第2章 明日のない若者たち

-暴走族の根絶を目指して-

 暴走族は、これまでも反社会的集団として人々の指弾を受けてきたが、最近、更に悪質の度を深めつつある。彼らは、集団で我が物顔に路上を暴走し、一般通行車両や沿道住民に著しい危険を与え、迷惑を及ぼすほか、凶悪、粗暴な事犯を多発させるなど各種の非行を繰り返している。特に、昭和55年には、暴走族の勢力はかつてなく増大し、またその活動も活発化して、市民の日常生活の安全と平穏を大きく脅かした。
 しかも、暴走族は、校内暴力、暴力団と密接なかかわりを持ち、一方で校内粗暴集団の非行を助長するとともに、他方で暴力団の人的供給源となり、それぞれの問題を一層深刻化させる役割をも果たしている。

 私は、大阪市内でタクシーの運転手をしています。5月末の土曜日の深夜のことです。お客さん2人を乗せて、南区の日本橋あたりを通り掛かったところ、後ろの方からゴーツというものすごい音が聞こえてきました。「これは暴走族だ。かかわりあってはいけない。」と思い、とっさに路地に逃げ込もうとしましたが、ヤジ馬がいっぱいで、逃げることができません。どうしようもなくて焦っているうちに暴走族の車に取り囲まれ、車を降りてきた連中が鉄パイプのようなもので私の車のボディやフロントガラスをメチャメチャに殴りつけてきました。挙げ句の果てに、そのうちの1人が私の車の屋根に上がって、足をドンドン踏みつけているではありませんか。ヤジ馬も、「もっとやれ。もっとやれ。」とはやしたてていました。お客さんは真っ青な顔にたり、私も生きた心地がしませんでした。幸い、お客さんにも、私にも、けがはありませんでしたが、車はスクラップのようになってしまい、会社に帰ると、会社の人は、「この車は廃車にせなアカンナ。」と嘆いていました。
 私は車が好きで運転手になりました。車の好きな者は乗ったらいいと思います。しかし、一般市民にまで迷惑を掛けるのは間違っています。みんなで力を合わせて暴走族を追放し、一日も早く平和な夜が戻ってくるよう願ってやみません。

タクシー運転手(47)

 夜遅く電話のベルが鳴りますと、今でもあの夜の驚きと悲しみが胸に込み上げてきます。
 「Mさんのお宅ですか。こちらT警察署の者ですが…。」
 どのようにして病院にたどり着いたのか、真夜中の街を気も狂わんばかりになってタクシーを飛ばしました。そして、あの子の変わり果てた姿に対面したのです。
 あの子に何度もせがまれて、仕方なく主人が買ってやりましたオートバイが、無残な姿をさらしていました。欲しがるものを買ってやらないで、人様の物に手を出すようなことがあってはいけないと思いましたのと、受験に失敗して希望通りの高校に進学できずに落胆していたあの子を、少しでも慰めてやりたいという親心から買ってやったことが、今となっては悔やまれるばかりです。
 その夜も、あの子たちのグループは、市内で暴走を繰り返していたのだそうです。信号機にぶつかって道路にたたきつけられたあの子は、即死だったそうですが、随分とスピードを出していたに違いありません。あんな姿になってしまうなんて…。
 あの子はよく「オートバイで死ねたら本望や。」などと友達に話していたそうですが、親にしてみたら、そんなことってありますでしょうか。私の心の中にぽっかりと大きな穴を空けてあの子は一人で行ってしまいました。もう何を言っても、あの子が戻ってくるわけではないのですが、今の世の中を見ていると、あの子と同じように、「明日のない若者たち」が余りにも多いことに、胸がつぶれる思いがいたします。あの子が死んでからもう1年になりますが、繰り言ばかりの毎日でございます。

暴走族少年の母親(43)

 暴走族の構成員の多くは、学校や職場に適応していない若者であり、一般社会のなかでは目標や生きがいを見いだせないまま、反社会的な逸脱行為にせつな的な喜びを追い求め、自己の存在を顕示しようとしている。彼らの暴走行為を封じ込め、非行を防止することは、警察に課せられた責務であるが、同時に、このような明日のない若者たちをなくすことが重要であり、このため、社会を挙げて根源的な対策を進めていくことが緊急課題となっている。

1 暴走族の変遷

(1) 暴走族前史
ア カミナリ族の発生と地方への拡散
 昭和30年ごろから、二輪車に乗車した若者による暴走事案が散発していたが、やがて彼らは、高速を出すために消音器を外し、異常な騒音をまき散らしながら走るようになり、34年には「カミナリ族」の名で呼ばれ、社会問題化した。
 彼らは、路上を高速で走行し、通行中の一般車両を縫うようにしてジグザグ運転を行うとともに、深夜の道路でスピード・レースに興じたり、水平乗り、後ろ乗り等の曲乗りを競い合ったりした。このため、事故を起こす者も多く、また、沿道住民は騒音に悩まされた。
 これらのカミナリ族の中心となったのは、高校生等を含むオートバイの愛好クラブや自動車の修理工を中心とするグループである。当初、カミナリ族は、大都市が中心であったが、その後、急速に全国に広がった。
イ 街頭サーキットの発生
 昭和40年代は、乗用車が急速に普及した時代である。これに伴い、カミナリ族も二輪車のほか四輪車も乗り回すようになった。
 40年暮れごろから、東京の国電原宿駅、表参道一帯で、深夜スナックをたまり場とする原宿族と呼ばれる若者たちが、消音器を外したスポーツカー等の乗用車で、サーキット遊びを行うようになった。彼らは、クラクションを鳴らして、急発進、急停車、高速コーナリングを繰り返し、これに街頭ではやしたてる少年たちが加わり、付近一帯は夜明けまでけん騒を極めた。このような現象は、都内のいくつかの盛り場に波及したが、付近住民の粘り強い追放運動と警察の取締りにより、42年ごろには姿を消した。その後、東京では、新宿副都心公園、荒川堤防等をたまり場として、二輪車を中心に仲間うちでのサーキット遊びが一部で行われていた。
 西日本では、42年3月ごろから、毎週土曜日の深夜、京都の宝ヶ池、京都国際会館付近に乗用車や二輪車の若者が集まり、サーキット遊びを繰り返し、数百人の見物人がこれをはやしたてるという騒ぎがみられた。これは、「宝ヶ池サーキット」と呼ばれたが、警察の取締りにより、その年の7月には姿を消した。
 その後、43年から46年にかけて、広島市平和公園、名古屋市テレビ塔付近、大阪万国博会場付近、福井市駅前通り等で類似の事案が発生した。特に44年5月の名古屋市テレビ塔付近でのサーキット騒ぎは、約1,000人の見物群衆も一緒になって乗用車をひっくり返すなどの事態となり、後の一連の見物群衆を巻き込んだ暴走族騒ぎのはしりとなったものである。
(2) 荒れ狂う暴走族
ア 暴走族と見物群衆による騒乱のひん発
 昭和47年6月17日(土)から18日(日)早朝にかけて、富山市国鉄駅前の繁華街で、数十台の乗用車の若者とこれを見物していた群衆約3,000人が暴徒化し、商店や通り掛かりの車を襲って破壊するなどの事案が発生した。以後、富山市、高岡市の中心街で、毎週土曜日の深夜、群衆を巻き込んだ騒乱が繰り返された。この動きは、直ちに小松、岡山、金沢、福山、高知、今治等の西日本の各地に波及した。

 48年には、暴走族騒ぎは更に拡大し、見物群衆を巻き込んだ騒乱は西日本を中心に19府県に及んだ。その後も事態は鎮静化せず、51年5月15日(土)夜から16日(日)未明にかけて発生した「神戸まつり」に伴う騒乱では、死者1人、負傷者68人、車両損壊184台を出す事態となった。
 なお、47年の富山市における群衆騒乱をきっかけに、マスコミ等で「暴走族」という呼び名が用いられるようになり、以後これが次第に定着した。
イ 暴走族の組織化と対立抗争の激化
 昭和47年ごろから、東日本を中心に暴走族の組織化が急速に進んだ。彼らは、グループのワッペン、ステッカー、旗等を作り、仲間を募って勢力拡大を図った。強力なグループは、遠隔地に支部を作った。更に各グループにはなわ張りができ、友好関係にあるグループは連合組織を結成して共同歩調をとった。組織化の進んだ暴走族は、遠隔地に目標を定めて一度に数百台も集団暴走するようになり(注)、随所で一般通行車両に著しい危険と迷惑を与えるようになった。
 その後、このような組織化は、西日本にも及んだ。組織化の進むなかで、暴走族グループは二輪車、四輪車混合のものが多くなり、この形態が次第に暴走族の主流となった。
(注) このように、場所を固定しないで相当な距離にわたり集団暴走するものをツーリング型という。
 暴走族の組織化の進展に伴い、東日本では47年ごろから、西日本では50年ごろからグループ同士の対立抗争が目立つようになった。対立抗争は、集団暴走中に出合ったグループ同士の偶発的なものだけではなく、これをきっかけとした計画的な襲撃事件も多く引き起こされた。また、後発のグループが組織を拡大するため、売名を意図して、あえて大グループと抗争を起こすこともあった。グループ同士の対立抗争事件は、現在も続いている。過去7年間の対立抗争事件発生件数の推移は、表2-1のとおりである。

表2-1 対立抗争事件発生件数の推移(昭和49~55年)

ウ 悪質化する暴走族
 暴走行為に伴って、交通上のトラブル等から一般人に暴行、傷害を加えたり、取締りに当たる警察官に対し公務執行妨害を行うなどの事案は、当初においても見受けられたが、これはどちらかといえば偶発的なものが多かった。しかし、昭和51、52年ごろからは、ことさら一般車両を襲撃したり、計画的に警察官、警察施設等を襲うなどの極めて悪質な事案が目立つようになるとともに、暴走族による刑法犯、特別法犯は次第に増加した。
 暴走族は、一般的には暴走行為を主たる活動とする粗暴集団であるが、一部には、暴走行為を離れても常習的に犯罪を行ったり、暴走行為の資金を得るために窃盗等の犯罪を行うなど、極めて悪質な集団が生まれている。

(3) 欧米諸国の状況
 車好きの若者たちが単独で、時には集団となって最高速度違反や信号無視等の暴走行為を行うといった現象は、欧米諸国においてもみられる。しかし、日本の暴走族のようにかなりの人数を組織し、定例日を設けるなどして大規模な暴走行為を繰り返し、社会問題化している特異な集団は存在しないようである。ただ、若者が暴走行為にスピードとスリルを求めてグループを結成したという点で、日本の暴走族と類似性をもつ車の暴走集団としては、アメリカ、カナダにモーターサイクル・ギャングズ(全国的規模の組織を持つマフィア類似の犯罪集団)、西ドイツの一部の都市にロッカー(無目的な破壊行為や粗暴犯罪を行う集団)が存在している。しかし、これらの集団は、むしろ犯罪行為を主たる活動とし、暴走行為が従的活動となっており、職業的犯罪集団の様相が強くなっている。その実態は次のとおりであると言われている。
ア モーターサイクル・ギャングズ(アメリカ、カナダ)
 アメリカのモーターサイクル・ギャングズは、第二次世界大戦後復員してきた青年兵士のうち、家庭的にも恵まれず、戦後の社会生活にも適応できなかった者たちが中心となって結成された。彼らは、オートバイでの暴走行為やアルコールにふけることで社会からの逃避を図り、町で騒ぎを起こすことにスリルと興奮を求める過程で集団化し、その活動資金を求めるなかで犯罪行為を常習化させていった。
 現在、アメリカ全土で、数百グループ、6,000~7,000人の構成員がいると推定されている。その活動は、オートバイによる暴走行為、グループ間の対立抗争や強盗、強姦、殺人等の凶悪犯罪をはじめとして、資金源としての麻薬取引、管理売春、盗品(銃器、オートバイ等)販売、ポルノ雑誌の販売等非常に多岐にわたっている。彼らは、組織統制のために、厳格な内部規律を保持している。例えば、会員になるためには、少なくとも2箇月間の会員候補を経験し、その間、組織に忠誠を示すため、何らかの犯罪を犯すことなどが要求される上に、期間経過後に支部会員全員の入会の同意を必要とするなど、非常に厳しい規律を持っている。また、脱会はほとんど不可能であり、終身制の会員となっているため、構成員も中年層を含む成人が中心となっている。
 西海岸地域を活動の中心とするへルズ・エンジェルズ(構成員約400人)、メキシコ湾岸地域を中心とするバンディトーズ(構成員数百人)や東部地域を中心とするアウトローズ(構成員約2,000人)等の大規模な組織では、本部と全国各地の支部からなる完ぺきなピラミッド体制を形成し、更にその勢力は国外にも及んでいる。
 彼らは、カラーズと呼ぶそでなしのデニムのジャケットを必ず着用し、その背中には、組織名や支部名を縫い込んでいる。また、オートバイは通常650cc以上のハーレー・ダビッドソンを使っている。
 モーターサイクル・ギャングズは、発生した初期の段階において、十分な対策が執られなかったため、今や全国に根を張り、マフィアと同様、弁護士、会計士等をも雇用した組織的犯罪集団にまで成長している。FBIをはじめとする取締り当局は、現在、彼らをマフィア等と同様な重要組織犯罪グループとして位置付け、専従捜査体制を確立するなどして取締りに当たっている。
 カナダにも、モーターサイクル・ギャングズは存在し、その発生、組織、活動形態等は、ほぼアメリカと同様である。現在、数十グループがは握されており、このうち主要2グループの構成員は併せて約500人と推定されている。カナダの警察当局は、アメリカの捜査当局と緊密な連携をとりつつ取締りに努めている。
イ ロッカー(西ドイツ)
 西ドイツでは、ロッカーと称するグループの活動が、ベルリン、ハンブルグ等で1960年代から社会問題化してきている。ロッカーの構成員は、貧しい問題家庭の出身者が多く、教育レベルも一般に低く、社会から落ちこぼれた18~25歳ぐらいの若者たちである。1グループは10~20人で構成されており、現在、ベルリンでは十数グループがは握されている。彼らは、一般社会に敵意を抱いており、アルコールを常飲し、大型のオートバイに乗り、鎖、格闘用指環、ナイフ、ガス銃等の武器を所持して、一般人に対する強盗、恐喝、傷害等の凶悪、粗暴犯罪を行うとともに、レストラン、バー、公共施設等の無目的な破壊を行い、市民に恐怖を与えている。
 彼らは、黒い皮製の衣服とグループの印、名前等の入ったチョッキを着ており、どくろ又は悪魔を形どった勲章や名誉章等の飾りを付けている。リーダーの統制力は強く、構成員に無条件の服従を求め、これに反する者には厳しい制裁を課すなどにより、厳格な階級的組織を維持している。
 警察では、ロッカー専門部署を設けるなどして取締りの徹底を図っているほか、検察庁もロッカー担当検事を置いている。また、青少年担当部局等の行政機関も各種の対策を講じている。

2 暴走族の現状

(1) 人員、組織
ア 人員
(ア) 激増した人員
 昭和55年11月現在、警察では握している暴走族は、754グループ、約3万9,000人で、人員は過去最高となった。過去8年間の暴走族のグループ数、人員の推移は、図2-1のとおりで、54年まではほぼ横ばいであったが、55年にはグループ数、人員とも著しく増加した。また、女子は約1,400人で、前年に比べ約3倍となっている。

図2-1 暴走族のグループ数、人員の推移(昭和48~55年11月)

(イ) 上昇する少年の比率
 昭和55年11月現在の暴走族の年齢別構成は、表2-2のとおりで、17歳が最も多く、18歳がこれに次いでいる。最近5年間の暴走族に占める少年の割合の推移は、表2-3のとおりで、51年には全体の63.2%であったが、55年には80.6%を占めるに至った。なお、16歳以下の者は、51年には全体の7.8%であったが、55年には18.2%となり、全体として低年齢化の傾向を示している。

表2-2 暴走族の年齢別構成(昭和55年11月)

表2-3 暴走族に占める少年の割合の推移(昭和51~55年11月)

(ウ) 無職者の増加
 昭和55年11月現在の暴走族の学職別構成は、表2-4のとおりで、学生、生徒(以下、本章においては「生徒」という。)のほとんどは高校生であり、有職者のなかには自動車に関係のある職業の者が比較的多い。最近5年間の暴走族の学職別構成の推移は、表2-5のとおりで、無職者の増加が注目される。
 科学警察研究所が実施した個人調査(注1)によれば、無職者は生徒や有職者に比べ非行化が進んでいるという結果が出ているが(注2)、最近、暴走族グループが悪質化しているのは、この無職者の増加もその一因とみられる。
(注1) 本章では、暴走族の現状、実態の説明のため、科学警察研究所が55年11月に実施した調査を使用しており、その略称と調査方法は、次のとおりである。
(1) 個人調査…暴走族に加入している青少年として警察がは握している者のうち、交通違反で処分者講習を受けた者、あるいは犯罪や不良行為によって検挙補導された者1,224人(生徒279人、有職者793人、無職者152人)を対象として、質問紙法を用いて調査したもの。
(2) 集団調査…構成員30人以上、活動歴6箇月以上で組織的活動の活発な暴走族133グループを対象に、その組織と活動について調査したもの。
(3) 離脱者調査…警察に暴走族構成員としては握されていた青少年で、活動が活発であったが、既にグループを離れて半年~2年経過しているとみられる者272人を対象に調査したもの。
(注2) 暴走族のうち、犯罪を犯して検挙された経験のある者は、生徒で41.6%、有職者で55.7%となっているのに対し、無職者では71.7%に上っている。

表2-4 暴走族の学職別構成(昭和55年11月)

表2-5 暴走族の学職別構成の推移(昭和51~55年11月)

イ 組織
(ア) グループ
a 平均人員は約40人
 暴走族は、多くの場合いずれかのグループに加入している。グループの規模は、数人から数百人のものまであるが、平均すると約40人である。昭和55年11月現在の暴走族グループの規模別分布状況は、表2-6のとおりである。
b グループの構成
 グループは、数人の仲間で発足し、中学時代や仕事の仲間等を引き入れて

表2-6 暴走族グループの規模別分布状況(昭和55年11月)

次第に大きくなっていく。グループに加入するときは、グループのステッカーやワッペンを購入して仲間に入ることが多い。
 グループの中心は、リーダー(「あたま」と呼ばれる。)、サブリーダーであるが、大きなグループになると、いくつかの支部に分かれていることが多く、各支部ごとにリーダー、サブリーダーがいる。グループ又は支部には必要に応じて「特攻隊」、「親衛隊」等が置かれ、集団走行の際の偵察、走行コースの確保、取締り警察官に対するけん制を行うほか、対立抗争の先頭に立つなどの役割を果たす。
 個人調査によれば、暴走族のランク別構成は、図2-2のとおりで、リーダー、サブリーダーが全体の約21%、いつも参加するメンバーが約30%、たまに参加するメンバーが約46%となっている。

図2-2 暴走族構成員のランク別構成(昭和55年、個人調査)

c 構成員は流動的
 昭和54年6月には握した全国12都道府県12グループ989人の追跡調査結果は、図2-3のとおりで、同年11月には430人(43.5%)、55年6月には更に176人(17.8%) が離脱している。また、個人調査をみても、グループ加入後の期間が1年以内の者が、調査対象者全体の4分の3近くに上り、暴走族の構成員が短期間に次々と入れ替ることを示している。

図2-3 暴走族12グループの追跡調査結果(昭和54、55年)

(イ) 連合組織
 暴走族グループの連合組織は、昭和40年代末から50年代初めにかけて、グループ同士の対立抗争が繰り返されるなかで、勢力争いに勝ち抜くため、友好グループ同士が集まって結成された。50年には、連合組織は全国で約20であったが、55年には、33組織となり、暴走族グループ全体の3分の1近くがいずれかの連合組織に属している。連合組織の平均加入グループ数は約7グループ、平均さん下人員は約360人で、大規模なものになると、加入グループが十数グループ、さん下人員約2,000人に及ぶものがある。また、図2-4のとおり連合組織が集まって、更に上位の連合組織を作っている場合もある。同一連合組織内のグループは、時折合同で暴走行為を行うほか、対立抗争のときにはお互いに応援を求め合うことが多い。

図2-4 連合組織「全日本レーシング連盟」の構成(昭和55年)

ウ 車両
(ア) 多い不法改造
 暴走族の使用車両の車種別構成は、表2-7のとおりである。二輪車では、排気量が126cc以上500cc以下のものが多い。車両の使用者を年齢別にみると、二輪車では16~18歳の者が86.6%、四輪車では18~20歳の者が74.7%となっている。
 車両には、彼らの自己顕示欲を反映して、グループを表すステッカー等をはるほか、様々な改造を加えている。改造は、排気筒の消音装置を除去し、

表2-7 暴走族の使用車両の車種別構成(昭和55年11月)

車高を低くし、ワイドタイヤを装着するほか、小径ハンドルに変えたりハンドルの角度を絞るものが多い。また、異様な音を発するミュージック・ホーンを取り付けている車両もかなりみられる。このような改造は、多くの場合、道路運送車両の保安基準に違反し、整備不良車両として処罰の対象となるものである。
(イ) 車を持たないで参加する者の増加
 暴走族の使用車両は、個人調査によると表2-8のとおりで、生徒では二輪車が、有職者では四輪車が多い。特に、車を持たない者が全体の約4分の1を占めていることが注目される。昭和50年に科学警察研究所が実施した調査(注)では、車を持たないで参加する者が全体の5.3%であったのに比べて、約4.4倍となっている。
 このような車を持たない暴走族の増加は、使用車両のうち四輪車の割合が増えて同乗の機会が多くなったこと、免許を取得できない年少者や車の購買力に乏しい無職者が増加したことなどと深い関係があるとみられる。
(注) この調査は、50年7、8月、全国21都道府県において、暴走族集団に加入している青少年として警察がは握している者のうち、補導されたり処分者講習等に出席した者741人を対象に実施したものである。

表2-8 暴走族の使用車両の状況(昭和55年、個人調査)

(2) 暴走行為の状況
ア 最近の概況
 昭和53年12月の道路交通法の一部改正により共同危険行為の禁止規定が新設されたことから、暴走行為は、しばらく鎮静化していた。しかし、54年9月ごろから暴走行為は再び活発化し、55年においては、暴走族のい集、走行は過去最高となった。過去7年間の暴走族のい集、走行状況は、図2-5のとおりである。

図2-5 暴走族のい集、走行状況(昭和49~55年)



 暴走行為を行う場合は、まず、広場、公園、ドライブイン、駐車場等に集合し、リーダーから走行のコース順序、警察に追われたときの要領、落ち合う場所等について指示を受けた上で、いっせいに走行を開始する。走行に際しては、車列を組み、しばしば道路一杯に広がったり、信号無視、速度違反等を繰り返し、一般車両の通行を著しく妨害する。交差点等で信号無視をするときは、「特攻隊」、「親衛隊」の二輪車が青信号で進行する一般車両の走行を阻止してグループの走行コースを確保する。この間、料金所突破、一般車両への襲撃、他グループとの対立抗争等を行うほか、行く先々で、勢力を誇示するために、スプレーでグループの名前を落書きする。走行コースは、遠く県外に至ることもあり、ことさら市街地を選ぶこともある。
イ 暴走族の道路交通法違反の検挙状況
 過去7年間の暴走族の暴走事案に関連した道路交通法違反検挙の推移は、図2-6のとおりで、昭和55年の検挙件数は3万5,794件、検挙人員は3万3,920人に上り、過去最高となった。
 55年の検挙の違反別内訳は、表2-9のとおりで、共同危険行為等禁止違

図2-6 暴走族の道路交通法違反検挙の推移(昭和49~55年)

表2-9 暴走族の道路交通法違反の違反別検挙状況(昭和55年)

反の逮捕人員は全逮捕者の約4割を占めている。
 暴走族と一般人の違反内容を比較すると、図2-7のとおりで、暴走族は、共同危険行為等禁止違反、整備不良、信号無視等の割合が高いことが特徴である。

図2-7 暴走族と一般人の違反別検挙人員の比較(昭和55年)

 なお、個人調査によれば、暴走族の年齢別交通違反歴は、表2-10のとおりで、全体の8割近くの者が交通違反で検挙された経験を持ち、約半数の者が運転免許の停止処分を受け、また、約7%の者が運転免許を取り消されている。個人調査の対象となった暴走族の免許歴は、平均して1年半程度であるが、免許人口100人当たりの年間の交通違反の検挙件数は約27件、免許停止処分は約3.4件、免許取消処分は約0.2件であることからみても、暴走族の違反歴は極めて高いといえる。

表2-10 暴走族の年齢別交通違反歴(昭和55年、個人調査)

(3) 暴走族の犯罪、事故
ア 犯罪は激増
 過去7年間の暴走事案に関連して検挙された刑法犯、特別法犯の推移は、図2-8のとおりで、昭和55年の検挙件数は6,328件、検挙人員は1万1,698人に上り、前年に比べ著しく増加した。55年の検挙の罪種別内訳は、表2-

表2-11 暴走事案に関連する刑法犯、特別法犯の罪種別検挙状況(昭和54、55年)

図2-8 暴走事案に関連して検挙された刑法犯、特別法犯の推移(昭和49~55年)

11のとおりで、一般車両や沿道住民、他グループに対する暴力行為、暴行、傷害、凶器準備集合、更に取締り警察官に対する公務執行妨害等が増加している。
〔事例1〕 5月18日(日)深夜、藤沢市の県道において、暴走族車両約500台がだ行走行してきたため、対向車線を走っていた普通乗用車2台が危険を感じ道路左端に停車したところ、一部の暴走族がこれを取り囲み、被害者らを車から引きずり出した上、木刀等で殴打し、4人に全治1~3週間の傷害を負わせた(神奈川)。
〔事例2〕 5月23日(金)深夜、京都市内で、暴走族「右京連合」の構成員3人は、通行中の女性(17)をドライブに誘い、駐車場内で強姦した。なお、この事件の捜査を端緒に、余罪として強姦20件、窃盗17件が判明した(京都)。
〔事例3〕 3月2日(日)深夜、黒部市において、暴走族「ジュピター生地連合」の構成員約40人は、住民の通報により駆けつけたパトカー6台

を取り囲み、警察官6人に暴行を加えて軽傷を負わせたほか、パトカー5台を破損した(富山)。
イ 暴走族による交通事故の死者は89人
 過去6年間の暴走族による交通事故の推移は、図2-9のとおりである。昭和55年の発生件数は560件、死者は89人、負傷者は1,008人で、前年に比べ発生件数は倍増した。

図2-9 暴走族による交通事故の推移(昭和50~55年)

〔事例〕 8月24日(日)深夜、登別市内で、暴走族「北海連合」の乗用車3台が暴走中、先頭の1台が歩行中の被害者を跳ね飛ばした上、後続の車両がこれをひき殺し、そのまま逃走した(北海道)。
 個人調査によれば、暴走族1,224人の37.7%に当たる461人が交通事故の経験を持っている。調査対象者の運転歴の平均は1年半程度であるが、一般の場合、免許人口100人当たりの年間事故発生件数は約1.1件であることから、暴走族の事故経験の割合は極めて高い。
(4) 暴走族少年の非行の状況
ア 最近の概況
 暴走族は、暴走行為以外のときでも地域の粗暴集団として各種の非行を繰り返している。暴走族としては握されている少年の刑法犯、特別法犯(道路交通法違反を除く。)の補導状況について、暴走事案に関連しないものを含めて過去7年間の推移をみると、表2-12のとおりで、昭和52年以降年々増加を続けている。特に、54年(47.8%)、55年(57.0%)の増加率は顕著で、55年の犯罪に対する補導人員は1万751人で、51年に比べ約4倍となっている。
 55年の暴走族少年の罪種別補導状況は、表2-13のとおりで、前年に比べ

表2-12 暴走族少年の補導人員の推移(昭和49~55年)

表2-13 暴走族少年の罪種別補導状況(昭和54、55年)

刑法犯は2,224人(39.2%)増加している。なかでも、強盗(234.0%)、強姦(63.6%)等の凶悪犯と傷害(141.4%)、恐喝(81.2%)等の粗暴犯、更に凶器準備集合(31.5%)が著しく増加しており、最近の暴走族の凶悪、粗暴化傾向を裏付けている。凶悪、粗暴犯について、暴走族少年の刑法犯少年に占める割合をみると、強盗は全体の23.3%、強姦は24.7%、傷害は21.0%、凶器準備集合は63.9%で、窃盗犯は1.2%しかないのに比べ、圧倒的にその割合が高くなっている。
イ 暴走族少年の半数以上に非行歴
 個人調査から暴走族少年1,019人の非行経験の有無をみると、暴行、傷害等の犯罪(道路交通法違反を除く。)で警察に補導されたことのある者は全体の54.6%を占め、一般少年に比べ非常に高い割合を示している(注)。
 補導された際の非行内容をみると、シンナー等の薬物乱用が全補導経験者の51.4%、盗みが46.2%、暴行、傷害や暴力行為が29.5%であるほか、強姦が1.3%となっている。
(注) 昭和17年生まれの男子6,172人と25年生まれの男子5,752人について、14歳から19歳までの間の非行経験を科学警察研究所が追跡調査した結果によると、一般男子少年の非行者率(14歳から19歳までの間に、1回以上警察に刑法犯で補導された者の割合)は6~7%となっている。

3 暴走族の実態

(1) 社会的背景の分析
ア 家庭
 暴走族に入っていることに対する親の態度を個人調査でみると、表2-14のとおりである。全体の半数近くの保護者は、子供が暴走族に入っていることに反対している。しかし、暴走族に入っていることを認めたり、あきらめている者が2割近くに上り、子供を十分に指導できない親の無力さを示している。

表2-14 暴走族加入に対する親の態度(昭和55年、個人調査)

 また、加入していることを知らない親も約3割を占めており、放任、無関心な親の態度が現れている。
 初めて車を購入する際の親の態度は、表2-15のとおりで、親は反対した

表2-15 車の購入に対する親の態度(昭和55年、個人調査)

が説得したと答えた者と親は初めから認めたと答えた者を併せると、約77%を占めており、親の甘い態度がうかがわれる。特に、生徒の場合、車を持つ必要性があまりないにもかかわらず、約83%に上っている。
 次に、現在使用している車の購入資金についてみると、表2-16のとおりで、一部あるいは全額を保護者に負担してもらった者は半数に近い。特に、生徒の場合、その割合が一段と高くなっている。

表2-16 車の購入資金(昭和55年、個人調査)

 暴走族の保護者の態度をまとめてみると、暴走族に入っていることには反対しているが、結局説得できず、その上、暴走族になるおそれが十分あるにもかかわらず、車の購入を認めたり、資金を出してやるなど、子供に甘くて弱い親の姿が浮かび上がってくる。
イ 学校
 暴走族青少年の学歴の状況は、表2-17のとおりで、中卒、高校中退は全体の約6割を占めている。これは、一般青少年の場合、中卒が全体の約6%、高校中退が約5%で、併せて約11%であるのに比べ、5倍以上となっている。

表2-17 暴走族青少年の学歴の状況(昭和55年、個人調査)

 暴走族のなかには、現在、中学、高校に在学中の者もあり、その一部は高校に進学しなかったり、高校を中退することも予想され、この倍率は実際には更に高くなるとみられる。
 更に学校での状況についてみると、約6割の者が学校をよく欠席し、約7割の者がクラブ活動にもあまり参加していないなど、暴走族青少年は学校に十分適応できていないようである。クラブ活動については、一般男子少年は約6割、非行男子少年は約3割が参加しているとの調査(昭和51年、警視庁防犯部)があり、これに比べると、暴走族青少年の場合、一般の非行男子少年とほぼ同様であることが分かる。
ウ 職場
 有職者について職場の状況を個人調査でみると、約7割の者が過去に転職した経験を持っているほか、現在の職場を1年以内にやめるつもりの者が2割以上となっている。これに対し、15~19歳の一般男子少年の場合をみると、昭和54年1年間に転職した者の割合は約1割となっている(54年、労働省「雇用動向調査」)ことから、暴走族の場合、職場での定着性に問題があることがうかがわれる。
(2) 集団の分析
ア 加入動機と暴走族の魅力
 暴走族加入前の興味の対象をみると、表2-18のとおりで、約8割の者が

表2-18 加入前の興味の対象(昭和55年、個人調査)

加入する前から車に強い愛着を感じている。また、ゲームセンター、ディスコ、盛り場等によく出入りしていた反面、本を読むことなどには全く興味を示さなかったことも分かる。
 暴走族に加入した動機は、表2-19のとおりで、スピードとスリルに魅力を感じて、カッコがよく目立つから、大勢だと楽しいからなどが主なものである。

表2-19 加入動機(昭和55年、個人調査)

 暴走族に属していることの魅力について、個人調査と50年調査を比べてみると、表2-20のとおりで、仲間と遊べるからと答える者が大幅に減少し、車をとばしたいから、大胆なことができるからと答える者が大幅に増加している。このことから、暴走行為や非行等の反社会的行為に魅力を感じている者が次第に増加していると推定される。

表2-20 暴走族の魅力(昭和50、55年、個人調査)

イ 組織の成熟度
 集団調査によると、集団のリーダーシップの状況は、表2-21のとおりである。リーダーが独裁的に振る舞っているグループが全体の約2割を占めるが、半数近くのグループでは、複数の幹部による集団指導が行われている。
 また、集団の会則等の状況をみると、表2-22のとおりで、会則、会費、罰則等を定めているグループは少なく、組織の規律が比較的緩やかであることがうかがわれる。しかし、威勢を誇示するために、団旗、ステッカー、ワッペン等を作っているグループが多いほか、4割近くのグループでは、定例の集合日、集合場所を決めているなど、組織的活動は活発なようである。

表2-21 集団のリーダシップの状況(昭和55年、集団調査)

表2-22 集団の会則等を定めているグループの状況(昭和55年、集団調査)

 個人調査から暴走族の仲間意識をみると、全体の77%の者がグループ内に親友がいると答え、66%の者がグループの仲間とはほかで味わえない一体感を感じると答えている。しかし、これは、グループに加入する前から既に仲間となっている者たちが、誘い合って暴走族に加入したためであるとみられる。また、同一グループ内でどのくらいの仲間の名前を知っているかをみると、構成員30人以下の小グループで約5割、31人以上100人以下の中グループで約3割、101人以上の大グループで約1割と一般的に低いことからも、グループ全体としての連帯感は薄く、結束は弱いといえる。
ウ 集団による非行性の助長
 集団調査から集団としての非行をみると、表2-23のとおりで、75.2%が何らかの形で集団としての犯罪を行っている。その主なものは、暴力行為、暴行、傷害等の粗暴事犯であるが、シンナー等乱用や窃盗を行うグループも約2割に上り、なかには、強姦を繰り返しているグループもある。  また、個人調査からグループ規模別に非行の状況をみると、表2-24のとおりで、大きなグループほど武装化が進み、対立抗争が激化しているほか、料金所突破や派出所、パトカーへの投石等集団の威力を背景とした犯罪を行っている。

表2-23 暴走行為以外の集団としての非行の状況(昭和55年、集団調査)

 暴走族を離れてから半年~2年経過しているとみられる272人を対象に調査した離脱者調査によると、暴走族を離脱した後に犯罪で検挙された者は41人(15.8%)で、暴走族であったころに比べると、非行を行う者の割合は非常に低くなっている。これは、暴走族という集団に加わっていたことによりリーダー等非行の進んだ者にあおられたり、集団心理に支配されて本人の非行性が助長され、様々な犯罪を行っていたためとみられる。
エ 集団からの離脱
 個人調査からグループ加入後の経過期間をみると、約半年の者が全体の56%、1年以内が72%、2年以内が89%となっており、全体の約9割が加入歴2年以下の者である。
 今後どの程度の期間、活動を続けるつもりかを聞いた結果は、表2-25の

表2-24 グループ規模別非行の状況(昭和55年、個人調査)

とおりで、7割以上の者がすぐにやめると答えており、やめるつもりはないと答えた者は4.2%となっている。暴走族構成員個人の活動期間は、一般的には10代後半の1~2年間であると言われているが、今回の調査もこれを裏付けている。

表2-25 今後のグループ活動(昭和55年、個人調査)

 次に、離脱者調査から離脱の理由をみると、表2-26のとおりである。全体の55.0%の者が警察に捕まったことを理由に挙げ、次いで32.7%の者が警察の規制が厳しくなったからと答えているなど、警察の厳しい対応をやめる理由とする者が圧倒的に多い。このほか、もうこんなことをやっている年で

表2-26 離脱の理由(昭和55年、離脱者調査)

表2-27 グループ加入後の取締り等の経験とその効果(昭和55年、個人調査)

はないからと答えた者が28.1%、十分に楽しんだからと答えた者が15.8%となっている。
オ 警察の取締り等の影響力
 暴走族に加入してから経験した警察の取締り等とその効果は、表2-27のとおりである。走行中の検問やパトカーによる追跡を受けたことのある者は、全体の7~8割に上っているほか、保護者、学校、職場へ通報されたことのある者も多い。逮捕や車の押収についても、2~3割の者が経験しており、警察の取締りや働き掛けが暴走族にかなり浸透していることがうかがわれる。
 警察の取締り等のうちで、暴走行為をやめるきっかけになるとしたらどれかを尋ねたところ、逮捕、運転免許の取消処分、グループの解散等の厳しい措置ほど効果があるとの結果がでている。また、学職別にみると、生徒では、学校や保護者への通報も効果的である。
(3) 校内暴力、暴力団との関係
ア 校内暴力と暴走族
 校内粗暴集団と暴走族を比べると、その構成員は、校内粗暴集団の場合14~15歳の中学生が中心となっているのに対して、暴走族の場合17~19歳の有職少年が中心となっているなどの違いはあるが、全般的には共通点が多い。例えば、構成員の社会秩序やしきたりに対する態度をみると、校内粗暴集団は校則や生徒指導に反発し、暴走族は交通秩序その他社会のルールに挑戦するなど両者とも社会秩序等に対して反抗的な態度をとることが多い。学力をみると、昭和55年に教師に対して暴力事件を引き起こした少年の85%は成績が悪く、暴走族の場合も個人調査によると85%の者が成績はよくないと答えているなど、両者は共にいわゆる落ちこぼれ組に属しているとみられる。また、家庭をみても、保護者の養育態度に放任、過保護が多いなど、共に家庭のしつけにも問題があることがうかがわれる。
 中学における番長グループ等の校内粗暴集団の構成員が、卒業後、暴走族に加入する事例は今までも多くみられていたが、55年12月の警視庁の調査によると、校内暴力と暴走族との間に次のような関連性があることが明らかになった。
[1] 中学時代番長であった者が暴走族に加入し、リーダーになった事例は、表2-28のとおりで、暴走族の活動の中心となっている場合が多い。

表2-28 元番長が暴走族のリーダーとなっている事例(昭和55年)

[2] 在校中の番長や番長グループの構成員が同時に暴走族に加入して活動していた事例は、表2-29のとおりで、かなりの数に上っている。

表2-29 在校中の番長等が暴走族に加入していた事例(昭和55年)

[3] 番長グループの構成員が、卒業後、中学時代の番長グループ名(例えば、ビーワン、荒武者、群龍会)を使って暴走族グループを結成するなど、暴走族グループが出身中学を中心に結成されている場合が多い。
[4] 暴走族がパーティー券の販売や小遣い銭かせぎの恐喝等に出身中学の番長グループを利用している。
〔事例1〕 ルート20の支部リーダー(20)は、9月ごろ、母校の市立中学の後輩番長を使って、パーティー券200枚を1枚2,000~3,000円で売りさばかせ、約40万円をかせいでいた(警視庁)。
〔事例2〕 市立中学の元番長A(17)は、卒業後、中学時代の番長グループの仲間と共に、同中学卒業生多数が入っている暴走族ナポレオンに加入した。Aら6人は、6月ごろ、自分たちのオートバイを購入するため、後輩番長に対して、「ナポレオンの先輩からカンパが回ってきたので、同級生、後輩から金を集めろ。」と命じ、生徒延べ71人から1人当たり300~5,000円の範囲で総額4万7,400円の現金を脅し取らせ、これを上納させていた(警視庁)。
[5] 中学の番長グループは、校内の他の生徒や対立校の番長グループに対して自分たちの勢力を誇示するため、先輩番長の加入している暴走族グルーブの名前等を利用している。また、校内暴力事件を起こしている学校のほとんどに、暴走族グループ名の落書きがある。
〔事例〕 港区内の3つの中学の番長グループで結成されているA連合は、他区内の中学の番長グループを配下に収めるため、先輩の元番長らが加入している暴走族ジョーカーズの威勢を利用して、対立抗争事件を引き起こした(警視庁)。
[6] 暴走族構成員の居住が多い地域に校内暴力事件が多発している。16歳以上の少年人口に占める暴走族構成員の割合をみると、城東地区(墨田、江東、葛飾、江戸川区)、下町地区(台東、荒川、足立区)、城南地区(品川、大田区)の3地区が高くなっているが、この3地区で校内暴力事件の1校当たりの発生件数も多くなっている。
 このように暴走族は、中学の番長グループを単位として結成、加入がなされることが多く、中学の番長グループは、元番長が加入している暴走族の主要な供給源として暴走族予備軍になっているとみられる。また、暴走族の交遊範囲は出身中学を中心にしているため、出身中学の番長グループとの結び付きが強く、背後で校内粗暴集団に大きな影響を及ぼしている。このような傾向は、東京のみに限らず、全国各地でみられるところである。
〔事例〕 市立中学の生徒25人は、同校の番長グループの構成員であった卒業生が中心となって結成した暴走族の下部組織として、学年ごとに番長グループを結成し、暴走族の威勢を背景に校内で喫煙、シンナー乱用、授業妨害を繰り返し、これを注意、指導した教師14人に対して32回にわたって暴行を加え、一部の教師に傷害を与えた(広島)。
イ 暴走族と暴力団
 昭和55年11月現在、暴走族約3万9,000人のうち、暴力団員(準構成員を含む。)としては握されている者は181人である。集団調査から暴走族と暴力団との関係をみると、表2-30のとおりで、約半数のグループが暴力団と何らかの関係をもっている。また、個人調査をみても、全体の46%の者が、グループの仲間に暴力団員を知っている者がいると答えている。この暴力団とのつながりとは、主として暴走族のリーダー、サブリーダー等一部の者が暴力団員と交際があり、その威勢を利用している場合が多いようである。ただ、なかには、暴力団員自身が暴走族のリーダーとなり、暴走族構成員から制服代、入会金、会費等を徴収して、これを暴力団に上納していた事例や、暴力団の幹部が暴走族のリーダーと共謀して、暴走族の少年を使い、中・高校生に暴走族グループ名の入ったステッカーを法外な値段で押し売りして、資金かせぎをしていた事例等もみられる。
 55年に暴力団に新たに加入した339人(準構成員を含む。)の青少年(15~25歳)を対象に、科学警察研究所が行った調査の結果は、表2-31のとおりで、全体の54.3%(184人)が以前に非行集団に加入していた経験を持っている。そのうち84人(全体の24.8%)は、暴走族の経験者であり、このことから、現在、暴力団に加入する青少年のかなりの部分が暴走族経験者であるとみられる。

表2-30 暴走族と暴力団との関係(昭和55年、集団調査)

表2-31 暴力団新規加入者の非行集団への加入経験(昭和55年)

(4) まとめ
 暴走族とは、17、18歳の有職少年を中心とした1グループ40人平均の集団で、構成員には非行歴、交通違反歴等があり、暴走族加入前にはディスコ、盛り場等にしばしば出入りしていた者が多い。
 一般少年と比べてみると、学校の成績も悪く、授業をよく欠席するなど学校生活に適応できていない。暴走族に加入した理由は、スピードとスリルを求めて、仲間を求めてであり、やめていく理由としては、警察の厳しい取締りにあったからか、もうこんなことをやっている年ではないからを挙げている。
 最近の暴走族構成員をみると、無職者や車を持たない者が増加するなど質的な変化がうかがわれる。これは、暴走族構成員のなかに、単に車の運転が好きで加入するというよりも、集団での反社会的行為に魅力を感じて加入する者の割合が増加していることを示している。これら非行の進んだ者がグループの中心となって、周辺構成員の非行性を助長し、グループ自体の悪質性を増している。また、暴走族は、ここ1、2年、交通秩序の破壊者としての段階を超え、校内粗暴集団や暴力団とも強く結び付き、少年非行の集団犯罪化に大きな影響を与えるなど、車という機動力を駆使した粗暴集団としての様相を特に強くしてきている。
 暴走族が生まれた社会的背景としては、まず第1に指摘できるのは、現代の日本の社会のなかにある「若者を甘やかす」風潮である。悪いことは悪いこととしてしかり、けじめをつける教育や指導が十分に行われていない。これが若者の社会的責任の自覚を遅らせる大きな原因となっている。現在、高校進学率は94%を超え、大学進学率でさえ37%を超えており、多くの若者は、学生、生徒として社会的責任を猶予されているという意識で生活している。また、職業を持っている若者も、社会人としての自覚は薄く、社会から厳しく扱われないだろうという甘えた気持を持っている。特に、暴走族の場合、学校の中退、職場の転職が多いことにみられるように、忍耐心や自立心が欠如している者が多く、集団としての反社会的傾向の強いことも加わって、暴走行為等の非行を繰り返しているとみられる。これらの点は、暴走族自体がグループを離脱する際の理由として、大人になってまでやることではないからを挙げていることからもうかがえる。
 第2は、学校で授業についていけない少年の問題である。現在、進学率の上昇に伴い、中・高校で学業についていけない少年が増加し、これらのいわゆる落ちこぼれの生徒たちが、学校生活に生きがいや目標を見い出せず、校内暴力や暴走族という非行の形で自己の存在を顕示しようとしている。
 第3は、少年期における一貫した交通教育の問題である。アメリカの多くの州や西ドイツにおいては、幼稚園から高校までの体系的な交通教育が行われており、その内容も、被害者にならないための教育ばかりでなく、将来の車社会を背負って立つ立派な社会人を育てるための教育に及んでいる。しかし、我が国では、現在まで必ずしもこうした教育が十分にはなされておらず、他人に迷惑をかけないような車の使い方を理解していない者も多い。
 以上基本的な3点のほかに、日本人は集団化の性向が強く、かなりの数の青少年が暴走族という集団の中に仲間を求めようとする傾向が強いこと、我が国では未成年者でも比較的容易に車を入手できる状況にあることなどが、暴走族問題を助長しているとみられるところである。

4 暴走族対策

(1) 今日までの取組み
ア 暴走族前史における対策
(ア) 少年の無謀運転一般に対する対策
 昭和30年代中ごろには、全国でカミナリ族が横行したが、このようなカミナリ族に代表される無謀運転の問題は、交通道徳の欠如した少年による交通犯罪一般に対する対策という視点でとらえられた。
 そこで、まず警察が執った措置は、[1]指導取締りの強化、[2]違反者の雇用者又は保護者に対する通知、[3]違反少年に対する補導講習(注)の実施、[4]遵法精神のキャンペーンであった。
(注) 補導講習とは、交通犯罪を犯した少年を対象に家庭裁判所の委託を受けて行うものである。36年、愛知県の交通安全協会が初めてこの委託を受け、警察本部がこれに協力して行われ、その後、全国で実施されるようになった。
 しかし、少年を中心とした二輪車の暴走運転は後を絶たず、事故もひん発したので、40年1月の総理府交通対策本部決定「交通事故防止の徹底を図るための緊急対策について」において、二輪車の無謀運転は、無免許運転、飲酒運転、ダンプカーの無謀運転、ひき逃げ事犯と並ぶ交通暴力の一形態としてとらえられるべきであるとされ、その取締りの徹底を期することとなった。
(イ) 街頭サーキットに対する交通規制
 昭和40年代に入ってからの街頭サーキットの時代には、警察としては、街頭サーキットが行われる場所に対して、必要に応じて時間帯、車種を限定した交通規制を行うとともに、適宜検問を実施して集まってくる車両を阻止したり、違反車両を検挙するなどして暴走行為の封圧に努めた。
イ 荒れ狂う暴走族に対する対策
(ア) 集団暴走行為の取締りの推進
 昭和47年6月の富山事件を皮切りに、西日本を中心として各地で暴走族と見物群衆が一体となった騒乱がひん発するようになるとともに、東日本では、組織化の進んだ暴走族が大挙してい集、走行し、対立抗争事件を起こすようになった。
a い集地対策と群衆警備
 警察では、暴走族と見物群衆が一体となった騒乱の発生を未然に防ぐため、暴走族のい集が予想される場所について車両の通行禁止等の規制を行うほか、道路管理者等の協力を得て、道路施設の改善等によりい集しにくい道路交通環境の整備を進めた。また、群衆のい集が予想される場合には、大量の警察部隊を動員して群衆の規制に当たるとともに、暴走族と群衆を隔離するため検問を実施し、暴走族がい集場所に乗り入れできないように努めた。
b グループの解体補導
 暴走族グループの解体補導は、昭和47年当時からも一部行われていたが、その後暴走族の組織化が進み、対立抗争もひん発するようになったため、い集地対策と併せて、特に昭和49年から、暴走族グループそのものの解体補導を強力に進めることとした。このため警察では、暴走族対策本部を設置し、違法行為者の検挙と並行して、同一グループの他の構成員に対しても、各種の法令による幅広い検挙、補導活動を行った。また、学校、家庭と連絡を取りつつ、構成員の離脱を勧めたり、グループ自体の解散について説得に努めた。その結果、49年には、382グループ、約1万人の暴走族グループの解体補導を行った。
c 集団暴走そのものを罰する規定の新設
 このような警察の取締りにもかかわらず、暴走族による集団暴走は後を絶たず、地域住民に対する迷惑のみではなく、一般通行車両に与える危険と迷惑は極めて深刻であった。しかし、従来の道路交通法では、信号無視、最高速度違反等の個々の違反を検挙するという方法しかとれず、集団暴走という極めて危険な行為そのものに着目して責任を問うことができないため、なかなか実効が上がらないうらみがあった。昭和53年5月、道路交通法が改正されて、共同危険行為等の禁止規定が新設された(注)。これは、集団による暴走行為を正面から違法行為としてとらえるもので、これより、暴走行為の取締りは画期的な進展をみることとなった。この法律は、同年12月から施行された。
(注) 共同危険行為(道路交通法第68条)
 2人以上の自動車又は原動機付自転車の運転者は、道路において2台以上の自動車又は原動機付自転車を連ねて通行させ、又は並進させる場合において、共同して、著しく道路における交通の危険を生じさせ、又は著しく他人に迷惑を及ぼす行為をしてはならない(罰則は6月以下の懲役又は5万円以下の罰金。)。
(イ) 地域ぐるみの対策の推進
 この改正道路交通法の施行後、しばらくの間鎮静化していた暴走族の活動は、昭和54年9月ごろから再び活発化し、一時減少していた暴走族の勢力も増勢に転じた。特に、暴走族は、取締りと解体補導が進められても、それを上回るグループの新設や新規加入者があるため、全体としては、減少するどころかかえって増加してしまうというのが実情であった。やはり、暴走族問題を根源的に解決するためには、警察の総合力による強力な対策の実施とともに、地域ぐるみによる暴走族を根絶するための環境作りが必要であった。
 このような情勢のなかで、54年10月、福岡県、大阪府の各議会で暴走族追放に関する決議がなされ、55年2月には、大阪府に知事を議長とする暴走族問題府民会議が設置され、関係機関、団体が一致して地域ぐるみの暴走族対策を進めることとなった。55年末までに、21府県、591市区町村の議会で暴走族追放の決議がなされ、38道府県で対策会議が設置された。
 国においても、55年9月、暴走族緊急対策関係省庁会議(注)において、「暴走族に対する総合対策の推進について」の申合せがなされ、関係機関が他の機関と相互の連携を取りつつ、それぞれの分野で対策を講じることとされた。
(注) 暴走族緊急対策関係省庁会議は、警察庁のほか、総理府、法務省、文部省、通商産業省、運輸省、建設省、自治省で構成されている。

(2) 対策の現状
ア 対策の枠組み
 現在の暴走族対策は、このような長年の取組みを踏まえて、図2-10のような枠組みで進められている。その主眼は、現在発生している暴走行為を封じ込めるとともに、暴走族グループそのものを解体して、構成員の離脱を図り、他方、少年の暴走族への加入を未然に防止することに置かれている。
イ 警察による諸対策の推進状況
(ア) 取締りの強化
a 警察官の出動状況

図2-10 暴走族総合対策の枠組み

 昭和55年の警察官の延べ出動人員は約104万人、車両は約26万台でこれまでにない数となった。
 最近の暴走族は、警察の取締りを避けるため、走行の時間帯や曜日を変え裏通りを走るなど、とき、ところを構わず出没するようになっていることから、効果的な取締りを行うためには、暴走族の動向の十分なは握が必要であり、このため、暴走族に対する情報収集体制の整備に努めている。
 また、暴走族の集団暴走を制止するために、要所において検問を実施しているが、暴走族は通常の方法では簡単に停車せず、これを突破してしまうため、暴走車両を阻止するための資器材を工夫している。
 なお、55年に集団暴走の取締り中殉職した警察官は1人、負傷した警察官は55人であった。
b 交通規制の状況
 暴走族を締め出すため、い集場所や暴走行為を行う場所に対して、実情に合わせて道路の区間や一定の区域を指定して、車両の通行禁止等の交通規制を実施している。また、公園や広場等について交通規制を実施する際は、その実効を確保するため、道路管理者や施設管理者の協力を得て、さく、鎖等による物理的な措置を併せて行うように努めている。

c 共同危険行為等禁止違反の検挙状況
 共同危険行為等禁止違反の検挙は、昭和53年12月の改正道路交通法の施行以後、同年は1件、50人、54年は123件、2,405人であったが、55年は252件、6,130人と前年に比べ著しく増加した。共同危険行為等禁止違反を検挙するためには、暴走車両を追跡しながら採証活動を行う必要があるので、暴走行為採証車両をはじめ、走行しながら写真撮影をしたり、暴走車両のナンバーを読み取ったりするための機器を導入して、取締りの効果を上げるよう努めている。
〔事例〕 11月9日(日)深夜、住民からの110番通報によりパトカー2台が現場付近に急行したところ、県内最大の暴走族讃州連合のメンバーら約100人が、50~60台の乗用車、二輪車に分乗して暴走中であった。パトカーは、乗用車のナンバー、人員等を記録するとともに、信号無視等の違反で被疑者2人を逮捕した。その後、1箇月以上にわたる捜査により暴走行為に加わっていた者全員を割り出し、このうち54人を共同危険行為等禁止違反で検挙した(香川)。
d 車両の押収等
 暴走族の取締りに当たっては、暴走行為等に使用した車両を犯罪の証拠品又は供用物件として押収しており、その数は、昭和55年で1万1,139台に上っている。また、55年は、暴走族の行う車両の不法改造に積極的に加担した自動車の整備業者等142人を道路運送車両法違反等で検挙し、車両の不法改造の防止に努めた。

e 運転免許の行政処分
 道路交通法違反で検挙された暴走族に対しては、運転免許の取消し、停止の処分を厳しく行っている。暴走車両を運転している者だけでなく、暴走行為を教唆、ほう助する者や、暴走車両に同乗して暴走行為に加わっている者についても、道路交通の危険を生じさせるおそれがあるので処分の対象としている。昭和55年に行った行政処分は、免許取消し1,055件、免許停止4,197件で、その合計は前年に比べ約3.7倍となった。
 なお、道路交通法施行令の一部改正により、56年1月から共同危険行為等禁止違反は、一回の違反で運転免許の取消処分を行えるものとするなど、暴走行為に対する処分を強化することとした。
(イ) グループの解体補導
 暴走族対策は、暴走族グループ自体を消滅させることが効果的であるため、共同危険行為その他の事犯を検挙した場合に、これをきっかけとしてグループの解体補導を強力に進めている。その場合、中心メンバーに対しては、施設収容を含む厳しい処分をもって臨むとともに、周辺メンバーに対しては、家庭、学校等の協力を得て再び暴走行為を行わないよう指導している。
〔事例〕 暴走族「夜飢侠轢(ようきひ)」等2グループ、35人が、対立するグループに対する襲撃を企て、鉄パイプ30本を用意していたため、凶器準備集合罪で11人を逮捕した。これをきっかけとして暴走族解体補導強化月間を設定し、少年288人に対して警察官が個別に補導に当たり、呼出し、家庭訪問、講演会、講習会等あらゆる方法を講じ、15グループ、216人を解体した(山口)。
(ウ) 検挙、補導された暴走族に対する事後措置
a 処分者講習
 道路交通法違反で検挙され、運転免許の停止処分を受けた者に対して処分者講習を実施しているが、暴走族については、一般の受講者とは別に暴走族だけの特別学級を設けて講習を実施している。この講習は、昭和49年から一部の都県で実施していたが、55年からは全国的に実施するようになり、55年に暴走族特別学級で講習を受けた人員は1,979人であった。
b 家庭、学校等との連携
 検挙、補導された暴走族については、必要に応じて、家庭、学校、職場に連絡し、事後の指導が適切になされるように努めている。また、暴走行為の実態を踏まえ、検察官、家庭裁判所等で適切な措置が執られるよう、その暴走行為の状況を詳しく説明するなど、連絡を密にしている。

〔事例〕 暴走族のリーダーである少年A(18)は、9月、対立抗争事件により警察に補導された。Aは当初、取調べに際してかたくなな態度をとっていたが、担当警察官が何度も家庭を訪問するなどしてAの相談に乗ったところ、次第に警察官を信頼するようになった。そして、Aはグループを離脱するとともに、グループの解散にも積極的に取り組むようになった(警視庁)。
ウ 地域ぐるみによる暴走族対策の状況
(ア) 追放気運の盛り上げと関係者による諸対策
a 行政機関、関係団体による広報活動
 各都道府県では、青少年担当、交通安全担当の部局と交通安全協会、防犯協会等が協力するなどして、暴走族追放を呼び掛けるポスター、チラシ、映画、手記集等を作成し、キャンペーンに努めている。市区町村でこのような活動を活発に行っているところもある。
 また、多くの地域団体、職域団体は、機関紙その他の広報紙誌を利用して暴走族追放を呼び掛けるほか、暴走族追放の住民大会、パレード、意見発表会等を行っている。
b 学校における取組み
 各地の中学、高校では、ホーム・ルーム活動等を通じて暴走族の反社会性を認識させ、暴走族に加入しないように指導しているが、なかには、生徒会

が暴走族に加入しない決議を自主的に行っている学校もある。このほか、生徒指導担当の教師を中心に、警察等と連絡を取りながら、暴走族の生徒の個別指導も進められている。
c 施設管理
 暴走族がい集する広場、駐車場等にさくを設けたり、ロープを張ったりするなど、暴走族を締め出すために、施設管理者によって対策が進められている。
d 関係業者による申合せ
 暴走族は、車両の改造に必要な部分をカーショップから購入して自ら改造したり、整備業者等に車両を持ち込んで改造させたりしている。そこで、カーショップ、自動車整備事業者等の組合において、暴走族に改造用部品を売らないことや、車の改造を行わないことなどの申合せが行われている。
 このほか、暴走族のたまり場になるドライブイン、深夜飲食店や、しばしば迷惑をこうむるガソリンスタンドの営業者による暴走族締出しの申合せも広く進められている。さらに、タクシー運転手の間で、暴走族を発見した場合には、直ちに警察に通報することを申し合わせた例もある。

(イ) 青少年に対する自動車、オートバイの健全利用の促進
 各地の交通安全協会を中心に結成されている二輪車安全運転推進委員会では、警察や学校と協力して、青少年を中心に二輪車の正しい乗り方の実技指導を行っている。また、年少者が二輪運転免許等を取得するときには、二輪車安全運転推進委員会等と警察が協力して行う講習を受けさせるようにしている。これらはいずれも暴走族少年の発生の未然防止に役立つものと考えられる。

5 今後の展望と課題

(1) 暴走族の動向
 暴走族構成員の多くは、検挙、補導等をきっかけとしてやがて暴走族から離脱していく。しかし、新しい世代の成長と少年非行の低年齢化に伴い、暴走族予備軍のすそ野は広がっており、新たに暴走族を志向する者は増えていくものとみられる。
 特に、一般少年の非行が悪化している現状からみて、暴走族も比較的非行化の進んだ者が多くなり、そのため、集団としての行動も、悪性の高い中心メンバーに引きずられてエスカレートし、悪質の度を深めることが予想される。
(2) 課題
 警察としては、共同危険行為の取締りの強化その他暴走族の根絶を目指して現在進めている諸対策に工夫、改善を加え、これを強力に推進していかなければならない。これらの対策を推進するに当たっては、次の諸点に留意する必要がある。
 第1に、暴走族問題は、暴力型集団非行の中核をなすものであり、少年非行の粗暴化が深刻になっている現状からみて、少年非行対策の中心的課題として、更に強力な対策を進めていく必要がある。
 第2に、生徒、有職少年、無職少年に対しては、それぞれ異なる対応が必要である。特に、無職少年は非行化が最も顕著であり、学校の教師、職場の上司のような影響力を持つ人物に恵まれず、家庭の指導もあまり期待できないため、少年補導員の積極的な活動を図るなどにより、強く本人の自覚を促し、無責任な生活態度から抜け出させるような方策を工夫しなければならない。
 第3に、少年非行が低年齢化している実態を踏まえ、中学生に対する的確な暴走族予備軍対策がなされなければならない。現に、校内暴力の中心である番長グループが暴走族の中心メンバーとなる事例も多いことから、校内粗暴集団に対する補導を徹底し、暴走族に加入する前段階での諸対策が講じられる必要がある。また、校内粗暴集団に外部から悪影響を与えている暴走族に対しては、そのつながりを断ち切り、校内粗暴集団の非行の深化を防ぐ必要がある。
 第4に、暴力団との関係である。暴走族のなかには、暴力団構成員とかかわりを有する者が少なくないので、この点に留意し、暴力団の取締りを通じて両者の関係を断ち切っていく必要がある。他方、暴走族経験者が暴力団員とならないよう、的確な指導を行っていくことが必要である。
 第5に、自動車の安全運転教育の推進である。少年に対して、早い時期から自動車の運転実技を含む一貫した交通教育を行うことにより、車社会の良き構成員を育てていく必要があり、警察としても、そのための施策を工夫、改善する必要がある。
 第6に、車両の不法改造に応ずるなど暴走行為を助長する者に対しては、関係機関と連携して更に指導、取締りを強化する必要がある。また、暴走族の多くは社会的責任の自覚の薄い少年であり、車の購入、使用等について関係者による適切な指導がなされるよう働き掛けていかなければならない。
 最後に、暴走族は、多くの場合社会に適応していない若者で、その場限りのせつな的な喜びを追い求めて犯罪行為に及んでいるが、このような法無視や秩序破壊は許されるものではないことを、十分本人に自覚させるための措置を執らなければならない。しかし、その根源的な解決のためには、このような明日のない若者たちをなくすることが基本であり、家庭、学校、社会の在り方を含め、青少年対策全般にわたり関係者の間で更に効果的な対策が実施されることが切望される。


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