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平成21年度
「犯罪被害者週間」国民のつどい 
実施報告

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■北海道大会:パネルディスカッション

テーマ「犯罪被害者支援とは何か」

コーディネーター
 善養寺 圭子(社団法人北海道家庭生活総合カウンセリングセンター副理事長、
                   北海道被害者相談室室長)
パネリスト
 菊地 名美子(少年犯罪被害当事者の会会員、犯罪被害者を支え合う会会員)
 津田 鉄子(釧路方面被害者支援連絡協議会会長)
 長谷川 勝(釧路精神保健協会会長・釧路優心病院院長)
 蓑島 弘幸(釧路弁護士会犯罪被害者支援委員会委員長)
 むらせまさる(広尾町長)

(善養寺) それでは、これからパネルディスカッションを進めていきたいと思います。

 「犯罪被害者になるって、どんなこと」という素晴らしい講演を聞かせていただきました。“素晴らしい”という言葉は、もしかしたら武さんには失礼かなと思いながらお伝えしていますが、私たちの被害者支援も平成9年から始まっているのですけれども、いつも被害者の人たちがどんなことを思われて、どんなふうに希望していらしてということが原点になるのだということで活動しておりますので、そういう意味ではとても私どもの胸を打つお話でございました。ありがとうございました。

 それを受けまして、「犯罪被害者支援とは何か」ということで、5名のパネラーの方にそれぞれのお立場からご意見をいただきたいと思います。ご紹介をされた逆の順番で、津田さんのほうからお話をお願いしたいと思います。津田さんは犯罪被害者支援連絡協議会の、今日のプログラムにも書いてありますが、会長をしていらしたり、いろいろな立場からの民間の相談室の代表としてのご提案というか、お話をしていただくことになります。では、よろしくお願いいたします。

(津田) 先ほどの武さんのお話を伺いまして、最初から「重い重いお話」とおっしゃっていましたが、本当に何かズッシリしたものが胸に入ったような思いをしております。そんな犯罪被害を受けられた当事者の前で、経験のない私が話すことは大変恐れ多いことで、今日のこの機会を明日の支援の力に必ずさせていただくということでお許しいただき、まず始めに釧路方面被害者支援連絡協議会のことをちょっとお話しさせていただきます。

 釧路方面被害者支援連絡協議会は、平成11年に国、道、各自治体、民間団体が会員相互の連携・協力ということで、犯罪被害者・ご遺族を地域全体で支えていこう、そういう思いでつくりました。先ほども高橋本部長さんのご挨拶の中にもありましたが、今年は本当にすごいことがありまして、釧路方面管内32市町村すべてが被害者支援条例、そして要綱などを制定することになり、すべての自治体が揃ってこういうことをしたということは、釧路のみと伺っております。担当した市町村の職員が被害者支援について真剣に議論してくださった、そういうことがすごく意義があることではないかと思っております。その機運の高まりで、市町村の職員の方々の連携による事例が報告されておりますので、ご紹介いたします。

 新得町の山岳遭難では、新得町役場の全面的な協力の下で病院や葬儀会社など、共に遺族支援をされたということですし、また更別村では道外からの観光客の交通遺族の支援でございますが、別々の場所に安置されていたご遺体をせめて同じ場所で、せめて最後のお別れを遺族の方とご一緒にという思いから、場所を考えて民間斎場を手配してくださった、そういうきめ細やかな支援をしてくださったと伺って、まさに支援ネットワークの機能が確立された、充実した活動であったと思っております。

 次に、釧路方面被害者支援連絡協議会の会員であります釧路家庭生活カウンセラークラブの被害者支援対策室の相談員としてお話しさせていただきますと、私は昭和56年、釧路市で家庭生活カウンセラー養成講座を受講した一人でございます。人間学をベースにした幅広い学びであり、この講座は北海道家庭生活総合カウンセリングセンターのカリキュラムを基盤にした地方講座として釧路市で開講して、今年で29年目になっております。そして、講座修了後、これで終わるのではなく、専門性の学びと、カウンセリングスキルを活かし、学びを継続できるボランティアはないだろうかとみんなで考えました。その結果が、家庭生活電話相談、それと施設訪問ボランティアでした。

 現在も初志を継承「実践と理論の循環式」で学びながらクラブの活動を継続しています。

 平成9年5月、北海道被害者相談室が設立されました。そういう中で、同じ学びをした私どもクラブにも、釧路市で被害者相談室の設立を呼びかけられましたが、私どもは躊躇いたしました。

 1年後、再びお誘いをいただきました。現在の私どもの想像をはるかに越える世界に足を踏み出す勇気があるか、ないか。みんなで喧々諤々と話し合った結果、私どものささやかな力が今求められている、必要とされているならと決意をし、平成10年9月、釧路市の被害者支援電話相談がスタートいたしました。場所等の環境整備は釧路市が整えてくださいました。

 スタート当初、私どもは自信がありませんでした。躊躇する思いは残っておりました。そんなとき、警察の担当者が一冊の本を持ってきてくださいました。それは神奈川県警本部で性犯罪捜査係の指揮をしていらっしゃる女性警察官、板谷利加子氏の著書『御直披』でした。その内容は、レイプ被害者が警察に被害届を出しに行ったとき、今はこのようなことはあり得ないと私は信じておりますが、無神経に投げかけられた言葉で二度傷つく、セカンドレイプされた、そういう怒りを綿々と綴っておりました。その怒りに真摯に耳を傾け、100通を超す手紙のやりとりをしながら、作者板谷さんはその方と向き合っていったのです。そのプロセスにすごく私は感動いたしました。そして、また彼女の持つ人間の力にも感動し、さらに、同性である被害者が人間としての尊厳が踏みにじられ、こんなにつらい思いをして、本当に耐えがたい経験を強いられている現実を見せられ、私たちのできることをするという、一歩踏み出す勇気をその本からいただきました。

 今は相談員としては未熟ですが、丁寧に、丁寧に、相談者に教えを乞いながら、不条理と戦っている被害者の近くで、必要なときにそっと手を差し出す、そういう支援者を目指していこうと決意も新たにいたしました。

 現在、私どもの被害者相談室と北海道被害者相談室は研修などで連携を取らせていただいております。しかし、私どもの相談室は本当に小さな、現在、8人の相談員で週2回、火曜日と金曜日、10時半から14時30分、電話相談で、被害者の心のケアをやっておりますが、時には面接も入ってまいります。支援者のニーズに合わせ、同行支援の準備も考えていた矢先、直接支援活動の機会がありました。

 今年の夏、近隣で起きた事件なのですが、その地の警察から依頼され、出かけて行きました。事件直後の本当に対応の早い警察には感謝して、その方と関わらせていただきました。本当に理不尽な事件で、被害者はあのとき家に上げなければ、そんな思いでご自分を責めていらっしゃいました。「なぜ、私たちが、何をしたのか」「どうしてこんなことが起きたのか。加害者に直接聞きたい」、そんなことを何度も言っておりました。今までの価値観が飛び散ってしまい、本当に大切なものがなくなったという、奈落の底に突き落とされ混迷の極みという心理状態で、話すたびに、「これからどうしたらいいの?」「私は加害者の勤務した会社を全面的に信頼していた。その会社の人間がなぜ私にこのようなことをしたのか」「世の中、変わったのですか。誰をも信じてはいけない社会になっていたのですか。それに気がつかなかったのは私だけだったのですか」。何度も何度も繰り返して、正に不条理な出来事に対する怒りそのものといった感じでありました。このケースもそうですが、先ほど武さんもおっしゃっていましたけれども、本当に被害者は多くを望まず、元の生活に戻りたい。至極当然なことでありますけれども、その至極当然なことが一番難しいということが、その被害者の方はよく知っていらっしゃる。この度も私達ができることは何なのか、本当に教えていただいたケースでもあります。

 私どもは「あなたは何も悪くない。落ち度はない。悪いのは加害者」と伝えながら、被害者が「裁判に出て加害者に確かめたい。だけど加害者の顔は見たくない、一緒の空気も吸いたくない。そして加害者の家族にも会いたくない。裁判が始まったら、報道機関が事件のときと同じように騒々しくなってくる。それを思っただけで心臓がドキドキして苦しい」、そんな被害者の思いを遂げるにはどうしたらいいのだろうか、一緒に考えました。そして、「被害者も弁護士を依頼して、裁判に参加することができること。報道関係対策なども担当の刑事さんに何でも相談できること。私たちもあなたの権利の回復にお手伝いさせていただくこと。」等を伝えました。本当に誰もが想像を絶するような体験をさせられ、受け入れることができずに悩み苦しんでいる被害者、抱え切れずに闇の中に閉じ込めている思いを誰かに話したい、聞いてほしい。躊躇しながら、私どもに電話をくれた被害者に、私は「よくかけてくださいました」と、そういうエールを送りながら、真っ正面から向き合っていこう、被害者の苦しい、理不尽な体験を共有できたら、そういう思いで関わらせていただいております。

 そして、テレビニュースで皆さんもご覧になったと思うのですが、新得の山岳遭難の被害者のご遺体が搬送されるとき、雨の中をすがるように付き添っていくご遺族の方にそっと傘を差し出していた支援者の姿。その姿を見たとき、私もこういう支援者でありたい、そんなふうに思いました。

 私たちも被害者の命をかけた体験の中から、身を賭して真実を知ってほしい、そう言ってかけてくる被害者の命の滴のような言葉をしっかりと受け取る、そういう受け手として側にいさせて下さい、そう思って電話の前に座っております。
最後になりますが、山口県光市の本村洋さん手記の『遺族の思い』の文章を読んで、私のお話を終わらせていただきます。

 「犯罪は、誰も幸せにしません。被害者も加害者も不幸にします。私は、犯罪被害者支援の必要性と犯罪被害の深刻さが社会へ広まり、犯罪は絶対に許されないという価値規範が社会通念として浸透することで、被害者支援だけでなく、犯罪防止へ繋がればと願って止みません。そして、犯罪被害そのものが減少し、不幸にして犯罪に巻き込まれた方々が一日も早く犯罪被害から回復し、平穏な生活を取り戻せるような社会を実現できればと切に願っております。」

 本村さんの望む社会の実現は、私たち支援者活動をしている者の願いでもあります。直接支援だけにとどまらず、この思いを広めるための啓発運動も進めていきたい、そう願っております。ありがとうございました。

(善養寺) ありがとうございました。支援のあり方とか、被害者の立場に立った何気ない優しい仕種そのものが支援になるのではないかということと、理不尽な被害に遭われた人をもう出してはいけないという思いで関わりながら、それが防犯につながっていくのが望ましいのではないかというようなお話をしていただいたと思います。もっとたくさんお話をお聞きしたいのですが、時間が押していまして、恐れ入りますが、お一人10分ほどでご発言をいただければありがたいかなというふうに冷たいことを申します。申し訳ございません。民間の被害者支援の津田さんからお話を伺いました。

 次に、被害者の権利回復のためには弁護士さんの仕事は欠かせないと思いますが、そういうお立場で被害者支援の精通弁護士さんとしてご活躍をされていらっしゃる簑島先生にご発言をいただきたいと思います。お願いいたします。

(簑島) 弁護士の簑島です。10分で何とかまとめるようにします。

 私は釧路弁護士会に所属しておりまして、今から3年ほど前に日本弁護士連合会に設置されました犯罪被害者支援委員に選任されました。選任された当時は、釧路弁護士会の中では犯罪被害者支援を担当する部署、委員会というものはございませんでしたので、私が日弁連の会議等に出席して、その成果を携えて、釧路弁護士会内でも犯罪被害者支援の体制づくりを行うということで、ここ3年ほど活動してまいりました。

 弁護士といいますと、一般には、昔からの伝統的な考え方でいきますと、むしろ加害者側の弁護をする立場ではないかというふうに思われる方もいらっしゃると思います。現に、長らく刑事弁護でむしろ加害者側に妙に偏った形での弁護活動が見受けられたというのも確かであります。しかし、この10年ほどの社会情勢の変化の中で、弁護士の中からも犯罪被害者支援の必要性を感じ、そちらのほうに軸足を移して活動する体制も徐々にできてきております。ですので、弁護士だからといって一括りに見ていただきたくないな、というのが正直なところです。私自身、今現在、刑事事件はそんなに件数は行いませんが、この犯罪被害者支援の活動に携わっていることから、刑事弁護を担当する際にも、被害者がいらっしゃる事件においては、より一層注意をして弁護活動に当たるようになったと思います。何ぶん、ここ3年ほどの乏しい経験の中で、このような高いところからお話をさせていただくというのは誠に恐縮で、おこがましいところではありますが、どうかよろしくお願いいたします。

 私のほうからは、最近できた法制度の到達点と、もう一つプライバシーに関するお話をさせていただきたいと思います。

 私が犯罪被害者支援活動に関わってからの3年間で、被害者支援を巡る法制度は、戦後の歴史で見てきますと劇的に変わっております。具体的に申し上げますと、平成18年4月に日本司法支援センター、通称、法テラスが開設されまして、同じ年の10月から業務が開始されました。それと同時に、被害者支援精通弁護士紹介制度ということで、法テラスを通じて被害者の方が支援をする弁護士の紹介を受けて、主に法律面での支援を受けるきっかけにするという仕組みができました。

 また、平成20年12月1日からは刑事裁判において被害者参加の制度が始まりました。被害者参加ということは、今までは傍聴席で裁判の手続、検察官、裁判官、弁護人、被告人の主に4者で行われていた者の中に、当事者に準ずる立場で傍聴席よりも一歩前に、柵の中に入って、一定の限度において訴訟に関わる行動ができるようになりました。具体的には、被告人に対して質問をしたり、最後、刑罰に関する意見を述べるなどができるようになりました。そのような訴訟活動をしますので、国費で弁護士を選定する、国選弁護士を付ける制度も併せて始まりました。さらには、刑事訴訟を担当した裁判官が引き続いて民事の損害賠償に関する審議も行って、通常の民事訴訟に比べて簡潔な手続で損害賠償の命令を出す制度も始まりました。

 これらの制度が始まったことに加えまして、今年5月21日からは裁判員制度というものが始まっております。直接、被害者参加制度等に関わるものではありませんが、被害者の方が参加できる裁判と裁判員対象、裁判員裁判になる事件というのは、大きく重なります。主に故意に人を殺した罪や重大な怪我をさせた罪の場合に重なってきますので、今後、この裁判員制度との関係で、どのように制度が運用されていくのか。新たな制度がたくさんできた制度の過渡期になりますので、これは制度を実りあるものにするためには、裁判に関係する弁護士において、やはり魂を吹き込むような活動をしなければならないと考えております。特に、弁護士としましては、裁判対応についてはメインに行うことになりますが、その他、心のケア等の問題については、他のカウンセラーの方々などのご支援をいただきながら行わなければならないので、今回のこのつどいをきっかけに、横のつながりを深めたいなと考えているところです。

 プライバシーというお話をしましたが、これまで刑事裁判の中で被害者の方について、プライバシーを守るための制度が幾つか実際に制度化されております。裁判は、基本的に憲法上の原則として公開で行うことになっておりますので、これらの制度がないときには裁判を見に行って、傍聴席で聞いていれば、被害者の方の名前もわかりますし、証人で出てお話をされる場合には、顔も姿もわかるという状況でした。そのような状況は非常に好ましくないということで、遮へいといいまして、衝立を立てて傍聴人又は被告人からも見えないようにする仕組みをつくったり、もしくは別室とビデオでつないで別室で証言等をしていただくという制度もできました。また、最近では、法廷で名前自体を出さないということも裁判所の決定で行えるようになりました。このような形で、まだ改善の余地は多分にあろうかと思いますが、裁判制度の中ではプライバシーを守るべく、いろいろな制度が準備されておりまして、訴訟に携わる弁護士、検察官、裁判官としては気をつけて訴訟に当たっている次第です。

 実は、先ほどご紹介した被害者参加の制度なのですが、平成20年12月1日から開始されまして、その第1号の参加申し出があったということで、非常に新聞、テレビ等で報道された第1号事件がこの釧路地裁でございました。これに関しては、私は今までいろいろ支援の立場で研修とかもやっていたのですが、その前の損害賠償の示談交渉を行っておりまして、その流れから、私は何の因果か、その事件では加害者の弁護人という形で関与はしたのですが、実はその際のマスメディアの対応に関しては、私自身、非常に驚愕するものがありました。具体的にどのようなものかといいますと、やはり第1号ということで世間の耳目を集めるものですから、どうしても取材がしたいみたいなのです。それで、私の弁護士事務所に30分おきに電話が来たり、裁判を受ける立場の被告人の家にも目の前に張り込まれて、「被害者の方の住所、名前を教えろ」というようなことを言われたそうです。私はそういうことがあっても絶対しゃべるな、ということで言っていましたので、そこから情報が漏れるということはなかったと思うのですが、釧路の狭い町でのことですので、いろいろなところを聞いていくとわかるのですね。事後に聞くところによると、参加の申し出をした被害者の方のところには、たいそうマスメディアが押し寄せたそうです。いわゆるメディアスクラムというのは、こういうものを言うのだなと。事件自体は世間の耳目を集めるようなものではなかったのに、ただ、制度が日本で一番最初のものだというだけで、このようにされるのでは、プライバシーも何もあったものではないな、というのが正直な実感としてありました。プライバシーに関しては、被害者の方々にそれぞれお考えがあろうかと思いますが、やはり一括りにしてはいけない部分だと思います。全く意向も聞かずに、そのように家に押しかけていって、質問したりというようなことがあるのは大変嘆かわしいことだと感じております。私としては、今後、さらに被害者支援のための新たな制度ができていく中で、新制度の1号だということで注目を集めた、ただそれだけで取材活動にさらされる、ご本人の意向を無視してというのは大変嘆かわしいことだと思いますので、弁護士としてはプライバシー保護については単に裁判上の制度だけではなく、もっと広い目で関与していかなければならないのだなというふうに感じている次第であります。

 まだまだこれからいろいろ改善の余地があろうかと思いますが、一歩一歩、前に進めていきたいと考えております。以上です。

(善養寺) ありがとうございます。ご協力、ありがとうございました。

 先ほど、武さんのお話の中に、不条理な出来事によって息子さんを亡くした上に、ご主人がおっしゃった「俺たちは見せ物パンダになってもいいな」という決意というか、覚悟というか、そういうことがなければ戦っていけない社会はやっぱり変だなというふうに思いながら、今、先生のお話をお聞きしていました。平成16年に基本法ができて、17年に基本計画ができて、これからいろいろ制度を変えながら、試行錯誤しながら新しいものを生み出していくことを考えなければいけないのかなと思いながらお聞きしました。ありがとうございました。

 次に、先ほどWiLLを見せていただきましたが、その中にもご子息のお写真がありました菊地さんのほうから、理不尽な事件によって、ある日、突然、遺族になられて、大事な息子さんを亡くされた、そういうお立場の中で、たぶんわからないこと、疑問点がたくさんあったのだろうなとお察ししますけれども、ご遺族の立場でどうぞお話しいただければと思います。

(菊地) 北見市から来ました菊地名美子です。2000年7月、当時、主人の転勤で住んでおりました青森県七戸町で長男、良道が少年犯罪に巻き込まれ、見たことも、会ったこともない暴走族に鉄パイプ、木刀、ゴルフのクラブなどで集団暴行に遭い、1週間の脳死状態の後、急性硬膜下血腫で、誰にどんな暴力を振るわれたか、どんな怖い思いをしたか、想像をはるかに越えた地獄だったと思いますが、亡くなりました。

 少年犯罪ということで、加害者は誰か、どんな事件だったかは、警察に聞いても教えてもらえず、何が何だかわからない状態でした。目の前の息子の脳死状態は、ひどい暴力を振るわれたという事実を物語っていました。悲しんでいる時間もないくらい、事件後、1カ月半くらいで主犯の逆送の刑事裁判がありました。「被害者は暴力を受ける原因も全くなく、主犯の身勝手な暴力により、命を絶たれた無念さは計り知れないものがある。主犯は、自らが負う責任を真に自覚していると認めがたい」ということで、「4年以上6年以下の不定期刑に処す」と判決が下りました。会ったことも、見たこともない暴走族に身勝手な疑いを被せられ、部活の先輩に呼ばれていった息子は、何が何だかわからないうちに鉄パイプ、木刀とかで殴られ、殺されました。普通の人間が犯罪に巻き込まれたのです。当時のテレビ局の記者の方が「通り魔殺人と同じだ」と一緒に怒ってくれたのが昨日のことのようです。

 事件後、2年半後に青森地裁で民事裁判を起こしました。札幌の弁護士の方二人に本当に支えてもらい、裁判に私たち遺族のつらい気持ち、怒りの無念さをぶつけ、それを裁判で弁護士の方々は戦ってくれました。今でも心から感謝しています。主犯と主犯の親は一度も裁判に来ることもなく、答弁書も出すこともなく、「9,300万円を加害者遺族に支払いなさい」と勝訴が下りましたが、支払っていません。他の加害者二人とその親は監督不十分が認められ、親も子どもと一緒に慰謝料を支払うということになりました。その場にいた他の見張り役4人も、共同不法行為が認められました。主犯とその親以外と、裁判所の提示する和解案に、私たち遺族の意向も足して、不本意ですが、和解しました。事件後、9年4カ月経ちますが、主犯とその親、傍観者の一人が慰謝料を払わず、どこにいるのかもわかりません。強制執行しようにもどこに住んでいるかもわからないとできません。興信所に探してもらうしかないのですが、それもお金がかかります。我が家には、そんな大きなお金はありません。被害者遺族がお金を出して、主犯たちの居場所を探さないといけないのです。少年刑務所に6年入ったから、少年院に入ったから、人を殺したのが許されるわけではないのです。もちろん、一度謝ったから許されるわけでもありません。毎年、息子の命日に私たち遺族に手紙を書いてくださいと和解案に書きましたが、それを守っているのは7人中1人しかいません。裁判所の出した判決も民事なので、10年で時効になると聞きました。私たち遺族はお金を払ってもらいたいというわけではないのです。加害者の反省の色、償いを私たち遺族に伝えてほしいのです。だから、お金でなくても、1年に1度、命日に手紙をくださいということも付け加えたのですが、それを守っているのも7人中、本当に1人しかいません。被害に遭って10年経とうとしていますが、まだまだ加害者との戦いは終わっていません。お金は働かないと稼げません。怠けて遊んでばかりいたら、お金はなくなる一方です。主犯は「一生かけて償います」と手紙を寄越しましたが、どういうふうに償っているのでしょうか。1年に1度の命日にも手紙を出さず、どこにいるかもわからず、慰謝料も払わず、手紙も寄越さず、どこで償っているのでしょうか。遺族に伝わらないのに償っていると言えるのでしょうか。

 少年犯罪を犯した少年たちは、人を殺しても死刑にならないということを知っています。人の命はたった一つしかなく、代わりがありません。かけがえのない、たった一つの命を奪って、被害者、良道に、遺族に、どうやって償っていくのでしょうか。加害者に聞いてみたいです。あと、私は先ほどの武るり子さんの少年犯罪被害当事者の会にも入っています。毎年10月に大阪でWiLLという少年犯罪被害者遺族たちのいろいろな思いを発言する会をしています。私はこの会の代表の武さんに、息子が被害に遭った3カ月後から、たくさんいろんな思いを聞いてもらい、時に助言をしてもらい、時に「わかるよ、同じ気持ちだよ」と一緒に泣いてくれて、本当に支えてもらいました。そして、たくさんの犯罪被害者の遺族の方とも知り合いました。自分一人でないという、同じ境遇の人たちに1年に1度会えるのは、今となっては待ち遠しくもなっています。

 もう一つ入っている会は、昔、NPO法人アピュイというのがあったのですが、代表が病気をして今休止しています。それで、残された人たちで「犯罪被害者を支え合う会」、自分たちが犯罪被害に遭ってとても大変な思いをした。これから、自分たちのあとに犯罪に遭った人を支えてあげたい、寄り添いたいというので、全国で犯罪被害に遭った遺族や支援してくれる弁護士さんの小さな会です。インターネットのサイトで月に1度、テレビ電話会議みたいなのをしています。全国どこにいてもパソコンとそれ専用のカメラとマイク、インターネットに接続できれば、その会の仲間の顔を見ながら、情報交換したり、まだまだ傷ついている遺族の気持ちを何人かで一生懸命聞いたりしています。

 うちの息子が事件に遭ってから、いろいろな法律、少年法が変わりました。でも、なかなかまだ実感というか、被害に遭った人たちは9年前の私と同じような感じで、すごくつらい思いをしていたり、きちんとした支援を受けているのかなとハテナマークを常に抱いています。これからも警察や多くの方に支援をしていただき、本来なら犯罪は少なければいいのですけれども、悲しくも犯罪に遭った場合、被害者といってもみな同じ性格でもないし、事件も内容も全部違います。その人その人に合った支援をしていただきたいなと思います。今日はよろしくお願いします。

(善養寺) ありがとうございました。おつらい体験を聞かせていただいてありがとうございました。私の手元に道の人が用意してくれた2005年の菊地さんのご子息の「記者の視点」という記事があるのですが、その中で菊地さんはWiLLのことを「痛みを分かち合える人たちとの出会いで勇気をもらった」というふうに書かれています。私ども民間も、つらい体験をしたことをできるだけ共有しようと思うのですが、なかなかそれが伝わらなくて、支援している者自体がジレンマに陥ることがある中で、同じ体験をした人たちの会というのは力になるのだなと思いながらお聞きしました。また何度も言いますが、おつらい体験を話していただいてありがとうございました。

 では、そういうような急激に、昨日と全く違う日常生活でしょうか、理不尽な体験の中にボンと放り込まれた人たちというのは、精神的なバランスなどとれようがないのですね。どうしても精神科の先生の医療的なフォローも必要になってくる。そういうお立場で精神科の長谷川先生からお話をお聞きしたいと思うのですが、長谷川先生の日常のご診療のお立場とか、診察になる場合のご抱負などお聞かせいただければと思います。よろしくお願いいたします。

(長谷川) 精神科医の長谷川と申します。大楽毛5丁目の釧路優心病院という個人病院を経営しています。武さんや菊地さんのお話を伺っていまして、私はここでパネリストとしてはあまりふさわしくないなと本当に感じています。正直な気持ちです。

 私は、今、患者さんの中で一番診ているのは認知症なんです。確かに認知症の方は増えています。その方たちの家族がまた不安であったり、病んでいることが多いのですね。そういう方たちを日常たくさん支えてきたつもりなのですけれども、今日のお話を伺って、確かに今日のためにいろいろと調べてきたり、自分が今まで診療してきたことを振り返ってみますと、今まで被害を被った方が病院に来た例は2人でした。いろいろ調べましたら、治療が必要だと言える方はたくさんいらっしゃるようなんですけれども、病院には来れないんですね。それはいろいろな理由があると思います。経済的なこともあるかもしれませんけれども、一番は、やはり外に出れなくなってしまうのではないでしょうか。家族が説得しても、家族の方も病んでいらっしゃったら、一緒に病院に行きましょう、という気持ちにはならないのではないかと思います。それは、もう二十数年精神科医をやっていますから、精神障害者の方がなかなか病院に来ないというのと、同じとは言いませんけれども、そういうような気持ちで家に閉じこもってしまうのではないかと思います。

 私は、今日、病気の話とか治療の話とか、そういうのを話そうかなと思っていたのですが、そういうこと以上に、何か医者としてできないのかなと、そういう話をさせてもらいたいなという気持ちになりました。実は、私は平成2年10月から釧路に来まして、開業したのは3年7月からで、平成5年に名前を変えたのですが、前は叔父がやっていた病院です。正直言いまして、閉鎖的な病院で、外来はほとんどいなくて、その中に閉じこもっていた感じなのですね。ところが、私の性格上、ずっと入院しているのが不思議で、どうしても退院してもらいたいということで家族に相談しましたら、家族は大反対です、「帰ってくるな」。僕は、そのときまだ34歳でした。「あんたね、何にもわかっていないんだよ。家に帰ってきてもらったら困るんだ」ということを家族の方がおっしゃって、私の病院なのに、命令されて、「あ、そうですか」という感じで、とにかくそのときは引き下がったのですが、これでは納得いかないという気持ちで町内に住んでもらおうと思いました。だから、先ほど武さんがおっしゃっていた、本当にそういう気持ちが湧いてきまして、僕もある面、勇気を得たといいますかね。それで、平成3年くらいから、町内にたくさん住んでもらって、今、70人も80人も精神障害者の方が住んでいるのですが、地域の方が支えてくれるから住んでいられるんです。確かに、私が頼んで、あるときは保証人になったりいろいろしています。だけど、地域の方が一生懸命支えてくれるからできたんですね。それが、武さんの話を聞いていると共通点がある感じがしまして、病気の話なんかどうでもいい、すみません、どうでもいいというわけではないのですが、そういう話以上に、医者として何かできることがないかなとすごく思いました。

 確かに、今、2人しか診ていないと、自慢ではないですけど、実際、その方たちは本当に良くなってきています。ただし、やっぱりフラッシュバックもありますし、PTSDだと思うのですが、どうしても思い出してしまうのですね。でも、心の支えがあるぞ、ということで、ある面、力強く生きていらっしゃるのではないかと思います。その方は残念ながらご主人も亡くされて、家業が潰れてしまいまして、私の大楽毛地区のあるアパートに生活しています。だから、今は生活も支えている状態です。

 もう一つ言いたかったのは、なかなか病院に来られないというのは、今始まったわけではありません。私は、あまり大きな声で言いづらいのですけど、ずっと往診しています。家に行って、診察させてもらっています。平成3年のころは外来もあまりいませんでしたら、ほんとに暇でしたから、外に行くのは苦にならなかったんですけど、最近は正直言いまして、60人も70も外来が来ますから、頼まれて、すぐ行けるかというとそうはいきませんけど、その必要性を感じている精神科医だと僕は思っています。だから、いろいろ調べたときに、関わらなければいけない状況なのに行けないという、それは僕は良しとしないといいますか、こちらから連絡いただいて、話を伺ったら、是非そういうところに行って診察させてもらいたいという気持ちでずっとやってきました。正直、最近は、依頼があまりにも遠いところは断ることもありますが、以前よりも精神病の方は少なくなりました。認知症の方も家族の方が連れてきますから、確かに少なくはなりましたけど、どうしても病院に来られないというケースは、連絡が来たときには今でも行っております。

 もし、この地区でそういう方がいらっしゃったときには、ぜひ連絡していただいて、相談に乗りたいという気持ちが、以前よりも本当に強くなりました。

 まとまらない話で申しわけありません。以上です。

(善養寺) ありがとうございます。私どもはカウンセリングの勉強はしているのですけれども、最後の頼りどころはお医者さんで、札幌でも直接支援で、病院に通うのに同行サービスをしたということがございます。行きたくても行けないのですね。そこまで行けない。だから、さっき先生がおっしゃったように、行きたいんだけれども、引きこもってしまうということがたくさんある。そういうときに、長谷川先生のようなお立場の方がいろいろ行動を起こしてくださるのは非常に心強いと思いながら、今お話をお聞きしていました。

 本当に優しさと思いやりと、もう一つ、先ほどのメディアスクラムの話を聞くと、分別ある社会の実現のために、被害者支援をもっと実りのあるものにしなくてはいけないなというふうに思いながらお聞きしていました。武さんの新聞記事の中にも「助けてくれたのは地域」ということでの記事も載っておりましたけれども、いち早く町の条例をつくられた広尾町からむらせ町長さんがお見えになっていて、つくられたお立場からの発言をしていただくことになっています。よろしくお願いいたします。

むらせ) 十勝の広尾町から参りました、人口8,200人の小さな町であります、農業、漁業、港湾、この三本柱で町をつくっているところでございます。昨年、町長に就任させていただきました。まだ1年生であります、よろしくお願い申し上げたいと思います。

 先ほど武さんのお話を聞いて、最後に「被害者の支援には自治体の役割、地域の関わり、これが最も重要だ」というふうに言われて、本当に身の引き締まる思いがしたところであります。どこの自治体、首長も、その地域の住民の方が本当に元気で、そして安心して暮らせる、そして経済的にもそれから精神的にも暮らし向きが良くなる、これを目指してどこの自治体、首長も頑張っているところであります。私も去年、町長に就任させていただいて、テーマを「地域の自立」「豊かな暮らし」、これを掲げてまちづくりを住民の方と力を合わせてやっているところであります。

 まちづくりの基本は、何といってもそこには経済基盤がしっかりしていなければならないというふうに思っております。産業振興をしっかりさせて、経済基盤を確立し、その上にそれぞれ安心して暮らしていける福祉、医療、教育、コミュニティ、そういったものがあるのだと思っております。それが町の発展につながっていくのだと思っています。どっちが先か、どっちが後かではなくて、それを循環させてより発展させていくことが住民の生活を守ることにつながっていくのだなというふうに思っているところであります。その根幹を成すのが、地域の住民の皆様方が安心して生活できる、これが根幹になければ成り立たないことだと思っているところであります。

 よく地域の力を測るのは何か、というときに、「地域の力はコミュニティを見ればわかるのだ」というふうに言われているところであります。地域のコミュニティが盛んなところは、やはり地域が元気であって、安心できる地域だというふうに言われているところであります。では、地域のコミュニティは何だ、というのは難しいことではなくて、簡単なことであります。よく「向こう三軒両隣」という言葉があるとおり、やはり地域の町内会の付き合い、向こう三軒両隣の付き合い、挨拶ができるかどうか。町の子どもが悪いことをしていれば怒ることができるかどうか、これが地域のコミュニティだと言われているところであります。それがしっかりしている地域はやはり安全で、犯罪も少ない地域だというふうに言われているところであります。そういった形で、住みよいまちづくりのために、今、住民と一緒に頑張っているところでございます。しかし、事件というのは、よく言われるところでありますけれども、都会で大きな事件が起きるものだと思っておりました。田舎では殺人事件などは無縁なものだというふうに思っておりまして、安心して暮らせるのが田舎のいいところだなと思っておりました。しかしながら、今回、犯罪被害者支援の条例を制定させる背景には、皆さん方にも記憶にあろうかと思いますが、2003年(平成13年)、広尾で幼児殺傷事件が起きてしまいました。本当に田舎では大変な大騒ぎになったところでございまして、関係者がいればちょっと恐縮でありますけれども、紹介させていただきたいと思っております。

 2人のお子さま、5歳と2歳のお子さまが殺されました。そして、1人の子どもさんは小学校1年生、6歳でありましたけれども、同じく怪我をしたところでございます。大変痛ましい事件がありまして、町中に衝撃が走ったところであります。役場と道路を挟んで真向かいが被害者の住宅でありましたので、私も当時、役場の職員でありましたので、一部始終、見ていたところでございます。しかも加害者が隣の方だということもありまして、本当に町内会始め、町中に大きな衝撃が走り、重苦しい雰囲気に包まれたところであります。しかしながら、平成13年、その年の4月に地域安全条例が制定されまして、いち早く、その対策に乗り出されたのも良かったのかなというふうに思っているところであります。被害者が子どもさんだったということもありまして、心のケアの問題、それから「こども110番」の家の設置など、警察署の力もお借りしながら対策を講じたところでございます。

 先ほど武さんのお話を聞いて、被害者の気持ち、生活面、子どもの対策はそのときできたかもしれませんけれども、そういった家族全体のケアの問題、支援の問題ができたかと言えば、今、振り返ってみれば不十分さが残っていたのではないかと思っております。今回の条例の制定に当たりましても、いろいろな議論がありました。2年近くかかりました。今思えば、本当に恥ずかしい気持ちでありますけれども、「条例まで制定しなくたって、毎日、日頃やっているじゃないか」という意見が大半でありました。「何を今さら条例を制定する必要があるのか」ということも、実際、役場内部でもありましたし、町の中でも、議会の中でもあったところであります。しかも、見舞金を制定するということであります。他に例がないというところでございますけれども、見舞金を支給すると、過失割合も想定しなから100%支給できるものでなければならないというのが役所なんですね。そういうことも大きな壁になったわけであります。しかし、時間をかけなければならないものはかけて、認定して支援すればいいのであって、すぐ支援できるケースもあるわけでありますから、そういったことも今回の私どもの事件があった背景もありまして、すぐさまこの見舞金の支給条例に踏み切ったところでございます。

 何と言っても役所でありますから、「前例がない」というのは得意分野でありまして、前例がないというところが障害になっておりました。しかしながら、地域の住民を守るのは、行政と住民が一緒になってやらなければ守れないというところで踏み切ったところでございます。そして、条例というのは、それぞれの自治体の憲法でありますから、町民全体の宣誓書でもあるわけであります。条例に制定することが本当に大きな意味を持つのだなと思っているところでございまして、町の責任、それから住民の役割もその条例の中に条文として謳って、改めて自覚をし、まちづくりに取り組んでいくことが大切かなと思っております。またこの条例の制定につきましては、広尾の警察署の署長さん始め、署員の方々の大変なご支援、指導があったことをここで報告させていただきたいと思っております。本部長が目の前にいらっしゃいますから言うわけではありませんけれども、日常的に警察署の署員の方々が地域の中に溶け込んでいただいております。町内会活動ももちろんでありますし、地域の行事ももちろんであります。今日、次長さんと課長さんがお見えでありますけれども、毎日、毎朝、プラカードを持って、今、デイライト運動を広尾町、町を挙げてやっております。車のライトを日中もつける運動です。それが警察署の署員が、「雨の日も風の日も」という言葉がありますけれども、毎日、交差点に立って、町民にプラカードで訴えています。別に警察のためにやっているわけではなくて、町民のためにやっていただいているところであります。そういった地域のためにやってくれる活動が町民の目に映るんです。そのことで警察に対する理解も深まっていますし、地域としても「みんなで守らなきゃならない」という機運が高まって、今回の条例の制定になったところでございます。

 条例を制定することによりまして、みんなの願いである「安心で安全な町をつくっていく」、これが大切かなと思っております。みんなで一生懸命、犯罪をなくす社会をつくっているのですけれども、まだまだ犯罪が起こる社会でありますし、明日は我が身であります。誰が被害者になるかもわかりません。そういった面で、万が一、被害が起きた場合には、日常生活面に細かな生活の支援をしていきたいと思っているところでありまして、今日、いろいろなお話を聞いて、思いを新たにしたところであります。以上です。

(善養寺) ありがとうございました。皆さんのご協力で、随分とトントンと早く進みましたので、これからもうちょっとのお時間の間、仕切り直しをしながら進めていきたいと思いますが、民間の相談室、司法関係の方、医学的なお立場から、また行政のご発言、それから“当事者”という言葉は私はあまり好きではないのですが、被害に遭われたご本人の持って行き場のない思いというのを聞かせていただいて、それで今日のパネルディスカッションの「犯罪被害者支援とは何か」というところに戻りたいと思います。

 今までの現状を皆さんにお話ししていただいて、抱負もお話しいただいた。これから、支援とは何かというところに絞って、お一人ずつご発言いただければありがたいかなと思いますが、どなたからでも結構です。足りなかった部分を補足してくださっても結構ですので、お願いしたいと思います。簑島先生、何かありますか。さっき菊地さんのほうからありましたが、民事事件の判決は10年が時効なのですか。それについて何かございますか。

(簑島) 先ほどお話があった件ですね。民事の判決があったときに、時効ということで、損害賠償の問題で、特に相手の履行がない場合、相手がお支払いしない場合に時効の問題というのが出るのですが、亡くなった日とか事件の日から数えるとか、ものによって違うので一概には言えないのですけれども、今回の菊地さんの件ですと、これ、判決があるのですね。裁判所の判決がある場合は、裁判所の判決が出てから、いったんは10年が時効期間になるのですが、その10年というのは有効期間という意味ではなくて、その時効の計算というのは、権利を行使できるときから始まるのですが、向こうがお金を一部でも払ってきた場合や、こちらから書類を出して、向こうがそういうお金の支払い義務があることを認めますという書類を書いた場合は、その10年間というのがいったんその段階でゼロになって、またそこから10年になるので、判決が出た日から単純に10年ではなくて、一回一回、カウントをゼロにする手続、“中断”というのですけれども、そういうのをやると、10年というのはどんどん先のほうに延びていくという関係になります。

(善養寺) できるだけ起算日を後に、後に、後にとしていくと権利の担保が望めるということになるのでしょうね、きっと。

(簑島) そうですね。

(善養寺) ありがとうございました。自分で振っておきながら話がそれて申しわけございません。

 それでは、「犯罪被害者支援とは何か」ということをお一人ずつお話しいただければと思います。津田さん、どうぞ。

(津田) 「犯罪被害者支援とは何か」ということで、大上段に構えたらちょっと言えないのですが、私は昭和61年から保護司として関わってまいりました。以前は、加害者の更生を第一に考えて、被害者の存在そのものに全く、申しわけなかったのですが、心がいかなかったのが事実でございます。それが被害者支援活動をして、被害者の悲しみ、つらさ、不条理、そういうことを知ったことで保護司活動も変わってきました。今は、被害者に対して直接真正面から何をするというのではないのですが、加害者に対して、命の教育といったら大げさですけど、「あなたが今ここに存在しているのはどのくらいの命を引き継いできたか」ということをまずその人に電卓を持たせて、初回面接のときに二人で計算をしています。両親、両親の両親、4人、8人と。そうやって計算している中に、自分の命の重さを本人がわかってきたときに、相手もそれと同じ重さの命の持ち主である、ということを話しますと、びっくりして、そして改めて命というものを考えるようになっていますので、私はやはり犯罪被害者支援の第一歩は、「教える」「知る」ということかなと考えています。

(善養寺) 「命の大切さを知る」そして「自分の存在も知る」イコール加害をしてしまった相手の存在についても大事に思えるという、そのようなことでしょうか。

(津田) 被害者のつらい現状を伝えていくことで、加害者に贖罪の意識が芽生え、更正していく力になると思います。

(善養寺) さっき簑島先生のお話をお聞きしながら、岡村弁護士のおっしゃったことを思い出していたのですが、岡村さんも弁護士活動を何十年もなさっていて、ずっと加害者の権利を守ることに精力を傾けておられたのですが、被害者遺族になられましたね。被害者遺族になられて、奥さまが「身代わりに殺された」と先生はおっしゃるのですが、身代わりに殺されたという立場に立って、被害者の人がどれだけ叫び声を上げているのか、どんなつらい思いをしていらっしゃるのかということを初めて知ったというふうに泣きながらおっしゃったことが忘れられないのですが、ともすると、先ほどのお話の中にもあったように、起こった出来事に集中してしまって、その陰でどれだけの人がどれだけの思いをしているかというのをちょっと忘れがちになってしまうというか、どこかで思っているのでしょうけれども、気づくのが怖いのかもしれませんが、そんな形になってしまいがちなのかもしれません。また、余計なことを言いました。他の方、どうぞ、ご発言いただければと思います。菊地さん、何かありませんか。

(菊地) 自分が被害に遭った遺族なんですけれども、私の場合はうちの兄がたまたま北海道警察に勤務していて、私の息子が被害に遭ったときに、休みをとって青森に来てくれたんです。そして、息子が1週間後に脳死で亡くなる後まで、ずっとそばにいてくれたんです。兄、姉、私の両親、主人の両親、主人の姉もみんなそうなんですけれども、そのときに、巷では警察のことをよく理解していない方もすごくいて、でも兄は同じ職場で、刑事ではないんですけれども、「警察は警察で大変なんだ。やれることはやっているんだ。自分は北海道警察に勤めていて、青森県警の人間ではないけれど、何か自分も協力したい。自分の甥っこが殺されて黙っていられない」と言って、七戸の警察署に出向いて、「自分で何かできることはないか」と言ったそうなんです。そうしたら、「いや、その気持ちだけでありがたい」と警察が言ってくれて、前後して私にすぐ七戸警察では担当の方を付けてくれたんです。それで、警察に対する要望とか、何を知りたいとか、何をどうしたいかというのを担当にいつでもいいから言ってくれ、聞きたいことがあれば、担当にすぐ連絡してくれと。それで、本来なら少年犯罪で名前もわからない、事件の内容もわからないような状況で、「本当は教えられないんです」と言って、最初はやっぱり教えてはくれなかったんですけど、死んで少したってから「こうだったんです」ということを担当の方から教えてもらったんですね。

 あと、新聞記者の方とかにも、殺されてすぐに、1カ月半で逆送の裁判が青森市であったので、何が何だかわからない。一般の人間は、裁判所に行くこともないですし、行って、初めて刑事裁判を傍聴して、こんなに、正直、事務的にやるんだと。人の命って、こんなに事務的に淡々と進むんだと。逆送の裁判も少年犯罪の場合は大体3回で終わるというのも新聞記者の方が教えてくれていたんです、前もって。そうしたら、本当にそのとおりで3回で終わったんですね。よっぽどの凶悪な殺人事件でない限り、3回で終わる、大体決まっていると。何が何だかわからない、でも、終わりにされちゃうといったらあれなんですけど、逆送の場合、刑事裁判になったらまだそれでも自分たち遺族は見たり聞いたり、主犯の顔も見れたんですけど、ほとんどがその前の少年審判の段階で、今までは被害者の遺族とかが立ち会えなかったのですね。だから、事件の内容も知らない、何も教えてもらえない。どこのどなたさんに何をされたかもわからないような状況がずっと続いていたというのを、自分の息子が被害に遭って、初めて「少年法って何だろう」と思って。

 ちょっと話が戻りますけど、今、盛んに言われている被害者支援というのも、司法がするのが被害者支援なのか。先ほど武さんが言ったように、身近な地域の人たちが支援してくれるのが一番スムーズなんですね。子どもが被害に遭った、入院している。正直、入院していたら何もできないですね。そうしたら、残された妹たちは、私の友人、知人が差し入れを持ってきてくれて、食べさせてもらった。それも本当に支援なんですね。だから、地域の方々が、お付き合いがあったからしてもらえた。あと人間的に「かわいそう」「大変」、武さんのところのように「どうなっているんだろう」というので心配でしてくれる、そういう善意のある行動というんですか、そういうのも素直に受け入れる被害者もいれば、それを拒む人もやはりいるのですね。だから、全部一筋縄でいかないというか、遺族の人たちの「何をしてほしいか」というのを、胸を空っぽにして聞いてもらって、その人がしてほしいことを支えてやってほしいというか、そういうふうに思います。

(善養寺) ありがとうございます。肝に銘じておきます。

 私も12年支援をやっているのですが、ほんの2年くらい前、「犯罪被害者の人の心情は、こちらが想像できると思ったら間違えてしまう」というふうに思いました。想像を絶するのですね。想像をしないで、今、菊地さんがおっしゃったように、真っ白い気持ちで「何を今感じていらっしゃるか、思っていらっしゃるか」と聞くことでなければ、自分の胸にしみ込んでこないのだなと。先ほど言った「つらさを共有できる」という、そういう関係にはなれないんだなということをつくづく、随分長いことやって気がついたという、そういうことがあるので、よくわかります。ありがとうございました。

 まだ少し時間がございますので、ご発言をされていない長谷川先生、お願いします。

(長谷川) 少し勇気を持って病院に連絡していただければ、いろいろと支援できると思っています。ここで、どういう方が気持ちが不安定になっているかという目安が、皆さん、ぴんとこないかもしれませんから、ちょっとだけお話しします。

 まず、ほとんどの方に睡眠障害が出ます。寝付きが悪くなったり、中途で覚醒して、浅い感じですね。それから、早朝覚醒があったり、睡眠がバロメーターだと思います。うつ病の診断基準は「2週間以上、続けば」というのもあるんですけれども、2、3日ならあれでしょうけども、それが1週間も2週間も3週間も続くようだったら、自分はメンタルは健康じゃないな、というふうに判断されていいと思います。そのときに、「いや、このくらいなら内科へ行って薬をもらえばいいや」というのは、内科の先生はいないとは思うんですけど、やめたほうがいいと思います(笑)。できたら、一報いただければと思います。そういう敷居が少しでも低くなるような病院づくりを目指すことが、結果的には支援になるかなというふうに思います。

(善養寺) 札幌で駆け込んできた被害者のお嬢さんは「病院に行きたい」と言ったので、「行けないのか」と聞いたら予約制だと言うんですね。自分が診察に行きたいと思う2カ月後、3カ月後に予約をしてくれと。そうしたら、私は狂ってしまうというのです。そういうことはないですか。

(長谷川) 実はちょっとあります(笑)。

(善養寺) あら(笑)。

(長谷川) 皆さん、今日、「新患です」と訪ねてこられても、正直言いまして、1時間は最低診察が必要なんです。5分や10分で患者さんのことはわかりません。そこで薬を出す医者のほうが問題です。

(善養寺) すごくわかります。

(長谷川) だから、私は申しわけないんですけど、予約制にしています、新患の方は。ただし、急ぎます。2カ月待つというのは、そんな、あり得ないですから、夜でも何でも来てもらうというふうに、なるべくそういうふうにはしています。

(善養寺) では、事情をお話しすれば大丈夫ですか。

(長谷川) そうです。無責任に、再来のところでちょっと診るというのはできないんですね。ということで、少し理解していただければ、外来時間は決まっていますけど、その時間以外にもフリーな時間は結構ありますから、そういうところで診察をさせてもらっています。実際に拒食症の高校生だとか、登校拒否の高校生とか、最近ちょっと増えてきまして、それは再来でも時間を割いて、夕方とか来てもらって診察させてもらっています。

(善養寺) 心強いですね、釧路の方。よろしくお願いいたします。むらせ町長さん、何か補足ございませんか。

むらせ) 住民の生活は町全体で守るのが責務だと思いますし、大切なことだなと思っています。今回、その中では自治体の行政の役割というのは本当に大きいものがあるなというふうにつくづく思ったところであります。今回、条例を制定させていただきましたけれども、制定に至る経緯について、若干、今、反省をしているところであります。やはり被害者支援はどういうものなのか、何が必要なのか、そのことがきっちり住民の隅々まで行き渡っていなかったというところが少し反省しているところであります。内部的な議論に終始してしまって、十分に住民を巻き込んだ議論になっていなかった、というところが大きな反省点でありまして、最初は地域安全条例の中に1項目、「犯罪被害者支援」と入れればいいんじゃないかとか、本当に安易な気持ちで取り組んだのが現実であります。

 今日、いろいろなお話を聞かせていただいて、いかに犯罪被害者の方の支援が大切かということを痛感させられました。条例を制定するのは自治体の責任でありまして、それに当たりましては、住民を巻き込む、そういったことが必要かなと思っているところであります。

 武さんの話で、「私は町内会にいろいろなところに顔を出して、結果的に良かったのだ」という話を聞かされました。私たち町も、どの町でもそうですけれども、よく「協働のまちづくり」という、キャッチフレーズみたいなことを言うのですが、何が協働なのかというところだというふうに思っています。町内会活動、自治会活動だというふうに思っています。防犯部、交通部、健康部、女性部、青少年部、いろいろな部があって町内会が動いていまして、それが町をつくっていくのですね。そういったところに関わることが、いざ、万が一、当事者になったときに助けてくれるのだなと思っているところでありまして、そういったまちづくりを、自治体を預かる者として責任を痛感しております。

(善養寺) はい。他の市町村からもお見えになってらっしゃる方、ご参考によろしくお願いしたいと思います。簑島先生、先ほどはお答えいただいただけですけれども、何かございましたら、先生のご発言で終わりにしたいと思います。

(蓑島) 最後というのもあれですけど、「犯罪被害者支援とは何か」という題に対して、私個人の答えで言うと、「一言では言えない」という答えになってしまうのですね。これは私の反省も踏まえてですけれども、特に各被害者の方、それぞれ10人いれば10人、100人いれば100人でそれぞれ違うと。支援のやり方というのは、オーダーメードのような形でやっていかないといけないのだろうと。特に弁護士の場合ですと、一般業務の中では、何か一つの目的を持って、その権利を実現するために裁判をやったり、何をやったりというのがありますので、ともすれば被害者参加の制度ができたからとか、損害賠償命令の制度ができるからということで、下手をすると権利の押しつけみたいになる面があるのではないかというのは危惧しておりまして、そういうのは要請があったときにはそういう選択肢もあるよということで、頼まれたときには鋭くそれを使うようにする必要はあるにしても、自分の知識や考えを押しつけることはせず、そばにいて、何かニーズがあったときにそれを酌み取るという姿勢で、気を長く持って対応しなければいけないものかなというふうに私は考えております。

(善養寺) ありがとうございました。予定の時間、5分前になりましたので、フロアからはご質問を受けないで、このままパネルディスカッションを閉じたいと思いますが、私ども民間の団体も「主役は被害者なのだ」ということを忘れないようにしようと常にみんなで話し合っています。私どもの考える支援が支援なのではなくて、被害者の方がどう思っていらして、どうしてもらいたいかということを常にアンテナを張って、関わりながら、そして先ほど言った優しさと思いやりと、それから大変な目には遭ったけれども、でも私どもと、もしくは地域と関係を持つことによって、私どもの先生が「心の復元力」というふうにおっしゃってくださったのですが、復元力を持っている人として、時間を共有しながら一緒に歩んでいきましょう、ということなのだと思います。

 下手なまとめでございますけれども、今日のパネルディスカッションのまとめとしては、被害者支援とは何か。心の復元力を信じて、それぞれのお立場で、それぞれができることを、誠意を持って、そして主役は被害者なのだということを原点に実践していきたいと改めて皆さんにお約束して、パネルディスカッションを閉じたいと思います。言い残したことはありませんか、寝られなくなっては困りますから。大丈夫ですか。はい、それでは、長いこと、ご苦労さまでございました。いろいろありがとうございました。

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