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平成21年度
「犯罪被害者週間」国民のつどい 
実施報告

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■沖縄大会:基調講演

テーマ「犯罪被害に遭うということ」


講師:藤井 誠二(ノンフィクションライター)

 よろしくお願いします。

 体調が少し悪いので座ったまま失礼します。皆様のお手元に、この資料がありますでしょうか。私の著作一覧があります。たくさん今まで書いてまいりまして、全部で10冊以上あります。今後も書き続けてまいりますし、活字、テレビ関係なく報告をしていきたいというふうに思っています。

 私は実は沖縄にも仕事場がありまして、というより、沖縄に家があります。東京と沖縄の二重生活をずっとしておりまして、その中で、後でシンポジウムにも参加していただく川満さんとの出会いもありました。沖縄に20年以上前に初めて来ましたけれども、それ以降、ずっと沖縄への思いはどんどん強くなって、安里(あさと)にある古いマンションに居を構えるまでに至りました。しょっちゅうは来れないのですけれど、そこで仕事をしたり、文章を書いたり、本を読んだりしています。

 川満さんと事件が起きた後にお目にかかったのですけれども、私は川満さんがおつくりになった「ひだまりの会」の第1号の支援会員です。もちろん私は当事者ではありませんけれども、微力ですけれどこちらの犯罪被害者の自助グループのお手伝いをしているという状況にあります。

 本当は、年に半分くらいはこちらのほうに住んで、生活をして、沖縄を堪能したいというふうにずっと思っているのですけれど、なかなかそれも叶わず、先ほどTBSラジオのお話をしていただきましたけれども、週に1回、ラジオ番組も持っております。今はネットしていないのですが、前は沖縄のほうでもTBSラジオをネットしておりましたので、この声を沖縄で聞いていただくこともできたのですけれども、今は不幸なことにネットしておりませんで、寂しいばかりですが、そういう形で、沖縄とは特別に深い関係をつくらせていただいていると思っています。

 犯罪被害者支援というと、どうしてもエモーショナルというか、情緒的なイメージを持たれがちだと思うのです。例えば、こういう言葉を被害者や遺族にかけては良くないとか、「元気になってください」とか「頑張ってください」とか、事件の後、1、2年たって、「少し元気になりましたね」とか、そういう言葉をかけてはいけないとか、支援というとわりと感情面というか、情緒的なことを想起されがちなのですけれども、そういうところだけ見てはならないと思います。

 私はジャーナリストですから、取材というものを通じて犯罪被害当事者、遺族の方とお目にかかっているわけであって、いわゆる一般的な犯罪被害者の支援活動はしていないわけですので、そうしたハウツー的な、あるいはノウハウ的な、こういう言葉かいいとか悪いとか、こういうときにはこうしたらいいのだということは言えません。ですが、それは非常に大事なことではあるので、ときどきそれは触れていきますけれども、そういうことではなくて、犯罪被害者という問題をそもそもどういうふうに考えたらいいのか、犯罪被害者というものをそもそもどういうふうに認識していったらいいのかという、基本的なベースの部分をお話ししようというふうに考えています。

 犯罪被害者支援だけに限らないのですが、何とか支援とか、何とかを支えるとか、そういう領域になりますと、自分の体験値とか経験値とか、あるいは知識といったものをベースにしないで、どうしてもマニュアルに頼ってしまう傾向が出てきてしまうのですね。それはやはり良くないというか、100人の犯罪被害者や犯罪被害者遺族がいらっしゃれば100通りの考え方、求められているものがあるのですね。ということは、100人の被害者や犯罪被害者遺族がいたら、100通りの支援や支え方があるということなのです。もちろん、大きな傾向とか枠組みといったものはもちろんありますけれども、まず100人いたら100通りあるということをご理解願いたいのです。

 以前、関西の自治体で、政府がお金を出して遺族の方や、犯罪支援に関わっている方も監修に関わった犯罪被害支援マニュアル的なDVDを見たことがあります。犯罪被害者支援はどういうのがいいのかというDVDが30分か40分くらいのものです。ある被害者の講演会の時、自治体関係部署の方々が、講演前にそれを上映したわけです。それが突っ込みどころ満載といいましょうか、問題点が多々ある。それは少年事件が題材だったのですが、ある高校生がリンチで殺害された。被害者の同級生が何人か登場します。彼らは遺族のお父さん、お母さんにどう声かけしていいかわからない、どういうふうに慰めの言葉をかけていいかわからない、という設定なのですね。殺された子どもの同級生と殺された子どもの親の日常が、ドラマ仕立てになっているのですが、殺害現場になったのは公園なのですね。公園に滑り台とか椅子とかあって、遊具があります。その遊具のところでリンチを受け、殺害されたという設定なのですが、その遊具の前にベンチがあるのです。そのベンチに事件後、毎日、遺族の母親が座って悲嘆にくれているわけです。ベンチに座って、現場になった遊具、ジャングルジムみたいなものをじっと見ていて、ハンカチに手を当てて、毎日泣いているわけです。

 皆さん、これを聞いてどう思われますか。

 そんな設定、実際にはあり得ません。これは多少なりとも犯罪被害者に関わった、特に少年事件に関わった方、遺族に関わった方はすぐおわかりになると思いますけれども、犯罪現場に毎日行って、見つめながら、涙を流し、悲嘆にくれるということは、私は百数十家族のご遺族に会ってきましたが、これはありません。普通は、その現場はできれば避けたい、避けて通りたい、そういうものです。もちろん現場が近所だったり、あるいは裏手だったりする場合が多いので、どうしても視界に入ってしまう場合があります。あるいは通勤路であったり、近くのスーパーに行く途中であったりするわけですけれども、できるだけ遠回りをします。職場とかスーパーが近くにあるのに、わざわざ遠回りして必ず行かれます。ですから、その現場に毎日足を運んで行くという方はおられません。もちろん命日のときにお花を手向けたり、線香を届けたりとか、そういうことはあります。ですけれども、毎日のように行って、そこでいるということは聞いたことがありません。でも、そのドラマの設定はそうなっているのですね。

 殺された子どもの同級生たちは、そこを毎日、通学路なものだから通るわけですね。通ると、遺族のお母さんが必ずベンチに座っていらっしゃるわけです。いらっしゃるけれども、どう声かけしていいかわからない。「元気ですか」とも言えないし、軽く会釈だけして行く。最終的には勇気を出してというか、被害者支援マニュアルを学んで、「どうですか」と声をかけるという転回になります。そういう接し方のハウツーが犯罪被害者支援に書かれていて、そのとおりに従って母親に声をかける。

 それで、遺族と殺された子の同級生が打ち解けていくというか話をしていくというストーリーなのです。さっきも言ったとおり、監修で支援に携わっている人の名前が何人か入っているのですけど、僕は非常に疑問でした。それを僕は何人かの関西の遺族の方と一緒に見たのですけど、「これ、ありえへんだろう。なんでこんなありえへん状況をモデルケースとして採用して、犯罪被害者支援のマニュアルとして作るんだ」とおっしゃっていました。それは、自治体の担当者と市民の方々の研修会だったのですけれども、そんなふうなマニュアル化された犯罪被害像というものが、それを見てインプットされてしまうわけです。

 現実はそうではないわけです。ですから、私は今日はそうしたマニュアルではない、ベーシックな認識ですね。犯罪被害者とは一体どういう存在で、私たちはそれをどういうふうに理解していったらいいのかという姿勢のようなものをだいたい5項目に渡って、その5項目はもちろん部分的にかぶったり重なったりしますが、そういう話をさせていただこうというふうに思います。

 まず1つは、被害者支援あるいは被害者支援に携わる、これは取材をする私たちジャーナリストもそうなのですけれども、「犯罪被害者、遺族から学ぶ姿勢を忘れない」ということです。助けてあげようとか、応援してあげようとか、同情すべきだという姿勢ではなく、「学ぶ」ということです。不幸にも犯罪被害に遭ってしまったという人間がどのような状況に置かれて、そしてどのような感じ方や考え方になっていくのか、ということを学ぶということです。謙虚に学ぶ姿勢が必要です。

 家族を失う、愛するものを犯罪によって喪失するという体験は、これは壮絶なものです。こういうすさまじい喪失体験というのは、一体、人間に何をもたらすのかということですね。人間の心をどう変えてしまって、被害者の遺族あるいは当事者の、これは例えば性犯罪でもそうです、レイプ被害者の心や生活や人生をどう奪ってしまって、どう変えてしまうのかということを謙虚に学ぶということです。この姿勢を忘れてはならないというふうに思っています。

 それは言い換えると、そうしたどん底あるいは絶望状況の中をどうその方々が生き抜くか、生きるかということを私たちが学ぶということです。災害であれ、何であれ、病死であれ、人間は必ず死というものの別れがあります。寿命もあります。誰しも人間は亡くなります、別れがあります。犯罪に遭って身内を失う、愛する者を喪失する喪失体験をする、あるいは自分のレイプ体験であれ、大きな怪我をさせられることであれ、自分の体の何分の1かを奪われるような体験です。その中でも必死に生き抜いていく犯罪被害者としての存在といいましょうか、その姿といったものから、私たちが「学ぶ」という姿勢が、何よりも求められているのだというふうに思います。この「学ぶ」姿勢というものが第一、謙虚に学ぶのだということを忘れてはならないというふうに関わる人々はいつも念じておくべきだというふうに思います。

2点目、これはその犯罪被害者の置かれた状況というものを正しくといいますか、「理解をすること」です。これは、犯罪被害者が置かれた個別の状況というものをわかるということです。

 一つは情報です。被害者が事件に遭った、その事件の概要あるいは事件の詳細、どんな事件であったかということをちゃんと知るということです。お亡くなりになって、事件に遭われて、大変ですね、子どもさんがお亡くなりになって大変ですね、というふうな声かけはできます。だけれども、それがどんなふうな事件だったのか。もちろん、それは口に出して「そういうことですね?」と言ったら、相手をパニック状態に陥らせることもこれはありますから、それは露骨に生々しく言うべきではありませんけれども、やはり支援する側というのは、できる限り、その事件の状況を知っておくべきなのです。

 例えば、加害者が成人であるのか、少年であるのか、あるいは刑法39条に触れるような精神障害者なのか、あるいはそうではないのか、累犯者なのか、性犯罪なのか、初犯なのかということも含めて、様々な情報、事件のディテールというものを支援する側は知っておくべきだと私は思います。それが犯罪被害者の置かれた状況を理解するということのまず第一歩です。

 例えば、少年事件であるなら、少年法は今まで3度の改正を受けてきました。これは、犯罪被害者の支援に携わる方ならご存じですね。どういうふうにそれは変化してきたのか。例えば、十数年前は、家裁の審判に参加をすることも被害者はできなかったのです。聞くこともできなかった。ひどい場合になると、加害者の氏名、素性まで一切被害者に伝えられることもなかった。それは全部、加害少年の更生、矯正のために、社会復帰のために行われてきた少年法の理念だった。それが今だいぶ変わって、裁判官の許可があれば、裁判所の審判に出られるようになりました。

 かつては、被害者が死亡事件でも70%以上は逆送致されないで、家裁で、密室の中で審判を受けていました。今は原則的に逆送致されるようになりました。逆送致されたならば、これが裁判員制度になるのかどうなのか、あるいはこれは家裁送致になって密室裁判になるのか、そうした状況をできうる限り知り、今後どうなっていく可能性があるのかを考えていく。被害者や遺族は今後、どのように事態が転回、進展していくのか、あるいはしないのかということがわからずにとても不安な状態になっています。

 少年事件ならば、加害少年は、その時点で、どのような処遇を受けているのか、鑑別にどのくらいいるのか、どのくらい拘置所にいるのか、ということです。それから、そうした裁判の仕組みも含めて、司法の流れといいましょうか、そういったものを含めてその事件のディテール、だからこれはこういう展開をしていく可能性がある、そして裁判を聞く権利、あるいはその事件についての情報を知る権利といったものが、その被害者あるいは遺族があるのかないのかということを含めて、事件の全体のディテールをできる限り知っておくべきことが必要です。

 特に、早期援助団体、沖縄は「ゆいセンター」もそうだと思いますけれども、警察との連携によってできるだけ情報を得て、そうした情報を把握するということです。それを被害者が知りたい、遺族が知りたいと願うのであれば、それを提供することも必要になってまいります。まず、「状況をちゃんと知る」。事件の情報を知らないで、ディテールをつかまないで支援に行くということは、これは良くないと思っています。

 それから、3つ目、これは「聞く力」、傾聴力と呼んでもいい。被害者あるいは犯罪被害者から聞く力というものを身につけるということも大事です。これは自分の意見を押しつけることではない、ということです。例えば、「こうしたほうがいい」とか「ああしたほうがいいんじゃないか」とか、自分がこうしたほうが善だと思うようなことに導かない。なるべく導かないということを心がけたほうが私はいいと思っています。もちろん、遺族はパニック状態になっていますから、遺族はどうしていいかわからない。何を求めていいかもわからない。何をしていいかもわからないという状況にありますから、そのときに初めて「こうしたらどうですか」あるいは「こうしたらいかがでしょうか」というようなアイデアを出すということは必要かもしれませんけれども、自分の意見を押しつけるということは極力避けるべきだと思います。

 これは私の見た例ですけれども、例えば被害者が加害者に対して憎悪の念に駆られて、「何とか死刑にしたい」とか、「世の中に戻ってほしくない」とか、「もう無期懲役にしてほしい」というふうな思いを言っても、「それは無理だと思いますよ」とか、「これでは死刑になりませんよ」とか、「少年事件だから、日本の法律では死刑になりませんよ」とか、「死刑には反対です」とか、そういう個人の思想を言うとか、そういうのは以ての外です。そういうイデオロギー的なことを言うのは以ての外です。

 結果的に、そういう支援が被害者から見て、元気づけられた、勇気づけられたというふうに感謝されたり、言われたりすることがありますけれども、それはあくまでも結果なのです。最初から元気づけたり、勇気づけられるような言葉を意図的に言おうと考えるのではなくて、まずは相手の言葉に100%耳を傾ける。100%の傾聴力で聞くといった結果として、相手が「勇気づけられた」、「少しは元気づけられた」という感想をおっしゃる、ということなのですね。被害者の思い、あるいは怒り、言葉にならないことも多いです。感情、涙、嗚咽、そうしたものをまずはきちんと受け止めるということが「聞く力」、これが3点目に求められることではないかなと思います。これは、私たちジャーナリストの基本でもあります。

 ここで補足的に言いますと、押しつけ的な支援であったり、あまりにも善意に「これでいいだろう」みたいな、「良かろう」みたいな善意に満ちた支援、あるいは聞く力というものを全く持っていなくて、こちらから押しつけばかりの支援になってしまうと、これは支援被害というものにもなってしまう。皆さん、「支援被害」ということを知っていますか。犯罪被害者というのは、主にその後に司法から受けたいろいろな理不尽とか、あるいは捜査機関からも受けることがある。もちろん、それはないこともあります。あるいは、マスコミ、メディアスクラム、過熱報道ですね。そうしたものから被害を受ける、二次被害、三次被害、四次被害、あるいは近隣の方からの心ない言葉とか、あるいは社会からのいろいろな視線とかということで二次被害、三次被害、四次被害を受けることもありますが、その何次被害の中に「犯罪支援被害」といった、これはちょっとねじれた言い方ですけれども、こうしたものもあるのです。

 これはあまり具体的に名前を出すと関係者にご迷惑がかかるのであれですけれど、大阪府池田市で池田小事件がありました。加害者の宅間守には、すでに死刑が執行されていますが、国立の池田小の子どもさん8人を殺害した事件がありました。ここにもいろいろな支援団体が入りましたが、被害者遺族との相性といいますか、被害者遺族からクレームのようなことが出てきたことがのちに出版された本などで社会に伝えられました。もちろん支援団体は「良かれ」と思って入っても、迷惑だというふうに感じられる被害者の方も実際にいらっしゃるのです。これは池田小事件だけではなくて、他にもたくさん例があります。もちろん、そこには双方の意見があります。修羅場ですから、誤解や行き違いがおきやすい場であることは当然ですから、必ずしも支援に問題があったとは僕は言えないと思いますが、被害者遺族からそういう声があったのは事実です。

ですから、この被害者支援も、警察の支援室レベルから、民間から、あるいは民間のNPO的なものから犯罪被害者自助グループもあれば、弁護士会の中の犯罪被害者の対策の人もいれば、様々あります。場合によって、我々ジャーナリストが支援的な面を結果的にする場合もこれはありますし、私も実際にやっています。「ひだまりの会」の係などでは、私自身もお手伝いをさせていただいています。そうしたものの中で、これは被害者支援の中でも相性というものもありますし、それから支援を受ける側で、うれしい支援とそうではない支援がある、ということも皆さんわかっておいてください。こうした活動は常に厳しい自己検証の目がないとだめだとおもいます。

 この支援がいいのだというふうに思い込んでやっていって、相手が迷惑だというふうに気付かずに続けてしまうと、これは支援被害になってしまうということもあります。これを防ぐためには「聞く力」がなおさら大切なのです。やはり「聞く力」をもって、何を相手が求めているか、あるいは求めていいかわからないのか、ということを聞いていく、ということを普段からトレーニングをされていく。これはボランティア相談員のトレーニングのプログラムの中にも入っているとは思いますけれども、ということも皆さん、わかっておいていただきたいというふうに思います。

 それから、4つ目、これは多少過激な言い方をしますけれど、支援というととても耳障りがいい言葉ですが、僕にしてみれば、言い方を変えると、犯罪被害者当事者とか遺族と「共に戦う」ということです。4つ目は「共に戦う」という姿勢を忘れないということです。

 ちょっと過激な言い方かもしれませんけれども、犯罪被害があってから刑事裁判があったり、その後、民事裁判を起こされたり、判決が何年もかかって出たり、その後、加害者が服役したり、いろいろな展開があります。ですから、2年や3年で終わることではなくて、最近は裁判員制度が始まって迅速化されましたけれども、非常に長いスパンのことですね。

 最初の数年は裁判があったり、いろいろやらなければいけないことがたくさんあって、「戦う」ということがまず犯罪被害当事者、あるいは遺族の中心的なテーマになっています。その「戦う」ということにいかに関われるかということが大事になってきます。「戦う」相手は誰かというと、まず何よりも自分の家族、愛する者を殺した加害者です。犯人になります。それから、犯人の家族という場合もあります。先ほども言いましたように、メディアスクラム等々を起こしたり、あるいは報道被害を起こすような、心ない取材を繰り返すようなメディア、マスコミ。私もその末席に身を置いていますけれども、メディアと戦うこともあるでしょう。この具体的な戦い方については、いろいろなものがあって、いちいち間違った報道に抗議に行ったり、先ほどの少年事件だったら、多くあるのはリンチ事件なのに、喧嘩という報道になるのです。

 最近も沖縄のうるま市で起きました。倉庫の上から中学生が落ちて亡くなったと最初は報道されましたが、真実は違っていた。高さ2mくらいの小屋です。普通、落ちたって亡くなりませんよね。だけど、連れていった4人の同級生に、話を聞いたというか、検証したら、体表上に打撲痕がいっぱいあって、司法解剖した。そうしたら、内臓破裂や出血がいっぱいあってこれは間違いなくリンチだということがあった。加害者の同級生たちが嘘をついていたわけです。多くのリンチ事件の場合、第一報は「悪ふざけの末」とか、喧嘩とか報道されることがあって、これも報道被害なのですが、そのまま真相が伝えられないことが多い。被害者はそれに対して、事細かく、全部いちいちやっていかなければいけないわけです。これは間違っているとか、訂正してくれとか。そういうことから始まったりする。

 もう一つ例を挙げると、東京の音羽で幼女殺害事件というのがあって、幼女の通った保育園の同級生の母親が殺したのですね。それも通っていた学校がお受験校と言われるところだったので、「お受験殺人」なんて言われて、真相は全然違うのに、「お受験殺人」と書かれて、それを訂正するために殺された女の子の遺族がテレビとか活字含めて、何社も裁判で訴えた。報道被害をそれで晴らしたというようなこともあったのです。ですから、メディアに対して戦うということがあります。

 それから、これは本来なら、被害者の味方にならねばならない警察とか司法とか捜査側とか、裁判所とか、共に戦わなければいけないことがあるわけです。それは欲しい情報を全部出してくれないと。情報を開示しても、それは裁判所がだめと言った情報は出ない場合がありますし、冒頭に言った刑法39条事件等、加害者が刑事責任に問われない可能性がある場合、不起訴になった場合、情報が出るのか出ないのか、あるいは無罪判決になった場合、出るのか出ないのか。先ほどの少年事件の場合もそうですけれども、家裁になった場合、情報を求めた場合、裁判官がノーと言った場合、どうするのかとか、情報が欲しい、知りたいのに自分の子どもがなぜ被害に遭ったか知りたいのに、司法とかに壁がある場合がある。その場合は、支援する人たちは、例えば警察の支援室の人は自分が属している警察と向き合わなければいけない場面も出てくる可能性があるわけです。そうした場合、被害者と一緒に戦えますか。被害者が知りたいと思ったら、「いや、これは法律の壁があるからできませんよ」というふうにして、「諦めてください」と言わなければいけないんでしょうか。「共に戦う」ということは、そんな単純なきれい事ではなくて、個別の状況に対して、時には具体的な敵。敵というとちょっと語弊があるかもしれませんが、対峙する相手とちゃんと向き合わなければいけないシーンが多々出てくるということもある。「共に戦う」ということは、そういうことです。

 もちろん「共に戦う」ということは、具体的にはいろいろなことがあります。例えば、これは後でご専門の方がシンポジウムでお話しされると思いますけれども、支援傍聴というのがあります。これはこの数年始まったことですけど、憎い自分の家族を殺した加害者がいる法廷に行くというのは、ものすごく苦しいことです。つい最近、自分の母親と父親を放火で殺されたご遺族にお会いしました。その方がおっしゃっていた言葉で、「法廷に入るとその加害者の臭いがする」。留置所に入ると、今、風呂に入るのは3日に1回くらいですか。別に汗の臭いとか体臭ということではないんでしょうけれども、そういうことも含めてなんです。なぜ体臭がわかるかというと、その殺した犯人というのは、もともと被害者のお父さん、お母さんが働いていた会社の従業員だったのです。小さい会社だったら、遺族はその人の臭いを知っているわけです。法廷に入ったら、その人の臭いがする。だから、それで気持ち悪くなって、倒れそうになって、傍聴席の外へ出たんです、という話を聞きました。

 そんなことから始まって、もう数メートル前に加害者が座っているわけです。自分の娘をレイプして殺したとか、生き埋めにしたとか、首を切り落としたとか、ひどい殺し方をした男なり女が座っているわけです。そいつと同じ空間にいる、同じ空気を吸うというのも、これはもう苦しくてたまらないわけですね。それをみんなが勇気を振り絞って、必死の思いで傍聴に行くわけです。

 最近は、支援制度もあって、付き添ってくるのは支援室の関係者だと思うのですが、両脇を抱えて、傍聴席に一緒に座って、メディアから声がかからないように両脇に座って傍聴する、そういうこともされています。あるいは民間のNPOの人とか、あるいは支援センターの人が支援傍聴といって一緒に行って座って、手を握って一緒に聞くとか、メモをとるとかいうようなこと、これも一緒に戦うということの一つなんですね。

 あとは、先ほども言いましたとおり、メディアがバッと来ますから、例えばメディアが来るときに対応する。最近は警察官が対応する場合も多いのですが、支援者の方が例えば貼紙を作って、「今は被害者の気持ちをお察しください」ということで、ドアの前に貼っておくとかいうこともされるようです。そういうことも含めて、それは日常支援の部類に入るかもしれませんけれど、メディアに対して戦うという意味では、そういうことも含めて「共に戦う」ということ、そしていざとなったら自分が属している、本来なら一緒にやらなければいけない人たちとも向かい合う可能性があるということを忘れないでいただきたいということです。

 それから、5つ目。これは先ほどの2番目の被害者の状況、事件のディテールを理解するということとちょっと関わってくるのですが、犯人の加害者の状況も、僕はなるべく知ったほうがいいと思うのです。それはなぜかというと、犯罪被害者の方あるいは遺族の方は、それがたとえ通り魔事件であれ、後でシンポジウムでお話をされる川満さんはご主人を殺害されましたけれど、これは通り魔に近いものです。加害者は自衛官ですけれども、パチンコ屋さんから後をつけてきて殺したわけですから、通り魔に近いものです。そういう通り魔も含めて、あるいは怨恨、最近では「誰でもよかった」みたいなことを供述する加害者が多いですね。どんな加害者であれ、加害者のことを知りたいと思う方も多いのです。

「なぜ殺されねばならなかったのか」、「なぜうちの子が狙われたのか」、「うちの人が狙われたのか」と
いうことを、通り魔とわかっていても知りたいと思う。あるいは、怨恨であったり、人間関係があるところであれば、なおさらそれは知りたいと思うわけです。なぜ、その加害者がうちの子を狙ったのか、うちの人を狙ったのか、家族を狙ったのかということは、もちろん、それは知りたくないという方もいらっしゃるかもしれませんけれども、私の体験からだと、ほとんどの方が知りたいと願っていらっしゃいます。ですから、それは加害者のほうの言っていることというか、供述していることというか、言い分も、これはやはり知る必要があると思います。

 青森で性犯罪の裁判員制度1号の裁判がありましたね。加害者は男で、正確な年齢は忘れましたけれども、法廷での記録を見たのですが、こう言っているのです。被害者の女性は2人なのですが、押し入って、強盗して、レイプしているのですが、その男は小さいころ、お父さんが蒸発して、お母さんに育てられて、お母さんが亡くなって、おばあちゃんに引き取られて東京に行って東京で暮らして、青森のおじさんと仲が良かったと。おじさんが言うには「女には手をあげるな。暴力を振るうな」という教えをずっと固く守ってきた。でも、彼にとっては強姦は暴力ではないというふうに供述調書の中でも、裁判法廷の中でも言っている。だから、いいと思ったと。もう、これは馬鹿じゃないかということを通り越して、殴る、蹴るはだめだけど、レイプは暴力ではないと思っていたわけです。それは、強盗したついでにいいと思っていたということを言っているわけです。強姦犯罪者にこういう言い分が多いんだけれど、加害者の言い分を知っているか知らないかで、被害者と向き合うときにだいぶ違ってくると思うんです。これを伝えるかどうか別にしてですよ。僕は伝えるべきだと思うのですが、「こんなことを考えていたみたいですよ」というようなことを知っておくということも大事なんです。

 例えば、産経新聞などは法廷ライブといって、主だった事件の最初の冒頭陳述というか、初回から最後の最終弁論まで全部記者が記録をしています。全部記録になっていますから、そういうのを少なくとも全部読んで、理解していくということが僕はこれは必須条件ではないかと思っています。

 付随して言うと、これは別に自分の作品を云々ということではないのですが、今の2番と5番に関わってくるのですが、やはり理解をするということは被害者支援の勉強会に出たり、冒頭に批判したあり得ない状況を設定したDVDを見たりとか、そんなことではわからないのです。直接、被害者の人と話をして、コミュニケーションをとって、行って学んでいく。「学ぶ姿勢」というふうに1番目に言いましたけれども、そういう体験を重ねていかないとわからないのですね。でも、それだけでは限られていますから、やはり僕は本を読んでいただきたいのです。

 例えば、ここに何冊かありますけれども、これは『殺された側の論理』という本です。これは『少年に奪われた人生』という本です。これは主に少年犯罪の被害者、遺族の話です。これは光市事件の母子殺害事件の遺族の本村さんの話、いろいろな事件のルポ、短編集です。

 今日はあまり議論できませんけれども、こういう犯罪被害者の権利が、水位が上がっていくに従って死刑判決が増える、重罰化が増える、様々な重罰化が進んでいくということで、はっきり日弁連は反対しているのですね。時効制度の撤廃も反対しています。ちなみに、今の新政権の法務大臣の千葉景子先生も反対されておりました。基本的に日弁連は被害者権利拡充には反対なんですね。これは『重罰化は悪いことなのか』という本なのですが、これについて、私は重罰化は基本的に賛成なのですが、これについて反対をしたり、賛成をしたり、あるいは疑問を呈しているという人たちとの対論集なんです。こういうこともいろいろやっています。

 それから、蛇足ついでに言うと、これが最新刊なのですが、これは死刑をめぐる対論です。これ、ぜひ読んでいただきたいんです。400ページ超えてすごく長いんですけど、あちこち書評でかなり取り上げていただいていまして、これは森達也さんというドキュメンタリー作家が死刑を日本で最も激しく反対されている方です。私も死刑については、条件付きに存置論者なのですけれど、それとのやりとりをやっています。こういう「論」といいましょうか、対論的なもの、犯罪被害者を巡るとか、それに付随する様々な議論にも積極果敢に参加させていただいているという状況にあります。

 手前味噌になりますが、こういう本を読んでいただきたいんです。反感を買うのは承知で言いますけれども、私はいろいろな場所で犯罪被害者支援の方々とお目にかかりますけれども、はっきり言って、勉強不足です。別に私のことを宣伝するわけではありませんけれども、今、日本でフリーのジャーナリストで犯罪被害者の問題をやっているのは、私、藤井誠二と、私の先輩の日垣隆さん。日垣さんは、弟さんが殺された方です。お兄さんが精神障害者の方で、例えば『そして殺人者は野に放たれる』という、日本で最初に精神障害者で人を殺しても無罪になってしまうという問題点をあぶり出した、私の先輩ジャーナリストです。それから、先日、がんで亡くなってしまった黒沼克史さん。彼が『少年にわが子を殺された親たち』という本を書いて、少年犯罪被害者の問題を日本に最初に提示したジャーナリストです。この方も先輩です。

 他にもいろいろいらっしゃいますし、あるいは犯罪被害者当事者が書いた本、例えばこの中にも光市事件の遺族の本村洋さんを、皆さん、テレビ等々でご存じだと思いますが、本村さんと私と評論家の宮崎哲弥さんが対談した本。彼は、この本を最後に社会的発言は一切やめています。これが最後の彼の置き土産というか、最後のメッセージなのですね。ですから、こういう当事者が書かれた本、私の『少年犯罪被害者遺族』という、これも対談集です。これもいろいろな遺族の方と対談をしています。

 それから被害者自身がたくさん本を書いています。神戸の連続児童殺傷事件の遺族の土師守さんはじめ、多くの方が書いておられます。また支援者自身や研究者の方もたくさん書いておられます。それらも参考になります。支援の事例はまだまだ少ないですから、それにはすこしでも網羅して読んでください。

 ここに紹介した本は基礎文献です、はっきり言って。もちろん内閣府もいろいろな資料をお作りになっていますし、ホームページ等々で手記もあげられていますし、3年前からですか、『犯罪被害者白書』という非常に役に立つ貴重な冊子も作られていますから、それをご覧になるのももちろんいいのですけれど、こういう基本的な文献も是非たくさん目を通していただきたいです。それによって、どうしても数限られている被害者との面会もクリアできていくと思いますので、是非それをやっていただきたいというふうに思っています。

 残り5分ですが、まだ準備をしてきたお話の半分もいっていないという状況に陥っておりまして、残り全部は話せませんが、ジャーナリズムの中で非常に犯罪被害者というものが扱われてきませんでした。これは社会の中でも扱われてきませんでしたというか、あまり注目を浴びませんでした。

 それは、なぜかといいますと、僕は『犯罪被害者の発見』というものが10年前にあったと思っているわけです。さらに、その前になると、『息子よ』という映画を知っていますか?若山富三郎さんが主演した、通り魔の19歳の少年にムシャクシャしたからと息子さんを殺された市瀬さんという方がいらっしゃって、今から30年近く前に、その方たちが立ち上がった、日本で最初の犯罪被害者運動なんです。それによって犯罪被害者等給付金という制度ができました。今、それは増額されましたけれども、12~3年前から、「あすの会」とか「ひだまりの会」も含めて、あちこちでたくさんできている運動というのは、これは日本で言うと、波としては第二次的な運動の隆盛だと思うのですが、そうした中で社会が犯罪被害者あるいは犯罪被害者の声というものを発見したのですね。それは、やはりメディアの役割が多いと思っています。私もその一助というか、一翼は担ったというふうに自負しておりますけれども、なぜメディアがそうした被害者にあまりフォーカスしてこなかったかというと、一言で言いますとこういうことです。「加害者は必然だが、被害者は偶然だから」ということです。

 加害者は差別を受けたり、貧困という問題が背景にあったり、小さいころから親から殴られたり、虐待を受けたり、ネグレクトをされたり、あるいはいろいろな差別を受けたり、それから不遇ですね、生きづらさがあったり、人間関係や共同体からパージをされたりするという犯罪の萌芽がそいつの中に起きてくる意味では、社会的弱者であったということなのです。

 例えば、永山則夫事件って、皆さん、ご存じですか。永山則夫というのは1949年に網走番外地に生まれて、極貧の生活をずっと送ってきました。その後、米軍の宿舎からピストルを盗んで、1968年から69年にかけて、そのピストルで4人殺しているわけです。いわゆる連続ピストル射殺事件なのですね。当時、19歳と10カ月で逮捕された。これは詳しくは触れませんけれど、最高裁で少年に対する死刑になった最初の事件なのです。永山則夫は獄中で『無知の涙』という本を書いたり、たくさん文学作品を書いています。ですから、メディアというか、識者も永山則夫に同情的で、既に死刑は執行されましたけれども、要するに、弱者。社会の高度成長期の歪みが、日本の成り立ちが生んだ弱者であるという視点から永山を報道したのです。だから、社会が生み出した、我々一人ひとりが生み出した弱者としての射殺魔という位置づけだったのです。ですから、僕らの大先輩で言えば、佐木隆三さん、『復讐するは我にあり』を書いた人ですが、そういう扱いをしたのです。ですから、当然、そこには被害者、ピストルで殺された被害者のほうは全然フォーカスされなかったのですね。つまり、貧困とかいろいろな背景とか差別とか、苦しさとか生きづらさとか、文字が書けないとか、いろいろなものがあって犯罪に追い込まれていったという視点が主なジャーナリズムの視点だったのです。社会もそれに同調していたわけです。同調していたので、必然的というか、そうなったのだと。だから、被害者のほうには光が当たらなかったのです。

 ですから、犯罪を起こす必然。「必然」という言葉は非常に僕は嫌いなのですけど、動機というものがあった。だけど、たまたま被害者というのは、そこを歩いていたとか、たまたまそこに永山が通りかかったから殺されたのだということで、偶然だった。だから、偶然の側の被害者を伝えること、描くこと、思いを伝える、声を伝えるということは、あまりジャーナリズムの使命ではないというふうにずっと思われてきたんです。私もその手の本を読んで、「そうか、ジャーナリズムというのはそういう役割があるのだな、使命があるのだな」と思ってきたんです。

 だけど、これはよく考えたら、とんでもない間違いですね。殺された側は何が偶然なのだ、と。確かに通り魔だから偶然でしょう。だけど、「偶然」という言葉で伝えられなくていいのか、という怒りの声が上がるのは、当然のことです。もちろん、中には偶然ではない被害者だっていっぱいいるわけです。顔見知りとか、家族間とか、知っている同士とか、恋人だったり、たくさん怨恨関係はあるわけです。そういう中で被害者が生まれているわけですね。だから、それは別に偶然ではないじゃないか、という声も上がってくるわけです。

 さきほどもお名前を上げましたが、神戸の小学生殺傷事件の被害者遺族、土師さん。加害者は13歳、被害者の土師淳君の首を切って、校庭の校門の前に置いた、あの少年です。もう社会復帰しています。たった6年で、女の子と男の子2人殺して、6年で社会に復帰しています。土師さんと話したら、「うちは偶然じゃないよ。殺しやすいやつだということで、加害者の少年は知っていたんだよ。偶然なんか、とんでもないよ」みたいな話をされました。当然ですね。ですけれども、メディアあるいは社会はそういう意識があったのです。加害者は必然、被害者は偶然。それはこの前書きに長々と書いたんですが、そういう意識がずっとこの2~30年続いたせいで、ずっと犯罪被害者の声というものはなかなか社会に上がってこなかった。メディアにも取り上げられることがなかった、ということが私は言えると思います。

 10年ちょっと前に、そうしたとんでもない勘違い、メディアも含めた社会の勘違いをようやく訂正できた、間違いに私たちが気づいた。特に僕なんかそうです。僕はずっと事件を取材していましたけれども、わりと裁判事件というのは凶悪事件で、加害者が少年でも逆送致といって、少年審判ではなくて公開裁判で裁かれるのですね。ですから、傍聴できるし、何かを知ることができるのです。だけど、そうではない、同じ死亡事件でも、大半の少年事件なりは密室の家庭裁判所で開かれていることを知ってはいましたけれども、そこに気が回らなかったのですね。ものすごいショックでした。

 僕が取材したある親子は、自分の息子さんをリンチで殺されて、加害者の顔がわからないんです、名前も。ですから、何日も何日も、家庭裁判所の前に張り込んで、出入りする車を止めて、少年を「おまえか」と言って、あるいは車ではなくて、歩いてくるやつのところにバッと行って、かぶっているものをひっぱがして「おまえか、うちの子どもを殺したのは」と言って押さえつけられるというような、そんなこともあったくらいです。当然トラブルになりますが、そんなことをしなければ、自分の息子さん、娘さんを殺した加害者の名前も顔もわからなかった時代が50年間続いたんですよ。50年間、放っておいたんです。法律家も、政治も、社会も、私たちも。

 ですから、ようやく、私は今まともな方向に動き出したのではないかと。まだその第一歩の状態で、私たちはいるというふうに認識するべきだと思っています。

 時間が過ぎたので、あと1点だけ言います。残りは後のシンポジウムでまた触れたいと思いますが、現在、行われている犯罪被害者支援というのは、わりと早期の段階です。早期介入、事件が起きた直後、それから裁判が開かれている係争中の段階、それから裁判が終わった後しばらくは続きますけれども、今、遺族の方とお話をしていて、一番テーマに上がるのは長期支援の問題です。例えば、20年以上の有期刑の場合、満期で出てきた場合、どうするのか。連絡をとりたい、民事訴訟で勝っているのに、金を本当に払ってくれるのか。もちろん居場所を聞けば検察庁は教えてくれますけれども、その後の追跡で、手紙を出してほしい、言葉が聞きたい、こういうときにどうすればいいんですか。

 仮釈放で、保護観察処分がついている場合は、保護観察官が付きます。これも犯罪被害者の運動が高まってきて、犯罪被害者等基本法、今日のイベントもその基本法に基づいた、基本計画の啓発活動からお金が出ていますけれど、その保護観察所の被害者対策官というのがいて、その観察官が被害者、そして加害者担当の観察官がいて、その両者が調整をします。でも、保護観察期間が終わったら、保護観察官というものは何もできません、あと手出しはできない。そうなってくると、あとは民間の弁護士さんとか、そうした方々に遺族がお金を払ってお願いするしかなくなるわけですね。

 ですから、20年経った後でも恐怖は変わらないわけです。特に、20年経って、謝罪をしてほしいといった場合、どうすればいいんですか。連絡をとりたい場合、どうすればいいんですか。あるいは、20年間経って、御礼参りされたらどうするんですか。「あすの会」の代表の岡村勲先生は、出所してきた男に奥さんを逆恨みで殺されているわけです。そうした場合の恐怖はどういうふうにコントロールすればいいんですか。誰が守ってくれるんですか。そうした長期支援のあり方は、もちろん「長期に渡る」という文言は、行政の被害者支援政策の中に盛り込まれていますけれども、実際にそれを担保する政策はありません。人間の人材もありません。

 そうした問題が多々これからあります。これは国レベルでやることももちろん大事ですけれども、地方自治体レベルで、これは独特のアイデアを出し合って、私はやっていくべきだというふうに思っていましたところ、行政刷新会議の事業仕分けで、啓発活動の予算が3分の1削られてしまうということがつい2日前ですか、内閣府の方がさっきも言っておられましたけれど、削られてしまいました。これはどこの部分を具体的に削られるかわかりませんけれども、私は基本的に事業仕分けはどんどんやってくれと思っていますが、私たちがこの問題に対して真摯に取り組もうとしている内実を見ないで、ああいうふうに「リスクは何ですか」、「何人入っていますか」みたいな質問で切られたらたまらないなという思いを今はしています。

 ですから、これは支援に携わる人々が、直接支援ももちろん大事ですけれど、行政なり、国に対して声を上げていく、お金が足りないのだ、人が足りないのだということを言っていくことが、私は、今、一番求められているのではないかというふうに思います。

 この時間のオーバーなら許していただけるかなというふうに思っておりますので、私のお話はこのへんにします。ありがとうございました。

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