第1章 昭和49年治安情勢の概況

1 治安情勢からみた国際化の傾向

(1) 急激な国際交流の進展
 本年は、戦後30年目に当たる。この30年間我が国の政治、経済、社会の情勢は、大きく変ぼうするとともに著しい発展を遂げてきた。
 昭和30年代からの急速な経済の発展は、国民の消費生活を豊かにし、また、社会秩序の安定は、民主主義を次第に定着させ、我が国の国際社会における立場も次第に重きをなすに至ったが、同時に各般の分野にみられる急速な拡大と発展は、都市問題、交通問題、公害問題等成長に伴うひずみともいうべき新しい現象を生みだしてきた。
 こうした戦後の社会の動きの中でも、急速な国際化の進展は、特に注目される一つの特色であった。
 交通、通信手段の発達と情報化社会の出現は、今や「地球は狭くなった」ことを人々に教え、人類の月への到達と有限な資源の問題は、「かけがえのない地球」の存在を認識させるとともに、もはや世界各国の協力は、人類発展のための不可欠の条件となってきていることを、全世界の人々に認識させたといえよう。
 現在のように世界各国の交流がひん繁になっている状況の下では、国内問題の多くが一国だけの努力では解決不可能なものとなり、自国の利益のみを主張することは、かえって不利益な結果を招来することともなりかねない。
 特に我が国は、その平和と繁栄が国際社会の安定と各国との自由な交易、交流に依存するところが大きいおだけに、世界各国との協力と諸国民との間の調和ある連帯関係が極めて重要となってきている。
 以下、こうした国際化についてみることとしよう。
 最初に、経済面では、昭和48年までの過去10年間の輸出額、輸入額の平均増加率は、それぞれ21%、19%と他の先進工業国の増加率を大きく上回っており、国際交流は、国内における急速な経済発展を背景として、まず貿易面で現れてきたといえよう。
 これを促進したものに貿易の自由化がある。すなわち、昭和35年6月に「貿易、為替自由化計画大綱」が策定されてから、我が国の輸入自由化は急速に進展し、同年4月には41%にすぎなかった自由化率は、昭和49年3月には、ほぼ97%に達している。
 このような諸外国との貿易の発展は、質、量両面から国民の消費生活を高め、国民の間に外国が身近なものとして感ぜられるようになった。また、経済協力、特に積極的な海外投資や技術協力の面からも国際交流が進展してきている。
 次いで、情報の国際化の面についてみると、通信機器の発達と積極的な海外における企業活動とがあいまって、昭和44年ごろから海外との情報の交流は急速に拡大した。昭和48年の国際加入電信、国際電話の利用は、10年前のそれと比べてそれぞれ11倍、17倍に伸びている。また、国内各マスコミの外国特派員の増強、外国マスコミ各社と国内マスコミ各社との業務提携の増加によっても、外国との情報交流の量は増大してきた。
 こうした外国から輸入された豊富な商品と、外国からもたらされる各種情報は、テレビの普及、新聞、雑誌の発行部数の増大とあいまって、心理的に外国との距離を短縮させた。
 特に、昭和38年から人工衛星によるテレビ宇宙中継が可能となり、外国の情景が即時に茶の間にもたらされるようになったことは、地球が狭くなってきたこと、世界が一つであることを人々に強く印象づけた。
 また、国民所得の増大、交通機関の発達に加えて、情報化の進展は国民の外国への関心を高め、海外旅行者は急速に増加してきた。
 すなわち、我が国の海外旅行者は昭和48年中には228万人に及び、10年前の約23倍に増加している。また、外国から我が国への来訪者も昭和48年中には74万人となり、10年前の3.3倍に増加している。
 こうして我が国は、今や経済面では、諸外国との貿易を通じて深く関連を持ち、社会面でも人的交流や情報を通じて深いかかわりを持つなど「第三の開国」ともいわれる新しい時代に入ってきているといえよう。
 こうした国際化時代の到来により、国民意識の上にも国際的視野で事案に対処しようとする傾向が生じてきている。
 昭和47年、ある新聞社の行った世論調査によれば、日本の安全のために非常に効果があるのは他国民との交流であるとする人が最も多く、また、自分の国が正しいと思っても、国際世論に反するときは、国際世論に従うとする意見が、自分の国の主張を押し通すとする意見よりも多くなっている。
 更に、東南アジアの発展途上国の開発援助について、日本は協力すべきであるとする意見が約7割を占めるなど、新しい国際化時代への対応が国民の意識の上でも形成されつつあるといえよう。
 こうした国際協力の重要性は、独り我が国においてのみならず、今や世界各国が痛感しているところである。
 今日、世界が挑戦を受けているエネルギー資源、食糧、通貨、インフレーション、開発途上国の人口や貧困、環境等の諸問題のどれをみても、一国ないし少数の国のみの努力によっては解決不可能な問題であり、文字どおり世界各国が相互依存の網目によって強く結ばれていることを示している。
 このような国際交流の進展は、犯罪の面にも多大の影響を与えている。
 犯罪現象の面における国際化は、昭和46年ごろから急速に進展してきたが、特に昭和47年の日本人によるイスラエルのテルアビブ空港乱射事件は、国民に犯罪の国際化を強く印象づけることとなった。
 こうした国際化の中で、特に昭和49年は、この傾向を一層特徴づける象徴的な事案がみられた年であったといえよう。
 すなわち、1月から2月にかけて、シンガポールにおける製油所爆破事件、在クウェイト日本大使館占拠事件、7月には、日本青年がパリのオルリ空港で偽造旅券を行使して、フランス警察に逮捕されるという「パリ事件」、また8月には、大阪居住の在日韓国人文世光が韓国において朴大統領をそ撃するという衝撃的な事件、更に9月には、「日本赤軍」を名乗る日本人ゲリラが、ハーグ所在のフランス大使館を襲うという事件等が発生している。
 また6月のパリにおける日本人女性ガイドに対する強盗事件のように、被害者、被疑者ともに日本人であって、犯行地が外国であるというような例や、1月から7月にかけて東京の一流ホテルを対象に敢行されたアメリカ人3人組による詐欺及び多額窃盗事件のように、国内での外国人による犯罪の例、6月のアムステルダムにおける日本人旅行者死体遺棄事件のように、日本人が外国で重要事件の被害者となった事例等国際交流を反映した事件が多くみられた。
(2) 主要な国際犯罪
 外国との人的交流の増加に伴い、犯罪の国際化も顕著となってきている。
 まず、外国人(中国人、韓国・朝鮮人及び在日米軍関係者を除く。)の我が国での検挙人員をみると、外国人の入国者数とほぼ同様な増加傾向を示している。すなわち、外国人の検挙人員は、昭和40年代前半には1,500人から1,800人台まで漸増していたが、万国博覧会が開かれた昭和45年には入国者数の急増に対応して、検挙人員も2,295人にはね上がり、49年にも約2,200人を数えている。また、これらの中には、職業的犯罪者による悪質な事件が目立っている。例えば、アルゼンチン大統領顧問と詐称する男のデパート、ホテルを対象とする多額詐欺事案、香港から来た4人組によるホテル荒らし、アメリカ人3人組によるホテルを対象とした窃盗、詐欺事案等が挙げられる。
 一方、外国で検挙された日本人の数も急増しており、日本人の出国者数の増加と同じような推移を示している。すなわち、外国で検挙された日本人は、昭和40年にはわずか4人であったが、出国人員が100万人の大台に乗った昭和47年以降急増し始め、昭和49年には198人が検挙されるに至っており、犯行地も39箇国の多数に及んでいる。特に最近では、日本人船員による殺人、傷害等の凶悪事件の増加が目立っている。例えば、スペインのラスパルマスで日本人船員6人が水夫長を殺した事案、ホノルルのホテルで日本人客をピストルで脅して金を奪った事案等がある。
 次に、重要被疑者の海外逃亡事案も少なくない。昭和45年に銀行をめぐる数億円の横領事件被疑者2人が、パリ、香港に逃亡した事件が発生し、当時世間の耳目をしょう動させたが、昭和49年には、2億円に上る美術品窃盗の被疑者がフランスに逃亡した事案や、選挙違反の重要被疑者がアメリカへ脱出した事案、覚せい剤密輸で裁判中の被告人がタイに逃げた事案等、捜査の網をくぐって海外に高跳びする事件がひん発した。
 また、日本人が海外で犯罪の被害者となる場合も多くなっている。ニューヨークで日本人女性2人が殺されたり、アムステルダムの運河で日本人旅行者の死体が発見された事例のように、海外旅行者が不帰の客となる事件も数多く報告されている。
 このほか、情報化時代を反映して、外国における犯罪の傾向が我が国にも直接、間接に影響を及ぼすことを含めて、犯罪の各種の国際化現象が顕著となってきている。
〔密輸入事件〕
 人や物の交流の増大に伴って、密輸入事件も重大な問題になってきている。
 まず、麻薬類の密輸入事件の検挙人員は、ヘロイン、LSD等麻薬では、昭和45年の10人から49年の24人に、覚せい剤又はその原料では、45年の3人から49年の26人に、それぞれ増えている。我が国は、東南アジア、韓国、アメリカ等の麻薬、覚せい剤の原料生産地又は密造地と近いことや、東西交通の要衝という地理的条件にあることに加えて、出入国する旅行者の数が増加しているため、これらの薬物の国際的な不正流通の影響を免れない。しかも、薬物乱用の弊害のじん大さ及び世界的な薬物乱用の傾向を考慮に入れると、一国のみの治安問題として対処するだけでは十分ではなく、関係国の協力が不可欠である。
 次に、時計、宝飾品類の密輸入も多く、昭和49年には密輸入総額の約半分を占めている。そのほとんどは、香港、台湾方面から持ち込まれたものであり、従来は、海外旅行者による不正持込みが多かったが、最近では、密輸グループによる計画的な大量密輸入事犯が数多く検挙されている。また、国際保護鳥の極楽鳥をはく製業者が大量に密輸入した事案や、外航船乗組員等による象牙(げ)製品類の不正持込み事案のような特異事件もみられる。
 銃砲の密輸入についてみると、我が国の治安状態が諸外国に比べて良好な理由の一つとして、銃砲刀剣類、特にけん銃に対する規制が厳しいことが挙げられているが、最近各種の事件捜査で、密輸入されたと認められるけん銃が相当数発見されており、その数は年々増加している。昭和45年に押収された密輸入けん銃は72丁であったが、49年には215丁と3倍に増えている。この増加の原因としては、日本人旅行者の不正持込みや、外国船員が日本の暴力団に売るために密輸入する事案が多発していることなどが挙げられる。また、外国人留学生が航空貨物としてけん銃を密輸入するような巧妙な事例も目立っている。
(3) 特殊国際事件
 国際化の進展に伴い、人類は政治、文化、経済等の各分野において著しい向上をみたが、反面、対立するものの間における衝突もまた多くなることは避けられない。特に、政治、人種、思想、宗教等を背景とする対立紛争は、融和解消が難しく、それらに関連する犯罪も国際的影響を持つようになってきており、我が国も、国際社会の一員として、これらのらち外にいることは許されなくなってきている。
ア 「日本赤軍」による特殊国際事件
 「世界同時革命」を主張して昭和44年9月に結成された共産同赤軍派は、その目的の達成のため、同年活動家を渡米させ、ブラックパンサー党やアメリカの「民主社会のための学生会(SDS)」等と交流したり、45年3月に国際根拠地づくりをねらった「日航機よど号乗っ取り事件」を敢行する一方、45年、パレスチナゲリラによるハイジャックが世界各地で続出したのに対しても、機関紙等で支持表明を行うとともにパレスチナゲリラとの交流を企図した。
 しかし、昭和45年中ごろから、赤軍派内部に戦略論争が起こり、主流が銀行強盗や連合赤軍事件等にみられるように、国際連帯より国内ゲリラ闘争路線を重視することとなったため、それを不満とする中央委員重信房子は、京大全共闘活動家Aとともに46年2月ベイルートに向け出国し、同年末には共産同赤軍派とも決別して独自に「日本赤軍」(「アラブ赤軍」ともいう。)を組織し、パレスチナゲリラとの緊密な連携の下に、「アラブの大義」を旗印に、これまでにも次のような事件を引き起こしてきた。
○ 昭和47年5月、テルアビブのロッド空港で、アラブゲリラから軍事訓練を受けたA、岡本公三、Bの3人が自動小銃を乱射し、手りゅう弾を投げて、一般人約100人を無差別に殺傷したいわゆる「テルアビブ事件」
○ 昭和48年7月20日、「テルアビブ事件」の共犯で指名手配中のCを含むアラブゲリラ5人が、「被占領地域の息子たちと日本赤軍」を名乗ってパリ発東京行の日航機を乗っ取り、アラブ首長国連邦のドバイ空港を経て、同月24日に至りリビアのペンガジ空港で機体を爆破したハイジャック事件
○ 昭和49年1月、「日本赤軍」を名乗る日本人2人を含む4人のゲリラが、シンガポールのシエル石油精油所を爆破し、フェリーボート「ラジュ号」を強奪して乗員を人質に取り、シンガポール政府に飛行機を要求し、更に同2月武装ゲリラ5人が在クウェイト日本大使館を襲い大使等を人質にして、シンガポールの犯人のために、日本政府に対して飛行機を要求したいわゆる「シンガポール事件」・「クウェイト事件」
○ 昭和49年7月、Dが「古家優」名義の偽造旅券で、パリのオルリ空港に入国しようとしてフランス警察に逮捕され、同9月「日本赤軍」を名乗る3人がハーグのフランス大使館を襲い、大使らを人質にしてDの釈放等を要求したいわゆる「パリ事件」・「ハーグ事件」
 これら一連の事件における「日本赤軍」の手段を選ばぬ狂気の暴走は、諸外国に、日本及び日本人に対する悪印象を与えるとともに、そのとらえどころのない主義主張とあいまって国民に対しても恐怖と困惑を感じさせた。
イ 朴正煕韓国大統領そ撃事件
 アジアの一国である我が国は、地理的に近いアジア諸国とりわけ韓国との間に、歴史的に深い交流を持ってきたところであり、特に近年、経済面を中心に、両国間の相互依存関係がますます緊密になってきている。一般的に両国間の関係が深くなればなるほど、その間における摩擦もまた大きくなり、国と国との問題となるような事件の発生も避け難い。
 このような状況の下にあって、昭和48年8月、都内のホテルから韓国の元大統領候補金大中氏がら致されたいわゆる「金大中事件」が発生し、続いて49年8月15日には在日韓国人文世光が、ソウル市内国立劇場で開かれた光復節式典会場において演説中の朴大統領をそ撃し、大統領夫人を射殺するという事件が発生し、両国間の関係を悪化させたことは記憶に新しいところである。
(4) スパイ事件
 第2次大戦の後、国際関係は幾多のう余曲折を経ながらも、全体として平和・協調の方向へ向かって進展してきたといえよう。
 しかしながら、この間にあって国家間の利害をめぐる対立、競争がかえってし烈となっている側面もまた見逃すことができない。こうした国家間の対立・競争が絶えない限り、自国の利益をより優先させんがためのスパイ活動は不可避のものといえよう。
 スパイ活動は、本来潜在性の強いものであるが、表面に現れた世界各国の主要なスパイ事件だけでも、毎年数件ないし10数件を数えており、しかもその数は漸増の傾向にある。国家防衛に関する重要な秘密が盗まれたとか、暴動の背景には某国の謀略がうごめいていたとか、国家の枢要な地位にスパイが身分を偽装して就任していた、というような例は枚挙にいとまがない。
 最近、世界の注目を集めた事例としては、次のようなものがある。
○ 1971年9月、イギリスにおいて、スパイ容疑で駐英ソ連大使館員等90人を国外に追放し、更に一時帰国中の同大使館員等15人の再入国を拒否した事案
○ 1974年1月、中国において、駐中国ソ連大使館員5人と中国人1人をスパイ容疑で逮捕した事案
○ 1974年4月、西ドイツにおいて、プラント首相補佐官ギュンター・ギヨームとその妻クリステルらを東ドイツのスパイ容疑で逮捕した事案
 このようなスパイ活動は、各種の違法行為をあえてするがい然性の強いものであり、また我が国に対する有害活動ともみられるところから、警察としても治安維持の立場から重大な関心を払わざるを得ない。
 特に、我が国は、従来から自由主義陣営の主要国として国際共産主義勢力のスパイ活動の対象とされていたが、国力の増大に伴う国際的地位の向上、国際情勢の複雑化、国際的利害対立のせん鋭化等は、我が国に直接のスパイ取締法規がないこととあいまって、我が国におけるスパイ活動をますます活発化させてきている。ここ4、5年においては、
○ 駐日ソ連大使館陸軍武官補佐官ハビノフが、昭和45年4月ごろ、東京秋葉原電気街で通信機販売ブローカーEに接触して、スパイ活動の手先として選び、後任の同大使館陸軍武官補佐官コノノフに引き継ぎ、両者合わせて46年7月までの間、29回にわたって在日米軍の各種兵器の機密等を探らせ、約580万円の報酬を与えていた事案
○ 昭和48年12月、他人名義の偽造旅券で日本に密入国した無国籍のチェコ人クブリッキーが、フェドロフと称する人物から、身分偽変、軍事防衛機密探知を指示されたが、完全なスパイとなってしまうことを恐れ、49年2月、神奈川県警察に自首した事案
等が代表例として挙げられよう。
 また、我が国においては、北朝鮮スパイの暗躍が昭和25年ごろから絶え間なく続いている。すなわち、我が国は北朝鮮にとって、地理的にも文化的にも特殊な関係にあり、更に多数の朝鮮人の在住や法制上の問題もあって、比較的容易に潜入脱出できる格好の場所であり、北朝鮮スパイは我が国を拠点として「対韓工作員」を韓国へ送り込んで、革命組織を建設し、ゲリラ等と呼応して韓国における革命を企てている。そのため、更に韓国の政治、経済、軍事その他の各種情報、在日・在韓米軍の状況、日韓関係に関する情報等の収集を必要としており、スパイ活動を活発に行ってきている。
(5) 国際協力
 国際交流が活発になり、犯罪の国際化が進むにつれて、犯罪への対処に全きを期するためには、その国の力だけでは不十分であることから、他国との密接な連携の必要性が認識されるようになり、各種の国際協力がより積極的に行われるようになった。
 我が国をめぐる国際協力は、次のような形で行われている。
 国際捜査共助のための代表的な機関は、国際刑事警察機構(ICPO-INTERPOL)である。この組織の歴史はヨーロッパに始まる。19世紀以来、犯罪捜査の国際協力機関の必要性はつとに論じられてきたが、1914年にモナコで開かれた国際会議で、このような機構の在り方が初めて討議された。そして、第1次世界大戦後の1923年に国際刑事警察委員会(ICPC)が創設され、更にこれが発展的に解消して新たに国際刑事警察機構が生まれた。こうしてICPOは、創設以来約50年の歴史を誇る国際捜査共助機関として活動を続けている。
 我が国は、昭和27年にICPOの前身であるICPCに加盟した。
 ICPOの目的は、世界人権宣言の精神に基づき、加盟各国の警察がその国内法の許す範囲内で最大限の協力をし合うこと、及び犯罪の予防、鎮圧に効果があると認められるあらゆる制度を確立し、発展させることとされており、その活動に当たっては、政治的、軍事的、宗教的若しくは人種的な性格を有する事件を厳格に排除することを基本原理としている。また、昭和49年末現在の加盟国は120箇国に上っており、国際連合と特別協定を結ぶ政府間機関の地位を有するに至っている。
 ICPOの活動のうち重要なものは、国際犯罪情報の交換及び犯人の逮捕・引渡しについての迅速な協力の確保である。
 国際犯罪情報の交換の主な内容は、被疑者の身元確認、犯歴照会、犯罪事実の裏付けに関する調査依頼のほか、ICPO事務総局が発行する各種の手配書の配布がある。警察庁に置かれている国家中央事務局が発受信した情報量は、犯罪の国際化傾向を反映して逐年増加の一途をたどっており、特に昭和47年以降に急増し始めて、49年には4,000件の大台を突破した。
 また、警察庁に置かれたICPO東京無線局は、昭和45年以来、東南アジア地域の中央無線局として重要な役割を果たしている。ICPO事務総局は特に重要な国際事件を選んで、人に関する各種の手配書及び盗難美術品等のぞう品に関する手配書を発行して、加盟各国に流しているが、このうち、逮捕手配書又は事務総局の協力によって逮捕された者の数は、昭和45年以降顕著な増加を示し、48年には1,481人に上った。警察庁では、これらの手配された者のうち、我が国に潜入するおそれのある者及び重要な盗難美術品等を選んで、全国に手配を行っており、昭和49年12月に窃盗容疑で逮捕したドイツ人が、ICPOから窃盗・詐欺で逮捕手配書が発付されている者であることが判明したなどの例がある。
 また、犯人が国外に逃亡した場合には、その身柄を確保するために、まずICPO加盟国に犯人の所在の確認等を依頼し、所在地国の法律に従って国外に退去させてもらうか、又は外交ルートで逃亡犯罪人の引渡し請求をすることになっている。
 このような国際捜査共助のほかにも、種々の国際協力が行われている。従来、日本政府の海外技術協力の一環として、麻薬犯罪取締りのための国際セミナー、交通警察セミナーが開催されてきたが、新たに国際犯罪捜査セミナーが加わることになり、国際協力事業が一層充実してきた。
 更にICPOが開催する各種セミナー、シンポジウムのほかに、経済協力開発機構(OECD)の開催する都市交通問題に関する国際会議、国際警察長会議(IACP)の主催する各種の会議、シンポジウム等において、各国警察が抱えている諸問題について、経験交流を行ったり、国際協力の方策を検討したりしているが、警察庁からもその都度代表がこれらの会合に参加している。
(6) 今後の課題
 国際化の背景となる諸条件の基調には、当面変化がないとみられるので、犯罪の国際化も今後一層進展していくものと思われる。そして、国際犯罪は、量的に増大するばかりでなく、新しい類型の犯罪の出現等質的な変化も予想され、加えて犯罪関係地の増加に伴う手続の複雑化等捜査手続の面でも困難の度を加えるものと思われる。
 こうした情勢に効果的に対処するには、国内体制の整備を進めるとともに、各国との協力をより緊密なものとしていくことが必要である。そのためには、まずICPOとの連携を一層強めていくことが肝要であり、その第一歩として警察庁においては、昭和50年度には国際刑事課を新設し、ICPO事務総局に日本の警察官1人を勤務させることとしている。
 次に、法制面での外国との違いを埋めるために、国際的な取決めを促進するとともに、これに併せて国内法上の障害を克服すべく努力する必要がある。
 また、その他の分野での国際協力を推進するため、各種の国際会議、セミナー等への積極的な参加、警察官の海外派遣(研修)等を通じて、国家間の連携の基盤となる相互理解を深めることが重要な課題と考えられる。

2 警察事象の推移と対策

(1) 主な社会事象の推移
 昭和49年は、国の内外にわたって経済情勢が急激に変化し、これに伴って社会の各分野において大きな変動が生じ、政治や国民生活にとっても転換期ともいうべき様相を呈した年であった。
 国際的には、東西間の緊張緩和の基調が続いているが、昭和48年末のアラブ産油国の原油価格値上げ、石油供給削減に端を発した経済危機は、深刻な不況を各国にもたらし、そのため、先進諸国においてはこれまでのような経済成長をもはや期待できなくなるという事態となった。これに対して、アメリカ等が石油消費の節約等で対抗する構えを示したため、資源を保有する発展途上国とこれを消費する先進諸国との対立が、国際政治のうえで大きな焦点となった。
 このような世界的不況と石油問題にからむ対立のなかで、イギリスをはじめ多くの国において政権の交替や政治指導者の交替が相次いだ。他方、中東情勢は一応の小康状態に入ったものの、常に一触即発の危険をはらんでおり、「日本赤軍」による「シンガポール事件」・「クウェイト事件」等が発生したのも、そのような情勢を背景にしてであった。
 国外におけるこうした経済面での急激な変化と、それに続く政治的な諸問題の発生は、国内にも多大の影響を及ぼした。
 経済面では、資源問題にからむ物価高騰等に対処するため、政府が総需要抑制策を推進したことなどにより、物価高騰は一応鎮静化の方向に向かったが、企業の倒産や失業者が増加し、不況の様相を呈するに至った。その結果、高度経済成長下における消費中心型の国民生活はその基盤を脅かされ、政治的、社会的にも緊迫した状況となった。このような世情に対して国民の間には、政府の施策に対する不満がつのり、消費者運動、公害闘争等が活発になるとともに、企業責任の追及が叫ばれるようになった。また、各種労働運動がかつてないほどの高まりをみせ、特に、国労、動労等による大規模かつ長期にわたる違法なストライキが目立った。
 政治面では、7月の参議院選挙での与野党の議席数の接近、「文春問題」にからむ田中首相の辞任、野党間の対立の深刻化等政治の動向は新たな局面を迎えた。
(2) 警察事象の推移と対策
ア 犯罪情勢
 昭和49年の犯罪認知件数は、前年比1.7%増の121万1,005件であり、46年から続いていた減少傾向が停止した。しかしながら、その内容についてみると、認知件数の増加は主として窃盗が増えているためであり、特に少年による自転車盗、オートバイ盗、万引の増加によるものであった。これに対し、凶悪犯、粗暴犯、知能犯はいずれも減少を続けており、なかでも粗暴犯は、昭和49年は8万件を割り、ピーク時の34年の半数以下の認知件数となった。
 このように我が国の犯罪のすう勢は、数字のうえでは平穏に推移しているようにみえるが、その内容に立ち入ってみると、現代社会の変動を反映して大きな変化を遂げている。すなわち、殺人事件においては、殺害後死体を自動車で遠方に運搬して、地中に隠ぺいするという事件の多発が目立ち、殺人事件の暗数化傾向さえみられるようになった。更に、ピアノ殺人、ペット殺人等に代表されるように、衝動的、短絡的な行動に走りやすい現代人の傾向を反映した凶悪犯罪が目立っている。また、窃盗の増加件数の大半を占める自転車盗、オートバイ盗、万引は、その多くが少年によるものであり、その内容も罪の意識の薄い遊び的な動機によるものが大半を占めている。一方、昭和49年に急増した爆破事件では、従来の主として特定人を対象としたものから、無差別に大衆を巻き込む形のものが多くみられ、起爆装置も精巧になるなど悪質の度合いを強めている。また、爆破事件の急増と呼応して爆破予告事件が激増しており、陰湿ないたずらによる社会的な損失も大きくなっている。
 また、昭和49年は金融機関を対象とした強盗事件が多発しているが、今後の景気の動向が犯罪情勢にどのような影響を与えるかは注目されるところである。
 以上のような犯罪の傾向に対して、昭和49年中の検挙活動をみると、検挙件数は前年比1.2%増の69万6,535件、検挙人員は前年比1.6%増の36万3,309人とわずかながら増加をみたものの、検挙率は57.5%と前年とほぼ同率を示している。
イ 少年問題
 昭和49年中に罪を犯して補導された少年の数は約13万人であり、前年に引き続き更に増加し、少年人口の減少とあいまって、刑法犯少年の人口比(少年人口1,000人中に占める刑法犯少年の割合)は高い数値となり、成人の場合と比べ約3.6倍となっている。特に児竜・生徒の非行は、ここ数年、増加の一途をたどってきており、昭和49年には、刑法犯非行の74.4%を占めるに至った。また、女子による非行、なかでも、粗暴犯が急激に増加した。
 非行の内容は、万引、自転車盗等の単純な手口のものの増加が著しく、遊び型非行のまん延が一層顕著となった。しかしながら、他方、少年によるハイジャック事件、爆破事件、特異な殺人事件等世間を驚かすような凶悪な事件も発生した。また、暴走族がグループの結成を図り、これらのグループの中には、強盗、強姦等の凶悪な犯罪や、グループ相互間で鉄パイプ、日本刀、火炎びん等の凶器を使用した対立抗争事案を引き起こすなど非行集団と化するものが目立った。性犯罪は減少を続けているものの、性解放の風潮を反映して、集団乱交や売春等性の逸脱行動が広まった。シンナー等を乱用して補導される少年は、再び増加の兆しをみせ、シンナーを吸って自動車を運転し、死傷事故を起こすなど悪質な事案が多発した。
 このような少年非行の状況に対し、警察では、街頭補導を活発に行い、非行少年等を早期に発見し、少年及び保護者に対する注意、助言、関係機関への送致・通告等その非行深度に対応した適切な措置を講ずるとともに、少年を取り巻く社会環境が非行に大きな影響を与えていることから、少年に有害なブルーフィルム、図書等を排除するため、青少年保護育成条例違反者の取締りを実施した。
ウ 公害問題
 公害問題については、水質汚濁防止法における特定施設の拡大、大気汚染防止法におけるばい煙排出についての総量規制の導入等の法令の整備や、瀬戸内海環境保全臨時措置法に基づくCOD負荷量の割当て等の行政施策の進展がみられたが、なお、国民生活の平穏と安全を脅かす事案が跡を絶たない情勢にある。
 このような情勢の下で、警察としては、国民の要望にこたえる取締りを推進するために、警察庁に公害課を新設するなど取締体制の整備を図るとともに、昭和49年は、瀬戸内海に流入する河川等における水質汚濁事犯の計画的取締り、汚染の著しい河川等における計画的、集中的な水質汚濁事犯の取締り、首都圏、近畿圏等における産業廃棄物不法投棄事犯の広域的取締りの3点を重点に取締りを実施した結果、公害事犯の検挙件数は2,856件に達し、前年の1,727件に比べ、1,129件(65.4%)の増加を示した。なかでも、河川等を直接汚染する水質汚濁防止法違反については、前年を88.1%上回る252件を検挙した。警察に持ち込まれる公害をめぐる苦情は、前年とほぼ同数の約3万6,000件に上り、その大半は警告、検挙、話合いのあっ旋等により警察において処理されている。
 また、このほか、非破壊検査会社等による放射性同位元素のずさんな取扱いをめぐる事件が各地で検挙され、その管理の是正が大きな社会問題となった。
エ 交通情勢
(ア) 交通事故の激減
 昭和49年末の自動車保有台数は約2,770万台(前年末に比べ約280万台増)、運転免許所持者数は約3,214万人(同136万人増)となるなど、なおモータリゼーションは引き続き進展を続けている。
 このような状況にもかかわらず、昭和49年中の交通事故は大幅に減少し、発生件数においては49万452件で前年に比べて16.4%の減、死者数においては1万1,432人で同じく21.6%の減、負傷者数においては65万1,420人で同じく17.5%の減となっている。ちなみに発生件数は5年連続、死者数及び負傷者数は4年連続の減少であり、その減少数、減少率ともそれぞれ史上最高であった。
(イ) 都市における死亡事故防止対策
 交通事故の全国的減少傾向のなかにあって、中小都市の中には依然として増加を続けているところがあるほか、地域格差が著しいことから、特に人口10万人当たりの死者数の多い全国42都市を選定して、警察庁から各市に調査団を派遣して関係都道府県警察とともに実態調査を実施し、事故原因の徹底的究明及び事故防止対策の検討を行った。そこから導き出された対策を、全国各地の都市の交通事故防止の重点的な施策として推進した。
(ウ) 都市総合交通規制の推進
 都市における交通事故、交通公害及び交通渋滞を全体として減少させるためには、自動車交通総量の削減、道路利用の合理的配分及び交通流のパターンの改善を目指した都市総合交通規制を推進する必要がある。昭和49年には、これを交通警察の最重点施策の一つとして掲げ、5月にはその具体的な推進方策を全国に示すなどして、特に人口10万人以上の都市を重点とした都市総合交通規制の効率的な推進を図った。
(エ) 交通指導取締りの強化
 交通事故死者数の大幅な減少を図るため、交通警察官の増員、レーダースピードメーターの配備等交通指導取締体制を充実し、交通事故抑止につながる効果的な指導取締りを行った。特に、石油危機とその後の総需要抑制策に伴う経済活動の鈍化の諸情勢をとらえて展開した“スピードダウン対策”は、交通事故防止に多大の成果をもたらしたものと考えられる。
(オ) 暴走族問題
 昭和49年は、暴走族による暴走事案の発生が全国的な問題となった。48年に見られたような群衆を巻き込んだ大規模な集団不法事案の発生はなかったが、48年中に暴走族事案が発生したのは24都府県であったのが、49年には32都道府県に及び、警察で掌握した暴走族事案の発生回数は1,637件、参加人員は約14万人であった。
 これに対して、各都道府県警察では、暴走族総合対策本部を設置して、関係諸機関に積極的な協力要請を行うとともに、出動回数3,054回(前年2,081回)、出動延べ人員12万3,256人(同7万4,460人)に及ぶ指導取締りを行って2万8,051件(同1万3,337件)を検挙し、382のグループを解体に追い込んだほか、多くの暴走行為を未然に防止することに成功した。
 しかしながら、一方では、暴走族は組織化が進み、グループ数、構成員ともに大幅に増加しており、グループ同士による凶器を使用した大規模な抗争事件が発生している。また、暴走族の活動状況からみて、群衆を巻き込んだ不法事案の再発も予想されるので、引き続き取締りを中心とした総合対策を推進し、その根絶を期する必要がある。
(カ) 交通公害問題
 昭和40年代に入り、排出ガス、騒音、振動等の交通公害が生活環境問題の一つとして国民の関心を引くようになったが、その後全国主要都市における光化学スモッグの多発等により、国民の交通公害に対する関心が高まった。特に昭和49年中には、いわゆる排出ガスの51年規制が論議を呼んだ。
 このような情勢の下で、警察としては交通総量の削減により交通公害の防止を図るため、バスの増発、運行時間の延長、タクシーベイの整備、物資輸送の合理化等を関係機関に要請するとともに、バス優先通行、駐車禁止等の規制、生活ゾーン規制の充実等を行い、一酸化炭素等の排出ガスの取締りを強化した。
オ 警備情勢
 左翼諸勢力等は、激しく揺れ動く内外情勢を背景に、反インフレ・生活防衛、反核・反基地、米大統領来日反対等を主な闘争課題として多様な形で大衆行動を展開した。これらの大衆行動では、全国で年間延べ約731万人が動員され、なかには違法行為に出る者もみられ、1,126人を検挙した。
 また、春闘、秋闘を通じ労働運動が高まりをみせ、特に、春闘のヤマ場で行われた公労協を中心とした「交通ゼネスト」は、我が国労働運動史上かつてない大規模かつ長期のもので、これによる鉄道の旅客・貨物の運休、郵便物の滞貨等国民生活への影響は極めて大きかった。この春闘で日教組が初めて「全1日スト」を実施し、5都道県警察が日教組中央執行委員長ら22人を地方公務員法違反で検挙した。
 前年に引き続き昭和49年も、極左暴力集団は国の内外で狂気の暴走を続けた。国外では「日本赤軍」が「シンガポール事件」・「クウェイト事件」等一連の犯行を重ねて世界各国に衝撃を与える一方、国内では中核派と革マル派を中心とした陰惨、凶悪な内ゲバの死闘が繰り返され、年間の死者数では、これまでの最高の11人を出すに至った。内ゲバに使用された凶器がエスカレートするとともに、その襲撃方法も残虐を極め、対象も従来は学生とその周辺に限定されていたのが反戦派労働者にまで拡大し、各派とも組織総力を挙げての全面戦争の観を呈して最悪の事態を迎えた。また、街頭闘争は昭和49年後半には「狭山裁判闘争」、「米大統領来日阻止闘争」等を軸に高まりをみせ、退潮から反転の兆しをみせ始めた。
 昭和49年8月東京丸の内の三菱重工本社ビル前で爆発が起こり、一瞬にして付近にいた通行人等8人の生命が奪われ、多数の人が重軽傷を負った。この「丸の内ビル街爆破事件」に引き続き、10月の「三井物産館内爆破事件」等爆破事件が続発し、人的被害は爆破事件が多発した昭和46年(死者1人、負傷者52人)を大きく上回って、世間に与えたショックも大きかった。これらの爆破事件は、客観情勢や大衆行動にはかかわりなく発生していること、民間の代表的企業がねらわれたこと、爆発物自体も大型化、高性能化していることなどの点でこれまでの事件と著しく異なり、そこに問題の重大性がみられる。
 日本共産党は、「民主連合政府」構想が“宣伝のスローガン”から“実践的スローガン”の段階に入ったとの認識の下に、多方面にわたる活動に積極的に取り組み、幅広い分野で党の影響力を拡大して、その構想を一層進展させた。
 一方、「民主連合政府」構想の進展に伴っていろいろな分野で共産主義と日本共産党に対する関心が高まるとともに、ソルジェニーツィン問題等を契機に各方面から共産主義に対する様々な疑念と批判がみられるようになった。これらの批判に対して、同党は「反共主義」であると反論し、各種の論争が繰り広げられた。
 このような新たな批判の高まりのなかで、日本共産党は党員必読の「独習指定文献」を一部変更したが、党綱領と一体を成す宮本顕治著「日本革命の展望」をはじめ多くの党の基本的文献を引き続き「独習指定文献」にしたほか、党綱領と規約を依然として堅持していることからも明らかなように、同党の基本的性格と基本的革命路線にはいささかの変更もなかった。
 右翼は、各種選挙における左翼諸勢力の進出、政情不安等に対して危機感、焦燥感を強め、左翼諸勢力に対する対決活動、政府・与党に対する抗議活動を活発に展開したが、これらの活動に伴って違法事案も多発し、181件、359人を検挙した。
カ その他
 風俗上問題の多いソープランド営業、深夜飲食店営業等が、依然として増加するとともに、多くのソープランド営業においては売春が行われている状況がうかがわれ、また、深夜飲食店営業においては法を無視した無許可営業が行われるばかりか、深夜における騒音公害の発生源ともなっている。映画、出版物、広告物等の性描写が一段と露骨になっていく傾向がみられるが、外国からのポルノ雑誌やブルーフィルムの密輸入事犯も、最近特に増加している。一方、最近のギャンブル熱を反映して、スロットマシンやルーレット等のギャンブルマシンが街にはびこり、これを使用してのと博事犯の横行が目立っている。
 警察が昭和49年中に取り扱った各種の相談は約84万件であり、そのうち主なものとしては、困りごと相談約13万件、家出人の捜索に関するもの約8万4,000件、公害に関する苦情相談約3万6,000件、その他交通相談、少年相談等があった。
 昭和49年中の自然災害や遭難等の事故については、集中豪雨や地震等による大規模な被害があったほか、水難、山岳遭難による死者及び行方不明者数の増加により、全般的に被害が前年より増加した。
(3) 今後の課題
ア 治安情勢の展望
 我が国は、政治、経済、社会等のあらゆる分野にわたって、戦後一貫して変化と激動を重ねてきたが、70年代の半ばに達した今日、その変動は一層複雑の度を加え、治安上も更に深刻な事態を招きつつあるものとみられる。
 したがって、政治不信の高まり、与野党の議席数の接近による政情の不安定化、エネルギー問題に端を発した高度経済成長の行き詰まり、法無視の風潮のまん延等が今後一段と進行し、社会基盤のぜい弱化、不安定化を促進するであろう。また、これらの情勢を背景として、警察の責務を遂行するうえでの諸条件は一層厳しくなるものと予想される。
 治安面からみて注目すべき問題点を展望すれば、次のとおりである。
(ア) 犯罪の質的変化と捜査活動の困難化
 最近の数年間刑法犯の認知件数は減少傾向にあったが、昭和49年にその傾向が止まり、前年に比べやや増加した。これが欧米諸国にみられるような犯罪の増加に転じる兆候であるかどうか今後の推移が注目される。
 こうした傾向のなかで、犯罪の質的変化はますます顕著となっており、とりわけ凶悪犯にあっては認知件数こそ減少しているが、衝動的、自己中心的な動機による殺人事件が増加し、陰湿な爆破事件や爆破予告事件も多発している。今後、都市化の進展等に伴って国民の意識の変化や道徳等の社会的統制機能のぜい弱化が進むと、この傾向は更に強まるものと考えられる。
 一方、深刻な経済不況が、犯罪の量的質的傾向にどのような影響を及ぼすかについても、今後注目しなければならない。一般に、経済の動向は犯罪の情勢に影響を及ぼすものであるが、日本熱学事件のような会社犯罪にみられるように、今後も経済界の不況に伴い、計画倒産等の会社犯罪、大規模な手形詐欺事件、受注をめぐる贈収賄事件等の知能犯罪の増加が予想される。
 このほか、科学技術の高度な発達に伴い、航空機の墜落や高層ビルの火災等大規模な業務上過失致死傷事件の発生も予測される。
 窃盗の増加件数の大部分を占めるものが、少年による自転車盗、万引等罪の意識の薄い遊び的な動機によるものであるところから、窃盗の今後のすう勢については少年問題の占める比重が極めて大きいとみられるが、今後も、少年犯罪に悪影響を及ぼす自己本位的な社会風潮の広まりや放任家庭の増加等が予測されるので、窃盗の件数の増加が懸念されるところである。なお、このなかにあって、全窃盗の約30%を占める侵入盗についてみると、昭和49年中の発生件数は年間を通じてみた場合は前年よりも減少しているものの、9月以降において前年を上回る増加の傾向をみせていることは注目を要する。
 以上のような情勢のなかで、捜査活動を取り巻く社会環境も大きく変化しつつあり、地域住民の匿名性の増大、連帯意識の希薄化等により、捜査活動はますます困難になるものと予想される。このため、初動捜査活動の強化による犯人の早期検挙、科学捜査による捜査の合理化等と併せ、国民協力の確保方策の推進が、当面の大きな課題となっている。
(イ) 公害問題
 公害問題については、法令の整備や行政施策の推進によって改善が図られてきているところであるが、今後の解決にまつべき問題も多いので、今後なお各種行政施策をはじめ各種の措置の推進及び新たな分野に対する規制が予想される。
 しかしながら、厳しい規制や監視の目を免れようとする悪質な事犯が、今後もなお跡を絶たないものとみられ、また、放射性同位元素の管理をめぐる問題や三菱石油水島製油所における重油流出事故の例にみられるように、従来の考え方では予測もできないような事故や事件が発生することも考えられるので、国民の間に、警察の徹底した取締りを求める声が、ますます高まってくるものと思われる。
(ウ) 交通情勢
 急激に進展してきた我が国のモータリゼーションは、石油問題を契機とする経済情勢の変化等により、車両の増加のすう勢は若干鈍化してきているものの、自動車による旅客、貨物の輸送需要は今後も全国的に増大していくものと予測される。したがって、交通事故や交通公害の発生についてはなお予断を許さない情勢にあり、特に都市部においては自動車交通の過密化に伴って交通の危険は増大し、大気汚染等生活環境の悪化も深刻化するであろう。また、幹線道路や高速道路の周辺についても、騒音を中心とした環境問題が表面化していくものと思われる。
 近年、交通事故は減少傾向にあるが、依然として増加を続けている中小都市があること、また、都市間の事故率に依然大きな格差があることなど、なお、多くの問題を残している。これは、交通安全施設、交通安全思想等の安全水準の地域的格差によるものであり、これらの格差を可能な限り小さくしていくことが必要である。
 更に今後、大都市に限らず中小都市においても交通渋滞や交通公害の深刻化が予想されるが、これらに対処するためには、バイパスの整備、都市構造の改善等のより根本的な対策が必要となってきている。しかし、これらの対策の早急な実現は期待できないので、当面の解決策としては交通規制の強化、特に交通事故、交通公害及び交通渋滞を全体として減少させて良好な都市機能を確保するための都市総合交通規制がますます重要性を増すであろう。
 また、主として都市間交通を分担している高速道路においては、交通事故防止はもとより、事故車両等の早期排除やドライバーに対する各種の情報の迅速な提供を図り、これによって高速道路の機能を維持していくことが今後一層要請されるものと思われる。
(エ) 警備情勢
 70年代後半に入り、政治、経済、社会の各分野で転換への動きが一層強まり、また、価値観の多様化と自己本位的な風潮、法秩序軽視の傾向を背景に、地域間や国民各層相互間の利害の相克が顕在化することが予想される。こうした情勢に乗じて、左翼諸勢力が物価問題等をめぐる広範な国民各層の不平不満を大衆行動、抗議行動に組織し、「生活防衛闘争」等各種の大衆闘争の盛り上げを企図する一方、住民の「権利意識」拡大の傾向が強まる中で消費者運動、「市民運動」や原子力発電所、火力発電所反対等の「公害闘争」が新しい形態の闘争を含む多様な形で展開されるものとみられる。また、厳しい経済情勢を反映して労働運動は政治闘争的色彩を濃くし、それらに伴って多様な治安問題が誘発されることが懸念される。
 こうした情勢の下に、日本共産党は、「70年代の遅くない時期に民主連合政府を樹立する」との方針に立って、引き続き党勢拡大、各級議会への進出、労組への影響力の拡大、指導下にある大衆団体の勢力伸長、都市と農村における中間層工作等に力を注いで「民主連合政府」構想の進展を図るものとみられる。
 極左暴力集団は、引き続き組織の非公然化、軍事化を強めつつ、テロ・ゲリラに向けての力量を増大させていくものと思われるが、その過程で、内ゲバは、対立セクトの幹部のせん滅を期して、引き続き、テロ的様相を呈して発生し続けるものとみられる。また、表面は全く平凡な市民を装う「テロリスト」による社会不安の醸成をねらった爆破事件の多発が懸念される。更に、「日本赤軍」が「ハーグ事件」で身の代金奪取に失敗したこともあって、活動資金獲得のための凶悪なテロ・ゲリラ事件の発生のおそれがあるので厳戒を要する。
 一方、右翼は、左翼諸勢力の伸長、政府・与党の施策、転換への動きの強まる社会情勢等に対して、ますます危機感を深め、政府・与党への監視、抗議活動や左翼諸勢力との対決活動を活発化するものとみられる。このような動きのなかで、右翼の危機感は焦燥感へとつながり、いわゆる民族正当防衛論的な発想から、「危機突破」の道を直接行動に求める者の出現も危ぐされる。
イ 今後の問題点
 こうした状況の下において、警察としては、その責務を全うするために、常に先見性と勇断をもって、犯罪や交通事故の防止、犯人の早期検挙、公害事犯やテロ・ゲリラ事件の取締りその他突発重大事故に際しての措置等に当たり、社会の安定化に資するよう努めなければならない。
 このような警察活動をより効率的に遂行するために、警察管理の近代化、合理化の促進、魅力ある職場づくり、警察装備の充実、有事即応の柔軟な体制の整備等を図るとともに、警察活動にとって不可欠である国民との連携をより緊密かつ強固にする必要がある。
(ア) 国民とともにある警察
 警察は、常に国民とともにあるという姿勢でなければならない。もとより国民の生命、身体、財産を保護するという警察本来の責務を果たすために、捜査活動、防犯活動、交通事故の防止等に最大限の努力を払わなければならないことは当然であるが、これだけでは「国民とともにある警察」と言うには不十分である。
 まず、警察は、国民が警察に何を、どのような活動を期待しているのかを、的確には握しなければならない。社会情勢や国民意識の変化に伴い、国民が「不安に思っていること」すなわち「警察にしてほしいこと」も変わっていくので、その変化に応じた適切な対処によって、国民の信頼にこたえていかなければならない。具体的には、防犯診断、巡回連絡、CR活動(コミュニティ・リレーションズ活動)等住民とのふれあいを通じて、国民の要望をくみ取り、これを警察の諸施策の上に反映し、国民の負託にこたえるよう努めていく必要がある。
 また、流動し人々の連帯意識が薄くなった社会の中で、「相談相手がいなくて困っている人」や「警察を頼りにしている人」は意外に多い。そこで、警察としては、国民からの困りごと相談や苦情等に対しては、誠実に親身になってこれに応じ、警察の問題として処理すべきものについては早急に解決を図るとともに、警察の責務外の問題についても関係行政機関に紹介したりすることにより、所要の行政措置が適切に行われるよう配慮していく必要がある。
 このような努力の積み重ねが警察活動に対する国民の納得を得ることとなり、国民と警察との間により深い信頼関係と協力関係が生み出され、同時にこれがまた、警察の責務の達成に寄与することともなる。
(イ) 犯罪との対決
 昭和49年中は、「丸の内ビル街爆破事件」、「三井物産館内爆破事件」、「大成ビル爆破事件」等と約50件もの爆破事件が相次いで発生し、犠牲者は死者8人、負傷者430人にも上った。このように大量の爆破事件が起こったのは、昭和46年の極左暴力集団による一連の警察施設爆破事件以来のことである。
 警察としては、このような国民に極めて大きな不安を与える犯罪については、早期解決を目指して対処していくことはもちろん、日常生起する犯罪や事故についても、その未然防止に努めるとともに、事案発生時には的確な措置をとり、国民の生命、身体、財産を保護するという警察本来の責務を果たさなければならない。そのためには、警察の捜査力の強化、特殊国際事件に対する体制の整備充実、総合的科学的犯罪対策の樹立等体制を整備し、犯罪の早期解決を図る必要がある。
(ウ) 法無視の傾向に歯止めを
 最近の少年犯罪の大きな特徴は、万引等の「豊かな社会ゆえの犯罪」とでもいうべき遊び的な傾向の強い犯罪の増加である。このほかにも、爆弾を仕掛けたといういたずら電話の急増、依然として跡を絶たない企業のいわゆる公害タレ流し、労働争議や住民運動における「権利擁護」の名の下に行われるいきすぎ事案のひん発等、最近は国民の遵法精神の低下を思わせるような犯罪の傾向が顕著になってきている。
 このような法無視の傾向がこのまま続くならば、やがては社会存立の基盤そのものがぜい弱化し、治安の面にも大きな影響を及ぼすことになるおそれがある。もとよりこのような傾向の是正は、独り警察の犯罪取締りをもってのみなし得ることではなく、行政、教育、マスコミ等の力に多くを期待しなければならない。しかしながら、同時に、警察のこれらの犯罪に対する取締りの態度いかんが、このような法無視の傾向の消長に極めて大きな影響を及ぼすことも事実である。
 したがって、警察としては、警察の基本原則を踏まえて時流に動かされずき然とした姿勢で職務の執行に当たり、法無視の傾向に歯止めを掛けることにより、法秩序維持の責任を全うしなければならない。


目次