はじめに

 昭和59年は、不透明な国際情勢と明るさのみえた経済情勢の下で、予想外の事案が多発した緊張と波乱の年であった。
 国際情勢は、中断されたままの中距離核戦力交渉、戦略兵器削減交渉等米ソの厳しい対立を軸に推移した。しかし、米ソ関係においても、ソ連首脳の交代、レーガン大統領の再選を経て、両国間に対話復活の気運が出てきている。また、朝鮮半島においても、南北経済会談が開催されるなど、新たな対話の動きがみられた。しかし、中東では、イラン・イラク戦争において、他国籍タンカー攻撃という新展開がみられ、ペルシャ湾をめぐる緊張が高まった。
 世界経済は、米国経済の予想以上の景気拡大に先導され、全体として景気回復基調で推移したものの、国別、地域別の較差が大きい。
 国内では、保守合同後初の連立内閣の下、行政改革、防衛、減税、教育等の問題をめぐって、与野党間で激しい攻防が続いた。このような情勢の中で、自民党においては中曽根総裁が再選され、11月、第2次中曽根改造内閣が発足した。
 国内経済は、輸出の堅調に加え、民間設備投資の盛り上がり等から、景気は拡大を続けるとともに、雇用情勢においても、求人が増加するなど改善の動きがみられた。
 国内の犯罪情勢は、刑法犯の認知件数が約158万9,000件と、23、24年に次ぐ戦後3番目を記録したが、内容的にも、江崎グリコ社長誘拐に端を発したいわゆるグリコ・森永事件をはじめ、保険金目的の殺人、放火事件、金融機関等対象強盗事件、コンピュータ犯罪等が目立った。
 また、暴力団については、対立抗争事件、銃器発砲事件が減少したものの、暴力団から押収したけん銃数が過去最高を記録し、また、山口組の分裂等懸念される要因が存在し、予断を許さない状況にある。
 少年非行についてみると、刑法犯で補導した少年は24万8,540人で、前年に比べ約5%減少し、55年以降続いてきた戦後最高の記録の更新はストップしたものの、依然として高水準で推移している。また、これらの非行少年の背後で、喫煙、深夜はいかい、不純異性交友等で補導した不良行為少年が53年以降増加し続け、59年には、150万人以上に達している。これらに加えて、少年を取り巻く社会環境の悪化を背景として、少年の福祉を害する犯罪の被害を受けた少年の数も依然として増加を続けている。
 覚せい剤事犯は、検挙人員が約2万4,000人、押収量が約200キログラムと、いずれも第二次覚せい剤乱用時代が始まった45年以降最高を記録した。また、覚せい剤の乱用は、成人女性を中心に女性層へ広がりをみせた。
 交通事故は、死者数が前年に比べ若干の減少をみせたほか、発生件数、負傷者数も7年ぶりに減少した。 しかし、死者数は3年連続して9,000人を超えており、また、死者数等の減少は、上半期の大幅減少によるもので、7月以降は逆に死者数、発生件数のいずれも前年に比べ増加している。死亡事故では、若者による二輪車事故が前年に続いて増加していること、土曜日、日曜日の死者数が多いことなどが目立った。
 警備情勢では、極左暴力集団が、「自民党本部火災車放火事件」をはじめとする悪質な「ゲリラ」事件を引き起こしたほか、内ゲバ事件が増加した。一方、右翼は、政府、与党に対する批判抗議活動や左翼対決活動を活発に展開するとともに、各種凶器を使用した悪質な事件を多発させた。我が国に対するスパイ活動は、「ポピバノフ事案」にみられるように、高度科学技術に情報収集の重点を移して巧妙かつ活発に行われている。また、日本共産党は、4月に現行規約では初めての全国協議会を開催するなど、停滞する党活動からの脱却を図ったが、見るべき成果はなかった。
 このような治安情勢を踏まえ、警察としては、当面、次のような施策を重点的に推進することとしている。
○ 科学技術を活用した警察活動の推進
 近年の我が国社会におけるエレクトロニクスを中心とする科学技術の進歩、通信手段の普及、情報化の進展は、交通機関の発達とあいまって、犯罪をはじめとする治安事象の著しい変化の大きな要因となっている。これらの情勢に対処するため、初動活動、犯罪捜査、交通管理、災害対策等警察活動全般において科学技術のより積極的な活用を図る。
○ 犯罪情勢の変化に対応する捜査活動
 社会情勢の変化に伴う犯罪情勢の変化と捜査環境の悪化に対処するため、広域捜査体制の充実と優秀な捜査官の育成に努めるとともに、国際犯罪捜査体制の確立を図る。
○ 大規模広域暴力団に対する集中取締りの強化
 暴力団勢力が全体として減少する中で、大規模広域暴力団、なかでも、山口組、稲川会、住吉連合会の3組織による寡占化の傾向がみられる現状に対処するため、分裂した山口組を最重点として、これらの大規模広域暴力団に対する強力な集中取締りを推進する。また、市民生活の安全を確保するために、対立抗争事件、銃器発砲事件の未然防止に努める。
○ 少年の健全育成の推進と少年を取り巻く社会環境の浄化
 少年の非行を防止し、その健全な育成を図るため、家庭、学校、地域社会と連携協力して、非行少年等の補導活動、少年相談活動、少年の規範意識の啓発活動等の施策を一層強力に推進していくとともに、風俗営業等の規制及び業務の適正化等に関する法律の規定に基づき、少年を取り巻く社会環境の浄化に努める。
○ 覚せい剤事犯防止対策
 覚せい剤事犯を根絶するため、関係国との情報交換を積極化するなど国際捜査協力に特に重点を置いて、密輸、密売組職の壊滅に向けた広域的、計画的捜査を推進する。あわせて、覚せい剤の害悪を国民に周知徹底し、覚せい剤乱用を拒絶する社会環境づくりに努める。
○ 総合的な交通事故抑止対策
 交通事故の増加基調に歯止めを掛けるため、一層的確な交通事故分析を行い、これを踏まえて、体系的な交通安全教育を行うとともに、交通管制センターの整備等交通安全施設の充実、暴走行為や飲酒運転等の悪質かつ危険な違反の重点的な取締りを推進する。また、運転者の特性に応じた各種講習の実施等国民皆免許時代に対応したきめ細かな運転者行政を推進する。
○ 極左暴力集団による違法事案の未然防止と徹底検挙
 極左暴力集団による凶悪な「テロ」、「ゲリラ」事件の未然防止を図るため、その動向を的確に把握し、万全の警戒措置を講ずるとともに、事件が発生した場合には、徹底した捜査を進めてその根絶を図る。
○ スパイ活動の徹底把握と検挙等の推進
 視察体制と資器材を一層整備、充実してスパイ活動の実態把握に努め、刑罰法令に触れる行為の検挙を推進する一方、関係行政機関と緊密に連携して行政上必要かつ有効な措置が採られるよう努める。

 近年の科学技術の進歩、交通機関の発達等は、犯罪をはじめとする治安事象に大きな変化を与え、警察としても対応の強化を迫られている。この白書は、第1章において、「警察における科学技術の活用」と題する特集を組み、警察における科学技術の活用の現況と課題について取りまとめることとした。


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