第7章 公安の維持

1 本格的な「テロ」、「ゲリラ」指向を強める極左暴力集団

(1) 極左暴力集団の動向
 極左暴力集団の勢力は、全国で約3万5,000人で、ここ数年横ばいの傾向にある。しかし、極左暴力集団は、「成田闘争」、「反戦・反安保闘争」等をめぐり、前年を大幅に上回る数の悪質な「ゲリラ」事件を引き起こしたほか、前年に引き続き、凶悪、残忍な内ゲバ殺人事件を引き起こした。また、極左暴力集団の一部には、爆弾闘争の継続を示唆するものもあり、依然として「テロ」指向の強いことがうかがわれる。昭和57年10月に銀座(東京)の南部小包集中局で発生した消火器爆弾事件についても、極左暴力集団による犯行の可能性もあるとみて捜査中である。
 こうしたなかで、極左暴力集団は、マンション等を実在する別人の名義で借り上げて非公然アジトとして使用しているほか、日常の行動についても、尾行点検活動や暗号の使用を義務付けるなど、組織の非公然化を強めており、また、革労協の最高幹部2人が逮捕時に改造けん銃やペンシルガンを所持していたことなどから軍事化が一層進展していることがうかがわれる。
(2) 「成田闘争」を中心に多発する「ゲリラ」事件
 極左暴力集団による「ゲリラ」事件は、「成田闘争」、「反戦・反安保闘争」等の過程で31件発生し、前年の11件に比べ大幅に増加した。襲撃対象別にみると、空港関連施設に対するものが15件、警察施設に対するものが6件、自衛隊や米軍の施設に対するものが5件、その他が5件となっている。
 「ゲリラ」事件の内容をみると、瞬時に千数百度の高温を発する材料を使用した時限式可燃物を鉄道沿線に仕掛けて通信ケーブル等を焼き切った事件、火炎放射装置を取り付けた改造自動車による放火事件、クレーン車を使用した列車妨害事件等にみられるように、一層悪質かつ大掛かりなものにな

っている。
(3) 依然として続く凶悪な内ゲバ事件
 昭和57年における極左暴力集団の内ゲバ事件の発生件数は6件、死者数は1人、負傷者数は7人であった。これを犯行セクト別にみると、中核派が革マル派を攻撃したとする事件が2件、革労協が革マル派を攻撃したとする事件が1件、革労協の組織分裂に伴う事件が2件、その他が1件となっている。
 特に、革労協による「2.24荒川区南千住内ゲバ殺人事件」は、事前に調査した上、付近の電話線を切断した後、ドアを破壊して侵入し、就寝中の被害者の頭部を鉄パイプ様の物で乱打して殺害するといった凶悪、残忍なものであった。
 なお、最近5年間の内ゲバ事件の発生状況は、表7-1のとおりである。
 警察は、このような陰惨な内ゲバ事件に対して必要な警戒態勢をとり、その未然防止に努めるとともに、発生した事件については、捜査を強力に進め、57年には、「48.9.15神奈川大学構内内ゲバ殺人事件」で指名手配中の革

表7-1 内ゲバ事件の発生状況(昭和53~57年)

労協最高幹部を含む7人を検挙した。
(4) 激動する中東情勢と日本赤軍
 日本赤軍は、イスラエルのレバノン侵攻とこれに続くPLOのベイルート退去という中東情勢の激動のなかで、一時的に活動の拠点を失った。
 しかし、こうした情勢のなかでも、ヨーロッパ等から「重信論文」を国内の雑誌に寄稿したほか、依然として宣伝文書「ソリダリティ」を国内の書店に送付してきている。特に、「ソリダリティ17号」(1982年9月付け)では、「今や機動ゲリラ部隊を編成し、レバノン全土をおおう地下戦隊形を構築すべき時機である」と述べ、依然として、「武装闘争」を強調している点が注目される。

2 高揚激化した右翼の活動

(1) 政府、与党に対する抗議活動を活発化
 右翼は、国内外情勢に危機感を一層強め、自主防衛の強化、北方領土返還の実現、靖国神社国家護持の実現、教育の正常化等を要求して、政府、与党に対する抗議と要請の活動を活発に展開した。特に、外交問題にまで発展した「教科書問題」については、政府、与党の対応を「屈辱外交」等と深刻に受け止めて、中国が正式に「善処」を求めてきた7月から鈴木首相の退陣表明の出された10月までの間を中心に、首相官邸、文部省、外務省等に対して批判と抗議の活動を繰り返した。とりわけ、教科書の記述を「政府の責任で是正する」との政府見解が表明された後は、活動を一段と強め、在京の右翼が異例の大同団結を行い、「鈴木内閣屈辱外交糾弾国民大会、同行進」を実施した(9月)ほか、鈴木首相の訪中(9月)をめぐっては、各種の抗議行 動を展開した。
 なお、警察は、首相訪中当日に首相車列の進路を妨害した右翼関係者63人を威力業務妨害等で検挙した。
 また、右翼は、自民党総裁予備選挙(10、11月)をめぐっては、「金権腐敗体質の浄化」等を掲げて、政府、与党に対する批判活動を行った。
(2) 各種左翼対決活動を活発化
 右翼は、「反核運動」を「ソ連の陰謀、偽装平和運動」であるととらえ、左翼勢力による反核・軍縮運動の盛り上がりに対して警戒を強め、「反核・軍縮」を主要なテーマとした「3.21ヒロシマ行動」等の大規模行動に対して、延べ117団体、1,110人を動員して反対活動を行った。
 また、右翼は、日教組を「教育荒廃の元凶」等ととらえ、教育研究全国集会(1月、広島)には、延べ217団体、1,520人を、定期大会(6月、長崎)には、延べ270団体、2,010人をそれぞれ動員して、現地で激しい反対活動を行った。特に、定期大会については、事前における運動を重視して、3月末から大会前日までの間に延べ309団体、1,400人が現地に繰り出し、「開催阻

止」を訴えて反対活動を活発に行った。こうした日教組に対する反対活動の過程で違法事案が多発し、157人を検挙した。
 さらに、日本共産党に対しては、第16回党大会(7月、熱海)に現地で批判活動を繰り広げたほか、全国各地において演説会や事務所等への批判と抗議の活動を展開した。
 一方、右翼は、ソ連の軍事力誇示等の動きに反ソ感情を一段と強め、「反ソ」を訴える宣伝活動を継続的に展開した。特に、「北方領土の日」(2月7日)や「反ソデー」(8月9日)には大量動員を行い、厳しいソ連批判の街頭宣伝活動や在日ソ連公館等に対する激しい抗議活動を行った。
(3) 違法事案の多発
 右翼の政府、与党に対する抗議活動や左翼諸勢力との対決活動が活発化したことに伴い、違法事案が多発した。
 また、日教組に対する反発から、日本教育会館に侵入し、けん銃を発射して事務局員を負傷させた事件(6月)等けん銃、あいくち等凶器を所持しての「テロ」含みの事件や、ミッテラン・フランス大統領の来日に反対して、フランス音楽祭会場内で発煙筒を投てきした事件(4月)等「ゲリラ」的事件を多発させた。また、右翼の中でも過激な理論と行動を主張する「統一戦線義勇軍」が、関係者間の対立から、陰惨なリンチ殺人・死体遺棄事件を引き起こすなど、内容的にも悪質化の傾向を深めた。
 なお、改正商法の影響もあってか、暴力団の一部が右翼に転化する傾向がみられ、これらが違法事案を引き起こしたことが、右翼事件増加の一因ともなった。
 警察は、これら右翼の活動に対して、違法事案の未然防止、早期検挙に努め、昭和57年には、公務執行妨害、威力業務妨害、暴力行為等処罰二関スル

表7-2 右翼事件の検挙状況(昭和53~57年)

法律違反、道路交通法違反等で459件、683人を検挙し、戦後最高を記録した。最近5年間の右翼事件の検挙状況は、表7-2のとおりである。

3 「民主連合政府」の樹立を目指す日本共産党

(1) 革命党としての体質の強化と選挙準備を中心課題とした第16回党大会の開催
 日本共産党は、昭和57年7月、党創立60周年を迎え、これを記念した講演会の開催、映画の作成、党史の編さん等に取り組み、党活動の盛り上げを図るとともに、同月、第16回党大会を開催した。
 大会では、「敵の出方」論に立った暴力革命の方針をとる現綱領路線を引き続き堅持することを明らかにするとともに、「民主連合政府」構想についても、今日の情勢では時期は限定しないがその樹立は歴史的必然であると強調した。また、現在の情勢について、世界的に反核・平和運動が盛り上がり、国内でも「四つの破綻(たん)」(「核のカサ論の破綻(たん)」、「臨調路線の破綻(たん)」、「労働戦線再編の破綻(たん)」、「社公合意の破綻(たん)」)が進行しているとして、世界と日本の情勢は共産党に有利な方向に変わりつつあると強調するとともに、全党員が党の役割と革命的伝統を学び、革命的気概をもって活動に取り組み情勢を切り開くよう訴えた。
 今後の活動として反核・平和運動を最優先課題とするとともに、党独自の取組課題として、革命党としての体質の強化を目的とした「学習・教育と正しい党風の確立」、58年選挙での勝利を目指した「選挙準備と基礎票の構築」を「二つの柱」として掲げ、特に、党勢拡大については「基礎票構築」の一環として「50万党員、400万読者」の早期達成を目指すこととした。
 指導体制の面では、野坂議長を名誉議長とし、宮本議長、不破委員長、金子書記局長の新体制を敷いたが、宮本議長が常任幹部会委員兼務の議長となったことで、一層「宮本体制」が強化された。
 12月に発表された「日本共産党の60年」は、量的には「日本共産党の50」の3.5倍と大幅に増えたものの、内容的には「官本党史」的な色合いが 一層強まった。
(2) 独自の統一戦線活動と「草の根」運動の取組の強化
 日本共産党は、社会党に対して、将来の連合政権においては共産党を排除するとの内容の「社公合意」(昭和55年1月)を破棄しない以上「右転落」したという事態は変わらないとの批判を続け、同時に、同党が一日も早く公明党と手を切って共産党との共闘に復帰するよう期待を表明した。しかしながら、このような共産党の態度に社会党は独善的であると強く反発し、大衆運動の面でも「10.21闘争」中央集会が前年に引き続き分裂開催となるなど、両党の対立は深まった。
 こうしたなかで、日本共産党が55年の第15回党大会以来、独自の統一戦線作りとして取り組んできた「革新統一懇」は、第16回党大会でその結集勢力が個人1万6,000人、1,100団体、415万人と発表され、数の上では一定の進展をみせていることをうかがわせた。
 反核・平和運動については、共産党は、従来の取組は大衆団体中心のスケジュール闘争等で運動がマンネリ化していたとして、職場、地域、学園等末端で「反核サ‐クル」を組織化するなど、「草の根」運動に取り組む必要性を訴えた。また、総評が中心となって取り組んだ「3.21ヒロシマ行動」と「5.23東京行動」に対しては、単に第2回国連軍縮特別総会(6、7月)に向けた陳情運動に終わらせることなく、日本政府に対する抗議と要求を中心とする運動に発展させるべきであると主張し、社共両派、市民団体等で組織する「国民運動推進連絡会議」の3,000万署名と並行して、共産党独自で政府と国会に向けた反核の署名運動に取り組んだ。総評が中心となって開催した「10.24大阪行動」に対しては、主導権をめぐる対立から、総評のセクト主義に基づくものであると批判して参加しなかった。
(3) 社会主義のイメージアップをねらった国際活動
 日本共産党は、ソ連によるアフガニスタン侵攻やポーランド問題への対応、中越武力紛争等社会主義のイメージ低下をもたらすような行動については、これを「大国主義」、「覇権主義」として厳しく批判し、これらの事態は 科学的社会主義の原則を逸脱したことによって生じたものであると強調するとともに、社会主義諸国が果たしてきた歴史的役割の大きさを強調することで社会主義のイメージアップを図った。同時に、ソ連、中国に対しても厳しい批判を辞さないという姿勢を前面に出すことで、日本共産党の「自主独立」のイメージを強化することに努めた。
 特に、昭和56年12月の軍政樹立により内外の批判が高まったポーランド問題に対しては、事態の根源的要因としてソ連の「大国主義」があると指摘し、57年1月から「赤旗」紙上に不破書記局長の論文「スターリンと大国主義」を連載してソ連批判を行った。また、ソ連の立場を支持するアメリカ、チェコスロバキア、インド、オーストリア諸国の共産党とも意見の対立をみせた。こうした状況から、第16回党大会には外国党代表を一切招待しなかった。
 中国共産党との関係については、「赤旗」(9月25日付け)に中国共産党第12回大会を論評した「変化の意味とその限界」と題する論文を発表し、同大会が「文化大革命」期以降の国際路線についても一定の見直しを行っていることを社会主義の「復元力」を示すものと評価しながらも、日本共産党等外国党に対する「干渉」について反省がないことを強く批判した。特に、同大会で日本共産党から除名された親中派の日本労働者党からのメッセージが紹介されたことを、干渉主義を継承するものと厳しく非難した。
 自由主義諸国の共産党との関係では、日本共産党は、党創立60周年(7月)を記念して、イギリス、フランス、イタリア等10箇国共産党の代表を招待して国際理論シンポジウムを開催したが、「軍事力均衡」論やNATOの評価あるいはフランスの核実験問題等をめぐって意見の対立がみられ、かえって各国共産党間の足並みの乱れを浮き彫りにした。

4 「反核」を中心に取り組まれた大衆行動

 左翼諸勢力等による大衆行動には、全国で延べ約763万6,000人(うち、極左系約28万5,000人)が動員された。
こうした大衆行動に伴って各種の違法行為が発生し、傷害、公務執行妨害等で359人を検挙した。
(1) 「反核・軍縮闘争」
 昭和56年欧州で高揚した「反核・軍縮闘争」が我が国にも影響を及ぼし、57年には、「反核・軍縮」を主要テーマとした「3.21ヒロシマ行動」(9万3,000人)、「5.23東京行動」(18万6,000人)、「10.24大阪行動」(13万7,000人)といった大規模行動が取り組まれた。
 こうしたなかで、58年選挙での勝利を目指す社共両党は、「反核」世論の盛り上がりを背景に、反自民の勢力を結集することをねらって、署名運動、「非核都市宣言要請行動」、「全国網の目縦断行動」等を実施し、また、映画、学習会等を開催するなど、多様な反核・軍縮行動を「草の根」運動として展開した。
(2) 「成田闘争」
 極左暴力集団等は、「成田闘争」を昭和57年の最大の闘争課題に掲げ、成田現地に延べ約9万7,000人(うち、3回の主要な闘争に延べ約1万6,000人)を動員して集会、デモを繰り広げた。
 56年12月運輸省・空港公団職員が現地の反対同盟員宅を訪問したことを「切り崩し工作」と受け取った極左暴力集団等は、これに端を発した「話合い」問題に危機感を持ち、57年の成田闘争では「二期着工阻止」に加えて「話合い粉砕」が主要な課題となった。
 この間、21件の「ゲリラ」事件を引き起こしたほか、空港周辺では、気球、花火等を揚げて飛行妨害を行った。
 千葉県警察では、空港警備隊を中心として空港の警戒警備を常時実施するとともに、「3.28成田現地闘争」等全国動員による反対闘争が取り組まれた際には、全国の管区機動隊等の応援を得て警戒警備に当たった。また、関係都道府県警察においても、成田での警備と連動して、航空保安施設等関係重要防護対象施設の警戒警備に当たった。
(3) 「原発闘争」
 昭和57年も原子力発電所の建設に対する反対闘争が活発に取り組まれた。57年中は、原子力発電所の設置に伴う公開ヒアリングが、福井県(もんじゅ)、佐賀県(玄海)、愛媛県(伊方)においてそれぞれ開催されたが、これに反対する左翼諸勢力等は、延べ約1万2,000人(うち、極左暴力集団約700人)を動員して集会、デモ等を行った。この闘争に伴い4件の違法事案が発生し、傷害、公務執行妨害等で18人を検挙した。

(4) 「反戦・基地闘争」
 防衛力強化に反対する諸勢力は、陸上部隊として初めての日米共同実動訓練、「F16」配備等新たな課題を加えて各地で基地闘争に取り組んだ。この「基地闘争」では、全国で延べ約56万人が動員された。これらの闘争に伴い、11件の違法事案が発生し、傷害、公務執行妨害等で29人を検挙した。
 一方、「反戦・平和運動」では、「4.28闘争」、「5.15闘争」、「6.23闘争」、「10.21闘争」等の各記念日闘争を中心として集会、デモ等が行われた。特に、「10.21闘争」では、全国で約29万8,000人が動員され、動員数は過去10 年間の最高となった。これらの記念日闘争に伴い11件の違法事案が発生し、公務執行妨害、公安条例違反等で20人を検挙した。
(5) 「狭山闘争」等
 部落解放同盟、極左暴力集団等は、延べ約5万1,000人を動員して「狭山闘争」に取り組んだ。
 一方、部落解放運動関係団体等は、同和対策事業特別措置法に代わる地域改善対策特別措置法の施行(昭和57年4月1日)を新たな契機として同和行政施策の充実、強化等を要求し、各種の行政闘争を活発に展開した。その過程で、関係団体間の対立抗争等に伴い12件の違法事案が発生し、建造物侵入、傷害等で24人を検挙した。

5 厳しい経済情勢下の労働運動

 昭和57年の春闘は、景気の低迷、行政改革と財政再建の推進、雇用情勢の悪化等厳しい情勢下で行われた。国民春闘共闘会議は、2月下旬から5月中旬までに5次にわたる闘争集中期間を設定し、1兆円減税と9%以上の賃上げを要求して、中央行動を含む全国統一行動を実施した。しかし、春闘最大の山場として設定した第3次闘争集中期間(4月13~16日)では、闘争の中心となった私鉄総連大手組合が14年ぶりにストライキなしで妥結したため、同時ストを予定していた国労、動労、都市交もストを中止し、春闘史上初の「交通スト」なしで終わった。
 秋期年末闘争では、9月24日の閣議で「人勧凍結」が決定されたことに危機感を強めた総評は、「人事院勧告・仲裁裁定の完全実施」を最重点課題として、「人勧凍結」の閣議決定に抗議する「緊急行動」(9月24日)を皮切りに2次の統一行動を実施したほか、公労協、公務員共闘等と「東京行動委員会」を結成し、11月中に3次の大衆行動を実施した。こうしたなかで、公務員共闘加盟の自治労、日教組等が3波にわたる違法ストを行い、また、総評は、「官・民労働者を結集した最高全一日統一スト」を指導した。
 57年には、労働争議や労働組合間の対立等をめぐって140件の労働事件が 発生し、傷害、暴行、建造物侵入、威力業務妨害等で137件、341人を検挙した。最近5年間の労働事件の検挙状況は、表7-3のとおりである。

表7-3 労働事件の検挙状況(昭和53~57年)

 これらの労働事件の主な内容をみると、官公労組関係では、日教組、自治労等の公務員労組が依然として違法ストを繰り返したほか、郵政、国鉄等公共企業体等の労組では、労組間の組織対立等をめぐる違法事案が増加傾向を示した。このうち、郵政関係における全逓と全郵政の組織対立等に伴い発生した集団暴行事案に対しては6件、12人を、国鉄関係労組の組織対立等に伴う違法事案等に対しては7件、13人をそれぞれ傷害、暴力行為等処罰ニ関スル法律違反等で検挙した。
 また、民間労組関係では、運輸一般、全国一般、自交総連、全自交の4単産による違法事案が大きな割合を占めている。このうち、運輸一般生コン労組による違法事案に対しては、恐喝、強要等で14件、58人を検挙した。

6 スパイ活動等外事犯罪の取締り

 我が国に対するスパイ活動は、我が国の置かれた国際的、地理的位置関係から、ソ連、北朝鮮を中心とする共産圏諸国からのものが多く、激動する国際情勢を反映して、これらの活動はますます巧妙、活発に展開されている。また、我が国以外の国に対するスパイ活動も我が国を舞台として活発に展開されている。ところで、スパイ活動は、国家機関が介在して組織的、計画的に行われるので極めて潜在性が強く、また、我が国には、スパイ活動を直接取り締まる法規がないので、スパイ活動が摘発されるのは、その活動が各種の現行刑罰法令に触れて行われた場合に限られている。警察は、各種スパイ活動に対する視察、内偵等取締りを強力に推し進めたが、昭和57年には、スパイの検挙はなかった。
 一方、出入国管理及び難民認定法や外国人登録法に違反した外国人を多数検挙した。まず、出入国管理及び難民認定法違反事件送致件数についてみると、297件となっており、国籍別では、地理的条件を反映して韓国及び北朝鮮が多く、全体の42.4%を占めている。違反態様別では、不法在留が35.4%、密入国が31.0%を占めている。次に、外国人登録法違反事件送致件数は、6,370件となっており、国籍別にみると、韓国及び北朝鮮がその登録人員の多いこともあって圧倒的に多く、全体の85.6%を占めている。違反態様別では、登録証明書の不携帯が最も多く、55.0%を占めている。

7 警衛、警護

 警察は、天皇、皇后両陛下、皇族の御身辺の安全確保のために警衛を実施している。また、首相、国賓等内外の要人の安全確保のために警護を実施している。特に、警衛に当たっては、国民一般との親和を妨げることのないよう努めている。
(1) 警衛
 天皇、皇后両陛下は、全国植樹祭(5月、栃木)、地方事情御視察(10月、千葉、11月、東京)及び栃木、神奈川、静岡各県の御用邸へ行幸啓され、また、天皇陛下は、国民体育大会秋季大会(10月、島根)へ行幸された。
 皇太子、同妃両殿下は、献血運動推進全国大会(7月、静岡)、全国身体障害者スポーツ大会(10月、島根)等全国各地へ行啓された。
 警察は、これに伴う警衛を実施して御身辺の安全の確保と歓送迎者等による雑踏事故の防止を図った。
(2) 警護
ア 政府、政党要人等の警護
 鈴木首相は、主要国首脳会議(6月、フランス)、国連軍縮特別総会(6月、アメリカ)への出席、国交回復10周年記念訪問(9月、中国)、故ブレジネフ・ソ連共産党書記長の葬儀参列(11月、ソ連)を行った。これに伴い、警察は、首相出発時の極左暴力集団、右翼等の反対行動等に対処すると

ともに、警護員を関係諸国に派遣し、各国の関係機関と連絡協力を行い、身辺の安全を確保した。
 また、鈴木首相の長崎平和祈念式典出席や水害被災地視察に伴う警護をはじめ、政経文化パーティーへの出席、各種の地方遊説に伴う政党要人の警護を実施して身辺の安全を確保した。
イ 国賓等の警護
 国際交流の活発化を反映して、国賓として、ベルティーニ・イタリア大統領(3月)、モイ・ケニア大統領(4月)、ミッテラン・フランス大統領(4月)、公賓として、ブッシュ・アメリカ副大統領(4月)、趙紫陽中国国務院総理(5月)、デ・クエヤル国連事務総長(8月)、サッチャー・イギリス首相(9月)等厳重な警護を必要とする外国要人の来日が相次いだ。
 警察は、国際礼譲を尊重しながら、これらの外国要人に対する警護を実施し、身辺の安全を確保した。


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