を受けたいという気持ちがどんな被害者にも必ず一度は訪れると思っています。それは事故直後ではなく、数週間から数か月経ち、真相が分かってきて、どんな罪名で裁かれるかが分かった途端に吹き出してくるものがあります。でも、この時期には記者たちは自分の周りからいなくなります。メディアはストレスのもとになる可能性もあると同時に、思いを伝えたい、話を聞いてほしいと求める被害者と信頼の置ける記者がつながることも支援の一つの形になるのではと期待しています。マスコミ関係者を一律に排除するのではなく、被害者、その家族などのもとに来た人たちの名刺は預かっておくという配慮があったら、支援者として合格だと思います。名刺を被害者に渡しておけば、被害者が記者と連絡をとりたくなったときの手がかりになります。

これまでに2,000人以上の記者と私たちも名刺を交換しました。中には不勉強な記者もいますが年に1回開いている奏子、周子をしのぶ会に家族を連れてプライベートで来てくださり、10年以上の関係を続けている記者もいます。必ずお手紙をくださる記者もいます。

マスコミだから、記者というのはといった先入観で接するのではなく、その記者が人として素晴らしい方なら被害者にとって強い味方になる可能性もあります。そうした出会いを支援する側の人たちは排除しないでいただきたいと思っています。

久留: ありがとうございました。このディスカッションをまとめる意味で、一言私のほうから。

鹿児島県警の警察本部の前には「聲無キニ聞キ 形無キニ見ル」という、日本最初の警視庁警視総監の方がお書きになった碑があります。これはまさに、被害者支援の大原則だと思います。「聲無キニ聞キ」とは、被害者が言わんとしていることを聞く耳を支援者は持つということ。さらに、心の傷は見えない、形がないからと決めつけず「形無キニ見ル」の姿勢で察知する力を持つことを、井上さんは話してくださったと思います。

東日本大震災のがれきの処分をどうするか、いまだ解決には至っていません。先ほどのお話ですと、がれきは御遺族や御家族にとってはとても大切な物かもしれません。それを処分するなんていうのは被害者の立場からしたら身を切られる思いであることも、支援者の方々はよく分かっておかないといけません。直後の支援に入ったとき「このアルバムは全部捨ててください」と言う人は結構います。「それは、そっと段ボールに入れて納めておいてください」と一言加えたら、後々大きな意味を持つときも出てきます。ちょっとした気遣い、配慮が支援者には問われると思います。

支援室の井手上さんは、支援の様々なシステムを知ることがワンストップ機能となり、被害者支援に役立つというようなことを仰ってくださったと思います。

松田さんからは、人間としてそっと寄り添える関係、被害者の味方として、そして言葉には光と影があるということを教えていただきました。

井上さんには、被害者でないと分からない世界を、涙をぬぐいもせず私たちに伝えてくださったことに深く感謝します。そして、鹿児島まで御主人ともどもおいでいただいたことに深く感謝申し上げます。

これをもちましてパネルディスカッションを終わります。フロアの皆様、3人のパネラーに温かい拍手をお願いします。

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