第2章 昭和48年治安情勢の概況

1 社会事象の推移

 近年、我が国は内外ともに多くの複雑、困難な問題に直面し、社会秩序に安定を欠く様相を次第に深めているが、昭和48年は、このような不安定な状態への傾斜が一段と強まった感のある年であった。
 国際的には、ベトナム和平をもって明け、米ソ首脳会談、国際通貨危機、アラブゲリラによる国際的なハイジャック等の発生、チリ軍部のクーデターと社会主義政権の崩壊、タイの学生運動と政変、そして第4次中東戦争ぼっ発と石油危機の発生といった中で暮れた。その間、米ソ、米中関係を中心とする緊張緩和は促進されたが、反面、中東やアジアの一部地域における紛争等国際環境をめぐる不安な要因は依然として存続した。これが我が国の治安面にも様々な影響をもたらし、金大中事件や日本人を含むアラブゲリラによる日航機乗っ取り爆破事件のような国際的背景をもった特殊な事件の発生をみた。
 一方、国内的には、まず政治面では「小選挙区制」や「国鉄、健保、防衛、筑波大学法案」などをめぐる与野党の対立、田中首相の訪米、訪欧、訪ソや、東海道ベルト地帯において6大都市がすべて革新市長で占められたことなどが注目された。経済、社会面では、円の変動相場制への移行、異常な物価上昇と地価の高騰、公害問題の深刻化、老人・福祉問題への関心の高まり、不安定な世相を反映した「終末論」の流行、そして石油危機をめぐる経済不安などが目立った。特に、アラブ産油国の石油供給削減に端を発した石油危機は、エネルギー資源の大半を海外に依存する我が国経済と国民生活に大きな衝撃を与えることとなり、石油製品の需給混乱や価格の高騰を招き、いわゆる経済不安と生活不安を醸成するに至った。
 このように激変する社会情勢の下において、昭和48年中に治安的な見地か ら注目されたこととしては、前年の白書において指摘した豊かで安全な生活への指向、価値観の多様化と利害対立の激化、地域社会の崩壊と匿名性の増大、モータリゼーションの進展等が引き続き挙げられるが、このほか新たに特記すべき点は次のとおりである。
 第1に、国民の間に我が国の経済や国民生活の先行きに強い不安感を抱く者が増大しつつあることである。世論調査の結果をみてもこのような傾向が現われており、不安の原因として「世の中の激しい変化」と「方向喪失」を挙げている者が多い。
 昭和48年12月、石油危機のさなかに発生した愛知県下の豊川信用金庫取付け騒ぎは、こうした人心や社会の不安定な状態が、さ細なことをきっかけに一種の「パニック」現象を現出させたものとして注目される。
 第2に、国民の間に所得の不平等、物資の偏在など“社会的公正を欠く”行為に対する反応がとみに敏感になってきたことである。とりわけ、一部の企業や商社等にみられた石油製品等の便乗値上げや生活関連物資の買占め・売惜しみによる悪質な投機行為に対し、激しく非難するとともに、社会的公正の確保に関し、各種行政措置や取締りを求める声が一段と高まっている。

2 警察事象の推移と対策

 以上のような内外の厳しい情勢を反映して、警察事象も一段と多様化、複雑化の傾向を強めた。
(1) 犯罪情勢
 最近の犯罪は総体的に減少傾向が目立ち、昭和48年中に発生した刑法犯(交通関係の業務上過失致死傷を除く。以下同じ。)は約119万件で、戦後最低の認知件数となった。しかし、内容的には、死体を隠ぺいする殺人事件、コインロッカーを利用したえい児の死体遺棄事件、爆破予告事件など悪質な手口の犯罪の増加、また、近代工業の複雑化、高度化に伴う石油コンビナートの爆発火災事故の続発や、都市構造の立体化等に起因する大洋デパートの火災事故の発生など国民に大きな不安感を与える事件、事故の発生が目立っ た。更に、最近の経済の動向等を微妙に反映して、石油その他の生活関連物資をめぐる資材置場荒らしや原材料を対象とする盗犯が増加し、知能犯では不動産取引等をめぐる詐欺事件の多発や贈収賄事件の悪質大型化が目立つなど、犯罪はますます質的に悪化の傾向を強めている。
暴力団の取締り
 一方、暴力団は、これまでの継続した強力な取締りにもかかわらず、昭和48年末でなお約2,700団体、構成員約11万4,000人が全国に存在している。特に、最近の注目すべき動向としては、大規模暴力団相互による組織防衛強化のための大同団結の傾向が強まり、また、新たな資金源を求めて企業などへの食い込みが顕著になってきていることが挙げられる。
 このような情勢に対処するため、昭和48年中全国の警察の総合力を発揮して暴力団に対する集中的取締りを強化した。特に重点を置いたのは、暴力団の資金源の封圧と武器の摘発であった。
○ 資金源封圧作戦の展開
 暴力団による企業への食い込みを封ずるため、財界に呼びかけて知能暴力犯罪被害の早期かつ積極的な届出を促すとともに、暴力団関係者に対する賛助金、寄付金の中止等について強く要望した。更に、税務当局と連携して、暴力団のあらゆる資金源に対する適切な課税及び徴収措置を強化することとし、その結果、警察から、暴力団構成員の脱税、不申告等136件、30億5,087万円を税務当局に通報し、従来にない実績を収めた。
 また、企業を舞台とする知能暴力事犯については、山口組系S組長らによる企業の弱点を利用した一連の恐喝事件の検挙や、商法の贈収賄罪を適用した悪質な総会屋の摘発などの成果がみられた。
 このほか、公営競技をめぐるノミ行為事犯の取締り、暴力金融事犯の取締り等を強力に推進した。
○ 武器摘発の強化
 暴力団の保有する武器の徹底的摘発を図るため、全国的にけん銃捜査を強力に実施した。その結果、大がかりなモデルガン改造けん銃の密造・密売事 件の検挙を通じて、暴力団の隠匿けん銃の摘発が進み、昭和48年中にけん銃936丁(うち改造けん銃756丁)を押収することに成功した。
(2) 少年問題
 罪を犯した少年の数は、昭和47年に比べ若干増加し、12万1,017人となった。年齢別では特に年少少年(14、15歳)の増加が著しく、触法少年(14歳未満)の増加とともに、低年齢化の傾向が一層顕著となった。これは、共かせぎの増加などによるしつけの不十分さや放任、更にまた、享楽的な風潮がその耐性の弱い低年齢の少年に深刻な影響を及ぼしたことなどによるものと考えられる。一方、非行の内容も、凶悪犯のような社会に大きな不安を与えるものは減少し、万引、自転車盗など単純な手口の遊び的色彩の強いものが増加した。また、モータリゼーションの進展を反映して、少年の交通違反も最近上昇傾向にあるが、この中で注目されることは、その構成員の多くを少年で占める暴走族による非行が、スピードとスリルを求める暴走行為にとどまらず、その機動力を利用した広域にわたる強盗、強かんなどの悪質な犯罪や、グループ相互に抗争を行う事案の発生へとエスカレートしたことであった。
 なお、性犯罪は減少したが、シンナー乱用等と結びついた集団乱交や売春など性に関連する非行が中、小学生といった低年齢層にまで及んだのが目立った。
(3) 生活問題、公害、覚せい剤禍
経済変動への対応
 大きく変動した経済情勢を背景に、「丸紅事件」にみられるような違法な買占めや、地域開発に伴う悪質な不動産関係事犯、更には高金利事犯等の金融事犯など国民の日常生活を脅かす様々な経済関係事犯の発生が目立った。
 特に、年前半には大豆、繊維、木材等の異常な価格の高騰や地価の上昇、年後半には石油危機に伴い、物価の高騰に加え、燈油、トイレットペーパー、プロパンガス、洗剤などの生活必需物資の品不足が深刻化し、これに伴う苦情が数多く警察に寄せられるとともに、これらの品物に関する買いだめ が各地で発生した。また、石油の供給不足に伴い、ガソリン等の危険物を不法に貯蔵する等の事案が発生した。
 このような経済変動に伴う国民生活の平穏が著しく脅かされる事態が発生したが、これは警察にとっても新たに直面した重要問題であった。警察としては、「物価の安定、物資需給の適正化は、事柄の性質上、主管行政庁の行政措置によって達成されるべきものであるが、その実効を担保するため警察の取締りを必要とするものについては、悪質又は重要な違反に重点を置いて厳正な取締りを行う。」という基本方針の下にこの事態に対処した。特にガソリン等の危険物の不法貯蔵に対しては、消防法を活用して敏速な取締りを行い、事故の未然防止に努めた。
 そのほか、次のようなことが治安上問題となった。
○ 苦情、紛議等
 年末の石油問題に関連して一般市民から警察に寄せられた苦情は2箇月間で1,500件以上に達した。警察としては、これらを「困りごと相談」の一環として扱い、その内容に応じて関係行政機関に通報し、行政措置を促す等の措置をとった。
 なお、生活必需物資の入手等をめぐる紛議等も各地で発生したが、これらの波及、拡大を防止するため、現場における警告、指導等を積極的に行った。
○ 流言飛語
 すでに述べたとおり、豊川信用金庫の取付け騒ぎは、流言飛語の恐ろしさを如実に示した。警察は、この騒ぎが発生するや、関係諸機関と緊密な連絡の上、直ちに捜査に着手し、その発端となった原因を迅速に突き止め、真相を明らかにした結果、騒ぎが伝ぱ拡大しパニック化するのを未然に防止できた。
公害事犯の取締り
 公害問題については、特に昭和48年5月から6月にかけてPCBや水銀による魚介類の汚染騒ぎが発生し、これに関する国民の不安が一段と高まるとともに、漁業者と水銀を使用する化学工場との間の紛争が徳山湾をはじめ各 地で発生し、また産業廃棄物やゴミ処理問題、騒音、振動問題が悪化するなど一層深刻化した。
 このような公害問題の深刻化に伴う悪質不法事犯の増加、公害をめぐる紛争事案の多発、交通公害事案のひん発等に対して、警察の取締りを求める声が国民の間に高まった。
 このため、昭和48年8月警察庁においては、公害関係事案に対処する警察の基本的方針を全国警察に示した。その主な内容は、第1に、警察としても公害の防止に寄与する立場から、公害関係事案の処理に当たっては関係行政機関と緊密な連絡を保ちつつ、事案に即し指導、警告、検挙等の措置を積極的に講ずること。第2に、悪質又は重大な事犯については検挙の徹底を期すること。第3に、公害をめぐる紛争事案の処理については、違法行為は放置しないという基本方針の下に、対象に応じた適正な措置を行うこと。第4に、交通公害については必要な交通規制及び指導取締りを積極的に推進すること。第5に、公害に関する苦情を懇切に受け付けること等である。
 この方針に基づき、全国の警察は、取締体制の一層の整備を図り、特に有害物質の排出による水質汚濁事犯、産業廃棄物の大量不法処分事犯、行政機関の指導等を無視する悪質事犯などを重点として、積極的な取締りを推進した。
 その結果、昭和48年中に検挙した公害事犯は、1,727件で前年の791件に比して倍以上の増加を示した。また、警察に持ち込まれた苦情も3万8,778件で前年を1万1,000件上回った。
覚せい剤禍とその取締り
 覚せい剤事犯は、密輸の増加や暴力団の組織的密売によって全国的に再びまんえんする傾向が顕著になってきた。特に最近の特徴として、覚せい剤密輸入の主要ルートとして、従来の韓国及びフィリッピンルートに加え、新たに香港ルートも浮かび上がったこと、暴力団の大きな資金源となっていること、覚せい剤の使用が暴力団関係者やその周辺に限られず、一般市民層への浸透の兆しが現われるなど憂慮すべき情勢がみられた。
 警察は関係機関と協力して、覚せい剤事犯の取締りを全国的に強化し、昭和48年中に前年の1.8倍に及ぶ8,301人を検挙した。
(4) 交通情勢
 自動車保有台数は、前年末より281万台増加して、2,618万台となり、運転免許所持者数は前年より131万人増加して、3,000万人を突破した。
 このような自動車台数等の顕著な増勢にもかかわらず、死者数、負傷者数ともに昭和46年以来3年連続して減少し、特に、昭和48年中の交通事故による死者数は、1万4,574人で前年に比べ1,344人減、負傷者数は、78万9,948人で9万9,250人減と著しい減少を示した。このように予期以上の成果をあげることができたのは、次に述べるとおり、警察が国民の協力の下にその総力を挙げて、交通死亡事故防止対策の推進に努めたことによるところが大きいと考える。
交通死亡事故防止対策
 昭和48年中の交通事故死者数を1万5,000人以下に抑止するという目標を達成するため、全国の警察は、交通安全施設の整備、指導取締りの強化、運転者管理体制の整備等総合的な交通事故防止対策を推進したが、なかでも次のような施策が事故防止上相当の効果をあげた。
○ 交通安全についての専門調査団の派遣
 昭和48年5月以降、交通事故死者の減少率が鈍化し始め、このままの情勢で推移すれば、当初の目標達成は困難視されるに至った。そこで、7月から8月にかけて、専門調査団を交通事故多発地域に派遣し、現地の警察や県とともに、事故原因の徹底的究明及び防止対策の立案に当たらせた。
○ 交通死亡事故防止に直結した施策の推進
 上記調査団の提言等に基づき、下半期は、死亡事故防止に焦点を絞った実践的な施策を一層強力に推進した。その主なものとしては、(ア)緊急規制班の編成による交通規制の緊急実施と交通安全施設の整備の促進(イ)交通警察官、外勤警察官、機動隊員等を中心とする交通指導取締体制の確立と事故多発時間帯に重点を置いた検問やパトロール等による交通指導取締活動の強 化(ウ)報道機関の協力の確保と、老人、幼児等に対する個別指導の実施など交通安全広報活動の徹底等である。また、関係行政機関へ強く働きかけ、交通安全関係予算の確保や防護さく、道路照明等の緊急整備、広報活動の展開等交通死亡事故防止へ一層の取り組みを促した。
 一方、自動車交通に起因する騒音、振動、大気汚染は、大都市や幹線道路沿線から新興住宅地等に広がる傾向をみせ、昭和48年中に警察が受理した交通公害関係の苦情件数は5,620件と前年に比べ18.4%増加した。
(5) 警備情勢
 左翼諸勢力は、流動する内外情勢を背景に小選挙区制反対、米空母ミッドウェー横須賀母港化反対等を主な闘争課題として各種の大衆闘争を展開した。
 また、国労、動労の「順法闘争」をきっかけに、「3.13上尾駅事件」や「4.24国鉄首都圏紛争」などの騒動的な事態が発生し、一方、公害問題をめぐって海上封鎖、工場封鎖、工事妨害等の実力行使事案が多くみられた。
 極左暴力集団は、連合赤軍事件の衝撃、世論の批判の高まり、更には格好の闘争課題がなかったことなどから、その組織勢力が停滞するとともに、街頭闘争もまた退潮するという結果をみた。しかし、闘争の主導権をめぐる各派の勢力争いはかえって激化し、各地で凶悪な内ゲバが続発した。
 この内ゲバは、確認されたものだけでも昭和48年中に238件、死傷者575人(うち死亡2人)にのぼった。また、内ゲバの手口は一段と残忍さを加えるとともに、その発生態様も、路上や駅のホーム、デパートの屋上などで、時、場所を選ばずに相手方を襲撃し、このためしばしば一般市民をも巻き込んで負傷させるなど凶暴化し、市民に大きな不安を与えた。
 このほか、複雑な中東情勢や韓国の政情を背景に、7月には日本人犯人を含むアラブゲリラによる「日航機乗っ取り爆破事件」が発生して世界に衝撃を与え、また、8月には「金大中事件」が発生して大きな政治、外交上の問題に発展するなど、国際情勢の我が国の治安に及ぼす影響が一段と強まったことが注目された。
 日本共産党は、昭和48年11月に、3年4箇月ぶりに第12回党大会を開き、「民主連合政府」構想がいよいよ“宣伝スローガン”から“実践スローガン”の段階に入ったとして、「民主連合政府綱領」をはじめ「大会決議」などを発表し、具体的な党活動の指針を打ち出したが、その中で注目すべきことは、党綱領、規約とも、基本的な規定にはなんら手を加えず、したがって革命勢力としての基本的性格と革命路線を堅持していることであった。
 一方、右翼は、前橋市での日教組大会に対する抗議活動、中国からの各種訪日代表団等へのいやがらせ、あるいは熊本空港における日本共産党宮本委員長襲撃事件など左翼諸勢力に対する対決活動に力を入れた。
極左暴力集団の取締り
 極左暴力集団の動向に対して、警察はテロ、ゲリラなどの直接行動を断固根絶するとの強い決意の下に、引き続き徹底した視察、取締りを実施し、また警備警戒体制の強化を図った。とりわけ、地域住民の協力の下に展開した「アパート・ローラー作戦」は、極左暴力集団のアジトや潜伏場所の発見と孤立化を図るうえで多くの成果を収めた。
 昭和48年中の内ゲバに伴う検挙者数は361人にのぼり、前年の164人に比べ倍以上となった。また、各種街頭闘争の封じ込めにも成功し、爆発物使用事件、火炎びん使用事件も著しく減少させた。更に、警視庁警務部長宅爆弾殺人事件、大阪府住吉警察署杉本町派出所爆破事件など捜査の極めて困難な爆発物使用事件の解決にも成功した。しかし、昭和48年において極左暴力集団の中で指名手配された者は、前年から手配継続中の者を含め125人に達したが、このうち検挙者は52人にとどまり、爆発物使用事件が多発した昭和46年当時の重要指名手配被疑者が依然として未検挙であること、また、一部の組織は、アラブゲリラとの連携を一層強め、これと共同してハイジャックなどの凶悪犯罪を国際的規模で敢行する傾向を深めていることなどから、極左暴力集団の動向に対しては引き続き厳戒を要するところである。
(6) その他
 風俗問題については、深夜飲食店営業やソープランド営業における違反形態 の悪質化、映画、出版物等の性描写の露骨化などが目立った。
 次に、最近の世相を反映して、家出人の保護事案が前年同様の9万人と依然として多く、また、警察に持ち込まれた困りごと相談は、約27万件に及び、前年より約20%増加した。
 昭和48年中の遭難等の事故や自然災害については、水難及び山岳遭難事故が前年に比較して著しく減少したほか、台風、地震による自然災害の被害は、極めて軽微であった。

3 今後の課題

(1) 治安情勢の展望
 激動と変化の70年代も半ばを迎えた今日、いわば転換期に差しかかった我が国社会は、治安的観点から極めて注目すべき幾多の問題を内蔵している。すなわち、保守、革新の対立の激化、物価問題と生活不安、公害問題の深刻化、社会福祉等に対する国民の不満の増大、そして、それらを背景とする労働者、市民団体等の大衆闘争の高揚などが絡み合って、社会不安が高まりかねない状況にある。
 このように、従来になく複雑かつ流動的な情勢の展開が予想されるが、治安面からみて注目すべき問題としては、次のようなことが考えられる。
ア 犯罪の悪質化と犯罪捜査をめぐる環境の悪化
 昭和48年中の刑法犯の発生件数は戦後最低であり、すう勢としては、当面急激な増加を示すことはないものと考えられる。しかし、一般に犯罪現象はその時々の社会や経済の状態を反映する傾向が強いことから、今日のような人心及び社会の不安定性の強い状況は、悪質特異な犯罪を増加させることになろう。すでに殺人事件における手口の悪質化は顕著であるが、これに加え、人質・誘かい犯罪、爆破予告事件、爆発物使用事件の増加や、従来予想されなかったような型の凶悪犯罪の敢行などが考えられる。
 また、都市構造や産業構造の複雑化に伴う犯罪の増加も考えられる。すなわち、多数の死傷者を伴う高層ビル火災事件、コンビナートの爆発事故等大 規模事故事件の発生が依然として跡を絶たないほか、コンピューターの盲点を悪用した知能犯罪が増加することなども予測される。更に、近時の経済情勢の変動を反映して、金融犯罪、会社犯罪の多発の可能性にも十分注目する必要がある。
 このほか、近年の顕著な傾向である犯罪の広域化、犯行手段の巧妙化も一層強まろう。
 一方、このような犯罪情勢下において、犯罪捜査をめぐる環境も悪化し、聞込み等の捜査活動がますます困難なものとなることが考えられる。
イ 生活問題、公害問題への関心の高まり
 石油危機に端を発した最近の生活関連物資の買占め・売惜しみ、価格のつり上げ等は一応鎮静化に向かっているが、状況いかんによっては再燃の可能性を秘めている。その場合には、国民の間に生活関連物資をめぐる不満が高まり、紛争や騒動的な事態の発生等治安問題としてはね返ってくるおそれが大きい。したがって、今後の経済動向とその治安に及ぼす影響については、なお引き続き注目する必要がある。
 一方、公害については、国民の間にその積極的な取締りを求める声が一層高まると同時に、地域住民の一部には、公害発生源と目される工場や発電所等に対し、建設阻止等の実力行使に出る傾向が逐年強まっており、更に新幹線や空港の騒音、振動問題に対する住民運動もますます活発化することが予想される。
ウ 転換期を迎えた交通問題
 急激な進展をみてきた我が国のモータリゼーションは、石油問題を契機とする経済情勢の変化等により、今後かなりの鈍化が予想されるとはいえ、自動車に対する需要は引き続きなお増大するものと考えられる。
 したがって、交通問題は今後も依然として厳しいものがあると予想される。交通事故については、この3年間減少傾向にあるとはいえ、現在なお死者1万4,000人台、死傷者を合わせると80万人以上の犠牲者を出しており、これを大幅に減少させるためには一層の努力を続ける必要がある。また、交 通渋滞や交通公害も、都市やその周辺部、幹線道路等を中心に激化が予想され、国民の生活環境を脅かす度合いがより高まることが考えられる。
 一方、このように自動車のもたらす弊害の大きいことから、道路の利用については、安全で良好な生活環境の確保を優先させるとともに、自動車だけでなく、歩行者、自転車、バス利用者等全体の移動効率を中心とすべきであるという考え方が強まってきた。こうした情勢を背景に、現在進めている都市総合交通規制に対する要請も一層高まってゆくものと予想される。
エ 複雑化する警備情勢
 極左暴力集団は、組織防衛及び闘争力の強化という観点から、引き続き組織の非公然化、軍事化を推し進めるものとみられる。その過程で、内ゲバは更にエスカレートし、一層凶悪陰惨化の傾向を強めることとなろう。更に、社会不安が高まりをみせ、各種の大衆闘争が高まった場合、極左暴力集団はそれに乗じて街頭武装闘争を再開するおそれがある。また、一部の組織は、アラブゲリラとの連帯活動を一段と強めており、今後ともハイジャックや大使館占拠等の凶悪事件の発生が懸念される。
 日本共産党は、第12回党大会で選出した新中央指導部の下に党内体制を固め、「民主連合政府」構想実現の体制づくりに努め、当面各種の選挙において活発な活動を展開することが予想される。また、来たるべき第13回党大会までの党勢拡大目標(党員40万人以上、赤旗400万部以上)の達成に向けて、労働組合・大衆団体への影響力の浸透、都市と農村の中間層の引き寄せなどに力を注ぐことになろう。
 一方、右翼は、左翼諸勢力の伸張等に対する危機感から、政府、与党への監視活動、左翼諸勢力との対決活動を強化するものと思われる。とりわけ、一部の過激分子による要人等に対する直接行動については十分警戒する必要がある。
(2) 今後の課題
 このような状況の下において、警察は、治安事象の万般について鋭敏な洞察力と先見性とをもって、その変動する諸情勢の背後に潜む実相と方向を冷 静に見極め、発生した事案に対しては、スピードとタイミングをもって的確に対処していくことがより一層要請されよう。また、警察は情勢の変化に押し流されることなく、その基本的姿勢を堅持し、動揺する社会の「安全弁」として、国民の安全を確保し、我が国社会の秩序ある進歩発展に寄与していかなければならないものと考える。
 今後の警察運営上特に留意すべき課題は、次のとおりである。
ア 広義治安の立場からの未然防止活動の推進
 国民生活の平穏を確保するためには、事件、事故の未然防止に万全を期さなければならない。そのためには、まず、地域社会に密着した外勤警察活動の強化、新興住宅地域や犯罪多発地域における防犯活動の徹底、地域の実情に応じたきめの細かい都市総合交通規制の推進等犯罪や事故の予防機能を一層強化する必要がある。更に、最近の不安定な社会情勢下、不公平感や不安感に根ざす諸種の問題が具体的な治安事象に転化することを防ぐために、警察としては、困りごと相談等の苦情処理機能を強化して、国民の日常的不満を十分には握するほか、先見性をもった大局的立場から、所要の行政措置が適切に行われ得るよう配慮していくことが必要である。いわば、広義治安の観点から、関係行政機関に対し、社会的公正の確保、民心の安定に資する各種行政の推進について、積極的に働きかけを行うべきである。
イ 有事即応の体制の強化
 複雑多様化する警察事象に的確に対処するためには、警察部門間の連携を一層緊密にし、いかなる事態の発生にも敏速に対応できる活動体制の確立を図る必要がある。そのためには、まず、最近の犯罪に対する捜査の困難性と早期検挙の重要性にかんがみ、初動捜査において重要な役割を果たす緊急配備体制をより充実することが肝要である。特に、都道府県境を越えた広域緊急配備の推進、常設検問所の整備、機動捜査隊の充実等を図らなければならない。また、大規模な事件、事故等警察の総合力の発揮を要する事案に際し、警察活動が遅滞なく効率的に遂行されるようプロジェクト・チームの適時適切な編成、平素における総合訓練の強化等の方策を推進していく必要が ある。更に、警察組織の各段階ごとの指揮命令と情報連絡が迅速確実に遂行されるよう警察通信機能の一層の充実を図るほか、新たな装備資器材の研究、開発及び警察情報管理システムの整備を促進していかなければならない。
ウ 国民の理解と協力の確保のための方策の推進
 犯罪捜査活動にとって国民の信頼、支持とその協力は不可欠である。また、極左、極右によるテロ、ゲリラをはじめ各種の違法事案取締りのための諸警察活動の成否も、国民の理解と協力にかかることが極めて大きい。そのため、今後あらゆる機会を通じて、犯罪捜査活動の実態等について国民に広報するとともに、警察活動全般について平素から国民の理解と協力を得られるよう地道な努力を積み重ねておくことが大切である。特に、広報媒体の有効な活用に配意するとともに、CR活動(コミュニティ・リレーションズ活動)を推進し、地域住民に対し必要な情報の提供を行い、警察の活動が地域住民の日常生活に身近なものとして受け入れられ、一層の支持が得られるようにしなければならない。
エ 魅力ある職場の確立
 近時、警察を取り巻く社会環境の変化が著しく、また、警察の職域においても青年警察官の占める割合の増大と意識の変化、高学歴化など様々な変化が現われており、こうした情勢を背景に魅力ある職場づくりの必要性が一段と高まってきている。そのためには、昇進制度の合理化と適正な人事配置を進めるとともに、職員の給与、諸手当などの待遇改善や勤務時間、休暇等の勤務条件、余暇利用、警察施設等の勤務環境の整備を一層促進していかなければならない。また、最近における一般社会のすう勢等にかんがみ、週休2日制の円滑な導入についての検討を積極的に行う必要がある。


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