第1章 治安情勢の概況

1 主な社会事象の推移

 昭和54年は、揺れ動く国際政治と停滞を続ける経済情勢を背景に、波乱と激動の年であった。
 米中ソ関係では、1月に米中の外交関係が正常化されるなど両者の提携が着実に進んだが、中ソ関係は、依然として厳しい対立を続け、米ソ関係も、懸案のSALTⅡが調印されたものの、中東問題等をめぐって「新冷戦時代」に入ったとも言われた。中東では、エジプト・イスラエル平和条約が3月に締結される一方、イランが「イスラム革命」を推し進め、イスラム教徒学生が米大使館を占拠するという異常事態が発生したほか、12月にはイスラムゲリラ事件のひん発するアフガニスタンに、ソ連が軍事介入するなど、激動が続いた。また、東南アジアでは、中国がベトナムに侵攻するなど、共産諸国間での確執が続き、朝鮮半島では、南北間の対立緊張が続くなかで、10月に韓国の朴大統領が暗殺された。
 世界経済は、上半期に景気回復の兆しがみられたが、OPEC諸国の原油大幅値上げにより、下半期には先進諸国間において景気の後退がみられインフレ傾向も強まった。その結果、金価格が高騰し、ドル不安をはじめとして国際通貨不安が増大した。
 以上のような国際情勢の下で、国内では、6月に東京で主要国首脳会議が開催されるなど、各国首脳の来日が相次いだ。一方、与野党伯仲の国会では、航空機疑惑等が議論されたほか懸案の「元号法」が成立した。また、80年代の政治動向を占う上で重要な意味を持つといわれた統一地方選挙及び総選挙がそれぞれ4月、10月に施行された。統一地方選挙は、東京、大阪の知事選挙をはじめ首長選挙で保守、中道候補が圧勝したが、総選挙では、自民党が安定過半数を獲得することができず、依然として与野党伯仲が続くこととなった。総選挙後、自民党内部で混乱が生じ、そのため約1箇月の政治空白を経て、11月9日、第二次大平内閣が発足した。
 国内経済は、上半期には民間設備投資、個人消費等に支えられて景気は回復し、雇用情勢も明るい兆候がみられたが、下半期には、原油価格の高騰、円安等の影響により卸売物価が急騰し、企業倒産も再び増加に転じるなど、前途は楽観できないものとなった。
 また、石油情勢の悪化に伴い、政府をはじめとして種々の省エネルギー対策が講じられた。一方、鉄建公団に端を発した特殊法人、官公庁の不正経理等がいわゆる社会的告発により様々な形で表面化し、世の厳しい批判を浴びた。また、インベーダーゲームが爆発的なブームを巻き起こしたが、ゲーム代欲しさの少年非行等も増加して問題となったほか、8月の千葉県神野寺とら脱走騒ぎ、10月の有史以来初の木曾御岳山噴火等も話題になった。

2 治安情勢の推移

 昭和54年は、経済成長に伴う享楽的風潮のまん延、社会の規範意識の低下等の状況が進むなかで、覚せい剤の汚染が一層進むとともに、手段を選ばぬ一獲千金をねらった凶悪犯罪が増加するなど危険な兆候もみられた。
 刑法犯の認知件数は、6年ぶりに減少したが、金融機関対象の強盗事件や保険金目的の殺人、放火事件等特異な凶悪犯罪が多発したほか、CDシステム利用犯罪等新しい型の犯罪も目立った。特に、1月に大阪で発生した「三菱銀行北畠支店人質たてこもり事件」は社会の耳目を集めた。また、知能犯、経済事犯では、航空機疑惑、銀行役職員による不正融資、総選挙における大規模買収事件等が注目されたほか、金の先物取引を装う詐欺事件、粗悪な不動産を言葉巧みに売りつける事犯等経済情勢に対する先行き不安を利用した犯罪も目立った。暴力団は、自粛を装って警察の取締りを回避しようとする動きがみられたが、依然として覚せい剤を最大の資金源としているほか、民事問題への介入、海外進出の活発化等、犯罪の多様化、広域化が進んだ。
 少年非行は、54年も14歳、15歳の少年を中心に依然として増加を続け、戦後第三のピーク期を迎えている。内容的にも、ごく普通の家庭の少年によるいわゆる遊び型非行が増加したほか、凶悪犯の増加傾向が目立った。
 警備情勢では、極左暴力集団が「東京サミット粉砕闘争」及び「成田闘争」を最大の課題として、悪質な「ゲリラ」事件を敢行した。日本共産党は、統一地方選挙、総選挙で議席を伸ばす一方、15年ぶりでソ連との関係を正常化させたが、党勢は横ばい状態で、社会党など他の野党からの孤立化が目立った。
 交通情勢では、ドライバー4,000万人時代を迎えながらも交通事故死者数が9年連続して減少し、45年のピーク時に比べてほぼ半減したが、交通事故発生件数はわずかに増加した。死亡事故は、酒酔い運転によるものが大幅に減少した反面、子供と老人の事故は依然として多発した。また、7月に発生した「東名日本坂トンネル事故」は、高速道路における事故史上例を見ない大規模なものであった。

3 警察事象の特徴的傾向

(1) 広がる覚せい剤禍
 覚せい剤の乱用は、昭和45年ころから急速に全国に広がり、54年には3万1,637件、1万8,297人を検挙し、10年前と比べそれぞれ件数で約35倍、人員で約26倍となった。過去10年間における犯罪の発生状況をみると、刑法犯をはじめ全般的に減少又は横ばいであるのに対し、覚せい剤事犯は顕著な増加を続けている。これに伴い、中毒者による発作的な凶悪犯罪や交通事故、購入代金入手目的の窃盗等覚せい剤をめぐる犯罪が多発しているほか、潜在的乱用者は検挙人員の10倍以上に上るとみられるところから、中毒者を抱える多くの家庭の悩みも深刻化するなど、大きな社会問題となっている。
(2) 現代社会の盲点をついた犯罪の多発
 昭和54年の刑法犯認知件数は、前年に比べ3.6%減の128万9,405件で、6年ぶりに減少した。
 刑法犯の特徴としては、当初から保険金を詐取する目的で、多額の保険を掛けた上、短期間のうちに人を殺したり、放火するというような保険制度を悪用した犯罪、誰でもどこでも簡単に使えるというCDシステムの長所を逆手に取ったCDシステム利用犯罪等、現代社会の盲点をついた犯罪が多発したことが挙げられる。
 また、金融機関を対象とする強盗事件も急増し、前年に比べ約2倍となったほか、その手段も銃器を使用したり人質を盾にするなど凶悪化する傾向がみられた。
(3) 強まった暴力団の組織防衛姿勢
 昭和54年には、暴力団は、山口組等の広域暴力団を中心として、対立抗争事件を早期に和解収拾し、警察の取締りによる打撃を回避するなど、組織防衛姿勢を強めた。これとともに、暴力団のけん銃入手、隠匿方法もますます巧妙化し、その資金獲得活動も、広く経済取引や市民生活に介入して不法な利益を求めるなど暴力団犯罪の潜在化が目立った。
(4) 依然として増加を続ける少年非行
 昭和54年に警察が補導した刑法犯少年は、14万3,158人で、前年に比べ6,357人(4.6%)増加した。これに伴い刑法犯少年の人口比(同年齢層の人口1,000人当たりの人員をいう。)は14.5人となり、全刑法犯検挙人員に占める少年の割合も38.9%に上った。また、内容的にも、ごく普通の家庭の少年によるいわゆる遊び型非行の多発等非行の普遍化傾向や低年齢化傾向が進む一方、年少少年による殺人事件や暴走族少年による凶悪、粗暴事犯、中・高校生による教師に対する暴力事犯、更にはシンナー乱用事犯等社会問題となるような事犯が増加した。
(5) 9年連続して減少した交通事故死者数
 昭和54年の交通事故死者数は、8,466人と9年連続して減少し、過去最高であった45年の交通事故死者数を半減させるという第2次交通安全基本計画の目標に近づいたが、交通事故発生件数はわずかながら増加した。
 54年の死亡事故についてみると、歩行者、自転車利用者の死者数のうち、子供と老人が約3分の2と依然高い割合を占めており、年齢別にみると、60歳以上の老人層の死者数が若干増加している。また、保有台数の急増した原動機付自転車、自動二輪車乗車中の死者数が若干増加した。他方、酒酔い運転の行政処分が強化されたことなどを反映して、酒酔い運転に起因する死亡事故が前年に比べ17.8%減と大幅に減少した。
(6) 極左暴力集団による「ゲリラ」事件の多発
 極左暴力集団は、昭和54年の最大の闘争課題として取り組んだ「東京サミット粉砕闘争」及び「成田闘争」で過激な行動を繰り広げるとともに、ホテルニューオータニにおける放火未遂事件、東京検察合同庁舎に対する火炎放射事件、航空ケーブル切断事件、警察施設放火事件等55件の「ゲリラ」事件を敢行した。なかでも、火をつけた車両を線路上に突き落して列車の運行を妨害した事件は、大惨事を引き起こしかねない極めて悪質な「ゲリラ」事件であり、国民に大きな不安を与えた。

4 治安情勢の展望と当面の課題

(1) 治安情勢の展望
 国際情勢では、米中の提携を背景に、米中ソ三極関係は波乱含みで推移するものとみられる。特に、ソ連のアフガニスタン侵攻による米ソの対立は、緊張状態にある米イラン関係も加わって予断は許されない。さらに、インドシナ情勢及び南北朝鮮関係の今後の行方についても懸念される。世界経済は、原油価格値上げなどの厳しい情勢のなかで、欧米先進諸国がインフレ抑制を最重点として取り組むこととしていることなどから、依然として先進諸国の景気の後退は避けられないものとみられる。
 国内では、与野党伯仲の波乱含みの政治情勢下で困難な経済環境を背景に財政再建、行政改革、防衛問題、エネルギー問題、物価対策等が国会を中心として活発に論議されることが予想される。また、円安、原油価格の高騰等の消費者物価への跳ね返りが危ぐされるところであり、雇用情勢も楽観を許されない。
 以上のような情勢を背景に、国民の間には不公平感、経済の先行きに対する不安等様々な不満や不安が高まることが予想され、それが少なからず治安面に影響することが懸念される。
 犯罪情勢については、誘かい事件、金融機関対象の強盗事件等の凶悪犯罪のほか、CDシステム利用犯罪や保険金目的の犯罪等社会のシステムや制度を悪用した犯罪が増加傾向をたどるものと予想される。暴力団は、資金源の頭打ち、広域暴力団の組織肥大化に伴う統制力の弱化等により団体相互間の対立が深まるほか、資金獲得のための犯罪もより多様化するものと思われる。知能犯は、低迷する経済情勢を反映して公共事業をめぐる贈収賄事件や経営不振、倒産等に伴う企業犯罪や金融犯罪の多発も予想される。国際犯罪も、依然として増加傾向が続くものと考えられる。
 覚せい剤事犯は、年々増加するとともに乱用者は一般市民層にまで広がっており、この傾向はますます強まるものと考えられる。これに伴って、覚せい剤の薬理作用による凶悪犯罪、交通事故等の多発も憂慮される。
 少年非行については、少年を取り巻く社会環境の悪化、受験競争からの脱落、規範意識の希薄化等の要因が複合して、引き続きいわゆる遊び型非行が増加する一方、暴走族による凶悪粗暴事犯、校内暴力事犯の増加、シンナー、覚せい剤のまん延、女子性非行のエスカレート等が懸念される。
 警備情勢では、極左暴力集団は引き続き「成田闘争」を最大の課題として取り組むほか、「テロ」、「ゲリラ」本格化への動きを強めるものとみられ、一部のグループでは爆弾事件を敢行する危険性もある。また、日本赤軍は、組織の拡大強化を企図して、国内に対する働き掛けを強めると同時に、再び違法事案を敢行することも予想される。日本共産党は、選挙戦を通じて、党の支持基盤の拡大に力を注ぐとともに、80年代に樹立を目指している「民主連合政府」構想の展望を切り開くための諸活動に全力を挙げるものと思われる。労働運動は、厳しい雇用、経済情勢を背景にしながら、労働戦線統一への動きが本格化するなかで、これをめぐり左右の分極化が進展していくことも予想される。右翼は、北方領土、国防問題等に対し、一層危機感を強める一方、政府、与党への不信感を募らせ、「テロ」等を敢行することも危ぐされる。
 交通情勢については、自動車保有台数及び運転免許保有者数が引き続き増加するものと見込まれるとともに、交通事故死者の減少率が年々低下していること、老人の死亡事故が増加傾向にあることなどから、今後の交通事故の状況は予断を許さないものがある。一方、交通混雑も激化し、大気汚染、騒音、震動等の面でも付近住民への影響は拡大するおそれがある。また、交通事故防止、道路の混雑緩和、公害防止のみならず、大規模災害発生時の安全確保及び道路交通におけるエネルギー節約に対する要請も強まるものと思われる。
(2) 当面の課題
ア 覚せい剤対策の強化
 覚せい剤に対しては、その供給を断つとともに、需要をなくすことがその対策上不可欠である。このため、覚せい剤の供給地となっている関係各国との捜査協力、密輸、密売ルートの中枢に向けた効果的な取締り等に努めると同時に、国民一人一人が、「覚せい剤の乱用は本人はもとより家庭、社会をも破滅に導く。」ということを認識することが重要であり、覚せい剤に対する安易な考え方を根絶しなければならない。
 今後は、引き続き専門捜査体制を整備するとともに、覚せい剤の有害性についての広報活動、各種行政施策の充実等、関係機関、団体と協力して総合的かつきめ細かな対策を推進することにより、覚せい剤等の乱用を拒絶する社会環境づくりに努める必要がある。
イ 時代の変化に即応した捜査活動の推進
 近年、新しい型の犯罪が増加し、対象、手段を選ばない凶悪事件や広域犯罪が多発するという厳しい情勢の下で捜査活動はますます困難化している状況がみられる。
 このような状況に対処し、時代の変化に即応した捜査活動を推進するためには、初動捜査体制の強化、全国ネット捜査体制の確立、特殊事件及び重要知能犯捜査体制の強化、コンピューターの活用による捜査情報の処理等効果的な捜査活動を積極的に展開し、事件の早期解決を図るなど、今後の厳しい犯罪情勢の克服に努める必要がある。
ウ 暴力団対策の推進
 暴力団対策については、総合的資金源作戦を中心に徹底した取締りを推進してきたところであるが、今後は、こうした取締りとともに、暴力団員の早期かつ長期の隔離、総会屋の締め出し、不法所得に対する課税措置、民事介入暴力対策等の諸施策を、関係機関、団体等との協力の下に、更に強力に推進する必要がある。特に、寡占化傾向を強めつつある山口組等の広域暴力団に対しては、情報ネットワークの整備、都道府県警察相互間の応援、協力体制の確立等の対策の強化を図っていく必要がある。
エ 銃砲行政の適正化の推進
 現在、所持許可を受けている猟銃、空気銃は約82万丁に上っており、レジャー活動の多様化に伴い猟銃等の所持欲求は更に広がるものと思われる。一方、猟銃を使用した凶悪犯罪の発生も見られるところである。
 このような状況に対し、警察は、銃砲の所持許可申請時の審査をより的確に行うとともに、所持許可者の実態をは握し、不適格者の排除に努めるほか、銃砲の保管管理の適正化により盗難防止の徹底を図り、銃砲使用犯罪の根絶を期する必要がある。
オ 総合的な少年非行防止活動の推進
 最近における少年非行の増加傾向の背景には、家庭、学校及び地域社会の抱える様々な問題が複雑に絡みあっており、真に実効のある少年非行防止対策を推進していくためには、家庭、学校をはじめ、関係機関、団体、地域住民等が一体となった地域ぐるみの非行防止活動を展開する必要がある。
 このため、警察としては、非行少年の発見補導、有害環境の浄化、福祉犯の取締り等の活動を強化していくとともに、ボランティアの中核としての少年補導員制度の充実、学校及び地域社会との連携の強化等の諸施策を中心に、国民の非行防止意識の高揚を図り、より総合的な少年非行防止活動を推進していくこととしている。
カ くるま社会における交通秩序の確立
 交通事故の減少傾向を定着させ、効率的な走行環境の確保と静穏な生活環境の保全を図っていくため、住宅地、学校周辺等における生活ゾーンの増設、都市総合交通規制の実施、交通管制センターの新設、拡充を計画的に推進するとともに、歩行者、自転車利用者に対する保護誘導活動、暴走行為、酒酔い運転等の悪質危険な違反の重点的な取締り、過積載運転等における使用者等の背後責任の追及を強化する必要がある。また、国民皆免許時代にふさわしい初心運転者教育の在り方をはじめ、運転免許制度全般について引き続き検討を進めることとしている。
キ 極左暴力集団による「テロ」、「ゲリラ」事件の未然防止
 極左暴力集団による爆弾、内ゲバ殺人事件等悪質な「テロ」事件や全国各地で敢行されている「ゲリラ」事件は、国民の日常生活に大きな不安を与えるとともに、一般市民に大きな被害を与える場合も少なくない。
 警察は、こうした悪質な「テロ」、「ゲリラ」事件の未然防止を図るため、平素から極左暴力集団の的確なは握、分析による事件の防圧に努めるとともに、事前の警戒態勢を強化することとしている。
ク 大規模地震等災害対策の確立
 近年、大規模地震発生の危険性が指摘されており、昭和54年には、東海地方が地震防災対策強化地域として指定されるとともに、国の防災基本計画が示された。
 このため警察は、東海地震に関し地震が予知された場合の対応も含めた総合的な災害対策を確立するほか、その他の大規模災害に対処するため、危険箇所、避難場所等の実態は握、災害装備資器材の整備充実、警備訓練の実施等に努めるほか、防災関係機関との緊密な連携を図ることとしている。


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