■広島大会:基調講演

テーマ:「犯罪被害者等の置かれた立場」
講師:北口 忠(被害者遺族・平成16年廿日市市女子高生殺害事件)

お忙しい中、ありがとうございます。事件発生から今日までの7年の間、私自身も頑張りましたけど、普通に、変わりなく生活できたのは地域、支援センターの方、警察の方々に協力していただいたからです。ありがとうございます。

これから、どんな思いでこの7年を過ごしてきたかを話します。今後、もし、皆様の周りで被害に遭われた方をサポートするようなことになった時、どうすればいいのかという参考になれば、と思っています。それと、我が家に起きたこの事件は未解決です。事件を解決するために一件でも情報をいただきたい。そういう思いでお話をさせていただきます。

まず、精神面の弱さについて話します。

事件が起きたのは平成16年10月5日、火曜日の午後3時頃です。私は会社に勤務しており、4時頃だったでしょうか、突然、携帯が鳴り私の親類の人からでした。「事件が起きたからすぐ帰りなさい」「どんな事件」と聞いたのですけど、「いや、よくわからんから、とにかく早く帰ってきて」とだけ伝えられました。

私はすぐに電車に乗りました。女房も勤めているので、車内から妹に「うちで何か事件があったみたいだから、駅まで迎えに来てくれないか」と電話しました。宮内串戸駅に着いて車に乗ったとき、妹が懇意にしている広島総合病院勤務の方から妹の携帯に電話が入りました。妹が私に携帯電話を渡し「お父さんですか」「はい」「娘さんが搬送されてきました。今、家に帰れる状態ではないので、病院に身元確認に来ていただけますか」。

この時点で、容体は普通じゃない、という思いが頭に浮かびました。身元確認、その言葉を聞いた途端、思いたくはなかったけれど覚悟をしました。駅から病院まで約10分、どこをどう走って、どう着いたのか覚えていません。考える余裕も何もなく病院に着いて、娘と対面しました。その姿、7年経っても忘れることはできません。眠るような、揺り動かせば起きてくるのではないか、そういう感じでした。

朝はいつも私が娘を起こしていますが、その日から試験が始まって自分で起き、私とすれ違いのような格好で、顔も会わすことなく学校に行って対面したのがそういう姿、親としても何とも言えない。なぜ、どうして、その思いが大きかったです。

病院に聞くと私の母も被害に遭い、広島市内の市民病院に搬送されたと言われます。連絡をとっていただき、母の状態を聞くとこれもよくない。せめて母だけでも助かってほしい。その思いが大きかった。断片的にしか覚えてない部分もあるのですが。

家に帰ったのは翌日の朝です。これが我が家なのかと思うような犯行現場です。家自体は何も変わっていませんが、犯行の起こった現場です。忘れることはない、また、忘れてはいけないという思いがあります。

葬儀を行い、娘がお骨になってその骨を拾う。これは何とも言えない気持ちになります。骨を拾って骨壷に入れる。軽くなった娘なのです。娘はその年の4月、体育の授業で足の靱帯を傷めて松葉づえを使う生活でした。肩を貸したり、おんぶしてやったり。その重みを覚えていますので、お骨になったその軽さ…こういう思いは、皆様には絶対、体験していただきたくないと思います。

私の母は手術の後、回復してくると自分のことよりも娘が心配で「聡美は」と私に尋ねるわけです。けれど、現実をなかなか言葉にできない。「聡美は別の病院で頑張っているから、ばあちゃん、あんたも頑張りいよ」と伝えるしかない。いつかは真実を伝えなくてはいけない。それをいつにしようか、そうした思いと、伝えた瞬間の言葉というのは今も覚えていますが、もう二度と話したくない。遭いたくもない事件、事故に巻き込まれ、強く生きようと思う半面、嫌な経験はずっと覚えている。そんな感じです。

外にも出にくくなりました。周りの人と会って話をするのが苦手になり、事件後2週間~1か月は出歩きたくなかったように思います。でも、家の中ばかりにいるのも辛いので、女房に、たまには外でも出ようかとは言うのですけど、行く場所が思い当たらないのです。娘と色々な場所に行っていますから、どうしても思い出してしまう。気分転換のために、少しでも悲しい思いを忘れたいから出かけても、行く先々で思い出してしまうから行く場所がないという感じで、気分転換しようにもできなかった。

7年経っても行くに行けない場所、訪ねたくない、見たくもない場所が残っています。例えば府中町にある大型ショッピングセンター(ソレイユ)。娘が高校2年になった春、「お父さん、遊びに行ってもいいかね」と言う。「ちょっと遠いから、また今度にすれば」と行かせなかった場所の一つです。8月は宮島の花火大会があり、毎年一緒に見に行っていました。私の家から花火の上がる音は聞こえますが、見る気にならない。事件がなければ、娘は修学旅行で東京に行くので東京ディズニーランドをすごく楽しみにしていました。娘の行けなかった場所に足を踏み入れるのが何か悪い気がして、今も行ってはいません。

事件が起きる前は年賀状で、色々な方と近況報告をしていましたが、事件以降は年賀状をいただいた方だけにお出しするという格好になりました。私は大学時代の友達が結構いるのですが、そのうち半数と年賀状のやりとりもしなくなりました。日々のちょっとしたことですけど、色々なことがなかなかできなくなります。同時に、毎年迎える娘の誕生日の7月と事件の起きた10月は、平常心でいようにもなかなかいられない。これからこれもずっと続くのではないかなという思いが強いです。

頑張ろうという気持ちはあるのですが、冬に向かう時期、どんより曇り、寒くなってくると気分的にガクッと来るときもあります。これが現実です。周りの人の前でそういう姿は見せませんけれど。

マスコミ、報道関係のことを話します。

事件当初、マスコミの方との接触はありませんでした。テレビでどういう報道をされているか、新聞にはどういう内容で書かれているか、私自身見たくもないし、見る余裕も無かったので全然分かりませんでした。

私は事件後、10月いっぱい休暇をもらい会社は休んでいました。11月からJRで通勤を始めたある日、車中で男性2人の会話が耳に入ってきました。「もう1か月が経つけれど、あの廿日市の事件はまだ解決しないよね」「刺されて殺されるくらいだから、結構悪い、ひどい女の子なんじゃない」と話している。事件はどういう報道をされたのか。未解決だから犯行の理由が分からないところがあるのですけど、推測で恨みによる犯行ではと書かれ、ニュースで言われたら、世の中の人は恨みを持つようなことをやっているからと捉えてしまうのではないか。当時どんな報道がされていたのか分かりませんが、こんな疑問を抱きました。娘(被害者)に対する良くない評判がいったん広がってしまうと、それを打ち消すのはなかなか難しい。少し注意していただけると捜査も大分変わってくるのではないか、そういう思いがあります。

私がマスコミの方と最初に会ったのは、事件後10日~2週間後だったと思います。普通の家庭のお父さん、一般サラリーマンの私が報道関係の方と会うことはないですから、こちらからどういう話をすればいいのか分からない。会った関係者からの質問に答えるという、一方的なやりとりだったと思います。私が、当時思っていた気持ちを伝えるのが難しかったと思っています。

ただ、事件を解決するためには、マスコミの方の力はものすごく大きいです。最近では新聞、またはテレビで報道していただく場合は情報提供の部分も強調していただき、1日でも1時間でも早い事件の解決、その御協力をしていただきたいとはっきり言えるようになりました。とはいえ、テレビも新聞も限られた時間、紙面になります。子どもが犯罪被害に遭った悲しいお父さん、というイメージを強く感じるときがあります。テレビの場合、5~10分の放映に対して1~1時間半は取材をされ、編集されますから私のいい面、悲しみばかりが強調されます。私自身はどこにでもいる普通のお父さん、というイメージで受け取ってほしい。今日、ここで、私の話を聞いてくださる皆様には、そういう目で見ていただければ本当に助かります。

次は、国の制度について思っていることを聞いてください。一国民として今、自分なりに感じている点が2、3あります。

まず、娘の事件は未解決なので、警察庁の報奨金制度の対象の事件となっています。情報提供を呼びかけるチラシ、これは国で作っていただき、とても感謝しています。広島県内では未解決事件の遺族の方が約10件いらっしゃる。私だけ特別扱いということはないのです。ただ、この報奨金制度は1年ごとの更新になっております。気持ち的には、事件が解決するまでずっと継続してやっていただきたいです。

平成22年4月の法改正によって時効がなくなり、とても感謝しています。私は「宙(そら)の会」という時効撤廃を訴える会に所属し、署名活動を行ってきました。この中にも署名していただいた方がいらっしゃると思います。時効撤廃への多くの方の御協力があったからこそ実現したと思っています。時効撤廃になるまでの過程で、平成21年11月に法務省で法制審議会がありました。実際に被害に遭った人の話を聞く場も設けられ、私は「宙の会」の一員として参加し、話しました。

「被害に遭った方も年月が経つと、犯人に対する処罰感情が薄れるから時効もあっていいんじゃないか」と耳にしたことがあります。加害者に対して処罰感情が薄れることは絶対にありません。私が死んだ後も魂がこちらに残るのなら、犯人に「おまえを何とかしてやる」という気持ちは決して薄れることはありません。

私が参加した「宙の会」の代表幹事の方は、時効がそのまま残っていれば今年の9月に時効が成立した事件の遺族です。ちょうど時効まで約2年を切ったとき、その方とお会いして「北口さん、時効が迫ってあと2年になると、年数でなく週単位に変わるんですよ」と言われたのです。「1年は約52週、2年で 104週、100週を切るまでは長く感じるかもしれないけれども、100週を切ると99、98と毎週、カウントダウンが始まる。あと10週になり、9週になったときに、私自身どういう神経でいられるか、分からない」。そう話されて、時効の重さは被害者には切実で大きな問題だったと感じます。時効が無くなったからと喜べるものではなく、1日でも1時間でも早い解決を望む思いに変わりはありません。

事件に遭わないため、事件・事故を抑制する力ということにも触れます。

一個人の意見として聞いてください。DNAは一人ひとり違いますので、生まれたときに登録しておけば、犯罪を起こそうとする人間の抑止力になるのではないか。東日本大震災で亡くなられた方の遺体が何か月か後に発見されることが多々ありました。身元確認となった場合にDNAが登録されていれば御家族にすぐ連絡できたかもしれない。DNA、指紋の個人登録・照合といった仕組みができたらという思いが大きいです。

遭いたくもない事件・事故に遭いますと、家族の安心・安全も大きく考えてくるようになります。皆様の家の安心・安全、これを一番に考えてください。人の命が奪われるような事件・事故はどうしても他人事と映り、これがもしうちの家族に降りかかったら、という具合に見ないのではないかと思います。我が家の事件が起こる約1か月前、岡山県津山市で自宅で小学生の娘さんが亡くなった事件があります。テレビや新聞で見たときも、悲しい事件だね、何でこんなことが起こるのと思いつつ、どこか他人事に捉えた自分がいました。その1か月後、我が家で事件が起こってしまう。起こったときに初めて、人の命が奪われるような事件はどこにでも起き得るのだと思いました。でも、その時には余りにも代償が大きく、取り返しがつかない。人の命に関わる事件・事故、これは他人事でなく明日は我が身、気をつけなかったら自分たちにも、あるいは自分の周りでも起こるのではないかと捉えて御自身の家の安心・安全を考えていただきたいのです。

人の命まで奪われる事件は起きない方がいいし、起こってはいけないのです。ごみを出すときに、鍵をかけずに出る。そこに空き巣に入られる。犯罪を起こそうとする人間は、そのわずかな時間でも狙ってくるのではないかと思います。まずは家の戸締まり、それも大切なのではないかと思います。我が家の地域にある昔からの家は人の出入り、近所の方もいらっしゃるから玄関は締めても勝手口の鍵までは締めない。そういう生活習慣でしたが今はどこの家へ行っても、大体鍵はかけられています。我が家では20秒でも出る時間があれば、とにかく鍵をかけようと注意はしています。

もう一つは、小中学生のお子さんをお持ちの方、お子さんに対して安心・安全の話、折を見て話をしていただきたいという思いが大きいです。小学校の高学年になりますと学校で犯罪に遭わないようにと安全マップ作りもされているのではないかと思います。

安心・安全のマップ作りは子どもたちが7、8~10人のグループを組んで作っていくのだと思います。安全に関する学校教育の一環としていいことですが、その前に自分の娘、息子とよく話をしていただきたいと思うと同時に、通学路を一緒に歩いて、どこが危ない場所かを親子で認識していただきたいと思います。

それと子どもの行動ですが、親子の対話で例えば「何かあったときに助けてと言えるか」「いや僕、そう助けてなんて声はよう出さない」と言われるかも知れません。出せないのなら、知らない人が話しかけてきたら、ある一定の距離をとりなさい。「ねえねえ、僕」と話しかけられたら「何」と、大きな声で話しなさい。向こうが1歩近づいてきたら1歩引き下がって必要な距離をとれ、と教えるべきです。「お父さん、それでも近づいてきたら、どうする」と聞かれたら、ごめんなさいと言って逃げろと言うべきです。「お父さんお母さんがいない時には、自分でとにかく身を守れよ」と教えるべきです。わが身の安全を守ることまで学校の先生にお願いするのは難しいですから子どもたちを一番よく知る親御さんがまず教えるべきじゃないでしょうか。

我が家の事件は未解決なので、資料の中に犯人逮捕を願う報奨金のチラシを入れてあります。チラシを見て、何か思うことがあれば何でも話していただきたいです。先日、このチラシを色々な所で配りました。大学生のボランティアをはじめ、手伝ってくださる方に感謝するばかりです。寄せられる情報はマスコミ関係の方にも協力をしていただくと、かなり集まってきます。その点についても感謝するばかりです。事件解決に向けて、やみくもに捜査するのは難しいと思うので、どんな些細なことでもいいです。話していただきたいと思います。チラシにある警察の電話番号等へかけていただくのが一番ですけど、どうも敷居が高いという方がいらっしゃいましたら私のブログのメールアドレスまで情報提供してください。必要な情報だけを警察に提出しておりますので、協力者に御迷惑はかけません。

私がいただく情報は平均すると年20件。ブログを始めて5年ですから100件近くの情報が入ってきています。ブログを始めていなければ100件の情報は集まっていないわけです。私自身、事件解決を願っている一番の人間ですから情報をいただきたい。でも親切で情報をくださる方ばかりでもありません。報奨金の対象事件なので、情報提供するけど先にお金をよこしなさいという方も中にはいます。

事件が風化しないために報道していただきますと、我が家に宗教関係の方が来るということもあります。私が信仰している宗教はすばらしい、この宗教に入ったら必ず事件は解決しますと仰る。でも、入会する気にはなれませんので「では、先に事件を解決してください。そうすれば信じます。解決されたら入会します」という具合にお断りすると帰られて、次からは来ることはありません。風化しないといい面がある一方、私利私欲で動く方がいらっしゃるのも事実です。

ポスターの似顔絵、7年も前のことですので、どこまで似ているかといえば、当時犯人は未成年だったかもしれない。18、9から22、3とすれば、今は 25から27、8の年齢になっていますからかなり変わっていると思います。似顔絵はかなり似ています。間違いない顔ではありますけれどこれは犯行直後の顔なのできつい、怖い顔に見えます。平常心を持った顔ではないと思います。

この顔を見たら、大半の人はすごくワル、またはワルのグループに入っている人間じゃないかという思いを多分お持ちになるのではないかと思いますが、どちらかといえば格好いい男性という証言もあります。先入観にとらわれずに似顔絵を覚えていただきたいと思います。

犯行当時、犯人が履いていた靴はダンロップ製でした。普通の男の子であればナイキとかプーマとかアディダスとかを履きたがる年齢じゃないかと思います。それから、犯人は綿のパンツを穿いていたようです。私も綿パンを穿きます。綿パンを穿く人間はジーパンはほとんど穿きません。「綿パンを穿いてダンロップの靴を履いた、少し格好いいお兄ちゃん」というイメージで見ていただきたいと思います。

しかし、情報提供をお願いしても、もう情報はないよと言われる方が多いのが普通だと思うのです。でも私の話を聞かれ、帰られたら、身近にいる2人の方にお話をしていただきたいです。事件に関する情報があれば教えてください。話を聞いてくださったその2人の方も、できればまた別の2人の方に話をしてくださいとお願いをしてほしいです。どんなことでも教えてくださいという具合に、どんどん輪を広げてほしいです。

犯罪被害を受けた人は、表に出て話をするのは苦手という人が多いだろうと思います。私は泣く暇があったらとにかく犯人を追い詰めてやる、という思いでこうして人前に出て話をしています。進んで人前に出られない犯罪被害を受けた方もたくさんいらっしゃいますが、そういう方々も私と同様、未解決事件であれば1日でも1時間でも早い解決を願っている思いは一緒です。事件解決の御協力をよろしくお願い致します。今日はどうもありがとうございました。

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