第2章 白い粉との戦い

 覚せい剤等の中毒性薬物は、人の心や身体を虜にし、むしばむだけでなく、家庭を崩壊させ社会に害悪を及ぼすと、ころにその恐ろしさの本質がある。
-覚せい剤乱用者の家族の手記-
 私の家族は、父(40)建材業、母(38)と私の3人家族です。父は人一倍働き、数年前には、私達が住む村では一番といわれる家を建て、私も高校から大学に行かせてくれました。父は、小さくても社長と名が付くようになり、元来、明朗でお人よしの性格もあって、父の下で働く人達が毎夜のように私達の家に遊びに来ました。笑いのない日はない、本当に楽しい生活でした。
 ところが、健康だった父が、顔色は悪くなり、やせてきました。仕事が終わると伝書ばとのように真っすぐ家に帰ってきた父が、夜は11時、12時になっても家に帰らず、夕食は母と私の2人で食べる日が続いたのです。大きな家の中には母と私だけで、なんとなく母も元気がなくなってきました。このようなことが半年も続いたでしようか、父は仕事のお金も家に入れなくなり、家に帰ってきても何かそわそわしたり、原因もないのに大声を出し、海外旅行で買ってきた置物まで投げて壊したり、私の髪の毛をつかんで部屋中を振り回すようになったのです。あの父が、こんなことを、私は目の前にいる父は人間ではない、父ではない、何が何が父をこんな動物に、と父の姿を見て哀れにさえ思いました。こんなことが続いているうちに、父は警察に捕まりました。父は覚せい剤という薬に侵されていたのでした。

女子短大生(19)

 中毒性薬物は、銃器と並んで社会の平穏を脅かす重大な要因である。主な犯罪の約6割が中毒性薬物の乱用者によって犯されているアメリカを筆頭に、欧米諸国は深刻な薬物禍に見舞われ、治安上の重大な問題となってきている。我が国は、優れた治安を維持している有数の国であるが、中毒性薬物犯罪だけは根強く増加傾向を続けており、いわゆる先進国型の病理現象が現れ始めている。国民と共に、この薬物禍と対決し、これを撲滅することが我々の戦いの課題である。

1 中毒性薬物の恐ろしさ

(1) 中毒性薬物とは何か
 昭和43年、世界保健機構(WHO)の専門委員会は、いわゆる中毒性薬物について「依存性薬物」という用語を用いることを決定した。そして、「依存」とは、「生体と薬物との相互作用の結果生じた精神的、ときには身体的なものをも含む状態であって、その薬物の効果が欲しいため、又はその薬物がない時に生じる苦痛を避けるために、その薬物を継続的又は周期的に摂取したいという強迫的な欲求が起こり、そのために特異な行動や反応を示すようになること」と定義付けられた。47年に同委員会は、このような薬物として8種類を挙げており、その作用等は表2-1のとおりである。
 薬物による依存は、まず、精神的依存が形成され、次いで、薬物の種類によっては、身体的依存が現れる。表2-1に掲げる8種類の薬物は、すべて

表2-1 中毒性薬物の作用等

精神的依存をもたらすが、特に、アヘン型、コカイン型及び覚せい剤型は、強くかつ速い。身体的依存を顕著に発現させるものは、アヘン型及びバルビタール型である。
 また、薬物の種類によっては、反復摂取の過程で耐性を生じさせる。耐性とは、同じ種類の薬物を反復して摂取していると、同量では最初に摂取したときのような効果が現れなくなり、同じ効果をもたらすためには、摂取量を増加しなければならなくなる現象をいい、アヘン型、バルビタール型、覚せい剤型及び幻覚剤型に顕著である。
 中毒性薬物の特徴は、この依存性と耐性にある。すなわち、依存性のゆえに人々はその摂取をやめることができず、また耐性のゆえに更に多量の薬物を求めるのである。
 モルヒネやヘロインの原料であるけし汁やアヘンがいつごろから使用されるようになったかは明確でないが、既に紀元前5000~3000年ころから、中近東や東部地中海沿岸等の地域で鎮痛薬等として用いられたと推測される。紀元前16世紀ころのエジプトの医学書「ニーベルス・パピルス」にもこれらの鎮痛作用が記されており、また、紀元前13世紀ころのギリシャの遺跡にも、けしからアヘンを採取していた事実をうかがわせるものがある。これ以降、アヘンの使用区域は、ペルシャ、インド、中国等に漸次広まっていった。当時、アヘンは医療用及び宗教、占術用として、更には快楽を得るためにも用いられたが、アヘンの使用によって生ずる害が認識されたのは、かなり後のことである。すなわち、1821年にイギリスで刊行された「アヘン吸飲者の告白」によってアヘンの害が初めて人々に印象付けられ、また、中国におけるアヘン戦争後の19世紀後半に入ってから、アヘンの反復皮下注射は慢性的中毒症状を生じさせることが警告された。その後、同様の報告が相次いで現れアヘンによる慢性中毒が世の注目を集めるようになった。今日的意味におけるアヘン型薬物の乱用は、中国においては19世紀の初期ころから、アメリカにおいては南北戦争のころから、また、ヨーロッパの一部では第一次世界大戦のころから始まっている。
 大麻の起源も極めて古く、紀元前200年ころのインドの宗教書「アタルヴァ・ヴェーダ」には、大麻草が「神聖な植物」であるとの記載がなされている。また、紀元前500年ころにイランで編さんされたゾロアスター教典「ゼンド・アヴェスタ」にも大麻草の樹脂や花穂のことが述べられているほか、ギリシャのヘロドトスの著書にも「カスピ海の野蛮なスキタイ人は、赤熱した石の上で大麻草の葉をあぶり、その蒸気に浴し歓喜に酔いしれていた。」と記されているなど、中央アジアからイランにかけての地域で大麻の麻酔作用が知られていたことをうかがわせる。大麻は、まずこの地域で使用が始まり、インド、エジプト、北アフリカ、ヨーロッパ等に広まっていったとみられる。大麻型薬物も宗教、占術用に用いられたほか、快楽を得る目的にも使用されたが、今日的意味における乱用は、20世紀に入ってヨーロッパやアメリカで始まっている。なお、現在までに、大麻の有害成分としては、テトラヒドロカンナビノールが確認されている。

 コカイン型薬物の原料であるコカの原産地は、南米の西部地域である。この地方に住むインディオは、インカ帝国の時代からコカの葉が麻酔作用を有することを知り、外科医学に応用したほか、貴族の間ではコカの葉のそしゃくが宗教的意義を有していたとみられる。その後、コカの葉をそしゃくする風習は一般化し、現在でも南米の多くの国でこの風習が残っている。16世紀にはスペイン人によりヨーロッパに伝えられたが、ヨーロッパ等でコカイン型薬物の使用が一般化したのは、1860年にドイツでコカからアルカロイド(コカイン)の純粋抽出に成功した後のことである。第一次世界大戦中にはヨーロッパでコカイン常用者が増大し、以降、各国で取締りの対象となるに至っている。
 アンフェタミンは1887年にドイツで、メタアンフェタミン(現在我が国で乱用されている覚せい剤)は1893年に我が国で初めて合成され、1930年前後に、それぞれ中枢刺激作用を有することが発見された。1938年には、覚せい剤の連用は慢性中毒をもたらすことが指摘されたが、当時既に精神医学等に有用な薬物として各国で用いられており、各国とも実効的な規制は存在しない状況であった。このため、アメリカやヨーロッパの一部では1940年ころから乱用され始めており、第二次世界大戦後には、これらの国や我が国において流行をみせた。
 強力な幻覚剤であるLSDは、1938年に初めて合成され、1943年には幻覚発現作用を有することが発見された。1960年代には「ヒッピー」の出現や「サイケデリック」と呼ばれる風潮の高まりとともに、好んで乱用されるようになった。
(2) 覚せい剤型薬物の特徴
ア 覚せい剤の作用
 健康な成人が覚せい剤数ミリグラムを摂取すると、ヘロイン等と異なり中枢神経が刺激されて、疲労感が消え、気分そう快となり、自信が増し、陶酔感を覚えるようになる。また、快感を再度味わうため、又は薬効消失後の疲労感やけん怠感を取り除くため、再び覚せい剤を摂取したいという強い欲求がわく。すなわち、精神的依存が速やかに、しかも強く現れる。さらに、耐性も生じやすく、初期の10~30倍の量を摂取しないと薬効を感じなくなることが多い。特に、静脈注射によって摂取している場合は、注射後にもたらされる快感は速やかで強烈であるが薬効の消失も遠いため、精神的依存や耐性は経口摂取の場合よりも強く速やかに生じる。身体的依存はなく、禁断症状もないとされるが、薬効の消失後は、不快感、疲労感のほか、頭痛、意欲減退等がみられる。

 また、覚せい剤は、精神障害を生じさせ、しかもそれが極めて長い期間続くことがあるほか、覚せい剤の摂取をやめた後も、再現症状(フラッシュ・バック)が生じることがあるなど、ヘロインにない危険性がある。
 昭和20年代の「ヒロポン時代」の乱用者についてみると、乱用をやめてから十数年を経ても、なお精神障害に悩む者の例が多い。
 22年から32年の間に、東京都内のA病院に入院した覚せい剤中毒者は146人に上る。このうち、34年8月に引き続き入院中の者は23人で、覚せい剤摂取中止後平均6年10箇月を経ていたが、うち15人はなお再現症状を示していた。また、38年5月における入院患者は17人で、覚せい剤摂取中止後平均12年2箇月を経ていたが、うち11人は閉鎖病棟に収容され、5人は作業にも従事できない状態であった。
イ 乱用者の判別法
 日常の捜査活動等の経験からみた覚せい剤乱用者にしばしば現れる身体面及び行動面での特徴は、次のとおりである。
(ア) 身体面
 覚せい剤乱用者の腕や足等の血管には無数の注射こんができ、顔色は青白く、ほおがこげ、やせてくる。胃や肝臓等が悪くなり、歯が抜けてくることも多い。また、眼球に生気がなく、黄色く見えるが、ヘロイン等の場合にはひとみが小さくなるのに対し、覚せい剤ではひとみが大きく開くことが特徴である。

(イ) 行動面
 覚せい剤乱用者の金遣いは極端に荒く、金策に無理をする場合が多い。隠しごとが多くなり、夜遊びが激しくなる。また、夏場には長そでや包帯で腕の注射こんを隠すこともある。よくつばを吐き、水分をよく取り、よくしゃべる。必要以上にキョロキョロして、態度に落ち着きがなく、薬が切れると不安、焦燥感にかられ、いらいらしてくる。さらに、症状がひどくなると、天井や壁のしみが人の顔に見える、毛虫やへびが部屋の中をはい回っている、警察に追われている、殺されかけているなどの幻覚やもう想により、発作的に半狂乱になり、凶悪粗暴な行動を起こすことがある。
(3) 海外における状況
 最近の世界における薬物乱用の状況をみると、全般的に悪化の情勢にあ

表2-2 主要国の薬物押収状況(1977、1978年)

る。薬物の種類では、アヘン及びモルヒネは横ばいないし若干の減少をみているが、他はすべて大幅に増加している。最も大幅に増加しているのは覚せい剤型、幻覚剤型及びバルビタ-ル型の薬物であり、次いで大麻樹脂及び液体大麻、コカイン、ヘロインの順となっている。特に、乱用薬物の多様化が顕著であるが、同時に、これらが複合的に乱用されるようになっており、それらの間に互換性が認められるのが、近年の世界における特徴的傾向である。また、青少年のシンナー等の吸入は、従来薬物乱用の少なかったアフリカを含む世界の全地域で例が見られるようになっている。
 1977年及び1978年の主要国における薬物押収状況は、表2-2のとおりである。
 また、主要国における薬物乱用の状況は、国連資料及びそれぞれの国の政府公刊資料等によれば、おおむね次のとおりである。
ア アメリカ
 アメリカにおける薬物乱用は、南北戦争を契機として1860年代から始まったが、これ以降、繰り返し発生している。第二次世界大戦直後は、イタリア、中国等からの麻薬の流入により青少年を中心にその乱用が広がり、1952年の戦後最初のピーク時には2万3,000人以上が検挙された。その後乱用はほぼ横ばいの状況であったが、1960年における推定中毒者は約10万人といわれ、既に欧米諸国中第1位であった。1960年代には乱用が再び増加し、1960年代末には薬物乱用者は約1,500万人といわれるほどになった。このため、

図2-1 アメリカにおける犯罪と薬物乱用者との関係

1970年に総合的薬物規制法が制定され、また、1973年にはすべての薬物取締り関係機関を司法省の麻薬取締局に統合し、取締りの強化を図った。
 現在、アメリカにおけるヘロイン、コカイン、覚せい剤等の乱用経験者は約1,000万人、大麻の経験者は約4,500万人と推定され、また、特に最近、ロスアンゼルス等において、フェンサイクリジン(PCP)の乱用が急増している。このような状況の下で、取締り当局は大半の勢力を大量密輸密売人の検挙に専従させた結果、末端の一般乱用者には目をつぶることになり、一部の州ではマリファナ所持の非犯罪化(行政罰化)にまで後退してしまうなど、最も憂うべき状態にある。
 アメリカにおける犯罪と薬物乱用者との関係は、図2-1のとおりで、全犯罪者の約60%が薬物常用者(約25%)及び薬物経験者(約35%)によって占められると推定されている。
イ 西ドイツ
 西ドイツにおいては、第二次世界大戦後、まず覚せい剤の乱用が現れ、次いで1950年ころから鎮痛剤や睡眠薬の乱用が現れたが、全般的には深刻な事態には至らなかった。しかし、1960年代に入ると、マリファナ、大麻樹脂、コカイン等が若年層や都市の中流層に広まった。更に1970年代には、西ドイツを含む西ヨーロッパにヘロインが急速にまん延し、1976年には西ヨーロッパのヘロイン押収量は約700kgとなり、アメリカの約500kgを上回った。現在、西ヨーロッパで最も大量に乱用されている薬物はヘロインと大麻であるが、西ドイツはこれらの薬物の西ヨーロッパ最大の消費国になっている。また、確認された西ドイツのヘロイン中毒者は約3万5,000人であるが、推定では5万人を超えている。1977年にはヘロインの過量注射により約400人の死亡が報告されたが、これは西ヨーロッパにおける全報告数の約半数に上る。
ウ イギリス
 イギリスでは、第二次世界大戦以前には薬物乱用はほとんど存在せず、また、戦後間もなく覚せい剤の一種であるアンフェタミンの乱用が一部で見ら れたが、これも大きな問題とはならなかった。しかし、1960年代になると、コカイン、大麻、ヘロイン等の乱用が大都市地域に広まり始め、1960年代の終わりにはメタアンフェタミンの乱用も現れた結果、1970年には1,974人の中毒患者が報告された。この後、薬物乱用の波は徐々にイギリスを覆い始め、1960年代には毎年約2,000人であった薬物事犯による検挙者は、1971年には約5,000人、1978年には約1万3,000人に達した。イギリスは、薬物乱用対策の最も優れた国として称賛を受けた国の一つであったが、最近は、ヘロイン、コカイン、大麻、覚せい剤、睡眠薬等の複合的乱用が増加しており、その乱用者の階層も広まってきている。さらに、少年の間にはシンナー等の吸入の風潮もみられる。
エ フランス
 フランスにおいても、1960年代に薬物の乱用が広がり始めたが、特にこの10年間に検挙件数は約10倍の増加を示し、1979年には、薬物事犯によって約1万人が検挙されている。このうち大麻事犯が最も多く約5,000人が検挙され、押収量は約5トンに上っている。次いで、ヘロイン等のアヘン型薬物事犯で約2,700人が検挙され、約150kgが押収された。更にLSD等の幻覚剤、コカインの順となっている。
 また、薬物の過量摂取による死亡件数は、1969年には1件であったものが、1979年には100件を超えるようになり、薬局への侵入事犯等も約1,300件に上るなど薬物の入手を目的とした犯罪も多発している。
 検挙人員の約85%は25歳未満の青少年によって占められており、また、乱用は大都市から国内全域に拡大しつつある。最近、マルセイコ郊外でのヘロイン密造事件も摘発されており、「フレンチコネクション」の復活も心配される状況にある。
オ スウェーデン
 スウェーデンにおいては、1960年代後半をピークとして覚せい剤の乱用がみられ、大きな社会問題となったが、薬物の乱用が覚せい剤を中心に広まったことは他の欧米諸国に例がなく、我が国に類似している点が注目される。
 既に1940年代には覚せい剤の錠剤が出回っていたが、当時は規制が十分でなく、一般の国民もその有害性を知らすに使用していた状況にあった。1959年には覚せい剤が麻薬と同様の法規制下に置かれ、官民一体となった対策が始められたが、これにもかかわらず、1960年代中ごろには注射による覚せい剤の一種であるフェンメトラジンの乱用が本格化し、1969年の推定乱用者は約1万人を数えた。このような状況に直面して、政府は、試行錯誤の後、取締り体制の強化や捜査手法の改善等の措置を講じた結果、この乱用は数年のうちに収まった。
 しかし、1973年ころから覚せい剤に代わってヘロインの乱用が始まり、現在は他の西ヨーロッパ諸国と同様、深刻なヘロイン問題に直面してし、る。1977年の推定では、ストックホルム地域の約1,000人を中心に、約2,000の人のヘロイン中毒者がいるとみられている。

2 我が国における乱用の状況

(1) 我が国における中毒性薬物の歴史
 アヘンの原料であるけしは、室町時代に我が国に伝えられたとみられ、江戸時代中ごろから医療用に使用されたが、当時はこれに対する取締りが極めて厳重であり、かつ違反者に対しては死刑をもって臨んだので、アヘンの乱用は生じなかった。当時の鎖国政策も、麻薬の乱用を抑止した一因であったと考えられる。
 明治政府は、アヘン戦争の教訓もあり、当初からアヘンの不正使用、不正取引について断固とした態度で臨み、厳罰主義を採った。これらを背景として、アヘンの吸煙は罪悪であり、国家の衰退につながるとの観念が国民の間に定着したが、これが終戦まで我が国に麻薬の悪習をもたらさなかった原因の一つと考えられる。
 麻薬の取締り法令は、国際条約との関連においてたびたび改正されているが、図2-2のとおり昭和5年ころまで麻薬事犯の検挙人員は年間100人程度にとどまった。10年ころには年間600人程度まで検挙人員が増加したが、

図2-2 麻薬事犯検挙人員の推移(1900~1979年)

戦時体制に入るに従い検挙は減少し、20年の終戦を迎えた。
 大麻については、1,000年以上も前から栽培されていたが、我が国で産する大麻草はカンナビノイドの含有率が低いこともあり、また、インド大麻草については、昭和5年の「麻薬取締規則」により規制されたため、終戦まで大麻乱用者はほぼ皆無といえる状況であった。
(2) 戦後の薬物乱用
 戦後の我が国の薬物乱用状況は、図2-3のとおりで、昭和20年代には覚せい剤(いわゆるヒロポン)の乱用、30年代にはヘロイン及び青少年を中心とする睡眠薬の乱用を経験してきたが、40年代以降はシンナー、大麻等の乱用とともに、戦後第2の覚せい剤乱用時代を迎えている。
ア 「ヒロポン」の乱用
 我が国で初めて薬物乱用が社会問題化したのは、終戦直後から昭和31年にかけて流行した「ヒロポン」等の覚せい剤の乱用であった。戦時中は、兵士や工員の士気高揚を目的として大量の覚せい剤が製造され、これが戦後における流行の契機になったといわれる。終戦直後は、夜間労働者、復員軍人、

図2-3 薬物事犯検挙(補導)人員の推移(昭和25~54年)

学生、芸能人、文筆家等が「ヒロポン」等を乱用し、また、これらの情勢に乗じて「除倦剤」等の名称で覚せい剤を製造、販売する業者が続出するようになり、覚せい剤禍が現れた。
 覚せい剤乱用の取締りは、まず薬事法によって行われたが、その規制は、製造業者や販売業者を主たる対象とするものであり、末端における所持や使用は規制の対象とならないなどの多くの不備があったため、乱用者の増加傾向が続いた。そこで、26年に覚せい剤取締法が制定され、覚せい剤の輸入、製造、譲渡、譲受、所持、使用等一連の行為が原則として禁止され、全面的な取締りが行われることとなった。
 しかし、法規制の結果、覚せい剤の生産及び流通は在日朝鮮人や暴力団の手により非合法に行われるようになる一方、当時の経済復興に伴い増加した土木作業員や工員等を新たな需要者として組織的な密売が続けられたため、乱用者は増加した。また、28年ころから覚せい剤中毒に起因する犯罪が目立ち始め、覚せい剤禍は深刻の度を増した。ピーク時の29年には、検挙人員は5万5,664人に上り、潜在的乱用者は約55万人、中毒による精神障害者は約20万人、使用経験者は約200万人と推測された。
 このように、覚せい剤取締法による規制のみでは覚せい剤問題の禍根を断てないことが明らかとなったため、29年には罰則が強化されると同時に、中毒者の強制入院制度が実施された。さらに、30年には、再び罰則を強化するとともに、エフェドリン等の覚せい剤原料に法規制を加え、不正供給源となっていた国内の密造工場を壊滅するなど、国民の広範な協力の下に強力な取締りを行った結果、ついに32年ころから覚せい剤の乱用は鎮静化した。
イ ヘロインの乱用
 我が国における第2の薬物乱用は、昭和30年代の始めから発生したヘロインの流行である。麻薬の乱用は、一部では終戦直後から見られたが、32年ころから急速な拡大が始まった。
 すなわち、このころには「ヒロポン」の流行が終わりを迎え、また、売春防止法が制定されるに伴い、暴力団が新たな資金源としてヘロインに手を出し始めたことや、かつての「ヒロポン」の乱用者がヘロインの使用へと移行したため、にわかにヘロインの需要が増加したのである。この後間もなく、中国人等のブローカーが国際的な麻薬密輸ルートを通じてヘロインを持ち込み、それを暴力団が国内で密売するという図式が形成され、横浜、神戸等の港や基地周辺では、半ば公然と密売所が経営され、中毒者がたむろするようになった。
 そこで、38年に罰則の強化がなされ、併せて麻薬中毒者の強制入院制度が実施された。また、同時に国民のなかからもヘロイン乱用を根絶しようとする活発な動きが現れた結果、翌39年ころには鎮静化した。
ウ 「ハイミナール」等の乱用
 昭和3年代の後半に入ると、「ハイミナール」等の睡眠薬や鎮静剤の乱用(いわゆる睡眠薬遊び)が発生した。「ヒロポン」やヘロインが主として成人によって乱用されたのに対し、この乱用は、主として少年により、入手の容易な市販の薬物を用いて行われたところに特色がある。「睡眠薬遊び」が注目され始めたのは35年ころからであり、この後約1年の間にこの風潮が次第に広まり、睡眠薬を飲んで理性を失った少年が強盗や傷害等を犯したり不純異性交遊にふけるなどの憂慮すべき状況が現れ、ピーク時の38年には警視庁だけでも約2,000人の少年が補導された。
 睡眠薬は、その一部が薬事法の規定により劇薬や要指示医薬品に指定されていたが、「ハイミナール」等乱用されていたもののほとんどは一般医薬品であった。そこで、38年6月には、従来市販されていた睡眠薬のほとんどが劇薬に指定され、その結果、この流行は収まった。
エ シンナー等の乱用
 シンナー等の乱用は、「睡眠薬遊び」が下火になっていた昭和42年ころから現れ始め、同年早くもこれにより精神障害に陥った事例や、これが原因となって非行を犯した事例が多数発生した。また、同年6月には広島県で高校生ら5人の少年がシンナーを乱用して一度に死亡するという事案が発生し、シンナー等の乱用がにわかに社会問題化した。その後、シンナー等の乱用は急速な勢いで広まり、補導された少年は、42年は2,507人であったのに対し、翌43年には2万812人にも上った。
 シンナー等乱用少年の補導人員の推移は、図2-3に示したとおりで、47年8月に毒物及び劇物取締法の一部が改正され、シンナー等の乱用行為や販売行為が規制されたため、翌48年には補導人員が大幅に減少した。しかし、その後は再び増加傾向にある。
(3) 第2の覚せい剤乱用時代
ア 急増の背景
 過去20年間における覚せい剤等の薬物事犯の総検挙人員の推移を、他の特別法犯及び全刑法犯の検挙人員の推移と比較すると、図2-4のとおりで、昭和44年ころまではいずれも若干の減少傾向を示していたが、45年ころから覚せい剤事犯を中心に薬物事犯のみが急増している。
 急増の背景としては、第1に、ヘロインの乱用期に検挙された密輸、密売人や暴力団に対する第1次頂上作戦(39、40年)で検挙された暴力団幹部等が出獄し、新たな資金源を求めて覚せい剤に注目し始めると同時に、韓国や日本国内における密造が始まり、国際的なグループによる大量の密輸入事件(注)にみられるような国際的な不正供給活動も活発化したことが挙げられる。
 一方、国民の側においても、「昭和元禄」、「レジャーブーム」等経済成長に伴う独特の風潮が広がるとともに、伝統的な規範意識に変化が現れ、また、享楽的風潮の高まりともあいまって、ソープランドやモーテルの乱立にみられるように性風俗も大きく変わり、覚せい剤等を安易に試みようとする人々が増えたとみられることなどが挙げられよう。
(注) 同グループは45年6月ころ、台湾から日本への覚せい剤の密輸入により暴利

図2-4 薬物事犯検挙人員と他の犯罪による検挙人員との比較(昭和35~54年)

が得られたため、本格的に香港に密輸拠点を設け、46年11月から48年4月の間に約280kgの覚せい剤を、香港経由でスイスから密輸入していたもので、48年に大阪府警に検挙された。
イ 一貫した増加
 過去10年間の覚せい剤事犯による検挙状況は、図2-5のとおりで、昭和49年に若干減少したのを除き一貫して増加を続けており、54年には、検挙件数、検挙人員、押収量は、前年に比べそれぞれ6.0%、3.1%、19.7%増加し、この10年間の延べ検挙人員は9万人を上回った。
 また、図2-6に示すように、当初は西日本を中心とした地域的現象にすぎなかった覚せい剤乱用が、最近は全都道府県に広がった。54年には18道県において「ヒロポン時代」を上回る史上最高の検挙件数を記録している。
 この結果、最近では、我が国におけるすべての懲役判決のなかで、覚せい剤事犯によるものが第2位を占めており、53年には窃盗の約1万6,000件に次いで約1万2,000件に上っている。
ウ 潜在する乱用者
 覚せい剤の乱用はひそかに行われているため、長期間の乱用により中毒となり、その結果、凶悪犯罪等を発生させて初めてその乱用が発覚する事例も多い。年間の検挙人員は、乱用者の氷山の一角にすぎず、現在少なくとも数十万人の潜在的乱用者がいるものと推定されている。また、最近の年間密輸入総量は、約2トンから3トンに上るとみられているが、これは約30万人が毎日1回1年間使用できる量である。
 昭和50年7月に内閣総理大臣官房広報室が行った「覚せい剤に関する世論調査」によれば、成人2,151人中、覚せい剤を見たことがある者8.2%、覚せい剤の乱用を誘われたことがある者2.4%、乱用したことがある者0.8%となっている。
 これを基準とすれば、成人人口を約8,000万人として、覚せい剤を見たことのある者が約600万人、乱用を誘われたことのある者が約200万人、そして乱用したことのある者が約60万人と推定できる。
(4) 覚せい剤乱用の現状
ア 年齢別状況
(ア) 概況

図2-5 覚せい剤事犯検挙状況(昭和45~54年)

図2-6 覚せい剤取締法違反検挙人員の状況(昭和44、54年)

図2-7 薬物事犯検挙人員年齢層別構成比(昭和54年)

 昭和54年の覚せい剤事犯等の年齢層別検挙状況は、図2-7のとおりで、覚せい剤事犯では、30代前半を中心に20代から40代前半までが多くなっている。シンナーが10代、大麻が20代前半に多いのに対し、覚せい剤の場合には年齢が高いことが特徴である。これは覚せい剤の末端価格が極めて高く、青少年には容易に入手し難いためである。
(イ) 少年の乱用状況
 最近の少年事犯の検挙補導状況をみると、覚せい剤事犯のみが急増し、昭和49年は128人であったものが、5年間で10倍以上となり、54年には覚せい剤事犯全体の9.1%に当たる1,663人に上った。「ヒロポン時代」の26年の覚せい剤事犯による検挙人員1万7,528人中少年が4,489人(25.6%)と高率を占めていたことを考えると、今後の動向が極めて憂慮される状況にある。
 特に最近、シンナー等を乱用する少年が、より強い刺激を求めて覚せい剤等の乱用に移行する傾向がみられ、覚せい剤乱用少年のうち、シンナー等の乱用歴を有するものは男子少年では7割以上、女子少年では5割以上に上っている。また、覚せい剤乱用少年のうち、特に女子少年については、その過半数が家出中に初めて覚せい剤に接しており、シンナー等の乱用や家出は覚せい剤乱用への入口となっている。
〔事例1〕 高校生を含む少年8人のグループは、「覚せい剤を注射すると髪の毛が逆立つほどすっきりする」などと暴力団員から勧められ、約1年間にわたって乱用を続け中毒になった。うち1人は、交通事故で死亡した実兄の保険金約200万円を親に無断で銀行から下ろし、覚せい剤購入代金に充てていた(京都)。
〔事例2〕 女子高校生らを含む9人のシンナー乱用グループは、シンナーのみでは飽き足らず、元暴走族幹部(26)を通じて暴力団員から覚せい剤を入手し、昼夜の別なくモーテル等で乱用し、不純異性交遊にふけっていた(千葉)。
イ 職業別状況
(ア) 概況
 暴力団員を除いた覚せい剤事犯検挙者の職業別状況は、図2-8のとおりである。有職者の中では、土木、建築等の肉体労働に従事する者が最も多く、次いで飲食店等の接客業関係者、小規模の自営業者の順となっている。また、最近では、主婦の増加が目立っている。

図2-8 覚せい剤事犯検挙者(暴力団員を除く。)の職業別状況(昭和54年)

(イ) 職業運転者
 覚せい剤乱用者が車両を運転すると、幻覚等のために死亡事故等重大な事故を発生させるおそれが強い。昭和54年の覚せい剤事犯による検挙人員の約半数は運転免許保有者であったが、なかでも、トラック、タクシー

表2-3 職業運転者の覚せい剤事犯検挙状況(昭和53、54年)

等の職業運転者が表2-3のとおり多数検挙されていることが注目される。
〔事例〕 福岡市内の大手タクシー会社に勤務していた覚せい剤常習の運転者(35)は、職場の運転者相手に「眠気ざまし、疲労回復によい。」と覚せい剤を密売し、従業員約120人中約30人が、覚せい剤を更衣室や無線室等で仲間同士で乱用しながら運転業務に従事していた(福岡)。
 北海道警察、警視庁及び福岡県警察が54年に検挙した覚せい剤乱用者の使用動機についての調査によれば、図2-9のとおりで、職業運転者の場合は他に比べて「疲労回復」や「眠気さまし」を動機とする者が多い。また、その使用回数は、1日に3回以上を注射する者が16.9%に上り、しかも、警察に発覚するまでに1年以上も使用していたという者が約6割に上った。

図2-9 覚せい剤の使用動機(昭和54年)

ウ 覚せい剤乱用者の実態
 覚せい剤乱用者の属性、乱用のきっかけ、乱用後の生活の変化等について、科学警察研究所が、昭和48年8月に検挙された1,065人及び54年11月に検挙された2,334人に対して行った調査によれば、友人等に勧められて乱用を始め、購入のため多額の金を使い、家庭を崩壊させ、友人を失うなどの乱用者の実態が明らかとなっている。
(ア)乱用者の属性
a 学歴
 乱用者の学歴を昭和54年の調査でみると、高校卒業以上が17.3%、高校中退が19.1%、中学卒業以下が62.9%であるが、少年では高校中退の者が多く、男子の32.9%、女子の42.1%に上っている。
b 暴力団員以外の者の増加
 警察は、覚せい剤事犯の取締りに当たっては、暴力団員等の悪質な密輸、密売人にその重点を置いているが、検挙者中に占める暴力団員以外の者の割合が増加しつつあり、昭和48年には35.3%であったものが、54年には42.9%に上った。これは、暴力団員以外の者の密売人化が進んでいる結果とみられる。
c 他の薬物乱用経験
 覚せい剤乱用者の他の薬物の乱用経験の有無をみると、昭和48年には経験者が9.1%にすぎなかったが、54年には46.9%に上っている。54年の調査でみると、シンナー等の経験者が覚せい剤乱用者の22.8%を占めており、特に、少年の覚せい剤乱用者では、男子の72.1%、女子の50.9%がその経験を有している。また、「ヒロポン」については成人男子の7.8%、成人女子の1.2%が乱用経験を有している。
(イ) 乱用のきっかけ
a 初回使用時の状況
 乱用を始めたときの状況についてみると、表2-4のとおりで、成人男子の場合には、失業中又は仕事がうまくいかない状態のときと答えた者が66.9%に上る。また、女子少年の場合には、家出中であったと答えた者が49.1%と約半数を占めていることが注目される。
b 乱用を勧めた者
 覚せい剤の乱用を勧めた者について昭和54年の調査でみると、男子の場合には同性の友人が8割を超え、女子の場合には夫又は異性の友人が約7割となっている。

表2-4 初回使用時の状況(昭和54年)

 乱用を勧めた者は、暴力団員又は暴力団関係者が71.7%に上るが、少年の乱用者の場合には、男子の55.0%、女子の35.1%が暴力団に関係のない者から乱用を勧められている。
(ウ) 乱用の結果
a 精神及び身体への影響
 覚せい剤の精神及び身体への影響を昭和54年の調査でみると、頭がすっきりすると答えた者が86.0%、疲れや痛みがなくなると答えた者が75.3%に上っているが、同時に、体がやせた(65.5%)、頭がぼけた(37.1%)、幻覚が見える(27.9%)などの症状を訴える者も多いo
b 費消した金額
 乱用者が検挙されるまでに覚せい剤の購入代金として費消した金額を昭和54年の調査でみると、2,313人中、1,000万円以上と答えた者が47人(2.0%)、500万円~1,000万円が72人(3.1%)、100万円~500万円が348人(15.0%)、50万円~100万円が397人(17.2%)、10万円~500万円が537人(23.2%)に上っている。
c 購入資金源
 覚せい剤の購入資金の入手方法を昭和54年の調査でみると、図2-10のとおりで、覚せい剤の密売を資金源とする者がかなりの数に上っていることが注目される。

図2-10 購入資金の入手方法(昭和54年)

(エ) 生活の変化
 覚せい剤を乱用するようになった後の家庭生活、友人関係、職場等についてみると、表2-5のとおりで、友人を失ったり、離婚したり、財産をなくすなど、生活に破たんを来した者が多いことが注目される。

表2-5 乱用後の生活の変化(昭和54年)

(オ) 乱用をやめる意志
 警察に検挙された者が今後覚せい剤の乱用をやめる意志があるかどうかについてみると、表2-6のとおりで、絶対に乱用をやめると答える者は50%にも満たない。

表2-6 乱用をやめる意志(昭和54年)

(カ) 乱用をやめられない理由
 乱用をやめられないと答えた者について、その理由をみると、表2-7のとおりで、仲間がいるからと答えたものが約7割に上っており、交遊関係を断ち切ることの重要性を示している。

表2-7 乱用をやめられない理由(昭和54年)

(キ) 潜在的乱用者
 自分の覚せい剤仲間のうち、警察に捕まったことのない潜在的乱用者について何人知っているかを昭和54年の調査でみると、そのような者はいないと答えた者は3.1%にすぎなかった。
 潜在的乱用者を知っていると答えた者について、その人数を尋ねると、1~2人が19.9%、3~4人が20.6%、5~6人が30.4%、7~8人が15.5%、9~10人が9.1%であり、多数の潜在的乱用者の存在が推測される。
(5) その他の薬物乱用
ア 大麻、麻薬事犯
 過去10年間における大麻、麻薬事犯の検挙人員の推移は、図2-11のとおりである。また、最近5年間における大麻、麻薬等の種類別押収状況は、表2-8のとおりである。
 我が国における大麻吸煙は、昭和30年代の後半から外国人の大麻吸煙を模倣することにより始まった。音感が良くなるとの俗説を信じた一部の音楽関係者の間で乱用が広まったが、その後、大麻乱用の世界的風潮、海外旅行ブーム等を背景として次第に乱用が拡大し、現在は、特に青少年層を中心にマリファナパーティ-の形態で乱用されている。54年には大麻事犯で1,041人が検挙されたが、このうち800人(76.8%)は30歳未満の者であった。
 大麻は、海外から密輸入されたものが多かったが、最近は国内産のものも増加している。海外から密輸入された大麻は、主として東南アジアで生産されたものであるが、直接の持ち出し地は各国にわたっており、54年は、アメリカ41.2%、タイ14.5%、フィリピン10.5%、インド7.3%などとなっている。

 また、麻薬事犯の検挙は横ばいないし減少の傾向となっており、特に、ヘロインについては国内での乱用は少ない。
〔事例1〕 会社員(31)は、アメリカを旅行中に大麻吸煙を経験したこと

図2-11 大麻、麻薬事犯の検挙人員の推移(昭和45~54年)

表2-8 大麻、麻薬等の種類別押収量の状況(昭和50~54年)

から、病みつきとなり、帰国の際大麻の種子を持ち帰り、毎年自宅の庭で栽培し、自ら吸煙したほか、仲間に密売し、マリファナパーティーを開くなどしていた。この事件で、高校生、大学生を含む関連被疑者合計97人を検挙し、乾燥大麻10.3kg、大麻樹脂126g、アヘン30g、LSD15錠等を押収した(大阪)。
〔事例2〕 東京、横浜一帯において、米軍人、ファッションモデル、サーフィングループ等が、グァム島、フィリピン等から密輸入したLSD、大麻樹脂等を乱用していた事犯を解明し、国際的に有名なファッションモデル等186人を検挙するとともに、LSD67錠、乾燥大麻3.9kg、大麻樹脂415g、覚せい剤1.5kgを押収した(神奈川)。
イ シンナー等乱用事犯
(ア) 補導人員の状況
 昭和54年にシンナー等の乱用により補導された少年は4万433人で、前年に比べ818人(2.1%)増加した。これを学職別にみると、有職少年が38.4%を占め、次いで無職少年23.5%、高校生19.8%の順となっている。
〔事例〕 横浜市の上大岡地区を根城とする暴走族「音」のリーダー格の少年6人は、化学工場から約60lのトルエンを盗み出し、自ら乱用するほか、配下のグループ員、交友関係にある他の暴走族グループ員等約150人に密売していた(神奈川)。
(イ) 死亡事故
 シンナー等の乱用は、麻薬、覚せい剤や睡眠薬以上に死亡事故を生じやすく、初めて死亡事故が現れた昭和42年から54年末までの間に乱用死と自殺を併せて1,260人の死者が出ている。

表2-9 シンナー等の乱用による死者数(昭和42~54年)

 シンナー等の乱用による死者数の推移をみると、表2-9のとおりで、54年には59人にとどまり、前年に比べ53人(47.3%)減少した。
〔事例〕 高校生(16)ら3人は、窃取したシンナーを自宅で乱用中、3人とも急性中毒死した(北海道)。
(ウ) 販売事犯等
 昭和54年にシンナー等の販売、授与により検挙された者は1,903人で、前年に比べ171人(9.7%)増加した。このうち約3分の2は金物、雑貨店等の業者であるが、暴力団員が資金源として密売する例も多い。
〔事例〕 暴力団極東三浦連合極新会は、新宿駅東口周辺を中心に、青少年に対してシンナー、トルエンを密売してばく大な利益を得ていた。この事件で、暴力団員28人を含む183人を検挙し、約73.2lのシンナー等を押収し、同地域におけるシンナー等の密売及び乱用を一掃した(警視庁)。

3 覚せい剤をめぐる問題

(1) 薬理作用による事件、事故
 覚せい剤乱用者の増加に伴い、その薬理作用による殺人、交通事故等が多発し、社会問題化しつつある。昭和54年の覚せい剤の薬理作用による事件、事故の発生状況は、表2-10のとおりで、全国では平均して毎日約1.5件の発生をみている。
ア 凶悪な犯罪等の増加
 昭和54年は、薬理作用により凶悪な犯罪を犯す者が増加したが、特に殺人の増加が顕著である。また、逮捕、監禁も前年に比べ倍増している。
 これらの凶悪な犯罪を犯した覚せい剤乱用者111人についてみると、覚せい剤事犯による検挙歴のない者が74人(66.7%)を占めており、潜在的乱用者による凶悪な犯罪が多発の傾向にある。また、検挙歴はあっても、凶悪な犯罪の敢行時に、刑の執行猶予中であった者が9人、保釈中であった者が4人に上っている。薬理作用による犯罪の場合には、全く無関係の他人に理由もなく被害を与えるところに、その特徴がある。

表2-10 覚せい剤の薬理作用による事件、事故の発生状況(昭和53、54年)

〔事例1〕 飲食店経営者(38)は、覚せい剤の潜在的乱用者であったが、 自己の経営するドライブインの従業員(39)が店の売上金を盗んでいるとのもう想に陥り、いきなり調理場から牛刀を持ち出し、同人の顔、後頭部等をめった突きして殺害した(北海道)。
〔事例2〕 大工(30)は、覚せい剤中毒によりもう想に陥り、自宅近くを通行中の自動車整備工(20)に対し、「ちょっと来い。」と言って自宅に連れ込み、「貴様か、おれの部屋を荒らしたのは、白状せい。」と言いながら、こん棒で殴ったり、足げりするなどの暴行を加え、更にいやがる同人に無理やり覚せい剤を注射するなどして、約6時間にわたり監禁した(福岡)。
〔事例3〕 無職A(33)は、覚せい剤の薬理作用で幻覚を起こし、午前4時ころ近所の家の床下に潜り込み、6畳の間に寝ていた老婆の布団の下の床板をはずし畳を押し上げて侵入したため、老婆は布団から転げ落ち、驚いて大声で助けを求めた。Aは住居侵入の現行犯で逮捕された(岡山)。

イ 薬理作用による交通事故
 覚せい剤乱用の増加に伴い、その薬理作用に起因する交通事故も増加している。昭和54年にはこれにより23件の交通人身事故が発生した。
〔事例1〕 タクシー運転者(33)は、客を乗せて運転中、覚せい剤の薬理作用によるもう想に陥り、後部座席を振り返ったり、助手席へ片足を乗せて運転するなどした後、突然路上に飛び降りた。このため、車両は約10m暴走して街路樹に衝突し、乗客は負傷した(山梨)。
〔事例2〕 長距離トラック運転者(24)は、覚せい剤の打ち過ぎから運転中もう想に陥り、「透明人間が足や手にシャブ(覚せい剤)を打つ。助けてくれ。」と119番へ電話した(岡山)。
ウ 再現症状によるとみられる事件
 覚せい剤を長期間乱用すると、乱用をやめた後も後遺症として、飲酒、疲労等により、急に幻覚、もう想等を起こす再現症状(フラッシュ・バック)が生じるが、このためとみられる特異な事件が最近続発している。
〔事例1〕 無職A(36)は、自宅前を通行中の幼稚園児2人を、自宅に約10時間監禁した。Aは、昭和47年から52年にかけて覚せい剤乱用による検挙歴が3回あり、50年、52年に2回、精神病院に入院していた。しかし、逮捕時に行った尿鑑定は陰性で、注射こんもなかった。犯行の動機については、「自分でも分からない。暴力団に追われているようなもう想が出る。覚せい剤は現在使用していない。」と供述した。精神鑑定の結果、Aは心神喪失と判断され不起訴となった(香川)。
〔事例2〕 元喫茶店ウエイトレスA子(17)は、駅の地下街の婦人用トイレで、女性(25)をいきなり刺身包丁で刺し殺した。A子は、52年10月、覚せい剤乱用により検挙され乱用をやめたが、その後半年近くも幻覚症状を訴え、一時治まった後、53年夏再び幻覚症状を訴えたので医師の診断に基づき自宅療養をしていた。動機については、「だれでもいいから、人を刺せば刑務所へ入れると思ってやった。」と供述した。A子は心神喪失と判断され不起訴となり、医療少年院に収容された(大阪)。
(2) 購入代金欲しさの犯罪等
 いったん覚せい剤を乱用し始めると、再び乱用せずにはいられないという強い欲求が生じるため、家庭等を崩壊させてまでも財産を手当たり次第に購入費に充てるようになり、それが尽きると窃盗をしたり、強盗等の凶悪犯罪をも犯すようになるなど、覚せい剤の乱用は憂慮すべき事態を出現させている。
ア 覚せい剤入手目的犯罪
 昭和54年の覚せい剤の入手目的による犯罪の検挙状況は、表2-11のとおりで、刑法犯、特別法犯で505件、243人が検挙されている。前年と比べ窃盗の検挙件数は減少しているが、殺人、強盗、恐喝等の凶悪な方法によるものが増加している点が注目される。

表2-11 覚せい剤入手目的の犯罪の検挙状況(昭和53、54年)

〔事例1〕 無職A(41)は、覚せい剤購入代金欲しさから知人である独居女性(54)方を訪れ、借金を申し込んだが断られたため同女を絞殺し、指輪、テレビ等を強奪した(福岡)。
〔事例2〕 元ブロック工(45)は、覚せい剤を購入する金がなくなったため、かつての勤務先の土建業者からダイナマイト等の横流しを受け、ダイナマイト3本、雷管1箇及び導火線30cmと交換に覚せい剤0.2gを入手して使用を続けていた。覚せい剤密売人は、そのダイナマイト等を暴力団組長に売り渡していた(兵庫)。
イ 家庭崩壊
 覚せい剤の購入代金のことから家族に乱暴を加えたり、家族の全財産を覚せい剤のために費消してしまうなどのケースが多発している。これに伴い離婚する例も多く、なかには家庭内での殺人事件にまで至る例もみられる。
〔事例1〕 無職A(32)は、父親(72)に覚せい剤購入代金を強要し、兄弟の制止も聞かずに殴るけるの暴行を加えた。かねてから息子の暴力に悩んでいた父親は、長さ約1mの棒の先に柳刃包丁を縛りつけた凶器を持ち出し、実子の胸部を刺した(三重)。
〔事例2〕 看護婦(38)は、夫が覚せい剤を乱用し、その影響で家族に乱暴を働き、また、セックスの都度覚せい剤の使用を強要するなどしたことから、夫を殺す以外に家庭を守ることができないと思い、夫のすきをみて包丁で刺殺した(熊本)。
 特に、最近は生活保護費を覚せい剤購入のために費消したり、「サラ金」から雪だるまのように借金を重ねて一家夜逃げをしたりする例が多発している。
 北海道警察では、昭和53年1~9月に検挙した覚せい剤事犯被疑者1,098人について覚せい剤購入代金の実態調査を行った。その結果、被疑者16人が市町村から支給された生活保護費を覚せい剤購入代金に充てていたことが明らかとなった。なかには、妻と3男3女の8人家族の男が、約33箇月分の生活保護費約692万円のうち、約520万円を覚せい剤購入代金に充てていた例もみられた。また、覚せい剤の密売で利益を得る一方で、生活保護費を受給していた暴力団関係者が10人も発見された。
(3) 乱用の拡大
ア 乱用者の密売人への転化
 覚せい剤乱用者は、乱用を続けるうちに購入資金に窮してくるとその周囲にいる者を誘って初めは無料で覚せい剤を使用させるが、中毒になると密売顧客として代金を取るといった手段で、順次乱用者を自己増殖的に拡大させていく。
 密売人が新たな乱用者として誘い込む相手としては、従来、マージャン仲間やスナック、喫茶店、パチンコ店の従業員、客等がねらわれる例が多かったが、最近は職種を問わず、職場の仲間にまで乱用者を広げる事例も現れた。
〔事例1〕 消防署員が幼なじみの暴力団員から覚せい剤を買って乱用しているうちに病みつきとなり、職場で仲間の署員に覚せい剤の密売を始めた。検挙されたときには、8人の署員が勤務中に覚せい剤を乱用して、消防、救急業務に従事していた(茨城)。
〔事例2〕 新聞の拡販員(31)は、仙台市内で深夜まで購読者の拡張業務に従事していたが、覚せい剤を乱用していた同僚から「疲れを取るのに大変良い薬がある。」と勧められて試したのが病みつきとなり、給料を全部購入代金に費消するようになったため妻にも逃げられた。その後、多額の借金を負ったまま夜逃げをし、山形市内の新聞販売店に勤めながら拡販員同士で乱用を続けていた(山形)。
イ 家庭における広まり
 家族の1人が覚せい剤を乱用すると、家族全員に影響を与える。特に、主婦の場合には夫から無理に勧められて乱用を始め、やめられなくなるという例が多い。また、親が覚せい剤を乱用していたため、子供までが始めるというケースもある。
〔事例1〕 主婦(37)は、覚せい剤乱用者である夫(38)と小・中学生の子供と4人暮らしであったが、夫が覚せい剤仲間と自宅で乱用したため、自らも覚せい剤を乱用するようになった。夫婦で乱用した結果、購入代金に窮し、家具や子供が新聞配達をして買ったテープレコーダーまで売り払って購入代金に充てていた(福岡)。
〔事例2〕 覚せい剤を密売している暴力団組長を父とする中学生A(14)は、父親が冷蔵庫内に隠していた覚せい剤を好奇心から注射し、また、学校の同級生B(14)ら3人にも注射してやり、4人で乱用を続けていた。そのうちBは中毒になり、屋根の上を走り回って大声を上げていたところを発見された(和歌山)。
ウ 都市から地方へ
 覚せい剤の乱用が始まった昭和45年ころは、乱用は関東以西の都市部を中心にみられたにすぎなかったが、50年代になると急速に東北、北海道、沖縄にまで広がった。この原因の一つとして、出かせぎ労働者が東京等で乱用を勧められて病みつきになり、帰郷してから周囲に広げたことが考えられる。警視庁上野警察署による国鉄上野駅周辺での検挙状況をみると、54年には約400人に上り、警視庁の検挙総数の約14%を占めた。
 また、長距離トラックの運転者等が運転者仲間から覚せい剤の乱用を教えられて自らも密売人となり、各地に広げる事例も多い。
〔事例1〕 ダンプカー運転者(39)は五所川原市の建材会社に勤務していたが、降雪期に関東方面へ出かせぎに行き、仕事仲間に誘われるままに覚せい剤を覚え、帰郷してからは友人を誘って乱用を続けていた(青森)。
〔事例2〕 和歌山から東京、東北、北陸まで生鮮食料品を運搬する長距離トラックの運転者(31)は、暴力団員から覚せい剤を入手し、自ら乱用して運転を続けていたが、勤務先の同僚運転者29人にも「疲れが取れる。」といって密売していた(和歌山)。
(4) 甘い汁を吸う暴力団
ア うまみのある覚せい剤
 暴力団の資金源壊滅を目指した警察の厳しい取締りにより、暴力団は新しい資金源を求めて、金になることなら何にでも手を出すという傾向を強めた。なかでも覚せい剤の密売は、少量の取引でばく大な利益が得られる一方、組織性を要する犯罪であることから、犯罪を一種の職業とし、共同体的な組織性を有する暴力団にとって格好の資金源となっている。最近の暴力団の年間推定総収入は約1兆円であるが、このうち覚せい剤によるものは約4,600億円に上るとみられている。
 海外から持ち込まれた覚せい剤は、図2-12のとおり10段階以上の密売人を経て、全国各地の末端の乱用者の手に届けられるが、卸元以下の密売ルートは、ほぼ完全に暴力団に握られており、この間に末端価格は密輸価格の100倍以上にも上昇する。
〔事例〕 大阪市城東区に本拠を置く山口組系暴力団A興業は、香港から24回にわたり合計約83.5kgの覚せい剤を密輸入し、密売した。このうち、警察が押収した覚せい剤は約4kgで、残りの約80kg(約240万回分の使用量)は既に密売されていた。会長B(33)は、覚せい剤の密売で得た金でプール付きの豪邸に住み、豊富な資金を有していた。本件では、裏付けの取れたBら幹部3人の密売収入合計1億1,400万円の不法収入について東京国税局に通報した(警視庁)。
 覚せい剤事犯の取締りに当たっては、末端の乱用者の検挙を端緒としつつ、取締りの重点を密売網を牛耳る暴力団員に置いている。このため、覚せい剤事犯による検挙人員の約半数が暴力団員であり、54年に検挙された全暴力団

図2-12 覚せい剤の密輸、密売系統、価格(昭和54年末)

員について罪種別の構成比をみると図2-13のとおりで、覚せい剤取締法違反は、傷害と並んで暴力団犯罪の代表的なものとなっている。
イ 乱用を広げる暴力団
 覚せい剤の流通は、全国にわたって広域的に行われ、しかも末端の乱用者は継続的にその供給を求める。したがって、その流通機構を牛耳る暴力団は広域的な団体である方が有利であり、また、大量に覚せい剤を供給する能力のある団体にとっては、覚せい剤の密売は、その勢力を広げるための格好の手段となっている。
〔事例〕 石油国家備蓄計画や原子力発電基地建設等の「むつ小川原開発」

図2-13 検挙された暴力団員の罪種別構成比(昭和54年)

に目をつけた住吉連合は、それまで空白地帯であったむつ、野辺地地区に乗り込んだが、この進出に伴い、東京在住の住吉連合幹部(33)は、青森に行き覚せい剤の密売を始めた(青森)。
 特に、広域暴力団山口組は、表面上は「麻薬、覚せい剤追放」のビラを配ったり、組員の「善導」を唱えたりしているが、実際には、ビラを配った組員がその直後に覚せい剤の密売で検挙されている例もみられるなど、組織の重要な資金源としており、山口組系暴力団員の覚せい剤事犯は、表2-12のとおり検挙件数、検挙人員とも警察庁指定7団体中第1位である。
 また、暴力団は、覚せい剤に対する執着が極めて強く、警察による取締り

表2-12 暴力団系列別覚せい剤事犯検挙状況(昭和53、54年)



から組織を守るために、密売方法、密売所の防衛、覚せい剤の隠匿等に工夫を凝らすほか、検挙後の弁護士費用を見込んで密売価格を決める例も発覚している。
〔事例1〕 山口組系暴力団幹部A(41)らは、神戸市内の閑静な住宅街のアパートを根城に、約2.8kgの覚せい剤を密売した。Aらは、警察の手入れや対抗組織の襲撃に備え日本刀やけん銃で武装し、さらに、警察の手入れが行われた際には同アパートを爆破し、証拠をいん滅する目的で、ダイナマイト数本を所持していた(兵庫)。
〔事例2〕 山口組系暴力団阿州会は、9箇月間に約5kgの覚せい剤を密売したが、1日の売上げは約100万円であった。このうち、約35万円が代金支払い、約20万円が会長分、約20万円が組員への報酬に充てられたほか、残りの約25万円は運営費として、上部団体への上納、組の会館建設資金の積立て、さらに、検挙に備えての弁護士費用としての積立てに振り向けられていた(徳島)。
ウ 覚せい剤をめぐるトラブル
 暴力団は、覚せい剤の売上代金の処理や密売のなわ張りをめぐって殺人事件を起こすなど凶悪な事件を発生させている。また、覚せい剤をめぐって様々なトラブルが発生している。昭和54年の覚せい剤の取引等に係る事件の検

表2-13 覚せい剤の取引等に係る事件の検挙状況(昭和53、54年)

挙状況は、表2-13のとおりである。
〔事例1〕 会津小鉄会系暴力団組長(36)は、情婦の覚せい剤密売先である水道業者A(27)が「ネタが悪かった。」と不満を言ったことに立腹し、配下組員10人を引き連れてA宅に押しかけ、A及び妻子4人を車でら致し、けん銃を突きつけ、「けじめをつけてやる。命はもらうぞ。」などと脅迫した上、Aを袋だたきにした(京都)。
〔事例2〕 スナック経営者(34)は、4月、覚せい剤取締法違反で指名手配されたことから、事情を知っていた女(30)が警察に通報したと思い込み、仲間3人と共謀の上、20日にわたり自宅等数か所で殴るけるなどの暴行を加えたほか、山中に連れて行き土中に首まで埋めたり、自宅の風呂場に鎖で縛るなどして監禁した。さらに、これらの事実を知っていた和服仕立業の女(24)を口封じのため、電気こたつの足で胸部等を数十回殴打し殺害の上、宅地造成地に遺棄した(神奈川)。
(5) 黒い国際交流の拡大
ア 最近の密輸入状況
 覚せい剤の供給源は、昭和44年ころまでは国内における密造が中心であったが、45年ころから韓国ルートの密輸入が増加した。現在、我が国に供給される覚せい剤は、韓国等で密造されたもののほか、ヨーロッパ産のものもあり、香港、台湾等を通じて大量に密輸入されている。
 54年に税関等と協力して水際で検挙した覚せい剤密輸入事例によって供給地別の押収量の状況をみると、図2-14のとおりで、53年、54年とも韓国が第1位を占めている。また、陸揚げ地としては、成田及び羽田空港(24.9%)、伊丹空港(11.1%)等の5空港から全押収量の36.8%(前年64.4%)が持ち込まれ、博多港(18.9%)、下関港(6.6%)、川崎港(6.1%)、苫小牧港(5.7%)等の17海港から62.8%(前年35.6%)が持ち込まれている。特に54年は、海港からの陸揚げが目立っており、東北、北海道等の中小港にまで広がっている。

図2-14 覚せい剤の供給地別押収状況(昭和53、54年)

 最近の覚せい剤の密輸入状況をみると、その純度が高くなり、現地価格も

低下し、1回当たりの持込量も増加するなど海外における密造技術の高度化及び密造工場の大規模化をうかがわせている。また、密輸入の方法としては、その契約が国際電話等でひそかに締結された後、旅行カバンの中に隠匿したりするほか、船員等の運び屋の身体に巻き付けたり、国際郵便や別送品で事情を知らない者等を荷受人として送ったり、大きな貨物の中に隠匿したりして持ち込まれている。

〔事例〕 在日韓国人(60)らは、約1年間に14回日韓間を往復し、覚せい剤せい剤約100kgを密輸入したほか、その密輸代金の一部として、日本から韓国へ金の延べ板約75kgを密輸出し、バーター決済を行っていた。この事件で、覚せい剤10kgを押収し、韓国船員ら50人を検挙した(福岡)。
イ 国外逃亡被疑者の追跡と日本人の国外犯
 我が国で覚せい剤、麻薬の密輸入等の犯罪を犯し、国外に逃亡しているとみられる被疑者は、昭和54年末現在、約4。人に上っており、逃亡先としては韓国、香港、アメリカ、フィリピン等が多い。
 また、54年に、日本人が外国で覚せい剤等の薬物犯罪を犯して検挙された旨通報を受けた件数は29件であり、その数は年々増加している。
 警察では、国際刑事警察機構(ICPO)等を通じて逃亡した被疑者の追跡捜査を行っているが、48年以降8人の被疑者を外国当局との協力の下に検挙している。
〔事例〕 フィリピン居住の日本人A(43)は、合計約15kgの覚せい剤を韓国で仕入れ、15回にわたり我が国に密輸入していた。この事件で、ICPOを通じてフィリピン当局に手配し、フィリピンから国外退去させられたAを公海上の航空機内で逮捕するとともに、国内での密売人であった住吉連合系の暴力団員ら83人を検挙し、覚せい剤約2.5kgを押収したく青森、警視庁)。
ウ 海外に広がる覚せい剤乱用
 韓国で密造された覚せい剤が我が国で広く乱用されている一方で、我が国からの影響もあり、従来覚せい剤を供給するだけであった韓国においても、最近、乱用者の増加が問題となりつつある。
〔事例〕 釜山地方検察庁は、韓国人会社社長が密造者から覚せい剤約2kgを仕入れ、釜山市内の団地、アパートの住人や料亭の妓生等に密売していた事件を解明し、関連被疑者多数を習慣性医薬品管理法違反で検挙した。

4 今後の展望と課題

(1) 今後の展望
 覚せい剤の乱用は、過去10年間増加を続けてきたが、最近、暴力団が資金源としての覚せい剤の密売にますます執着を強め、海外からの密輸入量も急増している一方、末端乱用者の密売人化が進み、新たに少年層に乱用者が増えているなど、依然としてその増加傾向に変化の兆しはみられない。また、大麻及びシンナー等の乱用も広がっている。
 今後、海外における中毒性薬物の乱用の影響や社会の規範意識の低下等により、中毒性薬物を安易に試みようとする風潮がますます広まることが予想され、抜本的対策が講じられない限り、我が国においても、欧米先進諸国と同様の深刻な薬物禍が広まり、治安全般に対する悪影響が強まるおそれがある。
 欧米先進諸国における中毒性薬物乱用の拡大の要因をみると、第1に、薬物の入手可能性、第2に、薬効としての「陶酔感」とそれを求める人々の存在が挙げられる。第3には、規範意識の低下である。これは、「他の人達もやっているから」とか「ちょっとした好奇心」というものから、ベトナム反戦運動にみられた「反体制の象徴として」というものまである。第4に、密造、密売組織の存在、そして、第5に、末端乱用者の密売人化が挙げられる。
 これらの対策について、かつてイギリスでは、1920年代に「中毒は基本的には病気である。」という考え方が現れ、近年に至るまで、イギリスの薬物対策の特色となっていた。こうした対策は、薬物密売の暴利性に起因する乱用拡大者を作り出すことがなく、乱用に伴う弊害を最小限に抑えることができると考えられたためであり、その結果、薬物乱用者に対して医師等が「自由にクスリを投与できる」こととされた。しかし、こうした対策では深刻化する薬物乱用問題に十分に対処できなくなったため、1968年、1971年、1973年と繰り返し法改正等が行われ、薬物に対する規制を強めている。こうした考え方及びその変化は、スウェーデン等の他の西ヨーロッパ諸国においてもみられたところである。最近、我が国の薬物乱用においても、顕著な欧米化の様相が現れ始めているが、いかにして欧米の轍を踏まないように対策を進めるかが今後の課題である。
(2) 乱用を拒絶する社会環境作り
 中毒性薬物の乱用を撲滅するためには、その供給を断つための取締りと併せて、需要の根絶のための官民一体となった総合的対策を実施することにより、乱用を拒絶する社会環境を作っていくことが必要である。
ア 国民の拒絶意識のかん養
 覚せい剤等の中毒性薬物の乱用を根絶するために最も重要なことは、国民の一人一人が、「中毒性の薬物は「毒」であり、安易に手を出すことは、自分の健康を害するだけでなく、家族に迷惑をかけ、社会全体に悪影響を与える危険な行為なのだ」ということを十分に理解することである。
 戦後我が国は、「ヒロポン時代」、「ヘロイン時代」の二つの薬物乱用時代を経験し、いずれもこれを克服することができたが、これに大きく寄与したのは国民の追放運動の盛り上がりである。
 「ヒロポン時代」においては、まず青少年保護団体においてその追放問題が真剣に取り上げられ、更にマスコミ、地方自治体等を中心とする活発な追放運動が始められた。このような国民運動の盛り上がりを基盤として、昭和30年1月、閣議決定によって「覚せい剤問題対策推進本部」が設置され、全国的に追放運動が活発化し、密造工場の壊滅等とあいまって、全国にまん延していた覚せい剤事犯を急速に減少させることができた。
 また、「ヘロイン時代」においても、神戸、横浜、大阪等の住民による環境浄化、生活相談活動としてスタートしたヘロイン追放運動が、マスコミ等の支援の下に活発化した。その結果、国を挙げての追放運動が本格化し、強制入院制度の整備、取締りの成功等により、ヘロインの乱用は急速に鎮静化していったのである。
 第2の覚せい剤乱用時代を迎えた今日、覚せい剤の乱用を撲滅するためには、国民一人一人の自覚と国を挙げての追放運動の盛り上がりが図られなければならない。
 このため、警察では、総理府等の中央省庁、地方自治体、マスコミ等との協力の下に、新聞、テレビ等による広報を行ったのをはじめ、ポスター、リーフレット、ミニ広報紙等を多数配布したほか、各地において薬物乱用撲滅大会を開催し、また、警察本部等に「覚せい剤相談電話」を開設するなどの啓発活動を活発化した。今後は、家庭、学校、職場等の対象ごとに個別に対策を立て、精神科医等の医療関係者や専門家の積極的な参加の下に、国民に分かりやすくその有害性を伝えることにより、すべての国民が中毒性薬物の乱用に対する強い拒絶意識を身に付けることが重要である。
イ 行政的施策の充実
 覚せい剤中毒には、精神障害を伴いやすいという特殊性があるため、ヘロイン中毒等と異なる治療の難しさがある。しかし、乱用者が社会的に放置され、適切な治療、アフターケア等を受けないまま乱用を繰り返したり、薬理作用等により凶悪犯罪を多発させている現在の状況が放置されてはならない。
 昭和54年の覚せい剤事犯による全検挙者中、捜査に当たった警察官が中毒

表2-14 覚せい剤取締法違反再犯状況(昭和50~54年)

の疑いありと認めた者は43.2%に上り、また、再犯者も表2-14のとおり高い割合を占めている。
 警察は、末端の乱用者であっても厳しくこれを取り締まり、覚せい剤中毒と認められる者については、精神衛生法の規定により保健所等への通報を行っている。
 また、53年の道路交通法及び銃砲刀剣類所持等取締法の改正により、覚せい剤の乱用者による車両の運転や銃砲刀剣類の所持等の社会的に危険な状態が排除されることとなったが、警察では、これらの改正を踏まえ、所要の対策を開始している。特に、職業運転者による覚せい剤乱用の防止については、陸運局等の協力の下に交通関係事業者に対する指導を強化しつつあるが、更に職業運転者の覚せい剤乱用の背景となっている過労運転の防止についても、関係行政機関、団体と協力して改善を図っていく必要がある。
〔事例〕 釧根地区ハイヤー協会(28社、約1,500人)は、警察の指導に基づき、ガスクロマトグラフィーを購入の上、専門の医師の協力を得て、加盟各社の運転者を対象に、入社時、定期健康診断時(年2回)等に尿検査をするようになった(釧路)。
 さらに、警察では、覚せい剤が注射の方法により乱用されていることから、地方自治体と協力して注射器販売業者等に対する指導を行うなど、乱用者に注射器を容易に購入させないための諸措置を講じてきたが、これに伴い暴力団による注射器の密売事犯も現れてきている。今後は、これらの取締りや病院における使用済みの注射器の廃棄方法等についても指導を行うなど、覚せい剤の根絶を目指してあらゆる対策を講じていく必要がある。
(3) 取締りの強化
ア 国際協力の強化
 現在、我が国で乱用されている覚せい剤等の中毒性薬物は、その大半が海外から密輸入されている。海外の密輸組織は、既に「ヘロイン時代」においても我が国へのヘロイン供給の大半を牛耳っていたが、最近、我が国で覚せい剤の乱用が広まっていることに着目し、その組織員を我が国に常駐させるなど、我が国を有力な覚せい剤市場として再び密輸を活発化している。
 一方、我が国の暴力団も海外に進出し、現地の組織と結託して覚せい剤等の密輸入を行うようになっており、我が国の暴力団の海外における暗躍は、フィリピン、タイ、ハワイ等では、既に治安上の問題として注目されている。
 このように覚せい剤等の中毒性薬物は、その生産、流通が国際的に行われているため、図2-15のとおり国際連合を中心に、その規制のための条約の締結、資金の援助等が行われており、各国では共通の基準の下に取締りを行うなど、国際協力の推進に努めている。

図2-15 国際連合麻薬関連機構

 我が国への覚せい剤の供給に関係する国々においても、最近覚せい剤に対する規制の強化が図られており、1973年には韓国で、1977年には香港で、さらに、日本向けヨーロッパルートの供給源の一つとみられていた西ドイツにおいても、1978年に新たな規制が開始された。我が国は、中毒性薬物に関する条約のうち1971年の「向精神剤条約」(注1)には未加盟であるが、早晩これを批准し、未規制の薬物を規制する国内法を整備する必要があろう。

 また、警察では、昭和36年以来、「コロンボプラン」(注2)に沿って、関係機関との協力の下に、毎年「麻薬犯罪取締りセミナー」を我が国において開催してきたが、既に東南アジア、中南米、中近東、アフリカ等38箇国から延べ331人の捜査官が参加しており、国際連合等においてもその貢献が評価されている。さらに、警察は、国際連合主催の会議に積極的に参加するほか、日米暴力団対策会議を開催するなど、中毒性薬物の取締りに当たっての国際協力の促進に努めてきた。
 今後は、国境の壁を克服しつつ、覚せい剤をはじめとする中毒性薬物の国際的な不正流通を断ち切るため、関係各国との協力を一層緊密化する必要がある。
(注1) 「向精神剤条約」とは、ヘロイン、大麻等の中毒性薬物についての規制を定めた1961年の「単一条約」に次いで、それまで未規制であった覚せい剤、LSD、PCP等に対し規制を加えることを定めたものである。
(注2) 「コロンボプラン」とは、1950年、コロンボでのイギリス連邦外相会議で提唱された開発途上国援助のための計画であり、日本、アメリカ等が援助国として参加し、現在加盟国は27箇国である。
イ 取締り体制等の強化
 覚せい剤等の中毒性薬物事犯には、国際性、組織性、潜在性等があるほか、証拠の確保に困難を伴うなど、他の犯罪にはみられない特殊性があるため、その捜査に当たっては、多くの国々において専門的な捜査の手法や体制が採られている。我が国においても、これらの特殊性に着目し、捜査官の積極的な海外派遣や麻薬捜索犬の導入、赤外分光光度計等の鑑定資器材の整備を図ったほか、広域的な捜査共助活動を充実するなど都道府県警察が一体となった捜査を推進した結果、海外密造組織に直結した大規模な密輸ルートを解明し、総卸元段階での大量押収事例が増加するなど、不正流通の根絶に向けて大きく前進した。

 今後は、警察庁及び管区警察局において、国内外の関係機関と協力して、情報の集中管理及び分析をより強力に行う一方、都道府県警察においては、引き続き専従捜査官を増強するほか、高度な捜査・鑑定資器材の整備、新たな捜査手法の開発等により、密輸、密売ルートの中枢に迫る一層効果的な取締りを行う必要がある。
(4) 今後の課題
 薬物禍が深刻化している欧米先進諸国において、共通して指摘されているのは対策が後手に回ったことであり、その結果、多くの分野で多大の社会的負担が生じている。我が国の薬物乱用問題においても、最近、顕著な欧米化の様相が現れ始めており、このまま放置すれば欧米先進諸国と同じ道を歩むことは必至である。
 こうした現状に歯止めをかけ、我が国から中毒性薬物による災禍を一掃するためには、取締り体制の抜本的強化を図り徹底した対策を推進するとともに、広範な国民の協力の下に、関係機関、団体が一体となって、薬物乱用を拒絶する社会環境作りに努めることが緊急かつ重要な課題となっている。


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