第1章 治安情勢の概況

1 主な社会事象の推移

 昭和55年は、緊張の高まる国際情勢の下で、社会に潜む矛盾や危険が表面化した年であった。
 国際情勢では、アメリカと中国の提携が着実に進んだが、アメリカとソ連の関係は、ソ連のアフガニスタン侵攻に対してアメリカが「モスクワオリンピック」ボイコット、穀物禁輸等の制裁措置をとるなど厳しい対立状態が続き、中国とソ連の関係も依然として改善の兆しはみられなかった。さらに、ポーランドに「自由労組」が誕生し、これに対するソ連をはじめとする東欧諸国の対応をめぐり、東西関係は更に緊張が強まった。中東情勢は、人質問題を抱えたままこう着状態が続いたアメリカ・イラン関係やイラン・イラク戦争のぼっ発等によりますます混迷を深める一方、東南アジアでは、カンボジア内戦が泥沼化し、ASEAN諸国はベトナム非難を強めた。朝鮮半島では、依然として南北間の厳しい対立と緊張が続くなかで、9月、韓国では、全斗煥新大統領が就任した。
 世界経済は、原油価格の大幅値上げ等により大部分の先進諸国はスタグフレーションとなり、深刻な景気の後退がみられた。
 国内では、夏に予定されていた参議院選挙に向けて、野党が政権の受け皿作りのための各種連合政権構想を打ち出すなど、活発な議論が行われたが、与野党伯仲の通常国会で「大平内閣不信任案」が可決、成立したことから衆議院が解散され、6月、国政選挙史上初の衆・参同日選挙が行われた。選挙の結果、衆・参両議院とも自民党が圧勝し、安定過半数の議席を獲得した。選挙期間中、大平首相が急死したことから、選挙後の7月17日、鈴木内閣が発足した。
 国内経済は、上半期には前年に引き続き拡大基調にあったが、下半期に入り実質所得の減少等による個人消費の低迷等から景気拡大にブレーキがかかり、経済の各分野に「かげり現象」が広がった。
 また、夏の異常低温により東北地方の稲作地帯は凶作に見舞われ、深刻な社会問題となったほか、富士山の大落石事故、静岡駅前の地下街におけるガス爆発等多数の死傷者を出す悲惨な事故も発生した。

2 治安情勢の推移

 昭和55年は、現代社会における目標の欠落化現象や規範意識の低下等を背景に、暴走族はグループ数、構成員数がともに著しく増加し、特に構成員数は過去最高を記録するとともに、集団暴走行為による道路交通法違反のみならず悪質、粗暴な犯罪を多発させた。また、少年非行は、更に深刻化し、補導された刑法犯少年の数は戦後最高となった。特に、校内暴力が激増し、中学生の教師に対する暴行事案が目立った。
 刑法犯の認知件数は、40年以降の最高となったが、内容的にも、金融機関対象の強盗事件や身の代金目的の誘かい事件が多発した。知能犯では、特殊法人、商社の役職員による業務上横領事件や地方公共団体の首長の贈収賄事件等が注目された。一方、暴力団は資金獲得活動を一段と多様化したほか、なわ張り争いをめぐる対立抗争事件も増加した。
 覚せい剤事犯は、依然として増加を続けており、特に、55年は少年の乱用事犯が急増して汚染の深刻さをうかがわせた。
 警備情勢では、極左暴力集団が「成田闘争」を最大の闘争課題として「ゲリラ」事件を多発させたほか、10月には、都内で一挙に5人を殺害するという残忍な内ゲバ事件を引き起こした。日本共産党は、6月の衆・参同日選挙で敗北し、党勢も停滞したままであったが、大衆行動に積極的に取り組むとともに、ソ連をはじめ東欧諸国との交流を深めた。また、国内におけるソ連や北朝鮮関係者によるスパイ活動が相次いで発覚した。
 交通事故死者数は、若者の無謀運転による事故の多発等のため、10年ぶりに増加した。内容的には、相変わらず老人と子供の事故が高い割合を占めた。

3 警察事象の特徴的傾向

(1) 質、量ともに悪化した暴走族
 暴走族は、昭和53年12月の道路交通法の一部改正により共同危険行為の禁止規定が新設され、その後取締りも強化されたことから一時鳴りを潜めていた。しかし、54年9月ころから再び活発な動きを示しはじめ、55年にはグループ数、構成員数とも著しく増加し、11月現在、754グループ、約3万9,000人で、構成員数は過去最高を記録した。55年の暴走事案に関連する暴走族の検挙人員は、道路交通法違反が約3万4,000人、刑法犯等が約1万1,700人とかつてない数字となった。その内容も、集団暴走による共同危険行為等禁止違反のほか、強盗、暴行、傷害、凶器準備集合等の悪質、粗暴な犯罪が著しく増加した。
(2) 校内暴力等粗暴化した少年非行
 昭和55年に警察が補導した刑法犯少年は戦後最高の約16万6,000人に上り、前年に比べ16.0%の増加を示した。これに伴い、刑法犯少年の人口比(同年齢層の人口1,000人当たりの人員をいう。)は17.1人に、全刑法犯検挙人員に占める少年の割合も42.4%に達するなど、それぞれ戦後最高を記録した。内容的にも、14、15歳を中心に非行の低年齢化が進行する一方、年少少年による校内暴力事件や年長少年を中心とした暴走族事犯等集団の威力を背景とした事犯が多発したり、家庭内暴力が目立つなど、少年非行の粗暴化の傾向が著しく目立った。
(3) 更に深刻化した覚せい剤汚染
 昭和55年に検挙した覚せい剤の乱用者は、前年に比べ9%増の約2万人に上り、覚せい剤の押収量も前年に比べ27.7%増の約152kgとなった。近年、覚せい剤の乱用は、暴力団関係者にとどまらず一般市民層にまで浸透しており、55年には、少年が全検挙者の1割を超えた。また、覚せい剤の薬理作用による殺人、放火等の凶悪な犯罪や交通事故が多発するなど、覚せい剤汚染は更に深刻化した。
(4) 10年ぶりに増加した交通事故死者数
 昭和55年は、過去最高であった45年の交通事故死者数1万6,765人を半減させるという第二次交通安全基本計画の最後の年であったが、交通事故死者数は10年ぶりに増加に転じ、8,760人、45年の死者数の52%となった。死亡事故の内容についてみると、16~19歳の若者による二輪車の無謀運転が目立った。また、年齢別では80歳以上の老人の死者数が大幅に増加しており、違反別では酒酔い運転、最高速度違反、信号無視等が増加した。
(5) 社会の注目を集めた凶悪犯罪の多発
 昭和55年の刑法犯認知件数は約135万7,500件で、前年に比べ5.3%増加し、40年以降の最高となった。内容についても、金融機関を対象とした強盗事件が4年連続して激増し、犯行の態様も、銃器を使用して人質を取ったり盗難車両を利用するなど、凶悪、巧妙化している。また、身の代金目的の誘かい事件の発生も史上最高となり、岐阜、富山、長野3県にわたる連続女性誘かい殺人事件のように犯行が広域に及ぶ事案や、誘かい直後に誘かいした者を殺害するような残忍な事案が目立った。さらに、新宿駅前バス放火事件のような通り魔的殺人事件やバラバラ殺人事件等社会の注目を集めた凶悪犯罪が多発した。
(6) 多様化した暴力団の資金獲得活動
 最近の暴力団は、伝統的な覚せい剤の密売、賭博、ノミ行為等に加え、市民の日常生活や経済取引に寄生、介入した資金獲得活動を活発化している。昭和55年には、交通事故を偽装した保険金詐欺事件等保険金目的の犯罪が目立ったほか、右翼団体を標ぼうして企業等から寄付金、賛助金、政治献金等の名目で資金獲得を図る新たな動きがみられるなど、資金獲得活動は一段と多様化した。
(7) 巧妙、活発化したスパイ活動
 我が国に対して行われるスパイ活動は、我が国の置かれている国際的地理関係や複雑な国際情勢を反映して、ますます巧妙、活発に展開されている。昭和55年には、ソ連関係で「コズロフ事件」等2件、北朝鮮関係では「水橋事件」等2件のスパイ事件を検挙し、巧妙、活発化したスパイ活動の一端を明らかにした。

4 治安情勢の展望と当面の課題

 国際情勢は、ソ連の各地への進出の動きとアメリカのレーガン新政権の政策とが相まって、全般的に波乱含みで推移するものとみられ、特に、アフガニスタン問題やポーランド情勢は予断を許されない。さらに、インドシナや朝鮮半島の動向も波乱要因になる可能性がある。世界経済は、アメリカをはじめとする先進諸国のスタグフレーションの収束は困難とみられ、また、保護貿易主義の気運が高まってきたことから、各国間の貿易摩擦も強まることが予想される。
 国内では、防衛問題、財政再建、行政改革等をめぐり国会で与野党間の攻防が予想されるが、これらに呼応して院外での大衆行動が盛り上がることも考えられる。また、景気は楽観を許されず、石油の値上げ、財政の硬直化、欧米諸国との貿易摩擦等不安な材料が多い。
 以上のような情勢を背景に、国民の間には不安感や様々な不平不満が高まり、それが少なからず治安面に影響することも予想される。
 暴走族については、新しい世代の成長と少年非行の低年齢化に伴い、暴走族予備軍のすそ野は広がり、新たに暴走族を志向する者は増加するとみられ、特に非行化の進んだ少年の加入により、ますます悪質化の度を深めるおそれがある。少年非行も、少年を取り巻く社会環境の悪化やいわゆる落ちこぼれ問題等多くの要因や背景が複雑にからみ合い、今後も、低年齢化、一般化傾向は一層強まるとみられる。内容的にも、暴走族や校内粗暴集団等による暴行、傷害事犯の多発等更に悪質、粗暴化する危険性がある。
 犯罪情勢については、金融機関対象の強盗事件や身の代金目的の誘かい事件等、一獲千金をねらった凶悪犯罪の増加傾向が続くものと予想される。暴力団は、広域暴力団首領の世代交代期に差し掛かっており、後継者をめぐる思惑や資金源をめぐって対立抗争事件がひん発する可能性がある。知能犯では、困難な経済情勢を反映して、公共事業をめぐる贈収賄事件や経営不振、倒産に伴う金融犯罪等の多発も予想される。また、国際犯罪も、国際交流の活発化に伴い増加傾向が続くと考えられる。
 一般市民層にまで広まった覚せい剤汚染は今後とも拡大を続け、密輸、密売の手口もますます悪質、巧妙化するものとみられ、薬理作用による犯罪、事故が多発するおそれもある。
 警備情勢では、極左暴力集団は、組織の非公然、軍事化を進展させて「テロ」、「ゲリラ」本格化への動きを強め、引き続き残虐な内ゲバ事件を引き起こすおそれがあるほか、日本赤軍は、日本革命に向けた基盤作りに力を注ぎ、再び違法事案を行う可能性がある。また、我が国に対する諸外国のスパイ活動は、複雑な国際情勢を反映して、一層活発化することが予想される。日本共産党は、停滞している党勢の拡大を図るとともに、大衆行動を強化するなど、再び「民主連合政府」構想を軌道に乗せ直すことに全力を挙げるものとみられる。右翼は、憲法問題をはじめ北方領土、防衛問題等に強い関心を示し、各種行動を活発化させるなかで、左翼勢力等に対する違法事案を行うおそれがある。
 交通事故は、国民が日常生活において最も不安を感じるものの一つと言われているが、55年に引き続き厳しい状況の中で推移するものとみられる。しかも、自動車保有台数、運転免許保有者数の増加傾向は続き、交通安全のほか、道路の混雑緩和、公害防止等についての国民の要望も強まるものと考えられる。
 このような治安情勢に対処するため、警察としては、当面次のような施策を重点として推進することとしている。
(1) 暴走族に対する根源的な対策の推進
 暴走族に対しては、共同危険行為の取締りとグループの解体補導をはじめとする諸対策を更に強化するとともに、暴走族を許さない社会環境作りを目指して現在進められている地域ぐるみの対策を一層推進することとしている。その際、暴走族問題を少年非行対策の中心的課題としてとらえ、的確にこれに対処するとともに、暴走族と校内粗暴集団、暴走族と暴力団との関連を断ち切る措置が必要である。さらに、家庭、学校、社会の在り方を含め、青少年対策の全般にわたり、暴走族をなくすための総合的施策を推進していかなければならない。
(2) 校内暴力等少年非行の防止対策の推進
 少年非行の低年齢化、一般化傾向に対処するためには、少年が非行に染まり始める中学初期の段階で、これを芽のうちに摘み取るように努めなければならない。このため警察では、学校、教育委員会との連携を一層強化し、校内暴力をはじめとする生徒非行の防止対策の推進を図るほか、番長グループ等校内粗暴集団の解体とこれら集団の背後から悪影響を与えている暴走族等校外粗暴集団との関連の切断を図ることとしている。また、悪質な校内暴力事件が発生した場合には、学校、保護者等と協力の上、関係生徒に対し適切な補導を行うとともに、地域ぐるみで事後の指導を行う必要がある。
(3) 覚せい剤事犯対策の推進
 覚せい剤事犯の増加に対処するため、捜査体制の整備、税関等関係取締り機関との連携強化、国際協力の緊密化等に努め、覚せい剤密輸、密売組織の壊滅に向けて強力な組織捜査を推進していくこととしている。また、国民一人一人が覚せい剤は非常に有害なものであるということを認識することが重要である。そのため、関係機関、団体と協力して広報活動を展関し、覚せい剤等の乱用を拒絶する社会環境を作っていくとともに、中毒者対策を強力に促進していかなければならない。
(4) くるま社会における交通秩序の確立
 増加した交通事故死者数の減少等を目指し、昭和56年から始まる第三次交通安全施設整備五箇年計画に基づき、交通管制センターの整備等交通安全施設の充実を図るとともに、効果的な講習の実施等運転者教育を充実するなど、きめ細かな運転者行政の推進を図ることとしている。また、歩行者や自転車利用者に対する保護誘導活動を強力に推進する一方、暴走行為、酒酔い運転等の悪質かつ危険な違反の重点的取締り、過積載運転等における使用者等の背後責任の追及を強化することとしている。
(5) 刑事警察強化のための対策の推進
 社会構造の変ぼうを背景として、社会的公正の確保を求める国民の期待が一段と大きくなっている一方、捜査を取り巻く環境の悪化、犯罪の質的変化、新型犯罪の出現等により捜査活動はますます困難になりつつある。このような状況に対処するため、重要知能犯罪捜査力、広域犯罪捜査力、科学捜査力を強化し、優れた捜査官の育成と指揮能力を向上させることを柱とした「刑事警察強化総合対策要綱」を作成した。この要綱は今後の刑事警察の基本方針を定めたものであり、これに盛られた内容を着実に推進することとしている。
(6) 広域暴力団に対する集中取締りの展開
 広域化、系列化が進む暴力団情勢に対応し、暴力団取締りをより効果的に推進するためには、悪性の強い大規模広域暴力団に的を絞り、構成員を大量に検挙し、社会から隔離するとともに、住民と一体となって暴力団の資金活動の基盤を崩す施策を強力に推進してその組織を弱め、これを解体していくことが必要である。このため、全国的に捜査力を集中すべき目標を明らかにし、全国警察が広域連携集中取締りを更に効果的に展開するなどして壊滅を図ることとしている。
(7) 極左暴力集団による違法事案の未然防止と徹底検挙の推進
 極左暴力集団による内ゲバ殺人、爆弾事件等悪質な「テロ」事件や、空港施設、警察施設等に対する襲撃事件等、悪質な「ゲリラ」事件の未然防止を図るため、極左暴力集団の動向を的確には握し、適切な警戒措置をとるよう努めるとともに、事件が発生した場合には徹底した捜査を進め、その根絶を図ることとしている。
(8) スパイ活動の実態は握と検挙の推進
 スパイ活動は、国家機関が介在して組織的、計画的に行われ、本来極めて潜在性の強いものであるので、視察体制と資器材を整備し、スパイの実態は握に努めるとともに、現行法令を積極的に活用してその検挙を推進することとしている。


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