第1章 治安情勢の概況

1 主な社会事象の推移

 昭和52年は、我が国を取り巻く国際環境が厳しさを増した、不安と停滞の年であった。
 米中ソ3国では、カーター政権の人権外交の推進、鄧小平の復活、ブレジネフ体制の強化等の動きがあったが、3国の相互関係に大きな変化はみられなかった。西欧では、保革伯仲の傾向、失業者の増加、極左テロの発生等政情不安が続き、また、サダト大統領のイスラエル訪問を契機として中東情勢は新たな展開をみせた。更に、アジアにおいては、在韓米地上軍の撤退決定、ASEAN諸国の域内協力強化の動き、ガンジー政権の崩壊等がみられた。
 世界経済は、アメリカの景気が上昇基調を維持したほかは、先進諸国における設備投資の低迷、失業者の増加等景気の停滞傾向が目立ち、不況からの回復は必ずしも順調には進まなかった。こうしたなかで、世界貿易の伸びは51年秋以来鈍化し、また、国際為替市場には大きな波乱が生じたほか、一部には貿易収支の悪化等による保護主義的な機運の高まりもみられた。
 以上のような国際情勢の下で、我が国は領海を12海里に拡大するとともに200海里漁業水域を設定した。日ソ漁業交渉は北方領土問題も絡んで難航し、また、円高や貿易不均衡是正をめぐって日米経済交渉が続けられた。与野党伯仲下の国会では、予算案修正、国会運営をめぐる各党の主導権争い等様々な動きがみられた。また、与野党逆転の成否をかけた7月の参院選では自民党が過半数を維持したが、共産党の退潮が目立った。社会党では協会派と反協会派との対立が激化するなかで、同党を離党して新党づくりを目指す動きもみられた。11月末には福田改造内閣が発足した。
 経済、社会面では、4年越しの構造不況に円高が加わり、企業の経営環境は悪化し、また、雇用情勢も好転しなかった。このようななかで、「総合経済対策」等景気のてこ入れと国際収支の改善策が図られたが、内需の拡大は十分でなく、また、貿易環境もますます厳しくなった。一方、消費者物価は前年比8.1%の上昇にとどまった。
 王選手の756号ホームラン、ニューネッシー騒ぎ等各界で国民の関心を呼んだ話題があったが、青酸コーラ殺人事件、拘禁中の凶悪犯6人と身の代金を引き渡さざるを得なかった「日本赤軍」による日航機乗っ取り事件、有珠山の大爆発等世間の耳目をしょう動させる事件、事故も数多く発生した。また、大学入試をめぐる不正事件の続発も特徴的であった。

2 警察事象の特徴的傾向

(1) 悪質、凶悪化した暴力団犯罪
 暴力団犯罪は、不況に伴う資金源のひっ迫等を背景に一段と多様化、悪質化の傾向を強めている。
 昭和52年は、金融機関の不正融資に暴力団が介入した事件等経済界を舞台とする悪質な事件が目立った。また、特に注目されるのは、暴力団の総会屋への進出であり、警察では握している総会屋約6,500人のうち、ほとんどの者が何らかの形で暴力団とつながりを持っているというのが現状である。
 52年の対立抗争事件は、取締りの強化により前年と比べて大幅に減少した。しかし、内容をみると、銃器を使用した事犯の割合は逐年増加し、また、系列組織から大量の組員を動員して抗争を繰り返すなど、抗争の凶悪化と長期化の傾向が顕著であった。なお、これらの抗争事件において、取締り中の警察官に対し発砲した事件も発生している。
 更に、52年は、暴力団員が車の追越しをめぐるトラブル等ささいなことから、あるいは、覚せい剤常用による幻覚作用等に起因して突然に発砲し一般市民を殺傷するなどの事件が続発した。
(2) 対象の無差別化が目立つ凶悪犯罪
 昭和52年の刑法犯認知件数は、前年に比べ1.7%増の126万8,430件で、窃盗犯が増加したため4年連続して漸増した。
 凶悪犯罪の特徴としては、連続放火事件が激増したこと、不特定人をねらったとみられる青酸コーラ殺人事件等が発生したこと、ハイジャック、バスジャック等悪質な人質事件が多発したこと、一時鎮静傾向にあった爆破事件が再び増加したこと、銃器を使用した犯罪が過去10年間で最高となったことなどが挙げられ、犯行の形態、手段、方法等のエスカレートとともに、犯行対象の無差別化が目立っている。
 また、知能犯では、公務員が賄賂を要求するなど悪質な贈収賄事件が多発し、金融機関役職員による背任、業務上横領等の大型化の傾向もみられた。
(3) 深刻さを増した覚せい剤禍
 覚せい剤の乱用は昭和45年以降急増し、検挙人員は8年間に20倍以上となり、52年には1万4,447人に上った。覚せい剤中毒者によるものとみられる殺人、放火、人質監禁、交通事故等が多発しており、事件、事故の発生の後に初めて、その被疑者が長期の覚せい剤使用者であったことが判明するケースが多く、また、覚せい剤事犯の検挙人員の過半数を暴力団員が占め、これら暴力団密売人には多数の一般人使用者がつながっていることなどからみて、実態としては検挙人員の10倍以上の潜在的使用者がいるものとみられる。
 52年には、韓国を中心とする従来の密輸入ルートに加え、ヨーロッパからも覚せい剤が大量に密輸入された。 52年に押収した覚せい剤粉末は約65キログラムで、これだけでも約260万回分の注射量に当たる。
 検挙人員、押収量とも、実態としての覚せい剤乱用の「氷山の一角」を示すに過ぎず、更に、大麻及びヘロインの乱用も増加し、「欧米型複合乱用」に進む兆しをみせており、極めて憂慮される状況にある。
(4) 過去10年間で最高となった少年非行
 昭和52年に補導した刑法犯少年は、11万9,199人で、過去10年間の最高を記録し、また、少年1,000人中に占める刑法犯少年の割合(人口比)は12.4人と成人の場合の4倍に達した。最近4年間の人口比は、すべて12人台と高い数値を示しており、少年非行の「高原状態」が続いているといえよう。
 そのなかで、刑法犯少年の2割を女子が占めるに至り、また、発見、保護した家出少年の過半数を女子が占めるなど、前年に引き続き女子少年の非行等の増加が目立った。
(5) 着実に減少を続けた交通事故死者数
 自動車保有台数及び運転免許保有者数が、昭和52年末にはそれぞれ、3,200万台、3,700万人を超えるなどモータリゼーションが引き続き進展するなかで、45年にピークに達した交通事故死者数はその後7年連続して減少し、52年には8,945人と19年ぶりに9,000人を割り、45年の死者数を半減させるという第二次交通安全基本計画の目標達成にあと一歩と迫った。
 また、交通事故による負傷者数も、59万3,211人とピーク時の約6割に減少した。
 52年の死亡事故の特徴としては、依然として都道府県間、都市間の較差が大きいこと、夜間の交通事故の致死率が昼間の約3倍と極めて高いこと、歩行者と自転車利用者のいわゆる交通弱者が全体の45.6%と高率であること、酒酔い運転、スピード違反、無免許運転のいわゆる交通三悪による死亡事故が約3割を占め、かつ、その構成比が増加傾向にあることなどが挙げられる。
(6) 極左暴力集団による「テロ」、「ゲリラ」の多発
 極左暴力集団は、引き続き「テロ」、「ゲリラ」本格化への指向を強めており、昭和52年も多くの凶悪事件を引き起こした。
 極左暴力集団の犯行とみられる爆弾事件は、52年は、大学、神社、仏閣等を対象に7件(押収爆弾を加えると8件)発生し、前年の3件を上回った。また、「成田闘争」や「狭山闘争」をめぐって、火災びん、無線発進装置付き車両等を用いた悪質な「ゲリラ」事件が多発した。
 「日本赤軍」は、9月28日、日航機乗っ取り事件を敢行し、奥平純三を含む6人の被告人、受刑者を釈放させるなど、国内外に大きな衝撃を与えた。
 内ゲバ事件は、41件の発生にとどまり、44年以来の最低となったが、内ゲバによる殺人事件は、7件(死者10人)と、前年の2件(死者3人)を大きく上回り、犯行は一層陰惨になっている。

3 治安情勢の展望と当面の課題

(1) 治安情勢の展望
 当面の国際情勢は、米ソ、米中、中ソ関係の今後の行方が注目されるが、中東情勢は引き続き波乱含みで推移することが予想されるほか、朝鮮半島、東南アジア、一部西欧諸国等の政情も予断は許されない。また、世界経済は、緩慢な景気回復過程をたどるものとみられるが、先進諸国における国際収支不均衡、失業等の問題を背景に通商上の摩擦の深刻化も懸念される。更に、通貨問題、石油価格問題等も依然として不安定な要素をはらんでいる。
 国内では、政局は与野党伯仲の情勢下で今後の政党再編に向けた各党の動きが注目される。また、円高、不況という経済情勢の下で、昭和53年度7%の実質経済成長率達成を目指して「15箇月予算」の編成等内需中心に景気回復が図られるものとみられるが、円高によるデフレ効果、民間需要の低迷等により倒産、雇用問題が深刻化する可能性もある。
 こうした情勢の下で、治安的には引き続き、規範意識の希薄化、傍観者的風潮の広がり、各種フラストレーションの高まりなどの諸要因を無視することはできないであろう。
 警備情勢については、まず、極左暴力集団の動向が注目される。極左暴力集団は、組織の非公然化、軍事化を更に進展させ、「テロ」、「ゲリラ」本格化への動きを強めるものとみられ、また、新東京国際空港の開港と第2期工事に向けた「成田闘争」の激化が予想される。爆弾事件は、「アイヌ革命論」、「窮民革命論」等に強い影響を受けたグループ等が、自らの主義主張に沿った対象を攻撃目標として敢行するおそれがある。また、内ゲバは、関係セクトの最高幹部等をねらいとした残忍な手口によるものが発生するものと思われる。「日本赤軍」は、「9.28日航機乗っ取り事件」を通じて、この種事件の敢行に自信を深めているとみられるところから、増強した勢力を基に再び凶悪事件を引き起こすおそれがある。次に、日本共産党は、第14回党大会等で選出された新指導部の下、綱領等で定められた基本方針は堅持しながら、党大会において決定された党立て直しの諸方針を全党に徹底させ、樹立の時期を80年代に繰り延べた「民主連合政府」構想を早期に軌道に乗せ直すための諸活動を全力を挙げて推進するものと思われる。また、労働運動は、経済不況を背景に、「スト権」問題も絡み、今後の動向が注目される。一方、右翼は、日中平和友好条約締結問題等の諸問題にますます危機感、焦燥感を高め、各種行動を活発化することが予想され、テロ等の直接行動に走るおそれがある。
 犯罪情勢については、刑法犯認知件数が4年連続して漸増しており、今後の動向が注目される。暴力団に関しては、縄張り等をめぐる対立抗争事件の多発、一層の武装化等が懸念され、また、資金源をめぐる犯罪も企業社会や経済取引に寄生、介入するなど一段と知能化、潜在化の度を強めることが予想される。更に、連続放火事件、動機、原因が異常な凶悪事件、銃器使用事件、人質事件等国民に強い不安を与える事件が多発するおそれがある。また、知能犯はますます巧妙化、大型化し、厳しい経済情勢を反映して経済事犯も増加するとみられる。このほか、国際交流の活発化に伴い、各種の国際犯罪が多発することが予想される。
 交通情勢については、自動車保有台数の増加傾向が根強く、また、運転免許保有者数も逐年増加の一途をたどり、国民皆免許時代を迎えつつある。交通事故による死傷者数は減少傾向を続けているが、依然として都市間、地域間において事故率に較差があり、夜間に死亡事故が多発しているなど問題が残されている。一方、交通渋滞や騒音、振動等による生活環境の侵害も引き続き問題となっており、それらが都市周辺部や地方へ拡散する傾向は強まるものとみられる。また、交通対策に関する国民の要望は多様化してきており、歩行者や自転車利用者は単なる安全にとどまらず、便利で快適に利用できる道路を、自動車等の利用者は安全で走りやすい交通環境を、沿道住民は静穏な生活環境の維持を、それぞれ強く求めるようになり、運転者に良識とより良い運転マナ一を求める声も高まるものとみられる。
(2) 当面の課題
ア 暴力団取締りの強化
 暴力団の対立抗争事件は依然として後を絶たず、また、暴力団による犯罪もけん銃、覚せい剤の密輸、密売事犯、企業や経済取引を対象とする総会屋等の知能暴力事犯が多発し、社会に対する危険性が一段と高まっている。
 このような事態に対応して、警察では、取締り体制を一層整備、充実し、首領、幹部級の大量反復検挙、資金源の封圧、銃器の摘発等に重点を置いた強力な取締りを推進することとしている。
 また、こうした警察力による直接制圧と並行して、関係行政機関、民間諸団体等国民各層の協力を得て、暴力団を社会的に孤立化させていくための諸活動を推進することが必要である。
イ 犯罪情勢の変化に対応する効率的捜査活動の推進
 昭和52年の犯罪情勢をみると、刑法犯認知件数が4年連続して増加し、犯行対象の無差別化等犯罪の質的変化を示す事件が多発するなかで、検挙率の低下等の状況がみられる。
 警察では、このような犯罪情勢の変化に的確に対応した効率的捜査活動を推進していくこととしている。まず、地域住民の不安の解消と捜査効率の観点から早期検挙活動を推進していくことが重要であり、そのため、機動捜査隊の増強、機動鑑識体制の整備、緊急配備体制の整備、よう撃捜査の推進、指名手配照会、車両照会等におけるコンピューターの活用等を図っていく必要がある。また、犯罪の質的変化に的確に対応するため、捜査員の捜査能力の向上、専門的捜査体制の確立、更に、犯罪の広域化に対応するため、広域捜査体制の確立を図っていく必要がある。
ウ 覚せい剤事犯取締りの強化
 覚せい剤は韓国、台湾、香港、タイ、マカオ更にヨーロッパ等から外国人運び屋等により日本に大量に持ち込まれ、全国の密売網に流されており、その末端における密売方法もマンションの郵便受けを利用して買手との面接を避けるなど巧妙化し、また、国外逃亡被疑者も増加するなど捜査の困難性は増している。このため、新たな捜査手法の開発に努めるとともに、国内の広域捜査専従体制及び国際捜査体制を拡充整備し、関係国との捜査協力を進めて海外の密輸、密造基地にまで突き上げ、壊滅を図る必要がある。
 また、広く国民に覚せい剤の有害性を訴え、乱用の拡大防止に努めるとともに、中毒者に対する関係機関による行政面での施策の促進を図る必要がある。
エ 少年を守る活動の推進
 少年が非行に走ったり、犯罪の被害を受けたり、あるいは事故に遭遇したりするのは、少年を取り巻く家庭、学校あるいは社会環境に問題がある場合が少なくない。
 警察としては、前年に引き続き、少年に有害な影響を与えるおそれのある低俗な出版物やそれを販売する自動販売機、少年の転落や非行化の場所となりやすい享楽的諸営業等について環境浄化活動を強力に推進するため、新たに昭和53年度から「少年を守る環境浄化重点地区活動」を行うとともに、少年の福祉を著しく害する暴力団犯罪の取締り、増加を続ける家出少年の発見保護、夏季に多い水死事故の防止等に力を注いでいくことにしている。
オ 運転者対策と交通管理の推進
 交通事故の減少傾向を定着させ、自動車交通と人間生活を調和させた道路交通秩序の確立を図るため、次の諸施策を推進する必要がある。
 まず、初心運転者等に対して安全意識を高めるための教育を充実強化するとともに、危険な運転者は積極的に道路交通の場から排除し、無事故、無違反の善良な運転者については、社会的にも適正に評価される方策を推進するなど運転者の実態に応じたきめ細かな運転者対策を推進する。
 次に、多様化する社会的要望に対応して、交通環境の改善を図り、歩行者や自転車利用者の安全対策、生活ゾーン対策、バス優先対策等を軸とした都市総合交通規制を推進する。また、交通指導取締りに当たっては、その重点を危険性の高い悪質な違反に振り向けるとともに、過積載や過労運転等重大な事故に結び付くおそれのある違反の背後責任の追及を強化するなど取締り効果の拡大を図る必要がある。
カ 極左暴力集団による「テロ」、「ゲリラ」の未然防止
 極左暴力集団による爆弾、ハイジャック事件等悪質な「テロ」、「ゲリラ」は、国民の日常生活に大きな不安を与えるだけではなく、善良な市民を直接事件に巻き込み、大惨事を引き起こす場合も少なくない。
 警察は、こうした悪質な「テロ」、「ゲリラ」の未然防止を図り、平穏な国民生活の確保に全力を挙げているが、今後も引き続き必要な警戒態勢をとるとともに、平素からアパート・ローラー作戦等を通じて関係機関や市民に協力を呼び掛け、事案の未然防止に努めなければならない。また、事件の発生に際しては強力な初動捜査活動を展開して現場検挙の徹底を図るとともに、追跡捜査の強化を図る必要がある。
キ 大規模災害対策の確立
 我が国は、その地理的、気象的、地象的条件から、台風、大雨、地震等による自然災害を受けやすい環境にあり、毎年のように大きな被害を被っている。
 警察は、このような大規模災害に対処するために、国土庁その他の防災関係機関、団体等と緊密な連絡を取り、平素から危険地域、避難場所等の実態は握を行い、大規模災害警備計画の策定、広域災害警備訓練等大規模災害対策の刷新強化に努めているが、今後とも引き続き対策の充実強化を図るとともに、災害装備資器材の整備充実に努める必要がある。
 また、昭和53年も大規模災害の発生を想定し、全国各地区で防災関係機関や地域住民の参加を求めて、広域的な大災害警備訓練を実施することにしている。


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