第8章 災害・事故と警察活動

1 自然災害

 昭和49年中の風水害等による被害の発生状況は、表8-1のとおりであり、大規模な被害をみたものは、山形県大蔵村の山崩れ(4月)、伊豆半島沖

表8-1 風水害等による被害発生状況(昭和49年)

地震(5月)、台風8号による集中豪雨(7月)、台風16号による大雨(9月)等であった。これらの自然災害によって、1年間に合計約9万8,000世帯、約34万4,000人が被災した。
 このような災害に際して、延べ10万人を超える警察官が出動し、住民の避難誘導、被災者の救出・救護、危険区域の警戒、交通、防犯対策の実施等の災害警備活動を行った。主な災害の発生状況とそれに伴う警備活動の概要は次のとおりである。
(1) 山形県大蔵村の山崩れ
 4月26日午後3時5分ごろ、山形県最上郡大蔵村大字赤松地内の通称松山という標高約170メートルの山が、突然、幅約200メートル、厚さ約3メートル、長さ約250メートルにわたって崩れ落ち、ふもとの住宅20むね、非住宅9むねが押し倒され、家の中にいた人等17人が生き埋めになって死亡し、13人が負傷した。辛うじて逃げ延びた住民は、一瞬のうちに発生した大惨事に震えながら、「山がのしかかってくるようだった。」、「ごう音がして、振り返ってみたら、一瞬にして土煙の中に家が見えなくなった。」などと恐怖を語っていた。
 大蔵村役場からの急報を受けた所轄新庄警察署では、直ちに全署員を招集し、パトカーを現場へ急行させるとともに、警察本部へ第一報を送り、署長自ら署員を率いて出動し、現場近くに「赤松地区山崩れ災害警備本部」 を設け、村役場や消防団等と協力して応急の救護活動を開始した。
 一方、新庄警察署長からの急報を受けた山形県警察本部では、直ちに警察本部に「赤松地区山崩れ災害警備本部」を設置し、本部機動隊をはじめ在県管区機動隊、隣接の村山、尾花沢両警察署等に対し応援出動の指示をしたほか、夜間の活動に備え宮城県警察に対し大型投光車の支援出動を要請するなど活動体制を強化し、更に警察本部長自ら幹部を伴い、現地の警備本部において総括指揮に当たった。
 現地においては、生き埋めとなった17人の捜索や倒壊した住宅等の発掘のために、警察は、大蔵村役場をはじめ自衛隊や地元の消防団と協力し、昼夜 兼行の活動を行った。現場は引き続き山崩れの危険があったので、二重避難の防止を図りながら、大量の土砂の排除、行方不明者の捜索、現場付近の交通の回復に努め、17人全員の遺体を収容することができた。この災害警備活動に出動した警察官は、7日間で延べ1,839人に及んだ。

(2) 伊豆半島沖地震
 5月9日午前8時33分ごろ、伊豆半島南端の石廊崎から南南西約11キロメートル、深さ約20キロメートルの地点を震源地として、マグニチュード6.9の地震が発生した。静岡県下では、震源地に近い南伊豆町の中木地区で震度6、石廊崎地区で震度5を記録したほか、網代、三島、静岡で4、御前崎、浜松で3を記録した。この地震で、南伊豆町の中木地区で死者・行方不明者27人、住宅の被害87むねを数えたのをはじめ伊豆半島南部一帯で死者・行方不明者30人、負傷者77人、被災家屋223むね、道路の損壊や山・がけ崩れ150箇所等に及ぶ被害が発生した。その状況は、表8-2のとおりである。
 特に大きな被害が発生した南伊豆町の中木地区は、三方を標高150メートルの山に囲まれた狭い平地で、海岸線までの150メートルの間に85世帯、約300人が居住していたが、予想外の規模の被害となったのは、地震によって、地区の中央部に突き出ていた城畑山が標高100メートル辺りの所から幅約60メートルにわたって崩れ落ちたためである。
 所轄下田警察署では、管内の派出所、駐在所に対する定時の電話連絡を実施中に地震の発生を感知したので、直ちにいっせい指令を発し、所管区内の被害状況の確認・報告、被害者の救護、津波の警戒等を指示した。更に、被害の大きさにかんがみ、下田警察署に「地震災害警備本部」を設けて警備体制を強化し、その概要を警察本部へ急報するとともに、被害が最も大きい南伊豆町中木地区に「地震災害警備現地指揮所」を設け、署長自ら指揮に当たった。

 一方、静岡県警察本部では下田警察署からの急報に基づき、直ちに警察本部に「地震災害警備本部」を設け、県下各地の被害状況を調査したところ、 南伊豆町の被害が最大であることが判明したので、本部機動隊、在県管区機動隊、熱海、伊東両警察署に対し応援出動の指示をし、警視庁、神奈川県警察にも部隊の応援派遣を求めるとともに、警備部長以下の幹部を下田警察署へ急行させて応援対策の指導に当たらせた。
 現地においては、連日、多数の警察官が行方不明者の捜索、死体の収容、被災者に対する救護等の活動に従事し、その数は約2週間で延べ約8,000人に及んだ。

表8-2 伊豆半島沖地震による被害発生状況

 7月6日から8日にかけて日本海を北上した台風8号が本邦付近に停滞していた梅雨前線を刺激したため、香川、兵庫、静岡各県をはじめ29都府県下に局地的豪雨が降り、それよにって、全国で、死者・行方不明者108人、負傷者168人、住宅の全・半壊991むね、山・がけ崩れ4,267箇所等の被害が発生し、被災者は5万146世帯、19万243人に及んだ。この豪雨禍に際し、警察官2万3,787人が出動して、住民の避難誘導をはじめ被災者の救出・救護、危険地域の警戒、交通規制等の災害警備活動を行った。そのうちの主なものは次のとおりである。
ア 香川県小豆島の豪雨禍
 7月4日から雨が降り始めた小豆島では、7月6日に集中豪雨となり、雨量は330ミリを記録した。小豆島の橘、福両地区は花こう岩の上が真砂土という地質であったため、各所で山崩れが起こり、住宅45むねが押し流され、29人が生き埋めになって死亡した。
 香川県警察では、気象関係情報に基づき警戒体制を強化していたが、6日の夕刻になって危険が迫ったので、積極的に住民の避難誘導を行い、特に橘、福田両地区を管轄している内海警察署の勤務員は、激しい雨の中で被災

者の救護や被害の拡大防止に当たった。この豪雨禍に際して出動した警察官は、延べ1,848人を数えた。
イ 兵庫県淡路島周辺の豪雨禍
 淡路島及び赤穂市の周辺では、7月4日夜から降り始めた雨が6日夜から7日未明にかけて集中豪雨となり、降雨量は300ミリを記録した。その結果、各所で鉄砲水や山・がけ崩れが起こり、14人の死者が出た。
 兵庫県警察では、過去の経験に基づき早期に災害警備体制を確立し、警察官延べ2,469人を出動させて、危険箇所の警戒、住民の避難誘導、被災者の救護等の活動を行った。
ウ 静岡県中部地域の豪雨禍
 7月7日夜から8日未明にかけて静岡県中部地域に集中豪雨があり、各所で鉄砲水や山・がけ崩れが起こり、死者・行方不明者44人、住宅の全・半壊415むね等の被害が発生した。
 静岡県警察では、7日の夜半に本部機動隊を中心とした警備部隊を緊急出動させ、危険地域の警戒、住民の避難誘導を行って被害の防止に努めるとともに、被害の発生に際し、警察官延べ9,296人を出動させて、被災者の早期救出・救護、行方不明者の捜索等の災害警備活動を行った。
(4) 台風16号の影響による大雨
 9月1日午後、高知県に上陸した台風16号は、中国地方西部から日本海へ抜けたが、この台風の影響で、四国、中国、関東等の17都県に局地的な大雨が降り、各地で鉄砲水や山・がけ崩れが起こり、死者・行方不明者9人、住宅の全・半壊192むね等の被害が発生した。
 この大雨被害に対して、関係都県の警察では警察官延べ1万5,888人を出動させて、危険地域の警戒、住民の避難誘導、被災者の早期救出・救護等の災害警備活動を行った。
 特に警視庁管内では、多摩川の上流地域で300ミリから500ミリに及ぶ降雨量を記録したため、多摩川が急激に増水・はん濫し、狛江市内で堤防が決壊し、住宅19むねが流失するという被害が発生した。これに対し、警視庁で

は警察官延べ8,000人を出動させ、住民の避難誘導や水防活動に従事して、被害の拡大防止に努めた。
(5) 落雷
 昭和49年中の落雷による被害の発生状況は、表8-3のとおりである。

表8-3 落雷による被害発生状況(昭和45~49年)

 落雷による被害の特異な事例としては、大阪の2箇所のゴルフ場で、同じ日に、ゴルファーやキャディら3人が死亡、1人が負傷した事例、群馬県榛名湖畔のキャンプ場で高校生ら8人が負傷した事例、三重県大滝峡のキャンプ場でテントにいた中学生のうち1人が死亡、1人が負傷した事例等がある。

2 山岳遭難と水難

(1) 山岳遭難
ア 事故発生の概況
 最近5年間の山岳遭難の発生状況は、表8-4のとおりで、ほぼ横ばいであるが、昭和49年には、前年に比べて発生件数は減少したものの、死者・行方不明者が増加している。これは冬山シーズンに例年にない豪雪が山岳地帯を襲い各地で雪崩による集団遭難事故が発生したためである。

表8-4 山岳遭難発生状況(昭和45~49年)

 昭和49年中の山岳遭難の主な特徴は、次のとおりである。
○ 遭難事故が多発しているのは中部山岳地帯と富士山である。
○ 遭難者を年齢層別にみると、20歳代が約60%を占めており、しかもその大半は20歳から24歳までの20歳代前半の者である。
○ 避難者の職業等では、最も多いのが会社員で、次が大学生となっている。
○ 遭難態様では、転落・滑落が約半数を占めているが、最近では登山の大衆化に伴う無謀登山が増え、山に不慣れな初心者が体調を崩して発病したり、道に迷ったりしたための事故が目立っている。
イ 事故防止対策
(ア) 山岳遭難対策中央協議会の活動
 昭和37年1月、文部省を中心として、警察庁、気象庁、林野庁等の行政機関、日本山岳協会、日本体育協会等のスポーツ関係団体及び山岳遭難事故が多発している長野、富山、岐阜等の山岳県により結成された山岳遭難対策中央協議会では、毎年、春、夏、冬の各登山シーズンの前に、山の気象や登山の留意事項等を記載した「警告文」を関係者に配布して登山者等の注意を喚起している。また、昭和39年度以降、毎年、登山の指導者や山岳遭難救助関係者を集めて遭難原因や救助対策を研究討議し、その結果を具体的施策に役立てている。
(イ) 「登山条例」の運用
 無謀な登山による遭難事故を防止するための登山条例としては、昭和41年に富山県登山届出条例、昭和42年に群馬県谷川岳遭難防止条例が制定され、一定の期間内に「危険区域」へ登山する者は、あらかじめ登山届や登山計画書等を提出して安全な登山のための指導等を受けることになっている。両条例とも罰則適用事例は少ないが、谷川岳については、昭和42年以降、26件、66人を検挙しており、このうち昭和49年は3件、5人となっている。
(ウ) 事故防止のための警察措置
 警察庁では、春、夏、冬の各登山シーズンの前に、中央の関係機関・団体等から入手した山岳情報について分析・検討を加え、その結果を関係都道府県警察へ通報して山岳遭難事故の防止と救護活動の徹底を期している。これを受けて、山岳地帯を管轄する警察では、それぞれ地方の実情に応じた各種の対策を講じ、遭難事故防止の万全を図っている。
 例えば、長野県警察では、山岳ごとの天候や具体的留意事項等を内容とする「山岳情報」を作成して関係機関・団体等に配布したり、シーズン中は毎日の気象情報を関係警察署及び地区の遭難対策協議会を通じて登山者に知らせている。また、夏山登山のシーズンには、戸隠連峰・志賀高原・八ヶ岳連峰・北アルプス等18箇所に臨時警備派出所を開設して警察官による登山指導を行っているほか、7月から8月にかけては、山岳遭難事故多発地域である北アルプス穂高連峰及び後立山連峰一帯に、特別な訓練を受けた山岳警備隊員を常駐させ、山岳パトロールや登山者に対する安全登山の指導を行っている。
 また、岐阜県警察では、夏山登山のシーズン中、穂高岳山頂に山岳警備隊を常駐させ、山岳パトロールを毎日2回実施した結果、毎年、夏山シーズンに死者を出していた北穂高岳滝谷での死亡事故をゼロとすることができた。
ウ 救助活動
 山岳遭難事故の救助活動は、遭難場所が険しい岩場や、雪崩の起こりやすい谷間であり、気象条件も悪いことなどから、常に二重遭難の危険にさらされている。特に最近の遭難は、一般登山者の登山技術の向上や装備の充実の結果、従来の登山技術では近寄り難い危険な場所で発生することが多くなった。したがって、山岳遭難事故の救助活動には、一般の登山者とは比較にならないほどの不屈な精神力、強じんな体力や、高度な登山技術・救助技術及び豊富な経験が要求される。

〔事例〕 昭和49年9月16日、北穂高岳滝谷でロック・クライミング中のパーティ3人のうち1人が足を滑らせ転落し、宙づりとなった。これに対し、岐阜県警察の山岳警備隊員ら16人が救助に出動して、みぞれの降る悪天候下に必死の作業を続けた結果、発生後4日目にようやく遭難者の救出に成功し、病院に収容することができた(岐阜)。
(2) 水難
ア 事故発生の概況
 最近5年間に発生した水難事故は表8-5のとおりで、例年、死者・行方不明者の数は3,000人を超えており、昭和49年にも、前年に比べて発生件数で693件(17.7%)、死者・行方不明者数で241人(7.9%)とそれぞれ増加した。

表8-5 水難事故発生状況(昭和45~49年)

 水難事故で目立った点は、つり舟の転覆事故や磯づり中に高波にさらわれた事故が増えたことと、河川、池、沼、用水堀等での子供の転落事故が依然として多かったことである。
イ 夏期における「水の犠牲者」
 例年、6月から8月にかけての、いわゆる水のシーズンには、水難事故による死者・行方不明者の過半数が集中していたため、警察をはじめとする関

表8-6 夏期における「水の犠牲者」(昭和45~49年)

係機関・団体等が重点的な事故防止活動を推進してきたが、昭和49年には、表8-6のとおりこの期間中の死者・行方不明者の数が初めて年間の死者・行方不明者数の過半数を下回った。
ウ 目立つ子供の水死
 昭和49年中の水の犠牲者3,265人の内容は、図8-1のとおりで、未就学児童が全体の3分の1を占め、更に小学生、中学生までを加えると全体のほぼ半数に及んでいる。

図8-1 年齢層別水死者数(昭和49年)

 未就学児童の水死事故は、保護者がちょっと目を離したすきに起きたという例が多く、小学生の水死事故は、友達同志で誘い合わせて川や農業用水等で魚捕りや水遊び中に起きたという例が多い。
エ 水死は海で3分の1、川で4分の1
 場所別の水死発生状況は、図8-2のとおりである。海や河川での水死が多いのは、夏期の海水浴・水遊びで事故が多発することから当然ともいえる。

図8-2 発生場所別水死者数(昭和49年)

 特異な事例としては、北海道積丹半島でつり客を運ぶ渡し舟が転覆して乗客11人が水死した事故や、沖縄県名護市の海岸で進水式を行ったボートが横転して乗客のうち7人が水死した事故があった。
オ 水難事故防止活動
 水難事故による死者の数は毎年3,000人を超えており、この数は交通事故の死者に次いで多い。
 警察では、日常の活動を通じて事故防止の広報や具体的指導の徹底を図っているが、更に、関係機関・団体等と緊密な連携を保ちながら、水難事故防止に対する住民の意識の高揚と重点的な実践活動の推進に努力している。特に子供の水死事故の防止については、各都道府県警察とも積極的に取り組んでおり、例えば、子供の水遊びの場所を実地踏査して危険箇所に対する防護措置を促進するとともにパトロールを励行し、他方でPTAや母の会等とも連携して、子供に対する安全教育、水泳指導の徹底を図るなど実効を期している。
 また、水難事故が多発する夏期には、主要な海水浴場に臨時の警察官派出所を設置するとともに、機動隊員らによる海浜パトロールや警備艇による海上パトロールを行って、海水浴客に対する事故防止の呼び掛けと水難事故の早期発見・救助に努めている。
 昭和49年中に警察官が救助した水難事故の遭難者は、1,937人にのぼっている。

3 各種事故

(1) 雑踏事故
ア 雑踏事故発生の概況
 近年、各種の行事や催しに集まる人々は、ますます増加する傾向にあり、昭和49年中に警察の雑踏警備の対象となった人出は、延べ7億3,700万人に達した。
 これは、10年前の昭和40年が4億7,000万人であったのに比べて、2億6,700万人(56.8%)もの増加である。その中で、正月三が日の初詣客は、全国の著名な神社・仏閣における人出だけでも5,600万人を超えた。また、競馬、競輪等の公営競技に集まった人々は、延べ1億3,600万人に上った。
 このような人出の増加にもかかわらず、雑踏事故の推移は表8-7のとおりで、昭和46年以降4年連続死者ゼロとなっている。

表8-7 雑踏事故発生状況(昭和45~49年)

 これら各種の催しは、日常生活に潤いを求める人々が集まって来るので、警察としては、主催者等と十分連絡をとり、行事の目的に配意しながら、集まった人々の安全を主とした警備活動を実施している。
 特異な雑踏事故としては、怪奇映画「エクソシスト」上映の際、都内の映画館で観客が先を争って入場しようとしたため6人が負傷した事案、千葉県市原市のデパートで食料品の安売りに買物客が殺到したため主婦ら9人が負傷した事案があり、また、いわゆる「順法闘争」に伴う混雑のため全国の主要駅で67人が負傷するなど、世相の反映がみられた。
イ 公営競技等をめぐる紛争事案
 昭和49年に競馬、競輪等の公営競技に集まった人々は史上最高の数を示しており、これに伴って、いわゆる八百長騒ぎ等の紛争事案も多発し、前年の11件に対し18件を数えたが、その状況は図8-3のとおりである。

図8-3 原因別にみた紛争事案(昭和49年)

 特異な事例としては、昭和49年1月30日、兵庫県の園田競馬場で、レースの不成立を認めない約1,300人のファンが暴れ、払戻し所等3むねが焼かれ、売上金数千万円が奪われた事案がある。このほか、千葉県の船橋オートレース場、兵庫県の尼崎競艇場でも、投石、放火を伴う紛争事案が発生している。これらの紛争事案の多くは、本命の着外、失格やレースの中止によるもの、あるいは開催中止の判断の遅れや広報の不徹底等主催者側の不手際によるものである。
 警察としては、レース開催の都度、機動隊等の部隊を配置して紛争事案の未然防止に努めており、昭和49年中に公営競技場の警備に出動した警察官は約22万4,000人に上っている。
 昭和49年は、また、プロ野球をめぐるトラブルの目立った年でもあり、東京の後楽園球場での巨人対阪神や福岡の平和台球場での太平洋対ロッテのゲームでは、けが人が出る騒ぎとなった。トラブルの原因は、意識的に相手チームをあおるような監督や選手の軽率な言動や「遺恨試合」等と称してファンを刺激するような球団側の宣伝にあったので、警察ではプロ野球コミッショナー、セ・パ両リーグ代表者、各球場管理者等に対し、トラブルの防止、特に大規模な紛争事案の未然防止のために必要な各種の措置を強く要望し、事態の鎮静を図った。
(2) 航空機、列車、船舶等の事故
ア 航空機の事故
 最近5年間の航空機の事故の発生状況は、表8-8のとおりである。
 昭和49年中の発生件数17件は、過去20年間を通じて最も少なく、また、死者・行方不明者数の12人は、過去20年間を通じて最低であった昭和34年の12人と同数で、これは大型旅客機の墜落等の大規模な事故がなかったためである。

表8-8 航空機事故発生状況(昭和45~49年)

 特異な事例としては、昭和49年7月8日、航空自衛隊のF86Fジェット戦闘機が、エンジントラブルのために愛知県小牧市の民家に墜落し、住民及び通行中の車両を巻き添えにして、死者4人、負傷者3人を出した事故がある。
イ 列車の事故
 最近5年間の列車事故の発生状況は、表8-9のとおりで、増加の傾向を示しているが、死者のほとんどは、列車から転落したものや線路内にいて列車に接触したものである。
 特異な事例としては、昭和49年9月24日、茨城県内の東北本線古河駅付近

表8-9 列車事故発生状況(昭和45~49年)

で、大宮発郡山行きの下り貨物列車が脱線し、上り線路に乗り上げて停車していた所へ、仙台発上野行き上り急行列車「まつしま5号」が進行して来て衝突し、乗客52人が負傷した事故がある。
ウ 船舶の事故
 最近5年間の船舶事故の発生状況は、表8-10のとおりで、死者・行方不明者数はほぼ横ばいであったが、昭和49年は大規模な事故があったため、発生件数が前年に比べ減少しているにもかかわらず、死者・行方不明者数は51

表8-10 船舶事故発生状況(昭和45~49年)

人(58.6%)も増加している。
 特異な事例としては、昭和49年11月9日、東京湾を航行中の雄洋海運KK所属のタンカー「第10雄洋丸」(4万3,723トン)とリベリア船籍の貨物船「パシフィック・アレス号」(1万874トン)が衝突し、その衝撃で「第10雄洋丸」に満載していた液化石油ガス、ナフサ等が引火・爆発して、両船が炎上し、双方で死者33人、負傷者6人を出した事故がある。なお、「パシフィック・アレス号」はスクラップと化し、船火事の恐ろしさを見せ付けたが、「第10雄洋丸」の船体処理には多くの危険があり、11月28日、海上自衛隊の手で撃沈された。
(3) 火災、爆発事故
ア 火災
 最近5年間の火災の発生状況は、表8-11のとおりで、横ばいの傾向にあったが、昭和49年は、前年に比べて、発生件数、死者・行方不明者数、負傷者数のいずれも減少しており、昭和47年に発生した大阪の千日デパートビルの火災や北陸トンネル内での急行列車「きたぐに」の火災、昭和48年に発生した熊本の大洋デパートの火災のような多数の死傷者を出す火災は発生しなかった。

表8-11 火災発生状況(昭和45~49年)

イ 爆発事故
 最近5年間のガスや火薬類等の爆発事故の発生状況は、表8-12のとおりで、発生件数は増加の傾向にあるが、昭和49年は、死者・行方不明者数で若干の減少をみた。

表8-12 爆発事故発生状況(昭和45~49年)

 石油コンビナートの爆発事故は、昭和48年後半において、その続発により世間の注目を浴びたが、昭和49年は、3月26日、出光興産千葉製油所で死傷者4人を出した事故、7月16日、徳山曹達徳山工場で負傷者3人を出した事故、11月22日、九州石油大分製油所で負傷者3人を出した事故の3件にとどまった。
 特異な事例としては、昭和49年3月2日、沖縄県那覇市内の排水溝工事現場でシートパイル打ち込み作業中、地中に埋没していた機雷が爆発し、死者4人、負傷者34人、家屋の損壊86むね等の被害を出した事故がある。
(4) その他の事故
 以上の事故のほかにも、ホテルのエレベーターが落下して重軽傷者20人を出した事故、レジャーランドで観光リフトの滑車がはずれて負傷者25人を出した事故、つり橋の破損で橋を渡っていた7人が川に転落して重軽傷を負った事故、自動車レースで競走車が接触してレーサー2人が死亡したほか重傷者6人を出した事故等、様々な態様の事故がある。
 なお、昭和49年中には、保護者や施設管理者等の不注意が招いた子供の痛ましい事故が目立った。例えば、空き地に積み上げた材木が崩れて幼児3人が死傷した事故、遊園地のミニ電車が脱線して子供3人が負傷した事故、工場のブロックベいが通学路に倒れて小学生2人が負傷した事故等が相次ぎ、その責任が追及された。
 警察では、日常の活動を通じて、管内の子供の遊び場等の実態をは握し、危険が認められる場所等については、施設管理者等に対して是正措置を要請するほか、保護者に対して注意を喚起するなど、危険な環境をなくし、子供を事故から守るための活動に努めている。
 最近5年間のこの種の事故の発生状況は、表8-13のとおりで、発生件数は昭和46年以降逐年増加している。

表8-13 その他の事故による被害発生状況(昭和45~49年)


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