第6章 公安の維持と災害対策 1 国際テロ情勢 (1) イスラム過激派等  2001年(平成13年)9月11日の米国における同時多発テロ事件以降、各国政府がテロ対策を強化しているにもかかわらず、イスラム過激派が世界各地でテロを敢行するなど、その脅威は依然として高い。中でも、オサマ・ビンラディンが率いる国際テロ組織「アル・カーイダ」は、イラクへの武力行使を支持した国々や親米湾岸・アラブ諸国を非難し、全世界のイスラム教徒に向けてジハード(聖戦)を呼び掛ける声明を発しており、他のイスラム過激派に影響を与えているとみられる。 表6-1 2004年(平成16年)以降に発生した主なテロ事件  中東では、2005年(17年)1月末に、イラクにおいて暫定国民議会選挙が実施された後も、米軍等駐留外国軍、外国関係施設、治安部隊等イラク移行政府の関係者、同国の政党幹部等を対象としたテロが相次いで発生している。また、2004年(16年)10月以降、同国で多くのテロに関与してきたとみられるアブ・ムサブ・アル・ザルカウィが、オサマ・ビンラディンとの連携を明確にしている。他方、レバノンでは、2005年(17年)2月、ベイルートで爆弾テロが発生し、ハリリ前首相が暗殺された。  東南アジアでは、2004年(16年)9月、インドネシア・ジャカルタのオーストラリア大使館前で爆弾が爆発し、11人が死亡、180人以上が負傷した。この事件には、2002年(14年)10月にバリ島で、202人を死亡させ、300人以上を負傷させた爆弾テロを引き起こしたイスラム過激派「ジェマア・イスラミア(JI)」の幹部が関与したとみられている。JIは、フィリピンのイスラム過激派「モロ・イスラム解放戦線(MILF)」の一部や「アブ・サヤフ・グループ(ASG)」と連携して活動していると指摘されている。 インドネシア・ジャカルタにおける豪州大使館前爆弾テロ事件(2004年(平成16年)9月)(時事)  欧州では、2004年(16年)3月、スペインのマドリードで、複数の列車が同時に爆破され、191人が死亡、1,600人以上が負傷した。ロシアでは、同年8月、2機の国内線旅客機が同時に爆破され、90人が死亡したほか、同年9月に北オセチア共和国の学校が占拠され、銃や爆発物等で約330人が死亡、700人以上が負傷した。これらはいずれも、チェチェン独立派武装勢力によるものとみられている。 スペイン・マドリードにおける同時多発列車爆破テロ事件(2004年(平成16年)3月)(時事) (2) 我が国に対するテロの脅威  2003年(平成15年)10月及び2004年(16年)5月にオサマ・ビンラディンとされる者が発した声明で、我が国は攻撃対象国の1つとして名指しされている。また、我が国には、イスラム過激派がテロの対象としてきた米国関連施設が多数あり、これらを標的としたテロが発生することも懸念される。  こうした中、国際手配されていたフランス人の「アル・カーイダ」関係者が、近年、他人名義の旅券を使用して我が国に出入国を繰り返していたことが判明した。我が国には、イスラム諸国からの入国者が多数滞在して各地でコミュニティを形成していることから、入国したイスラム過激派がテロを起こす際にこれらを悪用する可能性が懸念される。 我が国に潜伏していた「アル・カーイダ」関係者(中央)(時事)  また、前述のインドネシアにおける爆弾テロ事件にみられるように、大規模・無差別テロの脅威は、我が国に近接した東南アジア地域にまで及んでいる。  さらに、海外で邦人や我が国の権益がテロの標的となるなど、テロの被害に遭う事案が発生している。イラクでは、2003年(15年)11月、外務省職員2人が襲撃を受け、殺害された。  2004年(16年)4月には、武装グループが同国のファルージャで邦人3人を人質とし、同国に派遣している自衛隊を撤退させるよう我が国に要求した。また、同月には、バグダッド近郊で邦人2人が身柄を拘束された。これら2事件では、邦人はいずれも後に解放された。同年5月には、邦人の報道関係者2人が殺害された。同年10月には、イスラム過激派とみられる武装グループが邦人旅行者を人質とし、同国から自衛隊を撤退させるよう我が国に要求し、人質を殺害した。  2005年(17年)5月には、武装グループがヒート近郊で民間警備会社の車列を襲撃し、同社の邦人社員が行方不明となっている(同年6月現在)。 表6-2 2001年(平成13年)以降に邦人が被害に遭った主なテロ事件 (3) 北朝鮮  [1] 日本人拉(ら)致容疑事案  警察では、これまでに北朝鮮による日本人拉致容疑事案と判断してきた10件、15人以外にも、拉致の可能性を排除できない事案があることから、所要の捜査や調査を進めてきた。その結果、昭和53年6月に兵庫県で男性が失踪した事案を新たに拉致容疑事案と判断し、2005年(平成17年)4月、その旨を公表した。本事案は、神戸市の飲食店に出入りしていた被害者の田中実さんが、北朝鮮からの指示を受けた店主の在日朝鮮人の甘言により、海外へ連れ出された後、北朝鮮に送り込まれたものである。  この結果、17年6月現在、拉致容疑事案と判断されるものは11件、16人となった。拉致に関与した北朝鮮工作員や「よど号」のハイジャックにかかわった犯人ら3人については、逮捕状の発付を得て、国際手配を行っている。  2002年(14年)9月17日の日朝首脳会談の席上で、金正日国防委員長は、拉致問題について、「(北朝鮮の)特殊機関の一部の盲動主義者らが英雄主義に走ってかかる行為を行ってきたと考えている」との認識を示し、謝罪した。しかし、その後も北朝鮮は、拉致問題は「本質上すべて解決した問題」であり、我が国に帰国した5人の被害者については、「(日本は、5人を)強制抑留し、逆に拉致している」などと主張して、被害者の家族の帰国や安否不明者に関する情報の提供に前向きな姿勢を示さず、日朝間の交渉は膠(こう)着状態に陥った。  2004年(16年)5月22日、小泉首相の再訪朝により日朝首脳会談が開催された際、金正日国防委員長は、「今回の会談を踏まえ、改めて白紙に戻り、早期に、本格的かつ徹底的な調査を行う」と表明した。また、同日、拉致被害者の家族5人が帰国するとともに、同年7月18日には、残りの家族3人の帰国・来日が実現した。  同年11月9日から14日にかけて、平壌で第3回日朝実務者協議が開催されたが、この日本政府代表団に警察庁の職員が新たに参加した。北朝鮮は、再調査の結果であるとして、従前と同様、当時拉致被害者と認定していた15人から帰国済みの5人を除いた10人のうち、8人は死亡し、2人は入境の確認が取れないと説明した。しかし、北朝鮮が説明する死亡に至るまでの経緯が不自然で、事実であるか疑わしい又は事実が不明である点が多かった。このため、警察庁では、同月18日、「日朝実務者協議に係る警察庁連絡調整班」を設置し、更に捜査を推進することとした。  この協議の際、北朝鮮は、拉致被害者の横田めぐみさんの遺骨と称するものを提出した。関係警察は、専門家により慎重に選定された、DNAを検出できる可能性のある骨片10片について、DNA鑑定の分野では国内最高水準の研究機関である帝京大学と警察庁科学警察研究所に鑑定を嘱託した。その結果、帝京大学に鑑定を嘱託した骨片5個のうち4個から同一のDNAが、他の1個から別のDNAが検出されたが、いずれも横田めぐみさんのDNAとは異なっていた。  また、北朝鮮は、拉致被害者の松木薫さんの遺骨である可能性があるとするものを提出した。2002年(14年)9月の日本政府代表団の訪朝時に提出した骨と同じ場所に保管されていたものであるとの説明があったことから、松木薫さんの遺骨である可能性は低いと考えられたが、念のため同様に鑑定を行った結果、やはり松木薫さんのものとは異なるDNAが検出された。  政府は、2004年(16年)12月25日、提示された情報及び物証を精査した結果を北朝鮮に伝えた。これに対し、北朝鮮は、同月30日、「受け入れることも、認めることもできないし、それを断固排撃する」などと主張し、「朝日政府接触にこれ以上意義を付与する必要がなくなった」と述べた。また、2005年(17年)1月26日、我が国に「備忘録」と題する文書を提出し、横田めぐみさんの遺骨と称するものに関する鑑定結果はねつ造であると改めて主張するとともに、その返還を求めた。  これに対して、我が国は、同年2月10日、北朝鮮に「北朝鮮側「備忘録」について」と題する文書を伝達し、我が国の見解は、「厳格な手続きに従い、日本で最も権威ある機関の一つが実施した客観的かつ科学的な鑑定に基づくものである」などと反論するとともに、拉致被害者の即時帰国と真相究明を求めた。  しかし、北朝鮮は、同月24日、我が国に対し、「この問題について日本政府と議論する考えはない」などとした上で、責任ある者の処罰と遺骨の早期返還を要求した。これに対し、我が国は、同日、「生存する拉致被害者の即時帰国と真相究明を改めて強く求め」、「北朝鮮側が六者会合に早期かつ無条件に復帰し、問題解決のために前向きな対応をとることを強く求める」などとする外務報道官談話を発表した。 表6-3 北朝鮮による日本人拉致容疑事案の概要  [2] 北朝鮮による主なテロ事件  北朝鮮は、朝鮮戦争以降、南北軍事境界線を挟んで韓国と軍事的に対峙(じ)しており、韓国に対するテロ活動の一環として、これまでに、工作員等によるテロ事件を世界各地で引き起こしており、その危険性はいまだ変わらないものとみられる。  北朝鮮は、日本を足場としたテロも引き起こしており、これは、1987年(昭和62)に発生した大韓航空機爆破事件において、偽造された日本人名義の旅券を北朝鮮工作員が使用した例からも明らかである。 表6-4 北朝鮮による主なテロ事件 (4) 日本赤軍と「よど号」グループ  [1] 日本赤軍  日本赤軍は、1995年(平成7年)以降、世界各地で構成員が相次いで検挙され、12年11月には、最高幹部の重信房子が逮捕されるに至った。13年4月、重信は、獄中から日本赤軍の解散を宣言し、日本赤軍もこれを追認した。しかし、この解散宣言では、テルアビブ・ロッド空港事件(注)を依然として評価しているなど、テロ組織としての日本赤軍の危険性に変化はない。  警察は、国内外の関係機関との連携を強化し、逃亡中の7人の構成員の早期発見、逮捕に向けた取組みを推進している。 注:1972年(昭和47年)5月30日、イスラエル・テルアビブのロッド空港(現ベングリオン国際空港)で岡本公三ら3人によって引き起こされた銃乱射事件。この乱射で24人が死亡、76人が重軽傷を負った。  [2] 「よど号」グループ  1970年(昭和45年)3月31日、極左暴力集団「共産同赤軍派」の構成員9人が、東京発福岡行き日本航空351便、通称「よど号」をハイジャックし、北朝鮮に入国した。  警察は、ハイジャックに関わった犯人を国際手配し、既に田中義三外1人を逮捕した。このほか、2人が既に死亡しており、現在も北朝鮮にとどまっている犯人は5人とみられる。そのうち1人は死亡したとされているが、真偽は確認できていない。  平成14年3月、警察は、これまでの捜査結果から、欧州で発生した日本人女性拉致容疑事案は、「よど号」グループと北朝鮮によるものである疑いがあると判断した。同年9月、同事案に関し、有本恵子さんに対する結婚目的誘拐容疑で、「よど号」犯人の魚本(旧姓・安部)公博の逮捕状を得て、同年10月には国際手配を行った。  「よど号」犯人の妻らについては、15年までに、帰国した3人を逮捕しているほか、16年2月には、国際手配中の魚本民子を旅券法違反及び有印私文書偽造・同行使容疑で、同年10月には、国際手配中の田中協子を旅券法違反容疑で逮捕した。  警察は、今後とも国際手配中の「よど号」犯人らの早期逮捕を目指して、国内外の関係機関との連携を強化していくこととしている。